好きなものは百合&パンツァーです!   作:葉川柚介

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百合花畑でつかまえて

 戦車道には、人生の大切なものが詰まっている。

 

 そう教えてくれたのは確か、子供のころよく一緒に遊んでいた女の子だったか。

 俺よりは何歳か年下だったはずだけど、妙に大人ぶったふりをしてしょっちゅう小難しいことを言っていたように記憶している。

 子供のドヤ顔は微笑ましいが、同年代からしてみればイラっとくるもの。ありがたいことを教えてくれた腹いせ……じゃなかったお礼として、「そんなことより野球しようぜ!」と家から連れ出して遊びまわったものだ。いや、実際に野球ばかりやってたわけじゃないけど。

 あっちはあっちで「そんなことに意味があるとは思えない」とかなんとか言っていたけど、適当に引きずり回しているうちにノリノリになってきて、笑いあいながら空が暗くなるまで遊んだのも今ではいい思い出だ。

 

 その子がしょっちゅう言っていたその手の哲学的なあれこれはそれこそ数え切れないほど聞いたのでほとんど覚えていないが、その中でもこの言葉だけは今も覚えている。

 

 

 そう、戦車道には人生の大切なものが詰まっているんだ。

 

 

 戦車道。

 チャドーや華道と並び称される、淑女の嗜み。

 最近は下火になってきてもいるが、古来この国における理想の女性像とは「立てばパンター、座れば三突、歩く姿はティーガーⅡ」と称されるほど、かつては広く知られていた。

 まあ、一度この言葉を口にしたが最後、「マチルダⅡはどうした」「M4を無視するとはいい度胸だ」「チハたんばんじゃーい」とそれぞれ推し戦車が異なる人々が湧いてきて血で血を洗う楽しい戦車論争が繰り広げられることになるのだが、話と関係ないので脇に置く。

 

 ともあれ青春を戦車道にかける少女達は美しく、健やかで、凛々しい。

 俺は、心からそう思う。

 

 男に生まれたため戦車道に直接触れたことはないが、それでも戦車道が素晴らしいものであるということは見ているだけでもわかる。

 履帯がきしみを上げ、巨大で重厚な鉄の塊がどこまでも行く。どんな荒地も山の斜面も、火砕流の中さえも。

 

 なんて、美しいんだ。

 初めて動く戦車を、それを駆る女性の姿を見た日の感動は、今も色褪せず心の中にある。

 

 美しいもの、尊いもの、憧れるものは人によってそれぞれ異なる。

 俺が愛しく思う物をなんとも思わない人がいたってかまわない。

 

 俺は確かに、俺がこの世で最も美しいと思えるものを知っている。

 それだけで、日々を生きることに意味が生まれる。戦車道雑誌で戦車とそれを駆る女性たちの活躍を見て、試合を観戦しに行って砲撃音に腹を揺すられ、勝利の栄光に浮かべる笑みを見て。

 俺は、生まれてきてよかったと、こんなにも美しいものを見ることができて良かったと心から思える。

 

 

 やはり、戦車道には人生の大切なものが全て詰まっているんだ。

 

 

 すなわち、俺がこの世で最も愛する物。

 ガールズ&パンツァー(可愛い女の子たちと戦車)が。

 

 

◇◆◇

 

 

 パックス・アカデミア。

 学園艦統廃合計画からはじまる、文部科学省による全体管理。

 限りある生徒の、節度ある再分配。

 賢明な国家機関たる文部科学省が生徒と予算を独占し、不要とみなされた学園艦は解体所に押し込まれ、残った学園艦は当年度予算を得るためだけの運営に従事していた……。

 

 

 文部科学省の定める教育方針の象徴たる、戦車道。

 そのカリキュラムを失伝した大洗女子学園は時代遅れの大艦であり、だからこそ彼女を受け入れた。

 戦車道復活の中心人物となる彼女は、低俗な、政治的駆け引きにより転校を許されたのだ。

 

 名門の落伍者。

 政治的な利用価値すらない、非力な戦車たち。

 

 この時はまだ、誰もがそう思っていた。

 ……私も含めて。

 

 

◇◆◇

 

 

「何ぶつぶつ言ってるの杏ちゃん」

「いや、ちょっと最近の学園の方針の整理をね」

 

 店に入るなり商品を物色しながらそんな独り言を呟く女子高生が常連な当店、大洗干し芋店。本日も絶賛営業中でございます。

 

 

 

 

 学園艦、大洗女子学園。

 日本の学園艦の一隻で、茨城は大洗町を本拠地として持つ女子校であり、俺が干し芋屋を営む都市の名でもある。

 学園艦についての詳しい説明は面倒なので省くが、艦の名そのものである学園と、それを内包する都市丸ごとひとつを海に浮かべる巨大艦であるため、その運営には様々なインフラが必要とされる。

 船舶科の生徒たちが管理する電気水道ガスはもちろんのこと、病院や銀行、床屋に靴屋に服屋に銭湯、学園艦にはまさしく都市ひとつが詰まっていると言っていい。

 

 そんな街の片隅で、大洗の名物の一つである干し芋屋を営む店がある。

 正しくは、干し芋を中心とした土産物屋に近い。祖父がはじめ、俺が数年前に若干二十代前半で継いでからはさつまいもを使ったスイーツなんかも商品に加え、さらには食事スペースも少し用意してコーヒー紅茶の類もメニューに載せれば、ちょっとしゃれたさつまいものお菓子やらをメインにした喫茶店のような土産物屋のような店が誕生するという寸法だった。

 主な客層は、祖父が営んでいたころから常連のじいちゃんばあちゃんと、大洗女子学園の生徒たち。スイーツとしてしっかりと飾り立ててあげれば、大洗特産のさつま芋はオシャレな女子高生のメガネにもかなってくれたようで、そこそこの繁盛をさせてもらっている。

 ……まあ、そうなるように死ぬほどリサーチとパティシエ修行をしたんだが。そうでもなければ、俺が生きる意味、学園艦で店を開く意味がないのだから。

 

 

「ねえ店長。物は相談なんだけどさ」

「なんだい、値引きの相談以外なら受け付けるよ」

 

 そしてそんな店に足しげく通ってくれる、カウンターに頬をついてにやーっとした笑みを浮かべている、この子。

 女の子であることを差し引いても高校三年生とは思えないほど小柄で、多分軽く背伸びしてようやく今の体勢になっているだろう彼女こそ、当店屈指の常連さんにして大洗女子学園の生徒会長、角谷杏ちゃんだった。

 

 彼女の常連振りたるや凄まじい。

 うちの店には週5で通ってその都度干し芋を買っていき、街で見かけるときでも干し芋を持っていない姿は見たことがない。その小さい体のどこにそれだけの干し芋が入っていくのかは大洗七不思議の一つにノミネートされても全く不思議ではなく、うちの商売的には大変ありがたいです本当に。

 

 俺と杏ちゃんの付き合いは、そんな程度だ。

 ただの女子高生と、行きつけの店の店主程度のものでしかない。

 

 はずだった。

 この時までは。

 

 

「最近、あちこちの学校やら学園艦が廃校になったり解体されたりしそうになったりって話は知ってる?」

「ニュースで聞くくらいには。少子化による生徒数の減少が原因で、なんでも生徒数確保のために学生がアイカツして知名度向上に勤しんでるところもあるとか」

 

 杏ちゃんが語るのは、昨今の日本の教育を取り巻く話題の一つ。

 ロシアの冬将軍よろしく厳しく吹き付ける生徒数減少の影響はいかんともしがたく、年々学校の運営が厳しくなり、あちこち統廃合して効率化を図ろうという話が出ているとか出ていないとか。そして統合しても結局統合前の人たちで固まって内ゲバしまくってる学校もあるとかないとか。

 ……杏ちゃんがそんな話をするということは、大洗学園にとってもそれは他人事ではないのだろう。

 

「まあつまりそんなわけで、うちとしてもそろそろ戦わなければ生き残れないかんじになってきたわけ。店長も、この学園がなくなったらイヤでしょ?」

「そりゃあね。なんだかんだで愛着もあるさ」

 

 杏ちゃんが差し出してきた商品の干し芋を受け取ってレジを通し、おつりもなく差し出された代金で会計を済まして渡せば、さっそく封を切って中の干し芋をかじりながら話を続けた。この子は大体いつでもこんな感じだ。干し芋をくわえていないと呼吸できない体質だったりするのだろうか。

 

「だから、色々と協力して欲しいってわけ。店長ならいける」

「いやいや、買い被り過ぎだよ。俺、しがない自営業だよ?」

 

 そして相談というのがこの内容だった。

 要するに、生徒数の増員か何か実績を上げることにより、大洗女子学園が廃校・解体するには惜しい学校であると文部科学省に認めさせる。そういう策なのだろう。

 それはいい。どこの学校も生き残りをかけて熾烈な争いを繰り広げる学園艦戦国時代の様相を呈してきたわけだ。必然的に大洗だってそうもなろうし、小柄な体格に似合わず生徒会長としての責任感を背負う杏ちゃんなら、そりゃ真剣にも考える。

 俺にその手伝いを、というのは少々見込みが違うような気もするが。

 今の俺は、税金対策の道楽じみた気楽な経営を楽しんでいる、ただの干し芋屋の店主に過ぎないのだから。

 

「……大洗で戦車道を復活させるって言っても?」

「詳しい話を聞こう」

「わ。これ、店でも一番高級な干し芋じゃん。いただきまーす。いやー、店長が戦車道好きって聞いててよかったよ」

 

 

 角谷杏。

 中々の策士であることを、俺はこの日から何度となく思い知らされることになる。

 

 そしてこれが、後に奇跡と賞賛されることになる大洗女子学園の戦車道復活に俺が関わっていくきっかけとなるのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

「てなわけで、西住ちゃん。選択必修科目、戦車道取ってね?」

 

 西住みほと大洗女子学園生徒会長、角谷杏との初めての会話はこの言葉から始まり、即座にみほの心臓は鼓動を速めた。

 言葉の意味を理解することを拒むように視界が暗く狭まり、のどがカラカラに乾いていく。

 そして、唐突にフラッシュバックするいくつかの記憶。

 雨、濁流、沈みゆく戦車。

 そして耐えられないほどの、胸の奥の熱さ。思わず喉が詰まって、みほはすぐに返事をすることができなかった。

 

「え……そ、そんな。この学校は戦車道がないって……だから私はこの学校に転校してきたんですよ……?」

「確かに、我が校における戦車道は20年前に廃止されている。……が、事情が変わった。詳しい説明は改めて全校集会の場でするが、今年度から選択必修科目として戦車道を復活させる。生徒会とのつながりを強くする絶好の機会だ。そちらにとっても、悪い話ではないと思うが?」

「で、でも選択必修ってくらいなんだから、必ず戦車道を選ばなきゃいけないってわけじゃ……」

「まあそれはそうなんだけど……でも、戦車道を取ってくれたら色々いいことがあるよ? いっぱい特典つけちゃうし! 私たちは、西住ちゃんを高く評価しています。良いお返事を期待していますね?」

 

 戸惑うみほに、容赦なく言い聞かせるのはモノクルを輝かせる河島桃。雰囲気からして、生徒会長の懐刀と言ったところだろうかとみほは推測する。ニヤニヤと底知れない笑みを浮かべている生徒会長と一緒にいると、なんだか本当に逃げられない気がしてきて心底イヤだ。

 そしてもう一方はおっとりした雰囲気ながら、桃とは逆にメリットを提示してみほを引き込もうとする小山柚子。生徒会役員3人の硬軟取り混ぜた懐柔策、何やら裏がありそうに思えてならない。

 

「まーまーそう言わずにさ。西住ちゃんだったら戦車道は慣れてるでしょ? その能力を生かして他の戦車道をする子達にもいろいろ教えてくれれば、みんながウルトラハッピーになれるってわけ。先輩の言うことは聞いておくものだよ?」

「うっ、なぜか生徒会長が学校以外の場でも先輩のような気がしてきました……」

 

 そして杏からのさらなる追い討ち。前世の記憶にさいなまれたみほが頭を抑えるのを確認して、ひとまずは良しと判断したのだろう。杏は逃がすかとばかりに組んでいたみほの肩を解放する。

 

「こんなところかな。それじゃ西住ちゃん、よろしくー」

 

 生徒会役員二人を引き連れて悠々と去っていく杏の背。

 それを呆然と見送るしかないみほの目にもはや光はなく、暗い闇が澱んでいた。

 具体的には闇の皇帝か、あるいはどっかのダンスチームの銃使いくらいに。

 

 

「……みほ、大丈夫?」

「西住さん、何か辛いお話だったんですか?」

「あっ、二人とも……」

 

 どれだけの時間を廊下で立ち尽くしていたのか、みほに自覚はない。

 そんな彼女を現実に引き戻してくれたのは、友達になったばかりのクラスメート、武部沙織と五十鈴華の二人だった。

 気遣わしげなその表情に、みほはなんとか笑顔を作る。せっかくの友人を心配させたくはない。

 

「だ、大丈夫だよ。ちょっとその……話をしただけだから」

「本当に……?」

「もし相談したいことがあれば遠慮なく言ってください。わたくし達はお友達ですから」

 

 その言葉が、本当にうれしかった。

 みほは戦車道を避けて大洗にやってきたが、戦車道そのものを憎んではいない。鉄と油の匂いは、確かに西住みほの人生を形作る大切なものの一つだった。

 だが、そこから離れたいと願ったのも事実。離れたところで得られた大切なものがあるのも確か。今は、この手の中にある優しい温もりを何より大切にしたいと、みほは心から願っていた。

 

 

◇◆◇

 

 

 その後、全校生徒を集めてのオリエンテーションで戦車道の復活は大々的に宣伝された。

 どこから持ってきたのか、カッコいい紹介映像と生徒会によるナレーション。他の選択必修科目より明らかに大きく取り上げられたことと、単位の増量、遅刻の免除など数々の優遇措置。極端なほどの力の入れようが伺えた。

 

 だが、みほは。

 

 

「西住さん……?」

「ごめん、なさい」

 

 選択必修の申請用紙。

 紙面の半分を占めるほどに大きく書かれた「戦車道」の文字のおまけのように並ぶその他の科目。戦車道を選べ、という強い意思を感じさせる。

 事実、沙織と華はプレッシャーに負けてではなく自身の意思であるが、戦車道を選んだ。

 

 しかし、みほが選んだのは戦車道ではない。

 

「私、やっぱり戦車道は……」

 

 俯き、心底申し訳なさそうに。

 その様子を見た沙織と華は顔を見合わせる。薄々感じとってはいたが、みほと戦車道の間には何かがある。あるいは、あったのだろう。普段は自分から人付き合いをしていくのが苦手そうで妙に抜けたところもあるみほが、こんなにもふさぎ込むような、何かが。

 だから、彼女の友人たることを自認する沙織と華は頷き合い、決めた。

 

「みほ、気にしなくていいって」

「そうです。お付き合いしますよ」

「え……?」

 

 そう言って、二人は戦車道の選択を止め、みほと同じ科目に印をつけた。

 驚き、見開かれるみほの目。

 

「そ、そんな……! 二人は戦車道をしたいんでしょう!?」

「そりゃあね。でも、戦車道も面白そうだけど、みほと一緒の方が楽しそうだもん」

「わたくしも同じ気持ちです。西住さんと同じ授業を受けた方がきっといいです。任せてください、わたくしたちは悪魔と相乗りする勇気がありますから」

「沙織さん、華さん……! ありがとう、本当に」

 

 感極まり、涙ぐむみほ。

 会長に目をつけられた時はどうなる事かと思ったが、こんな友を得ることができたのだから、大洗に来たことは決して間違いではなかった。みほは今、心からそう思えた。

 

 

 

 

「……ところで、西住さんが選んだこの『伝説の戦士道』ってなんなのでしょう」

「え、ダメかな? 私にぴったりな感じじゃない? こう……えいっ、て」

「落ち着いてください西住さん。それはひだまりぽかぽかな伝説の戦士のポーズではなくて、空手におけるサンチンの型です」

「これ確か、講師の人が会長の知り合いって噂じゃなかったっけ」

「わたくしは、最初の授業が富士登山だと聞きました。頂上のあたりで講師の方が『道』と書かれた掛け軸を手に講義してくれるのだと」

「なんか私が思ってたのと違う!?」

 

 もっとも、既に別のところで道を踏み外している感もあるのだが。

 

 

◇◆◇

 

 

「……で、どういうことかな西住ちゃん」

 

 そして、選択必修科目の申請用紙を提出したその日の昼休み、みほはさっそく生徒会に緊急の呼び出しを受けた。

 思っていた以上に速い動きから生徒会の本気の度合いを思い知らされるとともに、みほはわずかな違和感を覚えた。

 この迅速な対応、生徒会が有能であるという以上に、何かに焦っているような……。

 

「選択必修科目に何を選ぶかは、生徒会に無理強いされるようなものではないはずです」

「そうだそうだー!」

 

 しかし、そんな物思いにふけっていたのも一時のこと。昼食を取っている最中に呼び出されたとき、一緒にいた華と沙織がついてきてくれた。左右からそれぞれみほと手を繋ぐ、言葉を交わして間もない友達。その手の温もりがあるからこそ、みほは持ち前の冷静さを発揮することができていた。

 

「んー、そっかー。西住ちゃんは戦車道やりたくないかー。……でもね?」

 

 対する生徒会。

 みほよりさらに小柄な先輩で生徒会長、杏はだらりと椅子に座っているが、威圧感は尋常ではない。カーテンを引いて薄暗くした生徒会室でまさしく主として君臨する彼女は、抗議する華と沙織の声も軽く受け流している。

 その余裕を見てみほは固唾を飲む。

 あれは、勝利を確信している目だ。

 相手の行動を全て予測しつくし、自分にとって最良の戦場に敵を引きずり込み、あとは料理するだけ。そういう状況を構築しきった者の目だと、みほの本能が告げている。

 

 そしてその勘は、当たる。

 杏は、いっそ淡々と決定的な言葉を告げた。

 

 

「それじゃあ、みんなこの学校にいられなくなっちゃうよ?」

 

 

 ニヤリと、とても悪そうな笑みのおまけつきで。

 

 

「なっ、今度は脅迫!?」

「卑怯です! 職権乱用です!」

「なんとでも言え。これは正当な生徒会権力の行使だ」

「あららー、大変だよ。会長は一度言い出したら聞かないから……。ね、戦車道、取ってみない? いいこともいっぱいあるよ?」

 

 ラスボスの風格の会長、かたくなに強権的な態度を崩さない河島桃、北風と太陽とでもいうべきか、桃とは逆に優しげな言葉で取り入ろうとしてくる小山柚子。ありとあらゆる手練手管を用いて、みほを戦車道に引きずり込もうとしている。

 

 いよいよもって強権的な手段を取り始めた生徒会に対して、非難の声を上げる沙織と華。

 しかしそれでも生徒会側の態度は変わらず、脅迫としか思えない「学校にいられなくなる」という脅しが実際に切ることのできるカードなのだと確信させられる。

 戦車に乗っていないときは割とぽんこつなみほだが、友のためなら鍛え抜いた観察眼を発揮する。

 そして、だからこそ気付いてしまった。

 

 既に自分達に退路はない。生徒会が敷いた道から逃れる術はない。

 自分一人ならなんとでもなったかもしれない。既に一度逃げた身だ。

 だが、今は友がいる。両手を繋いで、みほの身に降りかかった理不尽を我がことのように怒ってくれる人たちがいる。

 

 ならば、行こう。

 この道の先に何が待ち構えていようとも。

 たとえ火の中水の中、火砕流の中であったとしても大丈夫。

 みんなと一緒の、戦車道ならば。

 

 

 だが、今の自分にその資格があるのか。

 それだけは、あえて考えずに。

 

 

 みほはうつむいていた顔を上げ、まっすぐに前を見る。

 その先にいるのはこの部屋の主、生徒会長角谷杏。

 みほの目に宿る決意の色に満足げな、そしてほっとしたような表情を浮かべる彼女に。

 

 

「私……戦車道、やります!」

「ちょ、みほ!?」

「西住さん!?」

 

 力いっぱい、宣言する。

 

 

 武部沙織は、五十鈴華は、生徒会の三人は、そしてみほは後に振り返ってこう語る。

 

 この日この時が、西住みほの戦車道の本当の第一歩だったのだと。

 

 

◇◆◇

 

 

「もー、びっくりしたよみほ。いきなり戦車道やるー、なんて言い出すんだもん」

「ご、ごめんね。あんなに私のために怒ってくれたのに、相談もなしに……」

「いいえ、気にしないでください西住さん。……それに、正直ちょっとうれしいんです。西住さんと一緒に戦車道をできることが」

「あ、私も私も」

「いらっしゃ……い?」

 

 その日の夕方。

 俺がいつものように店番をしていると、大洗の生徒が3人店を訪れた。

 見慣れた制服姿で、これまで何度か店を訪れてくれた子が2人と新顔の子が1人。

 入店に気付いてそちらを振り向き声をかけ……ようとして、俺の言葉尻は疑問の形に変わってしまう。

 そりゃあ、そうもなるだろう。驚きで声も詰まるというものだ。

 

 なにせ新顔の子は、あの……。

 

「あれ、どうしたの店長。変な声だして。……あ、みほに紹介するね。この人がこの店の店長さん。若いけど、なんか道楽でこのお店やってるらしいよ。それから店長、こっちはみほ。友達になったんだ」

「店長は少々人格に問題がありますが、このお店にあるお芋のお菓子はどれも美味しいのでおすすめですよ。店長の人格には問題がありますが」

「に、二回言うくらい大事なことなんだ……?」

 

 とはいえ、それはあくまで俺が一方的に知っているというだけの話。

 だから、とことこと喫茶スペースに向かっていく3人のためにお茶とおしぼりを用意して、俺は恭しく差し出した。あくまでここでは客と店主。武部沙織ちゃんと五十鈴華ちゃんに連れられてきたこの子がかつて戦車道の名門、黒森峰学園で1年生ながら戦車隊の副隊長を務めた西住流宗家の次女、西住みほちゃんだからといって、浮かれたりはできないのだ。

 

「改めて、いらっしゃいませ。ご注文はうさぎですか?」

 

 しまった、さっそく浮かれてセリフを間違えてしまった。

 

「いきなりなに変なこと言ってんの店長。私チョコチップ入りのさつまいもアイス!」

「ここは色々おすすめがありますけど、お店で食べていくならアイスがおいしいです。わたくしはミント入りをお願いします」

「へえ、そうなんだ。じゃあ私は、えーと……プレーンシュガー」

「プレーンですね。お待ちください」

 

 謎の注文を受けて、カウンターの中へと引っ込む俺。西住ちゃんが大洗で奇跡的な大活躍をして魔法使いならぬ魔術師とか呼ばれたりしないかが心配だったけど、根拠のない予感なので脇に置いておく。

 アイスは準備に時間がかかるものではないのですぐに出せるが、女の子たちは暇さえあれば会話に花を咲かせる生き物。今日も俺の店の中には女の子同士で仲のよさげな素敵な時間が満ちてくれる。

 

「まあなんにしても、みほと戦車道かー。うふふ、楽しみ」

「ご、ごめんね? 私のために、生徒会長たちに言ってくれてたのに……」

「気にしないでください。正直、あのまま生徒会に逆らってもわたくし達の意見が通っていたかは……。それに、結果的にとはいえ西住さんと戦車道ができるならなによりです」

「沙織さん、華さん……」

 

「……ふぅ」

 

 だから、俺は空気を読む。

 友情を確かめ合う女の子たちの間に割って入るほど無粋な神経を、俺は持ち合わせていないのだ。

 そう、これは純粋に彼女たちを思ってのことであり、私利私欲は一切ない。ないのだ。ないったらない。

 

「お待たせしました。さつまいもアイス三種類です」

「ありがとー。……とりあえず店長、鼻血拭いた方がいいよ。すっごくキモい」

「すみません、西住さん。この店長はちょっと、その……変態でして」

「えっ」

 

 たとえ、鼻から女の子たちの尊い友情を思う気持ちがあふれ出してしまったとしても、そこに汚れた感情は一切ないと断言できる。

 

「失礼な、変態じゃないよ。仮に変態だとしても、変態という名の紳士だよ。……俺はただ、好きなだけなんだ。女の子が。仲良くしてる女の子たちが。女の子同士のこう、ね。そういう……わかるだろう!?」

「店長は何を言っているんだ」

「何を言っているのかまるでわかりませんね」

「そうかな? 俺はただ、百合花畑で遊んでいる女の子たちが崖から落ちそうになったら捕まえて、別の女の子とセットでさらに深い花園の奥に導いてあげるような人間になりたいだけなんだけどな」

「世界的な作家のあの人に謝ってください」

「ね、みほ。こんな人だから、お店はいいけど店長には気を付けた方がいいよ」

「……なんだろう、このお店」

 

 でもちょっと嬉しかったからサービスで干し芋つけちゃう。当店自慢の一品です。

 なんやかんや言いながらも三人はアイスも干し芋も食べてくれているし、このまま常連になってくれるとうれしいな。特に三人で仲良くおしゃべりしながら来てくれたりするとさらにサービスしたくなるんですが。

 

「まー、実害はないしお得だから、慣れればいい店だよ。ちょろいし」

「……ちょろい?」

「見ててください西住さん。……はい沙織さん、あーん」

「あーん。……んー、ミント入りも美味しい」

 

 こてん、と首をかしげる西住ちゃんに対し、自分のアイスを一口武部ちゃんに食べさせる五十鈴ちゃん。女の子なら買い食いのシェアくらいは割とよくあること。西住ちゃんはなんかちょっと衝撃を受けたような顔で見てるけど、これはひょっとしてこういう経験が少ない子なのだろうか。

 

「どうしたのみほ、そんな驚いた顔して」

「あ、いや、友達とそういうのってあんまりしたことなくて。……私は友達が少ないから」

 

 その時、店の奥から「へくちっ」と小さくくしゃみの声が聞こえてきたが、西住ちゃんたちは気付かなかったようなので俺もスルーしておいた。どうせ西住ちゃんにセリフ取られたような気でもしたのだろう。

 

 

 ともあれカルチャーショックでも受けたような西住ちゃんの様子は仕方のないものだと思う。詳しく知っているわけではないが、彼女の生まれならそうもなる。

 俺はそう推測しながら。

 

「お待たせしましたお嬢様方、サービスの芋羊羹です。食べたら巨大化できるよ。特に武部ちゃんはきっと身長186㎝くらいになってはぴはぴだよ」

「一本丸ごと出てきた!? あと巨大化ってなんですか!?」

「なんで私だけそんな具体的なのよ」

 

 とりあえず、いいモノ見せてくれたお礼にサービス倍プッシュしておきました。大洗名物のさつまいもを使った当店自慢の芋羊羹、食べたら大きくなれるぞ、と言って近所の子供達に宣伝したらなんか売れ筋になりました。

 

「……あ、でもアイスも芋羊羹もおいしい。店長はちょっとその……面白い人だけど、いい店なのか……も……って、あれは!?」

「みほ?」

 

 出来ればいつまでも彼女たちの近くで仲良く広がる友達フィールドに浸っていたかったのだが、そんなことをしてしまえばリラックスしてもらえなくなってしまうだろう。

 だから給仕を終えれば引っ込むのが店の人間の定め。カウンターの中で女の子たちが楽しく会話をする場としてこの店を使ってくれている、という事実だけでもヤバめの脳内麻薬が発生して軽くトリップしていたら、西住ちゃんが驚いた声を上げたことで現実に引き戻された。

 

 声のした方に目を向けると、カウンターでお互いのアイスの食べさせあいっことかいう尊すぎることをしてくれていた三女神のうちの一人、声を上げた西住ちゃんがめっちゃ真剣な顔で店の一角を見ていた。

 その視線の行き着く先はレジのすぐ隣、飾りとしての小物やら何やらを置いてある一角。

 商品説明のかわいらしいポップやおすすめ商品を書いた黒板、そしてそれらを彩るぬいぐるみなんかの定位置だ。

 そこに視線を釘付けにしている西住ちゃん。持っていたアイスを武部ちゃんに預け、ふらふらと引き寄せられるように寄って行く。

 

 はて、確かにいろいろ置いてはあるけど女の子が好きそうなものなんて置いたっけ。

 ……だって、そこにあるぬいぐるみは。

 

「間違いない、これは……ぞうもつアニマル!」

「え、いま気付いたけどなにそのグロいの」

「お腹から内臓がはみ出ていますね……しかも、ぬいぐるみなのに無駄にリアルな造形で」

 

 そう、そこにあるのはセップクしたクロウサギとか、カンデンしたヤマネコとか、そんな感じの物ばかりがいる不人気かつ無名なぬいぐるみシリーズなのだからして。

 

「すごい、こんなにいっぱいあるの、初めて見た……! 店長さん、すごいです!」

「あ、あー。うん、ありがとう?」

 

 そして、がっつり詰め寄ってくる西住ちゃん。目がキラキラしているし、このぬいぐるみ共がかなり好きなのだろう。大丈夫なのか、女の子としてそういう趣味で。

 

「そういえば、みほはなんかこのぬいぐるみみたいなキャラのキーホルダーとか持ってたよね。ボコ、だっけ?」

「うん、そう。そっちはボコられグマのボコ。いっつもボコボコにされちゃうんだけど、絶対に諦めないし逃げない、カッコカワイイくまなんだよ」

「なるほど、その辺りが似ている……わけではありませんよね、多分」

「変……かな? 私、昔からボコとか、同じように諦めないヒーローとかが実は好きで……」

 

 とはいえ、ぬいぐるみをうっとりと眺める西住ちゃんの目に宿る光は本物だ。心から、こういう物が好きなのだろう。触れようと手を伸ばし、それでもためらうように指先を迷わせるその姿。

 ……もー! 可愛いじゃないか! お兄さんを惑わせて悪い子だな西住ちゃんは!

 

「いいんじゃないかな。俺もヒーロー好きだし、戦車道が好きだし、女の子同士の仲の良いところが好きだし。だから、そのぬいぐるみ。よかったら、お近づきの印にあげようか?」

「えっ、いいんですか!?」

「見て、この食いつき」

「本当に好きなんですね……絵面を気にしなければ、美しいと思います」

「それ割とダメってことだと思うんだけど」

 

 だから、譲ってあげることにした。

 より愛してくれる人のところに行った方が、こいつらも喜ぶだろう。ぬいぐるみと女の子は可愛い女の子と一緒にいてこそより引き立つ。それが俺の持論なのだから。

 今日家に帰ってからとか、ぬいぐるみを抱えて嬉しそうに顔をうずめる西住ちゃん……想像だけで十分いける。

 

「あ、でも……この犬のぬいぐるみだけは俺が持っておかなきゃいけないんだ。それ以外だったら、どれでも好きなのをどうぞ」

「わあ、ありがとうございます! ……ところで、その子には何か特別な思い出があるんですか?」

「うん。こいつだけは、昔友達にもらったものだから」

 

 首を吊っている犬のぬいぐるみを見ながら、改めて思い出す。そう、このちょっと趣味を疑うぬいぐるみたちのうち、こいつだけは人からもらったものだった。

 

 

 あれはそう、まだ俺が子供で、この学園艦に来る前のこと。

 早すぎた中二病でも発症したのか、やたら思わせぶりなことばかりを言っていた近所の女の子。当時、徹頭徹尾のバカだった俺は年上としての使命感もあってとにかく適当に引きずり回して遊んでいた。

 済ました顔を眩しい笑顔に変えてやるのが好きで、ボール一つだけ持ってあとは何も考えず公園へ繰り出したり、むらむらと冒険心をそそる草むらの中に手を引いて飛び込んだり。

 今にして思うと女の子に対してどうなんだと思うことも結構していたが、そこは子供同士のこと。俺もあいつも楽しんでいたと思う。

 

 

 そんなある日のことだった。

 あいつが、引っ越すことになったのは。

 どこぞの学園艦に行くとのことだったが、何分子供のころのことだったので詳しいことまでは覚えていない。

 

 俺は、あいつのことを「ミカ」と呼んでいた。

 みんなそう呼んでいたし、多分あだ名か何かだったのだろう。そのころからそつなくなんでもこなし、戦車道もやっていたし、年上に混じっていながらも車長を務めていたことからして、かなり優秀だったのだと思う。

 そんなミカと遊んだり戦車道についての話を聞かせてもらったりしていたから、俺の戦車道好きはミカのおかげと言ってもいいかもしれない。だから俺はいつも「ミカはすげぇな」とか言っていた記憶がある。

 

 

 そんなミカとの別れ際、「私だと思って大事にして欲しい」と言われてもらったのが、このクビツリをしているイヌのぬいぐるみだった。ミカはぞうもつアニマルシリーズが好きでたくさん持っていたらしい。趣味は人それぞれとはいえ、枕元にこいつらを並べてすやすや眠る図は女の子としてどうなんだろうと思わないでもない。戦車道をやると変なぬいぐるみを好きになるものなのだろうか。

 ともあれミカは仲の良い友達だったし、戦車道という俺にとって最も尊いものを教えてくれた恩人。だからこのぬいぐるみだけは、たとえ西住ちゃんにでも譲ることはできないんだ。

 普段は子供らしからぬ飄々とした様子だったミカが、あのときだけは声を震わせて必死に涙をこらえていた。お互いに最後の言葉を笑顔で交わすことができたのは、きっと奇跡。今でも俺は、そう思っている。

 

 ……まあ、たまに夜中店の方を通ると、ぬいぐるみを置いてあるあたりからなんかミカに似てやたら澄んだ声が聞こえるような気がするんだけど、こいつとは関係ないよね、多分。

 

 

「本当に、本当にありがとうございます店長さん……。大切にします!」

「うん、喜んでくれたら何よりだよ。女の子は笑っている姿が一番かわいいから。……いい、笑顔です」

「なんでそこだけやたら渋い声で言うの?」

「名刺を渡されてしまいましたが……そのセリフを言うべき相手は微妙に西住さんではない気がするのはなぜでしょう」

 

 とまあ、物思いにふけっているうちにも西住ちゃんは大喜びでいてくれて、ぬいぐるみを抱きしめてくるくると回っている。結構ふらふらしているしぬいぐるみの腹から飛び出た内臓がぷらんぷらんしてるので危ないし、武部ちゃんと五十鈴ちゃんもハラハラしながら見ているのだが、どうやら当の西住ちゃんは気づいていないらしい。そこまで喜んでくれると、譲った甲斐もあるという物だ。

 

 

「でも、珍しいですよね。男の人で戦車道が好きなんて」

「そうでもないよ? さすがにやってる人はそうそう見ないけど、今の戦車道連盟の理事長も男の人だし」

 

 ひとしきりぬいぐるみとキャッキャウフフして落ち着いた西住ちゃんを含む三人。

 色々吹っ切れたのか、彼女たちは俺も話に混ぜてくれるようになったのが嬉しい限りだ。そして話題は戦車道。大洗女子学園で20年ぶりに復活して、彼女たちがその受講者となったのだから当然のことだろう。

 そんな彼女らからすると、男で戦車道好きというのは珍しく映るらしい。

 確かに、戦車と言えば女子。それは揺るがぬこの世の真理だ。

 でも女性アイドルになれないからといって好きになる男がいない、なんてことはないように、戦車道のファンである男もそれなりにいる。例として出した戦車道連盟の理事長がいい例で、「諸君、私は戦車道が好きだ」に始まるあの人の就任あいさつは今も戦車道好きの間で語り草になっている。

 

「え、理事長は知ってますけど……戦車道をやってる男の人も、少しはいるんですか?」

「うん。直接見たことがあるわけじゃないけど、何年か前に動画が出回ってたよ。野良中って中学校で戦車道やってる女の子たちのパンターと勝負してる男集団。今頃どうしてるのかなあ……」

 

 そして戦車道好きが極まると、自分で戦車に乗ったりする男もいたりする。

 噂によると野良中のパンターは男の子が装填手を務めていたともいうし、男と戦車道の間は決して断絶してはいないんだ。

 

「だから、戦車道好きでもおかしくないんだよ。戦車道をする女の子たちの仲の良さとか信頼とかぶつかり合いとかが好きでも、どこもおかしくないんだよ。いいね」

「アッハイ」

 

 などなど。

 つい熱く語ったりしてしまったが、これなら俺は女の子が戦車道をやってるからといって引くような軟弱男でないことがわかってもらえたはず。これから戦車道の練習帰りにこの店に寄ってその日の出来事を話す場にしてくれたらと思うと、胸が熱くなってしょうがない。

 やりたいこととやるべきことが一致する時、世界の声が聞こえるってのは本当だねじいちゃん!

 

 

 

「ご馳走様でした。また来ますね!」

「はい、またのご来店をお待ちしております。……いつでも来てくれていいよ。友達とのデートに使ってくれたりすると嬉しいな」

 

 そんなこんなで楽しい時を過ごしてくれた西住ちゃんたち御一行。サービスで出した芋羊羹も五十鈴ちゃんが6割くらいをぺろりと平らげてくれたおかげできれいになくなり、店に入ってきたときに西住ちゃんが少しだけ見せていた悲しそうな様子も同じくなくなっていた。

 

 本当に、よかった。

 女の子が、そして戦車が大好きな俺としては、この店で女の子が笑顔になってくれることが何より嬉しい。

 

 ……だから。

 

 

「行ったよ――杏ちゃん」

「やー、悪いね店長。気を使わせちゃって」

 

 店の奥からひょっこり出てきた杏ちゃんにも、等しく手厚いサービスを提供するのが自らに課した俺の使命だ。

 

「顔を合わせ辛いくらいのことをした、ってのはまあわかるよ。『あの』西住みほちゃんに戦車道をやらせるなんて、俺ならとてもできない」

「へえ、意外……でもないかな。店長は戦車道も好きだけど、女の子はもっと好きだもんね。下心じゃなしに」

 

 いつものごとく、放課後にこの店を訪れて駄弁りながら明日の分の干し芋を物色していた杏ちゃんが血相を変えたのは、西住ちゃんたちの声が聞こえてきてすぐのことだった。

 顔を真っ青にしてガタガタ震える杏ちゃんなんてそうは見られるものではない。そして、その原因が女の子にあると気付けないほど俺の百合センサーは鈍くなかった。

 

 だから俺は、杏ちゃんを店の奥にある居住スペースに放り込んだ。そこなら、普通に商品棚や飲食スペースにいる人に見つかる心配はない。少しの間身を隠すくらいのことならできる。

 

 その判断は、結果的に正しかったようだ。

 店の奥から出てきた杏ちゃんの顔がいつも通りの「生徒会長」を演じる顔になっていることからするに、少なくとも色々取り繕えるくらいの平常心は取り戻したと見ていいだろう。

 

「まあ、ね。西住ちゃんがどんな思いで大洗に来たか、想像はできるさ。……『黒森峰失陥の元凶』、なんて呼ばれたこともあるくらいだから」

「ちょっと、その言い方だと大洗も結局終わりになるからやめてよ」

 

 そう、俺は西住ちゃんのことを知っている。

 戦車道を好む男として、毎年開催される戦車道全国大会のチェックは当然行っている。

 そして、高校戦車道大会において昨年度まで9連覇を成し遂げ、10連覇のかかった決勝戦で隊長と、1年生ながらフラッグ車の車長を任されていた西住姉妹を知らないなんてことは、ありえない。

 

 そんな西住ちゃんが、20年来戦車道の途絶えていた大洗女子学園に転校してきていた。

 そして、彼女は再び戦車道を始める。

 主に杏ちゃんの策略と、そうせざるを得ない必然によって。

 

「店長らしいねえ。ま、うちにとっては渡りに船ってところかな。……西住ちゃんのおかげで首の皮一枚つながった、かもしれないんだから」

「複雑だなあ。大洗の戦車道復活は嬉しいけど、理由が理由だし。西住ちゃんの戦車道がまた見られるのは嬉しいけど、当人は望んでないみたいだし」

 

 はぁ、というため息は俺の言葉を聞いて同意を示す杏ちゃんの物。

 目的のためならどんな手段を使ってでも、それこそ小さいその身を削ってでも成し遂げる覚悟のある杏ちゃん。しかしその精神は決して悪ではない。誰かの思いを踏みにじるとき、自分の心も同じだけ傷つく子だ。

 

 それでも、為すと決めたことなら迷わない。

 彼女は大洗女子学園生徒会長、角谷杏なのだから。

 

「応援してるよ、杏ちゃん。杏ちゃんのことも、西住ちゃんのことも、大洗の戦車道のことも」

「……ん、ありがと」

 

 いつの間にかカウンターの椅子に陣取り、額をテーブルにつけて突っ伏す杏ちゃんを励ます。そうするしかない。ならば、進むんだ。誰もが心で決めたとおりに。

 楽して助かる学園艦がないのは、どこでも同じなのだから。

 

 

「とりあえず店長、例のさつまいもジュースちょうだい」

「ダメです。杏ちゃんの言うさつまいもジュースって芋焼酎のことなんだから」

「ちっがうよー。『アンツィオ高校で言うところの腐ったぶどうジュースに相当するさつまいもジュース』だってば! ロックでね!」

「だから出さないっつの」

 

 

 そうしないと、杏ちゃんが若いうちからアル中になっちゃいそうだし。

 

 

◇◆◇

 

 

 一方そのころ。

 

「よかったね、みほ。おみやげもらえて」

「うん、本当に! うふふ、どこに飾ろうかなあ」

「西住さん、本当にうれしそうです。……でもあの、ぬいぐるみはもう少し隠した方がいいと思います。内臓の造形がリアル過ぎて、下手をすると通報されかねません」

 

 帰路に着くみほと沙織と華。

 彼女たちは談笑しながら歩いている。

 色々なことが起こった一日で、その全てが良いことであったとは言えないが、今は笑い合えている。

 それはきっと、あの店長のおかげなのだろう。女の子を見るや仲良くさせたがる困った人格をしているが、それ以外の面では優しく思いやりのある人だからして。きっと、みほが悩み傷ついていることに気付いて励ます意味もあってのプレゼントだったのだろう。

 

 

 その効果は抜群だったのだ。

 いろんな意味で。

 

「えっと……それで、ね? 武部さん、五十鈴さん」

「なーに、みほ?」

「はい」

「その、もしよかったら……これからも、たまにでいいからあのお店に一緒に行って……くれない?」

 

 放課後の寄り道のお誘い。

 はにかみながらのその言葉は、恥ずかしがり屋で引っ込み思案なみほの精一杯の勇気を振り絞っての言葉……と、思えただろう。

 

 この場にいたのが、実体験はないけど知識は豊富な恋愛内弁慶、武部沙織でなかったならば。

 

「……ねえ、みほの顔やけに赤くない?」

「そう言えば、ぬいぐるみをもらってからは店長を見る目が妙に潤んでいたような……」

「ふ、二人とも、どうしたの?」

 

 沙織と華が突然立ち止まり、距離が離れてしまったことに気付いて慌てて戻ってくるみほ。近寄って気づいたが、二人ともに生徒会に直談判した時以上のマジ顔である。

 

「そりゃそういうことなら応援はしたいけど……店長だし」

「店長ですしねえ……」

「なに、なんなの!?」

 

 女の嗅覚は鋭い。

 特に、そういった方面に関しては。

 そして沙織と華は心の中で諸々の事情を天秤にかける。

 みほとの友情、店長の人格、これからみほが味わうだろう面倒の数々と、それによって生じる面白いあれこれ。

 

「うん」

「ええ」

 

 そして二人は、結論を下す。

 その結論は、二人で左右それぞれみほの方をぽんと叩くことによってあらわされる。

 

「応援するよ、みほ!」

「頑張ってください、西住さん!」

「え、あ……いや、ちょっと待って! 私別に、そんなんじゃ!」

 

 当然、超面白いもの見つけたとばかりの笑顔を伴って。ユウジョウとはなんだったのか。

 「友情は瞬間が咲かせる花であり、時間が実らせる果実である」という言葉を座右の銘とするみほであるが、いま三人の間にある友情は瞬間で咲いた花の方で、果実が実るにはなんかまだ時間がかかるのではという気さえする。

 

 みほの前途は、いろんな意味で多難であった。

 

 

◇◆◇

 

 

 戦車道が好きだけど、俺は男だから一緒に戦車に乗ることはできない。

 だからせめて、この店から見守ろう。

 彼女たちと、戦車道の行く末、ガールズ&パンツァー(百合と戦車)を。

 

 大洗学園のほしいも屋。本日も営業中です。


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