レナが声をかけるとその魔物は振り返って一歩後ずさり、泣き腫らした目でレナたちを見つめたまま固まった。
「あ、心配しないで。アタシたちもマモノだから」
「ぁ……」
更に声をかけたが彼女の硬直は解けない。涙を目に貯めうめき声を漏らすだけだ。
見かねたラーが重ねて声をかけた。
「こんな所にいたらニンゲンに見つかってしまうわ。気をしっかり持つのよ」
「ぅう……っく……」
短い角の生えたその魔物は頬に涙をたらしながらしゃくり声をあげている。
「ほら、泣かないの。ね?」
ラーは車いすから立ち上がり彼女の前に出た。ロングスカートの裾から蛇のような下半身がちらりとはみ出る。
ラーはそのままヤギのような下半身のその魔物に近づいて、優しく抱きしめた。
「何があったのか、ゆっくりでいいから、私に話してごらん?」
一瞬体を強張らせたものの、魔物はすぐに身体をラーに預けた。
ラーは彼女に優しく語りかける。
「あなたの身に一体何が起こったのかしら……?」
するとその魔物はおもむろに話し始めた。
「……私というか……お姉様が……」
「うん、話してくれてありがとう。それであなたのお姉さんがどうしたの?」
「お姉様が、にっ……ニンゲンに捕まってしまったの」
そこまで言うと彼女は声を上げて泣き出した。ラーが背中をさすって声をかける。
「大丈夫、きっと大丈夫よ」
「いきなり……ひっく、いきなり大きな音が鳴ったと思ったらお姉様の脚に……先の尖った空の容器が刺さっていたの」
「うん」
「それで……それで、そこからとりあえず私たちは逃げたの。うぅ……、でも、途中で、お姉様が急に動けなくなってしまって……私はどうすることもできなかった……」
「……」
「お姉様を担ごうとしてたらまた大きな音がなったの……気がつけば地面にさっきの容器とおんなじものが刺さってたわ……それから私は……怖くなって……お姉様を置いて……うわぁああんあぁ……」
ラーは泣きじゃくる彼女の背中をポンポンと叩きながら頭をなでた。
「私はお姉様がニンゲン共に攫われていくところを影で見てることしか……出来なかったの……」
魔物は溢れ出る涙を腕で拭った。
「それで……この街に来てみたのだけれど……私はお姉様が居なければ……何も出来なくて……」
「いいえ、そんなことないわ……だってあなたはあなたの意志でここに来たんでしょう? それにあなたは何も悪くない……だから自分を責めるのはやめなさい」
ラーは彼女の今一度しっかりと抱きしめてやった。
それまで静かに話を聞いていたレナが口を開いた。
「きっとコロシアムに連れて行かれたのね……」
その一言にラーも頷いた。
「ええ、きっとそうね」
ラーは後ろを振り返りレナの目を見た。レナもその目を見返し頷いた。
視線を魔物に戻したラーは彼女に尋ねた。
「ねえ、あなた名前は?」
それに対して彼女はおずおずと答える。
「私はロロ、サテュロスのロロよ」
「それじゃあロロ、私たちと一緒にそのお姉さんを取り戻しましょう!」
突然の提案にノノはまたもや固まった。それを和らげるようにレナは続けた。
「大丈夫、アタシらも丁度用があってこの街に行くとこなんだ。お互い協力しよう」
そう言って手を差し伸べる。
ロロは震える右手でその手を掴んだ。
「ありがとう……ぅぅ……」
歓喜のあまり、三度ロロは泣き出してしまった。
♦♦♦
「ちょっとちょっと、旅のお兄さんっ」
通りを歩いていると、不意に肩を叩かれルカは後ろを振り返った。
その手の主は女の子だった。歳は十代前半だろうか。その身体に似合わない優艶な服を身にまとい、上目遣いでルカを見つめている。
ルカと目線があったことを確認すると、少女は甘えた声で喋りだした。
「ねぇ、お兄さんは今晩どこに泊まるかもう決めたの?」
「あ、いや、今晩は……」
ルカが言い切ってしまわないうちに少女は次の言葉を発した。
「それならウチの店に泊まろう! 他の店なんかよりずっと安いんだから!」
少女は少し前のめりにかがんでから胸の前で手を組み、いわゆる"お願いのポーズ"をしてみせた。かがんで出来た隙間によって服がずれ落ち、狙ったかのようにはだけた胸元が更にあらわになる。
だが、ルカは遠くを、まるで追想にふけるかのように遠くを見つめたまま固まっていた。
「ちょっ、お兄さん? ねえ! 聞いてる?」
少女がそう強く呼びかけると、ルカはハッとして我に返った。
「ねえ聞いてたの?」
「あっ、いやごめ、あの、アレを急ぐから! アレ、えと、先を! 僕はこれで!」
しどろもどろにそう言うと、ルカはその場から逃げるように走り出した。
息を切らして人混みの中を駆ける。途中で誰かにぶつかったりしたが、気にする余裕などは持ち合わせていなかった。
人気のないところまで走ったルカはそこで足を止めた。
肩で数回息をすると、その場をウロウロと歩き回った。
「あぁ、くそっ……」
ルカは小さな石ころを蹴飛ばした。不規則な飛び方をした後、壁にぶつかって石は止まった。
――あぁ、俺はまだ……。
ルカは頭を抱えてため息をついた。
自分が情け無くてしょうがないのだ。過去を切り捨て意思を固めたはずだったのに……。
だが、こう感傷に浸っている時間ほど無駄なものはない。ルカは両手で自分の両頬を勢い良く叩いた。
「よし……」
ため息混じりの一声を吐き、ルカは再び前へと進み始めた。