甘くふんわりとした匂い。心地よい温もり。それは大いなる母に愛されたかのように穏やかで優しいもの。
セラはハッキリとしないまどろみの中考えていた。
ずっと……ずっとこの優しさの中に包まれていたい……。まるで生命の原点に還ってきたような感覚。
規則的な鼓動の音、温かい体温、寧静な呼吸による身体の浮き沈み。その全てがセラを安心させ、そしてひどく懐かしい気持ちを思い起こさせる。
セラの頬を暖かな羽毛が撫でる。
それさえも懐かしく感じる。悠久の時をこの温もりの中で過ごしてきたような、そんな……。
「……セラよ」
その柔らかい声がセラの意識を覚醒させた。
虚ろなまなこにうつった光景は女神のような顔だった。
「女王……様……?」
雄大なその身体でセラを優しく抱きすくめたクイーンハーピーはにっこりと微笑んだ。
「そうじゃ」
セラは全身が天国に包まれたかのような錯覚に陥った。
「で、でも……」
とろけきった脳みそで必死に考える。――そんなはずはない。こんな所に女王様が来るはずがない、と。
だとすれば彼女は精霊に違いない。
「ハハッ……」
セラは笑い声を上げた。また精霊にしてやられたのだ。
「どうしたのだ?」
クイーンハーピーはきょとんとした顔をつくる。
「あ~いいっていいって、もうわかったから」
「セ、セラ?」
「だ~、とぼけなくていいって! どうせあんた精霊でしょ? そうあたしを何度も騙そうたって……」
そこまで言ってセラは固まった。
なんと、目の前にその精霊がいるではないか。こちらを見て意地悪そうに笑っている。
精霊は口をあんぐりと開けたセラに言い放った。
「呼んだか?」
♦♦♦
「申し訳ありませんでした!!」
セラは地面がめり込むほどの勢いでクイーンハーピーに土下座した。
「セラよ、謝らんでいい。気にしておらん」
彼女は優しい眼差しでセラを見つめた。
「だがセラよ、先程お主はこの小娘に何度も騙されているような発言をしていたな。あれはどういうことじゃ?」
この質問に、セラではなく少女の姿をした精霊が反応した。
「小娘、だと? あまり舐めた口を聞くなよ鳥人間」
「ちょっ! あんたねぇ!」
クイーンハーピーへの挑発にセラが食ってかかろうとしたところを、女王は羽で制した。
「うむ? その姿のどこが小娘でないと言うのだ?」
「はっ、この姿は仮初に過ぎんわ。こちとら貴様の何倍も長く生きてるんでね」
「あら、本当の姿で居られないなんて相当醜い姿なのだろうな。およよ、可哀想じゃのう」
その一言でクイーンハーピーを睨む精霊の目が一段と鋭くなった。負けじと精霊も言い返す。
「ふん、そういう貴様も己の一族の娘に偽物だと間違われるとは、嗚呼らなんと哀れなことだろうか!」
クイーンハーピーの片眉がピクリと跳ね上がる。
どうやらこちらにも怒りのスイッチが入ったようだ。刺さるような目線を送りながら女王は言う。
「お主……精霊だかなんだかしらんが、卑しい奴じゃのう」
その目線を突き返すように精霊も睨みつける。
「貴様の方こそお山の大将気分で調子のっちゃってるんじゃね~のぉおおん!?」
抉るような視線のぶつかり合いが火花を散らす。プライドの高い二人はもはや全身に殺気を滲み出させていた。
と、刺々しい空気の中にひとつの音が響いたのはその時だった。
くぅ〜……。
いつぶりだろうか、セラの腹の虫が息を吹き返したようだ。その音は沈黙した空気の中、それはそれはよく響いた。
ポカンとした二つの顔がセラに向けられる。
「……お腹……すいた」
そう一言だけつぶやく、セラは体の力を抜いてその身を地面へと預けたのだった。
♦♦♦
「色々とお世話になりました!」
ルカは旅団の皆に深々と頭を下げていた。
旅団長がまぁまぁ、と声を上げる。
「俺もここに来てみたかったし、ルカ君の役に立てたなら良かったよ」
「まさか……天使がこんなおっさんだったなんて……」
「ハハハ、そんな人じゃないよ俺は」
団長は顔の前で手のひらをひらひらと踊らせた。
ルカは視線をランへと移した。
「ランさん、あなたにも色々と助けてもらいましたね……」
ランはそんなルカを鼻で笑った。
「なんかあなたらしくねーですね」
「何を今更……。僕はこの世に生を受けてからこのかた紳士として生きてきたんですよ?」
「はいはい」
「なんですか冷たいなぁ」
ルカは頭を掻きながら更につぶやいた。
「水玉パンツのクセに」
その瞬間ランの素早い右ストレートがルカの顔面へとめり込んだ。
「な、なんで知ってやがるんですか!?」
ルカは顔面を真っ赤に染めるランにピースをしてみせると、次はルキの方へ視線を移した。
「ルキさん、あなたに伝えたいことが」
「な、なんスか……?」
「自分で頑張ることは確かに大切だ。でも君にはせっかく仲間がいるんだ。まずはその頼れる仲間に相談することが大切なんだ」
ルキは思わず目をぱちくりさせた。
「なんか……真面目なことも言えるんスね……」
「ええもちろん。なんたって僕は紳士ですから」
そう言ってルカはドヤ顔でウインクをしてみせた。一体何のためのウインクなのだと言うのだ。
最後にルカはギルティを見た。ギルティの方も、真っ直ぐルカを見る。
「……う~ん、え~。なんだ……その……」
ルカはしかめっ面で何やら言葉を絞り出そうとしている。
「……特に無いです」
「無いのっ!?」
一行に笑いの波が起きた。
「はい。なんかあったかなって思い返したんですが、本当に何にもなかったです」
「厳しくない!? 俺にだけ厳しくない!?」
見ると皆の顔には満面の笑顔。こうすることで皆が笑顔になるのならば……。そう考えたギルティの肩を不意にルカが引き寄せた。
そして皆に聞こえない程の声で。
「自分を失うな」
そう言った。
「……へ?」
ギルティはそう聞き返したがルカは聞く耳を持たなかった。
「それじゃあ、本当にありがとうございました!」
手を振りながらルカは体をひるがえし、街の人混みの中へと溶けていったのであった。
♦♦♦
「なにかしらあれ……?」
リユニオンの入り口付近でラーは口を開いた。
その目線の先にはうずくまって頭を抱える一人の女。
だが、その姿は人間のものではなかった。頭に角が生え、背中の向こうにはヤギのような足が見え隠れしている。
どうやら魔物のようだ。
周りに木が少し生えているが、なぜこんな人に見つかりそうな所に……。
一行はその魔物のそばへ近づいて行った。
近づくに連れて魔物のすすり泣く声が聞こえてくる。
「あの……どうかされたんですか?」
変身をとき、耳だけだして人間ではないことを主張しつつ、レナはその魔物に声をかけた。