「ニ゛ャ゛!!!」
白のTシャツに、デニム生地の短パン。
あまりにもラフな服装をした茶髪の猫耳娘、猫の女王『フリージア』は、
何処にでも居そうなその容貌に反し、その爪であまりにも凶悪な猛撃を繰り返す。
「っく、なんて出鱈目!これだけの装備でも戦いにならないなんて!」
(だが生き残ってる!それも体力を十分に保ちながらだ!)
対するリーシャは、尋常でない速度から来る相手の手数、
そして回避能力に対抗できず、まともに攻撃が出来ていない。
しかし前回と異なる点は、防御に極振りした装備によって、
ポーションによる回復が間に合っている点だ。
それこそ、回復ポーションや防衛者のポーションを"飲み続ける事さえできれば"
俺の地獄属性によるスタミナ吸収も合わさり、戦い続ける事が出来るだろう。
だが、それは机上の空論だ。
現実には持てるポーションの量には限りがある。
それに本当の超長期戦になれば、集中力が落ち此方の動きは鈍る。
対して、猫の女王『フリージア』の特徴はその速度だ。
闘いながらでも少し間をおいて呼吸を整え、容易にスタミナと集中力を回復できる。
それでも此方はその速度に対処しきれず、
盾を用いて相手の攻撃を捌こうとするので精いっぱいだ、一呼吸を置くことも難しいだろう。
あまりにもジリ貧、ただポーションを飲んで戦い続けるだけでは、意味がない。
だから、ここからは『相手に何が有効か』を確かめる時間に移る。
「まずはこいつよ!」
「ンニャ!?」
リーシャが投げた硫酸瓶は、彼女が立つ場所以外を、酸の海へと塗り替えた。
格闘戦が主体のフリージアはそれを避けられず、体を酸で溶かされていく。
まともな傷を初めて負った猫の女王は、思わずと言った様子で驚きの声を上げる。
……だが、それだけでは不十分なようだ。
フリージアはダメージを負っている様子でこそあるが、構わず果敢に攻め立ててくる。
その表情に、負った手傷への頓着は見えなかった。
(効いてはいる、だがこれで倒せそうという訳ではないな)
「そのようね。ならこいつも行きましょうか」
次に投げたのは、鈍足ポーションだ。
「んにゃあ~?」
酸の海と混じった結果、酸性が与えるダメージは減ったようだが、
その分、魔法の効果によって、フリージアの動きが鈍る。
リーシャはある程度まで余裕をもって、フリージアの攻撃を捌くようになった。
「取った!」
(こいつはどうだ!?)
そして、回避能力も鈍ったフリージアに、初めて俺の刀身が突き刺さる。
その瞬間に俺はありったけの力で、神経属性の追加攻撃を叩き込んだ。
「んむっ!」
(よし、動きが止まった!)
「風のルルウィよ、私に加護を!」
神経属性の効果によって、フリージアに麻痺が入ると同時。
リーシャがルルウィの憑依を使って速度を上げ、フリージアに斬りかかる。
「動けるようになったニャ~」
「はや、クッ!」
が、速度の高いフリージアは麻痺が直るのも早く、即座に回復してカウンターを入れてきた。
動けない相手への大ダメージを狙い、大きく振りかぶっていたリーシャに、手痛い一撃が決まる。
(ちょうどいい、回復手段を試そう)
「そうね、出てきなさい!」
まだ効果が残っているルルウィの憑依の、速度上昇に任せ、
リーシャがサモンモンスターの杖を振る。
すると、巨大リスや餓鬼などの、低級モンスターが4匹現れる。
突然の行動に一瞬戸惑うフリージアの前で、リーシャはモンスターに俺を突き刺した。
すかさず発動させた地獄属性の攻撃によって、ポーション以上の速度で、リーシャの傷が回復する。
1匹仕留めた所で、フリージアは此方の目論見に気づいたようだ。
「じゃあ、殺しとくニャ!」
リーシャが次のモンスターに狙いを定めた頃には、
既にフリージアは、呼ばれたモンスター達を根こそぎ始末していた。
(当然そうなるか、見逃してくれたら良い回復リソースになったんだが)
「ちょっと考える頭があったら、邪魔するわよね」
「んー、なんか馬鹿にされてるニャ?」
(ちょっと猫頭だったらという願望はあったな、頭ゆるそうな服してるし)
俺の聞こえていない陰口を咎めるかのように、フリージアは再び驚異的な猛襲を仕掛けてくる。
ルルウィの憑依は既に切れたが、なんとか捌きながらポーションを飲み、回復を図る。
しかし、先ほどカウンターで受けた傷は深く、何かの拍子に殺されそうな状況だ。
(後、試しておきたいのはアルコールだったか)
「まだ酸の海が消えてないけど、さっさと試さないと先に死ぬかもしれないわね」
(そうだな、もうやってしまおう)
リーシャは呪われたウィスキーを取り出し、辺りへとばらまく。
気化した悪性のアルコールは、思わず顔を背けるような不快感を与える物だった。
来ると分かっていたリーシャは息を止めていたが、フリージアはそうはいかなかった。
「き、きぼち悪いニャ……うぼぇ」
思わずと言った様子で、口からゲロを戻す。
幾ら天上の魅力を持つ最強の猫の神とは言え、その姿は少々、いやかなり正視に絶えなかった。
だが、だからと言って戦闘に支障をきたすフリージアではない。
多少の酔いはあれども動きに大きな淀みはなく、そのままリーシャに襲い掛かる。
気化したアルコールを吸わないよう、息を止めたリーシャの動きは鈍い。
だからと言って悪酔いをすれば、それこそマトモに捌ききる事は出来ないだろう。
呪い酒の影響下でない場所に移動しなければ、呼吸は出来ない。
リーシャは、構わず攻めてくるフリージアを、止めきる事は出来ず、腹部に重い一撃が突き刺さる。
「か、勝ったニャぁ~~」
ヘロヘロと勝鬨を上げるフリージアの前に、ドサリと倒れるリーシャの躯。
「にゅ、にゅぐぅ」
いつもの様に、挑戦者の死体で遊ぼうと近寄ったフリージアに、
再びアルコールによる不快感が、急激に訪れる。
喉からこみ上げたソレに抗う事が出来ず、猫の女王はそのまま挑戦者へとぶちまけた。
「取りあえず、本番で絶対にアルコールは使わないわ。嫌よ私、吐瀉物にまみれて戦うのは」
(呪い酒を使ったのが悪かったな。
しかも、酔ってもそれほど、戦闘力が落ちたように見えなかったし)
這い上がったリーシャと俺は、威力偵察の反省会を拠点にて行っている。
最初の議題は、良くも悪くも。
いや、明確に悪い方向で印象に残った、最後に使用した呪い酒についてだった。
あれは別に、ゲームの時の裏技のように、ハメ殺しを狙ったものではない。*1
酔ったフリージアの動きが、鈍る事を期待してのものだ。
呪い酒を使ったのは、通常の酒がフリージアに通じるか、疑問だったからに過ぎない。
結果として、酔ってもフリージアは問題なく動き続けた以上、本番で使う価値は低いだろう。
(同じく無意味だったのは、神経属性の攻撃か)
「相手に麻痺が通ったところで、斬り付ける前に回復するんじゃあ、ね」
速度の速いフリージアは、状態異常の回復も早い。
暗闇や混乱をもたらす、混沌属性を用いた場合でも、これは同じ結論になるだろう。
「とはいえ、その攻撃を当てるための、鈍足のポーションは有効だったわね」
(アレで初めて、フリージアにまともな攻撃が決まった。
攻撃が当たるほどに地獄属性での回復も増えるから、ダメージレースで有利になるな)
通常では、攻撃を捌こうとしても、小さな被害に収めるのがやっと、という具合のフリージア。
それでも鈍足のポーションで、最大の特徴である速度を抑えれば、攻撃を加える事は出来た。
最初の偵察で瞬殺されたことを思えば、大きな成果であると言えるだろう。
(だが問題は、アレをやると酸の海が薄くなってしまう事だな)
「今回の戦いで、一番フリージアに負担を与えたのは、間違いなく硫酸よ。
私の斬撃が当たったとしても、硫酸で負う以上の傷が加えられるかは怪しい」
悔しいけれど、ね。とリーシャが付け加える。
ゲームでの硫酸は、フリージアに有効な攻撃手段として有名だったが、
この世界でも、それは変わらないようだった。
フリージアは高速で移動する事で、多くの酸と強い勢いで接触している。
結果、明らかに自然治癒を上回る速度で、酸によるダメージを受けていた。
地球の感覚だと、そんなの当たり前では?と思うかもしれないが、ここはノースティリス。
速度が高く治癒能力も高い生物は、負うダメージ以上に回復する事はザラなのだ。
前世の例えを持ち出すならば、
「10秒あたり400ってところか、それがあんたら7人が俺に与えるダメージの総量だ。俺のレベルは78、HPは14500、バトルヒーリングスキルによる自動回復が10秒で600ポイントある。何時間攻撃しても俺は倒せないよ」
ってことである。
(硫酸のダメージソースを手放すのは惜しい。鈍足のポーションは諦めるべきか?)
「かと言って、明らかに攻撃できる機会を失うのも惜しいわ。
鈍足のポーションは傷を与えるより、むしろスタミナの回復に使いたいわね。
ルルウィの憑依は大きく疲労するから」
(なるほど、俺の地獄属性でスタミナを吸収するって事か)
リーシャの言も最もだ。
彼女が使うルルウィの憑依は、非常に強力な速度上昇スキルではある。
だがそれと引き換えに、他のスキルと比較にならないスタミナを消費する。
それを連続して使い続けられたら、戦闘は非常に安定するだろう。
そのためならば、少しの間ダメージソースを手放してでも、
鈍足のポーションを用いて、攻撃を加える価値はあると思われる。
「回復には、この地獄属性とポーションを使うべきね。
モンスターを召喚してそいつらを回復にするのも、回復量は多かったけれど」
(すぐに蹴散らされたから、全く安定はしなそうだな。
もし何らかの隙がフリージアに生じた時には、使ってもいいかもだが)
そんな隙が生まれるほど、猫の女王は甘くないだろう。
もし生まれるとしたら、よっぽど追い詰めて、向こうが逃げ出した時くらいか。
「ポーションでの回復は、辛うじてだけど追いついていたわ。
英雄、防衛者、加速、肉体復活、精神復活。
これだけの能力上昇ポーションも併用して、の話だけれど」
(ああ。つまりダメージを与えながら回復し続けられれば、
フリージアに勝ちの目はあるって事だ)
「問題はいくらポーションが軽いと言っても、持ち運びには限界がある事」
大量のポーションや硫酸、そして防御力重視の重装備。
これらを大量に持ち込んだ上で、
フリージアの攻撃を捌ける程度には、持ち物が軽い必要がある。
ゲーム的に言うのならば、重荷状態で止めなくてはならないだろう。
圧迫状態になって速度が落ちれば、フリージアに嬲り殺される。
「方法は、前から話していた二通りかしら」
(そうだな、基本方針はそれが良いと思う)
これに関する対策は、威力偵察を行う前からリーシャと話し合っていた。
「一つ目、羽の生えた巻物をかき集めて、装備の重量を軽くする」
(装備が軽くなれば、その分だけポーションを持ち込めるようになるからな)
羽の巻物は、対象の重量を軽くする優秀な巻物だ。
だがその分お値段は高く、それ以上に希少である。
装備を整えるためのネフィア巡りで、ある程度の蓄えはある。
しかし更なる装備更新にも金を使いたいので、こればかりに金も使えないのが難しい。
「二つ目、『攻撃相手に切り傷を与える』防具を準備する」
(これなら、相手が攻撃する度にダメージを与えられる。
異常な手数を誇るフリージアには、間違いなく有効なはずだ)
防具の中には、攻撃してきた相手にも逆にダメージを与える物がある。
固定アーティファクトの<<棘の盾>>が想像しやすいだろうか。
これでフリージアの拳を受ければ、此方もダメージは受けるが、向こうも切り傷を負う。
ゲームでもフリージア対策として有名だったので、
この世界でも、真っ先に思いついてはいたのだ。
今回は偵察だから、防御力を優先して用意していなかったが。
本番では、大いに役に立ってくれることだろう。
たしか盾装備と胴体装備の二種類に、この特性を持つ防具が存在し得るはずだ。
出来れば二つとも確保しておきたい。
「問題は、このエンチャントを持つ防具が少ない事ね」
(少ないって事は、性能が高いものが見つかりにくい、って事だからな)
この半年間で、ネフィアから多くの防具を体に入れた。
だが今の所は、切り傷エンチャントを持つ防具は、一つも見つかっていない。
鎧を探すときもそうだったが、こういうのは何か一転狙いで探すと、恐ろしく沼りえるのだ。
「仕方がない、余り望ましくはないけれど、他冒険者から奪うのも考慮しましょう」
(神託の巻物で、以前言った<<棘の盾>>を探すのもだな)
リーシャが望ましくないと言ったのは、別に良心が咎めるとかそういう話ではない。
他冒険者が使う程度の装備は、余り高い性能が見込めないのだ。
今更な話だが、リーシャは優秀な冒険者だ。
彼女が潜るネフィアは、このノースティリスでもトップクラスである。
そして優秀な装備と言うのは、基本的にネフィアを攻略した報酬品だ。
困難なネフィアを潜れば潜るほどに、良い装備も手に入りやすい。
ならば、それよりも弱い冒険者が手に入れるような装備は、
性能面ではリーシャが手に入れる装備に劣る、と考えるのが自然だろう。
だから、他の冒険者から奪うという手段では、
余り良い装備が手に入る見込みはないのだ。
しかし1つのエンチャントを一転狙いするなら、ある程度の妥協は必要。
多少は性能が劣っていても、切り傷エンチャントの防具を装備したい。
そう言った事情からくる『望ましくはないけれど他冒険者から奪う』発言である。
俺の『神託の巻物で<<棘の盾>>を探す』という件も同様だ。
<<棘の盾>>は優秀な切り傷エンチャントを持ってはいる。
持ってはいるが、この防具は縦の中でも最弱の、小盾カテゴリーなのだ。
軽さこそ優秀だが、その防御力は貧弱に過ぎる。
フリージア戦で必要とされるのは防御力だ。
出来れば、優秀な切り傷エンチャント持ちで、重くとも堅い盾を使いたいのが本音である。
(更に言うなら、切り傷を与える防具が優秀でなかったときの為に、
他の防具をより充実させておきたい)
「羽の巻物、神託の巻物、エンチャントを持つ防具、優秀な防具。必要な物は山積みね」
リーシャは呆れた様子でため息をつく。
だが、諦める様子はサラサラない。
(それでも揃えることが出来れば、フリージアへの勝ち目が見えてくる)
「ええ、今度こそ勝利を掴む。
この私が、2回も地を舐めさせられたのよ?必ず成果を掴んで見せるわ」
目を爛々と輝かせながら、リーシャは強く俺の鞘を握りしめる。
道はまだ長いかもしれない。だがそれでも、途切れている訳ではなかった。