「…キュゥべえさん。女性が入った後のトイレの前で待ち構えるのはどうかと思います」
「君は男じゃないか」
「今の体は女です」
「僕は気にしないよ?」
「私は気にします」
コントのようなやり取りだが両者ともにいたって真剣だ。次から気を付けるよ、とキュゥべえが形だけの謝罪をして葵は溜め息をつく。
「それで、暁美さんの事でしょうか」
「その通りだ。離れて観察していたんだけど、彼女の存在が不可思議なんだ」
「…? 契約したのならそれなりに事情はご存じでは?」
「いや、僕達に彼女と契約した覚えはない。だから不思議に思っているんだけどね」
葵が推測するにキュゥべえ達はそれなりに契約対象のことを調べた上でタイミングを推し量って接触している筈だ。自分の時もこれ以上ないほどに絶妙だった。
「ふむ…キュゥべえさんも推測はしているんでしょう? 私に考えつく程度のことは既に検証していると…いや」
ほむらと接触した時点からキュゥべえは姿を見せずテレパシーのみの会話だったことで何かしらあるのだとは思っていたが、契約した心当たりが無いというのならばもう相当絞り込んでいるかと葵は考える。
「なるほど…まぁおおよその見当はつきます。嫌われてるんですね」
「心外だなぁ。確かに出会った瞬間から謂われもなく僕達が襲われているけど、心当たりは全くないさ」
どこまで本当なのやら、と葵は首をベランダの方へ動かしてキュゥべえとそちらに向かう。
「キュゥべえさんが契約していない魔法少女。そしてあなたを襲撃する理由がある。ならば可能性は殆ど絞り込めているんじゃないですか?」
「君はそう思うのかい? 生憎と僕達には感情というものを本質的に理解出来ないからね。私怨というものが絡むと中々推測も難しい。特にいくら僕達を襲っても意味がないと解っているのにそれを繰り返すような非効率な感情は」
なるほど、と葵は納得する。効率的に動いているように見えて、随所で非効率が目立つのはやはり感情が理解出来ないからかと。数日前に聞いた情報ではあるが、実際に見ると納得するものだ。
「…先程の食事の時は外していたんですよね?」
「うん。暁美ほむらが目を光らせていたしね。全く訳が解らないよ」
葵は考える。
キュゥべえと契約していない少女。
にもかかわらず魔法少女。
そして美少女。
最後は関係無いが、先程のほむらとマミのやり取りを考えると答えは自明の理だ。
「私には何となく解りましたが、秘密です」
「何故だい?」
「解りませんか?」
「見当もつかないよ」
「だから秘密なんです」
お決まりのように茶化す葵。お決まりのように口癖をこぼすキュゥべえ。最後に気が変わったら話しておくれという言葉を残して去っていく。その後ろ姿を見送り、星空が綺麗だなと葵は空を見上げる。
「ふぅ…」
「…」
「…っ!?」
気付けばすぐ傍にほむらの姿があった。
「―――っくりさせないで下さい。心臓が止まるかと思いましたよ」
「魔法少女なら止まっても大丈夫よ」
笑いながら冗談のように返すほむら。しかしその眼は全くと言っていいほどに笑っていない。
「…盗み聞きは感心しません」
「たまたまよ」
実際にトイレに起きてきたのはたまたまだが、その後に魔法まで使ってそれを言い張るのは豪胆というほかないだろう。
「暁美さん」
「…ごめんなさい」
嘘は好きじゃないと先程の楽しい食事の際に葵が言っていたことを思い出して謝罪するほむら。許しましょう、とからかうように胸を張る葵を見て剣呑な雰囲気もいくらか和らいだ。
そしてほんの少しだけ視線が交錯し、ほむらは躊躇いがちにきりだした。
「貴女はキュゥべえがどういうものか知っているの?」
その問い掛けはごく短いものだ。しかし言葉の裏に秘められた底すら知れぬ深い憎しみは量ることが出来ない程である。それでも聞かれたからには返答する葵。
「宇宙の延命のために少女を破滅に導く孵卵器…といったところでしょうか」
憎悪する理由、キュゥべえを襲う理由、そして今の問い掛けをする理由を考えればほむらがそれを知っているのは明白だ。その事実を知っていてまだ魔法少女を続けられているのだから、ここで葵が肯定しない理由はない。
「なら何故あんな風に接していられるの? あいつらは…」
「命の恩人だからです。私の価値観では、恩人が悪に走るのならば全力で止めます。けれどキュゥべえさん達は彼等の正義に従って行動しています」
彼等からすれば正義なんてものは存在しないと言われるでしょうが、と葵は返す。
「あのやり方が正義と言い――」
「ませんよ。少なくとも私達に取っては悪です。でも私や、それにマミさんも…っと。マミさんの契約した理由はご存じですか?」
「ええ」
ほむらの返事にこくりと頷き、葵は一拍おいて話を続ける。
「そう、マミさんも私もキュゥべえさんが居なければ死んでいた可能性が高いです。暁美さんの気持ちは暁美さんにしか解りませんから、理解出来るなんて軽々しく言うつもりはありません」
だからこそ、と長いセリフに唇を舌で湿らせてほむらを見詰める。
「私の気持ちも私にしか解りません。少なくとも今ここで新しい友人とお喋り出来るのは、彼等のおかげですから」
「…っ」
ほむらは唇を固く結び、否定の言葉が出るのを抑える。葵の言葉は正論で、自分の憎しみも正当だと言ってくれている。それでも歩んできた道程を思えば真っ向から反論したくなるのは、ほむらからすれば当然だった。
「…理解出来るのは自分だけと言いましたが、それでも限りなく近付くことは自分以外にも出来ると思います」
言葉というのはそのためにあるのだからと言い、温かい掌で冷たい両手を包んでくる葵にほむらは黙りこむ。真っ直ぐに見詰めてくる両目は初めての友人を思い出させる。
魔法少女になって誇れる役割が出来たからこそ自信に満ち溢れ、こんな自分にも優しくしてくれた友人。
魔法少女にならなければ健気で押しが弱く優しいだけの友人。
それでもその根底にはあまりにも強い、頑固とまで言える程の一本木な芯が通っていた。
そんな友人の、優しい眼によく似ている。それだけでほむらの心が揺り動かされるには充分だ。
「……」
それでも彼女は黙りこむ。無限にも思える繰り返しの中で痛感したからだ。
真実を話して拒絶されることを。真実を話して絶望されることを。そして何よりも、真実を話して疑われることを。
こちらが親愛を寄せている仲間達から詭謀や術数を疑われることこそが、彼女の魂をじくじくと蝕み穢れを溜め込む要因となる。
暁美ほむらは世界でも類を見ない程の強い精神を持っている。
初めての友達と約束したから。初めての友達の願いだから。そんな理由があったところで、普通の魔法少女ならば百回魔女になってもおかしくない道程を歩めてこれた理由にはならない。
目指すものがあれば人は立ち上がることが出来るという言葉があるが、それを彼女ほどに体現している者は居ないだろう。
だからこそ話せない、話したくないのだ。自分が折れれば友達は死ぬと解っているから。
「暁美さん」
「…っ」
それでも自分のことを話せるとすれば、それは真実を話しても笑って濁してしまう友ではなく、真実を話したら信用出来ないと拒絶する仲間でもなく、真実を話せば絶望して暴走する先輩でもない。
ほむらの主観では信じられないほどに久しぶりの「初めて」出会う人。きっと奇跡のような確率でしか出会えない得難い稀人。
自分の歩みを知ってどう反応するか判らない「希望」が残っている目の前の少女ならば、たとえ拒絶されても完全には折れないかもしれない。「またか」と思うだけかもしれない。
「わ、私、は…」
天秤が揺らぐ。傾けばそのまま心も一緒に傾きそうな予感にほむらは恐怖する。それはキュゥべえが望む、希望から絶望への転落そのものなのだから。
「…暁美さん」
「ぅ…」
「一つ、賭けをしませんか?」
「…え?」
話したいのに話せない。踏ん切りがつかない。そんなほむらの様子を見て葵は提案する。
「ここにサイコロが四つあります」
「どこから出したのよ」
「あるんです」
「わ、解ったわ」
もしや自分のように便利な収納空間でもあるのかと推測しつつ、何を言い出すのかと続きを待つほむら。
「この四つを全て転がして、全て一の目になるかどうかを賭けましょう」
それを聞いて目が点になり、耳を疑うほむら。そんな数千分の一の確率での賭けなんて成立する筈がないだろうと。
「どちらに賭けますか?」
「…もしかして馬鹿にされてるのかしら」
「まさか。至って真剣です」
当然揃わない方に賭けるほむら。そして条件は何なのかと問い掛ける。
「暁美さんが勝てば何でも一つ言うことをききます。ただし他者を害すること以外になりますが」
「…何でも?」
「何でもです」
今なんでもするって言ったわよね、とずずいと迫って念押しするほむら。葵はソウルジェムに誓ってと葵色の魂を差し出しほむらに握らせる。
「貴女が勝てば私の事を話せばいいのかしら」
「いえ、そういう無理強いは好きじゃありません」
はてな顔で首を傾げるほむら。ならば一体何を望むのだろうかと視線で問うた。
「実を言いますと私、現状ここ以外の身寄りも、戸籍も血縁すらありません。マミさんに全て頼りっぱなしの穀潰しです」
その言葉に少し驚くほむら。とはいえ魔法少女な時点で普通ではない人生を歩むことになるのだ。
根無し草でその日暮らしな魔法少女も一人知っている。同情してほしい訳ではないというのは雰囲気が語っているため、話の続きを促す。
「いくら暮らしに余裕があるとはいえ、人が一人増えれば負担は結構かかるものです。マミさんも名目上の保護者である親戚の方には気を使っているみたいですし、あまり御迷惑は掛けたくありません」
ですから、と葵は続ける。
「私が勝てば暁美さんの家にも何日かごとに居候させて下さい。勿論その間グリーフシード集めやその他のことも手伝わせていただきます」
これでマミの負担が減り、ほむらと一緒に暮らすことでその窮愁を話してくれるのを待つことが出来、ついでに新しい居場所もゲット出来る一石三鳥の作戦だ。
年齢が年齢だけに、何かあった時の保険は作っておく辺りが意外と強かなリアリストっぷりを感じさせる葵であった。
もちろんほむらの事を思ってこその提案ではあるが。
「い、意外と抜け目ないわね」
「理想を語ってもお腹は膨れません。…受けますか?」
ほむらは考える。勝敗など決まりきった勝負であるが故に、その本質は何でも言うことを一つきくというところにあるのだろうと。
確かに魔法少女が一人、何でも言うことをきいてくれるなら自分の目的にとってはこの上なく有り難い。協力してもらうのだからある程度は目的について話さなければいけないため、結局は自分のこともそれなりに触れるだろう。
つまり目の前の彼女は、こんなに短い付き合いにもかかわらず真剣に自分のことを想ってくれている。
そこまで思い至ったところで、またもや目頭に熱を感じるほむら。とっくの昔に枯れ果てたと思っていた涙は、今日だけで二回もその存在を主張してきた。
元々が長い付き合いではない友達のために苦難の道を歩き続けてきたことを思えば、意外と自分は単純な好意に弱いのかなと自問自答する。
そして震える声を聞かれたくなくて、こくりと頷きだけを返した。
「了解です…では」
サイコロを構える葵を見詰めてほむらは決心する。今度こそ、今度こそは終わらせてみせると。
それはループの始まりである病室での惰性のような決意ではなく、熱いパトスが迸る不死鳥のような決意だ。そしてサイコロの目が出たらすぐに礼を言おうとも考える。意地っ張りな自分ではそこを逃せばきっと言えなくなる、それが解っているから。
コロ、コロ、コロと乾いた音が響き、そしてピタリと止まる。結果など見ずとも解ると、逸る気持ちをそのままにほむらは感謝の言葉を紡ぎだした。
「―――あ、ありが」
「お、全部一です。私の勝ちですね」
「とう―――ぅらあぁ!!」
「ぐふぅっ!!」
私の気持ちを返せとドロップキックをかまして、そのまま馬乗りでガクガクと襟を掴んで葵を揺さぶるほむら。
過激な照れ隠しをその身に受けつつ、割と元気になったほむらを見て喜ぶ葵であった。
◆
「なんだか随分と仲良しさんね…?」
翌朝、居候の務めとして朝食を作っている葵。その傍で不器用ながらも手伝っているほむらを見てマミは意外そうに呟く。眠る前にも仲が悪かった訳ではないが、今見ている二人はなんだか気の置けない仲というのが相応しいような雰囲気を漂わせている。
「夜トイレに起きた時間が丁度だったので、そのまま少し話し込んだんですよ。ほむら、そこの卵割ってもらえますか?」
「ええ」
そのやり取りを見てマミはガガンと衝撃を受ける。自分ですらさん付けでしか呼ばれていないにもかかわらず、既に呼び捨てで呼びあっている二人にだ。
「…流石に握り潰す人は初めて見ました」
「ちょっと間違えただけよ」
ファサッと髪を手で鋤いて、すましたように誤魔化すほむら。しかし手は卵でベタベタであるため、髪がどうなるかは言わずもがなだ。そしてそれを見た絶賛動揺中のマミは吃りながら変態的な発言をする。
「あ、暁美さん! 頭洗わなきゃ! そうだお風呂、お風呂に入りましょう!」
ぐいぐいとほむらの腕を引っ張るマミ。誤解なきように言うと、ただ仲良くなりたいだけである。
「ひゃぁ! あ、あの巴先輩、ちょ、あ」
あまりの変貌ぶりに、眼鏡でおさげな弱気少女だった名残が顔を出す。
「あ、あ、葵さんも一緒に…! 入りましょう!?」
「あの、私が男ってこと覚えてます?」
「あっ」
素で忘れていたマミは、ほむらを片腕に抱えたままバスルームへ逃げるように走っていった。
「…んん。「やれやれ」とか「とほほ」とか言うべきでしょうか」
そんなセリフを放つキャラは今どきアニメでも見ない。そしてそう一人ごちる葵の傍らにキュゥべえが姿を現す。
「…やれやれ、やっと離れてくれたか。…ん? どうしたんだい葵」
訂正。居たようだ。
取り敢えず朝食を作りきろうと、葵はキュゥべえをからかいながら腕を振るうのであった。
申し訳程度のギャンブル要素。