ギャンブル少女ばくち☆マギカ《完結》   作:ラゼ

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運命の物語

「――以上が僕達の導き出した結論だ。何か質問はあるかい?」

「いえ、上々です。杞憂だったことも想定外だったこともありますが、概ね問題は無さそうですね」

「僕達にとっては大問題さ」

「おや、それは意外です。軌道修正案は出ていないのですか? 貴方達のことですからまたぞろ恐ろしい企てを試みようとしているのでは…」

「葵は僕達の事を悪魔か何かと勘違いしていないかい? 別段必要じゃない犠牲を出す意義はこれっぽっちも感じてはいないさ。必要ならそうするし、不必要ならどうもしない、生物として当たり前のことじゃないか」

「あはは、知ってます。冗談ですよ」

 

 明日でほむらがこの世界に戻っておよそ一月。それは同時にどんな結末になろうとも避け得ない一つの終焉を意味し、違いといえばその幕引きが歓喜となるか絶望となるかである。各々、様々な思いはあれど目指すところは同じであり、故にその心は本当の意味で結束していた。

 

 自らを、そして戦友を鼓舞して明日の戦いのために意気を高め合い、少しだけ特別な晩餐を取った後は皆眠りについた。そして夜半過ぎ、のそのそと起きだした葵はキュゥべえに呼ばれるまま近くの公園のベンチに座り話を聞いていた。

 

 それは彼等がシミュレートした未来予測、そしてどう行動すべきかの指針。結局のところ葵が予想していたほど悪い事態ではなかったのが救いではあるものの、しかしキュゥべえ側からすればあまり歓迎すべき状況でもなかった。まどかの因果量は確かにどんな願いも叶うものではあるし、魔女になれば少なくとも数個の銀河は滅ぶことに疑いはない。けれどまどかが魔女になったことで宇宙が滅ぶなどと彼等は考えていないし、自分達の技術力がたった一つの存在に滅ぼされることなどありえない――可能性としてはなくもないが、数学的な観点で考えるならば0と変わりない程度のものだ。

 

 しかしまどかが魔女になった時に滅ぼされるものの規模を想定した時、それは彼等が何百年とかけて増やしてきたエネルギーが無に帰す事と同然であった。その事実は葵が唱える『エントロピーの逆転現象は存在しない』という説を裏付ける何よりの証明であるし、それを偶然と片付けるほど彼等は愚昧ではなかった。

 

 しかして彼等が今すべきことはエントロピーの逆転限界による反動を最低限に抑える行動でしかないというわけだ。けれど彼等は神ではない。一朝一夕に全てが片付く妙案など出る筈もなく、そもそも彼等は観測して予測し効率的に動くことこそ得意ではあるが、突発的に何かを閃くということはあまりない。

 

 そして仮に宇宙の運命に、因果の収束に分岐点があるならば、分水嶺というものが存在するならば、確かに『ここ』だ。時も、因果も、人も、全てが集い、そして運命と呼ばれるものがあるならば確かにこの状況は『極まって』いる。

 

 選択の時は近く、そして短い。判断を委ねる何かもなく、依るものもない。キュゥべえ達に短絡的な思考が許されるならば、まどかを殺害ないし拘束すべきだと判断するだろう。もしくはほむらをどうにかするべきか。しかし彼等は聡明であるが故にそうできない。

 

 どちらもその行為がどのような結果を齎すかは不明であり、そもそもまどかがどうにかなればほむらは時間を繰り返す。次の世界――ほむらにとって主観だが――の『自分達』はどう行動するのか、できるのか。葵の話が無ければ想像は容易なだけに安易な選択は難しい。

 

――しかし。

 

「どうして笑っているんだい? 葵」

「いえね、結局あの話が正しかったのかと思うと少し嬉しいような悲しいようなと」

「あの話?」

「誰しも役割を振られた舞台役者である、と。世界が私を必要としているなんて考え方は、少し驕りが過ぎるでしょうか?」

「…訳が解らないよ。世界に意思があるとは思えないし、観測はできない。葵が言っているのが『神』というもののことなら、それは概念的なものであり、結果として意思に見えるような選択はあるかもしれないけどね」

「それならそれでいいんですよ。でも私の持つ力は貴方に与えられたものですから、結局キュゥべえさん達のやっていることは無駄じゃなかった――ん? いや、結果として意味はないのか。まあどちらにせよ生物の営みの一つでしかなかったんでしょう、うん。無駄こそが生物の営みで、知的生物は定めに抗うことを常とする、と」

「どういう意味だい?」

「そういう意味です」

 

 疑問符が頭から出ているようなキュゥべえを見て微笑む葵。そしてつんつんと頭をつつきながら、最後の質問を問いかけた。その問いの可否によって、全てが決まる。

 

 しかし葵は、なんの躊躇いもなく言い切った。

 

「キュゥべえさん」

「なんだい?」

「貴方達は――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スーパーセル。

 

 異常ともいえる速度で天候が荒れ始め、天災を予感させるほどの予兆を人々はそう評した。しかしその実はただ一体の魔女の出現、それが現実に悪影響を及ぼしているにすぎない。魔女は基本的に結界を作り、その中に引きこもり獲物を待つ。それは其々がもつ性質によって例外などはあるものの、基本的には全て同様だ。それはある種の生存本能でもあり、ほむらが使うように重火器をもってすれば普通の人間にも対抗できる魔女が多いからこそである。

 

 もちろん強力な魔女には魔力がなければ効き辛いものもいるだろうし一概に言い切れるものではないが、それでも極端に言ってしまえば弾道ミサイルや核爆発を耐えきれる魔女は存在しない。

 

 そう、ただ一体の魔女を除いては。

 

『ワルプルギスの夜』

 

 この史上最強とも伝えられる魔女だけは、魔力の籠っていない人間の武器などものともせず、故に結界に籠る必然性もまた一切ない。一部の人間以外には災害としか捉えられないが、例え世界中が全て敵にまわってもこの魔女は意に介さないだろう。

 

 彼女はただ愚者として回り続け、世界を戯曲にせんと彷徨うのみ。魔法少女すら敵としては見做さず、もし認識してしまえばそれは文明の崩壊を意味する。その性質は『無力』 けれどそれは己が性質を象徴しながらも、己以外を無力とも断じている。

 

 故に伝説。故に最悪。魔法少女に語り継がれる無明長夜。

 

 しかしこの街には悪夢に抗う希望が四つ、強大な絶望を跳ねのけんと暴風の中で佇んでいる。濡れ羽のように艶やかな黒、煌めくルビーのような紅、そして輝く黄金が二つ。

 それぞれが風にたなびき、薄暗い悪天候の中それでも存在を主張している。魔女に対するは魔法少女。その存在は似ているようで全く違い、けれど末路を同じくする人外達。

 

 魔女の夜会は観客を置き去りに開演を待ち、役者はそれを護る者と襲う者。この世全てが戯曲に変わるのか、それとも悪夢が泡沫の夢と成り果てるか。

 

 観客は知る由もない。

 

――ただ一人を除いては。 

 

「来るわ」

 

 この魔女と相対したものは全て死んでいる。しかしほむらはこの魔女と幾度も戦っている。そんな矛盾を抱える少女の声に三人の少女は頷く。上空を見上げれば冥い炎としか形容できない澱んだ火が現れ、地上を劇団が跋扈する。華々しくも悍ましい、彩られた象や鳥が広がっていく。そこには劇の全てがあるようで、けれどただ一つが存在しない。

 

 『ピエロ』がいない。愚者のように振る舞い、馬鹿をして観客を楽しませる『ピエロ』がいない。道化が存在しないサーカスなど看板倒れもいいところであるが、しかしこの場においては魔女こそが愚者で道化なのだ。もしくは、相対するものこそが愚者で道化なのかもしれない。

 

 その答えは、戦いの先にあるのだろう。今遂に、戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見滝原の各地にある避難所の一つ。そこでまどかは空を見上げていた。ガラス越しに見える魔女は離れていても尚巨大で、人の身で立ち向かえるとはとても思えないほどだ。それでも彼女は動かない。葵との約束と、ほむらの想い故に。

 

「やあ、鹿目まどか」

「っ!? ……もしかして、貴方がキュゥべえ…?」

「うんそうだよ。こうして話すのは初めてだね」

「……」

 

 ほむらに聞いた悪魔の所業と、葵に聞いた救世を目指す生物の話。どちらも真だからこそまどかは複雑な瞳で白い体躯を見下ろした。友達を茨の道に陥れ、友達を謂れなき咎から救い上げた。どう接すればいいのかと判断に迷いながら、今ここに現れた真意を量りつつ自分の決意を露わにした。

 

「私、魔法少女にはならないよ」

「ああ、知っているさ。僕達も君が魔法少女になると困るからね」

「じゃ、じゃあなんでここに?」

「ここは安全だし、それに君への興味もあったからね。少し話してみたいと思っただけさ」

「……?」

 

 機械のような、悪魔のような生物だと。感情の無い効率的な生物だとまどかは聞いていた。けれどその様子は猫のような好奇心を想起させ、先に思いを馳せる姿は感傷に浸っているかのようだ。

 

「皆、勝てるよね…?」

「さあ、僕にはなんとも言えないね。でもすぐに倒れるほど彼女達は弱くないし、すぐに倒されるほど魔女は弱くない。それに窮地に陥る前には葵がなんとかするだろう」

「……! うん、そうだよね」

 

 驚いた、というのがまどかの正直な心持だ。優しさも怒りも、悲しみも何もない無機質な生物なのに、それは葵を信頼しているかのようだ。確率的に、ということなのかもしれないがそれでもまどかにはキュゥべえが無感情な機械とはとても思えなかった。

 

 そして次の瞬間、暗い夜空に幾条もの閃光が迸る。分厚く澱んだ雲を切り裂いて、少しだけ陽の光が街を照らした。まどかはきっと大丈夫だと両手を握り締め、祈り続けるのであった。

 

 そしてその後ろ――まどかを探しに来た詢子は、一人でぶつぶつ言っているように見える我が娘を見て、きっと大丈夫だよね、思春期だからしょうがないよねと汗をだらだら流していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「硬いですね」

「ええほんとにっ…!」

 

 マミと葵がバンバンと砲撃を撃ち、群がる使い魔はほむらと杏子が相手取る。単純な戦法だが、これ以上のものはないだろう。現にワルプルギスの夜はその体のあちこちが罅割れ、討伐もそう遠いものではないことを予感させる。彼女達の攻撃は決定的な一打にこそなっていないものの、ほむら一人での攻撃とは雲泥の差であることは間違いない。火力そのものでいえば現代兵器が上回るのだが、そこはやはり魔力の多寡に影響されるということなのだろう。

 

「残りの体力でも見えればありがたいんですがね……このままじゃ少しまずいか」

「キュゥべえが言っていた『正位置への逆転』ね。確かにさっきの攻撃でもあの程度だと、そうなった時倒しきれないかも…」

 

 既に自身の最大攻撃を打ち出して魔女へ直撃させた二人だが、少なくとも致命的な一撃とまではいかなかった。効いているのは事実だが、あと何発打ち込めばいいのかは彼女達にも解らない。魔女の真の実力とは『強くなる』というよりかは暴走に近い。暴風の速度で移動を始め、その後には何も残らない――しかしその程度なのだから、強い魔法少女ならば生存確率は低くない。

 

 ならば何が問題なのかといえば、当然のことだが護るべきものの消失こそが大問題なのだ。全てが無に帰した街でたった四人が生き残ったところでなんの意味があろうか。彼女達はそんな未来を望まない。だからこそ状況を打破できる何かを必死で探っているのだ。

 

「あまり時間はかけられません。ほむらの時間停止の期限も近い……ワルプルギスの夜が予想以上にタフだったのが効きましたね」

「このままじゃジリ貧ね……どうしましょうか」

「ではプラン2でいきましょう。攻守交替です」

「フォーメーション、ロッソ・アズーロね!」

「プラン2です」

 

 ぶれないマミに動じない葵。もはや慣れたものとばかりにスルーして杏子とほむらにテレパシーを飛ばす。プラン2とはぶっちゃけるとマミと杏子の位置を入れ替えるだけのものだ。どの位置でもなんなくこなすマミの器用さがあってこその作戦であり、ワルプルギスの夜に魔力の砲撃が効かないのならば杏子の物理的な攻撃を試してみるというものである。当然ながら魔女との距離が近くなるために危険度が増すのは必然であり、彼女達も進んで選びたくはない選択肢だ。

 

「マミ、交代だ」

「ええ! 使い魔は通さないから安心してね」

 

 するりと華麗に位置をスイッチし、位置関係自体は変わらないままワルプルギスの夜へ近づいていく。別段それで攻撃が激しくなるわけではないことが、魔女から見た彼女達の認識を現していると言えるだろう。すなわち、ただの遊び相手のようなものだと。

 

「葵、サイコロ貸しな」

「今ですか? しかし…」

「予定より時間掛け過ぎだ。ここは張りどころだろ? 葵はギャンブル強いけど、ぜってー弱い」

「なんですかその禅問答チックなのは……確かに戦略も勝負度胸も判断力もあるとは言い難いですけどね…」

「だろ。今は勝負時。ここ一番で張るような奴は負けるんだ。なんでも一手速くが勝利の秘訣さ」

 

 ここは外せない。そんな心持で挑めば上手くいくのは漫画の世界だけ。上手くいくのを願うのではなく、上手くいくように仕向けるには力点をずらし、一歩速く先をゆけばいい。それが真理だと杏子はサイコロを振った。

 

「な?」

「貴方も大概ですね……大一番にそれを持ってきますか」

 

 出た目は全て1。決まっていたかのように現れた数字は、杏子の最大の一撃――槍を巨大化させる魔法を更に高め、ビルよりも高くマミの二の腕よりも太くなり魔女へと直撃した。

 

「やったか?」

「ちょっ」

 

 使い古されたどころかボロボロに擦り切れるまで酷使された伝統の言葉。『それは言っちゃいけない』というところまでが既にお約束と化しているその言葉を聞いて、葵は魔女の存命を確信してしまった。そしてその確信に応えるように魔女は再び宙へと浮き上がる。

 

 けれどその姿はまさに満身創痍。足の先にある歯車が欠け、趣味の悪いドレスはボロボロ。不気味な笑い声はところどころが壊れたラジオのようだ。

 

「畳みかけましょう! マミ、ほむら!」

「ええ!」

 

 葵の声に応えるようにマミは細いリボンを出して四人を繋げる。そしてそれを確認し、ほむらは時を止めた。

 

 全てが灰色になった無機質な世界。色づきがあるのは四人の魔法少女だけで、その他は微動だにしていない。まさに鬼札ともいえる時間停止の真骨頂。これだけでも最強と言って差し支えないほどの能力だろう。反則染みたその状態で彼女達は魔女のすぐ傍まで近寄り、攻撃を繰り返す。

 

 とは言っても時間停止中は攻撃が通らないので、遠距離攻撃を持つほむら、マミ、葵が魔女の傍に攻撃を置いていくといったものだ。攻撃された側からすれば一瞬で自分の周りに不可避の弾幕が現れる反則技だが、攻撃する側からすれば緊迫する戦いの筈なのに黙々と作業をしているような微妙な気分になる攻撃である。

 

 悪のカリスマ吸血鬼が時間停止中にわざわざ敵を担いで階段の下に戻すように、瀟洒なメイドが時間停止中にせっせとナイフを空間に並べるように、彼女達は『攻撃を置いて』いく。美しい白鳥も湖面の下では必死に足をバタつかせているものなのだ。

 

「まだー? あたしは何もできないんだから速くしてよね」

「ちょっと待って……葵、そこの隙間にもいけない?」

「どんだけ詰めるんですか。いや、気持ちは解りますけど」

「うん……よし、って巴先輩! 配置にカッコよさはいらないでしょう!?」

「で、でも…」

「デモもストもありません! 埋める! ほら速く!」

「はい…」

 

 もはや弾幕ではなくただの壁である。隙間なく置かれた攻撃の数々は例え並みの魔女が千体いても吹き飛ぶのではないかという有様だ。まあこれで最後にしたいというのだから、間違ってはいないのだろうが。

 そして念のためかなりの距離を取ってほむらは時間停止を解く――その瞬間に耳を劈くような音が響き渡り、四人が四人共鼓膜にダメージを負った。

 

「っ痛ぅ~。流石にやったか?」

「これで終わりね……ふふ、帰ったら美味しい紅茶とケーキにしましょう」

「永かった……やっと、やっと…!」

「ちょっ」

 

 もうやめて! ワルプルギスのライフは絶対残ってるわ! とでも叫びたくなるほどにフラグを積んでいく彼女達。葵はがっくりと項垂れながら轟々と立ち上る煙を見つめ続ける。

 

 そして現れたのは――――

 

「――っ! ……ほむら。やはり難しいようです」

「……そんな」

 

 そう、満身創痍な魔女の姿。爆撃を受ける前も満身創痍だった魔女の姿。もうひと押しで倒れそうなのに倒れない、ワルプルギスの夜がそこに居た。そして何よりも問題なのは、少し傾き始めていることだろう。それは世界終了のカウントダウンを始めているかのように緩やかに、けれど確実にその身を逆転させようと動き始めていた。

 

「悔しいですが、届かなかった。これ以上は…」

「……」

「ほむら、大丈夫ですよ。まどかは魔法少女になりませんし、街だって壊させません……既に結構壊れてますけど。でもそれには貴女の決断が必要です」

「でも、葵は――」

「そこは楽観的にいきませんか? 意外と世界は優しいものかもしれません。貴女にとっての喜びだってまだまだ隠しているのかもしれませんよ? それに自分を犠牲にして誰かを救うなんて、私には似合いませんから。大丈夫です」

「……うん」

 

 この戦いに勝てば、逡巡はいらない。だから考えないようにしていたその決断を、先延ばしにしていたその決断をほむらは下した。

 

 残る時間は数分もない。それはワルプルギスの夜が正位置に戻る時までということでもあり、時間停止を利用できる限界までという意味でもある。おそらくこれが最後になるであろうことを予感しながら、ほむらは盾のギミックを発動させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まどか……あんた誰かに騙されたりしてないかい? 唆されたりしてない? そりゃ宗教ってやつを全否定する気はないけどね、あんまりいかがわしいのは…」

「だから違うってばママ! さ、さっきのは……うぅ」

 

 既に一面のガラスの外には暴風で荒れている光景が広がっている。いくら強化ガラスとはいえこれが避難所でいいのだろうかという疑問は、その近くに誰も居ないことがその答えになっているだろう。耐久性に不安はないと言われても普通はどう考えても怖い。設計者の頭の中を覗いてみたいものである。

 ちなみに見滝原中学の設計者も同じ人物であることを考えれば、その男のガラスへの執念が解ろうと言うものだ。もしかすると下から何かを覗き込みたかったのかもしれない。

 

「女の子だからね。空想の動物なんかとお話しするのは誰でもやるもんさ。けどまどか……あんたもう中学生だよ?」

「う、うぐ」

 

 キュゥべえと話していたところを詢子にバッチリ見られていたまどか。当然素質のある者にしか見えないようにしているキュゥべえが詢子の目に見える筈もない。勘違いされるのも仕方ないことではあるが、まどかの対応もまずかった。適当にはぐらかせばいいものを、慌てた彼女はキュゥべえの存在を暴露し、ここには見えないけど猫のような生物がいるのだと、電波ちゃんまっしぐらな回答をしてしまったのだ。

 

 詢子の目が悲しいものを見るような目になったことを察したまどかは、このままでは自分の評価が『電波ちゃん』か『不思議ちゃん』か『アレな人』のどれかになってしまうと大慌てである。それをなんとかしようとキュゥべえへ詢子にも姿を見えるようにしてくれとお願いするが、対する回答はというと――

 

「それは君の魂を掛けるに足るものかい?」

「うん。私、魔法少女に――――ってそんな訳ないでしょっ!?」

「ま、まほ……? まどか、あんた」

「あ、ちがっ、ママ違うの。これは――」

 

 結果的により酷いことになってしまったことが、キュゥべえの陰謀であるかは不明だ。魔法少女になる対価がキュゥべえの顕現とは悔やんでも悔やみきれないどころか、血の涙すら出るレベルだろう。まだ満漢全席のほうがマシである。

 

「魔法少女、か……そういや今は『こすぷれ』とかが流行ってるんだっけ。まどか……気付いてやれなくて悪かったね。そういうイベントはお金もかかるだろうし、お小遣い増やそうか?」

「だから違うんだってばぁ…」

 

 棚ボタでお小遣いが増えそうなことを嬉しがるよりも、自分に変な趣味が追加される悲しみのほうが勝ったらしい。さっさと姿を現せやとキュゥべえを踏みつけながら、優し気になった母親の瞳にいたたまれなくなるまどか。ぎゅっぷいぎゅっぷいと苦し気な呻き声をあげるキュゥべえだったが、姿を現そうとはしない。この状況を面白がっているのかは、これも不明である。

 

 そしてそんな彼女達の前に、魔法少女達が姿を現す。

 

「まどか。本当に申し訳ありませんが、貴女の力が必要です」

「まどか…」

「鹿目さん、ごめんなさい。私達の力が足りないばっかりに…」

「悪いけど、後はたのむ。ありゃちっと無理だわ」

 

 タイミングというのは、本当の意味で言うならば神のみぞ知るものである。そこに何かが関与できるならば、それは人知を超えたものなのだろう。一般的には『普段の行いが良ければ』などと嘯かれることもあるが、それならば今のまどかはこんな状況にはなっていないだろう。

 

 こんな、悲しいことには。

 

「……」

「マ、ママ?」

 

 まさに魔法少女といった風体の四人。しかしその服装はコスプレなどというにはあまりにも精緻で、微細で、本格的だ。いったいどれだけのお金をかけているのかと詢子が思ってしまうのも無理はなく、そして愛娘に最近色々変化があった理由をようやく察した。

 

 つまり魔法少女好きの仲間ができたことを喜び、しかし金銭的に付き合うのが辛くそこに関して悩んでいたのだと。甚だしい勘違いである。

 

「よ、葵ちゃん」

「…詢子さん。事情は察しておられないとは思いますが、今は――」

「いや、大体解ってる。悪いけど、この子のこと頼むよ。親の私がなんにも知らなかったってのも恥ずかしいけどさ」

「そう、ですか……まどか、話したんですね」

「え、いや」

「ふふん、私が察しただけさ。そこの娘達も、これからもまどかをよろしくたのむよ。まどか、また今度みんな連れておいで」

 

 そう言って去っていく詢子。理解ある親で理想の女性を体現したような姿であるが、実際は何も理解できていない。無常な渡世を体現しているようである。

 

「良いお母さんですね、まどか」

「…………何て説明すればいいんだろう」

「説明はいりませんよ、語らずとも解ることがあります。血の繋がりとは何よりも濃いのでしょう……今のやりとりだけでまどかが羨ましく感じるくらいです」

「ほんとに? ねえ葵ちゃん、ほんとに?」

 

 色々台無しである。恋人だって夫婦だって言葉にしなければ通じ合えないことの方が多いのだ。

 

「やあ葵。その様子だと駄目だったみたぎゅっぷい!?」

「あ、ごめんキュゥべえ。姿見えなくしてたんだったね。私にも見えなかったよー」

「ま、まどか、なんだか怖いですよ?」

「ううん、気にしないで。それより葵ちゃん…」

「いや、気にしないでって……まぁいいか。申し訳ありませんが、御察しの通りです。ワルプルギスの夜を倒せれば充分な研究も猶予もできたんですけどね……現実は厳しいです」

「ううん、いいの。それに私より葵ちゃんの方が心配だよ」

 

 ワルプルギスに夜を倒すことができれば、とりあえずの心配はなくなる。まどかの因果がなくなるわけではないが、少なくとも増えることはないだろう。その間にキュゥべえ達が更なる観測と研究を続ければ、今のような憶測と推測に頼った、予測が完全にはつかない不安定な作戦は取らずにすむ。

 

「葵…」

「心配しないでください、ほむら。どのみち失敗の場合はみんな死ぬので寂しくありませんよ」

「…うん」

「いや、うんじゃねえから! 葵も不吉なこと言ってんじゃねえよ!」

「ですが一人ぼっちで死ぬのは寂しいです」

「いや、解るけどさ!」

 

 傾くワルプルギスの夜。猛る嵐、渦巻く雲に、時折雷光が輝き轟く。海は荒れ、さながらノアの大洪水のように全てを飲み込まんと沖の方で天を目指す。

 

「この一ヶ月、すごく楽しかった。私、私…」

「あの、不吉な言動はやめてくれませんかマミ。本当に失敗しそうです」

「マミだもの……仕方ないわ。っと、あ」

「暁美さん! 今私のことマミって…」

「い、いえ、今のは」

「~~暁美さんっ!」

「むぎゅっ!?」

 

 傾くワルプルギスの夜。夜明けなど有り得ぬと狂ったように高笑いを繰り返す。戯曲は娯楽。それが終わったのならば、魔女は人を害する化物に相違ない。

 

「ふふ、まあこのくらい気楽なのが丁度いいですよ。明日も明後日も、その次だって変わりなく進めばそれでいいんです。これは大層な出来事なんかじゃなくて、よくある日常ぐらいに考えるのがいいのでしょう」

「これから毎日家が吹き飛ぶのか?」

「…すいません。言葉の綾です」

 

 傾くワルプルギスの夜。観劇の終わりは何よりも重要だ。幕引きを誤ればすべてが凡作に堕とされる。けれど彼女にそれは無関係。最後に観客は消えるのだから。

 

「さて、そろそろ時間がありません。正直博打のような感じは否めませんが、始めましょうか……いえ、終わりにしましょう」

「…うん! 葵ちゃん!」

 

 彼女がこの力を得た意味。彼女がここへ来た意味。彼女がほむらと出会った意味。

 

「キュゥべえさん、お願いしますね」

「うん。もう君の思考とはリンクしてるから、後は演算が間に合えば問題はないさ」

 

 彼女の奇跡が叶い続けている意味。彼女が選ばれた意味。彼女が『彼女』である意味。

 

「願ってくださいまどか。心の底から、祈りををこめて。それだけで奇跡は起こります」

「――うん」

 

 『鹿目まどか』は『九曜葵』に願った。

 

『今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい。私には願うことしかできないけど、それでも――』

 

 願う先は孵卵器ではなく、たった一人の魔法少女。奇跡を起こす、願いを叶える魔法少女。声を涸らせんばかりにまどかは叫ぶ。

 

『魔法少女に優しい世界になってほしい!』

『――ええ。きっとそれが世界の運命だ』

 

 まどかの膨大な因果が、願いを通して葵に流れ込む。彼女が望んだ通りに世界は一時消滅し、再編され――そして縮小される。それは覆しがたいエネルギーの法則。エントロピーを覆してきた反動は放出され、いくつかの銀河と種族は滅びを決定付けられる。それは当然の事であり、『願い』という漠然としたものが細かなことに気を使える筈もない。

 

 …それが普通の少女の願いならば。

 

「…万能感が凄いです」

「それはそうだろうね。今の君は創世の女神のようなものだから」

 

 正しく言うならば『願い』は少女。叶えるのは『魔法少女』そして世界の行く末を決めるのは、インキュベーター。

 

 彼等は今、ただしく孵卵器としての役割を果たそうとしていた。すなわち宇宙に在る種族、惑星、全てを把握している彼等によって取捨選択が行われようとしているのだ。生物が存在する部分など宇宙全体からすれば極僅かで、そして存在しなくともいい場所などそれこそいくらでもある。

 

 それを網羅し選択することなど葵の脳の処理速度では、仮に彼女が六十億人居たところで出来はしない。けれどそれを可能にするのがキュゥべえであり、彼等の技術力である。テレパシーの要領で葵と精神をリンクさせ、消滅を避け得ない部分を選択していかせるのだ。膨張を続けている宇宙はこの再編によって縮むだろうが、しかし生物全体の総数は変わらない。

 

 インキュベーターは無慈悲に命の足し算引き算をする存在だ。地球人の犠牲でその何千何万何億倍の命が助かるのならば、それは必要な犠牲だと当たり前のように考える。けれどどの種族も犠牲にならないとすれば、その選択を選ぶことに一切の躊躇もないだろう。

 

 全ては推測だった。

 

 彼等には選択肢があったのだ。推測を是として葵に委ねるか。推測を否として変化を厭うか。推測を是としながらも自分達でどうにかするか。推測を否としつつも安全策として手を引くか、もしくは強硬策に出るか。

 最終的に彼等が下した判断は、今の状況が答えである。そこにどのようなプロセスがあったか、どのような考えがあったかは彼等にしか解らない。

 

 一匹の精神疾患にかかった個体の影響があったのかも、定かではない。

 

「…よし」

「そろそろ終わりそうかな?」

「ええ。最後は貴方達と、私の周囲だけです」

「何故わざわざそこだけ残したんだい? 魔法少女システムの改変は終わってるし、過去の改変をするという訳じゃないだろう?」

「何かあったら嫌なので慎重を期したかったんですよ。そのくらいは許されるでしょう?」

「まあ文字通り君の自由だからね。僕にとってはどうでもいいことではあるよ」

「む、そんなこと言っちゃうと種族ごと魔法少女のマスコットにしちゃいますよ。どんなのがいいですか? キュベッピ? キュベルン? それともキュベチュウとかがいいでしょうか」

「………………僕にとってはどうでもいいことではあるね」

「冗談ですよ」

 

 再編されつつある真っ白な空間で葵は目を閉じた。思えば永いようで短い一ヶ月、これほど波乱万丈な体験をした人間はちょっといないだろう。運の良いだけだった自分が新世界の神になるなど誰が予想できようか。まあ神とは言ってもこのほんの少しの間だけで、しかも借り物の力だ。誇るようなものでもなければ嬉しがるようなものでもない。

 

「しかし何故裸なのか…」

 

 様式美である。

 

「さ、もうじき終わります。次の瞬間には見滝原に戻りますよ」

「うん……葵」

「なんですか?」

「……やっぱりなんでもないよ」

「お、おお? へー……キュゥべえさん。ふふ、そうですかそうですか」

「なんだい?」

「なんでもないですよっと」

「その割には随分嬉しそうだね」

 

 初めての出会いから『変化』があるというのは当たり前のことだが、キュゥべえという種族に限ってはそれはまずないことだと言っていい。それは感情ありきのことなのだから。そして葵とこのキュゥべえの関係に変化があったかどうかは、彼女の表情を見れば一目瞭然なのだろう。

 

――そして彼女が笑顔である理由がもう一つ。

 

「そうですね……『初めて』のギャンブル、勝ちましたから」

 

 その言葉を最後に白い空間が終わりを告げる。

 

 始まりは奇跡。孤独な少女が彼女を創り、孤立の少女が戯曲へ誘う。孤高の少女が彼女と出会い、夢見る少女が彼女に捧ぐ。

 

 幕引きは華麗に。喜劇も悲劇も幕を閉じ、これより始まるは――

 




本編はこれで終わりです。次はエピローグです。

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