あと、仁美がほんとにキャラ崩壊してるので、そういったことが苦手な方はお気を付けください。
「さやかさん……もう降参しては如何ですか? これ以上は腕が折れますわよ」
「うぐぐぐ……なんでお嬢様の仁美がこんな強いのさ」
月夜が照らす薄暗い河原で、うら若い乙女達がくんずほぐれつ攻守を入れ替えて恋を争っている。物理的に争ってはいるものの、一応恋争いなのは間違いない――筈だ。攻守を入れ替えて、とは言いつつも青髪の少女さやかが攻撃に移ったのはたった一回。運動神経はかなりのものと自負しているさやかは、か弱いお嬢様である筈の仁美を出来るだけ優しく行動不能にしようと体を密着させて押し倒そうとした。
しかし、だ。さやかの指が触れるか触れないかのところで仁美は華麗にステップを踏んで軽やかに躱し、そのまま腕をからませてアームロックを決めたのだ。背の高さこそ少し劣っているさやかであるが体格自体は上、悲しいことに体重は更に差をつけているために自分が圧し負けることは想定していなかった。その結果が、まさかまさかの技巧派格闘乙女志筑仁美の魔の手に落ちることとなったのだ。
「…私が降参したら、仁美はどうするの?」
「溜まりに溜まった愛を全部、ぜんぶ、ぶつけます。ここまできたら遠慮は致しませんわ、申し訳ありませんさやかさん」
「あわ、あちょ、顔近いよ仁美。ううう……そりゃ拒絶したりとか気持ち悪いなんて言わないけどさ、そこまで臆面もなく言い切られると……」
恥ずかしい。まさに本人の目の前で盛大に告白している――さやかはそう勘違いしているのだから、赤面を通り越して顔が燃えているように感じるのも無理はないだろう。密着しているせいで互いの体温を感じていることもそれを助長し、暗く人の気配がないことがなんとなくさやかを変な気分にさせていた。
「愛です! 青春の時間は短くて、わたくしの自由な時間はもっと短いんです! わたくし、目覚めましたの!」
「できれば生産性の無い愛には目覚めてほしくなかったよ……」
「まあ、愛があれば子供なんていくらでも産めますわ!」
「ええ!? どどど、どっちが!?」
「もちろんわたくしに決まっているでしょう?」
「わ、私が攻めなんだ……」
絶望的に噛み合っていない彼女達の会話は、体だけは絡み合いつつ終わりに近づいていく。
「埒があきませんわね……さやかさん。まさか本当に折るわけもいきませんし、ここは白黒はっきりつけるためにもルールを設けましょう」
「先に言うべきだよねそれ。そうだよね?」
さやかから鋭い突っ込みが入るが、仁美は気にせずにアームロックを解いて離れる。仕切り直しを許すのも彼女の自信故だろう。たとえ今の決定的な体勢を崩そうとも、ルールが変わろうとも自分は負けないと信じ切っているのだ。
「先程のような覆しようのない状態に三回なれば、その時点で負けということに致しましょう。どうですかさやかさん」
「や、やっぱやめようかな……ハハ、ハ」
「貴女ならそう言って下さると信じていました。さあ、勝負開始です!」
「聞いてた!?」
既に仁美の耳は都合良く聞こえる変換率100%である。聞く耳もたぬとはこういうものではないが、結果は同じようだ。
「いきますっ!」
「こないでっ!」
「さやかさん、どこへ行くんですか! ……いえ、直接対決とは一言も言っていない。ふふ、なるほど……屋内でのゲリラ戦をお選びになりましたのね。受けてたちましょう!」
「私の知ってる仁美はどこに逝ったんだーーー!」
足の速さには定評があるさやか。雑草生い茂る河原の坂を駆けあがり、そのまま寂れた市街地に踏み込んでいく。ここは整備されゆく見滝原においていかれた、取り残されたとも言える潰れた工場等が立ち並んでいる場所だ。夜だからという理由以上に人が少ない理由でもある。
そんな絶望と悲哀が籠ったこの場所は魔女の住処にうってつけなのである。そしてまさに今宵この晩この場所で、魔女に魅入られた人々がその命を散らそうとしていた。魔女は人を操り自殺に追いやることもあれば直接的に命を奪うこともあり、今夜は前者を好む魔女が死の鎌を振り下ろそうとしていた。自我を奪われた人々は混ぜてはいけない酸性とアルカリ性の洗剤を使い、集団自殺を試みようとしているのだ。
「ううう……俺たちはもう死ぬしかないんだぁ……」
「会社が負債しか生まないのなら、死ぬしかないじゃない……」
「振られた……死のう」
悲壮感を漂わせながら呻き声をあげて死への道を歩き出す人々だが、そんな彼等の元へ騒がしい闖入者が颯爽と現れる。
「どいてどいてー!」
「よおし、死ぬぞ、死ぬぞぉ……ぐわっ!?」
「うわっ、ごめんなさーい!」
暗がりで能面のような顔をした集団が寄り集まっている、そんな異常事態にも気付かずさやかは走り抜ける。しかも彼らが持っていた洗剤をぶちまけるおまけつきだ。もちろんその行動は彼らの怒りを買うことになっているのだが、魔女に操られ緩慢な動きしか出来ない者達がさやかの走りに追いつけるわけもない。結果として、地面に零れた二つの洗剤の水溜まりを虚しく見つめる変な人々という構図が出来上がった。
「見失いましたわ……あら?」
そしてそこに遅れてやってきた仁美。さやかとはおつむの出来が違う彼女は、一種異様な光景とも言えるこの状況において正しく事様を理解した。果たし状を渡してからの時間、詳細は書いていなかった内容、そしてさやかがこちらへ向かった理由。全てを鑑みて、頭脳明晰な彼女が出した答えは――――
「なるほど、確かに助っ人を呼んではいけないという決まりはありませんでしたわね。流石です、さやかさん」
とんでもない誤解であった。もう一度言うと、彼女は今かつてないほどにノリノリなのだ。灰色の脳細胞ならぬピンク色の脳細胞に侵されていると言ってもいい。とはいえ彼女が勘違いしたのにも訳がある。さやかという報復対象が消えたために振り上げることすら出来なかった拳が、新しい生贄が来たことでそちらに向かったのだ。殺気だった集団がさやかへの行く手を阻んでいるとなればこの勘違いも仕方のないことなのかもしれない――――わけはないが、とにかく今彼女は勘違いガールなのである。
「はあっ!」
腹パン、腹パン、更に腹パン。寝ても腹パン覚めても腹パン、とどめに腹パン。趣味に拳闘を嗜んでおりますの、なんて言われても信じられそうなほどに見事なパンチを繰り出す仁美。彼女もまた腹パンに魅了された、腹パニストの一人なのだ。
「他愛ないですわね……」
死屍累々、そう形容すべきものが仁美の足元の惨状だ。しかしあくまでも彼らは魔女に操られただけのたんなる人間。真打とも言える化物、魔女とその使い魔は人間如きに抗えない。故に仁美は今、正しく死地に居ると言ってもいいのだ。
「……? っなん、ですの……」
魔女に魅入られた人間は、自我を奪われた傀儡と化して木偶となる。その証は体のどこかに現れる『魔女の口付け』と呼ばれる痣が目印となり、心の弱い人間はそれの発現に抗うことなどできはしない。魔法少女としての才能など欠片も持ち合わせていない仁美は、訳も解らずに意識を奪われかけていた。右手の甲側にうっすらと黒い文様が浮かびかけており、魔女の人形と成り果てるのもそう遠くないだろう。
「痣……? いやですわ、もう。こんな時のために持ってて良かった、メンソレータム」
魔女の口付けはメンソレータムで消える、新事実の発覚であった。念のために言っておくとメンタームではない、メンソレータムだ。きっと150円前後の品質の差が如実に表れたのだろう。ソウルジェムを冷やせば涼しいのだから、グリーフシードの元である魔女の口付けがメンソレータムで消えても、まあ不思議とは言えないだろう。
「さあ、さやかさん! 決着をつける時がきましたのよ!」
倒れ伏す人々をほっぽって、さやかに対して上げた気炎と拳で後ろから忍び寄ってきた使い魔を偶然しばき倒し、仁美は走り出す。そう、ここには心の弱い人間など居なかった。そういうことだ。
――――さやかにとってどちらが災難だったかは、不明である。
「キュゥべえさん、現状はどんな感じでしょうか。命の危険はまだ無いんですよね?」
「うん。さっきも言った通り充分に間に合うだろうね」
現場へと急行している四人。魔法少女としての健脚を如何なく発揮して、人間を超えた移動速度で目的地へと向かう葵はキュゥべえに現状の様子を問いかけた。そもそも何故こんな時間に二人してそんな場所に居るのかという疑問は当然だろう。
「何故彼女達はそんな状況に陥っているのですか?」
「僕達に感情の機微は解らないから断言はしかねるけど、様子を見た限りでは志筑仁美が美樹さやかに求愛行動を取っていたようだね。美樹さやかの方も条件をつけてそれを受け入れたようだ」
「……すいません、ちょっと耳垢が詰まっているようです。もう一度よろしいでしょうか」
「僕達に感情の機微は解らないから断言はしかねるけど、様子を見た限りでは志筑仁美が美樹さやかに求愛行動を取っていたようだね。美樹さやかの方も条件をつけてそれを受け入れたようだ」
「……」
まさしく意味不明だ。葵とほむらにしてみれば青天の霹靂もいいところだろう。マミと杏子からすると大して面識も無い彼女達の恋愛模様など、まあそういうこともあるかという認識だが、関係を把握している葵達には考えもしなかった未来なのだ。
「ほむら、その……そういうことも、あるんでしょうか」
「ありえない。けど、そういえば……」
「そういえば?」
「志筑仁美はそういう関係性に憧れていた節があったわ。本人がどんな性癖だったかは不明だけど」
「ううん……そういう関係になりうる可能性はなくもなかったと。しかし、まさかですね……」
「あ、葵はどう思うのかしら? 貴女は今、その……女の子な訳だけど」
「はい? いやいや、まさか男性を好きになる訳はないでしょう。至ってノーマル、女の子が好きですよ。客観的に見てノーマルかどうかは考慮しませんが」
「そう、そうよね」
「はあ」
ほむらにそっちの気があるのは感付いていた葵だが、もしや自分も対象に入っているのだろうかと推測してうーむと唸り声を上げた。自意識過剰で自信過剰な思い上がりか、はたまた穿ちが過ぎるのか。惚れた腫れたは思春期少女の特権だが、今の分類でいうと自分も含まれるのか。なんにしても今考えることではないかと、なんとも言えない思考を振り払って近づいてきた工場地帯に目を向けた。
「結界です。ほむら、魔女の情報は?」
「ハコの魔女、かしらね。最近は時間も場所も当てにならないけど、ここでその魔女以外を見たことはないわ……ああ、魔女の紋様がそれだわ。うん、ハコの魔女よ」
「どんなやつなんだ?」
「見た目は……古いパソコンよ。精神をグチグチ削ってくるような嫌な魔女。メンタルが弱い魔法少女は強制的に魔女にさせられるかもしれないけど、そもそも本体が弱い。考える前に倒せば済むし、複数で当たれば精神攻撃の対象もなにもないわ」
メンタルが弱い、のくだりでほむらがちらりとマミを見た。ついでに葵もマミを見た。流されて杏子もマミを見た。
「ど、どうしたのみんな?」
「いえ……そういえば二人は結界に取り込まれていないようですし、一応保護する役が必要ですね。マミ、ジャンケンホイ」
「へ? あ、えい……負けちゃった」
「では、お願いします」
「なんだか体良くあしらわれた気がする……」
「気のせいですとも。どちらにしても志筑さんに対応して不自然じゃないのは先輩のマミか友達のほむらでしょう? 実際にその魔女と相対したことがあるほむらは外せないですし、お願いできませんか?」
「むぅ」
渋々と一人離れていくマミ。なんだか納得いかないわと愚痴を溢しながら変身を解いてさやかと仁美を探しに行くのだった。そして残された三人は見つめあい、頷きあって結界に突入した。
原色の絵の具をぶちまけて、それのみで構成されたような不快な空間。魔女の結界を言い表すならばそんなところだろうか。魔女によって様々な異様を見せる結界だが、共通するのはただただ不安にさせられるような場所であるということだ。魔女が絶望そのものだというのなら、確かに納得するものがあるだろう。
「いつもながら気持ちのいい空間ではありませんね」
「つーかふわふわして落ちつかないんだけど」
地に足がつかない。まさに彼女達の現状はその文字通りであり、抵抗力のない水中にいるような感覚を進まされていた。この結界の主『H.N.Elly(Kirsten)』 通称ハコの魔女。性質は憧憬、筋金入りのひきこもり魔女であり、人のトラウマを空間に映し出して心を抉る魔法少女の天敵のような存在である。反面、その精神攻撃以外は新米の魔法少女ですら一撃で倒せるような脆弱さも持ち合わせており、まさに相性が問われる戦闘となることが多い。ほむらが指摘した通り、複数の魔法少女で挑めば負ける要素が見つからないと言ってもいいだろう。
「トラウマ、か。いったいどんなものを見せられるのやら」
「映し出される前に倒せばいいのよ。タイミングが悪ければ一人だけ暴かれるかもしれないけど」
「ふぅん……趣味の悪いこったね。ま、あたしの過去を映し出すってんならそれ相応の覚悟でもしてもらわないとねえ」
杏子は獰猛な笑みで殺気を滲ませる。彼女のトラウマは確かに心に傷を与えるかもしれないが、それ以上に怒りの琴線に触れることは間違いないだろう。彼女に攻撃を仕掛けた時点で魔女の運命は決まるようなものだ。
「私は、まあ大体予想はつくわ」
「ふむ……トラウマ、トラウマ……姉にチャンネル争いの末に腕に爪痕を付けられたことでしょうか……?」
「どんだけだよ」
「いや、四本の爪痕に血が滲んでいたんですよ? 子供心にはとてもショックでした。リモコン争いなんてそんなの現実にあるのかと言われるかもしれませんが、ほんとにあるんです」
「幸せな人生ねぇ」
「ちょ、そんな恨みがましい目で見ないでください。ほむらも杏子もこれから幸せになりますとも、ええ」
普通に生きていれば、一般人は大したトラウマなど持ち合わせない。葵は異常な運の良さという常人とはまた違った人生を歩んできたものの、普遍的な日本人を逸脱するほど波乱万丈な生きざまだったというわけでもない。普通の大人として生きた葵、異常な子供として生きるほむらと杏子、そしてマミ。きっとそこで釣り合いがとれているのだろう。大人でも耐えられないような経験をした分だけ、彼女達は歪な大人で、歪な少女だ。
「そろそろね……居たわ。速攻で片づけて……え?」
結界の最奥で待つ魔女は、無礼な侵入者である三人の前に姿を現す。そしてその本体以外の無数の画面には、既にトラウマが映し出されていた。
――――魔法少女、九曜葵のトラウマが。
「ちょ、おまっ、み、みみ見ないでくだっ、いや、見るなぁ!」
「あ、あれ……もしかして、く、くふっ、あ、葵か? ぶふっ」
「だ、だいひょうぶ、見てないわふっ」
「うわぁぁぁ!!」
誰しも若気の至りはあるものだ。それは小学生のうちに済ませてしまった人もいれば、大人になった今でも自覚しない人間だっている。しかし、ふと気が付くのだ。もしくはふと、思い出すのだ。それがどれだけ恥ずかしかったのだろうかと。それがどれだけ痛々しかったのかを。思い出せば、思い返せば、あの時の自分は頭がおかしかったのではないだろうかと後悔せずにはいられないのだ。
葵の場合は中学生前後のこと。順風満帆に行き過ぎる人生に擦れて、ひねくれて、そして姉に矯正させられた。ごく短い期間ではあったが、それはそれはグレていたのである。葵は何事も形から入るタイプであり、例えグレようともそんなところは変わらない。背の小さい見るからに少年な葵が取った行動は、髪型をオールバックにしてサングラスをかけ、自転車を見事にデコレーションすることだった。いわゆるデコチャリというやつである。
デコレーションしたせいで妙に重い自転車をえっちたおっちらと漕いで遠出して、どこぞの壁に『チャリで来た』と壁にスプレーし、誰にも彼にもメンチを切るような、そんな恥ずかしい過去が葵にはあるのだ。ちなみに姉が葵の行動を全力で止めたのは、単に身内の恥が恥ずかしかっただけである。
「ここっこっ、この腐れ魔女……っ! ダーディ・ランチャーレ! からの――ティロ・フィナーレ!!」
もはやいつもの冷静な葵は見る影もなく、動揺しすぎたせいで技名まで叫んでしまう始末だ。無意識にそれが出てしまったということは、やはり深層心理ではマミの名付けた技をかっこいいと思っていたことの証明だろう。出目は見事に『1111』とクリティカル。最大限にまで威力を高められたティロ・フィナーレはもはや射撃というより巨大な光の柱である。魔女の結界ごと全てを破壊しつくし、欠片も残さず魔女を消滅させた。
「は――――っ、はぁ、はぁ……。二人とも、今のは、今のは――違うんです。あれは、違うんです。ええ」
浮気した女性の最初の言葉であり、最後の言葉でもある『違うの』というセリフ。もはや葵は心まで女性になってしまったのだろうか。ちなみに浮気した男は『仕方ないだろ』である。バレバレでもけっして認めない見苦しさと、それがどうしたと言わんばかりの開き直りはどちらがより情けないだろうか。甲乙付け難い。
それはともかくしてちゃうねん、ちゃうねん、あれはちゃうねんと汗をだらだら流しながら否定する葵。まあ姿形性別まで違うのだから確かにちゃうかもしれない。
「葵……」
ぽつりと呟き、悲しそうな瞳で葵の肩を抱くほむら。ちなみに杏子は苦し気に腹を抑え、地に臥している。そしてほむらは愛おしそうに葵の髪を梳きながら、慈愛の笑みで問いかける。
「明日、自転車屋さんに行きましょうか?」
葵の返答は、ほむらの叫びが一〇〇メートル先まで届くほどの痛いアームロックだったそうな。
このSSはメンソレータムをステルスマーケティングするSSではありません。