渓流暮らしの泡狐竜   作:狐火(宇迦之御魂)

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これは、狐火が執筆したものではありません。
コラボ相手である紅卵 由己様の提案でこちら側で纏めた方が良いという事になり映したものです。
決して、無断転載、盗作ではなく。
互いの同意によっての移転である事をご了承ください。


閑話.泡沫は無色に身を委ねて

 

 世の中には超常現象という言葉がある。

 常識の範疇を越えた出来事そのものを指す言葉らしいのだが、実際のところその言葉は目撃した当人の常識によって左右されるため、他の者にとっては超常でも当人にとっては通常――そんな構図が生まれる事も少なくない。

 リオレウスと名付けられたその人型鎧――厳密にはそう呼ばれた竜だった者にとって、超常と認識すべきと思われる出来事は殆ど無かった。

 そもそも生前は人間の言語も理解の及ばぬ所であったし、生きる事と子孫の存続という生物特有の本能が思考を埋め尽くしていたのだから、興味というものが胸の内に湧かなかったのは当然なのだが。

 もし自分が人間として生まれ変わったら――この世界にて形を得てからは、そう考えた事は少なく無い。 

 竜の本能と言う名の常識とは異なる、人の世界の未知なる常識。

 街や村といった人間の巣に、知恵でもって生み出される様々なもの。

 理性や知性が与えたものは、何も言葉や知識だけでは無い。

 人間が持つような欲望や快楽など、見方を変えると醜くも見える感情も、この世界で形を得た竜や獣には存在する。

 現に、幼子共々リオレウスを襲って来たライゼクスにも、戦闘に対して快楽を覚えている節があった。

 この世界へと放り込まれた生き物だった者たちは、血肉を持たないが故に食物を口にする事も適わず、生の感覚を満たしてくれるものが無い。

 それ故に、食事以外に欲求を満たす方法が自然と模索される。

 最終的に選ばれたのは、最も生存から離れた行為である戦闘行為だった。

 互いに互いを殺し――あるいは壊しあい、生じる感覚で己を満たす。

 結果的に、この世界は空っぽのモノ達が虚しい戦いを繰り返す牢獄と化した。

 この世界がどういった物なのか、何のために死後送り込まれたのか、それを解明しようと模索する者も大半は欲求の荒波の中で消息を絶った。

 今でも尚、この世界には生前の世界より数多の命が送り込まれている事だろう。

 そして、高確率で『洗礼』を受けているに違いない。

 

「…………」

「? どうかしたんですか?」

 

 骨格で言えば人型の鎧姿なリオレウスが無い口から溜め息でも吐くような素振りを見せると、横合いから皮装備の幼子が声を掛けてきた。

 声、とは言うものの、実際には言葉を介するための口や声帯が存在しないため、本質的にはただの音に近いかもしれない。

 リオレウスは適当な調子で返事を返す。

 

「特にどうかしたわけでは無い。気配も物音も感じられんしな」

「何事も無いというのはいい事だと思うんですけど……」

「……その言葉は場合によっては敵に対しての挑戦状になりかねん。敵の前では軽々しく言ってくれるなよ」

「は、はぁ……」

 

 よく解らない、とでも言った風な様子の幼子。

 その一方で、この世界の空気に染まった者にとって戦いを否定する言葉は怒りの発火点に成りかねない事を、リオレウスは経験則として知っていた。

 幼子の言う言葉が間違っているわけでは無いが、正しさなど弱肉強食の世界では何の役にも立たない。

 どちらかと言えば、生き抜くための技術や策の方に知性を使ってほしい――そう考えるリオレウスだったが、言葉として出そうとは思えなかった。

 

「……しかし、何事も無いというのは実際珍しいな……」

「珍しい方がいいなぁ……もう大きな竜に追い回されるのは勘弁ですよぅ……」

「あのような事はこれからも起こり続けるだろうから、まずは慣れる事だ。慣れるまでに喰われてしまうかもしれんが」

「やだーっ!! 襲われる時にはまた助けてくださいよぉ!!」

「……まぁ、気が向いたら」

「命掛かってるのに凄く適当ですぅ!?」

 

 嘆きの声を上げる幼子だったが、相も変わらずリオレウスの反応は適当なものだった。

 彼等の関係は、結局のところこの程度のものでしか無いらしい。

 尤も、生前であれば間違い無く捕食する側とされる側の関係になってしまうため、別に不自然な点は何処にも無い。

 自衛のために強力な竜の傍に寄り添う――そんな習性を有した生物がいないわけでは無いが、大型の竜が捕食対象を視界に入れた時の判断は、大抵の種族で捕食か無視の二択になる。

 そして、喰われる側が防衛本能に従い全力で逃げ出すのも当たり前。

 きっと、仮に生前の姿で彼等が寄り添っていたら、知性を持った者から『それは非常食か何かですか?』という疑問の伴った視線を向けられるに違いないだろう。

 ともあれ、

 

(……しかし、静かだな)

 

 現在、リオレウスと幼子は無幻と言う名で称される異界を渡り歩いている最中だった。

 彼等の居る場所は竹や紅葉といった一風変わった植物が生い茂り、足元では透き通った水が流れている『渓流』と呼ばれる場所だった。

 夜空と月が風景を彩っているが、当然ながらこれ等は全て仮初めの偽者であり、時を経ても夜が終わる事は無い。

 ならば、ライゼクスと戦った『森と丘』の青空はどう説明するのか――その答えも単純なもので、この世界においての昼夜は地域によって定められたものなのだ。

 それ故、仮に生前のように睡眠を取ったとしても、空の色も景色を照らす光の質も変わらない。

 だが、それ等は決して静寂の理由には成り得ない。

 昼間であろうが夜中であろうが、風の音や足音など、自然に発生するような音は長く途切れる事が無いはずなのだ。

 この場に、風の音は無い。

 完全なる無風――それだけでも疑問を覚えるには十分だったのだが、更なる疑問を突き付ける光景が彼等の視界に入って来た。

 

「……あれは」

「? なにか……変ですね……」

 

 幼子は曖昧な表現で異常を口にしたが、一方でリオレウスにも理解は出来ていなかった。

 景色が、不自然に歪んでいるのだ。

 水面に鏡のように映ったものが、風に揺られて形を歪ませるのに似ていたが、歪んでいるのは水面ではなく何も無い目前の空間そのもの。

 その近くをよく見てみると、元は何らかの形を有していたのであろう物体の欠片が川の中に沈んでいた。

 流石のリオレウスでも、この現象については知識が無かった。

 そもそもの問題として、この世界に存在する物の大半は偽者であり、それに異常が生じるという事は何らかの外的要因が存在するはずなのだが……?

 

(……あるいは、この世界とは異なる世界が原因か?)

 

 仮説こそ生まれるが、それを証明出来る物が無い。

 生前の世界とこの世界――二つ世界が存在している以上、それ以外の世界の存在は十分に考えられる事なのだが、少なくともこの世界に喚び出された者たちにその存在を目にした者はまずいないだろう。

 この世界自体も謎が多く、逆にこの世界そのものが『異なる世界』に干渉しようとしている、という可能性も捨てきれない。

 尤も、それを丸々受け入れてしまうと、世界自体に意思がある事となってしまうため、厳密には世界に存在する『何か』か『誰か』が原因なのだろうが――

 

「……ッ!!」

 

 ふと、背後から何とも言い難い悪寒を感じ、リオレウスは背後を振り向いた。

 幼子も何かと思い同じ方へ視線を移す。

 そこで、

 

「……何ですか、アレ……」

 

 思わず呟いた幼子だったが、リオレウスの方もまた疑問を抱かずにはいられなかった。

 彼等の目の前にあったのは、一言で言えば紫色の――ナニカの塊だった。

 曖昧な表現なのは、その紫色のナニカは肉塊とも鉱物とも、ましてやリオレウスのように鎧のような姿をしているわけでもなければ、人のような姿でも龍のような姿とも言い難い――正しく『塊』と形容する以外に無い存在だったからである。

 その『塊』が、いつリオレウス達の背後に現れたのかは解らない。

 場に何らかの理由で『出現』した、というのが最も納得のいく説明だったが、そもそもその『理由』が解らない。

 そもそも、この紫色の塊の表面で蠢いているのは――生き物の、眼球……?

 

(……待て、この塊……まさか、成長しているとでも言うのか……!?)

 

 疑問を覚えた直後の事だった。

 紫色の毒々しい『塊』から、何かの生物の面影を残した無数の『首』が、リオレウスと幼子目掛けて迫って来た。

 まるで、捕食でもするかのように。

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!???」

 

 最早、考える暇も、竜の姿になるだけの猶予も無かった。

 リオレウスは幼子の手を取り、迷わずおぞましき『塊』から距離を取ろうとして――

 忘れていた。

 そもそも、自分達は『塊』を目撃する前に何を見ていたのかを。

 

「……っ!!」

 

 直後の出来事だった。

 揺れる水面のように歪む空間にリオレウスと幼子の姿が重なった瞬間、彼等の見る世界は一変した。


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