【凍結】ひとりぼっちのせんそう   作:帝都造営

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序章の冒頭・後編

 ――――西暦2022年2月28日。沖縄沖――――

 

 

 

「で? 海保の回答はまだか?」

 

 日航空母艦「日向」。航空機を運用するために設けられた広大なアングルドデッキはそれでも広さが足りないようで、小さなビルほどの大きさを誇る艦橋構造物を極限まで右舷へと追い詰めていた。

 そんな艦橋の奥、艦内戦闘指揮所(CDC)にて呟いたのは艦長職を務める海軍大佐。知ってのとおりこの大量の電子機器が組み込まれた空間はこの艦の頭脳であり、指揮を執るにはもっとも適した場所である。

 

「あぁっと……まだ来てないです」

 

 通信担当の曖昧な返事。当然艦長は顔をしかめる。

 

「もう二十分経ったぞ? 何をやってるのだ……」

 

「大方、いきなりの質問に慌てふためいているんだろう……なんせ質問者は海軍。それも主力の主力、機動艦隊からだ」

 

 ことの異常性、また重大性も理解してるんだろう。そう言って艦長を宥める片桐少将。しかし彼も余裕を持っているわけではない。言い終わってしまえばその口は閉ざされ、何かを思案するかのように固く結ばれる。

 

 

 

 哨戒機が『魚群』とやらを発見して早くも二十分。哨戒機の要請を受けて海上保安庁に魚の分布などを問合わせた第二機動艦隊の司令部は、只々報告を待ちわびていた。

 

 念のため問い合わせた潜水艦隊司令部からは、すでに”該当海域において活動中の潜水艦は存在しない”との返答を貰っている。まあ友軍潜水艦を『魚群』と勘違いするようでは海軍の恥さらしだ。まさかそんなことはないだろうとは思っていたが、その通りだったらしい。

 

 しかしとなると、一体全体『魚群』とはなんなのだろうか。不幸なことにこのCDC内に海洋生物に詳しい人間はいない。海保の回答しだいでは本当にただの魚群である可能性も否めなかった。

 

「……」

 

 しかし、だ。哨戒機からの映像はこちら(日向)でも確認済み。その映像を見る限りでは……とてもじゃないが海洋生物には思えないのだった。

 

「司令は、あの映像をどう思われますか?」

 

 艦長は少し迷ってから振り返り、そして片桐少将へと問いかけた。片桐は艦長の方へ目を向けると、しかしすぐに逸らしてしまう。

 

「……逆に艦長、貴様はなんだと考える?」

 

 質問を質問で返された艦長はやや戸惑ったが、その様子を見せずにすぐ答える。

 

「磁気探知機に反応しないにも関わらず、目視による認識が可能である。この時点で東側の未確認兵器である可能性はかなり低いと言えます。また広範囲に渡って分布するのを見る限り、民間によるものとも思えない……仮に民間のものであったとしても、それなら海上保安庁に届出があるはずです」

 

 

 東側の新兵器。その可能性はゼロではないし、仮想敵国による謀略を疑うのは至極当然の流れだった。ましてやこの艦隊(第二機動艦隊)の派遣理由は昨今激しくなってきている貨客船への破壊行為。これの犯人を突き止め、そしてこれ以上の被害拡大を食い止めるためである。この『魚群』とやらが東側の作り出した新兵器とすれば、これほど簡単な話はないだろう。

 

 だが果たしてその新兵器が、こうも簡単に見つかるものだろうか……いやありえなかった。貨客船の破壊行為に対する東側の発言は”無関与”の一点張り、ならばその新兵器を西側が発見できないという確固たる自信があるはずなのだ。

 だから、『魚群』は民間の新規事業かなにかなのでは? そう艦長は考えたわけだ。

 

 

「つまり、海上保安庁から返事があるまでははっきりしない……」

 

 違うか? そう言って片桐少将は艦長を再び見据える。

 

「……確かにそう、ですね」

 

「なら待とう。それしか手はない」

 

 そしてCDCは沈黙に沈む。

 もちろん、それは一瞬のことだ。

 

 

 

 入る報告。艦長はそちらのほうを見遣り、司令は制帽を被り直した。

 

 

「海保より回答がありました!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 軍組織というものに対して抱かれるイメージというのは、燃え盛る戦場や勇猛かつ筋肉隆々な軍人がロケットランチャーなどをブッ放すシーンなどだろう。

 

 だがしかし、その内実というのは案外細かく、また活動の域は多岐に渡る。何故か? 簡単だ。軍組織というのは国体の護持のために国家によって認められた暴力集団であり、即ち合法的な”殺し屋”である。その力が無闇に、ましてや守るべき国民に向けられる事態は許されない。

 

 ゆえに、軍組織ではなによりも規律が優先される。何十、いや何百項目に及ぶ内部規則や交戦規定。厳格に定められた指揮権やその序列。それは極限まで洗練された最新兵器と同じくらいに精密なシステムとして働かねばならない……部品が工業製品でなく人間である以上、設計図通りに動くかは怪しいものだが。

 

 

 ……とまあ大仰に言ってみたが、結局のところ言いたいことは一つ。

 

 上からの命令は絶対だ。

 

 

「……了解」

 

 そんな訳で司令部からの命令を受け取った哨戒機(Q-14C)の操縦桿を握る八洲中尉は、その命令に背く権利を持ち合わせていない。

 

「樋川、聞いたな?」

 

《もちろんですよ》

 

 確認すれば即座に耳に入ってくる声。彼の部下であり相棒である樋川少尉。Q-14C(うみどり)に課せられた対潜哨戒任務には欠かせない爆雷手。彼は命令を受け、その準備に入っているのであろうが……。

 

 八洲は迷った。今自身の中で渦巻いている嫌な予感を樋川と共有していいものかと迷った。不気味な『魚群』とのにらみ合いっこは終わり、待ちわびていた命令は来た。しかしそれは常識とは異なる命令だった。

 

「なあ、樋川……」

 

 別に上申するつもりはなかった。確かに八洲機は「日向」の常用艦載機ではない。地上配備の四五七空(第四五七航空隊)より貸し出されたものだ。現在自分らを指揮している片桐少将がどんな人物か、それを詳しく知っているわけではない。だが彼も同じ日本海軍の軍人。そして命令は一緒に理由も説明してくれるほどの丁寧さだ。上だって理解しているのだろう。

 だがそれでも。

 

「……ソナブイの投下なしでいきなり音響弾。おかしいとは思わないか?」

 

 音響弾。それは言葉通りの兵器だ。水中に落下し、高周波数の音を立てる。ただそれだけ。水中で聞き耳を立てるソナー士以外には全く無害な兵器。

 しかし攻撃的と言われれば、まあ否定はできまい。

 

《……でも司令部の言うとおり、アレにソナブイは勿体無いと思いますよ?》

 

 樋川は司令部の意向に賛成のようだった。いや八洲だって賛成ではあるのだ。間違いなくアレは潜水艦ではないわけで、海保からの情報によれば魚群でもない。民間のロボットという訳でもない。

 しかしそれでも、なんだか違和感があるのである。未確認のそれに接したのであれば、接触はもっと慎重にやるべきではないのだろうか。

 

 

 とはいえ命令は命令だ。多少の違和感は無視するしかない……そう思い直した八洲は、確かめるように操縦桿を握り直す。

 

 

「投下ポイントに移動する……ど真ん中にブチ込むぞ」

 

《了解っ》

 

 

 

 

 

 

 

 

 1990年代に就役し、長いこと日本海軍の主力を務めてきた村雨型駆逐艦。その七番艦「雷」。

 

 幾多の作戦に従事、長いこと一級線で活躍してきたこの(ふね)は今日も変わらず波を切り裂いている。

 背後には航空母艦特有の平べったいシルエット。ここ数年「雷」の仕事は「日向」の護衛であり、それは今日も変わらなかった。

 

 

「なんだと? 司令部にもう一度確認しろ」

 

 そんな古参艦の艦橋。毎日丁寧に磨かれている窓の奥では、小さな混乱が生まれていた。

 問合わせていたらしい士官が受話器を置くと、困った様子で佐官の方を見る。佐官の制帽の庇には金色の桜葉模様(スクランブルエッグ)。彼がこの場で唯一の中佐であり、即ちこの艦の長であることを示していた。

 

「間違いありません……「雷」及び「時雨」は艦隊より分離、海域の調査に向かえ……と」

 

「海域の調査……片桐閣下の目的はなんだ?」

 

 「雷」の艦長は訝しげに呟く。本来なら調査の目的ぐらい教えてくれてもいいはずだが、問い合わせてみれば”変わった魚群がいる”としか返されない。魚群の調査なんて測量艦でも担わない仕事、なにか裏があるに違いなかった。

 副長はその様子を黙って見ていたが、やがて口を開いた。

 

「艦長、CICに聞いてみますか?」

 

「ん? あぁ、そうだな。そうしてくれ」

 

 艦長はそう言い。副長が了解と小さく頷いて受話器を取り上げた。

 

「艦橋CIC、指定された海域で何かあった形跡は?」

 

 即座に反応が返ってくる。恐らくは向こうも同じことを考えていたのであろう。艦橋のスピーカーが砲雷長の声を瞬時に再生する。

 

《CIC艦橋、三十分ほど前まで二機艦(うち)哨戒機(うみどり)がフラフラしてたみたいです》

 

「それが『魚群』を見つけた、と……潜水艦か?」

 

 艦長と副長は顔を見合わせる。

 

「さぁ……分かりませんね」

 

 潜水艦なら脅威である。護衛の対象である空母にそれを近づけさせるわけにはいかない。米海軍なら潜水艦を追っ払うのは潜水艦であるのだが……悲しいかな、今の日本にはその潜水艦が圧倒的に不足していた。近海の警備と、そして戦略配置だけで精一杯なのである。従って潜水艦狩りも駆逐艦の仕事。

 村雨型はこの艦隊の中では最も旧式。つゆ払いを勤めるのは当然のこと。だから潜水艦を相手にするなら役が回ってくるのは理解できる。

 

 しかしだ。仮に潜水艦だとしたら、なぜそれを言わないのだろう。

 考えてみるが、まあ分かるはずがなかった。情報は無いに等しいのだ。

 

 

 

 ともかく、規定に従い「雷」並びに「時雨」は臨時編成の二一(にいいち)駆逐隊を編成。駆逐隊司令は「時雨」艦長に任せられ、この二隻は艦隊を離れた。

 

 ……これが「雷」最後の艦歴になるとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 




<架空兵器紹介>
・村雨(むらさめ)型駆逐艦
日本の保有する4000t級駆逐艦。2022年2月時点では同型艦十二隻。
今話登場の「雷」は七番艦。「時雨」は十番艦である。

※全く関係ない話だが、現実の海上自衛隊には”むらさめ型護衛艦”なるものが存在する。保有数は2016年4月時点で九隻。

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