緑の生い茂った森を抜け、獣道と言うには獣の足跡も何も無いただの道を歩いた先には、見晴らしの良い丘があった。
蒼穹が何処までも広がっていて、いくつかの入道雲が風景に溶け込み白い色を加えているのが見える。
竜を模した赤い鎧を纏った人間――では無いのであろう何者かは、まるでそれが自然体とでも言いたげに歩き続けていた。
少し前に飛竜の襲撃に対応していたわけだが、疲れや感慨の色は見えない。防具が顔を全て覆っている事もあって表情など窺う事は出来ないのだが、それを踏まえた上でも感情が希薄に見えて仕方の無い風貌だった。
ふと、彼は何を思ったのか歩みを止め、そのままの姿勢で声を発する。
「……で、何故付いて来てる?」
彼の意識は、自身の後方に向けられていた。
つい少し前、赤い色の飛竜に襲われ赤い色の別の飛竜に救われる――などと割と奇妙な体験をするハメになった革装備の幼子が、何を思ったのか彼の後方から付いて来ていたのだ。
尤も、その足取りは若干おぼつかず、自ら寄っていながらも恐がっているようだ。
助けた側の飛竜――実を言えばその当事者だったりする『彼』に向けて、その幼子は脅えを含んだ声で呼び掛けてくる。
「ま、待って……くださぃ……置いてかないで、くださぃ……」
「…………」
「さっき『
「知らん。とりあえず知らん」
キッパリと片手間レベルの適当さで言い放ち、歩みを再開させる赤い奴。
しかし幼子も健気なタイプらしく、おどおどした調子で後に続く。
「そ、それに、さっきあなたは竜の……多分
「不治の病だ」
「で、でもさっきは助けてもらって……」
「偶然だ」
幼子が言葉を発して問いを出す度に、鎧の姿な赤い竜は速筆の定型文を打ち出すような調子で受け流す。
が、その内容もどんどん雑になっていき、むしろ幼子の意志を強めさせていたりして、結果的に竜の言動は明らかに逆の効果を齎していた。
黄緑色の芝生を歩いていく内に、双方の距離は少しずつ縮まっていく。
ついに痺れでも切らせたのか、赤い鎧の竜は溜め息を吐くようにこう漏らした。
「……いつまで付いて来る気だ」
「ちゃんと事情を説明してくれるまで、ですっ」
「竜である事を解っていながら近付くのは、正直どうかと思うぞ。自然界なら軽く息の根を止められ幼竜の餌になる流れだという事は知覚しているのか」
「基本的に飛竜は大きな獲物を狙ってて、わたしたちみたいな体が小さい種族を自分から狙う事はしなかったと記憶してます。縄張りにさえ入らなければ、わたしたちにとっては
「……まぁ、草食の竜以外では縄張りに侵入した青い蜥蜴ぐらいしか歯牙には掛けていなかった気もするが……食おうと思えば骨ごと噛み砕いて丸呑み出来るぞ。今から試してみせようか? 小さき獣の肉は甘いと聞く」
「仮にもそれが出来るのなら、もうさっきの時点で食べられてました。それが無かったってことは、食べる気は無い……ってことですよねっ?」
「…………」
竜は黙り込み、数刻前の自身の行動に多少悔いを感じていた。
この幼子は、襲い掛かってきた赤い飛竜――の姿をした何者かとは違い、明確に『敵』と断言出来るような相手では無い。
容姿からも竜のように大きな力を持っている風にも見えず、殺すべき理由もさして浮かばなかったので見逃した。
自身の種の事を知っているのならば、本能的に恐れをなして逃げ出すのだと竜は踏んでいたのだが――予想外の方向に思考を回らせてしまったようだ。
危害を加えてくるわけでも無いので殺すべき理由も無く、ただ無視し続けていれば良かったのだが、ここまで追って来るとは――と、竜は二度目の溜め息を漏らす。
やがて受け流していくのも面倒になって来たのか、ようやく竜は立ち止まった。
同時に幼子も竜の目の前にまで回りこみ、上目遣いで見つめて来る。
「解った。解ったからそんな風にするな。気を削がれる」
仕方無いので、竜は腰を下して目線の高さを合わせる事にしたらしい。
その頭部を覆うヘルムの隙間から、面倒臭そうな調子の声が吐き出される。
「……で、何が聞きたいんだったか」
「えっと、まずわたしの姿がにんげんみたいになってるって所から……」
幼子がそう問いを切り出すと、竜は「その事か」と呟いてから、
「その事について返答する前に、一つこちらからも問いを出しておいていいか?」
「わかる事なら」
そう言う幼子だが、幼子からすれば何故自分が逆に質問されているのかが解っていない。
付いて来ている理由なら既に理解しているはずだが、詳しい事も何も知らない側の相手に何を問うつもりなのか。
幼子にそれを予想する事など出来ず、事実として竜の問いは予想を軽く超えてきた。
「では問わせてもらうが、お前は自身が既に
◆ ◆ ◆ ◆
そこには、まず生き物と呼べる存在が居なかった。
見える風景は全てに変化が訪れず、生命の息吹はただの虚像に過ぎない。
偽者だらけの世界に喚び込まれた『本物』達の姿もまた仮初めに過ぎず、全てが偽りの世界。
生者のいないこの世界で実行されるのは、ただの
正しいのか間違っているのか、一切定かでは無いままに進行される遊戯。
世界と言う名の牢獄に放り込まれた
森と丘で構成されたこの場所から大きく離れた所には、彼等とよく似た事情を抱える者達が居た。
「んん? 何だこの姿。何で人間みたいな姿になってるんだ僕?」
大粒の雪が風に乗って舞う極寒の山地では、全身各部に赤色の突起物が見える
咄嗟に体の動かし方を認識する過程で、その体から決して少なくない量の
(……以前の姿に戻っている……というか此処は何処だ?)
本来は人間が暮らしていたのであろう街中では、全身を悪魔染みた形相の黒い鎧で包み、その周囲に
その目元には、薄く赤色の
この世界の名前は、誰も知らない。
ただ、この世界に喚ばれた者達の間では、一つの呼び名があった。
何の理屈も解らず、入り口どころか出口さえ見えない、竜や獣達を縛る虚像――
この世界に、この物語に、人間は存在しない。
そんなわけでプロローグその2な第二話。赤い鎧の竜(いい加減に名前ぐらい出せや)による『この世界』のちょっとした説明回となりました。
まぁ、前回の話の最後ら辺を見て予想出来たお方も多少なり居たとは思うのですが、俗に言う地獄とか冥界とかそういうのに近い『死んだ者が向かう場所』が本作品の舞台となっておりまして。そりゃあ荒廃し尽くした大地ってのもありえそうですが、とある作品をリスペクトして風景も生き物も何もかもが偽者だらけの世界を舞台にしてみたわけです。
偽者だらけの中に引き込まれた本物達。彼等はこの『無幻』でどうやっていくのか。
何気に二体ほど主役クラスの竜を登場させていますが、それぞれ何の種族なのか察しはついたでしょうか?
では、次回もまた説明回に近い内容になると思われます。
感想、指摘、質問などあれば、いつでもお待ちしております。大歓迎です。
PS あの赤い竜の武器、自分はどれも大好きです。