トレインは自分よりも強い。
それも、圧倒的なまでに。
「不吉を届ける、だと? この私に? 大きく出たじゃないか、トレイン」
見た目こそ今の自分とさして変わらないというのに。
恐ろしく戦い慣れした、その戦闘経験値を得るために、どれほどの修羅場を潜ってきたのか。
その身を≪ダークマター≫で構成されたネメシスに、物理攻撃は効果が薄い。
例え四肢が欠損しようと、何度でも復元が可能なのだから、普通なら別の手段を取る筈なのに。
「腹の風穴は治さねぇのか?」
間違いない。
トレインは気付いている。
「おたくの再生能力、限界があんだろ? 俺の攻撃をくらう度に、再生速度が目に見えて落ちてる。その黒霧がおたくの≪
子細については分かってはいないだろう。
それでも、ネメシスの本質的な部分への理解が及んでることは明らか。
老獪のごとき考察力、つくづく外見との懸隔の激しい男だ。
「セフィに土下座して謝れ。二度とこんな真似はしないと俺に誓え。それが出来たんなら、今回に限っては見逃してやるよ」
「……ジョーダンじゃない。誰かを跪かせるのは好きだが、逆はあり得んよ」
「…………」
「それに、もう勝った気でいるとはな。メアを人質にでもして、私が降参するとでも思っているのか? 変身兵器であるこの私が? その気になれば、貴様の命など容易に――」
「あっそ」
メアを縛る≪ハーディス≫のワイヤーを取り外し、直後に発砲。
咄嗟に飛び退き躱すネメシスの両足に、トレインは≪
急速に凍り付いていく肢体に、ネメシスは自身の体を思念体へと切り替える前に。
胸を踏みつけ、苦悶の声を漏らす様などお構いなしに、マウントポジションを取ったトレインは、銃口をネメシスの額へ突き付けた。
「粋がんなよ三下。こちとらテメェ程度の再生能力持ちなんざ嫌になるほど相手にしてきたんだ」
≪ダークマター≫の闇すら呑み込みそうな、深淵のようなトレインの瞳。
叩き付けられる殺気に、ネメシスの体が竦んでしまう。
「三度は言わねぇ。地獄見るか、五体満足で逃げ帰るか。あまり俺を怒らせるな」
ネメシスには、逆転の手段があった。
自分の能力が黒霧化する≪
にも拘らず、ネメシスは動けない。
自分は、何時消えても構わない存在だと考えていたはずなのに。
生まれた時から常に死と隣り合わせだったネメシスが、初めて直面した、本物の死の恐怖。
常なら吐き出せていたはずの軽口は浮かばず、折れない筈の心が罅入っていくのを感じ、
「トレイン君!」
救いの声が聞こえたのは、そんな時だった。
霧散する殺気に乗じ、霧散させた≪ダークマター≫を黒刃へ変換。
飛び退くトレインには届かないが、そんなことは百も承知。
「すぐに逃げろミカン!?」
「えっ……?」
本当の狙いは別にあるのだから。
虚空を漂う≪ダークマター≫が、二方向へと伸びていく。
舌打ちしながらトレインは駆け出すが、それでは遅いと、ネメシスはほくそ笑む。
「形勢逆転だな」
セフィと美柑、それぞれの首元に突き立つ黒刃。
「なに、これ……?」
「……ごめんなさい、トレイン君」
動けないトレインを悠々と眺め、人質とした二人に近付く。
トレインを屈服させ、先程までの屈辱を晴らそう。
次々と思い浮かんでいく下劣な考えが、ネメシスの嗜虐心をくすぐる。
「小娘一人ならどうとでもなったものを。守りやすいからとセフィ王妃を逃がさなかったのは失策だったな」
人質となった二人を背に、ネメシスはトレインに向き直った。
「私に土下座しろ。永遠の忠誠を私に誓え。お前のような生意気な下僕を私好みに調教する、最高に面白い暇潰しになりそうじゃないか」
トレインが膝を折る姿は、想像するだけでゾクゾクする。
吐き出す吐息が熱を持ち、触れた頬は熱く、下腹部が僅かに熱を持つ。
ネメシスの目的は、セフィを殺すことで巻き起こるだろう銀河大戦の再発。
だが、当初の目的が霞むほどの執着心が、ネメシスの心に間欠泉のように沸き起こっていた。
トレインを従わせたい。自分だけのものにしたい。彼の全てが欲しくて仕方がない。
抑えようとも思えない感情が、ネメシスの表情を歪ませる。
「……はぁ」
その嘆息を、ネメシスは諦めと捉える。
武器である≪ハーディス≫を投げ捨て、それが己に屈した証だと笑みを深める。
だから、理解できなかった。
「だからお前は三下なんだよ」
顔を上げたトレインの双眸に、諦めの色はなかった。
「――――!!」
突然の衝撃。
ネメシスの顔面を撃ち抜き、間髪入れずに鳴り響く異音が、人質を捉える黒刃を打ち砕く。
仰向けに倒れ込むネメシスが見たのは、セフィと美柑を守護せんと庇い立つ、片腕でファイティングポーズを取るトレインの姿。
「俺の遠距離攻撃手段が≪ハーディス≫だけだと思ったのか?」
≪ソニックフィスト≫――。
銃器を持った相手に対抗するべく編み出された≪ガーベルコマンドー≫唯一の遠距離攻撃。
音の壁を突破した拳速が生み出す衝撃波が、遠く離れたネメシスの顔面を撃ち抜いたのだ。
勝利を確信したネメシスには、何が起こったのかすら理解できないが。
「喰らっとけ」
そして、そんなネメシスに、トレインは容赦はしない。
全体重を乗せたコークスクリューの拳撃。
≪ガーベルコマンドー≫、必殺の≪サイクロングレネイド≫がネメシスの体を貫く。
「だが、甘い!」
貫通したトレインの腕を掴み、確信するは勝利。
掴んだ腕に≪ダークマター≫が侵食していき、肌色から闇色へと染まっていく。
メアの≪
いかに強者と言えど、体を乗っ取ってしまえば意味はない。
「甘いのはテメェだ」
「ぐっ……」
「俺の体は俺のもんだ」
しかし、トレインはその更に上をいく。
≪細胞放電現象≫。
電撃がネメシスを襲い、≪
勝利を掴んだ筈が、握った指の間からすり抜けていく、直面するのは敗北の二文字。
仰いだ先に見たのは、この程度かと不敵に染まったトレインの表情で。
「な……め、るなぁああああああああああ!!」
その表情が、ネメシスの逆鱗に触れる。
「お前は私のものだ!!」
歪な独占欲が、運命を逆転させる。
引いていた侵食が止まり、徐々に、しかし確かに≪
果たして、勝利の女神はネメシスに微笑んだ。
押し寄せる一体感は、≪
精神空間を遊泳し、体中を駆け巡るのは圧倒的な全能感。
≪
敗北などありえない、そんな存在を支配した自分。
「……ははっ、やった! やったぞ! 私の勝ちだ! トレインが私のものになったんだ!」
もう何も恐くない。
「――――」
だがそれは、ネメシスが本当の恐怖を知らなかったからだ。
「……どういうことだ」
より深い一体感を求め、精神世界の更なる奥へと流れていった。
体だけの支配ではない、記憶を覗き、トレインの全てを知り尽くすため。
だが、忘れてはいけなかった。
「私は≪
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いていることに。
「お前は、誰だ」
精神世界が、悲鳴を上げる。
闇色の世界で、なおもその存在を主張する、二つの輝き。
金色のそれは、精神世界に視界が慣れるにつれ、その姿をハッキリと浮かび上がらせた。
暗色の髪。
金の瞳。
左鎖骨に刻まれた≪XIII≫のローマ数字。
同様のローマ数字が刻まれた大仰な装飾銃。
依代と見紛う、多くの共通点。
だが、目の前の存在とトレインは、決定的な違いがあった。
青年のような成熟した肢体、鋭く研ぎ澄まされた眼光。
そう、トレインをそのまま成長させた存在が、ネメシスの前に姿を現す。
「俺を飼い慣らせるのは、オレだけだ」
向けられた装飾銃の銃口が、光り輝く。
危険だ。アレは危険だ。絶対に食らってはいけない類のなにかだ。
本能が警鐘を鳴らし、理性が逃げろと叫ぶ。
でも、体が動かない。
それまでトレインから浴びせられた殺気がそよ風に思えるほどの、殺意の波動。
気付けば、熱い何かが頬を伝い、流れ落ちていく。
「≪
極光。
「――――ひっ」
暗転。
「ネメシス」
光が差す。
閉じた目を開き、見上げた先にあるのは青空。
そして、あどけなさを残す、自分と同じ金の瞳。
「お前の負けだ」
その瞳に映った自分の体は、消えかかっていた。
「……そうか……私は、負けたのか」
いつの間に精神世界から現実世界に切り替わったのか。
先程の光景は一体何だったのか。
だが、不思議と胸中は穏やかだった。
自分を構成する≪ダークマター≫が消えていく感覚に、ネメシスは己の消滅する未来を悟る。
元々、メアを依代として繋いできた命。
実体化すれば自然とエネルギーを消耗し、それが今尽きようとしていた。
「トレイン君っ、この人、体が……!?」
降り注ぐ陽光が、こちらを覗き込む顔によって遮られる。
「ミカン、と言ったか。すまなかったな、巻き込んでしまって」
「そんなことより自分の体の心配しなよ!」
「……別に、いつ消えても悔いはない。たまたま今日がその日だっただけだよ……」
「そんなの……そんなのって……!!」
自分らしくはないと思う。
兵器の自分が、人質に謝罪など。
だが、こんな自分にも悲しみ涙する美柑の優しさが、何故か心地よく思えて。
「ネメシスさん……」
「……メアは私に操られていただけだ。此度の一件、全ての責は私にある。だから、後生だと思って聞き入れてはくれないだろうか、セフィ王妃。メアのこと、よろしく頼むと」
「……お優しいのですね、ネメシスさんは」
つくづく、らしくない。
だが、その甲斐あってか、最後にいいものが見れた。
微笑を浮かべ見下ろすセフィの素顔は、それほどまでに美しかった。
「えっ、なにこの空気」
この男、最後くらい良い気持ちで終わらせられないのだろうか。
「お通夜ムードのとこ悪ぃけど、やることやらねぇといけねぇから。ほらお前等、どいたどいた」
犬猫でも相手にするようにしっしっと払うトレインを美柑とセフィが睨み付ける。
そんなことには一切構うことなく、トレインは真っすぐにネメシスを見下ろした。
「ほれ、ネメシス。早いとこ俺の体に憑依しろ。そうすりゃ、取り敢えずはなんとかなんだろ?」
何言ってんだこいつ的な感じでネメシスは見つめ返した。
「さっきの技、俺の体を乗っ取る系のか? なんでかは知らねぇけど、憑依は出来ても乗っ取ることは出来ねぇみたいだし、実際に食らった感想としては害もなさそうだから別にいいかなって。お前が死んだら、なんか俺が殺したみたいで寝覚めも悪ぃし。つか、自分死ぬからあの子をお願いって、重いんだよ色々」
好き勝手にほざくその抗弁。
嫌いじゃない、それどころか愛おしくすら思える。
「くくくっ……宇宙の転覆を図り、お前の大事な者にも手を掛けようとした私を生かすと? どこまでお人好しなのだお前は? 私を助ける理由などないだろうに」
「うるせぇ、負け犬は黙って勝者の言うことに従ってりゃいいんだよ」
「……何故そうまでして私を生かそうとする。所詮、私はメアと同じ
「
間髪入れずに、トレインは答える。
「姫っちも
それは、遠い昔の記憶。
まだメアの体を依代とする前、≪プロジェクト・ネメシス≫の結果偶然この世に生を受け、世界を認識してからしばらくした時だった。
≪プロジェクト・ネメシス≫は凍結、成功したのに失敗の烙印を押され、誰にも認識されぬまま幽霊のように研究所内を漂っていた時だった。
打算と欲望で満ち溢れた研究所で、そこだけは違った。
笑顔が、思い遣りが、純粋無垢な喜怒哀楽が溢れていた。
そして、その感情の中心には、決まっていつも同じ人間がいたんだ。
何故か惹かれた。暇さえあれば眺めていた。いつしかそれだけでは物足りなくなっていた。
どうして気付いてくれない、自分は此処にいる、だから気付いて、私を見て。
それが、いつの間にかトレインを自分のものにしたいという歪んだものへと変わったんだ。
金色の闇に、
「ああ……そうか……」
死んだと思っていた。
ティアーユと一緒に、組織に抹殺されたとものだと思っていたから。
思えば、あの時からだ、この世界がどうでもよく思えたのは。
こんな世界、いっそのこと滅んでしまえと、そんな破滅願望が、空っぽになった心に巣食う。
思念体に過ぎない、生きる意味も持てなかった自分にとって、彼は存在意義だったから。
「そうだった……そうだったんだな……」
でも、彼は生きていた。生きていてくれたんだ。
彼に会いたいと、見つけて欲しいと、自分だけを見て欲しいと、その願いは忘れていない。
いつ消えるかも分からぬこの身、それでも諦めず生きようと思ったのも。
必死に生にしがみ付き、メアの体に≪
全ては、彼のためだった。
生身の肉体を知ることで、完全な具現化の術を知ることで。
彼と触れ合い、言葉を交わし、気持ちを伝える術を、手にすることが出来た。
それだけで嬉しいと思えるほど、彼の存在は、完全に忘れられないくらい、大きかったんだ。
「答えなんて、聞くまでもなかった……お前は、そういう奴だものな……」
でも、無理だ。足りない。全然、これっぽっちも。
触れただけじゃ、言葉を交わしただけじゃ、気持ちを伝えても、満たされない。
彼の手で引導を渡される、それだけでも嬉しいはずなのに。
幸せに、笑顔で逝けた筈なのに、悔いなんて無いはずなのに。
それでも、消えたくないと。
彼を求める気持ちが、止まってくれない。
「そんなお前だから、私は……トレインが……」
もっと触れ合いたい。
もっと言葉を伝えたい。
もっと自分の気持ちを知ってほしい。
でも、素直になれない自分には、言葉にする勇気はなかったから。
彼を傷付け、追い詰め、怒りを買ってしまった自分には、そんな資格はないけれど。
それでも、伝えたかったから。
言葉にするのは憚られても、想うだけなら、神様だって許してくれる筈だと。
――だから、ネメシスは、トレインに伝えたいことがあります。
「……いいだろう。その要求、受けようじゃないか」
ありがとう、私を見つけてくれて。
あなたは私に生きる意味を与えてくれた。
喜びを、悲しみを、怒りを、楽しみを、感情を与えてくれた。
でも、私にはなにもないから。
返せるものをなければ、なにを返せばいいのかも分からないから。
だから、私の全てを、あなたに差し上げます。
生かすも殺すも、あなた次第。
その代わり、この命尽きるまで、あなたの傍にいさせてください。
いつか消えるその時まで、どうかあなたの心に寄り添わせてください。
「今日から私はお前のものだ、トレイン」
ネメシスは、トレインが好きです。
この身を全て捧げてもいいと思えるほどに、あなたのことが大好きです。
ネメちゃん「トレインとは主従関係を結んだ仲」
女剣士・ヤンホモ「!」
ネメちゃん「あと合体もした」
女剣士・ヤンホモ「!?」
ネメちゃん「そして身も心も一つになった」
女剣士・ヤンホモ「」
注)≪