「で、誰だお前」
日中だというのに、そこは光が殆ど届かない。
裏路地というには幅広い、そんな空間で相対した。
セフィを背に、装飾銃≪ハーディス≫を肩に置くトレインは、鋭い眼差しをネメシスへ向ける。
「…………」
「あ? なんだよ、だんまりか?」
「は、はっ……そうだ、奴が生きている筈がない……そうだ……そうに、違いないんだ……」
「おーい、人の話聞いてますかー?」
「……不愉快だ。こんな辺境の惑星まで来て奴のことを思い出すなど」
「人の顔見て不愉快ですって。ちょっとセフィさん聞きまして? 最近のお子ちゃまってホント躾けがなってませんこと。おいたが過ぎるようだし、懲らしめてやろうじゃありませんの」
「……あなたも最近の子供という枠組みに入っていると思うのは私だけなのかしら」
驚愕から一転、トレインと同じ金の瞳は隠すことのない苛立ちに細まる。
そのまま無造作に広げられた両手が、別々に変化。
刃だった右手は元通りの手に、左手が黒い霧のように朧げになって空気へ溶けていく。
「それ以上口を開くな紛い物。今すぐ私の前から消え失せろ」
予兆などまるで感じさせない。
突如発生した黒刃が、死角からトレインを串刺しにしようと襲い掛かる。
「なっ」
だが、無造作に翳された≪ハーディス≫が黒刃を阻んだ。
まさかの反応にネメシスの瞳が見開かれ、ギシリと憎しみに歯を食いしばる。
「……なら、これはどうだ!」
四方八方。
あらゆる角度から、黒刃はセフィさえも巻き込むようにトレインへ殺到。
躱せるはずがない。
必殺を確信したネメシスは、勝利の笑みを口元に刻もうとし、
「きゃっ」
次の瞬間、セフィの悲鳴を残し、トレインの姿が掻き消える。
「がっ!?」
轟音とともにネメシスの体が吹き飛び、周囲のガラクタを巻き込む。
セフィを肩に担ぎ、≪ハーディス≫を振り抜いた姿勢のまま、トレインはポツリと呟いた。
「……今度ザスティンに謝り直そう。勘違いで命狙われるとかマジ理不尽だわ」
手ごたえは十分。
骨の二、三本くらいは折るつもりの攻撃だが、これでも手心は加えたつもりだった。
勝負はこれで着いただろう。
そのため、トレインの意識は、既にセフィへと向けられていた。
「お、お強いのね」
「お前一応お姫様なんだろうが。護衛振り切って単独行動とか何考えてんだ」
「……ごめんなさい」
しゅんと落ち込むセフィに、追撃の言葉の代わりに零れたのは嘆息。
≪魅了≫の効かない異常事態は、それだけセフィにとって大事だったのだろう。
そして、そんな彼女を見て、トレインの中で芽生え出した、セフィとセフィリアの差異。
セフィが過去のセフィリアだったとして、彼女がこのようなポカを犯すだろうか。
なにより、セフィリアは独り身だったと記憶している。
セフィの声がセフィリアの同じだったためそれどころではなかったが、確か彼女は自分のことをララ達の母親だと名乗っていなかっただろうか。
セフィはセフィリアではないという推測は、トレインの中では確信へと変わり始めていた。
「ネメちゃんをイジメるな」
自分の体に影が差し、濃密な殺気が降り注ぐ。
「あの、トレイン君――」
「舌噛むぞ!」
飛び退き、直後に発砲。
直前まで居た場所に無数の刃が突き刺さり、威嚇射撃に相手は距離を置く。
油断なく見据えた先で、一つに結われた長い赤髪が揺れる。
「あはっ、凄い反応速度。まるで黒猫みたい」
無邪気に笑う少女の年は、ヤミと同じくらいだろうか。
好奇心に輝く瑠璃色の瞳に、尻尾のように揺れる赤毛のおさげ。
「また女かよ……」
「素敵なナイトさん。あなたのお名前、聞かせて欲しいな。例えこの後死んじゃったとしても、頭の片隅くらには留めておきたいもの」
「――私も聞かせて欲しいものだな」
ガラクタの山から出てきたネメシスには、傷どころか衣服の損傷すら見られない。
明らかに不自然。
しかし、不可能な芸当ではない。
ネメシスが赤毛の少女同様、≪
「一思いにと思ったが予定変更だ。この世に存在するありとあらゆる苦痛を貴様にくれてやる」
前方に赤毛の少女。
後方にネメシス。
「トレイン君……」
更には足手纏いが一人。
「厄日だ」
「両手には花。傍には傾国の美姫。羨ましい限りじゃないか、小僧」
「トレインだ。おいこらキチロリ、赤毛連れてさっさとお家に帰れ」
「見た目だけではなく名前まで……そうか、そんなに私の気分を害したいのか貴様という存在は」
「……ネメちゃん、今日はどうしたの? すっごく怒ってるみたいだけど」
「なに、昔を思い出しただけだよ」
「怒ってるネメちゃんも素敵だけど、いつものネメちゃんの方がもっと素敵だよ?」
「メア……」
「教えて? ネメちゃんはどうしたいの? ネメちゃんのお願いなら、私は何だって聞くよ?」
獰猛に、ネメシスは哂う。
「私はあの紛い物を消し去りたい」
「素敵。やっぱりネメちゃんはそうでなきゃ」
足元から突き立つ黒刃。
足捌きのみで躱すが、剣山のように次々と突き立つ剣製能力に終わりは見えない。
≪
今のネメシスに先程のダメージがある様子はなく、なによりも周囲を漂う黒い霧。
ネメシスの体から漂っていることから、黒霧が彼女の一部であることは間違いないだろう。
「黒猫くん! 私を忘れないでよ!」
通路を塞ぐように殺到する髪の剣群は、≪ハーディス≫だけでは捌ききれない。
かといって、片腕は
「セフィ!」
「何でしょう!」
「高い高ーい!」
「きゃああああ!?」
なら、取るべき選択肢は両手足による近接格闘。
上空へセフィを放り投げ、その間に両手足を使って剣群の全てを叩き落とす。
重心を沈め、意識を集中。
イメージするのは、拳で銃弾を弾き敵を制圧する格闘術。
「――――」
悪寒。
反射的に発動させた、≪細胞放電現象≫。
≪
轟音と閃光。
剣群を貫き、メアのすぐ傍を通過する≪
その威力は、≪
何が起きたのか、メアには理解が出来ないだろうから。
しかし、生き物としての本能が、先の攻撃の危険性を物語り、大して動いてもいないのに過呼吸のように息は荒く、滝のような冷や汗は止まることはなかった。
「と、トレイン君! あなたという人は、もう少し丁寧な扱いというものを――」
だが、脂汗を流すのは、落下するセフィの体に片腕を差し伸べ、体捌きで衝撃を受け流しながら抱き抱えたトレインもまた同じだった。
「あなた、腕が折れてっ」
「……どうしてくれんだよ。セフィが重すぎて、結果がこのザマだ」
「うぇ!? わ、私ってそんなに重かったの!」
「冗談だ、真に受けんな」
≪
少なくとも、この戦いの中では片腕は使い物にはならないだろう。
「まさか≪
だからこその、ネメシスの余裕。
幾らでも攻撃する隙はあったのに、それを行わない理由など、それ以外にはない。
全盛期なら絶対に侵さなかっただろうミス、平和ボケし過ぎだと、襲い掛かる激痛を歯を食いしばって耐え忍ぶ。
「例え髪の毛一本だろうと、触れてさえいれば対象の肉体、及び精神との融合を可能にする第2世代の≪
「……姫っちの親戚か。技術ってのは日々進化するもんなんだな」
「無駄口はそこまでだ、と言いたいところだが……姫っち、だと……!?」
驚愕に見開かれたネメシスの双眸が、直後には歓喜の色に染まる。
「は、ははっ、はははははははは!? 生きていたか!! 生きていたのかトレイン!!
両掌を顔に沿わせ、全身を悦びで染め上げる。
裏路地に響き渡る狂笑に、セフィは身を固くし、トレインはネメシスにヤンホモと同じ匂いを感じ取って絶望するのだった。
「ドクター・ティアーユと一緒に死んだと思っていたが……そうか……死んでなかったのだな」
だから、気付けなかった。
俯いたネメシスから、透明な雫が零れ落ちたことに。
こいつヤンホモと同類なんじゃねぇのか――そんな恐怖と戦っていたからこそ。
肩を震わせ、僅かに漏れ聞こえる嗚咽に、トレインは気付くことはなかった。
「生きていて、くれたんだな……」
トラウマに凍り付いた思考が、生き延びるべく高速で働いていく。
触れた相手の肉体を支配するメア。
自身の肉体を霧状に変換させるネメシス。
後者については憶測だが、これまでの攻防から物理攻撃は効果が薄いとみていいだろう。
ただでさえ数で不利なうえに足手纏い付き、更に相性まで最悪ときた。
本当に今日は厄日だと、トレインは顔を俯かせる。
「トレイン君、逃げなさい」
凛とした声音に、しかしトレインは顔を上げない。
「彼女達の狙いは私。足手纏いのいない状態なら、あなたなら逃げ切れるはず。さぁ、急いで」
なおも顔は上げず、横目で伺ったセフィの腕は、震えていた。
トレインの逃亡は、即ちセフィの死を意味している。
そんなことが分からないセフィではない筈なのに、自分の身よりもトレインの心配とは。
「なんで俺がお前の命令に従わなきゃいけねぇんだ」
「トレイン君! 私はあなたが――」
「誰も俺の目の前で、殺させはしねぇ」
数は不利。
足手纏い付き。
相性は最悪。
だからどうした。
「俺が届けるのは幸福だ。見殺しなんて不吉、ララ達に届けるわけねぇだろうが」
いつだって数はこちらが不利。
市街戦になれば、住民という足手纏いはそこら中にいた。
相性など、有利だったことの方が少ない。
「俺は負けねぇ。絶対に勝つ。だからセフィ、下らねぇこと言ってねぇで黙って見てろ」
だから、何時ものことだから。
「トレイン君……」
眦に浮かんだセフィの涙を、トレインは拭い取る。
他人の空似であろうと、セフィとセフィリアが別人であろうとも。
誰かのために涙を流す、そんな心根の優しさは、同じだから。
不敵な笑みを顔に刻み付け、顔を上げ、心配すんなとセフィを見詰めた。
「茶番は終わりか?」
ぞっとするほど、ネメシスの声は冷え切っていた。
先程トレインへ向けられていた以上の感情をセフィへと向ける。
大切な玩具を他人に盗られた、そんな表情を浮かべて。
「待ってくれてありがとさん」
「ふん、今更なんだ。命乞いでもするつもりか? 今なら特別に下僕にしてやらんこともないぞ?」
「悪ぃが、今の自由気ままな野良猫ライフが気に入ってんだよ。せっかくの誘いだが、お断りだぜネメシス」
「それを聞いてなおのこと従わせたくなったぞ、下僕候補」
「あんま調子に乗ってっとお兄さんお仕置きしちゃうぞ、キチロリ」
≪ハーディス≫のシリンダーを外し、内蔵された弾丸全てを取り出す。
地面に転がり奏でる金属音に、何をするつもりかとネメシスは訝しむ。
片腕が使えないため、≪ハーディス≫を上へ放り投げ、漁った懐から取り出すのは、それぞれが赤と青に塗り分けられた二種類の弾丸。
その数、赤が一発、青が五発。
その全てを≪ハーディス≫のシリンダーに装填。
「痛いのは最初だけだ。すぐに気持ちよくしてやんよ」
「できるものならな!」
全身から黒霧を吐き出し、トレインとセフィを囲い込もうと向かってくる。
セフィを抱えての守勢か、彼女を放置してからの攻勢の二択しか取れない現状、セフィを巻き込む範囲攻撃は最も有効。
一度でも攻められればそのままジリ貧になるのは明白。
なら、その前にこちらから仕掛ける。
「そいやっ!」
叩き付けられる煙幕玉。
裏路地を覆い尽くす煙幕が視界を奪い、標的を失ったネメシスの黒霧の動きが一時的に止まる。
「ぉ――」
「≪
何かを言いかけるが、その暇すら与えない。
一足で肉薄し、叩き込まれる黒猫の爪。
手ごたえはあったが、打撃部位の損壊が瞬く間に塞がっていく。
物理攻撃の効果が薄いのは百も承知。
だが、苦悶に歪むネメシスの表情から、痛みが存在しない訳でもない。
事実、黒霧へ粒子化しない部分への攻撃には、確かな手ごたえが存在するのだから。
「≪
故に、一気に畳みかける。
描くは十字。
≪オリハルコン≫と呼ばれる特殊金属で構成された≪ハーディス≫による二段攻撃。
吹き飛ぶネメシスに、トレインは容赦なく銃口を向けた。
「おまけだ」
爆裂。
吹き飛ぶネメシスの腹部を射抜く弾丸が小規模ば爆発を巻き起こした。
特殊弾、≪
正史ならば相棒の発明品なのだが、彼の運命を変えたのは他ならぬトレイン。
試行錯誤の末、開発に成功したトレインの技術力がとうの昔に相棒を凌駕していることに、彼が気付くことはなかった。
「……さてと」
目指すは各個撃破。
だが、ネメシスの攻略法が浮かばない以上、あくまでも彼女に採れる手段は足止めのみ。
獲物を狩ろうと爛々と輝く黒猫の瞳は、最初に狩るべき標的を捕捉。
視界はなおも最悪だが、煙幕越しに体を固くするのを気配で捉えた。
「っ!?」
予め動くなと命じたセフィを隣になった時、ようやく視界が晴れてくる。
果たして、そこにいたのは体を震わすメア。
先の≪
毒がゆっくりと体中を回るように、文字通り必殺技たる威力を秘めた≪
セフィを一人残したのは、メアが恐怖で動けないという確信があったからに他ならなかった。
「く、来るな!?」
悲鳴と一緒に、髪を剣状に≪
対し、トレインは真っすぐ≪ハーディス≫を向け、引き金を引いた。
「なっ」
特殊弾、≪
着弾と同時に拡散する冷気が、≪
≪
よって、ナノマシンの活動を止めてしまえば、≪
呼吸をするように行なえていた≪
「う……わあああああああああ!?」
右手、左手、右足、左足。
武器形態へ≪
「あぐっ!?」
凍結した四肢ごと、≪ハーディス≫から伸びたワイヤーがメアを縛り上げた。
拘束から逃れようと抵抗するが、当然解ける訳もなく。
ならばと凍結から逃れた部位を鋭利な形状に≪
「ど、どうして……」
「悪ぃが、ワイヤーも特別性なんだよ」
ナンバーズ≪VII≫、ジェノス=ハザード 。
彼の武器である≪エクセリオン≫とトレインのワイヤーは、同素材で出来ている。
数ミクロン以下の極薄刃であるヤミの≪ナノスライサー≫ですら切断できない≪オリハルコン≫製のワイヤーに捕らえられたメアに、逃れられる術は残されていなかった。
「くっ……殺せ!」
「何故にくっ殺。お兄さんはおたくの将来が心配です」
「私は兵器だ! 死なんて恐れない! お前なんか全然怖くない!」
そう言って声高に叫ぶメアが強がっているのは、誰の目にも明らかだった。
メア自身も、それは理解せざるを得ない。
初めてなのだ、トレインのような格上と相対するのは。
自分の力がまるで歯が立たないのも、為す術もなく追い詰められるのも、身の竦むような殺気を浴びせられるのも、≪赤毛のメア≫として生きてきて、初めての経験だから。
未知の感情に振り回され、必死に自分を奮い立たせるメアの眼前に、トレインは銃口を向ける。
「じゃあ死ねよ」
セフィの静止の言葉も。
迫り来る死に目を瞑るメアも。
全てを無視して、トレインは≪ハーディス≫の引き金を引く。
――カチン。
響いた音は、しかし撃鉄を叩く音だけだった。
「ありゃりゃ、そういや全弾撃ちきったんだった」
呑気に呟くトレインの前で、メアは力なくへたり込む。
≪ハーディス≫の装弾数は六発。
ネメシスに一発、メアの髪と四肢にそれぞれ一発ずつ。
銃を扱うトレインがそのことに気付かない訳もなく、それは余りにも白々しい演技だった。
それでも、メアが感じた恐怖は、そのことに気付かないほどに、あまりにも深く強大で。
「随分と怖がりな兵器なんだな」
「……っ!!」
「兵器ごっこなら他所でやれ。死ぬことにビビってる今のお前を兵器だと思う奴なんていねぇよ」
心の折れる音が、聞こえた気がした。
攻撃手段を削がれ、体を拘束されたメアに、残された手立てはない。
殺気を霧散させたことで極限状態という緊張から解放された影響か、倒れ込んだメアは気を失ってしまった。
「さて、続きと行こうかネメシス」
空になったシリンダーに次弾を装填していく。
赤、青、通常弾。
六つの穴を埋め尽くし、ゆっくりとトレインは振り返る。
ネメシスは満身創痍だった。
纏っていたドレスはボロボロで、褐色の肌が見え隠れし、腹部には大きな風穴が。
既に表情に余裕はなく、悔し気な歯軋りが妙に大きく聞こえた。
「化け物め……!!」
「今頃気付いたか小悪党。ご褒美にプレゼントをやろう」
触れてはならぬ、禁忌を犯したのだと。
ネメシスが、メアが踏んだのは、ただの野良猫の尻尾ではない。
不吉の名を冠する元≪
「不吉を届けに来たぜ」
守護する者には幸福を。
だが、そんな彼女等に仇なす者へ届けるのは、受取拒否のできない不吉なのだから。
女剣士・ヤンホモ「
主人公「」
注)