「今すぐこの男を追い出してください! この男はいい年して女の子と一緒にお風呂に入る変態です!」
「頭洗うのにビビってたから俺が洗ってやったんだよな。懐かしいぜ、確か姫っちが生まれたばっかの頃だっけ。あっ、目に入っても痛くないシャンプーって今も使ってんの?」
「あ、朝一に女の子を抱きしめる変質者なんですよ!」
「そういや一人じゃ眠れないの、いい加減治ったのか? 夜に怖いからってトイレまで付いていくのはもう嫌だからな」
「ひひっ、人の食べ物を取り上げる悪魔の戯言に耳など――」
「姫っち、好き嫌い多過ぎだぜ。毎回俺の皿に嫌いなもん入れるの止めろよ。まぁ、俺はたくさん食えるからいいんだけどさ」
「ち、ちち、ちっ、小さな子供に暴力を振るう性格破綻者が何を……!」
「失礼な。大体、お前から求めてきたんだろうが」
「ヤミちゃん……」
「ちっ、違います!? この男の言葉を真に受けないでください! 全て出鱈目です!」
「毎日毎日、嫌がる俺に姫っちは執拗に迫ってきたんだ。もう一回、次こそはと、何度も何度も……」
「…………」
「誤解です! トレインもいい加減なこと言わないでください!」
「で、実際のところはどうなの?」
「事ある毎に喧嘩吹っ掛けてきて、毎回俺が適当にあしらうからムキになって何度も襲ってきた」
「なるほど」
「貴方達は……っ!!」
ヤミと大喧嘩し、和解してから時間が経ち。
彩南町の外れ、奇怪な雰囲気の洋館は夜半にも関わらず賑やかだった。
「にしても、まさかリョーコがティアの知り合いだったとはな」
「私もビックリしたわ。なんとはなしに夜の散歩に出てみれば、ヤミちゃんと一緒にあなたがいたんだもの。ティアからよく話を聞いてたから、トレイン君だって一目で分かったわ」
「へぇ、ティアから。ちなみにどんな話だったんだ?」
「ふふっ、内緒」
羽織ったガウンから覗くのは、今にも零れ落ちてしまいそうな巨大な双丘。
熟れた肢体を惜し気もなく晒す妙齢の美女、彩南高校の養護教諭を務める≪御門涼子≫は、クスクスと口元を綻ばせる。
「年頃の男女が一つ屋根の下なんて、そんなことは私が許しません!」
「あら、トレイン君がそんな節操なしだったら、ティアも襲われてると思うんだけど」
「どっちかっつーと俺の方が襲われたわ。あんにゃろう、どこでも構わず転びやがるからな」
「死人以外ならどんな病気も治せるつもりだけど、あのドジッ娘気質は私でも治療できないの。ごめんなさいね、トレイン君。ティアの友人として謝るわ。あの子の相手、大変だったでしょ?」
「リョーコは話が分かるぜ。安心しろ、住まわせてくれるお礼じゃなくても、リョーコを狙う奴は俺がぶっ飛ばしてやるからな」
「よろしく頼むわね、小さなナイト君?」
「おう、任せろ!」
「私を無視して話を進めないでください!」
空気を読まない、敢えて空気を読まないマイペースコンビの舵取りは相当な負担なのか、早くもヤミの息は荒くなっていた。
「どうして御門涼子のところに住まうなどということになるんですか! 居住場所なら私の≪ルナティーク号≫があります!」
「ごめん、俺宇宙船だけはホント駄目なんだ」
ヤミとの争いの発端、唐突にトレインが消息を絶った原因。
研究所内で迷子になりそのまま偶然乗り込んだ宇宙船で辺境の星に、というのが真相だったり。
地球に流れ着くまでの顛末は割愛するが、二度と宇宙船なんぞに乗るかというのがトレイン談であり、付き合いの長いヤミでさえ見たことのないクソ真面目面が謎の説得力を発揮する。
説得が無理と悟り歯軋りをするヤミと、そんな彼女の初めて見る顔を楽し気に傍観する涼子。
「な、なら私も此処に住みます!」
「いや、リョーコに迷惑が掛かるだろ」
「既に迷惑を掛けてる身で何を偉そうに!」
「勝手に話を進めるのは感心しないけど……別に構わないわよ、部屋はまだまだ余ってるし」
「悪ぃなリョーコ、うちの姫っちがワガママばっかり言って」
「いいのよトレイン君、気にしないで」
「……何でしょう、この釈然としない気持ちは」
こうして、御門涼子の洋館に二人の新しい住人が仲間入りするのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
「さっ、脱いでちょうだい」
「……おたく、ショタコンだったの?」
唐突の脱衣宣言に、トレインは身の危険を感じ後ずさった。
「私が気付かないとでも思った? ヤミちゃんが宇宙船に荷物を取りに行っている間にさっさと治療を済ませちゃいましょ。左腕、完全に折れてるでしょ」
「…………」
「大丈夫よ。誰にも言わないから」
観念したのか、左手に嵌めた手袋を脱ぎ捨て、露わになる左手首は時間が経過していたからか、紫に色に変色し、醜く腫れ上がっていた。
こんなになるまで放置など普通なら説教コースだが、涼子は淡々と治療を進めていく。
「≪
「……お喋りめ」
「同じ不器用者同士、お相子でしょ? そんな大技なんて使わなくても、あなたの腕ならヤミちゃんを無力化する方法なんて幾らでもあっただろうに」
口を閉ざすトレインを一瞥すると、涼子は徐に口を開く。
「≪アークス流剣術≫、≪エルヴァルト槍術≫、≪無双流≫、≪ガーベルコマンドー≫」
ピクリと肩を震わす姿に、涼子の唇が弧を描く。
そんな彼女を見上げるトレインの瞳は、ぞっとするほどに鋭利で冷たい。
空気が急速に張り詰め、冷え切っていく。
「……あんた、本当にただの医者か?」
「ええ。ちょっとだけ物知りで、色んな組織から狙われて、ドクター・ミカドなんて呼ばれてる、そんなどこにでもいるただの闇医者」
「…………」
「逆に質問するけど、あなたって本当に何者なの? 自分の意思で≪細胞放電現象≫を起こし、宇宙一の殺し屋と謳われる金色の闇にただの地球人の子供が勝つなんて、一体誰が信じるのかしら」
正史ならば最強の抹殺人と恐れられる≪
表面上こそ笑みを浮かべる涼子だが、先程まで淀みなく振るわれていた指先が僅かに滞っていることに、トレインは気付いていた。
住居の提供に無償の治療行為。
恩を仇で返す訳にもいかず、嘆息とともに圧を霧散させる。
「ふふっ、ゾクゾクしちゃった」
「一々言動が卑猥なんだよエロ医者」
「そういう一面もあるのね。だとしたら嬉しいわ、身も心も曝け出してくれるなんて」
「……今からでも姫っち説得して追い出すか」
「手遅れだと思うわよ」
「……俺もそんな気がしてきた」
腹の探り合いは終わり、治療も終盤。
あれほど酷かった腫れも平常に、肌色も健康そのもの。
簡単な応急処置程度の知識があるからこそ、此処まで完璧な処置を行う涼子の施術に、トレインは内心唸るしかなかった。
「ティア、今でも元気なのかしらね」
「……分かんねぇ。でも、どっかの星で元気にやってんだろ」
「随分と彼女を信用してるのね。なんだか妬けちゃうわ」
「言ってろ」
「ふふっ」
「……あの天然が、自分の娘残してくたばるわけねぇよ」
「……そうね……きっと、そうよね」
「ったりめぇだ」
治療が終了したのか、患部を包み込むように触れられても、痛みは全く感じない。
お礼を言おうと顔を上げれば、涼子の瞳は真っすぐこちらを向いていて。
離せと手を引こうとすれば、それを拒むように強く、より強く握り込められて。
「……あなたの気が済むまで、此処にいていいから」
強かな彼女は、そこにはいなかった。
「私も、一秒でも早くティアを見つけ出せるよう頑張るから」
友人を心配し、無事だけを祈る、友達想いの優しい女性が、窓から差し込める月明かりに照らされ、慈しむような慈愛の眼差しでトレインを見詰める。
気付けば浮かんでいたのは作り笑いではない、心の底からの笑顔で。
「世話になるぜ、リョーコ」
「歓迎するわ、トレイン君」
夜は、静かに更けていく。
◆ ◇ ◆ ◇
「ぷはぁ! やっぱり風呂上がりの牛乳は格別だぜ!」
髪を湯で湿らせ、首にタオルを掛け、腰に手を当て、コップに注いだ牛乳を一気飲み。
この一杯の為に生きていると言っても過言ではないとはトレイン談。
「トレイン」
唐突に響いた幼声。
闇に浮かび上がるように、白い肌と金髪、真っ赤な瞳がこちらを見据える。
胸に抱いた紙袋からは、ほんのりと甘い香りが漂っていた。
「お、姫っち帰ってきたのか」
「はい」
「姫っちも飲む?」
「……いただきます」
コクリと頷くヤミに、トレインは自分の飲んだコップに新しい牛乳を注ぎ込む。
「あ、あの……」
「ん、どったの?」
「いえ、その……なんでもないです……」
言いよどむヤミに首を傾げつつ、トレインは並々と牛乳が入ったコップを差し出す。
恐る恐る受け取り、視線が何度もコップとトレインとを行き来する。
薄暗い中でもハッキリ分かるほど紅潮する頬が、実に印象的で。
「で、では……いきます」
「牛乳飲むのに何故それほどの覚悟が必要なのかは知らねぇが……おう、召し上がれや」
横一文字に引き結ばれた口が、僅かに開口する。
コップの淵に口付け、白濁した液体がヤミの喉へと流れていく。
コク、コクっと鳴り続ける喉音が、静まり返った洋館に響き。
最後まで飲み干し、淵に残った一滴さえ舐め取ると、ほっと息つく間もなく黙り込む。
大事そうにギュッと胸に抱いたコップはただの市販品なのに、まるで唯一無二の宝物みたいで。
「……ぉ……美味しかった、です」
「おう、そりゃあ良かったぜ」
「……はい」
消え入るような声は、反響することなく掻き消えた。
かと思えば次の瞬間、俯いたままのヤミは、胸に抱いた紙袋をトレインへ突き出す。
「そ、その……これ、どうぞ……」
「食いもんか!」
「……たい焼きです」
「サンキュー姫っち! ちょうど腹減ってたんだよ! いやっほーい!」
飛び上がって喜び、嬉しそうにたい焼きを頬張るトレインの姿に、ヤミの表情が綻ぶ。
二人はそのままソファに腰掛け、揃って食事をスタート。
バクバクとチビチビという咀嚼音以外に会話はなく、パンパンに膨らんでいた紙袋は、徐々にその膨らみを失っていく。
ヤミが話し掛けたのは、残すたい焼きが後一つになった頃だった。
「……トレイン」
「
「その……実は、こんな夜中なので、行き付けのたい焼き屋が閉まってまして」
「
「あ、あの、ですね……そ、その店のたい焼きは、その……大変、美味しく……」
「
「で……ですので……」
「
バッと、ヤミは真っ赤になった顔を上げた。
「こ、こここっ、今度私と一緒に――!!」
バッと、トレインはヤミの抱いているコップを奪い取り、水分摂取のため流し台に急行。
「し、死ぬかと思った……」
死因がたい焼きの食い過ぎによる窒息死とか洒落にならん。
簡単な水洗いの後にコップを乾燥機の中に入れ、振り返った先でトレインは奇妙な光景を見た。
「…………」
口はパクパクと酸欠寸前の魚のように、顔色は深層から打ち上がった真鯛のように。
ヤミの謎の行動に、魚に味噌汁に白米と、懐かしの日本食が恋しくなったトレインは、今度涼子にお願いしてみようと決意するのだった。
「悪ぃ、姫っち。行き付けのたい焼き屋が美味くて、それがどうしたって?」
「……いえ、なんでもないです」
ズゥーンと沈み込むヤミに、トレインは声を掛けた。
「でも、久しぶりだよな。こうして一緒にメシ食うの」
「……ごめんなさい」
「姫っち?」
深々と、ヤミは頭を下げた。
「私はあなたに刃を向けました。その命を殺めようと凶器を振るいました。心の鼓動が止まってしまえと思いました。そんな私が今この場にいるのは、トレインに言わなければいけないことがあったからです」
淡々と紡がれる謝罪の意。
「ごめんなさい。許してくれとは言いません。そんな厚顔無恥なつもりもありません。先程は御門涼子に此処に住まわせて欲しいと要求しましたが、それは取り消させてもらいます。今すぐ此処から立ち去ります。この星からも出ていきます。もう二度と、あなたの前に姿を現したりなどしません。そんな資格、私にはありません」
でも、すぐに声が震えてきたのが分かった。
でも、すぐに肩が震えているのが分かった。
でも、すぐに手が震えているのが分かった。
「未練がましい私が望んだ愚かな願い……あなたの耳に届かなくてよかった」
その言葉を最後に、ヤミは踵を返す。
透明な雫が月明かりに照らされ、幻想的な美しさを奏でる。
生体兵器が、宇宙一の殺し屋が、化け物が、自分はターゲットを殺し損ねたことはないという自負を無視し、己の意思で選んだ苦渋の決断。
月明かりの届かない暗闇へ消えゆくヤミの手を掴んだのは、自分と同じ幼い手だった。
「悪いんだと思うんなら、此処にいろよ」
振り払おうとする手を、より強くトレインは握りしめた。
「自分だけで自己完結すんのか。ごめんなさいしてそれでお終いってか。償いもせずに逃げ失せる方がはるかに厚顔無恥なんじゃねぇのか」
掴んだ腕から伝播する震え。
嫌々と全力で振り解こうとするも、トレインの手が離れることはない。
強引に振り向かせた時、トレインが見たのは、赤い瞳から涙を流すヤミの顔だった。
「でも、私は……!」
「粋がんなよ。力の扱いも満足に出来ねぇ奴が俺を殺す? 出来るわけねぇんだよそんなこと」
「私は嫌なんです! この力が! 私の身に宿った異能が! あなたを傷つけてしまったかもしれないということが! 自分の全てが怖くて仕方がないんです!」
「…………」
「私は生体兵器です! 私は殺し屋です! 私は化物なんです! そんな存在があなたの傍にいていいはずがない! そうに決まってます! そうに違いないんです!」
真っすぐ、反らされることのない、金色の瞳。
赤い瞳が見返す中、懐から取り出した装飾銃を、トレインは遠くへ投げ捨てた。
かと思えば、掴んだヤミの腕を胸の前に引き寄る。
突然の行動に瞠目するヤミに、トレインは平坦な声で語り掛ける。
「殺れよ」
「……え?」
「どうした。今なら殺り放題だろ。俺は丸腰で、≪ハーディス≫も拾える距離じゃねぇ。指先だけを≪
普段の温かな笑顔はない。
深淵を覗き込むように、冷酷でほの暗い金の双眸に、ヤミの体が震える。
「生体兵器ならできんだろ。殺し屋なら殺る時に躊躇すんなよ。化物なら罪悪感なんざ感じる必要はねぇ」
「ぅ……ぁっ……」
「ほら、どうした。あんだけ能書き垂れといて出来ねぇのか」
叩き付けられる殺気、迫られる殺人行為。
自分が殺す側なのに、まるでこちらが命を握られているような錯覚。
生体兵器としての、殺し屋としての、化物としての本能が、全力で警鐘を鳴らす。
今すぐ殺せ、迷うな、一思いに、さもなくば殺されるのは自分だ。
「…………ぃ…………ゃ、だ」
それでも、例え自分が殺されるようなことがあっても。
「……殺したく、ない」
トレインには、死んでほしくないから。
「私は、もう……誰も殺したくないっ」
下した想いに、縫い止められていた体が応えてくれる。
あれだけ固く握られた手は容易に解け、直後に被さるぬくもり。
抱き締められているんだと、ぼやけた頭が遅れて理解する。
「生体兵器としても中途半端。殺し屋としても中途半端。化物としても中途半端。だったら、こうして殺すことを迷っているのは、人としても中途半端だからだよ。生体兵器でも、殺し屋でも、化物だったとしても、人であることには変わりはねぇ」
トレインは、あたたかかった。
「此処にいろ。ゆっくりでいいから、少しずつ人間になっていけばいい。だから、此処にいろよ」
だから、掴んだぬくもりを離さないよう、ヤミは力一杯抱き締めた。
「私は、この星にいていいんでしょうか」
「星に住むのに必要なものってなんなんだろうな。住民票?」
「私は、此処にいていいんでしょうか」
「リョーコがいいって言ったんだからいいんじゃねぇの?」
赤色と金色の視線が交差する。
涙で濡れた瞳が、可笑しそうに笑うトレインの姿が映す。
「私は、トレインの隣にいても、いいんでしょうかっ」
「俺は姫っちにいてほしいぞ」
返すトレインの言葉に、迷いはなかった。
「……トレイン」
「ん?」
「今回買ったものとは違う、行き付けのたい焼き屋があります」
「おう、それで?」
「そこは餡子がぎっしりで、くどくなくて、とても美味しいたい焼きが食べられます」
「そいつはぜひ食ってみてぇな」
「はい。なので、私から提案があります」
心の底から、ヤミは微笑んだ。
「今度、私と一緒に食べに行きませんか?」
「もちろん」
誰がどう見ても、今のヤミは人間の女の子だった。
作者の気分転換で始めた本作。
最近トレインのヒロインをどうするかで悩んでいるんだけど、何故か毎回ヤンホモの影がチラつくのは、作者が疲れているからなのだろうか。