「美柑ちゃんは好きな男の子っていないの?」
空気はジメジメ、肌はベトベト、気分はドンヨリ。
その上、美柑が最も苦手とする話題の前兆に、気持ちは更なる落ち込みを見せる。
「何度も言ってるけど、いないものはいないよ」
「そうそう。美柑には素敵なお兄ちゃんがいるから。いつも騒いでるお子様な男子なんて眼中にないもんな」
「ちょ!? だ、だからリトはそんなんじゃ――」
「この前も大好くんや小菅くんにラブレター貰ってたもんね。良いなー、私も一度でいいから美柑ちゃんみたいにモテモテになりたいなー」
「マミじゃムリムリ。なんてったって美柑は魔性の女なんだから。マミみたいなお子様じゃなくて、せめてあたしくらい大人っぽくないと」
「……サチちゃんはおませさんなだけじゃない」
「なんだとー!」
「きゃー!?」
学校からの帰り道。
追いかけっこを始める友人、サチとマミを尻目に、見上げた空には分厚い八雲。
大量に貯め込まれた水分は、今にも自分達の頭上に吐き出されてしまいそうだ。
同時に、ここ最近胸の内に溜めこまれた悩みについて、どうしようかと溜息を零す。
「……なんて言って謝ろう」
思い出すのは数日前、セフィが地球に来訪した日。
迷子になった彼女を探し、ようやく見つけた時、巻き込まれたトラブル。
リトのようなエッチなとらぶるではない、命を奪い合うような本物のトラブル。
トレインに助けられ事なきを得て、本来ならばお礼の言葉の一つでも紡ぐのが当たり前なのに。
温泉地での一件では、恩を仇で返すような仕打ち。
「……嫌われちゃったかな」
言った途端、鼻の奥がつんとした。
ランドセルの肩紐を握りしめ、自然と足取りはゆっくりに、そして立ち止まる。
不意に零れた、ぽたっと落下した一滴。
見上げた空は相も変わらずの曇り空だけど、一滴だって雨粒は降っては来ていなかった。
「おいメア、聞いたかよ。彩南高校の屋上、ぶっ壊れてんだってよ」
その声に、美柑は瞬時に辺りを見遣る。
そして見つけた、声の主は周囲の視線を独占していた。
多量の湿気でも変わらぬボサボサ頭を逆立たせ、件の少年はニヤニヤと口角を上げていた。
「一体何者の仕業なんだろうな。あれか、宇宙人が屋上でドンパチ繰り広げたとか。例えばの話だけど、どこぞの赤毛がバスターライフル何十発もぶっ放したとか。例えばの話だけれども」
「うっ」
「メアってば心当たりとかねぇの? 赤毛で、所構わず銃弾ぶっ放す、癇癪持ちの女の子とか。あっ、何度も言うけどこれは例えばの話だから。俺の勝手な犯人像だから。真犯人別にいるから」
「う……ううっ……」
「あれれ~? メアの様子がおかしいぞ~?」
「う~~~~~っ!」
「あらやだこの子ったら。急に涙目になって怒り出すなんてどうしたんざましょう。ちょっとネメシスさん。あなたのお子さん、躾がなってないんじゃございません?」
「クロちゃんがイジメる~~~~っ!!」
「おーよしよし、泣くなメア」
小学校高学年くらいの褐色肌の女の子に慰められるおさげな女子高生の図もあれだが、そんな彼女をイジメて愉悦に浸る小学校高学年男子な絵面も相当なものだった。
咄嗟に他人のフリをしようとした美柑の判断は、実に正しいものと言える。
「お、ミカンじゃん」
だが、他人のフリしよう作戦は空気を読まないと定評のある男には通用するわけもなく。
「学校帰り? つかミカン、お前って小学生だったのな。うわー、ランドセルとか懐かしい」
ズンズンと距離を詰めるトレインに、美柑は先程とは違った意味で逃げたくなった。
温泉での一件以来、久しぶりの再会。
何を話せばいいのか、全くと言っていいほど心構えのなかったが故のパニック状態。
「……ミカン?」
「えっ……と、その……」
「はっ!? まさかミカンの学校の屋上もリトの高校みたいな爆心地に……!」
「クロちゃんのバカー!」
「犯人マジ許すまじ」
「イジワル人間! 性格破綻者! 黒猫!」
「はっはっは、もっと褒めろ」
「うが――――――っ!!」
街中でも構わず使われた≪
ヤミという前例のせいか、遠目でヒソヒソとされる程度で通報などされることはなかった。
というか、あの赤毛のおさげな人は普通に≪
ともかく、一時とはいえ与えられた考える時間。
どうやってトレインに謝ろうかと思考をフル回転させた時、ポンっと両肩に置かれる重み。
何事かと振り返ってみれば、物凄く嫌な予感のする表情を浮かべた友人二人がいた。
「えっと……」
「あの男子って誰? 他校の子? というか美柑の知り合いだよね間違いなく! どういう関係! ほらほらとっとと白状しなさいよ! どうなのよ美柑! ねえったら!」
「学校のマドンナな美柑ちゃんにあんな風に普通に話し掛けれる男の子って私初めて見たよ! そ、それに結城じゃなくて美柑って下の名前で、しかも呼び捨て……うわっ、うわー!?」
日頃からこの手の話題には目のない二人だ。
しかも、相手は数多の男子から好意を寄せられながらも浮いた話皆無な美柑。
片やキラキラと、片や真っ赤な顔で詰め寄られては逃げられるわけもなく。
慌てふためく美柑の前で次の瞬間、まるでスイッチが切れたように二人が脱力する。
「さ、サチ! マミ!?」
「――心配はいらんよ」
ぞわっと、肩口ほどで切り揃えられたマミの黒髪が蠢く。
ぎょっとする美柑の前で、周りから死角になる位置から金の瞳が姿を見せた。
「……ネメシス、さん?」
「ご名答。困っている様子だったからな、いらぬ世話だと思いつつも加勢したというわけだ」
「二人は……」
「心配はいらんよ。すぐにでも目を覚ますだろうさ」
ほっと胸を撫で下ろすが、なおもネメシスの瞳は美柑に固定されていた。
訝しむ美柑に、ネメシスは小さな嘆息を零す。
「……先程の件も合わせて、これで貸し借りはなしだ」
「えっ?」
「今日限りの出血大サービスだからな」
答えを聞く前に、マミとの≪
そのまま追いかけっこをするメアの体に憑依すると、ピタリと諍いは収束した。
暫く固まるメアだが、すぐに踵を返すとこちらに近付き、意識を失っている二人を抱える。
「じゃあ、そういうことだから」
「えっ、え?」
「あ、ちなみに私の名前はメアだよ。それとごめんね、ネメちゃんが迷惑掛けたみたいで」
「えと、その件はその、ネメシスさんが謝ってくれたから……」
「そっか。ありがとね、美柑ちゃん」
「……どういたしまして?」
くるりとメアは反転。
状況についていけず置いてけぼりな美柑は、次のメアの言葉でようやく彼女達の意図を悟る。
「クロちゃーん! この子達は私達が家まで送るから! クロちゃんは美柑ちゃんをお願いね!」
そして、事態は既に取り返しのつかないところまで来ていて。
静止の言葉を投げ掛けようとするも、メアは聞く耳持たずにスタコラサッサ。
遠ざかる赤いおさげに、美柑の心境は見知らぬ土地に置いてけぼりをくらった幼子な気分。
「……あいつ等、二人の家の住所とか知ってんのか?」
ついこの前は命を狙う死神だったのに。
今となっては幸運の女神が遠ざかっていくように思える美柑だった。
◆ ◇ ◆ ◇
「降ってきたな」
「……うん」
神は死んだ。
溜めこんだ水分を吐き出す雨空を見上げながら、そんなことを思った。
メアとネメシスのお節介で謝罪の機会は得られたものの、口火を切ることが出来ず。
こんな時でも足は自然とスーパーに向かい、買い物を済ませる辺り、自分も相当に所帯染みてるなと思う、小学生で六年生な11歳、その名は結城美柑。
謝罪方法に迷走していたが故の問題の先延ばしとしての寄り道だったが、当然のようにトレインは付き合い、更には自分は何も持っていないからと買い物袋を持たせる結果に。
気まずさと後ろめたさ、積み重なる負債は美柑の口を余計に重くしていた。
「やみそうにねぇな」
「……うん」
「俺、傘持ってきてねぇんだ」
「……うん」
「借りパクってありだと思う?」
「……うん」
「駄目だこりゃ」
嘆息を零すトレインに、何か不始末でもしてしまったのかと焦ってしまう。
ただでさえ先日の一件では大迷惑を掛けたのに、今日は今日で荷物持ちなんて不当な扱い。
「えと……そ、そのっ……」
思考はぐちゃぐちゃ、呂律は回らず、雨もやむ気配を見せない。
とにかく何かを口から紡ぎ出そうと、必死になって頭の中身を言葉にしようとする。
周囲に目を走らせ、じっとこちらを見詰めるトレインは傘を持ってなくて、このままではずぶ濡れで、でも自分は傘を持ってて、だけど一本しかなくて――
「相合傘、する?」
いまなにをくちばしった。
「…………」
吐き出した言葉を吟味し、理解した途端だった。
首から昇ってくる熱に頭が沸騰し、顔が火でも浴びせられたように熱くなる。
もっと他に言い方があるだろうと、恐る恐るトレインの反応を伺う。
「やだっ、ミカンってば大胆……!」
最高に意地悪なニヤケ面をしていた。
「ち、ちがっ!?」
「小学生の身でありながら過激な発言。将来は魔性の女で確定ね」
「トレイン君までサチみたいなこと言わないでよ!」
「間接キスで真っ赤になってたミカンはもういないのね。トレイン、ショック」
「そ、そのことはもういいから! 忘れて!」
「優しく、してね?」
「なにを!?」
「もうっ、ホントはわかってるくせに。ミカンのハレンチさんっ」
「どうしてそうなるの!」
クネクネと身を躍らせ、気色の悪い言動を繰り返すトレイン。
揶揄われていると分かっていても、反論せずにはいられない。
だからこそ、止めたい一心で振り上げた拳に、熱くなった思考が急速に冷え込んでいく。
拳を解き、胸に引き寄せ、何をやっているんだと自己嫌悪。
俯きかけた視線の先で、持っていた傘がヒョイっと掠め取られた。
「あっ……」
「サンキュー、ミカン。傘は俺が持つからさ。相合傘、しようぜ」
頭上で花開く傘のように、トレインは純粋無垢な笑顔を咲かせる。
言われるがまま、ランドセルの肩紐を握りしめ、傘を開いたトレインの隣に寄り添った。
「んじゃ、行きますか」
「……うん」
雨の中、一つの傘に二人。
不意に肩が密着し、慌てて離れ、でも反対の肩が濡れてしまうからと距離を縮める。
もどかしいジレンマ。
謝りたいのに謝れない、そんな今の自分の心境を現す様な距離感。
隣を盗み見ても、トレインは気にする素振りすら見せずに淡々と前を向いている。
そのことが、どうしてか悔しいと感じてしまって。
「…………」
イジメっ子気質で、デリカシーのない、騒がしくて落ち着きのないクラスの男子と変わらない。
でも、真っすぐなところとか、さっきみたいに素直にお礼を言えるところとか。
美柑が濡れないよう、傘をこちらに寄せていることには気付いていた。
風上に立ち、勢いを増す風雨から壁になろうと肩を濡らすトレインを見遣り、出会った時の記憶や命懸けで守ってくれた彼の背中を思い出す。
良くも悪くも、トレインという存在は野良猫のようなものなのだ。
心赴くままに、自分のやりたいと思ったことを実行に移すその行動力。
大人っぽいとか、しっかり者だとか、ランドセルを背負う姿を意外に思われたように。
だけどそれは、見栄を張っているだけだ。
両親が共働きで、家にいるのはリトだけだったから、寂しくないと言われれば嘘になるから。
だから、敵を作らないよう、嫌われないようにと取った行動の結果が、今の自分の評価。
家に帰った途端に、リトの前で隙だらけになってしまうのは、その反動。
人から拒絶されることを恐れる美柑には、野良猫気質なトレインが羨ましくて仕方がなくて。
「――――っ」
嫌われたくない、愛想を尽かされたくない、一人になりたくない。
だけど、謝りたいけど、拒絶されるかもしれないという恐怖が、踏み出す一歩を躊躇させる。
今まで築いてきた外面の強固さが、殻を破ろうと奮闘する美柑を阻む。
トレインはそんな人ではないと知っているのに、もしもがあるかもしれないと思ってしまう。
心細さと歯がゆさ、己の矮小さ、自分自身が大嫌いになってしまいそうで、
閃光、そして轟音。
漏れ出た悲鳴は落雷に掻き消され、横殴りに襲い掛かる風雨が肌を刺す。
僅かな痛み、急速に体温を奪う雨粒に、しかし美柑は何もできない。
抱き着いたせいか、傘を飛ばされたトレインの胸の中で震えることしかできなかった。
「ご、ごめっ……ごめんな、さい……!」
離れなければと思うのに、震える両手はトレインの背中で固く結ばれて解けない。
このままでは傘も拾えず、二人まとめてずぶ濡れ、風邪だって引きかねない。
トレインだって迷惑だろう、鬱陶しいだろう、早く離れろと思うだろう。
「は、離れるから……すぐに、退けるから……」
情けない自分を、嫌いになるだろう。
「だから……ご、めんっ……」
嫌われる。
嫌われてしまう。
鬱陶しい奴だと思われる。
嫌だ。
そんなの嫌だ。
一人は嫌だ。
嫌われたくない。
嫌われたく――
「大丈夫」
音が遠ざかる。
風雨が弱まる。
冷え切った体が熱を取り戻す。
――違う。トレインが覆い被さってくれているからだ。
「大丈夫。大丈夫だから。怖くない。怖くないぜ。だから大丈夫。怖くないから」
呪文のように、耳元で囁かれる言葉に意味はない。
口から漏れ出された言葉は、次の瞬間には形になることなく雨の音で掻き消されてしまった。
思い出したように響く落雷が恐怖を蘇らせ、より一層強くトレインにしがみ付く。
それでも、トレインは呟き続ける。
あやすように、慈しみを込めて、美柑の背中を優しく叩く。
雨か、それとも涙なのかは分からないけれど。
零になった距離を開き、濡れそぼった彼の金色の瞳を見詰める。
「安心しろ、ミカン」
トレインは、笑顔だった。
「俺がついてるから」
――兄ちゃんがついてる。
心の底から、大丈夫だと思えた。
◆ ◇ ◆ ◇
「トレイン君」
「んー?」
「その、この前の温泉でのことだけど」
「……ああ、アレね」
「で、でね……その……ごめん。酷いことして」
「気にしてねぇって言ったら嘘になるけどさ。もういいよその件は」
「……怒ってる?」
「もうやらねぇって言うんなら、俺は怒らねぇよ」
「……ごめんなさい」
「おう」
雲の合間から、光が差し込む。
落雷は止み、風雨は消え、それでも空は相変わらずの曇り空。
全身ずぶ濡れになりながら、トレインと一緒に帰路に就く。
「ぶえっくし!」
「凄いクシャミ……っくしゅ」
「随分と可愛らしいクシャミだことで」
「ははっ……家、上がってく?」
「ミカンってば大胆――」
「濡れたからお風呂に入っていかないかって意味!」
「きゃー!?」
「ち、ちちち違うから! 風邪引かないようにって意味で……っ、なに想像してんのバカ!」
「ほほう。俺がどんなことを想像したと?」
「うぐっ……そ、それは……」
「一体何を想像したのやら。お兄さん、そのあたりが気になります」
「……トレイン君のえっち」
「ミカンもエッチ」
「ばかっ。もう知らないっ」
「サーセンした」
「……いい。特別に許す」
当たり前のことが、嬉しいと感じる自分がいる。
下らない軽口が、彼の纏う空気が、全てが、心地よいと感じる。
リトのような家族とも違う、ヤミのような友達とも違う、クラスの男子とも違う。
世界で唯一、トレインと一緒にいるからこそ感じることのできる、そんな気持ち。
「……トレイン君」
「どした」
「……さっきはありがとう。正直助かった」
「おう、いいってことよ」
「……皆には、言わないでね」
「言わないでって、雷のことか?」
「……うん」
「言わねぇよ」
「……ホントに?」
「疑り深い奴だな」
恋愛とか、自分にはよく分からない。
鈍い兄が身近にいるせいか、好意というものに触れる機会はあるけれど。
自分の外面の良さに惹かれた男子に告白されることも何度かあったけど。
誰かに恋をして、付き合ったことのない自分には、全てが未知の世界でしかない。
「誰にも言わねぇよ。ミカンと俺と、二人だけの秘密だ」
だから、好きな男子はいないけれど。
最近、とある男の子のことが気になってしまう。
イジメっ子気質で、デリカシーのない、騒がしくて落ち着きのないクラスの男子と変わらない。
でも、野良猫のように気まぐれに、自分を守ってくれる、強くて優しい、そんな彼のことが。
「……うん。私とトレイン君、二人だけの秘密だから」
美柑は、トレインのことが気になって仕方がありません。
1.ヤミに学校に通わないかと提案、トレインも一緒ならということで美柑の小学校に転入。
2.紆余曲折を経て、メアとネメシスも小学校に転入。
3.原作では高校教師だったティアーユが、小学校教師としてやってくる。
没ネタとなったプロットの一つでは、ヤミやメア、ネメシスはランドセル背負ってました。
なんで主人公が小学生やってるのかって?
スモールトレインの中の人があの人だからやらなきゃ駄目だろ(使命感