自分で蒔いた伏線にひーひー言わされるのも嫌だ。
ちなみに、この作品のタイトル。
シレモノガタリ、って読みます。
なんか漢字表記だけで見ると官能小説みたいなんだよね。
それから。
時に凛と眉を顰め。
時に少女のように笑い。
時に乙女のように哀しみ。
そして少しずつ。
薊──正直、本名は一度聞いただけじゃ殆ど覚えられなかった。俺が女性を名前で呼ぶなど、特例中の特例だ──は、自身とその男との因縁について、断片的にだが話してくれた。
『カテゴリーキラー』
俺が薊に殺される前。
あの時俺と出会い。
他愛の無い言葉を交わし。
去り際に握手を交わした。
よれよれのロングコートに目深くハットを被った、ラテン系の男。
あいつこそが、件の『怪異ハンター』だったのだと。
彼女の大事なモノを、奪っていったのだと。
毅然とした声色で、彼女は俺にそう告げた。
「世の中には、我々『怪異』を殺すことを生業とする人間、所謂『専門家』が存在する」
「それは……なんだ。まさかとは思うが、ヴァンパイアハンターとか、陰陽師とかが、世界には実在してるってことか」
思わずそう聞き返してしまった俺は、すぐに現実を認識し直す。
何を今更驚いているのだ。
今日だけで一体どれだけの『異常』に出くわしたことか。
今目の前で俺に、白い肌を覗かせて、ほぼ生まれたまの姿を晒している彼女こそ、そんな『異常』の具象化そのものだろう。
「左様。奴らは我ら『怪異』同様、超常的な力、技術を振るうことが多々ある。例えば、今我輩の体に埋まっている銀の弾丸。先刻、ぬしは何度かこれを無理やり引き抜こうと試みたかも知れんが、無駄だ。これは『持ち主』以外の意思では絶対に"抜けない"。そういう作りになっているのだ」
……うへぇ。
そりゃあ、挑戦しないで良かった。
危うくSAN値ばっかり浪費して徒労に終わるところだったのか。
ふと、鉄棚に背中を預けた薊が、渋面でむずむずと体を揺すっていることに気付いた。
何? お花が摘みに行きたいんですか?
この前同じことを小町に言ったら暫く口聞いてもらえなくなった。やめてくれ妹よ。お前と話せなくなったら、いつしか俺の声帯は退化して無くなっちゃうまである。
俺は怪訝な表情を浮かべ腰を上げて、薊の方へとゆっくり近づいた。
「どうした。まだ傷が痛むか?」
「いや、何。そろそろこの体勢が辛くなってきてな。少し横になりたいのだが」
「……分かった。じゃあ俺がどっかから適当に枕代わりにでもなりそうなものを──」
薊が、小首を傾げる。
「何を言う。もうこの場にあるではないか」
うっそーん。
このタイミングでなぞなぞですか。
俺そういうセンス無いから勘弁して欲しい。
俺が暫く本気で考え込んでいると、薊は堪え切れなくなったのか、小さく吹き出してからコロコロと笑った。
「ぬしの膝を貸してくれ。そう言っているのだ」
そういう彼女の姿は、『怪異』ではなく普通の女性に見えなくもない。なんとも人間らしい感情表現をしているように感じた。
……この女。
こういうこと言ったりするから、余計に憎めなくなるんだろうが。
しかし、過度なボディタッチは八幡先生感心しませんねぇ。そうやって今日も世界のどこかで、罪なきチェリー達がビッチの毒牙にかかるのである。
「……み、みゃまぁ良いけどよ」
かく言うチェリー(俺)も、全身全霊で挙動不審を演出してしまった。俺は薊に習って、彼女のすぐ右隣で鉄棚に背中を預け、そのまま地面にぺたんと座り込んだ。
なんか返答が図らずもクワガタの名前みたいになってた気がする。
俺の言葉を聞いた薊は、「左様か」と短く告げて、ゆっくりと上体を右隣の俺の方に傾け、そのままストンと俺の太腿に頭を乗せた。
「うむ。男の硬い膝もまた乙だな」
……なにこれ死ぬほど恥ずかしい。
世のバカップルどもは、よくこんな行為に及べるものだ。
頰が急激に熱を帯びるのを感じながら。俺の目に、薊の背後──長い髪に紛れて今まで気付かなかったが──から生える、ふさりとした尻尾が映った。髪と同じ銀の毛並みは、蛍光灯のオレンジを反射して、加熱した鉄塊のような、暖かな光を放っている。
マジか。
めちゃめちゃモフりたい。
でも、何事にも手順ってものがあるよね!我慢よ八幡、我慢我慢☆もし彼女の気に障ってまたぶっ殺されたりしたら、たまったものではない。
暫く俺が所在無さげに両手を空に漂わせていると、何かを促すように薊が小さく唸った。よく分からないが、とりあえず右手で頭を撫でてみる。すると薊は「ふん」と小さく息を吐いて、何やら満足げな笑みを浮かべた。
うちの飼い猫も、これくらい俺に愛想がよければなぁ。
「……で、話の続きをしてくれよ」
「おお、そうだった」
だから、なんかいちいち反応が軽いんですけどこの人。
大変気持ち良さそうなお顔をしておられるのは結構だが、このまま寝たりしないでくれよ。
「我輩は、奪われたモノを取り返すために、遥か遠い地から『あの男』を追い続けていた。結果として、怒りに我を失っていたことと、ほんの少しの油断が元で、このような深傷を負ってしまったが……本来なら、もっと迅速に奴を殺せるはずだったのだ」
はずだった、という薊の言葉に、思わず俺は眉をひそめた。そういうからには、やはり事情が変わってしまうような何かが起きたのだろうか。
「ただ、脆弱な『人間』とはいえ奴は『専門家』。圧倒的な力をもつ『怪異』に搦め手で勝利することは、まさに得意中の得意であった。次々繰り出される小癪な技と、どこまで追っても逃げるばかりの奴に苛立ちを募らせるばかりだった我輩は、いつの日かそんな技ですらあえて正面から突破するようになっていた」
そして今回、またしても逃げられたということか。それも壮絶なるカウンター付きで。
これで確かに、『カテゴリーキラー』が通り過ぎた直後、同じ方向から後を追うように彼女が現れたことにも合点が行く。
しかし、何だ。
馬鹿かコイツ。
口には出さないが、俺は思わずこめかみに手を当てた。
そんなことでは、まさに奴の思う壺だ。さぞ仕事がし易かったろうに。こういう人間を舐め腐った態度の成れの果てが、今の満身創痍、最早自分では腕一本動かせなくなった現状だと、こいつは自覚はしているのだろうか。
どんなに小さな敵が相手でも、ほんの少しの油断が命取りになることもあると。いい教訓になるな。
そんな俺の心境も知らずに、膝の上から俺の顔を見上げて、薊は話を続ける。
「ぬしはこの地下に入る前、空を見たか?」
「……何が言いたい? 別段夜空を見上げたりはしていないけど、おかしなことなどは無かったように思うんだが」
「今日は本来なら満月だ。だが、後で確認してくると良い。もし雲が出ていなければ、今の空には月そのものが存在していないことに気付ける」
空から、月が消える。
その言葉を受けて、思ったままの光景を夢想する。
そんなことが、人間に可能なのか? 普通に信じられないんですけど。
「いや、でも、それも『カテゴリーキラー』の、仕業なのか……」
顔が思わず引きつっていることが、自分でも分かった。
「広域の結界を張り、その内領域の人間を払い空から月を隠したのだろう。奴の専門は『夜の怪異』だ。我ら『人狼』や、『吸血鬼』を始めとする存在、つまりは夜にその真価を発揮する怪異の退治こそ、奴の専売特許」
……つまりどういうことだってばよ?
『夜の怪異』と月の有無がどう関連しているのかいまいち釈然としない俺に、表情から全てを察した薊が溜息交じりに説明を始めた。
なんだその『やれやれ』みたいな感じ。
知らんわ。
「伝承通り、人狼の基礎能力は月の満ち欠けに依存する。満月の時が最高潮、逆に新月の時は最悪だ。ぬしは人狼になったばかりだからまだ分かりにくいかもしれんが、本当に天と地ほど差だぞ。常時無敵状態と、常時二日酔い状態くらいに違う」
分かるようになりたくないなぁ、それ。
しかし聞く限りだと、彼女が今言ったのはあくまで精神面での話なのだろう。
では、実際のパフォーマンスに影響する部分、物理的な身体能力の面はどうなのか。疑問に思った俺は、思ったままの質問を薊に投げかけた。
うむ、と唸る薊。
「一概にこうだ、とは言えんが……我輩はムラっ気がある方だったからな。今の我輩の体感で表すなら……膂力、嗅覚をはじめとする全能力が、九割減といったところか」
めちゃめちゃ弱体化してるじゃねーか。下方修正半端ねぇ、運営しっかりしてくれ。
しかしなんだお前のその『さもありなん』みたいな顔。もう少し気にしなさいよ……。
「奴はどちらかというと対『吸血鬼』の方に技能の重きを置いていた。つまりは現在この街に張られている結界は、元は『吸血鬼』に使う予定のものだったのだろう。本当に不甲斐ない話だ……。この街を通ったのも、ここより少し先の地で同業者たちと合流し、ある『吸血鬼』を殺すことが目的だったらしいからな」
それを聞いて、俺は『カテゴリーキラー』と交わした言葉の断片を少し思い出した。
確かに、直江津に向かうだのなんだのと言ってたわ。
アイツは線路を歩いて向かったんだろうけど、普通に乗り物に乗ろうとか考えなかったんだろうか。同業者の内輪で決まっているルールでもあるのか……。
暫く宙を睨みながらそんなことを考えていると、俺はある重大な疑問を忘れていることに気付いた。
「そろそろ、俺が一番疑問に思っていることを聞いても良いか?」
ここから先は、俺も心して挑まなくては。
先ほどまでと若干声のトーンを変えた俺に、薊も訝しげに眉を顰めた。
「なんだ」
短くも鋭く告げられたそれに、俺もより一層語調を強くして返す。
「お前はあの時、なんで俺を殺した」
核心に至る疑問。
これを知らなければ、俺のこの女に対する姿勢も変えなければならないと、そう思っていた。
まだ出逢ったばかりの彼女の内面について語るのは気が引けるが。今の俺には、彼女が無益な殺生を犯すようには思えないし、そうであってほしくないとも感じている。
だが、彼女との会話には、節々に少なからず人間を下に見ているかのようなニュアンスも見受けられることも事実であって。
少なくとも今の俺には。
彼女を『無罪』だと断定しきることは、まだ出来ないのであった。
「……」
薊は、直ぐには答えを提示しなかった。
どんな思い──或いは負い目──を彼女が抱いていたのか、それを表情から察することは俺にはできなかった。
それでも。
暫く続いた居心地の悪い沈黙を超えて、薊はゆっくりと口を開いた。
「我輩がぬしを殺してしまった時。その時我輩は、何もぬしを『ぬし』だと認識して、殺したわけではない。意味はわかるか?」
「……分かる、言いたいことはだいたい分かるが……」
まだ、納得には至っていない。
俺は、続く言葉に耳を傾ける。
「我輩の目に映っていたぬしは、ぬしの姿ではなかったのだ。目深の帽子に、着古したコートを羽織った、壮年の男。まさに『カテゴリーキラー』の姿そのものだった」
……ああ、なるほどな。
くそ、その言葉で全て合点がいった。種が割れてみると、なんともしょうもない話だ。
今はただ、少し過去の俺が、哀れで、愚かで、不運であったことが腹立たしい。
「俺はアイツに、一杯食わされたってことか」
何かを仕掛けられたのなら、それは恐らく握手の時。きっと『カテゴリーキラー』が、俺の全身或いは存在そのものにトリックを施したのだ。
奴は俺を、使い勝手のいい時間稼ぎ程度にしか思っていなかったのだ。
負傷して、正気でなかった薊から逃げる為に。俺の姿に偽装を施し、『カテゴリーキラー』に見せかけた。
空から月を隠すようなやつだ。そんなことお茶の子さいさいだろう。
「……」
あの男に絡んだ様々な思惑が、俺の中でぐるぐると渦を巻く。
その殆どが、黒く濁った攻撃的なものであったことに気付いたのは、薊が話を再開したのと同時だった。
「これで納得がいったか?」
「……ああ。ありがとう、もう十分だ」
納得はした。
もっと言えば、今は既にふつふつと沸き立つ溶岩のような激情がそこにはあった。
「さて。ここまで話をしたが……」
膝の上から俺の顔を見上げた薊の表情が、一瞬ギョッとしたものに変わり、直ぐに恍惚とした笑みになる。
今の俺の顔は、きっと酷いものになっていることだろう。鏡がないから分からないが、口元は固く一文字に引き絞られ、目元なんかは普段より更に腐っているはずだ。
彼女がそんな俺を見て笑ったのは、──予定通り──だったからだろうか。
「もう大体見当はつくだろう。動けぬ我輩の代わりに、ぬしには頼みたいことがあるのだ」
薊の口から、鋭い犬歯と、ぬらりと光る赤い粘膜が覗いた。
どこまでも扇情的で、底無しに美しい彼女が持ちかけたその『依頼』は、
まさに悪魔の囁きの如く。
ぽっかり空いた俺の心の穴へと吸い込まれていった。
地下鉄の階段を登り切り、地上の世界に出た。
充電が切れる寸前だった携帯を見ると、時刻は深夜零時丁度。
何時間かぶりの新鮮な空気を肌で感じた俺は、ふと薊の言葉を思い出し、空を見上げた。
やはり、そこには煌々と輝いているはずだった月の姿は無い。
……本当に、ヤツは街全体にこんな結界を張ったのか。
「さて、どうするかね」
暫く同じ姿勢を取っていたからなのか。首と腰に不快な重みを感じた俺は、それぞれを駆動域の限り左右に捻る。
ゴキゴキ、パキパキと、心地よい音が深夜の街にこだました。
「すまん。少し考えさせてくれ」
「……なんだと?」
薊の顔から笑みが失われ、入れ替わるように明らかな憤懣の意が浮かび上がった。
「あの男は、ぬしを良いように利用して、あまつさえ殺しているのだぞ。死んで当然の屑だ。ぬしには復讐を遂げる権利がある」
「実行犯のお前が言えた義理でもないだろ。それに、もう何百年だか人間をやめてるお前とは違って、俺はまだ産まれたての赤ん坊みたいなもんなんだ。そう簡単に人間の倫理観は捨てられない」
俺は、右手でそっと薊の頭を浮かせて、膝を引き抜く。代わりに、今はただのボロい布切れになった彼女の軍服を折り畳み、枕として俺の膝が元あった場所に置いた。
「知ってるか? 人殺しは悪いことなんだ」
薊の反応は無い。
ただ、怪訝な表情でじっと俺を見つめるだけだ。
「逃げたりはしねーよ。少し風に当たってくるだけだ」
「……我輩は何も、絶対に奴を殺せとは言っていない。人殺しが嫌なら、交渉なり、決闘なりで、我輩を封じておるこの毒の弾丸を無力化してくれるだけでいいのだ。後のことはすべて我輩に任せてくれて構わない。迅速に事を済ませよう」
「いいや、俺だってこのまま終わるつもりはない。『カテゴリーキラー』にはそれなりの罰を受けてもらいたく思ってる。だからこれは、あくまで俺の心の問題なんだ」
「……うむ、」
瞼を閉じて、何を思っているのか分かりにくい神妙な表情を見せる薊の様子は、俺と言う頼みの綱に逃げられまいと必死なようでもなく、そもそも俺が逃げ出すという未来の選択肢すら見ていないようにも感じた。
……信頼されているのか。
確かに悪い気はしないが、俺には慣れない経験だ。
「……分かった。何とも我儘な我が『仔』だな。だが、今回は許してやろう」
「へいへい。ありがとうございます、お母様」
「小一時間もしたら、戻ってこい。その時改めて返答を聞こう」
やたらめったら態度がデカイ義理の母(?)を何とか言いくるめた俺は、その場で踵を返して、用具室を出る扉に向かう。
しかし、ドアノブに手をかけたところで、後ろから「おい」と呼び掛けられた。
……なんすか。
「名前。すっかり忘れていたが、まだ聞いてなかったはずだ」
「……あぁ、そう言えばそうだったな」
「比企谷八幡だ。悪かったな、お前と違ってあんまり長くないだろ」
「いいや、謝る必要は無い。実に良い名前だ、八幡」
開け放たれた扉の前で、そんなやりとりを交わす。
彼女の瞳は。
室内の電気を消したわけでは無いのに。
まるで、闇夜に紛れる獣の如く。
ゆらゆらと、怪しい光を放っているように見えた。