花盛りの鎮守府へようこそ   作:ココアライオン

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バレンタインの日

 バレンタインデーであっても、この鎮守府の艦娘全員が提督にチョコレートを渡すことは無い。そんな事をすれば、膨大な量のチョコを提督が抱える事になり、最終的には艦娘達と再分配という身も蓋も無い結果になるからだ。これでは流石に意味が無いというか、渡し甲斐もへったくれも無くなってしまうので、艦娘達は妥協案を採用している。それが、“バレンタインデー当日の秘書艦が代表して、提督にチョコを渡す”というものだ。ちなみに、ホワイトデーのお返しは必要ないことは、提督に事前に伝えてある。以前、少年提督と野獣が協力して、艦娘全員に手作りクッキーを用意する事件が起きた。お洒落な包装と供に、其々の艦娘達一人一人にメッセージカードまで添えて、日々の感謝を二人は伝えてくれた。甘さを控えめにした、素朴で優しい味のクッキーだった。艦娘達は喜んだものの、流石に負担を掛けてしまうのは不本意である為、丁重に断っている。残念な事だが、気を遣わせてしまうのであれば本末転倒だ。この鎮守府のバレンタインデーは故に、基本的には友チョコが主流であり、其処まで気合を入れる日でもなくなっている。

 

 しかし。バレンタイン当日の今日。秘書艦である雷にとっては、否が応でも緊張してしまう日でもあった。朝から廊下ですれ違った金剛から「健闘を祈りマース!」と、サムズアップ&ウィンクと供に応援された。彼の初期艦である不知火は、「御武運を……!」と、信頼と友情を込めて握手してくれた。他にも大和や武蔵からも「頑張って下さいね」「私達の分も、宜しく伝えてくれ」と、優しい言葉を掛けてくれた。携帯端末には、遠征に出ている暁や電、響からのメッセージも届いていたし、そうした応援を受けた雷としては、やはり今日は落ち着かなかった。

 

 断熱ポーチと保冷剤を用意し、チョコは秘書艦用の執務机の引き出しに忍ばせてある。これで、多少は空調が効き過ぎる事があっても、チョコが融けたりする心配も無い。あとはチョコを渡すタイミングを自然に掴み、自身と皆の感謝の気持ちを伝えれば良い。別に緊張する必要など無いのだ。普通に。自然体で。いつも通りすれば良い。それだけの筈だった。なのに、いざ提督に声を掛けようとすると、躊躇ってしまう。そうこうしている内に、今日の執務が終わってしまい、雷は現在、少年提督と供に食堂で向いあって座り、夕食を摂っている状態だった。彼は今、夕食として和風きのこのパスタを行儀よく食べている。

 

 チョコは断熱ポーチと一緒に執務机の中に仕舞ったままだ。傷むことは無いだろうが、何とかして言い出す切っ掛けを作らねばと。内心で焦る雷は、食堂のハンバーグ定食をモグモグと箸で食べながらタイミングを計る。ただ、話題を探しては見るものの、こういう時程見つからないものだ。胸中であぅあぅとなりそうになったが、「食事の後に、一緒に執務室に寄って頂いても宜しいですか? 渡したいものがあります」と、何と彼の方から声を掛けてくれた。それは、もしかしたら彼なりの気遣いだったのかもしれない。

 

 雷が何か返す言葉を探していると、彼の携帯端末が鳴る。メールだったようだ。「失礼しますね」と、彼は懐から端末を取り出して軽く操作して、すぐにまた懐へ仕舞った。彼は少しだけ眉尻を下げて、軽く息をついている。困ったように笑う寸前みたいな顔だった。

 

「……仕事に関わる内容だったの?」

 

 雷は聞いてみる。彼は、すぐに穏やかな表情に戻ってから、雷に頷いて見せた。

 

「新種であろう深海棲艦を鹵獲したので、何れ其方の施設に送ることになるだろうという通達でした」

 

「また司令官が忙しくなるわね」

 

 雷は、動かしていた箸を止めて苦笑を浮かべた。スパゲッティをフォークにくるくると巻きつけていた彼も、一旦手を止めて雷へと顔を上げる。彼も雷と同じく、何とも言えないような苦笑を浮かべて見せた。

 

 

「保護している彼女達に反抗の意志が無い事を証明できれば、もう少し待遇も改善出来ると思うのですが、……今の段階では難しそうです」

 

 

「そういう理屈や理論じゃない部分は、なかなか伝わらないもの」

 

「はい……。深海棲艦は人類の絶対的な敵であり、撃滅すべきだと。そう信じて疑わない方は、軍部にも民間にも居られますから」

 

「彼女達を受け容れようって言う考え方を、今の社会の中に耕すには時間が掛かりそうよね」

 

 彼は、少しだけ辛そうに眼を伏せた。

 

「確かに、理想論ではありますからね。……現実的とは思わない人の方が多いでしょう」

 

「でも、私は司令官が間違ってるとは思わないわ。ほら、シェイクスピアも言ってるじゃない? 一片の情が、世の中を親密にさせるって」

 

「えぇ、……僕も好きなフレーズです」

 

 言いながら苦笑を深めた彼に、雷は軽く息をついた。深海棲艦への激しい感情や、殲滅への信条を持っている者がいるのも、まぁ仕方の無い事だとは思う。それだけ、かつての深海棲艦の攻勢が苛烈だった事もある。人類が劣勢であった頃の激戦期ではシーレーンは当然なことながら、沿岸部の町村なども攻撃の被害を受けることになり、その犠牲者も少なくなかった。深海棲艦が、人類から憎しみや恨みを買いまくったのは事実だ。それに加えて、激戦期の頃には少数であった『艦娘達の自我を破壊せずに、人格を育むことを選んだ提督達』の中にも、深海棲艦へと強い怨恨を向ける者も多い。理由は単純だ。人格や自我を得た仲間として、或いは、親愛な関係にあった艦娘を沈められた提督達も居たからだ。社会全体の世論から見ても、深海棲艦とは人類の執敵怨類である。

 

 正直な話をすれば、雷だってそうだった。深海棲艦と仲良くするなんて、できっこ無い。そう思っていた。だって、向こうが敵意と殺意を剥き出しにして攻撃してくるのだ。殺さないと、殺される。正にそんな感じだったからだ。だから、深海棲艦の研究施設に備えつけられた地下捕虜房で、初めてレ級と話をした時は衝撃を受けた。海に植え付けられた、人類に対する激しい怒りや憎悪に埋もれていただけで、彼女達にもちゃんと自我や人格が在って、感情が在った。今ではレ級と雷は、友人と言うか、相棒とも言える仲である。

 

 深海棲艦達にとって、“人類と戦うこと”それ自体が神聖なものであれば、絶対に和解は不可能だった。深海棲艦達は、海によって仕組まれた暴力と戦闘を、ただ完全に履行するだけの存在では無い。かつて彼は戦艦水鬼の魂に触れ、その記憶や意識の共有と同期を以って、それを証明している。深海棲艦達は、完成された兵器では無い。艦娘達と同じく、もっと言えば、人間と同じく、自我や感情が在る。そんな彼女達を力づくで排除・撃滅し、人類の支配の範囲を押し広げていくことに対して、彼は危惧を抱いている。人類が優位に立っている今こそ、一度立ち止まるべきだと。

 

 もしも。もしもである。これから先、雷が深海棲艦に沈められるような事があっても、彼は深海棲艦達に歩み寄る道を捨てることは無いだろう。彼は悲しんでくれるが、絶対に泣かないだろう。沈んだ雷を決して忘れず、深海棲艦達を憎んだり恨んだりすることも無いだろう。それは予感というより確信に近い。何と言うか、分かる。彼が他者に向ける愛情には、表裏や深浅が無く、何処までも博愛であり、一途で純粋だ。だからこそ危うい。執着心を持たず、未来と理想の信奉者である彼は、微笑みを浮かべたままで躊躇いも無く地獄へと跳躍する。理想のために、己を炉に焼べてしまう。彼の魂には、そんな極端な狂気と理知、そして冷静さが混在していて、自己犠牲の精神と艦娘第一主義の理念を支えている。そんな彼に、雷は何が出来るのだろうと、日々考えている。切り分けたハンバーグの最後の一切れをモグモグと食べた。コップに入れてきていた冷たい茶を飲んで、また一息ついたときだ。

 

 

「隣、良いッスかぁ^~」

 

 背後から陽気な声を掛けられた。Tシャツ海パン姿の野獣だった。野獣はラーメンの乗ったトレイを持っていた。隣には凄く苦い貌をした加賀も居る。少年提督は軽く礼をして、「えぇ、どうぞ」と微笑んだ。雷も立ち上がって敬礼しようとするが、野獣は「いいよいいよ、座っててくれよな~(朗らか)」と言いながら、雷の頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。一部の駆逐艦娘以外には割りと優しいと言うか、父親然とした振る舞いで接してくれる。雷も座ったままで野獣と加賀に礼を返すと、野獣は軽く笑って見せて、彼の隣に腰掛けた。加賀も「失礼するわ」と、雷と彼に礼をして、雷の隣に腰掛ける。加賀のトレイには、きつねうどん。普段の加賀なら、これにもう一品くらいは食べている筈だ。それに、野獣と一緒に食堂に現れるというのも珍しい。

 

 雷が妙に思っていると、加賀が、向かいに座る野獣を睨んだ。

 

「食べ終わっても、何処かへ行ったりしないで下さい。まだ仕事が半分以上残っています」

 

「ちょっとくらい休憩したって大丈夫でしょ?(慢心)」

 

「朝からそう言い続けた結果が今の状況ですが」

 

「へーきへーき! 今日中には終わるからさぁ、安心しろよー(半笑い)」

 

 

 気の無い適当な返事をしつつ、具沢山の醤油ラーメンを啜り始めた野獣を睨んだ加賀は、一度舌打ちしてから自分も手を合わせて食べ始める。そんな二人を見比べた雷は、次に少年提督と眼が合う。彼は微笑を浮かべ、雷は苦笑を浮かべた。なるほど。まだまだ仕事が残っているから、野獣が逃げないように加賀も付いて来たということか。

 

「そう言えば今日は、バレンタインらしいっスよ(露骨なチョコ催促)。なぁ、加賀ぁ?」

 

「……それが?」

 

「とぼけちゃってぇ(半笑い)。俺の分も用意してくれてるんだろ? くれよ?(図々しさ全開)」

 

「……わかりました」

 

 めっちゃ低い声で言った加賀は、動かしていた箸を止めて、懐から何かを取り出した。ソレをテーブルの上に置いて、ずいっと野獣に押しやる。ソレは、綺麗な蒼い包装紙で丁寧に包装された小箱だった。明らかにチョコだった。煽った野獣の方が、加賀とテーブルのチョコを見比べて困惑顔になっている。

 

「何コレ……? 爆弾か何か?(超失礼)」

 

「似たようなものです」 加賀は野獣を相手にせず、しれっと応えて食事に戻る。

 

 野獣は明らかに警戒した様子で包装紙を剥がし、中身を確認した段階で軽く笑った。

 

「あのさぁ……、いくら俺の事が気に喰わないからって、石ころ詰めて来たらアカンやろ(正論)」

 

「遠慮せず受け取って下さい。私の気持ちがこもっていますから(嘘に非ず)」

 

「あっ、そっかぁ……(分析)」 難しい貌になった野獣は、もう一度中身を確認する。

 

「包装紙の準備をしている時間は、召還されてから最も無駄な時間でした(心の傷跡)」

 

「正直過ぎィ!! もう許せるぞオイ!!」

 

 いつも通りの他愛の無い雑談が始まった。彼も野獣も、そして加賀も、其々に食事を済ませた時になって、野獣が何かを思い出したように「あっ、そうだ(唐突)」と、彼に視線を向けた。

 

「前に言ってたやつだけど、お前の分も取り寄せといたからさ(優しさ)。明日にでも執務室に取りに来て、どうぞ」

 

 野獣は少年提督に言う。「あぁ、有り難う御座います」と、食後のコーヒーを啜っていた彼も、にこやかに礼を述べた。

 

「司令官、何か買ったの?」 興味本位で雷が聞いた。

 

「はい。写生セットを」 

 

 彼が穏やかな声で答えてくれた次の瞬間、茶を啜っていた加賀が盛大に噎せ返り過ぎて、椅子から転げ落ちた。まるで溺れているみたいに苦しげにゲホゴホと激しく咳き込んでいる。隣に居た雷は慌てて近寄り、苦しげな加賀の背中を擦る。何とか立ち上がった加賀は、悩ましい溜息を漏らしながら椅子に座りなおした。

 

「加賀さん!? だ、大丈夫!?」

 

「ゲホッ……、ちょっと、心臓がぴょんぴょんしただけだから(急襲するトキメキ)」

 

「えぇっ!? ぴょんぴょん!? 医務室に行かないとっ!」

 

「いえ、もう大丈夫よ。……落ち着いたわ」

 

 深く息を吐き出した加賀は、心配してくれる雷に頷いて見せた。そして、傍にあった布巾で零してしまった茶を拭いてから、また姿勢を正して椅子に座りなおした。彼も心配そうな貌をしていたが、「ちょっとしたビョーキみたいなもんだから、ヘーキヘーキ」と野獣が笑った。同時だったろうか。雷達が居るテーブル席に、新たに四人組みが歩み寄って来て、無言のままで隣のテーブル席に腰掛けた。長門、陸奥、金剛、鹿島の四人だった。

 

 四人共、もう食事を終えている様子だ。トレイを持っているワケでも無いし、やけに神妙な貌をしている。テーブル席に腰掛けた四人は、黙したままで此方のテーブルに熱い視線を向けてくる。ちょっと怖い。そう言えば、この四人組み。以前に行われたという野獣執務室での鍋会以降、急速に仲良くなり、よくつるむ様になったらしい。何があったのかは雷の預かり知るところでは無いが、四人の真剣な眼差しからは、何らかの固い絆で結ばれているらしいことを感じる事は出来た。野獣は長門達をチラリと見遣ったものの、特に声を掛けたりはしなかった。その代りに、ワザとらしく優しい表情を浮かべながら、雷に向き直る。

 

「まぁ、コイツも人並みの趣味とか持った方が、生活というか生き方にも潤いが出るだろうし、多少(の出費)はね?」

 

「ううん、別にお金を使うことに言及したいんじゃないわ。寧ろ、司令官が趣味らしいものを持ってくれるのは喜ばしいことよ」

 

 雷は笑顔で、少年提督にうんうんと頷いてから、「司令官って、絵を描くのが好きだったの?」と聞いてみる。彼は少し照れたみたいに左手の人差し指で、自分の左頬を掻いた。

 

「いえ、まずは形から入ろうと言うことで、先輩が色々と道具を取り寄せてくれたんです」

 

「俺も何か新しい事を始めようと思ってさぁ。模型作りも良いんだけど、んにゃっぴ、自然の中で出来る趣味も良いですよね……(ニヤニヤ笑い)」

 

 面白がるような笑みを浮かべる野獣に、少年提督が頷いた。

 

「それで、一緒に写生しようと、先輩が誘ってくれたんです」

 

「まぁ、俺は大ベテランっていうか、スペシャリストみたいなモンだからね。大自然の中でやるのはやっぱり、解放感が違いますよね! 取りあえず(経験談)」

 

「わぁ、気持ち良さそうですね」

 

「おぅ、いいですわゾ^~! (扇動者先輩)」

 

 雷が彼に言う隣で、赤い顔をした加賀が頭を抱え、熱っぽい溜息を漏らしていた。いや、よく見れば、隣のテーブル席に座っている長門達の様子も似たような感じだった。長門は悶えるように額を手で押さえて俯いているし、陸奥は視線を伏せつつも頻りに舌なめずりしている。赤い貌をした金剛は席を立って屈伸を始め、同じく真っ赤な貌をしている鹿島も立ち上がり、腕のストレッチを始めている。これから激しい運動でもするんだろうか。凄い挙動不審だ。雷が不思議そうに長門達を見ていると、野獣がまたワザとらしく真面目そうな表情を作って、顎に手を当てた。

 

「まぁ、本格的に始めるには、道具とか描写方法に精通しないとな!」

 

 長門と陸奥が、深く項垂れて切なげに呻いた。変な声を漏らした金剛が鼻血を零し、その金剛にティッシュを渡そうとして慌てた鹿島が、椅子に小指をぶつけて蹲った。

 

似合わない思案顔で言う野獣に、雷が「えー……」と、不満げに言う。

 

「そういう型にとらわれないっていうのかなぁ、最初はもっとこう、のびのびとやってみても良いんじゃないかしら?」

 

 ねぇ、司令官。言いながら雷が少年提督に向き直ると、彼も控えめ小さく頷いた。

 

「そうですね。まずは、慣れるところから写生を初めてみたいと思います」

 

「あっ、そっかぁ(納得)。まぁ、急ぐ事も無いし、自分のペースが一番ですよね。俺くらいになると、モノが眼の前に無くても想像でイケるようになるから(卓絶の境地)」

 

「ねぇねぇ! じゃあ司令官が写生する時には、私も見学してても良いかしら!」

 

「……私も、ご一緒させて欲しいのだけれど」

 

 無邪気な雷に続き、真剣な貌になった加賀が背筋を伸ばし、居住まいを正して挙手をした。相変わらず、顔は病気かと思う程真っ赤だが、切れ長の怜悧な瞳は、ギラギラとした輝きを秘めている。異様な迫力が在って、隣にいた雷は気圧された。野獣はニヤニヤと笑っているし、彼は穏やかに微笑んだままで、「はい。僕も初めてなので、色々と教えて下さい」と頷いた。加賀は慈しみに満ちた表情になって、「やりました……(灯された希望)」と、万感を込めた呟きを零す。

 

 それに続いて、隣のテーブル席に陣取って居た長門、陸奥、金剛、鹿島の四人が一斉に挙手しながら席につき、ガタガタガタッ!! と、テーブルごとにじり寄って来た。凄い勢いだった。ビクッと肩を揺らした少年提督と雷に代り、野獣が鼻を鳴らして彼女達にストップを掛ける。

 

 

「申し訳無いけど、『秘密結社:精通倶楽部』のメンバー達は、参加NGだから(早期警戒)。

 加賀も連帯責任だぞ!」

 

「そ、そんな結社は存在しない!! 変な言い掛かりはやめろ!!」  テーブルを叩いた長門が、焦ったような割とマジな貌で吼える。

 

「頭に来ました……」 加賀はマジトーンで言いながら艤装を纏う。

 

「じゃあお前らは、どんな集まりなんだっけ?(詰問)」

 

 言いながら長門と加賀を見比べた野獣は、クソデカ溜息を吐き出してから腕を組んだ。

 

「もっ、もぉう野獣テイトクゥー! そんな細かい事は良いじゃありまセンか!! 今日はホワイト♂デーですヨー!?(中央突破)」

 

 錯乱と興奮を綯い交ぜにしたような、グルグル眼の金剛がウィンクをしながら身を乗り出してくる。「バレンタインなんだよなぁ……(呆れ)」と、腕を組んだままの野獣が辟易した表情を浮かべて見せた。

 

「お前らは何をそんな眼を血走らせてるのか知らないけど、不純な理由で見学とか言ってる奴はおしおきだどー! おい鹿島ァ!!」

 

「えっ!? はっ、はいっ!!?」 突然、野獣に名前を呼ばれて、鹿島が挙手したままで立ち上がる。

 

「その辺りはどうなんだ、練習艦として!!(再詰問)」

 

 鹿島は表情を引き締めて、少年提督と野獣、それから雷を順番に見てから、ビシッと敬礼をして見せた。迷いも躊躇もない銀色の眼には、情熱と真剣さが灯っている。先程の加賀と良く似た眼光だった。

 

「その! わ、私も本気を出せばっ、白い絵の具(意味深)が出せると思い、提督さんのお役に立てると考えました!!(志望動機)」

 

「そんな本気は出さなくて良いから(良心)」

 

 頑張り過ぎる真面目っ子を諭すみたいに言って、野獣が疲れたような貌になった。其処に、冷静な貌をして立ち上がった陸奥が眼を窄め、すかさず喰って掛かる。美人は怒ると怖い。陸奥くらいの麗人だと余計だ。

 

「私達みたいなお姉さんポジションがさぁ、秘められた男の子のエッセンス(一番絞り)に惹かれたら駄目なワケ?(ノーガード戦法)」

 

「そういう表現はだな……(苦渋の指摘)。まぁ取り敢えず、ちょっと落ち着きませんか? 落ち着きましょうよ? 暴発しちゃうわよ?(危惧)」

 

「しないわよ!!(激憤) 何よ暴発って!!?」 テーブルをぶっ叩きながら陸奥が怒鳴る。

 

「キレ気味で言われても、ロクでも無い事を言ってる事に変わりはないからね。しょうがないね(諦観)」

 

 野獣が長門達と言い合う様子は、賑やかなものの不思議と険悪さが無い。軽口で長門達をあしらう様を眺めて、彼は可笑しそうに小さく笑う。微笑ましいものを見る眼で、少年提督は野獣と艦娘達を眩しそうに見詰めて居た。雷も釣られて笑みを零しているうちに、長門や加賀達の様子がおかしかった理由や、終始野獣がニヤついて居る理由にふと気付いた。気付いてしまった。時間差だった。かぁぁぁっと、顔に熱が篭ってくるのが分かった。野獣と長門達が言い合う声が、何だか遠くに聞こえる程だった。汗が出てきて思わず俯き、顔を両手で覆ってしまう。

 

 ちょっとの間そのままの姿勢で、顔から熱が引いてくるのを待った。顔の赤さも誤魔化したい。顔を覆っていた両手の指を少しだけ開いて、上目遣いで彼の様子を窺ってみる。すると、少年提督が此方を見ていた。眼が合う。慌てて、また両手で顔を隠した。心臓がぴょんぴょんした。その後、長門達と野獣の言い合いは決着が着かず、食堂を利用する艦娘達の姿も増えてきた為、一旦の解散となった。ヒートアップしていた長門達も、食堂のテーブル席を圧迫しつつ、精通だの何だのと言い合うのは流石に不味いという冷静な判断をしたのだろう。野獣と加賀は、残りの仕事を片付けるべく執務室に戻り、少年提督と雷の二人も、賑やかさと騒がしさが増して来た食堂を後にする。

 

 

 執務室までの廊下を歩いている間も、顔から熱が引いていかなくて困った。顔の赤さを気取られまいと、汗をハンカチで拭いながら彼の少し後ろを歩く。ドキドキと言うか、ハラハラと言うか、自分を何とか落ち着かせて歩いていると、碌に会話もする間も無く、あっという間に執務室に着いてしまった。雷は秘書艦用の執務机から、断熱ポーチを取り出した。更にその中から、白とピンクを基調に、リボンなどでお洒落にラッピングしてあるチョコを取り出した。鳳翔や間宮に教わり、雷だけでなく第六駆逐隊の四人で作ったものである。保冷剤の御蔭で、まだほんのりと冷たかった。

 

 雷は一つ深呼吸をして、「あのっ、司令官! これっ!」と。硬い声で言いながら、彼にチョコを渡そうとした。すると、「では、僕からも」と。彼も何かを手渡してくれて、交換をする形になった。黒地に赤を基調に、透明袋を高級感たっぷりにラッピングしてあるその中には、大粒のチョコレートが入っている。トランプ柄である、ダイヤ、クラブ、スペード、ハートの形をしていた。呆然としたままでそれを受け取り、雷は驚いた顔のままで硬直してしまう。チョコを渡す時に伝えようとしていた言葉が飛んで行ってしまった。

 

「今では、『逆チョコ』というものが在ると聞きました。ただ、お菓子作りは初めてでしたので、美味しく出来たかは自信が在りませんが……」

 

 雷からのチョコレートを大事そうに右手に持った彼は、少し照れたように小さく笑みを浮かべて、左手の人差し指で左の頬を掻いている。雷は、そんな彼の優しい表情と、自分の手の中にあるトランプ柄のチョコレートを見比べる。四つあるのは、きっと暁や響、電の分でもあるのだろう。艦娘思いの彼らしいプレゼントだった。バレンタイン当日は雷が秘書艦である事は、当然彼も把握していた筈だ。だから、こうして準備してくれていたのだろう。彼なりの小さなサプライズは、純粋に嬉しかった。

 

 

「ぁ、ありがとうっ! 司令官!」

 

 雷は目許を少しだけ拭って、彼に礼を述べた。

 

「いえ、此方こそ。……有り難う御座います」

 

 ちっとも子供らしくない癖に、凄く嬉しそうな微笑みで、彼も応えてくれた。そんな彼の笑みを見詰めてから、雷はまた手元のトランプ柄のチョコに視線を落とす。大人びた雰囲気の包装がされてあるお洒落なチョコは、大きさも同じだ。ただ、形が違う。きっと、このハート型のチョコを誰が食べるかで、暁達と揉めそうだなぁなんて思うと、自然と笑みが零れた。

 

 


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