花盛りの鎮守府へようこそ   作:ココアライオン

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周到と誤差の神

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日前、政界の大物数人が、“艦娘の売買”を行った疑いがあるとしてニュースが流れ、世間を騒がせた。彼ら社会の裏側で軍属の人間、それも、大本営上層部との繋がりがあったようだ。今回、ニュースにも名前が出た彼らはまず間違いなく、少年提督や野獣を始末しようとしていた“黒幕”達の一部なのだろうが、その悪事が隠蔽されることなく表沙汰になっているのが不穏だった。

 

 あれだけ大掛かりで手の込んだ鎮守府の襲撃に関しては、ほぼ完全に情報が操作、隠蔽されていた筈だ。にも関わらず、こうして世間から注目を浴びるようなニュースが出てくるということは、“黒幕”達の中でも権力や利益を巡った陰謀が渦を巻き、その謀略に嵌められ、蹴落とされた者が出始めたということだろう。

 

 世界は動き始めている。

 鈴谷を置き去りにしていこうとしている。

 

 

 鎮守府庁舎の地下にある禁固房に押し込まれて、どれほどの時間が経っただろう。この禁固房は艦娘用ではない。本来は鎮守府に不法に侵入した者や、軍規違反を起こした提督などを入れておくためのものだ。鉄格子の扉からは、冷えた空気が入ってくる。壁も床もコンクリートが剥き出しである。ベッドとトイレはあるものの、かなり狭い。壁の端から端まで、約4歩ほど。三畳より少し広い程度の広さだろうか。当然、ベッドとトイレも相応の大きさで配置されている。その固いベッドに腰掛けた鈴谷は、俯き、自分の足元を見詰めていた。

 

 どうして、こんなことになったのだろう。どうしていれば、こんなことにならなかったのだろう。何がいけなかったのだろう。何処かで、誰かが、何かを間違えたのだろうか。頭に浮かぶのはそんなことばかりだ。答えなど出ない。鈴谷の心の中に湧き上がろうとする憤りや憎しみといった感情は、それを上回る悲嘆と絶望が飲み込んでいた。体に力が入らないままで、鈴谷は自分の爪先を見つめたままで唇を小さく噛んだ。蛍光灯の無機質な光が冷えた空気に滲み、固いコンクリートの壁を照らしている。

 

 つい先ほどまでは、禁固房の鉄格子の向こう側には見張りの憲兵が立っていたが、今はいない。“抜錨”状態になることが出来ないよう、体の機能を大きくスポイルされた今の鈴谷たちを見張る必要はないと判断したのだろう。今の鈴谷たちでは、禁固房を破ることなど到底できない。解体・破棄施術を受ける時間までに、何らかの行動を起こすことは不可能だった。出来ることと言えば、ただ大人しくしているだけだ。

 

 

 寒い。寒いな。今日は。ひどく寒い。そう感じて、鈴谷は自分の体を抱きくようにして、両肩を手でさすった。指先や顎先が震える。それに呼吸も。寒い。息を吐く。だが、その吐息が白く煙ることはない。温度が低いのではない。ただ鈴谷が震えているだけだ。ぎゅっと目を瞑る。夢なら覚めて欲しい。そう願うが、鈴谷の心を捉える絶望感は、これ以上ないほどの現実感を伴い、体を震わせてくる。寒い。寒い。いや、寒いのではない。怖いのだ。息を震わせながら視線を上げ、鉄格子が嵌められた窓を見る。

 

 四角く切り取られた空は、灰色をしている。あの分厚い雲の層の上に青空が存在していることを思うと、野獣たちと過ごした日々が脳裏を巡り、涙が出そうになるが、それを堪える。息を大きく吸って、喉を震わせながら吐きだすのも、これで何度目だろうか。両手で顔を覆う。堪えていた嗚咽が漏れそうになる。

 

 心の中の水位が上がってくる。一度決壊すれば、もう、どうしようもなくなる予想はついていた。解体されて破棄されるときは、野獣に泣き顔は絶対に見せたくなかった。絶対に笑っててやると自分に誓った。でも、もう無理そうだと感じていた。強がりも理性も崩れ落ちて、心の中に縋るものが何も残らなくなりそうだ。視界が滲んだ。それが涙の雫となって、零れそうになった時だった。

 

「あっ。いっけねぇ」

 

 声が響いてきた。自分の声ではない。ぶっきらぼうな声音だが、芯があって力強い。それでいて、俯く鈴谷の肩を軽く叩いてくれるような優しい声だった。それが、隣の禁固房に入れられている天龍のものだと気づいたのと、ほぼ同時だった。

 

「……何ですか、こんな時に」

 

 天龍のものよりも少し遠くの禁固房から、もっと低い声がした。このドスの効いた重低音は、不知火のものだ。鈴谷は鼻を啜って顔を上げる。二人が会話を始めた。

 

「いや、龍田に借りてた本なんだが、返すの忘れてたんだよ」

 

「それくらいなら許してくれるでしょう。……どんな本を借りたんですか?」

 

「ちょっと昔の文学小説だよ」

 

「えっ」

 

「えっ、てなんだよお前、その反応はよ」

 

「いや、天龍さんが文学とか、笑えるくらい似合ってないと思っただけですよ」

 

「正直過ぎるだろお前」

 

「他意はありません」

 

「だろうな。こんな状況でケンカ売ってくるんだもんな」

 

「そんなつもりはありませんが」

 

「じゃあ、どういうつもりだよ」

 

「正直な感想を述べただけです」

 

「うるせぇんだよお前は」

 

 不知火と天龍のやり取りは、いつもの二人のものであり、日常の中で交わされるコミュニケーションの一つでしかなかった。中身は無いが、緊張も遠慮ない。それに今の状況に対する悲壮も絶望も、そして動揺も無い。他愛のない二人の会話が、胸に沁み込んでくる。今の自分の状況に押し潰されつつあった鈴谷の心を、そっと支えてくれた。おかげで、今にも自暴自棄に陥らずに済んだ。もう一度だけ鼻を啜った鈴谷は、零れかけた瞼の湿りを腕で拭い、顔を上げる。

 

「……それは、なんていう文学作品だったの?」

 

 そこに、また別の声が参加した。また別の禁固房に入れられている時雨だ。彼女の可憐でありながら落ち着いた声が少し震えているのは、多分、鈴谷の気のせいではない。天龍と不知火が持つ“日常”の空気を膨らませ、先ほどこまで禁固房を包んでいた冷たい沈黙を振り払い、遠ざけようとするかのようだった。そしてそれは、鈴谷も望んでいたことだった。時雨が訊かなければ、鈴谷が全く同じ質問を口にしていただろう。

 

 天龍がその作品の名前を答えると、不知火が「あぁ」と声を出し、時雨も「それなら、僕も読んだことあるよ」と答えた。声の様子からすると、どうやら不知火も読んだことがありそうだった。鈴谷はその作品名を聞いたことがある程度で、読んだことが無かった。この冷たい禁固房の中に“日常”の温もりを、出来るだけ持続させたいと思った。

 

「どんな内容なの?」

 

 そう訊いた鈴谷の声も、少し震えていた。だが、涙声にならずに済んだ。

 

「ん~、そうだな。なんか、放火する話だったな」

 

「そんな物騒な話なの……」 

 

 神妙な声で言う天龍に、思わず鈴谷は素の反応をしていた。

 

「まぁ、間違ってはいないけど」

 

 苦笑を浮かべているのだろう時雨の声が続き、そのあとで不知火が一つ息をつくのが聞こえた。

 

「主人公は、自身を追い詰める呪縛や矛盾と、その象徴を破壊する為に放火を決心する……、という内容だったと思います」

 

 不知火の低い声で要約された内容はやはり物騒に感じたものの、その行為の覚悟に至るまでには、その物語の主人公には多くの葛藤や経験の積み重ねがある筈だ。天龍が「そうだな。確かに、そんな内容だった」と、その文学を読んだときに抱えた感情を思い出すような、しんみりとした声をだした。

 

「まぁ、俺達は何かをぶっ壊すことも出来ねぇからな。結局、人間社会の付属品だったってわけだ」

 

「……そんなことは」

 

 時雨はそこまで言ってから、口を噤んだ。鈴谷も、何を言えばいいのか分からなかった。不知火がゆっくりと息を吐きだしたのが分かった。

 

「それでも不知火は、その役割の中で人生を得たのだと思っています」

 

「……俺たちは人間じゃねぇ。だから、人生じゃねぇだろ」

 

「細かいことを気にするくせに、龍田さんに本を返すのは忘れるんですね」

 

「うるせぇんだよお前はよ」

 

 バツが悪そうに言う天龍の声が、禁固房に響いた。鈴谷は視線を動かす。鉄格子がされている窓の外を見た。薄暗く、煤けた色の空が見える。今にも雨が降り出しそうな曇天だ。その雲の向こうには、間違いなく青空が広がっているのを思うと、この鎮守府で過ごしてきた記憶が、自然と溢れてきた。先ほどまで鈴谷の胸の内を支配していた絶望と無念が解け、暖かな気持ちが胸に満ちていくのを感じた。

 

「でもさ、人生って言える程度には、濃い時間だったよね」

 

 無意識のうちに、そう声に出していた。

 

 抗えない現実として、この鎮守府の“日常”は、今日で終わる。それはもう、鈴谷たちにはどうすることも出来ないことだ。少年提督も、少女提督も、野獣も、打つ手はない。この鎮守府の在り様も、圧倒的なこの世界の構造に飲み込まれて、世間が望む形に姿を変えていく。好む好まざるに関わらず、受け入れるしかない。

 

 鈴谷は今日、解体・破棄され、鈴谷では居られなくなる。鈴谷は、鈴谷ではなくなる。だが、それでも、鈴谷が過ごしてきた時間が無かったことになるわけではない。仲間の艦娘達は、この鎮守府での思い出を携えて、これからも戦っていくのだろう。終戦の日まで、海の上で気高く命を張り続ける仲間たちを想う。

 

「うん……、いろいろ在ったよね」

 

 時雨の声が響く。ゆっくりと記憶の蓋を開け、そこに仕舞われた宝物を愛おしむような、様々な感情を宿した声だった。

 

「そりゃ、お前らは野獣に召還されたんだ。色々あっただろうな」

 

 くっくと喉を鳴らして笑うように、しかし、確かに親愛の情を込めた声で天龍が茶化す。

 

「天龍達の提督も、たいがい無茶ばっかりしてるじゃないか」

 

 時雨が軽く笑いながら言うと、「それは言えていますね……」と不知火が呻く。「まぁな。アイツ、頭よさそうに見えて結構バカだからな」なんて、お姉ちゃん風を吹かす天龍が鼻を鳴らすと、「いや、それは……、それも言えていますね」と、一度は否定しようとした不知火が苦しげに言葉を翻すのが聞こえて、鈴谷は笑ってしまった。

 

「加賀が島風の格好してたのは、地方の夏祭りだったっけか」。「えぇ。あの時は、ビスマルクさんも島風の格好をしていましたね」。「そういえば、鎮守府の裏手にある山で肝試ししたのも、同じ頃だったかな」。「……俺と摩耶、それに叢雲がゴキブリに喰われかけた奴だな」。「えぇ、何それ……」。「肝試し系は気合入れてたね、野獣」「おかげで、明石屋敷や逃走中では、ひどい目に遭いましたが」。「あとは、そうだな……、学園ドラマみたいなのも撮ってたよね」。「あれが受けたお陰で、本営に目をつけられたんだよな」

 

 禁固房に入ったままで、誰もはしゃいだ声を出さない。だが、話は途切れなかった。ここに居る4人が、其々に思い出を辿り、懐かしみ、過ぎていった時間を目で追いながら、その尊さを共有していた。

 

「深海棲艦の研究施設が隣に来てから、また賑やかになったよな」。「深海棲艦を、秘書艦見習いにしようなんて考えるのは、君たちの提督ぐらいだろうね」。「……まさか、戦艦レ級に書類の扱いを教えることになるとは思いませんでしたよ」。「二人はレ級と仲いいよね。ほら、前もさ、一緒に餃子か何か作ってたときあったじゃん」。「餃子がポップコーンみたいになってた時だね」。「あぁ。俺がレ級にバックブリーカーをかけた時だな」。「懐かしいですね」。「他の深海棲艦たちとも、僕たちは良い関係を築けた筈だよ」

 

 そうだ。時雨の言う通りだ。あの襲撃事件の夜、艦娘達を助けてくれたのは深海棲艦だった。そして、深海棲艦達を連れてきてくれた少女提督にも、深く感謝している。本当に、いろんな事が在ったのだと、改めて実感した。時雨が洟を啜ったのが分かった。それに、冷たい空気を軽く擽るような息遣いも。時雨が泣いている。

 

 気付かないフリをしようとして、動揺した。すぐに鈴谷の視界もぐちゃぐちゃになった。涙だ。奥歯を噛む。震える胸の中の空気、ゆっくりと吐き出す。大丈夫だ。鈴谷は、野獣を恨んだりしない。そう伝えた。伝えておいて、良かった。

 

「……今日は、良い天気ですか?」

 

 鈴谷も泣き出したことを察したのだろう不知火が、場の空気を取り繕うように言う。

 

「何すっとぼけたこと言ってんだお前はよ。お前の禁固房には窓が無ぇのか?」

 

 天龍が軽く笑った。

 

「今にも一雨来そうな空だろうがよ」

 

 

 

 

 憲兵たちに従うようにと各々の提督から“命令”された艦娘たちは、食堂に集められていた。彼女たちは明らかな憎悪と敵意をこめて見張りの憲兵を睨んでいたり、或いは、沈痛な面持ちで涙を堪えて俯いている。普段なら和気藹藹とした活気に溢れる筈のこの場所も、今は深い悲嘆と激しい憤りで満ちて、やけに暗く見えた。

 

 ここに集められた皆は一様に、不知火や天龍、時雨、鈴谷達が解体破棄されることに異議を唱えたいに違いなかった。だが、感情に任せて騒ぎ立てることも出来ない。その反抗的な態度が、また別の艦娘を解体破棄せよという命令に繋がりかねないからだ。艦娘という種が、人間の従属物であることを改めて思い知る。深く息を吸う。

 

 テーブル席につき、今の食堂の様子を観察する龍驤もまた、自分の胸内に吹き荒ぶ憤怒や憎悪を持て余していた。この激しくも暗い感情が、“社会”や“人間”といった曖昧で巨大なもの向いていることは自覚している。この感情を預けるだけの具体的な行動を起こすことは、今の自分たちには出来そうにないことも十分に理解している。人間である憲兵たちに、艦娘が危害を加えることは不可能だ。

 

 それに加えて今の龍驤たちの喉首には、錨を模した錠前を取り付けた、金属繊維のチョーカーが嵌められてある。強力な儀礼済みの拘束具だ。これのおかげで、龍驤たちは“抜錨”状態になれない。運動能力や筋力も、見た目通りの女性の力を出すのがやっとに抑えられている。さらに言えば、艦娘たちが持っている携帯端末も、今は遠隔で機能を殺されてロックが掛かっている。少年提督や野獣、それに、少女提督に連絡をとることも出来ないし、当然、外部へのアクセスも出来ない。だから、龍驤が自分の端末をおもむろに取り出してみても、憲兵達がそれを咎めてくる気配は無い。

 

 今の龍驤たちは、徹底的に無力だった。

 

 この状況を何とか打破できないかと、特に駆逐艦娘達の中には殺気立っている者が多く、チリチリとした緊張感が漂い始めているが、何か起こすにしても、今の彼女たちではどうしようもない。そもそも、“抜錨”状態にすらなれない以上、今の艦娘達では、大型の銃器で武装している憲兵たちの脅威にはなりそうもない。それを理解しているのだろう戦艦や空母、それに巡洋艦娘たちは、駆逐艦娘と同じく殺気だっていながらも落ち着きを残している様子だった。

 

 龍驤の傍のテーブル席に腰掛けている大和や武蔵、それに長門、陸奥、赤城、加賀なども、神妙な面持ちで黙り込んでいる。今までの事を思い出しているのか。それとも、これからの事を考えているのか。龍驤も椅子に持たれて目を閉じようとした時だった。

 

 

「普段の食事風景も、こんな感じで辛気臭いのか?」

 

 龍驤の目の前で、低い声が響いた。悪質な冗談とも下手糞な皮肉ともつかないことを、この状況で平然と言ってみせたのは、龍驤の向かいに座って穏やかな表情を浮かべている日向だ。どう反応するべきなのか一瞬悩んだあとで龍驤は、「そうやで。楽しそうでええやろ?」 と返して、ふんと鼻を鳴らす。

 

 

 近くのテーブルに居る大和と武蔵が、敵の深海棲艦を見る目で日向を睨んでいる。長門が歯軋りをする音が聞こえた。大型車をプレス機でゴリゴリと潰すような凄い音だった。陸奥も、今までに見たことがないような鋭い眼で日向を見詰めている。赤城と加賀は、ちらりと日向を一瞥しただけで、相手にしようとはしなかった。無論、他のテーブルなどからも、殺意と敵意が籠った視線が流れてきている。

 

 前の襲撃事件で、少年提督の暗殺を担当した日向の隣には、野獣を殺害して回収しようとした川内と神通の姿もある。川内は頭の後ろで頭を組んで、リラックスした様子で食堂を見回している。神通の方は姿勢よく椅子に座り、静かに瞑目したままで動かない。現在の彼女達も一応、肉体機能を抑制するチョーカーを嵌められた上で、少年提督の管理下にある艦娘として食堂に集められていた。

 

「君は、食事をするのか?」

 

 のんびりとした様子の日向が話し掛けてくる。同じ種族でありながら、全く異なる文化について問いかけてられているような気分だった。龍驤は頬杖をついて、日向に視線を向ける。

 

「ウチらが食事してたら、何か悪いんか?」

 

 自分でも驚くくらい、龍驤の声は尖っていた。

 

「いや。なぜ、そんな非効率なことをするのかと疑問に思っていただけだ」

 

 日向は口の端を緩めて、肩を竦めた。この日向はどうやら、過激派の提督達のもとに召還され、自身の存在価値を戦闘と戦果に置いてきたらしいという話は聞いていた。徹底された効率重視の艦娘管理・運用の下で生きてきた目の前の日向は、此処の鎮守府の艦娘達のような人間らしい営みを経験したことも無いのだろう。それを哀れだと思うのは傲慢であり、日向が養ってきた価値観の否定になると思った。

 

 それに日向の問いには、嫌味や皮肉と言うよりも、彼女が生きてきた時間に根付いた価値観の投擲に似た響きがあった。龍驤たちが生きてきた時間を理解しようとする努力の為に、自分の考えを披露したのだ。気付けば、川内と神通も、龍驤の方を見ていた。こんな時に、何を暢気な話をしとるんやろな、ウチは。頬杖をついたままで龍驤は下顎を突き出して、一つ息を吐く。

 

「……美味いモンを、気の置けん仲間と食べたいと思ったりせんの?」

 

「兵器である私達には、そんな人間的な行為は不要じゃないか」

 

「不要やけど、不自然じゃないやろ。兵器の中には人間が居るやん」

 

「居ない場合もある」

 

「いや、居るで。銃でも剣でも、ミサイルでも何でもな。それを作り出す為の設計とか思想とか目的には、必ず人間が関わるやんけ」

 

 龍驤は眼に力を込めて、日向を見た。川内の視線を感じる。神通も龍驤を見ている。

 

「ウチらの中には人間が居るんや。君らだってそうやろ。艦娘一人ひとりに違う人間が居って、そこに個性も感情も宿ってくる。ウチらが人間らしい生き方をする理由なんて、それで十分ちゃうの」

 

 龍驤は、日向と川内、神通を順番に見た。日向は何かを考えるように視線を伏せ、少しの間、そのまま目の動きを止めていた。川内が何かを言おうとしかけて止めたのが分かった。彼女たちは人格を破壊されていない。木偶ではない。“兵器である艦娘としての強さ”を実践する為には、人格が必要だからだ。そこには、明らかな歪さがある。神通も伏し目がちな思案顔になっている。ゆっくりと瞬きをした日向が、龍驤に向き直った。

 

「それでも、人間性を美化する理由にはならないと思うがな。殺戮と従順は、艦娘の天性だ。同時に、兵器としての艦娘の造形美であり機能美だろう」

 

「だから人間性なんざ要らん、って言いたいんか? ……そうやって必死に理屈を捏ね回した言い草自体が、まるで人間みたいになってるけどな」

 

「おい貴様ら、何を騒いでいる!」

 

 憲兵の怒声が響く。見れば、3人の憲兵が龍驤たちの居るテーブル席を囲んでいた。こちらを威圧するように、手にした銃を構える素振りを見せた。ただ、表情を強張らせた憲兵達に余裕はない。“抜錨”状態になれずとも、やはり兵器としての艦娘の力を恐れているからか。わずかな怯みを湛えた憲兵たちの眼差しを向けられて、どうしようもなく、龍驤の胸が軋んだ。あぁ。やっぱり、ウチらは兵器である方がええんかな。

 

「……えらいすんまへん。大人しくしときますんで、勘弁してください」

 

 龍驤は席から立ち上がり、憲兵達に頭を下げる。ここで余計な騒ぎを起こせば、そのしわ寄せは少年提督に行くだろうとも思えた。今でさえ、不知火と天龍を自らの手では解体・破棄しろと命令されているのだ。龍驤の所為で、さらに何人かの駆逐艦娘を破棄せよ、などという命令が出されるのだけは避けたかった。そんな龍驤の心情を察してか、日向も立ちあがり、黙ったままで頭を下げてくれた。川内と神通も黙礼している。龍驤や日向に反抗の意思がないこと見て、憲兵達も心なしかホッとしている様子だった。

 

 憲兵達が遠ざかった後だった。

 

「同じことを君たちの提督からも、いや……、君たちに提督の内に居る“得体の知れない何か”にも、同じことを言われたよ」

 

 自嘲するように、日向が肩を竦めて見せた。その仕草や言葉に含まれた感情は、この日向が、人格を破壊された木偶の艦娘ではないことを雄弁に物語っている。兵器として在るべき己であろうとする、日向の意思の強さを感じた。そして、その意思の強さそのものが、日向の中にある人間性の証明だと思えた。

 

「どうも私は、大きな矛盾を抱えているようだ」

 

 日向の声は重い。艦娘は兵器であれ。その信念を胸に生きてきた日向にとって、この鎮守府の艦娘達の生き方は、相容れないのかもしれない。だが、それでも良いと思えた。少年提督と野獣が目指した“人間と艦娘の共存”とは、こうした艦娘一人ひとりの持つ想いを、善悪と正誤で区別するべきことではない筈だ。

 

 日向のように己を兵器であると信じている艦娘が居るのであれば、その信念は尊重するべきだと、少年提督なら答えるだろう。でも、だからと言って、ブラック鎮守府と言われるような非人道的で過酷な運用を彼女達が望み、自身の消耗を希うようなことがあっても、野獣はそれを許さない筈だとも思えた。

 

 そう言えば昔の赤城も、自身の存在価値を戦果にだけ結び付けたような、冷徹な戦闘マシーンだった。戦闘以外の興味など一切持たず、ただひたすらに深海棲艦を殺して殺して殺しまくる一航戦の話は、多くの味方艦隊を鼓舞し、奮起させながらも、同時に畏怖を抱かせた。そんな赤城が、多様な料理を幸福そうに頬張って表情を蕩けさせている姿を、あの激戦期の頃に誰が想像できただろう。

 

「別にええやん。誰だって矛盾ぐらい抱えるやろ。生きてたら、いろんなこと考えるしな。そういう切っ掛けも山ほどある。信念とか信条とか、力一杯抱えた分だけ垢もつくやん。理想の形が変わることだってあるやん」

 

 龍驤は頬杖をついた姿勢のままで、テーブルの表面を見詰めた。

 

「さっきもな、キミを煽るつもりはなかったんや。ウチは、キミ等の考え方を否定するつもりはない。ただやっぱり、ウチらは人の形をしとるからな。世間っていう言葉も、人間っていう言葉もな、ウチらから引き剥がせんやろ」

 

 憲兵には聞こえない程度に声を抑え、それでも、力を込めて言う。

 

「だからな、キミらも、ウチらも、今まで生きてきた時間は、兵器や道具としての経年やなくて、……それを人生って呼んでも、別にバチは当たらんのとちゃうかな」

 

 大和が低く呻くのが聞こえた。いや、違う。体を震わせて俯き、大和は涙を流していた。唇を噛み、嗚咽を堪えている。洟を啜った武蔵が、震えた息を吐いた。テーブルに両肘をついた長門が、顔を両の掌で抑えて、歯を食い縛り、唇を震わせている。陸奥が泣いている。その悲哀は、周囲から伝播してきたものらしい。

 

 気付けば、先ほどまで物騒に殺気立っていた駆逐艦娘達の多くが啜り泣き、嗚咽を漏らしている。巡洋艦たちも同じような様子だ。悲しみに満ちた今の食堂こそが、この鎮守府の崩壊を明確に示唆していた。愛しい日常の終わりだった。

 

「それにな、ウチらがホンマに、ただ道具で兵器やったら、こんな気持ちにならんでも済んだんやろうしな」

 

 今まで過ごしてきた濃密な時間が、目を閉じる龍驤の瞼の裏を過った。本当に、いろいろとあった。この鎮守府に召還されて良かったと思う。振り返る想い出が優しくて暖かいほど、残酷なほどに龍驤の心を抉る。抜き身の刃物で胸を刺されるような痛みが在った。冷静になればなるほど、今の状況のどうしようもなさを思い知る。言葉の最後が震えそうになるのを堪える。頬が強張るのが分かった。鼻の奥が痺れ、横隔膜が震える。不味いと思って、龍驤は顔を片手で覆う。

 

「……じきに、状況は変わりますよ」

 

 神通の声だった。龍驤にだけ聞こえる程度の声だ。龍驤は袖で眼を軽く拭って、神通を見た。神通は龍驤が顔を上げるのを待ってから、携帯端末を取り出してテーブルの上に置いた。その端末もまた、機能を殺されて遠隔でロックされている。何の役にも立たない。だから、神通の行動を憲兵が咎めてくる気配もない。

 

「そういう風に、貴方たちの提督に、……ううん、“私達の新しい提督”から話を聞いてるんだ」

 

「……なんやて?」

 

 龍驤が眉を顰める。悪戯っぽく唇の端を持ち上げた川内も、携帯端末を取り出してテーブルの上に置いた。これも同じく、ディスプレイには機能ロックの文字が記されていた。そろそろだな……、と呟いた日向も、食堂の時計を確認してから、携帯端末をテーブルに置いた。

 

「一仕事する前に、興味深い話を聞かせて貰ったよ。私の矛盾はそのまま、自分の人生を愛する努力だったというワケだな」

 

 鷹揚とした日向は、穏やかな表情で胸を張る。

 龍驤は、また日向たちの顔を順に見た時だった。

 遠くで爆発音が響いた。

 

 作戦会議室がある庁舎の方角からだ。食堂にどよめきが走る。すぐに一人の憲兵が食堂に駆け込んできた。かなり焦っている様子だった。何らかの緊急事態が起こったのだろうという事は分かった。今まで食堂の艦娘達を見張っていた憲兵達も、駆け込んできた憲兵に駆け寄っている。彼らは何かを話し合っている。耳を澄ませるが、よく聞こえない。食堂の時計を一瞥した川内が、唇の端に笑みを乗せた。

 

「凄いね。提督の言ってた時間通りだよ」

 

「……信じがたいですが、未来を視ることが出来るという話は本当のようですね」

 

 気味悪がるように言う神通は、すぐにでも立ち上がれるように椅子を少し引いた。

 

「ちょっと待ってくれ、君らは何の話をしてるんや」

 

 龍驤は、憲兵達の様子を伺いながら、テーブルに身を乗り出す。何かが起ころうとしている。落ち着いた笑みを浮かべた日向が、龍驤に向き直った。

 

「君は、神仏を信じるタイプか?」

 

「……どういうこっちゃ」

 

 妙な質問ばかりしてくる日向に、龍驤は眉を顰める。

 

「私は、そういう類の存在が提督をしている世界というのも、悪くないと思っているんだがね」

 

 日向はゆったりとした態度で言いながら首を傾け、焦っている憲兵達を見回している。この時点で、龍驤は猛烈に嫌な予感がしていた。薄っすらと、何が起ころうとしているのかが分かりかけていた。先ほどまでとは種類の違う震えが、背筋と呼吸に走る。数人の憲兵達が食堂に残り、他の憲兵達が駆け出していく。それを確認した日向が眼を細めて、視線だけで龍驤を見た。

 

 同時だったろうか。テーブルに置かれていた彼女達の携帯端末のディスプレイが微光を放ち、共鳴するかのように震えた。端末から立ち昇る微光は渦と線を描き、テーブルの上の空間に、深紫色をした巨大な積層術陣を描き出していく。

 

 大和や武蔵、それに長門や陸奥、赤城、加賀は、何事かと驚愕した様子ではあったが、すぐに席を立ち上がって此方を見ていた。何かが起これば、それに対処するべく動こうとしていたに違いなかった。あたり前だが、龍驤だってそうだ。席から立ち上がり、日向たちに向き直ろうとしたが、出来なかった。その場に崩れ落ちてしまう。

 

 体に力が入らない。見れば、他の艦娘も達も同じような様子だった。大和と陸奥は、テーブルの淵を掴み、何とか倒れ込まないように体を支えている。武蔵と長門は膝をついて歯を食い縛り、体を起こそうとしている。またか。また、これか。襲撃事件の夜に喰らったものと同じ、艦娘の肉体を無力化する術式だ。まさかこれを、もう一度喰らうことになるとは。

 

 野獣が言っていた。すでにこうした術式の展開には対策を打ってあると。だが、それはあくまで外からのものを跳ね返すバリアみたいなものだ。こんなにも鎮守府の内部深くで発生した術陣を防ぐことは出来ない。これは、野獣の油断ではない。日向たちが野獣の対策の裏をついたに他ならない。そして、日向、川内、神通の3人だけは、この術式の影響を受けないのも、あの夜と同じだ。

 

 ふざけんなや……!! 龍驤は掠れた呼吸に混じらせて、叫ぶ。いや、それは叫びにすらなっていなかった。蚊の鳴くようか細い息の捻じれでしかなかっただろう。何でや。何をしようとしてんねん。声が出ない。食堂に残っていた数人の憲兵達も、今の食堂の異変に気付いて何かを喚いている。

 

『そろそろ時間です。……日向さん、お願いします』

 

 声がした。愛しさすら感じる、聞き慣れた声だ。機能をロックされている筈の日向たちの携帯端末の中に、“彼”は潜んでいたのだ。テーブルに置かれている彼女達の端末は、少年提督が用意したものに違いない。

 

 龍驤はそこで気づく。積層術陣から漏れる光は食堂の隅々にまで行き渡り、体を動かせずにいる艦娘たちのチョーカーを光の粒に変えて消散させていた。日向や川内、それに、神通が嵌めていたチョーカーもだ。どうやら彼女達が展開した術陣効果は、艦娘の肉体を抑えるだけでなく、儀礼装備の解体にまで及ぶようだ。

 

 動けない龍驤の心の中で、焦燥だけが暴れまわる。とんでもなく高度な術式が行われているということと、日向たちが艦娘としての力を十全に発揮できる状態になったという事だけしかわからない。またウチらは置いてけぼりかい。舐めんなよホンマ殺すでしかし。ちょっと待たんかい。

 

「龍驤。君達の出番は、じきに来る。私たちは先に動いているよ」

 倒れ込んだ龍驤は視線を動かすが、テーブルの陰に隠れて日向たちの姿が見えない。彼女達が席から立ち上がり、テーブルに置いていた携帯端末を其々に仕舞うのが分かった。だが、展開・発動している術陣は消えずに、龍驤たちを無力化する効果と共に、その場に留まり続ける。舌打ちをしそうになってもそれが出来ず、余計に怒りが溜まる。

 

 おい。待てや。何処に行くねん。やはり、声は出ない。息が震えるだけだ。龍驤の代わりに、「おい止まれ!」「何処へ行く!」「貴様、待て!!」という、数人の憲兵の怒声が聞こえた。だが、今の日向達を憲兵が止めることなど不可能だ。だが、日向達を追う形で、焦る憲兵達の隙をついて食堂から駆け出して行こうとする艦娘の気配が幾つかあった。アイツらか。前に続いて、ホンマにスマンな。……頼むで。ウチも、すぐに追いつくさかい。

 

 

 

 

 

 


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