花盛りの鎮守府へようこそ   作:ココアライオン

28 / 40
月光の下 終篇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不知火は、未来を視た。いや、正確には、膨大な情報を記憶や知識として埋め込まれたような感覚だった。戦闘の最中、飛び掛かって来た金属獣の横っ面を、左手に握り込んだ錨で殴り飛ばした時だった。金属を、金属で殴打して破壊する感触が掌に伝わり、その衝撃が消えていくまでの刹那に、不知火は、未来を垣間見ていた。その事に動揺する間もなかった。意識が肉体に戻って来た次の瞬間には、別の金属獣が飛び掛かってくる。不知火は咄嗟にソイツも殴りつけて蹴倒してから、頭を踏み潰した。

 

 乱れかけた呼吸を整える。意識の中に流れ込んできた先程の映像、景色は、真実なのだろうか。もしかしたら、戦闘の最中に見た幻覚では無いのか。人間を亡ぼすのは、深海棲艦では無く、艦娘であるというのは本当なのか。そうやって疑うことで、胸の内に広がっていくザワつきを何とか跳ね返そうとしている自分に気付く。連装砲を立て続けにぶっぱなし、雪崩のように押し寄せて来る金属獣の群れを砕き、吹き飛ばす。野獣達も不知火と同じく、未来の映像を見せられたのだろうかと思う。そんな風に、余計な事を考えているのが不味かった。

 

 右斜め後ろから突っ込んできた、四足の金属獣への反応が遅れた。不知火は体の軸をずらし、金属獣の突進を避けようとした。間に合わなかった。衝撃と同時に、連装砲を持っていた筈の右腕の感覚が消し飛んだ。金属獣が不知火の右腕を、その肩口から食い千切って行ったのだ。動きをスポイルされていて動きが鈍っているとは言え、金属獣の数は、相変わらず脅威だった。次々と襲い掛かってくる。右腕を失って、不知火はよろける。だが、倒れない。倒れてはならない。右肩から血が流れ出ている。それがどうした。

 

 不知火は、残った左腕で握った錨を思うさまに振り回し、次々と金属獣を殴り伏せる。不知火が動くたび、右肩の傷口からは夥しい量の血が散って、足元の鋼液に赤い滲みを打った。片腕を失った不知火を押し潰すように、金属獣達がワラワラと湧いて、囲んでくる。不味いと思った時だった。

 

 

「おっ、やべぇ!119番だな!(助太刀)」

 

 十数匹の金属獣を一瞬で両断した野獣が、劣勢に陥りそうになった不知火の傍に飛び込んで来てくれた。野獣は、妙に腹立たしい下手糞なウィンクをして見せてから、両手に持った刀をビュビュンと振るう。その剣筋は全く見えなかったが、周りに居た金属獣達が吹けば飛ぶ紙屑のようにバラバラに切り刻まれて飛び散った。

 

「そうでありますな(便乗)」

 

 あきつ丸も、野獣が斬り飛ばした金属獣達の破片に飛び移りながらアクロバティックな宙返りジャンプを決めつつ、不知火の傍に着地して来た。あきつ丸も、やはり強かった。腰の軍刀の柄に添えられた彼女の手がブレる度に、間合いに入っていた金属獣の首が、次々と刎ねられて飛んだ。あれが正しい居合い斬りなのかどうかは分からないが、やはり刀を抜いていないようにしか見えなかった。

 

 あきつ丸と野獣が戦う傍で、また新たに湧いてきた金属獣の群れに対しては、「いかん、危ない危ない危ない(レ)」なんて言いながらレ級が、金属獣の群れをぐちゃぐちゃに叩き潰し、巨大化した尻尾の艤装獣で払い除けて吹き飛ばしつつ近寄って来た。まるでブルドーザーみたいにして近寄って来たレ級は、不知火の傷を見て、少しだけ表情を歪めた後、ニッと笑う。

 

「病院に行くべ! 元気になりやす!(レ)」

 

 その子供っぽい表情と場違いな明るい声で言いながらも、レ級は現在進行形で尻尾の艤装獣を振り回して、金属獣を鉄屑の山に変えていた。この3人が、傷を負った不知火のカバーに入ってくれたのは間違いなかった。

 

 状況はなかなか好転しない。集積地棲姫が張った結界の御陰で、金属獣達の動きは鈍っているものの、破壊された金属獣はすぐに修復されて、鋼液の海からも湧き出してくる。片腕失った不知火も、すぐに戦闘に戻る。痛みと共に、潮の匂いと海風を微かに感じた。

 

 気付けば、埠頭はすぐ其処だ。

 不知火達と少年提督との距離は、縮みつつあるが、まだ埋まらない。

 遠い。金属獣の壁が厚過ぎる。このままでは――。

 

「『“まだ此処に着かないか?”』」

 

 少年提督の声が、金属獣の口から響く。やはり、何処までも穏やかな声音だった。此方を煽ったり小馬鹿にしたりするような含みの無い、凪いだ声音だ。

 

「『“どうした、疲れたか? やはり、私を止めることは出来ないのか?”』」

 

 疲れなど……! 不知火は叫びそうになるが、「馬鹿野郎、お前」という野獣の、力を込めた低い声が遮った。

 

「俺達は勝つぞお前(合同勝利へ)」

 

『“私達も混ぜなさいよ”』

 

 この場一体を夜空が撫でてくるような、冷たく澄んだ風が吹いたのを感じた。いや、それは風というよりも、身体の奥深くまで浸透してくる微光の流れだった。何かが起こったのは間違いなかった。金属獣の体に、深紫色をした禍々しい紋様が浮かび始めている。ギチギチと体を強張らせた金属獣達の動きが更に鈍り、その場に倒れ始めた。まるで、術式結界によって動きを封じられた、先程の不知火のようだった。見れば、夜空を覆う術式結界のドームも、深紫色を暗がりに滲ませるように淡く明滅していた。

 

『“遅くなってゴメン”』

 

 この声は。少女提督の声だ。それに、少年提督のAIの声だった。二つの声が重なっている。ただ、重なっている少女提督の声の方だけが、溺れている最中のように震えていた。足元の鋼液の海の上へ、金属獣達が次々と倒れ込んでいく。その向こうに、此方に背を向ける少年提督が見えた。更にその向こうには、少年提督が向かおうとする埠頭への道に、立ち塞がっている人影が、3人分見える。

 

「『“あぁ。来たか、少女よ”』」

 

 少年提督の表情は見えない。だが、幾重にも重なった彼の声が、喜びを含んだ。彼の視線の先には、VR機器を装着し、身体から深紫色の微光を立ち上らせている少女提督と、その少女提督に肩を貸している野分、それに、集積地棲姫の3人の姿がある。

 

 野分に身体を支えて貰っている少女提督の足元には、巨大で複雑な術陣が描き出されている。右の掌を上に向け、左の掌を下に向けていた。その両手の掌には深紫色の術陣が展開されていて、鎮守府を覆っている術式結界に呼応するように明滅している。そうか、と不知火は思う。今こうして金属獣達を無力化してくれたのは、少女提督だったのだと分かった。

 

 ただ、少女提督の様子がおかしい。体が震えていて、荒い息をしているのが此処からでも分かる。それに、凄い量の鼻血を流している。体に負担が掛かり捲るような何かを行使しているのは明白だった。とても言葉を発する事が出来る状態には見えない。そんな少女提督に肩を貸している野分は唇を強く噛み、早く斃されろと呪うかのように少年提督を睨んでいる。

 

 両手に艤装を纏っている集積地棲姫は、幾つもの空間モニターを展開して引き連れており、艤装を装着した分厚い手の指でピアノでも演奏するかのように、モニターを操作している。その其々のモニターからは光の線が伸びて、野分に身体を支えられている少女提督の首や腕、背中に繋がっている。その様子は、病室で死に掛けている患者の命を、懸命に繋ぎ止めようとする延命機械を彷彿とさせた。

 

 不知火達は、数秒だけ動きを止めて、彼女達を見ていた。野獣も、あきつ丸も、レ級も。それに多分、瑞鶴や戦艦水鬼、戦艦棲姫達もだ。さっきまで溢れていた戦いの音が止んでいる。この戦場に居る全員が、束の間の静寂を共有していた。何が起こったのかを把握する必要もあった。不知火達の視線の先では、少女提督の身体から立ち上った深紫色の微光が揺らぎ、髑髏にも似た不気味な陰影を夜の暗がりに象っている。

 

 不知火は、知っている。見た事がある。あの深紫色の光は。そうだ。少年提督が扱う、特質的な術式が放つ色だった筈だ。それを、どうして少女提督が……? 一瞬だけ浮かんだ疑問は、すぐに払拭された。少年提督のAIは、彼女と共に行動していた事を思い出したからだ。少女提督が装着しているVR機器を見る。少女提督の精神に、少年提督のAIが同期しているのか。いや、今の状況を見れば、そう考えるのが自然だ。

 

 少年提督のAIが少女提督の肉体を介して、その性能と機能を、現実世界で発揮しているのだ。そして集積地棲姫は、少女提督が展開している術式結界の補助と同時に、AIと同期している少女提督の精神が、その負荷によって完全に圧潰してしまわない為の、精神治癒施術を同時に行っているのだろう。それは少女提督に出来得る、本当にギリギリ、瀬戸際の状態での対抗に違いない。そして、効果と威力は絶大だ。鋼液によって周囲を汚染し、生命と造形、機能と忠誠を無差別に付与して、あらゆるものを徴兵する“何者”かの力を、正面から抑え込んでいる。

 

 いや、それだけじゃない。埠頭に向おうとしている少年提督が、何かに抑え込まれるように片膝をつく。不知火は眼を凝らす。少年提督の肌にも深紫色の紋様が刻まれ始めていて、その身体を括るように積層術陣が浮かんだ。少女提督とAIが新たに展開した結界は、金属獣だけではなく、“何者”かに乗っ取られている少年提督の肉体までをも拘束しようとしている。術式の出力が桁違いだ。

 

 少年提督が支配していた世界が、ゆっくりと動きを止めていく。

 これは、間違いなく勝機だ。

 

 戦艦棲姫や戦艦水鬼、重巡棲姫、南方棲鬼達が相手にしていた巨人も動きを鈍らせ、艤装獣に掴み倒されている。瑞鶴が操る猫艦戦達も、相手にしていた金属獣がガラクタのように倒れていく。猫艦戦達は標的を変えて、倒れた白い巨人どもに襲い掛かった。まるで水中に落ちた獣に、人食いのピラニアが殺到するかのようだ。向こうでは、もう決着が着こうとしている。

 

 気付けば、不知火は駆けだしていた。倒れ伏していく金属獣を踏みつけながら走り、残った左腕に力を込めて、錨を握り締める。左手の薬指に嵌った指輪が、蒼と碧の光を帯びて、微かに振動しているのを感じた。指輪が少年提督と共鳴している。不知火の肉体と精神もだ。右腕から流れる血は止まっていた。結魂という言葉を想いながら、不知火は走る。決意をしなければならない。少年提督を、一度は殺さねばならない。躊躇ってはならない。

 

「あっ、待ってくださいよぉ!(迫真のフォロー)」

 

「行くぞオラぁ!(レ)」

 

 追い付いてきた野獣が、不知火の右手に並ぶ。

 呵々大笑するレ級は、不知火の左側へ。

 

「終わらせましょう」

 

 冷静なあきつ丸の声は、背後からだ。

 

「『“いや、もう少し時間は掛かるだろう”』」

 

 片膝をついた姿勢の少年提督が――、“何者”かが、俯いたままで安らかな声で言う。足元に広がり地面を覆う鋼液の膜が、ブルブルブルッと、不気味に蠕動したのが分かった。それに、倒れている金属獣達を溶融させつつ飲み込んでいく。まだ何かする気なのか。少年提督が術式文言を紡いでいるのが分かった。黙らせてやる。不知火は、沈んで行く金属獣達を踏み越え、鋼液の海の上を駆ける。少年提督との距離が、グングン縮まっていく。少年提督が此方を見る。

 

「『“此処までは、私にも視えていたからな”』」

 

 鋼液の海が、深呼吸をするように大きく波打つ。

 罠。誘われたのか。そう意識した瞬間には、状況が動いていた。

 

 少年提督の纏う墨色と白濁の微光が、力線となって地面に走る。短く激しい空気の振動が在った。硝子細工を砕くような、細く澄んだ破砕音が鳴った。少年提督を抑え込んでいる術陣が弾け飛んだのだ。少年提督が立ち上がり、不知火達の方へと振り返った。その動きに応えるようにして、鋼液の海がうねり、複雑な術陣を描き出す。大きい。術陣の数は3つ。少年提督へと迫ろうとしている不知火達を、前後から挟む位置に2つ。それに、殆ど身動きが取れない状態の、少女提督の前方に1つ。途轍もない速度で編まれた其々の術陣からは、暗銀の水面を突き破り、巨大な海洋生物が飛び出してくるかのように、黒い巨人が現れた。

 

 溶融しつつあった金属獣達が歪な塊となり、其処にまた新たな造形と生命を与えられて巨人として生まれ変わったのだ。とにかくデカい。幅も厚みも半端じゃない。もう構築物か建築物の類だろう。瑞鶴や南方棲鬼達が交戦していた巨人よりも、もう一回りほど身体が大きく、狂暴な姿をしている。全部で3体。不知火達だけでなく、少女提督達までをも相手に取るつもりなのか。不知火は舌打ちをする。

 

 

 不味い。黒い巨人達はもう、不知火達を挟み撃ちするべく動いている。

 瑞鶴達が此方の様子に気付いたようだが、もうフォローは間に合いそうにない。

 

 巨人は俊敏だった。鍛え抜かれた格闘家のような、鋭く、容赦の無い距離の詰め方だ。あれは木偶じゃない。明らかに生物の動きだった。姿勢を落として突進してくる。しかも前後からだ。少女提督の方へも、巨人は肉薄しようとしている。

 

 血の泡を吹きながら術式結界を維持している少女提督を、焦った様子の野分が抱き上げる。「下がっていろ!」と野分に叫んだ集積地棲姫が、黒い巨人に立ち塞がるように前に出た。この時にはもう、集積地棲姫は気付いていたのかもしれない。この場に飛び込んでくる影が在った。黒巨人の、右斜め上からだった。近くの庁舎の屋上から弾丸のように飛びこんで来た。

 

「前も似たような事したことあるけどさ~」

 

 40もの魚雷の雨を降らせながらだ。

 

「アタシはやっぱ、基本雷撃よね~……ッ!!」

 

 そんな声が聞こえた気がした。魚雷の大爆発と、そこに巻き込まれて砕けていく巨人の絶叫が辺りに響き渡り、音が飽和する。火柱が立ち上がっている。周囲の庁舎が衝撃と熱波で崩れる。だが、爆炎に飲み込まれた筈の野分と少女提督、それに集積地棲姫は無事だ。集積地棲姫が構築した防御陣が、彼女達を守っている。その防御陣の中には、魚雷の雨を降らせた北上の姿が在った。爆風に煽られた着地の際に尻餅でもついたのか。地面に座り込んだ北上は苦笑を浮かべて、腰を擦っている。半深海棲艦化した彼女の制服は、ところどころが黒焦げになっているものの、大きな負傷は無さそうだった。魚雷が爆発する瞬間。飛び込んできた北上を守る範囲で、集積地棲姫が防御陣を張ったのだ。

 

 これら一連の攻防の最中には当然、不知火達へも巨人が迫っていた。

 

 状況の判断が早かったのは、「しょうがねぇなぁ~(悟空)」と零した野獣で、次に、「足止めが必要でありますな」と、あきつ丸が続く。

 

「アイツを頼むゾ(相棒の初期艦への、厚い信頼)」

 

 不知火の右側を走っていた野獣が、此方を視線だけで見た。自身の役割を全うしようとするような、ゆったりとした声だった。不知火が何か言葉を返すよりも先に、野獣はその場で反転する。あきつ丸もだ。不知火が顔だけで振り返ると、もうすぐ其処に黒い巨人が左腕と拳を振り上げて、此方に殴りかからんと迫って来ていた。それを、あきつ丸と野獣が止めに入ってくれたのだ。

 

 グオオオオっと豪快に風を切って、巨人が拳を振り下ろしてくる。まるで隕石だ。完全な攻撃姿勢に入っている巨人を前に、野獣は手にしていた太刀を腰の鞘に直しつつ、長刀だけを背中に担ぐようにして姿勢を落とす。野獣の少し後ろに居るあきつ丸は、身体を極端に前に倒して走り出しつつ軍刀を鞘に納めていた。降ってくる巨人の拳が、野獣に届く。その刹那。野獣は、以前レ級と戦った時のように、半身を塗膜のように鋼で覆いながら、持っていた長刀を後ろに放った。

 

 あきつ丸がその長刀、“邪剣『夜』”を流れるようにキャッチし、直後、巨人の拳が野獣を捉えた。音よりも衝撃が凄かった。地面が揺れて、傾いていた庁舎の一部が崩れる程だった。野獣は両腕で、その巨人の左拳をがっちりとガードしていた。野獣ごと地面を叩き潰す勢いだったが、野獣は両腕を交差させる防御姿勢のままで踏ん張っている。野獣の足元の地面が、クレーターのように砕けて、バキバキバキバキィッ!!と、沈んでいく。

 

「お前重いんだよ!!(パンチが)」なんて悪態をつきながら、黒巨人の拳を野獣が受け止めている間に、あきつ丸が風のように野獣を飛び越えて、黒巨人の拳の上に着地し、そのまま巨人の左腕を音も無く駆けあがっていく。あの二人は昔、コンビを組んで何処かで一緒に傭兵でもやってたんじゃないだろうかと思うぐらい、息の合った行動に見えた。

 

 一瞬で黒巨人の肩まで登り切ったあきつ丸は、“邪剣『夜』”を手の中でグルンと一回転させてつつ握り直し、その巨人の肩から首の後ろを通り、左肩へと駆け抜ける。その途中で、巨人の頭部を横一文字に両断した。人間で言うなら、右耳と左耳を結ぶ線で頭部を切断したのだ。爽快なくらいスパッと行った。野獣が扱う“邪剣『夜』”が特別な刀である事もそうだが、それを扱うあきつ丸の技量もあってこそだろう。

 

 不知火は其処まで見て、いや、見惚れてしまってから、慌てて前を向いた。黒巨人の頭の上半分が地面に落ちた後、巨人の身体が傾き、倒れる音を背中で聞いた。振り返って前を向くまで、時間にすれば2秒も無い。当たり前だが、その僅かな時間の経過の中で、色んな事が起こっている。当然、まだ起ころうとしている。

 

 不知火の目の前。黒巨人が、両腕を組んで振り上げている。ハンマーナックルで不知火とレ級を叩き潰すつもりだ。不知火は怯まない。スピードを落とさない。あくまで突進する。黒巨人の攻撃のタイミングを見極める。左隣に居るレ級が「KAHAッ☆」っと狂暴に笑うのが分かった。楽しそうだ。頼りになる。黒巨人が、組んだ両手を振り上げた姿勢で、身体を前に傾けるのが見えた。

 

 来る。来た。

 

 不知火とレ級は、横へ跳ぶ。不知火達が居た筈の地面を、巨人のハンマーナックルが粉砕し、陥没させた。鎮守府全体が揺れる様な、強烈な一撃だった。だが、不知火には当たっていない。躱した。このまま黒巨人を無視して、少年提督へと向かおうとする。だが、巨人の俊敏さも尋常では無かった。少年提督の下へと行かせまいと、不知火へと向かってビュンと跳んできた。踏み潰す気か。不知火はまた横っ飛びに転がる。不知火が居た地面を、メートル級の巨人の足が踏み砕く。巨人はすぐに体勢を整え、ぬうぅぅっと不知火に手を伸ばしてくる。速い。振り払えない。捕まる。

 

 そう思った時には、「植え付けを行う!(レ)」という声が聞こえた。不知火と巨人の間に割って来ようとしているレ級の声だ。ただ、ギザ歯を見せて笑うレ級は、割って入ってこようとしているだけでは無かった。「なっ……!?」不知火は呆気にとられる。レ級の尻尾の艤装獣が、夜空に向って口を開けて「UUUEEEEEEEEEEEE――ッ!!」っと苦し気に吼えて、大量の魚雷をドババババーーーッ!!と吐きだしていたからだ。凄い数だ。パッと見では分からない。魚雷が。濁った蒼色と、赤錆色の微光を纏った魚雷が。雨みたいに降ってくる。

 

 流石の黒巨人も「な、なんやコイツ」みたいな感じで、動きを止めていた。ついでに、「シシシシシ!!」なんて楽しそうに笑っているレ級と、夜空に吐き出され、此方に向って落ちて来る魚雷の雨を、不知火と一緒に交互に見ていた。だが、それも一瞬だ。黒巨人はすぐさま、降ってくる大量の魚雷と、近づいて来るレ級から距離を取ろうとした。不知火も、魚雷の雨から逃れるべく駆けだそうとした時だ。

 

「須藤さん!(レ)」と、レ級の声が聞こえた。見れば、「(`・ω・´) 行っといで!(レ)」と、今日で何度目かのサムズアップをして見せるレ級と眼が合った。それは、「此処は任せて、お前は少年提督の所に行け!」という意味に違いなかった。不知火は迷わなかった。頷きながら「不知火です!」と答え、すぐに少年提督の方へと駆ける。もう一度、横目でレ級を見る。

 

 それと同時に、度肝を抜かれた。

 

 黒巨人との距離を詰めるレ級の、その尻尾の艤装獣が阿呆みたいに膨れ上がっていて、更に馬鹿みたいな大口を開けてビュンビュン動きながら、降ってくる魚雷全部を空中でキャッチし、歯で銜えて見せたのだ。無数の魚雷をぎっしりと銜え込んだ尻尾の艤装獣を振り上げながら、レ級は「死死死死死死死!!」っと、子供みたいに笑っている。その姿を明確な脅威として捉えたからだろう。黒巨人は下がろうとしている。一旦距離を取ろうとしている。だが、レ級はそれを許さなかった。

 

「(´・ω・`) 逃げるな(レ)!」

 

 姿勢を落としたレ級は、両腕を地面に深々とぶち込んで、巨人ごと地面のコンクリや石畳を、というか、地盤とでもいうべき厚さで持ち上げて引っ繰り返した。ドガァァアアアッと言うか、ズガァァアアアアッと言うか、とにかく途轍も無い破砕音が響く。ちゃぶ台返しという言葉を聞いたことがあるが、あれを舗装された地面でやる感じだった。豪快で無茶苦茶で、効果的だった。文字通り足元を掬われた黒巨人が、バキバキになった地面の上に倒れる。間髪入れずに手をついて起き上がろうとしていたが、魚雷を銜えて膨れ上がった尻尾の艤装獣を振り上げたレ級が、嬉々として飛び掛かっていく方が遥かに速かった。

 

「(^ω^) 燃え尽きろよ~ (レ)」

 

 唇の端を吊り上げて笑うレ級は、グルンと体全体を斜めに回転させて、魚雷を銜えまくってパンパンになった尻尾を思いっきり振り下ろした。白い巨人は腕でそれをガードしようとしていたが、そんなものが何らかの意味を持つとは思えなかった。関係ない。もうああなったら逃げられない。集積地棲姫が扱うような、特別性の防御陣でもない限りはガードなんて無意味だ。容赦なくぶち込まれたレ級の巨大尻尾が、黒巨人を地面に埋め込みながら大爆発を起こす。さっきの北上の魚雷雨に勝るとも劣らない爆発音が辺りに響き渡り、ビリビリバシバシと鎮守府全体の建物を揺らして、崩した。

 

 不知火は爆風に煽られてつんのめる。すぐに体勢を整え、少年提督の元へと走る。巨人はどうなったのかなんて分からないが、考えるまでも無い。あの威力だ。木っ端微塵だろう。じゃあ、レ級は? と思ったら、立ち上る爆炎の方から、「(*´▽`*) ホカ弁の波動が熱いよ~(レ)」なんて、クッソ暢気に笑う声が聞こえて来たので、大丈夫に違いない。戦艦種であるレ級の再生能力が尋常では無い事は、一度戦ったことのある不知火は知っている。ヤツは頭の上半分が吹っ飛んでもすぐに再生する。そして、子供みたいに笑って見せる。そういうヤツだ。知っている。大丈夫だ。大丈夫。そう、今は信じるしかない。

 

 

 思考を振り払う。走る。

 右腕が無いから、バランスがとりにくい。

 だが、速度を上げる。身体を前に倒す。

 艤装を再び召んで、砲撃するという手段も頭に浮かぶ。

 だが、それは無意味だ。金属と炎は、彼に届かない。

 行くしかない。少年提督と不知火の距離は、あと15メートルほどだ。

 鋼液の海が、足元に暗い波を作っている。その上を不知火は駆ける。

 遮るものは無い。左手の錨を握り締める。

 

 あと10メートル。

 薬指の指輪が、深紫色の光を放っている。

 あと5メートル。少年提督が、微笑んでいる。

 

「『“遅かったな”』」

 

 長旅を労うように、彼は言う。

 

「沈め……ッ!!」

 

 不知火は、今度こそ、錨を少年提督に振り下ろした。

 だが、それが少年提督に届くことは無かった。

 艦娘の腕力を持って振るわれた錨を、少年提督は右腕で受け止めていた。

 さっきは、躱す素振りも見せなかった彼が、明確に防御していた。

 それは、不知火の錨に込められた、彼を殺傷する決意と覚悟を物語っている。

 

 だが、今の少年提督も、強い。

 あきつ丸と野獣を相手取り、二人をあしらってしまう程に。

 そんな相手と、不知火は一対一だ。

 奥歯を噛みながら思ったが、違った。

 

 不知火の左手薬指に嵌っていた指輪から、深紫色の光が溢れた。それは不知火の左手を伝い、錨を伝い、彼の右腕にも伝っていく。少年提督は驚きも、怯みもしない。ただ、穏やかな表情を浮かべていた。深紫色の光は、少年提督が纏っていた墨色と白磁の光を濯ぎ、払いながら、浸透していくように彼の身体を覆った。

 

 そこで、不知火は見た。彼の顔の、右半分と左半分で、表情が違う。右半分は今まで同じく、穏やかでありながら超然とした笑みだ。だが左半分の笑みには、不知火の良く知っている温もりが在った。瞬きのタイミングまで、左右の眼で違っている。まるで二人分の人格が、同時に表出しようとしているかのようだ。

 

「『“お前が此処に辿り着いた時点で、私は敗北していた訳か”』」

 

 穏やかな態度を崩さない少年提督は、映画館から出て来て、感想を述べるみたいに言う。少年提督は錨を受け止めた右手を、ガタガタと震える彼の左手が抑えていた。いや、抑えるだけでなく、下ろそうとしている。明らかに不自然な動きだったが、その行動は、不知火の攻撃を受け止めようとする意思と、それを阻もうとする意思が、其々が独立し、彼の肉体の中に同時に存在している事を物語っていた。

 

 不知火は彼の左手を見て、自分の鼓動が強くなるのを感じた。そうだ。分かっていた筈だ。一対一じゃない。不知火の目の前で、少年提督も、“何者”かに抗っている。抗い続けている。

 

 だからこそ、今の、この瞬間が在るのだ。

 

「『“お前達は、強いな”』」

 

 少年提督が、錨を掴んだままの右手から力を抜いたのが分かった。

 

「『“だが、気を抜かない事だ”』」

 

 不知火も、そっと錨を手放す。錨が、重い音を立てて地面に落ちる。

 

「『“艦娘も、深海棲艦も、そのどちらでも無い者も、そして人間も……、皆等しく、例外なく、救われない未来は、すぐ其処に在る”』」

 

 少年提督は、地面に落ちた錨を見ていた。

 

「『“……錨、……あぁ、そうか。だから、この少年は……”』」

 

 そこまで言った彼は、何かに気付いたかのように小さく息を吐いて、無防備な姿を不知火に晒す。不知火の左手の薬指に嵌っている指輪は、まだ光を放ち、それが少年提督に流れ込みながら、彼の持つ超然とした力や、動きを抑制しているのが分かった。奇妙な話だが、指輪から伸びる光の正体は、実体を持たない不知火の魂が可視化したもののように思えた。結魂という言葉の持つ不思議な響きが、自身の呼吸と共に、実在的にこの場に在るのを思った。

 

 息を吐き出しながら、不知火は姿勢を落とし、拳をキツく握り込む。

 今の少年提督を守るものは、全て取り払われている。

 

「『“さっきも言ったが、遠慮は要らない”』」

 

 足元に広がる鋼液の海も凪ぎ、滑らかな塗膜のように静まり返っている。周りも静まり返っていた。野獣や、あきつ丸や、瑞鶴や、戦艦水鬼、棲姫、それに、南方棲鬼や重巡棲姫も、集積地棲姫も、野分も、野分に抱きかかえられた少女提督も、皆が固唾を飲み、此方を見ているのが分かった。

 

「『“この少年は、死なない。もう、死ぬことが出来ない”』」

 

 少年提督は無防備に立ち、ただ静かに佇んでいる。

 

「『“この身体に、気遣いは無用だ”』」

 

 言われるまでも無い。そんな事は分かっている。自分のすべき事もだ。息を吸い込んだ不知火は黙ったまま、下がった2歩分だけの助走を付ける。体重と、艦娘としての力を全部込める。脚と腰の捻りも加える。これ以上ないフォームだった筈だ。御無礼を、お許しください。不知火は、少年提督の顔面目掛けて左の拳を振り抜く。インパクトの瞬間、薬指に在る指輪が、一際強く光った気がしたが、さだかでは無い。ただ、不知火の拳は、間違いなく少年提督の頭部を破壊していた。

 

 少年提督は吹っ飛んでから2バウンド程して、鋼液の海の上を10メートルほど転がった。艦娘のパンチをまともに食らったのだ。無事なワケが無い。仰向けに倒れた少年提督は、起き上がって来ない。嫌に静かだった。耳が痛いほどに。さっきまでの激しい戦闘が、嘘のようだ。誰も彼もが黙り込んでいる。夜の暗がりは冷たく、澄み渡っている。

 

 不知火は其処で、自分が呼吸を止めていた事に気付いた。心臓も止まっていて、今になって動き出したかのような感覚だった。冷たい空気を肺に入れる。唾を飲み込む。気付けば、不知火の指輪の光も消えていた。夜空に残っていた雲も走り去り、遮るものの無い月明りが、辺りの沈黙を照らしている。

 

 倒れている少年提督の指が、ピクリと動いた。不知火は、再び息を止める。彼の頭部が再生を始めているのが分かった。彼は手を着いて、ゆっくりと立ち上がろうとしている。彼の身体からは、まだ、墨色と白濁の微光が漏れていた。足元には、黒鉄の蓮花が次々と咲きながら、霊気を吐き出しそうとしている。まさか。そう思わずにはいられなかった。まさか。まだ、少年提督は、“何者”かに操られたままなのか。あきつ丸や野獣、それに瑞鶴や野分達が、戦いを続けようとする気配が在った。不知火も錨を拾い上げようとした時だった。

 

「有難うございます、不知火さん」

 

 少年提督が此方に向き直り、微笑んで、深く頭を下げてくれた。

 

「御陰で、身体を取り戻すことができました」

 

 彼の声からは、幾重にも重なった不気味な響きが抜けていた。不知火の知っている、彼の声だった。体から力が抜け、涙が出そうになる。だが、完全に安心してしまうのはまだ早そうだった。少年提督の瞬きのタイミングが、左右の目で不一致のままだったからだ。蒼み掛かった昏い左眼と、暗紅の右眼の瞼が、不自然なウィンクのようにバラバラに動いている。二つの人格が、肉体のコントロールを巡り、鬩ぎ合っているかのように。

 

 そうだ。不知火達は、あの“何者”かを、滅した訳ではない。あくまで、“何者”かによってコントロールを奪われた少年提督の肉体を奪還しただけだ。少年提督の精神の内部には、まだ“何者”かが残っている。だが、肉体を取り戻した少年提督は、普段と変わらず、落ち着き払っている。

 

 既に解決策を用意していたのだろう。彼はその場にしゃがみ込み、左の掌で地面に触れ、右の掌を自身の左胸に添えた。その姿勢で術式文言を唱えながら、鋼液の海と夜空に、鎮守府をすっぽり包んでしまうような巨大な術陣を描き出していく。彼が、自分の肉体に大規模な調律と調整を施そうとしているのは、不知火にも分かった。右手を添えられた彼の左胸からは、回路図のような紋様が彼の全身に広がり、心臓が脈動するかのように深紫色の光が奔っている。その光景に圧倒され、不知火は、いや、不知火達は、動けなかった。もう少年提督以外が出来る事は、何も無い。

 

「『“この身体を、私のような存在を捕らえる為の、檻にしようと言う訳か”』」

 

 彼が文言を唱える声の中に、“何者”かの声が混ざった。捕らえる。それは、どういう事だ。何を意味しているのか。そんな不知火の疑問になど関心を払わず、この景色は少年提督と“何者”か以外を置き去りにして、時間を前に進めていく。少年提督は答えず、文言を紡ぎ続ける。

 

「『“お前は最初から、私を取り込むつもりだったのだな”』」

 

 彼の足元に咲き誇った黒蓮は、どんどんと鋼液の海を侵食し、不知火の足元にまで咲き始めた。蓮から溢れる霊気は、少年提督へと流れ込んでいる。地面と夜空の術陣からは、光の線が伸びて編まれ、それは牢のように少年提督を包んでいく。まるで彼の精神内部に居る“何者”かを、拘束するかのように、光の帯は丹念に編み込まれ、彼を中心とした空間を絞っている。

 

 AIと集積地棲姫が展開した術式結界は、既に少年提督によって上書きされて、新たな効果と奇跡を呼び込む装置と化していた。“何者”かは、周囲に存在する物質を汚染し、支配して徴兵していた。そういった超然とした力を振るう存在を、彼は、自身の精神内部に定着させようとしているのだと思った。精神という領域に於いて、彼は、神仏という言葉で類される存在を凌駕しようとしている。

 

「『“少年よ”』」

 

 また、“何者”かの声がした。

 

 それは、彼の意思によって発された言葉では無いのだろう。

 文言の隙間を縫うようにして、少年提督の口から漏れたのだ。

 

「『“此処は、佳いところだな”』」

 

 それは、一体どのような意味と意図があって発せられた言葉なのか、不知火には判然としなかった。温みを含んだその声には、少年提督に対する親しみと、戦い抜いた不知火達に対する賞賛が滲んでいるようにも聞こえた。文言を唱え終えた少年提督は、ゆっくりと呼吸をしながら、周囲を見渡した。「えぇ。歓迎しますよ」と短く答えた彼は、この夜に戦った仲間達の姿を心に刻み付けるかのような、誇らしげで、真剣で、それでいて、少しだけ寂しそうな眼をしていた。

 

「花盛りの鎮守府へようこそ」

 

 この場に居る全員の顔を見回した彼は、自分の内側に語り掛ける。そして、自身の精神に鍵を落とすかのように、胸の前で拳を握り締めた。それが合図となって、鎮守府を包み込んでいた巨大な術陣が一際強い輝きを放ち、少年提督を包んだ。不知火の視界は、その光に埋め尽くされる。時間や、天と地を識別する感覚が奪われるような、圧倒的な光だった。

 

 夜の暗がりと、周囲の景色の輪郭が戻ってくるまで、暫く時間が必要だった。何かを考える事も億劫だった。ただ薄ぼんやりと、視界が戻ってくるのを待っていた。この眩い光の先にあるのは、当たり前だが、現実だ。それ以外は無い。今日と言う日が在って、今夜の事件が在って、それを隠そうとする人間の思惑が在って、それを利用しようとした超常の意思が在った。不知火達は、戦い抜いた。それだけだ。視界が回復すれば、やはり頭上に夜空が在った。雲は流れ去って、戦いが終わった静寂と共に、満目の星がずっしりと垂れこめている。

 

 彼は、夜空に浮かぶ月を睨んでいる。彼の瞬きは、もうチグハグじゃない。

 左右一緒に瞬きをしている。まるで、二つだった人格が一つになったように。

 その彼の瞳が、深紫色に変わっている事にも気付いた。

 

 夜空に浮かぶ月だけが、何も変わらずに此方を見降ろしていた。

 

 

 

 





今回も最後まで読んで下さり、ありがとうございます!
暖かな感想、応援のメッセージを寄せて頂き、本当に恐縮です、
更新も不定期で申し訳無いです……。

今迄投稿していた話も少しずつ修正しながら、何とか完走を目指したいと思います。
不自然な描写や展開があれば、また御指摘、御指導頂ければ幸いです。

いつも支えて下さり、本当にありがとうございます!



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。