花盛りの鎮守府へようこそ   作:ココアライオン

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摩擦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

≪天龍@tenryu1. ●●●●●≫

 なぁ、俺の携帯端末に

『■■市▲▲▲小学校での、不審者侵防犯訓練について』

 っていう通知が来てたんだけどよ、何だよコレ?

 

 

≪長門@nagato1. ●●●●●≫

 陸奥や私のところにも来ていたな

 

 

≪陸奥@nagato2.●●●●●≫

 えぇ。大和や武蔵達にも通知が来てたみたいだけど

 

 

≪大和@yamato1.●●●●●≫

 此方と武蔵の端末には

『●●市◆◆小学校での、交通安全教室について』

 という通知が届いていました

 

 

≪武蔵@yamato2.●●●●●≫

 子供達と一緒に、私達も交通ルールを学んでくればいいのか?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 まぁ、そんなところですねぇ!

 地元の学校やら警察関係者達にも、本営が話を付けてきたみたいっすよ

 

 

≪少年提督@Butcher of Evermind≫

 艦娘の皆さんがこういった形で児童達と交流を持つことに対しても、保護者の方々から理解を得ることが出来たとのことです

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 お前らが子供達と接するイベントっつーか、こういう機会に対しては世間からも安心感を持って貰えてるってハッキリ分かんだね

 

 

≪瑞鶴@syoukaku 2.●●●●●≫

 本営が率先して動いていることについては、割と不穏な感じですけどね

 

 

≪天龍@tenryu1. ●●●●●≫

 まぁ確かに、ちょっとキナ臭ぇよな

 

 

≪金剛@kongou1. ●●●●●≫

 でも、これってちょっと凄いことですヨ!

 

 

≪赤城@akagi1.●●●●●≫

 人々の生活風景の中に、私達の存在を認めて貰えたと考えれば、とても喜ばしい事ですね

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

 流石に、気分が高揚します

 

 

≪鈴谷@mogami3.●●●●●≫

 何て言うかこう、鈴谷達がより社会に浸透していってる感じがするね~

 

 

≪長門@nagato1. ●●●●●≫

 あぁ、胸が熱くなるな

 その信頼に応えるべく、現場の訓練では私もベストを尽くそう

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @nagato1. ●●●●● おっ、頼むゾ!

 でも現場じゃ、長門は『不審者役』だから、あんまり気合いを入れ過ぎないでくれよな~

 子供達の……トラウマになっちゃう……!

 

 

≪長門@nagato1. ●●●●●≫

 ちょっと待て、私は子供達を守る方ではないのか

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 そうだよ。だってお前、“少年提督@Butcher of Evermind”と絡んでるときは、いっつもボディビルダーみたいにテカテカしだすから、(不審者役になるのも)多少はね?

 

 

≪長門@nagato1. ●●●●●≫

 訂正しろ貴様!! そんなテカっていた事などは無い!!

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 でも、もうそういう形で話が進んでるから、しょうがないね

 不審者役の時は、語尾には忘れずに『ウホ』と『ゴリ』を付けて、どうぞ

 

 

≪長門@nagato1. ●●●●●≫

 どういう世界観の不審者なんだ!? もう許せるぞオイ!!

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 やっぱり俺は、お前らの個性を活かした活躍に期待してるんだよね

 

 

≪陸奥@nagato2.●●●●●≫

 そうやって言葉面だけ綺麗に言うのやめなさいよ

 

 

≪武蔵@yamato2.●●●●●≫

 その流れで行くと、私は自身の頑丈さを活かしてトラックにでも激突すれば良いのか?

 

 

≪大和@yamato1.●●●●●≫

 えっ、何それは

 

 

≪陸奥@nagato2.●●●●●≫

 どういう事なの……?

 

 

≪武蔵@yamato2.●●●●●≫

 交通ルールを守らなければ、とても危ないという事を子供達に示せるだろう

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @yamato2.●●●●●

 お前にトラックが突っ込んだりしたら

 トラックの方がクワガタみたいになって大破するんだよなぁ……

 

 

≪リシュリュー@Richelieu1.●●●●●≫

 リシュリューにも『不審者防犯訓練』の通知が来ていたのだけれど

 まさか、リシュリューに不審者役になれとでも言うつもり?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @Richelieu1.●●●●● (・∀・)ウン!!

 いつもみたいに凛々しく、『性!! 癖!! 全!! 開!!』って感じで頼むわゾ!

 

 

≪リシュリュー@Richelieu1.●●●●●≫

 敵艦発見って言ってるのよ!

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 細かい事は気にしない気にしない! 当日の服装はお前に任せるけど、

 グラサン、ニット帽、マスク、黒っぽいジャンパーの4アイテムは必須で、はい、ヨロシクぅ!!

 

 

≪鈴谷@mogami3.●●●●●≫

 ねぇごめん野獣、個性を活かすっていう話は何処に行ったの……

 

 

≪武蔵@yamato2.●●●●●≫

 リシュリューの空き巣コーデとは、たまげたなぁ

 

 

≪リシュリュー@Richelieu1.●●●●●≫

 ふ ざ け な い で

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @Richelieu1.●●●●● 

 まぁまぁ、そう怒んないでよ♪

 ウォースパイトとアークロイヤルも一緒に参加するんだからさ

 

 

≪ウォースパイト@Queen Elizabeth2.●●●●●≫

 もう許せるわ

 

 

≪アークロイヤル@Ark Royal1.●●●●●≫

 冗談はよしてくれ

 

 

≪曙@ayanami10. ●●●●●≫

 私のトコには『鎮守府・秋刀魚祭り』っていうのが来てんだけど

 

 

≪満潮@asasio3. ●●●●●≫

 私にも、って言うか、他の駆逐艦の娘達にも来てたみたいね。

 また鎮守府で何かするの?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 前の鎮守府祭りみたいな感じでぇ、

 来てくれた一般客に、艦娘達が調理した秋刀魚を食べて貰おうっていう祭りだゾ

 

 

≪少年提督@Butcher of Evermind≫

 @ayanami10. ●●●●● @asasio3. ●●●●●

 今までの秋刀魚漁での協力の中で交流を持った、いくつかの漁協さんから提案を頂いたんです。旬の美味しい秋刀魚を、艦娘の皆さんと一緒に人々にPRしたいとのことでした。

 規模の大きいお祭りになりそうですので、本営からは人員や予算の協力の話も来ています。

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 深海棲艦達と戦うようになって、海のモンってのは結構な高級品になってたからね

 人類優位が固まって時間も経ったし、今までの食文化の回復を目指そうっていう流れだゾ

 その前向きなイメージとして、お前ら艦娘の元気な姿が欲しいんだよね

 それ一番言われてるから

 

 

≪飛龍@hiryu1.●●●●●≫

 でも、何か凄いですね……、イベントが目白押しっていうか

 

 

≪蒼龍@souryu1.●●●●●≫

 うちの鎮守府でも色々とやって来ましたけど、本営が主導になってると規模が違いますね

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @hiryu1.●●●●● @souryu1.●●●●●

 まだまだ色んなヤツに通知は行ってる筈だから、忙しくなりますよ^~

 あとはアメリカから、

 みんなの大先輩であるサスケハナ号の艦娘も呼んであるからな!

 

 

≪鈴谷@mogami3.●●●●●≫

 黒船じゃん

 

 

≪長門@nagato1. ●●●●●≫

 緊急来日やめろ

 

 

≪ガンビア・ベイ@Gambier Bay.●●●●●≫

 えっ、本当に来るんですか?

 

 

≪ローマV.Veneto4.●●●●●≫

 いやいや、いつもの戯言に決まってるでしょ……

 

 

≪夕立@siratuyu4. ●●●●●≫

 夕立には『●●学園祭への特別参加・艦娘音頭』って来てたっぽい!

 

 

≪時雨@siratuyu2. ●●●●●≫

 僕も受け取ったよ

 

 

≪白露@siratuyu1. ●●●●●≫

 そういや来てたねー、そんなの

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 歌って踊れる駆逐艦娘達は、華がありますよねやっぱり……

 実は老人ホームなんかからも問い合わせがあったりしてるゾ

 

 

≪少年提督@Butcher of Evermind≫

 他にも、加賀さんを呼びたいっていう歌番組からの連絡もありました

 

 

≪吹雪@fubuki1.●●●●●≫

 わぁ、凄いですね!

 

 

≪陽炎@kagerou1.●●●●●≫

 加賀さんってホント綺麗だし、歌声も素敵だもんね~

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 鎮守府に連絡を寄越してきた奴も、

『やっぱり加賀が歌う、あの曲を……最高やな!』

 って、言ってましたねぇ! @kaga1.●●●●● おい加賀ぁ! 

 お前のデビュー曲、なんつー名前だっけ?

『リアス式海岸』? 

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

『加賀岬』です

 

 

≪ローマV.Veneto4.●●●●●≫

 どういう間違い方よ……

 

 

≪アイオワ@AIOW1.●●●●●≫

 前は『喜望峰』だとか『獄門島』とか言ってたわネ

 

 

≪サラトガ@Lexington2.●●●●●≫

 二人のレクリエーションみたいなものなんでしょう

 微笑ましくていいじゃない

 

 

≪イントレピッド@Essex5.●●●●●≫

 日本では、“喧嘩するほど仲が良い”って言うみたいだしね♪

 

 

≪翔鶴@syoukaku1.●●●●●≫

 いやでも、この遣り取りのあとの加賀さん、物凄い機嫌悪いんですよ……

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 加賀がテレビに出るんやったら

 もっと柔らかい表情ができるよう、練習しとかなアカンな

 ムスッとしてるんも可愛いけど、誤解を招くし、勿体ないで

 

 

≪赤城@akagi1.●●●●●≫

 @ryuzyo1. ●●●●● 分かります

 加賀さんの怜悧な美貌も魅力的ですが、時折見せる優しい表情は、とても可憐なんですよね

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 おっ、そうだな! おい聞いてるか加賀ァ!!

 その無期懲役みたいな顔を変えるんだよ180度!!

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

 頭に来ました

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

 頭に来ました

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 二回も書き込まなくていいから

 

 

≪ガングート@Gangut1.●●●●●≫

 しかし、本営が手を回しているにしても、見境が無いと言うか無節操だな

 

 

≪少年提督@Butcher of Evermind≫

 えぇ、確かに不自然ではありますが、社会がそれに応えてくれている事は、とても大きな意味を持っていますよ

 

 

≪リットリオ@V.Veneto2.●●●●●≫

 赤城さんも仰っていましたけど、

 戦場から離れた場所にも、私達を求めてくれる人々が居るというのは、

 とても喜ばしいことですね

 

 

 

 

 

 

 そんな艦娘囀線での遣り取りがあってから、暫くの時が経った。戦場である海。そこから離れた場所での艦娘達の活動は、テレビや雑誌にも取り上げられるようになった。以前行われた『鎮守府祭り』の盛況ぶりに匹敵するほど、今回の秋刀魚祭りには多くの一般客が訪れた。調理を担当していた鳳翔、間宮、伊良湖、そしてそこに、大和や曙を始め、他の艦娘達も加わり、戦場と化した厨房を何とか回転させている状態だった。接客には金剛を筆頭に海外艦達も大いに活躍し、漁協から手伝いに来てくれていた漁師達との息のあった連携もあり、膨大な数の客を見事に捌いて見せていた。鳳翔達の秋刀魚料理の味は絶賛されていたし、艦娘達のテキパキとした働きっぷりに見惚れる者が男女問わず居て、ネットでも話題になっていた。

 

 また、各地の小学校へと出向いた艦娘達も、地域の人々の話題となった。現場で空き巣コーデになったリシュリューは、御忍びで日本にやって来た海外の大物女優といった風体だったらしく、その余りの場違い感から最初はリシュリューだと思われず、不審者どころか部外者扱いで、ただの不良娘と間違えられた天龍と一緒に学校の外に締め出されたという。半泣きになって途方に暮れそうになっていたリシュリューと天龍を救ったのが、「彼女達は、私の仲間だウホ」と、不審者になりきった長門だったとのことだ。

 

 護国の化身として世間に知られている“艦娘・長門”だが、その真面目さ故の素朴な愛嬌は、現地の児童や教師からも愛されたし、ウォースパイトやアークロイヤル、それにリシュリュー達も、その無欠の美貌から時折顔を覗かせるポンコツさが親近感を生んで、不審者役だった筈なのに子供達の人気者なっていた。「フフフ……、俺が怖いか?」などと言う天龍にいたっては、誰からも弄られる稀有な才能を遺憾なく発揮し、『可愛いけど馬鹿なお姉ちゃん』というキャラで、一瞬で子供たちのハートを掴んでいたそうだ。地方の情報誌には、子供達に揉みくちゃにされている天龍の写真が載せられていた。長門と同じく、護国の化身としての武蔵は、交通安全教室の中でも持ち前の天然ボケをかまし、大和と子供達にツッコまれることで、艦娘というものに注がれる畏怖や畏敬、人では無い者に対する恐れを濯いでいた。

 

 そういった流れに続いた駆逐艦達の活躍も、確かな存在感を世間に示していた。秋であるこの季節に文化祭などのイベントを行っている高校の数はそれなりで、その幾つかに参加した白露や村雨達は、その美しく澄んだ歌声を披露し、観客を他の参加者を魅了していた。招待された艦娘達に興味深々の学生達に囲まれている白露達の姿は、大きな反響を呼んでいた。ちなみに、時雨達が複数の男子生徒に告白されるという事件があったとかなかったとか。

 

 

 ネットの中で人気だった『不幸ォ……ズ』は、あるバラエティ番組にまで呼ばれていた。陸奥、扶桑、山城、大鳳の四人がスタジオで自分たちのツイてなかったエピソードを話していると、スタジオの照明などが消えたり、カメラの不調が起こっていた。スタジオの芸人たちが「おぉ、ホンマに何か起きそうや!」と、素で驚いていた。山城が「これ、私達の所為ですかね……?」などと、番組の大物MCに言った瞬間、『不幸ォ……ズ』が座っていたセットが崩れて、山城達全員が後ろにひっくり返る事件が起きた。偶然と不運が重なった完全なハプニングだったが、そのタイミングから何から、全てが笑いを誘発する要素になり、スタジオのスタッフや観客全員を巻き込んだ大爆笑を呼んだ。

 

 番組の後半では、大量のワサビが入ったシュークリームを用いたロシアンルーレットが行われたのだが、これにも見事、『不幸ォ……ズ』の4人全員がワサビ入りを食べて、スタジオは大いに沸いた。番組の大物MCまでもが、「4個しかないワサビ入り、全部持ってかれたでオイ!!」と大笑いして、「勘弁して下さいよ『不幸ォ……ズ』さん!」と、芸人たちも笑い転げた。「私は、……、ゴホッ! ゴホッ!! ……スゥウウゥゥ……、ズビビッ!(鼻を啜る音)……ワサビ入りじゃなかったわよ」と、涙目の真っ赤な顔で言う陸奥が、「絶対ウソですやん!!」「もう泣いてますやん!!」と芸人たちにツッコまれて更に笑いを呼んだ。余りの辛さにスタジオに蹲って震える山城の傍では、死にそうな顔になった扶桑が鼻水を啜りながら「食べ物で遊んではいけません!」と、場違いで今更な正論をカメラに向かって切実に訴え、ワサビで悶絶する大鳳は紙コップの水を貰おうとした所、足元に蹲っていた山城に蹴躓いて一緒に観客席に転げ落ち、その場にいた誰もが涙を流すほどの笑いを起こした。

 

 あの番組のスタジオに居た全員が、陸奥、扶桑、山城、大鳳の4人から目を離せなかったし、彼女達が番組内で生み出したあの一体感には誰も敵わなかった。それはテレビを通じて視聴者にも伝わったのも間違いなかった。放送後、艦娘達のテレビ出演などについての好意的な応援メッセージが、番組宛てに数多く寄せられたそうだ。少し先になるが、ある歌番組にも、加賀が出ることが正式に決まった。

 

 こういった活動の現場には必ず、少年提督や野獣と、本営から派遣された兵士たちが同行し、万が一艦娘達が暴れるような事があってもすぐに鎮圧できる態勢を取っていた。だがその事実は、人々にとっての艦娘達は危険な存在であるという意識に結びつくことはなかった。世間の目が、“艦娘”という存在を受け容れようとする空気が濃くなっているのは間違いなかった。それが本営によって仕組まれた一時的なものであっても、不知火から見える世の中には、概ね平穏な時間が流れている。それは要するに、激戦期が終わってからの人類優位が、ただ揺るがずに続いているだけのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 秘書艦用の執務机で仕事をこなしながら、不知火は視線だけで少年提督を見る。彼は静かな面持ちで椅子に腰かけ、ケッコン施術に関する分厚い書類に目を通していた。彼が座る姿勢を少し変えた。書類を机の上に広げ、何かをサインしている。彼の白い髪が、さらさらと揺れている。彼の蒼み掛かった昏い眼が、書類の文字を更に追う。彼は黙ったままだ。そんな彼に従い、まるで執務室に存在する全てが息を潜めるかのように静かだった。その深々と降り積もる静寂の中で、不知火は激しく緊張していた。

 

 ケッコン。それは、対象とする艦娘の能力を上昇させる強化術式の一種である。このケッコンは他の強化術式と違い、対象とする艦娘と提督との間に、恋愛、信頼といった感情的な強い繋がりが必要な術式であるため、一部では“結魂”などと言われている。ただ、艦娘達の間では、“結婚”という言葉を連想するのが普通だ。術式効果を発揮する為にリング状の装備を左手の薬指に嵌めるのだから、それも無理のない事だった。

 

 不知火は真剣な表情を作ったままで、手元の書類を睨み付けはいるが、内容はまるで頭に入って来ない。少年提督がああいった書類を揃えているという事は、誰かとケッコンする事を決めたという事だ。自分の鼓動が早くなっているのと同時に、背中に妙な汗が滲んでいるのを感じた。さっきから何度も唾を飲み、唇を舐めて湿らせている。落ち着かない。静かに、音がしないように大きく息を吸う。冷静になろうとする。ゆっくりと、細く、深く息を吐いた。数秒程、瞑目する。無駄だった。目を開ければ、また心が乱れる。熱くなってくる頬と、緊張している自分に意識が流れてしまう。Pipipipi、という電子音が鳴り、不知火はビクッと肩を震わせた。

 

 少年提督の携帯端末に着信があったようだ。彼は不知火に頭を下げてから、携帯端末を取り出して通話を始めた。相手は、……どうやら少女提督のようだ。深海棲艦、研究室、AIのテスト、などといった言葉が聞こえる。仕事の話に違いない。「……はい。今日の夜には、そちらに伺います」と、少年提督が応えている。最近の少女提督は、深夜まで深海棲艦達の研究施設に居る事が多くなったと、彼女が召還した艦娘達から聞いている。“提督”とは別に、“技術・研究者”としての仕事を抱えた少女提督は、深夜まで忙しそうだと。そして少年提督も、彼女と共に仕事をすることが増えた。

 

 その足を引っ張る訳にはいかない。不知火は深呼吸をする。少年提督のケッコンについて気を取られ過ぎて、仕事が遅れている。不味いと思う。指先が微かに震えている。不知火はチラリと、通話をしている少年提督の方を視線だけで見た。少年提督の机の上に並べられた書類は、殆どが処理済みである。一方で不知火の座る秘書艦用の執務机の上には、未処理の書類が山を作ったままだ。不味い。秘書艦である不知火が、彼の仕事を滞らせている。何をやっているのだろう。焦っている自分に気付く。しかし、緊張は取れず、指先の震えは強くなるばかりだった。情けない。

 

「少し休憩しましょう。コーヒーを淹れましょうか?」

 

 不意に、声を掛けられた。澄んだ声。少年提督のものだ。はっとして顔を上げる。通話を終えた彼は立ち上がり、不知火に微笑んでいた。

 

 

「いえっ、不知火が用意しますので……っ!」

 

「あぁ、座っていて下さい。僕がやりますよ」

 

 不知火は慌てて立ち上がろうとしたが、微笑んだままの彼に手で制された。

 

「コーヒーより、紅茶か緑茶の方が良いですか?」

 

 彼の声には、不知火を責めるような響きは全くない。

 

「司令と同じものを、お願いします。……申し訳ありません」

 

 頭を下げた不知火は、椅子に座り直す。腕時計を見ると、もう午後の3時を少し回っていた。執務室に入り込んでいる陽の光が、淡い琥珀色を湛えている。その光は暖かく、濁りけの無い優しい温もりが静寂の中に満ちていた。彼のケッコン施術の事ばかり考えていた自分が、酷く間抜けに思えた。

 

 

 

 

 休憩をするという事で、少年提督と不知火はソファへと移り、向かい合う形で座った。高級なソファは座り心地が良いが、自身の仕事の進み具合を考えると酷く落ち着かない。ただ、彼が淹れてくれたコーヒーは、驚くほど美味だった。「グラーフさんに淹れ方を教えて貰ったんです」と微笑む彼も、淹れ方を教えてくれたグラーフに対する尊敬や感謝を湛えているのを感じた。

 

 ただ不知火は、その言葉と表情に違和感を覚える。他者を遠ざけようとするのとはまた違う種類の、何かを明確に区別しようとする意思を感じた。彼が淹れたコーヒーが美味であるという事実は、あくまでグラーフ・ツェッペリンという存在の御陰であり、彼自身は関係の無いものだと主張しているかのように見えるのだ。“良好な結果”に対し、その因子としての彼自身の存在を許そうとしない、そんな子供っぽい頑なささえ感じた。

 

「美味しいですね」

 

 コーヒーを啜る彼は、誰に言うでもなく呟いた。不知火は、「はい。とても」と頷いて、彼を見た。彼と眼が合う。彼は、顔の右半分を覆うような、拘束具めいた眼帯をしている。彼の左眼が、不知火を映していた。彼の瞳の中に、不知火が居る。それだけの事で、先ほどまで不知火を捕らえていた緊張や焦燥が、するすると解けていくのが分かった。心が軽くなった。ふっと、彼と出会ってすぐの頃を思い出す。

 

「こうして司令にコーヒーを淹れて貰うのは、久しぶりです」

 

 不知火は、ようやく口許を緩めることが出来た。

 

「そう言われてみれば、そうですね」

 

 彼も、何か思い出すかのような苦笑を浮かべる。

 

 

 不知火が少年提督に召還されたのは、激戦期の真っただ中だった。あの頃の少年提督は、今とは全く違った。彼は臆病で矮小だった。召還した艦娘達に碌に指示を出すことも出来ず、執務と資材管理に追われ右往左往していた。艦娘達が沈むのを誰よりも恐れ、戦果などという言葉とは無縁の提督だった。彼は、他の提督達からの非難と嘲笑の的になっていた。そんな彼を初期艦として支えることになった不知火もかなり苦労したし、この子はいつか心を壊して、駄目になるだろうと思っていた。

 

 そんな日が続く中での、執務中のことだった。不知火は休憩をとる事を提案し、何か飲みものを用意しようかと訊いたところ、「きょ、今日は……その、ぼ、僕が用意しますね」と、卑屈そうに引き攣った笑みを浮かべた彼が、不知火にコーヒーを淹れてくれたのだ。そのコーヒーには砂糖と牛乳が大量に投入されており、ぬるくて、また泥のように甘かったのを覚えている。不知火は礼だけを述べて、文句を言わずに飲み干した。それを見た彼は、ほっとしたように笑っていた。無様で、頼りない笑顔だったのを憶えている。その日から暫くして、彼は本営からの指示で3か月ほど、各地の研究施設を順に訪れる事になる。

 

 彼が鎮守府から離れたあの3か月ほどの間に、彼がどのような状況にあったのかという事は、かつてレ級たちが襲ってきた事件を切っ掛けとして、彼自身が、この鎮守府の艦娘達へと明かしてくれた。“かつての彼”の経験に、“今の彼”が言葉を与えるようかのように。それを知ってから思い返してみれば、あの時の『不知火にコーヒーを淹れる』という彼の行為は、彼なりの精一杯の恩返しだったのかもしれない。あの喉がひりつくように甘いコーヒーの味は、まだ忘れていない。

 

 

 

 

 

 懐かしい気持ちを心の内に仕舞いながら、不知火はコーヒーを啜る。やはり美味だ。あの時のコーヒーとは、全く違う。視線を上げると、落ち着き払った様子の彼が、泰然として微笑んでいた。かつての、顔全体を引き攣らせるような笑みとは程遠い。目を逸らすようにして、不知火は俯く。激戦期のあの頃とは、全てが違う。海を巡る趨勢も。艦娘達の立場も。深海棲艦という存在への解釈も。それらを包括する世間の流れも。揺れる波のように刻々と、そしてこれからも念々と変わっていこうとしている。

 

 つまり世界は、平和に向かっているのだ。少なくとも表面上はそう見える。喜ばしいことだ。ただ、不知火の胸には、妙な胸騒ぎが燻り続けていた。世間の中で躍動する仲間達の姿は、とても達者に見えた。同時に、『何の為に戦っているのか』という自問に答えられない自分自身が、この世界の中で異物に思えた。深海棲艦達による被害がテレビで報道されていたり、社会の中での艦娘達の活躍を快く思わない感想をネットニュースなどで見ると、酷く落ち着いている自分に気付いて、自己嫌悪に陥ることが多くなった。

 

 

 

「不知火さん」

 

 名を呼ばれ、不知火は顔を上げる。彼は穏やかな表情をしている。その眼差しに、強い意思を感じた。不知火はソファに座ったままで居住まいを正す。向かいに座る彼は一瞬だけ視線を下げてから、執務室の扉を見遣る。執務室の扉の向こうに何らかの気配が無いことを確認するかのようだった。彼は、この場に不知火と二人だけであること確認したのだろうと思った。不知火は小さく唾を飲み込む。彼は扉から視線を外し、不知火を真っ直ぐに見る。

 

 

「不知火さんには、人類を憎いと思う時がありますか?」

 

 彼は微笑んでいた。彼の声音も緩やかで温みがあり、不知火の心に沁み込んでくるかのようだった。今の彼が湛えた穏やかさは、不知火にだけ向けられていることを感じた。それは、不知火が如何なる答えを返したとしても、それを受け容れようとする彼の決意や覚悟の表れなのかもしれない。不知火は、彼の視線を受け止めきれなかった。彼の問いに、どのような意図が含まれているのかは分からない。だが、真摯に応えるべきだと思った。

 

「……正直なところ、人間に対して憎悪を抱いた経験はあります。艦娘と人類との関係についても、疑う事もあります」

 

 言いながら俯き、ゆっくりと瞬きをする。彼を異種移植の実験体として、深海棲艦の右眼、右腕を移植するように命じた本営には、不知火は未だに強い憎しみを抱いている。いや、憎悪という言葉では追い付かないほどに深く、暗い感情だ。ただ、この感情はすぐにまた胸の奥へと仕舞う。これは忘れるべき感情ではないだろうが、今の状況で呼び起こしてくる感情ではない。執務室に滲んだ琥珀色が、少しだけ濃くなった。陽の色が、夕日に近づいている。彼は黙したまま、不知火の言葉を待っている。コーヒーの良い香りがする。不知火は自分が今、彼が選択した未来の中に居るのを感じた。舌の中に、あの甘すぎるコーヒーの味を思う。

 

「しかし不知火は、それを通して『人類』の全てを憎むことはしません。仮に、艦娘達が社会から排除されることになってもそれは……、“役目を終えて、消えていく”という事自体は、終戦を迎えた艦娘達が最後の最後に背負うべき役割であり、あくまで艦娘達の使命の一部に過ぎないのかもしれないと、そう思います。もちろんこれは、不知火の個人的な考えです」

 

 だからこそ、彼と二人きりの時にしか出来ない告白だった。

 

「……艦娘である自分たちは、いつか人類の為に消えるべきだと?」

 

 彼の声には抑揚が無かった。拳を軽く握り、不知火は顔を上げる。彼は穏やかな表情を崩していなかった。ただ彼の昏く蒼い瞳は、不知火を映したままで動きを止めていた。部屋に満ちていた陽の光が僅かに翳った。彼の問いに、不知火は肯定も否定もしないままで言葉を続ける。

 

「不知火は、司令から人格を頂きました。そして社会から必要とされ、何らかの意味や役割を持つことの出来る幸福を教えて貰いました。終戦を迎えた後も、その感謝を抱えたまま人類と共存の道を歩けるのであれば、とても尊い道だと思います。しかし、今になって思うのは、……不知火達は、もとは艦船であり、兵器であるという事実です」

 

 彼は何も言わない。黙って不知火の話を聞いている。

 

 “艦娘は所詮、道具であり、兵器である。”

 

 そう信じて疑わない過激な者達は、提督達の中にも、社会の人々の中にも居る。彼らは、少年提督や野獣のことを快く思っていない。それどころか、激しい敵意を向けている。人間と同等として艦娘達を扱うことに関して強い忌避感を抱いているからだ。その原因が、不知火達が抱えた存在理由の中にあるのであれば、人の手によって生まれた不知火には、どうしても取り除くことのできないものだ。

 

 ブラック鎮守府などと呼ばれる場所もあるが、それを望むのは提督だけはない。自らを“兵器”として捉え、“命令の遂行による殺戮”という単純な機能に己の存在価値を見出す艦娘達が集まることによっても、それは実現する。つまり、“人間的な扱いをされることを拒む艦娘達”の存在だ。自らを人間の道具であると信じる彼女達は、過激派の提督達に大いに好まれていたし、艦娘とは本来そうあるべきだと信じさせる強さも持っていた。だが、苛烈な運用を好む彼女達の人格は、間違いなく、彼女達自身のものなのだ。彼女達の意思を、不知火は否定できない。艦娘の非人間性は、認めざるを得ない。

 

 

「不知火の魂や感情の、その最も奥に内封されているものは、何者かを殺傷する為の機能や思想であり、哲学や設計です。それを否定する事は、不知火には出来ないと感じています。この部分こそが“深海棲艦化の種”なのかどうかは分かりませんが……」

 

 

 そこまで言ってから、不知火は一つ息を吐く。

 

 艦娘と深海棲艦との間では、命というものは歪な循環を見せている。そして艦娘が持つ矜持や決意も、深海棲艦が持つ敵意や殺意も、或いは両者の記憶、感情も、波音と共に廻り巡っている。沈んだ艦娘達の想念が集い、強大な“姫”や“鬼”として成り、また戦場としての海に還ってくる。自分は、何の為に戦っているのだろうという問いが、不知火の心の中に木霊する。胸の内に燻っていた言葉を、今は飲み込むべきでは無いと思った。

 

 

「我々艦娘が、人間を傷つける可能性を“深海棲艦化”という現象として潜在的に秘めているのであれば、平和という時間の中で人類と共にあるべきでは無いのかもしれないと、そう考える時もあります。不知火達を信じてくれた人々に危害が及ぶ可能性があるのであれば、それは避けるべきだと……」

 

 

 言い終わった不知火は、息を細く吐いてから彼を見詰めた。彼は瞳を動かさないままで、ソファテーブルの上にあるコーヒーカップを見ている。ただ、訪れた沈黙には不思議と重苦しさや憂鬱さが無かった。

 

「不知火さんは、本当に優しいひとなんですね」

 

 彼が不知火を見た。彼は、笑顔を浮かべている。今まで見せた事の無い種類の笑顔だった。安堵と尊敬、信頼や感謝など、様々な感情を綯い交ぜにした笑みだった。その無防備な感情の発露に、不知火は動揺する。なぜ、そんな風に笑えるのだろう。不知火は、彼の理想を疑っているという胸の内を告白した筈だ。それなのに、なぜ。

 

「いえ、不知火が優しいなどという事は……」

 

 掠れた声で言いながら、不知火は俯く。

 

「優しいですよ。不知火さんは僕だけでなく、世間の人々の事まで気に掛けてくれています」

 

 彼は無邪気に言う。不知火は小さく唇を噛んだ。違う。不知火の思考は、優しさから来るものなどでは無い。彼は視線を下げて、コーヒーカップを見詰めている。

 

「現実的な事には触れず、理想だけを語ってきた僕は、社会や人々といったものの善性を美化し過ぎていたのでしょう。それに比べて不知火さんは、もっと冷静に現実を捉えていると思います」

 

「違いますよ。不知火は、……司令が信じようとしたものと、“艦娘”として対立すべきではないと、そう思うのです」

 

 不知火は、自身が艦娘である事を誇りに思う。彼の下で戦い抜いてきた事を誇りに思う。艦娘の存在意義が殺戮と戦闘だけであれば、このような感情を抱く必要も無かった筈だ。人格も要らないし、言葉も要らない。ただ戦ってさえいればいいのであれば、其処には自我の境界線も不要な筈だ。だが不知火は、明確に他者と己を区別できる。不知火は、他の不知火とは違うのだと認めることが出来る。

 

 人間も同じだ。一人一人が違う。艦娘達を道具として見る者が居れば、艦娘を“一人の人間”として見てくれる者も居る。その差異の中には更に無数の人々が存在し、膨大な数の価値観が渦を巻きながら、時代と世相に沿う形で“艦娘”達へと存在意義を与えている。この世間という坩堝の中には既に、艦娘との共存を目指す人々の思想も存在していて、それは少年提督と野獣、それに艦娘達が培ってきたものだ。

 

 だから、不知火はそれを壊したくはなかった。対立したくなかった。自分たちが生きた証が、そこに在るのだと信じている。深海棲艦化という現実を前に艦娘達が社会から排除されるのであれば、艦娘達が“人類の敵になった”という事実からではなく、“人類の平和の為に、背負うべき最後の役割を選択した”という、艦娘達自身の意思によって社会から去ることで、“艦娘”はその存在意義を余すところなく全う出来るように思える。

 

 ただ、その想い全てを口にすることは憚られた。こういった考え方が、残酷な未来を受け容れようとする覚悟から来るものなのか、諦観による開き直りから来るものなのか判然とせず、不知火自身も持て余しているからだ。黙って俯く不知火を見て、彼は何を思ったのだろう。

 

「これから何が在っても、きっと不知火さんは人々の味方であってくれるのだと、僕は確信しました」

 

 明確な喜びという感情を含んだ彼の声に、不知火は不安と戸惑いを感じた。

 

「司令がそう願うのであれば、不知火は人類の味方であり続けます」

 

 不知火は彼から目を逸らすようにして、何とか笑みを返す。それは恐らく、ぎこちないものだった筈だ。コーヒーを飲み干し、そっとカップに置く。不知火は彼に頭を下げて、ご馳走さまでしたと、そう言おうとしたが出来なかった。それよりも先に彼が「あ、あの……」と、何かを言おうとしていたからだ。普段から落ち着き払っている彼にしては珍しく、言葉を選ぶのに迷っている様子で、俯きがちに視線が泳がせていた。そのうち、何かを飛び越えるように顔を上げた彼は、いつもとは種類の違う真剣な表情を浮かべていた。

 

「不知火さんは、その……、ど、どのような男性が好みですか?」

 

「……えっ?」

 

 不知火は素の反応を返しながら、思わず彼を正面から見詰めてしまった。すると彼は、下唇をきゅっと噛んで、不知火から視線を逸らす。中性的な顔立ちの所為で、彼のその仕種はまるで女の子のようだった。奇妙な沈黙の中で不知火は、彼の愛らしい白い頬が、ほんのりと朱に染まっている事に気付く。不知火は心臓が跳ねるのを感じた。彼の妙な質問の背後に流れている感情や、もじもじとした彼の様子が何を意味しているのかを正確には判断できない。だが、彼の態度や雰囲気を見るに、『どのような男性が好みであるか?』という問いかけは、質問の形をした好意の表出ではないのかと思った。

 

 いや。まさか。

 

 不知火は固まってしまう。少年提督と不知火の間にある静寂に、神妙なのに、何処か甘酸っぱい微熱が灯った。不知火は、ヤバい(語彙力)と思った。涙が出そうなのに、顔が綻んできてどうしようも無い。落ち着け。そうだ、まずは落ち着くのだ。冷静に彼の言葉を受け止め、彼の質問にも答えなければならない。

 

「そうですね……」

 

 不知火はゆっくりと鼻から息を吐き出しながら、自分を落ち着かせるために、テーブルの上にあるカップを眼光だけで粉砕する勢いで睨みながら、口許を手で覆う。

 

「やはり不知火は、王道を征く……司令のような、男性ですか」

 

 何を言っているんだろう、自分は。言ってしまってから、不知火は軽く消えてしまいたくなった。情けなく上擦って震えそうになる声を無理矢理に整えようとしたら、自分でも驚くほど低くなってドスが利いてしまったし、そんな迫真の声音で中学生みたいな言葉を紡いでしまった事に対して、酷い自己嫌悪と羞恥に襲われた。

 

 ドン引きされていたらどうしよう……。ど、ど、どうしよう……。戦艦クラスの眼光のままで、不知火は恐る恐る、ゆっくりと視線を上げて彼を見る。彼は少し驚いたような表情を浮かべて、不知火を見詰めたままで何度か瞬きをしていたが、すぐに照れ笑うようにして、そっとはにかんで見せた。

 

「すみません。妙な事を聞いてしまって」

 

「い、いえ」 妙な事を口走ってしまった不知火も恐縮する。

 

「……実は、不知火さんに受け取って貰いたいものがあるのです」

 

 そう言ってソファから立ち上がった彼は、「もしも不知火さんに、想いを寄せる誰かが居られた場合は、この話自体をするつもりは無かったのですが」と言いながら、執務机の引き出しから何かを取り出した。それが何なのか、不知火はもう、殆ど分かっていた。不知火もソファから立ち上がる。高まっていた鼓動が、いつの間にか落ち着いていた。それは彼が、普段通りの泰然とした雰囲気に戻っていたからかもしれない。彼は、拘束具のような手袋を嵌めた右手に、小箱を持っていた。

 

「……此方を」

 

 彼が小箱を左手で開ける。そこにはやはり、“ケッコン”の為の指輪が収められていた。曇りの無い光沢を湛えた指輪は、陽射しを淡く反射している。二人きりの執務室で、少年提督と不知火は見詰め合う。

 

「僕と、“ケッコン”して頂けませんか?」

 

 彼の声は、穏やかでありながら研ぎ澄まされた迫力があった。まるで互いの魂を預け合う覚悟を問うようで、愛の成就を願う響きは一切無かった。彼の優しい眼差しにも、鋭さと真剣さが宿っていた。不知火は彼の右手を見る。その拘束具のような手袋がなされた彼の右手の五指には、深海棲艦達との“ケッコン”指輪が、幾つされているのだろうと思った。不知火は姿勢を正し、彼に敬礼をする。小箱の中の指輪が蒼く光っていた。

 

 

 

 

 

 それから不知火は、自分がどのようにして積まれていた書類を処理して仕事を終え、駆逐艦娘の寮へと戻ってきたのか記憶が無い。覚えているのは、執務室を出る際に、まだ残って仕事をすると言っていた彼に敬礼をしたことだけだ。彼から渡された指輪の意味を、どのように捉えればいいのかも分からないまま、殆ど気がついたら執務を終えて寮の屋上に居た。

 

 夜空を見上げる。曇っていて星は見えない。不知火の精神内部では、喜悦と不安が葛藤している。フェンスに凭れて息を吐く。吐息が夜気に解けていくのを、屋上の電灯が照らしていた。不知火は小箱をそっと開けて、指輪を眺める。蒼い微光を纏った指輪は、冷えた夜の空気に冴え、暗がりに輪郭を浮かび上がらせていた。この指輪を貰った事は、陽炎にも話をしていない。自分の中で、まだこの事実を消化しきれていないのだろうと思う。浮ついてしまいそうな心を落ち着かせたい。不知火は空を見上げたまま、目を閉じた。

 

『何の為に戦っているのだろう』

 

 未だに胸の奥で木霊する問いに、不知火は耳を傾ける。この手の中にある指輪が、明確な一つの答えであることを望んだ。“少年提督の為に戦う”という、不知火だけの正義を肯定しようとした時だった。携帯端末が鳴った。不知火は小箱を大事に懐に仕舞ってから、端末を確認する。どうやら、艦娘囀線が賑わっているようだった。

 

 

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat 

 この時間なら、もう執務は終っているわよね?

 少し話があるのだけれど

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @kaga1.●●●●● おっ、どうしました?

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

 白々しいわね

 何故か青いV字ビキニが部屋に届いているのだけれど

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 今度の歌番組は、それを着て出てくれよなぁ^^~

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

 貴方、今何処にいるの?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 執務室ゾ

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

 今から行きます

 其処を動かないで

 

 

≪明石@akasi.1●●●●●≫

 また執務室がこわれるなぁ……

 

 

≪グラーフ・ツェッペリン@Graf Zepplin1.●●●●●≫

 私のところにも来た、

『競泳水着を着て、イベントでの売り子』という通知はなんだ

 @Beast of Heartbeat野獣、説明を願おう

 

 

≪ビスマルク@Bismarck1.●●●●●≫

 私の端末にも届いていたわ

 

 

≪プリンツ・オイゲン@Admiral Hipper3.●●●●●≫

 怖くて添付ファイル開いてないんですけど、私のところにも来てましたね……

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @Graf Zepplin1.●●●●●

 @Bismarck1.●●●●●

 @Admiral Hipper3.●●●●●

 来月にあるイベントで、俺も同人誌を出す予定だからさ

 お前らには売り子を頼みたいんだよね?

 

 

≪長門@nagato1. ●●●●●≫

 おい初耳なんだが

 

 

≪プリンツ・オイゲン@Admiral Hipper3.●●●●●≫

 なんで水着で売り子をする必要があるんですか!?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @Admiral Hipper3.●●●●●

 じゃあ、V字ビキニならどう? いけそう?

 

 

≪ビスマルク@Bismarck1.●●●●●≫

 何が『じゃあ』なのよ……

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @Bismarck1.●●●●● 

 じゃあ、ビスマルクはジャガイモの着ぐるみで行こっか、

 

 

≪ビスマルク@Bismarck1.●●●●●≫

 なんで私だけそういう色モノなのよ!!

 

 

≪グラーフ・ツェッペリン@Graf Zepplin1.●●●●●≫

 いや、そもそも恰好の良し悪しの話をしてるんじゃないぞ

 

 

≪大和@yamato1.●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat あの、一応、お聞きしたいんですけど……

 どのような本を出す予定なのですか?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 やっぱり僕は王道を征く、青葉本ですか

 タイトルは、『青葉バと、810100081人の盗賊団』

 で、よし、決まりッ!

 

 

≪青葉@aoba1. ●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat 

 ちょっと! 止めてくださいよ本当に!!

 

 

≪嵐@kagerou16.●●●●●≫

 盗賊団の規模、ヤバくないっスか……

 

 

≪香取@katori1. ●●●●●≫

 国際情勢こわれる

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 やっぱり、小さくまとまっちゃうとツマラナイからね!

 何事も、でっかくないとなぁ!

 15ページくらいだけどネームも出来てるし、

 ちゃんと盗賊団も一人一人描き分けて、全員登場させるんだからさ

 

 

≪大井@kuma4.●●●●●≫

 何をアホな事言ってるんですかね……

 

 

≪陽炎@kagerou1.●●●●●≫

 描かれてる筈の青葉さんをページの中から探すの、途轍もなく大変じゃないですかソレ

 

 

≪明石@akasi.1●●●●●≫

 多分、超難度の『ウォー●ーを探せ』みたいになっちゃうと思うんですけど

 

 

≪吹雪@fubuki1.●●●●●≫

 顕微鏡が必要そうですね……

 

 

≪北上@kuma3.●●●●●≫

 読者の人への負担すごい、すごくない……?

 

 

≪鹿島@katori2. ●●●●●≫

 というか、青葉さんの本なのに、ドイツ艦娘の皆さんが売り子に立つんですか?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @katori2. ●●●●● そりゃお前、一回のイベントで

 青葉の魅力だけじゃなくて、ドイツ艦娘の水着姿もアピール出来れば

 一石一一四五一四鳥だルォ!!

 

 

≪鈴谷@mogami3.●●●●●≫

 効果の範囲が広過ぎるでしょ、何が起きてんの?

 

 

≪ビスマルク@Bismarck1.●●●●●≫

 そういう意図があるのに、なんで私だけジャガイモの着ぐるみなのよ

 

 

≪大淀@ooyodo.1●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat いつも言ってますけど

 あんまり無茶な事はしないで下さいね?

 苦情の処理に忙殺されるのはゴメンですよ、私は

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 へーきへーき!! 仮に何かあったとしても、大淀がV字ビキニ着て関係各所に謝りに行ってくれれば、だいたいの事は丸く収まるってはっきり分かんだね!

 

 

≪大淀@ooyodo.1●●●●●≫

 なんでそんな事をする必要が在るんですか!?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 じゃあ、俺もV字ビキニで謝りに行ってやるか!

 

 

≪長門@nagato1. ●●●●●≫

 行かんでいい!!

 

 

≪天龍@tenryu1. ●●●●●≫

 お前がそんなモン着て行ったら、謝罪どころかケンカ売りに来たと思われるぞ

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 しょうがねぇなぁ~

 じゃあここは一つ、我が鎮守府の秘密兵器

 龍驤の出番と行きますかぁ^~、Oh^~?

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 雑に巻き込むんやめろや

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 おい、何か“ご注文有り難うございます”とか通知来たで

 何やねんコレ

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 龍驤の水着を頼んだだけゾ

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 商品の詳細見たら、どえらいデカいサイズやんけ!

 何処がとは言わんけど!!

 明らかにウチのと違うやろコレ!

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 あっ、間違えて高雄用のを注文しちゃったでごわす……

 

 

≪高雄@takao1. ●●●●●≫

 なんで私の名前が出てくるんですか!?

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 ほんまやぞ

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @ryuzyo1. ●●●●●

 申し訳ございません!!!!

 申し訳ございません!!!!!!

 誠に!! 誠に!!! 

 申し訳ございません!!!!!!!!!

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat 

 どんだけ謝んねん!余計に虚しくなるやろ!

 そこはいつもみたいにアホな事言うて誤魔化せや!

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 おい

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 ちょっと待て

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 アカン

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 侵入者や

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 少なくとも3人

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 今ここ見てるヤツ

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 周りのモンに声掛けて

 各々の提督のトコへすぐに行け

 

 

 

 

 

 そこまで読んで、不知火は弾かれたように顔を上げて、少年提督のもとへと走りだそうとした。だが、出来なかった。不自然に、余りにも不吉に、体から力が抜けた。不知火は屋上に倒れ込む。懐が小箱から零れ、コンクリートの上をケッコン指輪が転がって倒れた。視界が暗く霞む。倒れる刹那。不知火は屋上に居たから、何か、光の膜のようなものがドームを象り、鎮守府を包みこむのが見えた。結界という言葉が脳裏を過る。何て大掛かりな。これは。明らかな襲撃。思考がそこまで行ったところで、何が起こったのかは分からない。体が動かない。辛うじて呼吸は出来るが、身動きが全く取れない。まるで体が、錆びた鉄屑になったようだ。

 

 不知火の肉体が、何らかの術式の影響を受けているのは間違いない。さっきのドーム状の何かが、不知火の体を殺している。だが、それが分かったところで、どうしようも無い。不知火は何とか動こうとする。彼のもとへ。執務室へ行かねばならない。だが、どれだけ体を動かそうとしても僅かに顔が上げるだけで、それ以上は無理だった。叫ぼうとするが声も出ない。完全な無力だった。星の無い暗い空の下。屋上の床にへばりつく不知火の、その霞む視界の先。転がった“結魂”指輪が、この場の悲劇を望むように蒼く光っていた。

 

 

 











いつも読んで下さり、有難うございます!
皆様の暖かな応援に支えて頂ける事を、本当に感謝しております。
シリアス色が強い話が続いておりますが、なんとか完結を目指したいと思います……。

更新も遅くなるかもしれませんが、何とか更新出来るよう頑張ります。
今回も最後までお付き合い下さり、本当に有難うございました!

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