竜娘の異世界旅行記   作:ガビアル

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十四話

 朝も早くから喧噪に身を浸す。

 この都市にはどれほどの人がいることだろう。

 アルノーは予想するより遙かに人の活気が有り、生命力に満ちあふれていた。

 

 潮風の漂う街路は歩けば人同士が肩をぶつけてしまう程に混雑し、荷車が忙しく行き交う。

 朝食の材料を仕入れるためか、大きな篭を持って広場に行く人。こちらの社会の新聞のようなものらしい、最近の出来事や、アルノーで起こった種々の情報を板書し、面白可笑しく読み上げる風聞屋と呼ばれる人達。それに耳を傾け、時に笑いさざめき、チップを投げる人々。

 少し路地を見れば狭い隙間で飼っている鶏に餌をやる子供、石臼を慣れた手つきで回す老人。汲んできた水を大きな水瓶に注ぎ、再び水場に行く少年、途中でからかいでもしたのか、年端もいかない少女に追いかけ回されている。

 これまで色々な場所を巡ってきたが、ここまで人の逞しさや生命力というものを色濃く感じた町はなかった。人が多く集まれば自然とそうなるのか、あるいはこの地に住み着くとそうなってしまうのかは判らないが。

 敷かれた石畳はよほどに固いのかもしれない。馬車の立てる音はいつになくガラガラと鳴る。城壁が何層にもわたって作られている都市、少し高台となっている中心部から南西の港がある区画に向かって移動する。

 

「しかしまあ、なんという広さだ」

「安直な感想だな。ま、判らんでもない。元は海沿いの漁師町だったらしいが、その過去が信じられん栄えようだ」

 

 フレッドは片手で馬車を操りながら左手で北側を指す。

 

「北からの難民が流れこんでな、人の増加に合わせてまた城壁を作っているらしい、これで北部は九層の城壁が築かれる事になる。ロライナ王都がせいぜい三層である事を考えると、全く呆れるしかない」

 

 呆れると言いながらもどこか面白がっているような顔を見せる。

 何度か開かれている城門を通り抜けると、海鳥の鳴き声らしきものが聞こえてくる。人の喧噪に微かな潮騒も混じるようになってきた。やがて見晴らしのいい広間に出ると、海が一望できた。ここからさらに坂を下りてゆくと埠頭に行けるらしい、眼下には荷揚げ場と倉庫を忙しく往復する人夫が行き交い、停留している船に荷を積み込んでいる。船の大きさは様々だが、手前側には小さい船が多く、こちらから見て奥に行くに従って大きい船が停まっている。遙か遠くに見える岬には灯台の姿もあった。

 

「アルノーを大きくした要因の一つがこの良港でな、三日月のように張り出した岬、そして沖にある群島が自然の防波堤となっている。北側は水深も十分で大型船も無理なく入る事が出来、東部から持ち込まれた燃料も十分にある。船たでが安く済むのも特徴だ。まったく地の利に恵まれたものさ」

「船たで?」

 

 フレッドがあれだ、と指したのは大型船の停留しているさらに先、船がマストを畳んだ状態で何隻も並んでいる場所だった。モヤがかかったように見える。

 

「船喰虫ってのがいてな、放っておくと船が穴だらけにされてしまう。定期的にああやってドックに入れ、煙で燻すんだ」

「おお、そんなのいるのか……」

 

 聞けば流木などを餌にするミミズのような虫らしい、船乗りには結構な死活問題なのだとか。

 

「銅板を張る方法もあるが、どうも隙間からも入り込むらしい。何より高くつくからな、長期航海しない連中は大抵そのままだ、手入れを怠らねばそれでも二十年は保つと聞く」

「ほほー、フレッドは船に乗った事はあるのか?」

「二、三回はな。北西のリゴスあたりまで行くには海路の方が早い」

 

 聞き覚えのある名前が出てきた。いつ聞いたのだったか。少し記憶をさぐり、ああと手をぽんと叩いた。

 

「確かそこも交易中心の都市なんだっけ? 城壁が名物の」

「ああ、そちらはアルノーほど多層の城壁を作っているわけではないが、ひときわ堅固で巨大な城壁を持っている事で知られている。北の戦乱の最中、ただの一度も陥落した事のない、最も安全な都市などとも言われていたな」

「言われていたって、陥落しちゃったんかい」

「おお、エオロス王国の宰相、アエディリアスの粘り勝ちだ。どれほど時間をかけたかは知らんが、謀略に謀略を重ねていたのだろうな。孤立し、補給を断たれ、最終的には内通者が発端となった不和により瓦解した。堅固な城に頼りすぎた末路かもしれん」

 

 そんな事を御者台で話しているうちに目的地に着く。やはり他と同じような石造りの建物で、看板には商家を示す天秤の印とハーマン商会の名。フレッドは身軽に御者台から降り、手続きをしてくる、と言って支所に入っていった。

 やがて灰色にも見える髪を端正に整えた男性、見たところ三十中程だろうか、と談笑しながら外に出てきた。男性はこちらに気付くと穏やかに微笑みながら歩み寄ってくる。

 

「やあ、初めましてお嬢さん、ようこそアルノーへ。ここの支所長を務めているヨセフです。しかしフレッドの奴も気が効かず申し訳ない。こんな若いお嬢さんがいるなら深夜だろうと叩き起こしてくれれば、如何様にも良い宿を手配したものを」

「エフィ、気をつけておけ、確かに良い宿が手配されるが、その夜は忍んで来る男に悩まされる事になる」

「何と人聞きの悪い、まるで私が犯罪者のような物言いだ。見目麗しい女性を一人寝の寂しさに置くことこそ世の罪悪というものではないかな? さ、お嬢さん、どうぞお手を。この馬車のステップは少々女性には高すぎる」

 

 にこやかに手を差し出される。一応無表情を繕っているものの、こういった場合どうしたらいいものか。いやまあ、善意ではあるみたいだし、無視するのも何となく悪い気がする。と手を置き、支えにさせてもらって下りる。

 おれの困惑した内心を把握してか、フレッドがニヤニヤと嫌らしく笑っていた。うん、後でちょっとシめよう。

 

「おお、間近で見れば何と麗しい。いや失敬、こんな安直な言葉など聞き飽きておられるかもしれないですが、男の本音というものはたやすく漏れてしまうのです。お嬢さん、あなたの澄んだ瞳にはなお滑稽に映ってしまうかもしれませんが、この道化と少々の時間を過ごす事をお許し願えませんかな?」

 

 おれが内心でげんなりしながら聞いていると、やはりフレッドが笑いを堪えている。既に腹が痛そうだ。助け船、助け船をはよ、と目で促すが、全く口を出す気はないらしい。困った、確かにこんな容姿なので、酒場で酔っぱらいに絡まれたり、妙な連中に連れ込まれそうになった事も一度や二度ではない、しかしこう真っ向からお誘いをかけられたのは初めてだった。殴ってどうこうすればいい問題でもないし、無視するのも都合が悪い。断ればこういうのは傷つくのだろうか? ちょっともう、人間の感性ってのが記憶でしか残ってないのに、難題過ぎる。

 

「ええと……何だろう、こ、困ります?」

 

 おれがどうにか捻りだした言葉に、さすがに堪らなくなったのかフレッドが笑い声を上げた。じっとりと睨む視線など何ほどでもないかのように笑い、支所長の肩を軽く叩いた。

 

「ヨセフ、そのあたりにしておけ。そいつは世故には長けてない。社交辞令を交えた言葉など通じているかも判らんぞ」

「いやはや悲しい事を言う。決して社交辞令などと言ったものではないと言うのに」

「だそうだぞエフィ。この支所長も色好みで知られる男だ、磨けば光る原石を見つけるのも得意というもの。お眼鏡にかなったのならまず間違いはあるまい。少し磨かれてくるか?」

「勘弁してくれ……」

 

 余程困った顔をしていたらしい。二人して笑われてしまった。

 

 トーリアの手綱を取り、宿へ行く。牽いていた馬車は商会支所の倉庫に荷物ごと置いてきていた。フレッドは何やら細かい手続きがあるらしく、先に帰されたのだった。

 都市の中央部から少し東寄り、東門から続く通りに面した酒場。それに隣接している厩舎に入れ、お疲れ様と声をかける。街中を移動しただけだが、さすがに昨日は朝から夜まで強行軍だったので疲れが出ているようだ。軽く汗を拭き取り、ブラシをかける。首筋がどうも気持ちの良いポイントらしく、何となく喜んでいる感じだ。

 

「洗い場が近ければ行ったんだけどな、後で聞いとくか」

 

 飲み水と飼料を用意し、洗ったハミを壁に掛ける。最後に鼻筋を一撫でし、馬房を後にした。

 昨夜とった部屋でガウンに着替え、一階の酒場へ。

 

「さて……」

 

 何分、朝早くからひとまず、と荷を納めに行ったのだ。朝食を食べていない。そう、我慢はしていたものの、腹はしきりと駄々をこねている。かなうならばおれとて茶碗をドラム代わりにして箸でメシ! メシ! と乱打したい気分でもあった。

 カウンター席に座り、恰幅のいい店主に呼びかけ、とりあえず周りの人達が食べている朝食のセットを三人前ほど頼む。昨夜のおれの食べっぷりを覚えていたのか、あいよっとばかりに大皿に盛り合わせて出してくれた。三種類のチーズにジャム、蜂蜜、ソムと呼んでいたか、メロンパンを巨大にしたような形のパン、外がパリパリで中がモチモチしているそれを三つ。山盛りサラダ、挽肉とオリーブだろうか、それに野菜の煮込みにチーズを乗せて焼いたグラタンのようなもの。

 腹具合は早く早くと騒ぎ立て、口内は香りに刺激され涎が溢れる。空腹は最高のスパイスとは誰の言葉だったか。

 

「いただきます」

 

 その一言、食材と作ってくれた人への礼を言うのももどかしく、目の前の獲物に手を伸ばした。

 

   ◇

 

 十人前ほど平らげたところでフレッドが戻ってきた。また朝からよく食うものだ、と肩をすくめ、隣に座って自分の分も注文する。待っている間におれの皿のチーズを奪っていった。何という手癖の悪さ。

 

「昼になったら屋台で何か奢ってやるからそう睨むな」

「お? 腹一杯になるまででいい?」

「チーズ一切れでは割に合わなすぎるだろう」

「食い物の恨みは恐ろしいのだ、おれの場合は特に」

 

 恐ろしすぎるな、と皮肉げな笑みを見せて一言。フレッドも注文していた朝食を受け取り、黙々と食べ始める。しかしアルトーズから西はやはり地味豊かなのか料理の種類が多い、今日食べたものはかなり香辛料が効いた焼き物で、それとは対照的に甘いものは甘い。味のメリハリがはっきりしている。この辺の料理の特徴なのかもしれない。

 やがて食事を終えるとまだ時間も早いというのに食後の一杯とばかりに葡萄酒を飲み始めた。いつものごとく一杯で終わるはずもなかったのだが。一杯目は流し込むようにぐっと飲み、二杯目を味わうようにゆっくりと飲む。何となくフレッドの飲み方の癖のようなものも判ってきた。

 

「エフィも飲んでみるか? 西にあるスティリア島の葡萄酒だ、海を渡ってきたものだが、これがまたリーファンあたりで飲もうとすると三倍以上の値になってしまう。中々味わえない酒だぞ」

「ほー、まあ酒は酔えないから味わうにしても夜でいいや。フレッドはしばらく飲んでる?」

「いや、この一杯で締めとしよう。散策するつもりだろう? 案内ぐらいはしてやるさ」

「ん、頼んだ、そういえばどのくらい滞在するんだ?」

 

 フレッドは軽く首を傾げ考える素振りを見せた、杯を干し、カウンターに置く。

 

「そうだな、荷の集まり具合にもよるが最短で三日といった所か。リーファンに運ぶ荷はあらかた用意してくれているが……東方に運ぶと思わぬものが当たる事もある、そんな品を試しに見繕って持っていくのも仕事でな、丸一日はそれに割きたい」

 

 おれはちょっと見直した気分でまじまじと見る。フレッドは胡散臭いものを見たような表情を浮かべた。

 

「……何だ?」

「いや、ちゃんと仕事するんだと思って」

「お前俺の事何だと思ってる?」

 

 フレッドの印象というと、うん。戦ったり戦ったり戦ったり、料理したり、雑学豊富だったり飲兵衛だったり。なんだろう?

 

「少なくとも商人っぽくはないよな」

「むう……」

 

 フレッドも自覚はあったらしい。腕を組んで唸ってしまった。顔を上げると、片頬を上げて言う。

 

「いいだろう、ちょっとばかり商人らしいところでも見せてやるとしようか」

 

 勘定を済まし酒場を出て、二層目の城壁を越えた先にある広場に向かう。フレッドの目的はそこで毎日行われている古物市らしい。何でもアルノーならではという事らしいのだが、質屋などの代理として中古品を扱う市場そのものが発展したそうで、独自の掟もあるのだとか。

 隣接する屋台に積まれた品々を見ながら歩く。フレッドは目を細め、並んでいる品を眺めながら言った。

 

「商いで重要なものは多々あるが、基本の一つは安く仕入れて高く売るって事だ。まあ子供でも解る理屈だな」

 

 足が止まる、何か見つけたらしく、服が山と積まれた古着の店に近づいて、ちらりと見えている布を引き出す。布地を指で撫で、小さく頷いた。

 

「でだ、その基本を活かすには目を良くしておく必要がある。さらに言えば広範の知識もだ。逆に言えばそれだけあればある程度は何とかなってしまう。例えばこの布地、何の変哲もない蔓をあしらった模様に見えるだろうが、下地の赤、これはケーメスの中でも最上の染めだ。選び抜いたものを使い、相当に腕の良い職人でないとこの色は出ない。金持ちか貴族階級の間では貴まれていてな、そうなるとこの蔓の絡んだ模様も、意味が違ってくるわけだ」

 

 そう言い、同じ様な蔓の模様が織り込まれている布の服を引き出し、並べて見せる。よく見れば最初に引き出した服は何というか、細かい。

 

「ただ似ただけの模様がここ数年で多く出回っているが……エオロスでここのところ名を上げている仕立て屋と織職人の二人組、ペルティーノの作品、それも無名の頃のものだろう。ほれ、ここの部分、模様の中に不自然にならない程度に、ちゃっかり自分の名前を入れてしまうあたり、らしいところだ。真似ただけの偽物の中に本物が紛れ込んでしまったというわけだな」

 

 そんな説明が店主の耳に入らないわけがない。初老の店主はまさかそんなものが紛れ込んでいたなどとは思ってもいなかったのだろう。ちょっとおかしみを感じてしまうくらいに狼狽している。何せその服の山、どれを選んでも銅貨で三枚ぽっきり、と木の板にはっきり書かれているのだ。うん、そのくらいは読めるようになった。

 そんな店主にフレッドは笑いかける。

 

「さて店主、ここの規約は知っているな。提示した値から上げてはならず、だ」

 

 そんな容赦の無い言葉を突き付け、店主はがっくりと肩を落とす、しかしフレッドはそれを購うわけでもなく、さらに言葉を続けた。

 

「とはいえ、連れはあまり着飾りたいなどとは思っていないようでな。どうだろうか、この服を買わん代わりに、他の服を半値で買わせて貰う、というのは」

 

 喜ぶ店主に「お互いが得をする、良い形だな」と笑顔で嘯くフレッド。

 おれはその後ろで、なるほど舌先三寸こそ商売というものかと思い、深く頷いた。

 

 これからの時期に良いだろうと見立ててもらい、アルノーで通りかかる人が着ているのと同じような形の服を一揃い買い込む。袋状のズボンのようなスカートのようなもので、サルールとか呼んでいたか。それに羽織れば翼も隠せそうな薄手のガウン。半袖のブラウス。大きさはおおむね合っていたので、後で少し改造すれば普通に着る事ができそうだった。

 

「しかし、さっきのって本当か?」

「俺は嘘をつくのが酒を飲むより苦手なんだ」

「どんだけ得意なんだよ……それで、騙したら詐欺になるんじゃないのか」

「何、十中七、八は本物だろう、本物でないにしろ値の張る品には違いない。まずあの店主は儲ける事だろうさ」

 

 そんな事を胸を張り嘯きながら市場を巡る。日もかなり高く上がって来た頃になると、鐘の音が盛大に鳴り響いた。

 昼を知らせる鐘なのか、街の人もどこか緩んだ顔で建物からぞろぞろ出始め、古物市では荷車に品を山ほど乗せたパン屋が移動販売を行い、次々と売れてゆく。弁当の文化はどうもないらしい。手荷物から食べ物を出している人はちょっと見かけない。

 まあ、なんというか。うん。

 

「なあフレッド」

「なんだ?」

「判っているだろ?」

 

 フレッドはさて、何の事やらな。と面白いものを見る目をしながら剽げる。

 おれは色々なものを足し算して引き算して割り算した結果。うむ、と一つ頷いた。

 フレッドの手を取り胸に当てる。

 

「手込めにされたと叫んでみようか」

「手込めにしてやろうか?」

 

 にやりと笑みを浮かべ、わきわき動かし揉んでみせる。こやつ手強い。

 

「ミラベ──」

「エフィ、実はちょっとここから南西に行ったところの三層目の市場は屋台がかなり出ているんだ。興味があるんじゃないか?」

 

 うむ、素晴らしい効き目だった。

 ここまで効き目があるとかどれだけ調教されているんだと思わないでもない。

 

「フレッド……男って悲」

「みなまで言うな」

 

 言葉を止められる。

 その背中はどこか悲哀に満ちているような気がした。気のせいだったのだが。

 ふと、何が疑問を感じたかのように首を傾げるとこちらをちらりと見る。

 

「しかし、自分から胸を揉ませるとは、妙な趣味に目覚めでもしたのか?」

「ん? んー、ネタとして使えるものは使えばいいんじゃないか?」

「……なるほど、気にしていないだけか。しかしあまり無造作に『女』である事を使っていると勘違いする者も出てくるぞ、気をつけた方が良い」

「あの支所長みたいなのにはこんなふざけ方しないから大丈夫、そのくらいの分別はある」

 

 勘違いされたらされたで割とどうでもいいような気もするが、実のところ今の自分の性に対する捉え方はちょっと難しいところだ。男性を無くしてしまっているというより人間性を無くしてしまっている気がする。

 うん、なかなかシンプルには生きられないかもしれない。

 

   ◇

 

 木々が植えられ、整えられた広場に入ると、そこらかしこから漂う香りでちょっと暴走しそうになった。

 ひとまず、手前に見えた細長いパンに揚げたものと野菜がサンドされているものを、フレッドが言ったように奢ってくれるというので、ありがたく頂く。どこか困った様子でおれの背中を押さえているのはうん、多分また無意識に翼が暴れてしまったのだろう。

 木の近くに据え付けられているシンプルな石の長椅子に座り、一口。

 

「おお……衣がついてる」

 

 フライというよりフリッターだろうか、ここまでしっかり衣つけた揚げ物は久しぶりかもしれない。ぱりりとした衣の中は大きな鯖。脂が乗っているらしく、じゅわじゅわ口に広がる。そして柑橘系の絞り汁で油っぽさは中和。

 

「バリック・エクメイだな、ここの名物でな。海に近く油が安いからこその料理だ」

 

 うむ、何の変哲もない鯖サンドなのかもしれないが。生野菜も一緒に入っていてこれがまた。

 フレッドは無言で食べるおれを見て、肩をすくめた。

 

「追加は?」

「いっぱい」

 

 持ってきた自分の財布を投げ渡し、お願いした。

 フレッドはやれやれと良いながら戻っていくが、そこは勘弁してほしい。少し考え、手を口に当て、呼びかける。

 

「フレッド、自分のも買え買え、奢るぞ、こりゃ美味い」

「おう、遠慮なく。ここでしか食えんしな」

 

 バリック・エクメイ……か、うん。気に入ってしまったので、十個ばかり余分に買い込み、油紙に包んで持ち帰る。

 アルノー市街を歩き回りながら色々と説明してもらった。

 どうもこのアルノーという都市は三つの勢力が入り乱れている状態らしい。

 運輸や輸送に強いメルビン家、古き歴史あるブライトン、そして中小の商会が集い、連合企業の体を成しているのがドナーティ商連。

 まあ、面倒臭いので纏めて三商なんて言うらしいが。

 

「商家と言ってもその色合いはそれぞれだ、メルビン家は前も言ったかもしれんがかなり強引な手法で知られていてな、豪腕と言っても良い、一族を各国の権力者に送り込んで、正面から堂々と市場を奪ってゆく」

 

 北区にその本拠があるらしい、そちらに顔を向けた。そして──と逆方向を指さし言う。

 

「ブライトン、こちらは古くから西で手広く交易している家だ。海で栄えた家だ、アルノーの港としての機能に真っ先に目をつけたのがこの家でな、言わばアルノーという都市の生みの親と言える」

 

 アルノー最大の船主がこのブライトンという商会らしい。

 そして、と朝方行った海の方を指さした。

 

「港に面した西区にドナーティ商連に加盟している連中が集まっている。ハーマン商会もまたその一つさ、中心になっているのはレウ・ドナーティなんていうこれまた西の商家だ、商家というより金融業者だがな」

「金融? ええと、よく分からんけど、あれか為替とか、融資とか」

「……クク、大雑把だなあんたは。まあそんなもんだ。旧帝国領内なら問題ないが、ここから南は十二国もある沿海州の諸国連合、海を西に行けばさらに幾つもの国がある。当然、貨幣も違う、両替が必須になる、まあ、交易が盛んになってからは両替商も大きくなってきてな。その中でも国に取り入って大きくなった者がいる、それがドナーティだよ。簡素に言えばな」

「ほー、でもそういう銀行とかって公平性が大事なんじゃないか、良いの?」

 

 フレッドはおれの方を向くとまじまじと見た。しみじみと感心した様子で顎を撫でる。

 

「驚いたな、頭には飯の事しか無いのかと思っていた」

「……言い返そうと思ったけど否定できない自分に落ち込みそうになるんだがどうしようか」

「それはいかん、機嫌をとるなら花と相場は決まっている、何本か見繕ってやろうか?」

「食える花にしてくれ、食用菊とか」

 

 フレッドは無言で天を仰ぎ、大げさに肩をすくめる。

 ふと何かを思い出したようで顎をとんとんと二度叩き、ふむ、と呟いた。

 

「人を食う花の話なら聞いた事がある。確か遙か南方に出向いた冒険家の記録だったか、動物がどうしても我慢できない、ひどく甘く、美味そうな香りを出し、誘い出す。ふらふらと誘われた人間がその木の下へ行くと、上からびっしりと歯の生えた、一抱えほどもある巨大な花が落ちてくるのだそうだ、あんたなら逆に食い倒せるかもしれん」

「フレッドが囮になるなら考えるよ」

「そいつはさすがに食人花も腹を壊すだろう、野のモノを無用に虐める趣味はないぞ」

 

 こいつはどういう毒物なのか。

 いや、確かに毒物ではありそうなもんだが。

 

   ◇

 

 ふらふらと雑談を交わしながら街をぶらついているうちに、日も傾いてきた。

 休暇らしい休暇と言えばいいだろうか、丸一日観光してしまったようなものかもしれない。

 フレッドはここでしっかり疲れを取りきると言い、早々と宿に足を向ける。ただまあ、疲れを取るというより、きっとアルコールで爛れた時間を過ごしたいのだろうけど。

 ──ふと、妙な犬がいることに気がついた。

 焦げ茶色、中程度の大きさ、垂れた耳に短い毛、猟犬に向いていそうなしなやかな体でもって、何が気に入ったのか、おれとフレッドの後ろをとことこと追いかけてくるのだ。

 

「なあ、気付いてるか?」

「おお、ありゃ狩猟用に何匹かで大物を囲んで追い詰める時の奴だ。逆毛とか呼ばれていたか。きつい環境でも平気で耐え抜く。大抵ああいう犬は金持ちが趣味の猟で使うか、番犬に使うかなんだが」

 

 ふむ、とフレッドは腕を組む。

 

「飼い主とでもはぐれでもしたのかもな、似た臭いでもしているのかもしれん」

『たわけ』

 

 頭の中で声が響く。

 フレッドにも聞こえたのか、顔をしかめ、こちらを向いた。おれがふるふると首を振ると、まばたきを二度。

 

「……頭に直接聞こえなかったか?」

「うん、あれだ、ほれ、前話した喋る山羊と同じだこの感覚」

「……山羊なあ、まさか?」

 

 二人してゆっくりと後ろの犬を見る。

 その犬はこちらが足を止めても歩く速さは変えず、二人の間を悠々とすり抜け、先に行く。つと足をとめ振り返り、こちらを見ると。尻尾を一つ二つ振った。

 

『竜よ、来い、主の元へ案内する』

「……エフィ、どうやらお呼ばれされているらしいが」

「そのようだけど、どうしよ、こりゃ」

 

 おれがこんな風になっていることの手がかりには違いない。何せ頭に直接話しかけてくるような動物に会ったのなんて、一番最初の洞窟の辺りに居た山羊くらいなものなのだ。

 

「面白い、この犬の主とやらがどんなものか、拝ませて貰うとしよう。俺も構わんだろう? 案内役」

『……供を連れてくるな、とは言われていない』

「だそうだ、竜の旦那よ、謹んで御供を勤めさせてもらうぞ」

「フレッドお前……ノリノリだなあ」

 

 軽く呆れていると、ククと喉の奥で笑い、おれの肩をぽふぽふ叩いてくる。

 

「珍しモノ見たさの虫が疼いたのさ。頭の内に語りかける犬がおり、お前を即座に見抜くモノも居る。はてさて、鬼が出るか蛇が出るか。楽しみな事には違いない」

 

 そんなフレッドは命知らずに違いない。

 軽い呆れが重い呆れに変わり、小さく溜息を吐いた。

 先導の犬は、とっとと付いてこいとばかりに歩き出し、その後ろをついて行く二人組。

 思えばかなりシュールな絵だったかもしれない。


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