何が起こっている?
ーーそれだけがハクレイの心を占めていた。
『何、が? 何でボスが固まって? それにさっき聞こえた強制転移は……』
意味不明、理解不能。
さっきまで敵意剥き出しで襲い掛かってきていた第一層のボス。イルファング・ザ・コボルド・ロードをツンツン、とアニールブレードの先でつついてみるも反応はない。
バグ? フリーズ? エラー?
幾つかの可能性を考えてみるがどれもピンとこない。そもそもソードアート・オンラインには『カーディナル』と呼ばれるバグを瞬時に発見、修正する機能が備わっているのだ。バグもエラーもありえない。また、フリーズも考えにくかった。
(……だってこの世界にイン出来るのはたった一万人。そんな人数で落ちるほど脆弱なシステムなわけがない! そんなの旧世代の型落ち品だってこなせるレベルだろ)
と、なれば何の可能性が残されているのか。
とりあえず、ハクレイは口を開く。
『……あの、固まったんですけど生放送ちゃんと映ってます?』
確認したのは自身の実況だった。というのも、正直な話ソードアート・オンライン側に不具合があったとは思われにくいのだ。
となれば実況機能がエラーを起こしたか、または録画に失敗したのかそんなところだろう、と当たりを付けたのである。
しかし、コメント欄を見ると「違う」「なんかテレビで茅場が映ってる」「チュートリアルとか言ってる」「ボス戦やめろ」「今知った。SAOの死者ガチだったわ」「茅場がプレイヤー集めて演説してる」「←に追記、どうやらテレビ局にハッキング仕掛けてSAO内を映してると思われる。全部のテレビ局が同じことしてる」
と意味不明な羅列が多かった。というか返信されてくるという事は実況機能には問題無いのだろう。
……問題、
『ちょっと待って? SAO内に死者? さっきも聞いたけど本当にガチネタなの?』
問題大有りだった。
主に内容が! 先程は荒らしかと思って聞き流したが、流石にこうまで言われて無視出来なくなったハクレイは思わず聞き返す。
「本当の話」「で、今広場っぽいとこに大勢のプレイヤーが集められてる」「今回の死者騒動の説明か?」「……つかNGコメント多過ぎだろ。半分以上投稿した側から消されてるぞ」「←あの腰の重い運営が動き始めたんじゃないか?」と直ぐには理解出来ない返答が返ってきた。
(……ガチネタ? 実感ないんだけどなぁ。というかコメントがイマイチ釈然としない)
首を捻る。だがこんなことを考えている時も視線をイルファング・ザ・コボルド・ロードから外さないあたり急に動き出さないかの心配もしているのだろう。
というかいきなり死者と言われても分かるわけがない。現にここまで何一つのバグもなくハクレイはプレイを進めてきたのだから。
それはともかく、ハクレイは先程のコメントの一つを抜き取って呟く。
『広場……って始まりの街の広場か? そこで何が起こってんだよ』
呟きだされた声はボス部屋の中で消えていくーーーー。
1
時間は少し巻き戻る。
始まりの街周辺での事だ。
「ーーしっかし、何度見ても信じられねぇよな。ここがゲームの世界なんてよ……作ったヤツは天才だぜ」
「あぁ、俺もそう思うよクライン」
時刻も夕方に差し掛かった頃。一通りのレクチャーを済ませたキリトはクラインとそのような会話をしていた。
見渡す限り広がる草原。座り込むと草木の一本一本まで作り込まれているのがよく分かる。空には夕陽が浮かんでいる。そこから発せられる虹彩も本物のそれだ。
圧倒的なまでのリアル感。
これが仮想現実。これが茅場晶彦の作った世界。
凄いな、と思いながらキリトはそこで思考を切り替えてクラインに今後の動向を尋ねてみる。
「クライン、どうする? まだ狩りを続けるか?」
「あったりめぇよ! ……って言いてぇところだがよ」
元気良く返事して、それからクラインが残念そうな顔を浮かべた。
「ピザを注文してんだ。その指定時間がそろそろでよ」
「そっか。じゃあ一回落ちるか?」
了解、と言ってからクラインはキリトに頼むような雰囲気で付け足す。
「あ、それでよ。俺その後、他のゲームで知り合った奴らと落ち合う約束してるんだ。どうだ? あいつらともフレンド登録してやってくれねーか?」
「あぁ、分かった。構わないよ」
「そう言ってくれると思ったぜ! あとそいつらにもレクチャー頼む。皆、今日が初めてでな」
にっこり笑ってサムズアップするクラインの様子に思わずキリトの顔からも笑みが漏れる。
と、その時キリトが思い出したように言う。
「あ、それはさておきそろそろログアウトした方が良いんじゃないか?」
「おぉ、そうだった。早くしねぇとピザが冷めちまう」
言って、クラインが右手を振ってウィンドウを表示させる。それからログアウトボタンを押そうと画面を下にスクロールして、
「あれっ?」
間抜けな声を上げた。
どうした、とキリトが尋ねると「い、いや、何でもない」とクラインが言ってもう一度ウィンドウの中を探し始める。
もたついた様子でいつまでもウィンドウを触り続けるクラインを見て、キリトは再度尋ねた。
「どうした?」
「いや、ログアウトボタンが見つからなくてよ……」
その一言にキリトは訝しげな表情を浮かべた。それから自分のウィンドウを開いて確認してみる。
右手を振ってウィンドウを表示。そこから一番下にスクロールした所に、
「……本当だ。確かにない」
バグか? という考えが浮かぶ。
それから二人して顔を見合わせて、何だろうな? とか呟きあった。
ーーーーその時だった。
「ん、鐘の音……?」
リンゴーン、と響いた鐘の音。
何だ、と二人が音の聞こえてきた始まりの街の方を向く。
途端、二人の体が鮮やかなブルーの粒子に包まれた。
(これっ、強制転移ーーーー!?)
本当に何だ? と思いながらキリト達は始まりの街の広場へと転移する。
2
(……というのが少し前の話)
キリトは辺りを見渡しながら考える。
キリト達が転移させられた広場には既に何千人というプレイヤー達が集められていた。既に強制転移から数分が経過し、未だGM(ゲームマスター)の存在などは見受けられない。
掲示板の知識から『ログアウトボタンの消失』と『デスしたプレイヤーが復活しない』ことに気付いているプレイヤーが多かった事もあり、既にブチ切れているプレイヤーも存在するようだ。
ざわざわという喧騒の中に混じって怒号も聞こえる。
「……キリト、これって何なんだ?」
ふと、隣にいたクラインがキリトの方を向いて尋ねてきた。キリトはゆっくりと首を左右に振って呟く。
「分からない。だけど、強制転移されたって事はログアウトボタンの不具合に対する謝罪か何かじゃないか……?」
言って、キリトは妙な不安に襲われた。何だろうか、胸騒ぎがするのだ。拭っても拭いきれないドロドロとした感覚。
そしてそれは起こったのだ。
「あっ、皆空を見ろ!!」
喧騒の中から誰かが叫んだ声が耳に届いた。
やっと運営の登場か、と。一斉にプレイヤー達が上空を見上げる。だが、そこに映る光景は予想とかけ離れた映像だった。
「……なんだよ、あれ」
その言葉を呟いたのは誰だったか。
分からない、分からないがそれよりもプレイヤー達は皆その光景に戦慄していた。
まず、見えたのはドロドロとした赤い液体。
正直に言って悪趣味としか思えない彩色だった。
そんな液体が広場の空から流れ出し、やがて一つの形をかたどっていく。
ーーーー人の姿へと。
大きさは二〇メートル程だろうか。赤ローブ姿の巨人が広場の中央に現れる。フードの中から覗く顔は真っ黒に塗りつぶされていた。
キリトはその姿に見覚えがあった。
(……GM。それも茅場晶彦)
仮想現実という幻想に等しいソレを現実に仕立て上げて見せた天才が使うキャラクター。
現れた赤ローブの巨人はあくまでゆったりとした動作で口上を述べる。
『プレイヤー諸君、私の世界へようこそーーーー』
ーーーーーーー
長くなるので簡単にまとめよう。
茅場晶彦が述べたのは以下の事である。
自分はこの世界を唯一自由に出来るゲームマスターであり、一万人のプレイヤー達をこの世界に閉じ込めたと。
この世界での死は現実の死と直結しており、この世界でHPがゼロになったプレイヤーは現実世界で本人が被るナーヴギアから高出力の電磁波が照射され、脳が蒸し焼きになり死に至る。また、外部から外した場合も同様の効果が発動し、既に二〇〇名弱のプレイヤーがそれによって死に至っていると。
それだけではない。
茅場はプレイヤー達の仮面を剥がし、現実世界の顔と同じにする事で死に繋がる部分の裏付けを行ったのだ。
素顔を晒された
そして、文字通りのデスゲームと化したこの世界から脱出する方法はただ一つ。アインクラッド最上層である第百層にある『紅玉の間』に辿り着き、そこでラスボスを撃破する事だ。しかもただの一度も死ぬ事なくという制約付きで。
どんな無茶ぶりだ。そんなのどう考えたってそうに決まっていた。
「……ふざけてる」
全てはその一言で集約される。
茅場晶彦の考え方。それに加えて信じられない話の数々に、外部で繰り返し放送されているというSAOのニュース。
茅場は外部からの助けは無いと言い切った。
実際、茅場はナーヴギアの基礎設計からアインクラッドの構築までの全てをほぼ独力で成し遂げている。今世紀最大の頭脳とも言われ、名実ともにその名を不動にするはずだった。
だが、それは違ったのだ。今では一万人のプレイヤー達を監禁した今世紀最大の犯罪者というのが正しい。
どう考えたって、茅場晶彦という人間は狂っていた。
『さて、ここにソードアート・オンラインのチュートリアルを終了する』
プレイヤー達を見下ろす高さから茅場は言った。そして彼は続けて言う。
『また、これをSAOの正式サービスの
本当にふざけていた。
未だ納得も理解も肯定も判定も反応も判断も出来ていないプレイヤー達に対しこの男は言うだけ言ってこれで用は済んだとばかりにこの場を閉めようというのだ。
しかし、それを止める手段は無い。
最後に、
『ーーーー健闘を祈る』
と言い残して茅場の姿は消え失せた。
消え失せた瞬間、赤染まった空の色が見慣れた夕焼けに戻る。日の暮れかかる寸前の空だった。
3
視点は迷宮区へと戻る。
『……うーん、もう五分くらい経ちますよね』
幼女、ハクレイは未だに動かないイルファング・ザ・コボルド・ロードに疑問を覚えていた。
というか余りにおかしいのだ。あれからコメントなどの情報を聞くには、どうやらソードアート・オンラインはログアウト不可能だとか(実際不可能だった)、ゲーム内の死=現実の死に繋がる(こちらは不明)らしい。
とはいえそれを実際に聞いていないハクレイにとって真実味は薄く、またゲーム内の死が現実に繋がるという話も信じがたい事だったのである。
また、とりあえずこれまでの時間にした事と言えば、またボスを切り刻んでみたりコメントを見て反応したりとその程度だ。全くもって意味不明、というのが正しい認識かもしれない。
ーーーーと、その時だった。
『ん?』
ふと、何かが駆け抜けていった感覚。
妙な感覚と同時、ハクレイの目の前に見知らぬウィンドウが表示された。
そこには『バージョンアップが完了しました』という文字が書かれている。
『……バージョンアップ?』
そしてそう小さく呟いた直後だった。
何か。そう、得体の知れない何かが突き抜けていったのはーーーー!
「一言」
ギリギリで書き上がりました。
(……転移の下りは完全にいらなかった気もします。それはともかくそのうち加筆修正入れるかもです)