79話です。
夜の街の灯りが遠くに見える。
周囲にあるのは街灯の灯りのみ。立ち並ぶ家々は灯りを灯すことなく静かに鎮座しているだけで人の気配はない。視界はあまり良いとは言えない状況の中、小柄な黒髪の少年が無人の街に佇んでいた。
「ん〜、本当に静かですねぇ」
伸びをしながら気の抜けた声で呟くが、傍に居る男性はなにも言わない。
「僕の時間の間にネイバーが来ない可能性ってあります?」
あまりに退屈だったのか、少年は傍の男性ーー有馬貴将にそう尋ねた。
「あるだろう」
「ええ〜それはつまらないです〜」
まるで駄々っ子のような声を少年はあげるとそのまま後ろに倒れ伏して仰向けになり、空を見上げた。無人の街で唯一の光源である街灯故か、星はほとんど見えない。
「ようやく実践ができると思ったのに…拍子抜けです」
「君の能力であれば、防衛任務の実践も大した事ないだろう」
「そうかもしれません。でも、訓練でなく実践でやれるってことが嬉しいんです〜」
そういって少年のような姿の青年、鈴屋什造は手に光るブレードを出現させ、くるくると回して遊び始めた。
「君を0番隊に入れるには、能力の証明になるデータが必要だ。仮にも上層部お抱えの戦力だからな。一応琲世との模擬戦のデータがあるが、トリオン兵相手にも十分戦えることを証明できた方がいい。そのため比較的多くのトリオン兵が出てくる時間を選んだのだが」
「運がありませんでしたね〜」
既に1時間近く警戒区域に留まっているが、ゲートが出現する気配は一向にない。有馬、鈴屋の担当区域に限らず全ての区域でゲートが出現していない。
「まだ時間はある。気長に…」
『気長に待とう』と言い終わらないうちにサイレンが響いた。
『有馬隊長、鈴屋。指定の座標にゲートが出現した。かなり多い量だ。どうにか捌いてくれ。誤差、0.8』
「了解」
「やーっと出てきましたねぇ」
微笑みの表情を満面の笑みに変えて起き上がると、鈴屋はもう1本スコーピオンを出現させる。
ゲートは有馬と鈴屋は囲む形で出現した。
「俺が前をやる。鈴屋は…」
「いえ、全部僕がやります」
「……」
「僕がトリオン兵相手に戦えることを証明するためね防衛任務ですよね?なら僕が一人で全部片付けた方がいいデータになるんじゃないですか?」
本来、B級に上がりたての鈴屋にそのようなことを任せるのはあり得ないが、有馬は鈴屋の戦闘能力の高さを認知している。加えて今は上層部に鈴屋のデータを渡すためのデータ集めのために来ている。鈴屋の言う通り任せた方が得策だろう。危険になったのなら助けに入ればいいだけの話だ。
そう結論付けた有馬はレイガストをホルスターに収めると鈴屋に背を向けた。
「ならば頼んだ」
「はい」
鈴屋はナイフ形のスコーピオンを手でくるくる回しながらトリオン兵に向かって歩き出す。有馬はグラスホッパーでトリオン兵の群れを飛び越え、バッグワームでレーダーから姿を消し、トリオン兵の感知からも姿を消した。
「訓練通り、普通に殺せばいいんですよね?」
『ああ』
「じゃあ、殺します」
そう言って手にしたスコーピオンを目の前のバムスターの目に投げつけた。深く突き刺さったスコーピオンはそれだけでバムスターは機能を停止させた。
「どれだけ出てきても、全員殺せばいい話です」
手に再度出現させたスコーピオンを手に静かな笑みを佇ませ、トリオン兵の群れに什造は駆け込んでいった。
十数分後、ほぼ無傷でトリオン兵の死骸の山に什造は座り込んでいた。
「歯応えありませんね〜」
ふわっとした口調で呟きながら、鈴屋は足元に転がる死骸を蹴飛ばした。
「ハイセの方が戦ってて楽しいです」
「琲世は…」
「わかってます。ハイセは友達です。お菓子くれたりもしたし、ハイセの作る料理は全部美味しいです。それがもう食べられないと思うと…」
そこで鈴屋は言葉を切る。そして次に顔を上げた時、鈴屋の表情はとても冷たいものになっていた。
「それを奪った人を殺したくなります」
その言葉に『でも』と鈴屋は付け加える。
「多分、ハイセはそういうこと望まないんでしょうねぇ。だから復讐じゃなくて、ハイセの代わりになれるようになります」
「そうか」
「えーっと…誰でしたっけ?僕の同僚になる人」
「比企谷だ」
「ヒキガヤさん、どんな人なんでしょう」
鈴屋は楽しげに空を見上げた。
***
イベント当日
少々忌まわしい記憶の残るコミュニティセンターに到着した。
海浜総合高校の方は既に到着しているようで先行していた生徒会メンバーと打ち合わせらしい会話をしている。
「やあ、君らもいたのか」
玉縄が相変わらず爽やかな笑みでこちらを見てくる。今回はこちら主体のためか、あまり口出しはしてこなかったらしいが、やはり意識高い系の言葉をこねくり回しているのは変わっていなかった。
「……ああ、まぁ」
「あれ、言ってませんでしたっけ?」
「メールデータにはログがなかったとは思うけど…でも心強いよ」
「…えへっ」
ウインクしながらえへとか言ってんじゃねぇよかわいいじゃねえか。というかそういうことはちゃんと連絡しておきなさい。お兄さんとの約束だぞ。
「かいちょーそろそろ始めたいんだけど」
ぞろぞろと折本を筆頭にした海浜総合高校の連中がどこからかわいてでてきた。
「そうだね、じゃあそろそろ始めようか」
そう言って玉縄は準備のために去って行った。
俺ら、というか基本俺はやることはない。せいぜい付き添いレベルだから準備もへったくれもないが、できることはしよう。
「つか、そもそもなんであいつらに声かけたんだ?面倒なだけだろ」
正直、今回のイベントはうちだけで特に問題なくできる規模のものだ。わざわざメールでのやり取りをする手間を考えると、海浜総合高校をイベントに加える意味はあまりない。
「前にも言ったじゃないですか。向こうからも予算を引っ張ってこれれば、いいじゃないですかーって。私も義理チョコの代金が浮いてラッキーみたいな?」
「……本当にそれだけの理由なのか」
「まーそれだけってわけじゃありませんけど、一緒にやることで規模も大きくできますし、大きいことをやったって実績は今後の役に立つかなって」
「その理由はともかく、こういう行動力があるところは一色さんとても優秀なのよね」
そこは大いに評価されるべきだろう。行動力がある者は周囲を巻き込んで色々やることができる。俺にはない能力だからそこは素直に感心する。
「じゃあ私達も準備しましょうか」
「はい!雪ノ下先輩、よろしくです!」
そこで調理室の扉が開く。
なぜか嫌な予感がする。この気配、最近何度か…。
「ひゃっはろー」
そして現れたのは大魔王、姉ノ下だった。
「……なんでおるん」
「姉さん…」
「特別講師の、はるさん先輩でーす」
やはり、というか他にこの人のことを呼ぶ人間なんぞおらんな。うむ、その行動力は抑えて欲しかったな。いや本当に。
「どうもーはるさん先輩でーす」
「なんでこの人呼んじゃったの」
「だってー超百戦錬磨感あるじゃないですかー」
「私だけで十分なのに…」
正直、一色以外の誰からも歓迎されてない姉ノ下さんの登場にげんなりしながら大きくため息をついた。
ーーー
「チョコレートを刻んで湯煎、粗熱をとって型に流し込む。基本的にこれだけよ」
「え、そんだけ?」
「そうね、なにか特別なことをしない限りは」
「ふーん、意外とちょろいんね」
「甘いよ優美子!湯煎って、お湯に入れることじゃないからね!」
「…はぁ」
アホの子由比ヶ浜の熱いけど当たり前の言動に呆れたようにこめかみを押さえる雪ノ下と、そんな由比ヶ浜をぽかんとした顔で眺める三浦はなんともシュールだった。
「ねえ比企谷」
「ん」
背後からかけられた声に振り返ると、川崎が妹と共にいた。
「本当に連れてきて良かったの?」
「ま、いいんじゃね?特に反対する奴もいなかったし」
「…そっか。ありがと。ねえけーちゃん、どんなお菓子食べたい?」
「うなぎ!」
それはお菓子じゃない。
「ちょ、うなぎはお菓子じゃないでしょ⁈ごめん、この前家族でうなぎ食べてすごく気に入ったみたいで」
「…うなぎは無理だが、まぁ気にいるようなもん作ってやれ」
「ん、そうする」
川崎と方が大丈夫そうだと判断し、俺は調理室の隅に移動する。ぼっちは得てして隅に行きたがるものである。ここが落ち着くんです。すみっこぐらししてたい。
「や」
「……なんか用か」
そんな俺の平穏なるすみっこぐらしを邪魔しに来たのは葉山だった。
「考えたな」
「なにが」
「このイベントさ。これならみんな自然に振る舞える」
「不穏分子はあるけどな」
「かもな。でも、大丈夫だろう」
「そうか?」
あの大魔王、野放しにしてるとなにしでかすかわからんぞ。
「君がどうにかするんだろう?」
「過大評価だな」
所詮村人じゃ魔王は倒せない。そんなこと分かり切ってるはずなんだがな。
「そうかい?」
「そうだよ」
「君がそう言うなら、そうなのかもな」
「勘に障る言い方だな。喧嘩売ってるならそう言えよ」
「そんなつもりはないよ」
そこで葉山は一度言葉を切り、『ただ』と続けた。
「俺は、君が相手だと素直にお礼を言うことができないみたいでね。気に障ったなら謝るよ」
「…別に。で?なんの礼だよ」
「この前の大規模侵攻さ。助けてくれたろ?」
「仕事だ。それに…」
そこで一度言葉を切った俺を不思議そうに葉山は覗き込んでくる。
「それに?」
「……あの時、近づいてきてたネイバーは俺を狙ってた。だからお前らの近くにいると、巻き込まれる危険性があった。守るためのボーダー隊員が市民を危険に晒すとか、隊員としてあっちゃならんだろ」
「…そうだったのか。なににしても、結果として助かったんだ。そこは本当に感謝してる」
「…さいで」
多分そんなことないんだろうが、こいつに言われるとどうしても裏があるんじゃないかと疑ってしまう。いや本当にそんなことないんだろうけど。
「君らは、ああしていつも俺たちが平和に暮らせるように戦ってるんだな」
「あんな苛烈なのはそうねえよ」
「かもな。でも、日常的に戦っているのは事実だろう?」
「…ああ」
「すごいと思うよ。俺には、きっとできない」
「………」
確かに俺は『戦える側』の人間だった。ボーダーに所属していても人を撃つことができない人とかもいたわけだし、確実に世の中には『戦えない』、または『戦うことが圧倒的に向いてない』人間が存在する。だから俺ができたからといって、必ず他の人が戦えるかどうかはまた別だと思う。
「隼人ー」
「ああ、今行く」
俺がどう答えるか悩んでいる間に葉山は三浦に呼ばれて去っていった。最後に俺に『また』と言っていた。
手持ち無沙汰になったが、別に今ここで俺がやることはない。ふと視線を上げると一色がチョコを湯煎しているのが見える。その手つきは迷いがなく、練度が感じられる。
「お前、マジで料理得意なんだな」
「え、なんですか口説いてるんですか?甘いものだけに甘い言葉を使えば落とせるとか思ってません正直考えが甘すぎですごめんなさい」
「はいはい……」
俺、告ってないのになんで何回もこいつに振られ続けるの?
「えい!」
急に一色からなにかを突き出され、咄嗟にそれを掴んでしまう。
「ちょっと、なんで掴むんですか」
「いや急だったじゃん…条件反射で…」
そこで突き出されものを見ると、チョコのついたスプーンだった。試食しろってことか?
「食え、と」
「はい!」
大人しく口にいれると、普通のチョコの味がした。まぁ湯煎しかしてないから当たり前だろうが。
「ん、いいんじゃね」
「ま、湯煎しただけなんで味が変になることもありませんけどね〜。とりあえずありがとうございます〜」
そう言って一色は作業に戻る。
経験者なだけあり、一色は特に問題ないだろう。今回のイベントのある意味原因となった三浦も雪ノ下がついてるし問題は無さそう。
そういえばあの木炭製造機の由比ヶ浜はどうしたと視線を巡らせると、綾辻と共に作業しているのが見える。
「あ、ヒッキー」
「どーだ」
「大丈夫!遥ちゃんと一緒にやってるから!」
「またふざけた隠し味入れようとしたら容赦無く止めろよ」
「あはは、大丈夫よ。湯煎の手つきが少し危なかったけどもう溶かし終えたからあとは型に入れるだけ」
「あたしだってやればできるんだから!」
「それはよかった」
また木炭でも作られたらたまったものではない。
「でもさ!チョコに桃缶はアリだと思うんだよね!今回はやらないけど次はやってみたい!」
「どうしてそんなに桃缶に拘るの…?」
「おいしいから!」
やめろ。美味しいものに美味しいものをいれれば必ず旨くなるとは限らないんだ。いい加減それくらいは理解してくれ。
相変わらず発言は危なっかしいが、制御する人がいれば問題ないだろう。この場なら綾辻がどうにかしてくれるだろうし。
「ねね」
「ん」
由比ヶ浜の未来に若干戦々恐々していると綾辻が来る。いや、ちょっと近いよ君。
「チョコ、今日もあげるけどまた後日もあげるから」
「なんで?」
一回上げればいいだろそんなの。
「ここじゃあまり手の込んだことできないから。ちゃんと想いのこもったものをあげたいの」
「…はぁ」
そういうものか。
「退く気はないよ」
「どこから」
「…そういうとこね、本当」
??????
意味がわからん。
ズキ
「…っ?」
「どうしたの?」
「いや…」
不意に走った胸の痛みに首を傾げる。一応肋骨は完治してるはずだが何故か痛みが走った。怪我の完治後にも少し痛みを思い出すことがあるがそれかもしれない。
そう納得したのに、何故かもやもやは頭から消えなかった。
ーーー
「比企谷〜」
相変わらずすみっこで大人しくしていると折本が話しかけてきた。
「ん、なに」
「チョコの型って余ってたりする?こっちちょっと足りなくてさ」
「型、ね」
適当に見回すといくつか使ってない型が机の上に転がってるのを見つける。これなら多分誰も使ってないだろう。
「ん」
「おーあんがと。助かる〜」
「そりゃ良かった」
「あれ、あたし比企谷にチョコあげたことあったっけ?」
「ねーよ。そんな話す方でもなかったろ」
危うく告る一歩手前まで言った女子からチョコ貰うとか割ときついと思うんだが。そもそも折本は俺にはたまに話しかける程度でがっつり話したことなどない。なんなら中学はほとんど話す奴なんぞいなかったけどな。あ、小学校もか。あれ?目から汗が…。
「あーそうかも。じゃ今年は上げるよ」
「期待しねーで待つ」
「ひっどいな〜ちっとくらい期待してもよくない?」
「あまり他人には期待しないようにしてんだよ」
「なにそれ、ウケる」
「そうかよ…」
「…本当に変わったね、比企谷」
それだけ言い残して折本は去っていった。
「………」
折本のいう『変わった』は良い意味なのか、それとも悪い意味なのかはわからない。
『人は良くも悪くも移ろいやすい。変化に適応していくのもまた、人間だがな』
誰の言葉だったかな。迅さんだっけか?いや佐々木さんか?佐々木さんじゃないか。
「でー、雪乃ちゃんは誰にあげるの?」
大魔王の声に思考の海から引き上げられる。
「…姉さんには関係ないでしょう?」
ご尤も。というかこのイベントで作ったやつ一人で消費しきるとか中々厳しそうだぞ?見本のためにも雪ノ下、割と数作ってるし。
「誰にも上げないとは言わないんだ。やっぱり誰かにあげるのね。ま、雪乃ちゃんがあげる相手なんて限られてるけど」
まるで見透かすような言動。実際雪ノ下の交友関係を考えたらあげる人間なんぞ限られている。それこそ、由比ヶ浜とか一色、ワンチャン横山とか?
さて、今までの雪ノ下ならムキになっててもおかしくないが……。
「そうね、でもそれを知って姉さんになんの得があるの?別に知ったところで姉さんにとって不利益があるわけでもないでしょう」
「…あら、そういう反応」
「でもそうね、認めるのは遺憾ではあるけど、私の交友関係は広くない。だから姉さんなら、誰にあげるのかくらい予想できてもおかしくないでしょうね」
毅然と振る舞う雪ノ下に姉ノ下は少し目を丸くしたが、すぐに普段の大魔王の表情に戻り、そして美しい所作で指を顎に当てた。
「そうねー、まずガハマちゃんでしょ、あと一色ちゃん。隼人には…ないか。で、なんだかんだで比企谷くんにあげるんでしょ?そのくらいかな?」
「あら、姉さんにしては珍しく予想が外れてるわね」
「おや意外。これ以外にあげる人なんているの?」
「ええ、いるわ。横山さんと佐々木さんよ」
佐々木さんの名前が出た瞬間、姉ノ下の目は大きく見開かれた。
「琲世くんに?なんで」
「比企谷くんから頼んだとはいえ、今まで奉仕部の関わったイベントにはかなりの確率で佐々木さんと横山さんが応援に来てくれたわ。だからそのお返しとして、ここでチョコを渡すことくらいなにも不思議ではないのだと思うのだけれど」
「……そうね、雪乃ちゃんが誰に渡すかなんて私には関係ないわね」
「そう言ったでしょう?」
「…そ、成長したね」
それだけ言い残して姉ノ下は一色の方へ歩いていった。
「お前、佐々木さんに渡すつもりだったのか」
先ほどの言動について言及する。正直、佐々木さんに渡すとは思っていなかったからだ。だが実際雪ノ下の言い分はなんら変なことはない。ただ、もともとそのつもりだったのかと言われたら少し違和感がある。
「いいえ?今咄嗟に思いついたことよ」
「マジかよ」
「ええ。姉さんに一杯食わせるにはどうすればいいか考えたの」
「今の一瞬でか」
「思いつく時は思いつくものよ。それに、佐々木さんにも横山さんにも本当に色々手伝ってもらったのだから、お見舞いとは別にお礼くらいしてもいいでしょう」
「…そうだな」
あの二人を巻き込んだのは、俺だ。だから礼なら本来俺がするべきなんだろうけど、多分あの二人は受け取らない。あの二人にとって、俺や他の仲間に協力するのは当たり前のようなことなのだから。まぁ横山は自分が楽しければっていう前提条件があるのだが。
そんな二人の聖人っぷりに少しだけ呆れつつも俺は会場を見渡す。
そろそろ完成だろうか。
ーーー
チョコケーキ的なものが焼き上がったり、型にいれたチョコが固まったりし始めたのか、着々とできたものを人に贈る姿が見え始めた。
葉山は一色と三浦に挟まれて苦笑している。戸部は海老名さんからのチョコがもらえてご満悦の様子だ。海浜総合の連中も完成したのか、互いにチョコを渡し合う姿が見える。よく見たら引退した城廻先輩の姿が調理室にはあった。恐らく綾辻か書記の子が呼んだのだろう。二人にチョコを渡されて満面の笑みを浮かべる姿があった。川崎は妹の作ったクッキーやチョコをスマホで写真撮りまくってた。親かお前は。
一番心配だった由比ヶ浜は、雪ノ下の指導の甲斐もあってか結構良さげなできになってた。
俺はというと、チョコを頬張り笑顔を浮かべる戸塚に癒されながらすみっこで大人しくしていた。
そんな俺の横に来たのは、平塚先生だった。
「いいイベントじゃないか」
「はぁ。よくわからんイベントですけど」
しかも俺なんもしてないし。
「それでいいのさ。そもそも君はよくわからんやつだし、君に関わってきた奴もよくわからん。ま、多少はわかるようにはなったが…人の印象というのは日々更新されていく」
「人は良くも悪くも移ろいやすい、か」
「そういうことだ。一緒の時間を生きて一緒に成長すればわかることだ」
「別に成長した気はしませんがね。いつも、同じことしてるし」
ここ一年で俺ができるようになったのは、せいぜい相容れない人間と『向き合う』ことくらいだろう。
「そういうものさ。歩いている間は進んだ距離を振り返らないものさ。だがいざ立ち止まってみると、進んだ距離に裏切られた気持ちになることもあるだろう」
そう言いながら平塚先生は俺の肩に手を置いた。
「今この光景を近くで見られてよかったよ。いつまでも見ていてはやれないからな」
そう言い残し平塚先生は帰っていった。
「……先生」
その後ろ姿を、そう何度も見ることはできないことを俺はなんとなく察した。
ーーー
「はいヒッキー!あげる!」
由比ヶ浜が皿に乗ったチョコケーキを俺に差し出してきた。
…見た目は、大丈夫そうだ。匂いもこれといってヤバさは感じない。だが覚悟は必要だ。まずは深呼吸、そして気をしっかりと持つことだ。
「…よし、食うぞ」
「なんでそんな覚悟を決めてるの⁈」
「大丈夫よ、私は先にもらったから」
「そうだったのか。じゃ、もらうわ」
「なんか疑われてる⁈」
ギャーギャー騒ぐ由比ヶ浜を他所にチョコケーキを一つ取り口に運ぶ。
「ん、うまい」
「ほんと⁈よかったー!」
最後に食った木炭みたいなクッキーとは違いちゃんと食える味になってた。綾辻が見てたのもあるだろうが、本人の努力ももちろんあるだろう。それに雪ノ下が食えたんだ。俺でも食えるだろう。
「やればできんのな」
「もちろん!」
「やればできるのよ。通常通りにできれば、だけど」
本来ならあんな木炭普通錬成されないんだけどな。
そう言って胸を張る由比ヶ浜に僅かに苦笑しつつ、去年木炭みたいなクッキーを贈られた頃を思い出す。
(…前よりは、マシな関係にはなったのか)
由比ヶ浜や雪ノ下と知り合い、比較的良好な関係を今は築けているとは思う。だがこれは本物なのだろうか。ボーダーでの知り合い達は関係の良し悪しはあれど皆『本物』であると言える。彼等に対して個人個人の差はあれど、きっと何かしらの形で関係性を示す言葉はある。
しかしこの二人はどうだろう。
二人との関係をどういうものか言葉で示すのは、今の関係性では難しい。極端な話、ただの知り合いで片付けられるような関係である。
だがそれでいいのだろうか。それを俺はそのままでいいと思えるのだろうか。
「へー、それが今の君達の関係?」
思考してると、そこを丁度突いてくるのはやはり大魔王。まぁわかっててやってるんだろうけど。
「ふーん、君はそういうの好きじゃないと思ってたんだけど」
「……」
「それで、君はいいの?」
手が頭に乗せられ、顔を覗き込まれる。
その目はどことなく諦観しているように見えた。
「それは、雪ノ下さんが言うことじゃないでしょ」
頭に乗せられた手をゆっくりと払う。
「貴女に言われたくても、ちゃんと本物になるように努力します」
「…へえ」
そう言った俺を目を細めて見る陽乃さん。その目からは感情が感じられず、態度は相変わらず俺を試しているかのようだった。
「ま、いいよ。どういう関係に落ち着くかはわからないけど、少なくとも今のまま雪乃ちゃんと関わる気がないことはわかったから」
それだけ言うと「じゃあね」と言って陽乃さんは帰っていった。
由比ヶ浜はなんのことかよくわからないのか、首を傾げている。雪ノ下はなんとなくわかったのか、考えるように目を伏せた。
俺自身が、この二人とどういう関係なのか、どういう関係でいたいのかがわかっていない。ちゃんと本物にするためにも、これは考えなければならないだろう。
だがそれはきっとこの二人に限った話ではない。
ここ数ヶ月、ずっと引っかかっている感じがする。なにかは、いまいちわからない。でも俺はきっと『それ』をずっと抱えていた。『それ』は前からあったのだろうけど、気づけないくらいのものだったのだ。
前に誰かに言われたが、俺はどうやら自分のことは鈍いらしい。なら、考えるしかないだろう。
二人はなにも言わないが、俺も答えが出てない現状でどうこういうことはできない。
なんとも微妙な雰囲気の中、イベントは終了した。
*
雪ノ下と由比ヶ浜を送り、一人川沿いの帰路に着く。
雪ノ下の家の前に雪ノ下の母親がいたのはビビったが、雪ノ下は特に物怖じする様子も見せずに『ちゃんと話す』と言って母親を帰らせた。
あの親子の関係がどんなものなのかはわからないが、俺が首を突っ込んでいいことではない。
「らしさ、ね」
雪ノ下母が言っていた『雪ノ下らしく生きて欲しい』。その言葉が頭に引っかかった。
その人らしさ、というのは結局自分の中で定義したその人物のことであり、その定義はいつもどこかズレている。だが、自分ですらその自分がどういう存在なのか分からなくなる時が必ず人には存在する。どう向き合うか、そしてどうなりたいか。まだまだ子供の俺にはその答えは出ない。あの二人と、どうありたいのか。そんなことすらまだ答えられない。それも多分、『俺らしい』という人もいるだろう。俺は、どういう存在なのだろう。
本当は、俺はどうしたいんだろう。
そんなことをぼんやり考えながら歩いていると、黒髪の小柄な中学生くらいの身長の男がベンチに座ってぐでっとしていた。この寒空の下にこんなとこでなにやってんだ。
普段ならスルーするとこなのだが、妙に気になってため思わず声をかけてしまった。
「なにしてんだ」
黒髪の中坊らしき男はこちらを見ると柔らかく笑った。
「空を見てました」
不思議ちゃんですか?
「この寒い中にか?」
「はい。ここ、人があまりいなくて高い建物も無いから空が良く見えるんです。だからここが好きです」
「…はぁ」
「友達が教えてくれたんです」
うーん、天然な感じがすごいな。
「もう遅いし、身体が冷える。そろそろ帰ったらどうだ」
「うーん、そうですね。そろそろ帰ります」
そう言って中坊(仮)は立ち上がった。その瞬間、腹の虫が鳴った。
「あー、もうこんな時間ですか。どうりでお腹すきました」
どんだけここで空眺めてたんだよ。
そういえば、余った素材で作ったチョコケーキがあったな。綾辻が作りすぎたって言ってチョコケーキ結構くれたんだった。小町と食べようと思ったが、二人で処理するのにも少し時間がかかるだろうし、一個くらいあげてもいいか。
「これ、もらいもんだけど食うか?」
「え、いいんですか?」
「あー、まぁ。めっちゃあるから」
「なら遠慮なくいただきます」
中坊は笑顔で受け取ると、それを口に放り込み咀嚼した。
「おいしいです」
「そうか」
「お兄さんの手作りですか?」
「いや、もらいもんつったろ」
「そうでしたね。ありがとうございました。これで家まで保ちそうです」
そう言って中坊は歩き始めた。
なんとなくその後ろ姿を見ていたが、急に止まるとこちらを振り返ってきた。
「そういえば、お名前なんでしたっけ?」
名前?そういえば名乗ってなかったか。
「比企谷」
「ヒキガヤ……なるほど、君が」
「は?」
「いえ、なんでも。珍しい名前ですね」
「…まぁ、な」
「あ、僕の名前も言っておきますね。僕は鈴屋什造です。またどこかで」
そう言って中坊は去っていった。
さっきから中坊だなんだと言ってたけど本当に中坊なのか?中坊にしてはやたら落ち着いてたし、どことなく雰囲気が大人っぽく感じた。しかしあの縫い目だらけの奇抜なファッションはどうかと思うぞお兄さん。
「ま、いいか」
とりあえず帰ったみたいだし、いいだろう。もう会うこともないし。俺も早く帰ろう。小町が帰ってきた時に飯を用意できるようにしておくためにも。
この時俺は思いもしなかった。
さっきの中坊(仮)と再び会うことになるなど。
*
数日後、横山が退院した。
通院は必要らしいが、とりあえず退院はできるくらいまで回復はしたらしい。尤も、左眼は相変わらずほとんど見えないままで傷痕も残っているため完全に回復したとは言い難いが。
「よ」
「こんにちはー!」
「よっす、ハッチに小町ちゃん」
退院時間に合わせて会いに行くとすでに身支度を済ませていつでも帰れる状態になった横山が出迎えた。傍にはこの前会った弟もいる。
「ほら深夜、挨拶」
「…ども」
「もーちっと愛想出せないん?あたしの相棒ぞ?」
「いや、ほぼ初対面だし…」
「小町ちゃんに至っては完全に初見か」
「ああ」
俺並みに無口な弟だな。だが気持ちはわかるぞ。初対面の人間に愛想振りまくなんぞそうできんよな。なんなら常に愛想ないけど俺。
「比企谷小町です〜。夏希さんには兄共々お世話になってます!」
「…横山深夜です」
「ほーんと、無愛想ね。そんなんでよく彼女ができたもんよ」
「姉ちゃん、うるさい」
「はいはい」
ほお、弟くんは彼女持ちのリア充か。まー顔はいいもんな。横山の弟だし、多分正義感とかも強そう。あと見たところなんかしらスポーツもやってるみたいだしこれはモテそう。
無口だが、悪いやつでは無さそうだ。
その後、横山弟を交えながらしばらく雑談をしていた。
ーーー
「あ、そーだハッチ。退院する前にサッサンに会いに行くけど来ない?」
雑談もひと段落付き、横山弟が横山の荷物を一度家に持って帰るために席を離れたところで横山がそう切り出した。
「ん、じゃあ行く」
「小町も!」
「じゃ、みんなで行きましょ。深夜は?」
「俺はいいよ」
「ん、おっけ。じゃさっさと行こう」
ーーー
「おーっすサッサン!元気ー?」
扉を開けると、そこには何故か真戸さんと前に会った江藤さんがいた。え、なにしてんの?普通に見舞いならその小脇に抱えてるアタッシュケースなに?
「や、二人とも。いいところに来てくれた」
「あれ、真戸さん。なにしてるんですか?」
「夏希か。それに比企谷兄妹も。これはいいタイミングだったか」
「どうしたんすか」
「なに、琲世の義手の試作品ができたのでな」
そういって真戸さんは江藤さんの抱えるアタッシュケースを受け取りそれを開けた。
中には若干メカメカしい見た目の義手が入っていた。機械鎧と比べたらまだ人間味があるが、それでも人間の腕ではないことはすぐにわかる。
「医師から許可はもらっている。琲世の左腕の傷自体は既に塞がっているから今すぐ取り付けることも可能だが、まだ調整段階だから今はちゃんと動くかどうかを試したい。どうだ、琲世」
「ええ、大丈夫ですよ。やりましょう」
「ほえ〜すごいですねこれ。ていうかこの場に小町いても大丈夫ですか?」
確かに。
小町はいずれボーダーに入りたいとは言っているが、まだ入隊志願すらしていない。故にあまりトリオン関係の話はしない方がいいのではないか。ぶっちゃけ今更感あるけど。
「構わん。比企谷の妹ならば最低限の守秘義務くらい守れるだろう。それに、今からやることを見たところで重大な秘密が漏れるわけでもない」
「それもそうですね」
義手の製造過程を見るのならともかく、完成したものを取り付けるだけだ。そんな秘密らしい秘密もないだろう。
「さて、取り付ける前に軽く説明しておこう。わかっているとは思うがこれはトリオン製だ。実際にどう肉体と接続するかと言うと、使用者のトリオン器官に接続し、そこから脳からの指令を受け取るように設計した」
「……お兄ちゃん、どゆこと?」
「簡単に言うと、義手と脳を直接繋げるんじゃなくて、中継地点としてトリオン器官に接続するってことだ。肉体を動かすのは脳からの指令だ。その指令を義手が受け取れるようにするにはどんな形であれ脳に接続する必要があるんだ」
首を傾げる小町に傍らにいた江藤さんが説明を付け加えた。
神経ではなく、トリオン器官に接続することで肉体に義手がアクセスして、そこからどうにかして脳からの指令を受け取れるようにしたってことか。ボーダーならではの義手だな。
「ということで、まずはこのリングを腕に通せ」
そう言って真戸さんはよくわからんリングを佐々木さんに渡す。リングを二の腕くらいまで通してどっかについてるボタンを押すと佐々木さんの二の腕にピッタリなサイズになり、固定された。
そして義手を取り出し、そのまま取り付けた。
「接続まで数秒かかる。少し待て」
数秒後、なんかちょっとした音がした。多分接続されたんだろう。
「動かしてみろ」
江藤さんに言われ、なんかメカメカしい腕を付けた佐々木さんはその腕を持ち上げた。ゆっくり手を握ったり開いたりして軽く腕を回したりしている。
「どうだ?」
「動きますね。まだ慣れが必要でしょうけど」
「感覚は?」
「かなり曖昧です。動かすことに支障はありませんけど、触覚はあまり感じられません」
「触覚に問題あり、か。さすがに感覚まで戻すにはそれなりに調整がいるな」
「でも思ったよりも動きます。リハビリすればこれでも大丈夫そうです」
「なに、どのみちそれは試作品だ。そのうちちゃんと完成したものを持ってくる。っと、そういえば夏希」
「はい?」
「退院祝いだ」
真戸さんは横山に花と紙袋を渡した。
「お、ありがとうございます真戸さん」
「君はなにを渡したのかね、比企谷」
そこで俺に振る?
「いや、落ち着いたら佐々木さんも交えて飯でもって…」
「ほう、いいではないか。しかし君達は仲が良いな。チーム自体は解散したと聞いていたが」
「僕が抜けただけです。それに、二人は父さんの下に付いてもらうことになっているので大丈夫ですよ」
「ふむ、有馬さんの下か。つまり0隊か」
「ええ、まあ…」
「それに、僕の後釜は
え?そうなの?俺なにも聞いてないよ?
「そうなの?お兄ちゃん」
「いや、初めて聞いた」
「二人が正式に入隊する時に多分わかるよ」
そう言いながら佐々木さんは左腕を色々動かしてる。すぐには戦線復帰は無理だろうが、リハビリを積めばまた戻ってきてくれるだろう。
「ふ、いい絆だ」
「そうですね〜。いや〜ハッチは本当私とサッサンのこと好きだからさ〜」
「いや、ちょ、おぅふぇ、ちょま、やめろ」
唐突にどストレートにそういうこと言うんじゃねぇ。死人が出るぞ。死ぬの俺だけど。
「確かにお兄ちゃんは本当にお二人のこと大好きですよ〜」
「だからやめろ。やめましょう」
「あはは、それは僕も思った」
「話に出るのはお二人のことが今まで本当に多かったんです。小町もお兄ちゃんにそういう人ができたと思うと泣けてきます」
「だ、だから、やめ、やめて、やめろ。本当に」
本当に死ぬからやめて。顔から火が出るとはまさにこのこと。
残念ながら事実だし否定するのもきつい。
「なんか、やめましょうこの話」
「はいはい、しょーがないわね」
「はー…もう帰ります。横山、退院おめでとう。佐々木さんはお大事に。リハビリは無理のない程度に」
「ありがと、また学校でね」
「わかってるよ。また来てね」
「真戸さんと江藤さんもまた会いましょう!」
「うむ、君がボーダーに入隊するのを心待ちにしていよう」
「また面倒起こしたりすんなよ」
なんでさ。そんなに面倒ばっか起こしてるイメージついてるの?寧ろ巻き込まれてるのだが俺。解せない。
「じゃ、失礼します」
「ではまたー!」
そこで俺たちは病室を後にした。
その際、黒髪の中学生くらいの身長をしたやつとすれ違ったが、その時の俺は気づくことはなかった。
ーーー
「ハーイセ」
比企谷兄妹が去った後すぐ、病室の扉が開いた。
そこには黒髪の低身長の少年のような見た目をした男がいた。
「や、什造くん」
「おー!かっこいい腕ですねぇ!」
「鈴谷か。少々遅かったようだな」
「真戸さん、こんにちは。江藤さんも」
「ん」
「彼女さんに会えましたか?」
「うるせえ、仕事続きだよ」
「そーですか」
聞いておいて非常に興味なさげに言う鈴谷に青筋を立てる江藤をスルーしながら鈴谷は傍らにあったお菓子に手を伸ばす。
「で、少し遅かったってなんです?」
お菓子を頬張りながら鈴谷は真戸にそう問いかけた。
「なに、先程まで今度君の同僚となる比企谷がいたのでな。上手くタイミングが合えば会えただろう」
「そういうことですか。でも大丈夫ですよ。彼とはもう会いました」
「なに?」
「ええ、向こうは僕が新しい同僚だとは認識してないでしょうけど」
「どうだった?僕の相棒は」
「とっても面白そうな方でした。それに」
そこで鈴谷は一度言葉を切り、お菓子を飲み込む。
食べかすを取ると、満面の笑みを浮かべた。
「彼となら、たくさん遊べそうですから楽しみです」
そう言って鈴谷は、お菓子のゴミを握り潰した。
今後は什造が琲世の変わりになります。
ガイル編だと当たり前っちゃ当たり前ですが場面ごとでちょいちょい時間が飛んでます。なのでその合間をワールドトリガーで埋めていく形になるのかなと。とか言っておいて次回の後半はほとんどガイルサイドですけど。