IF GOD - 神は斜陽に打ち震える - 完   作:鈴木_

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14 第二のsai

都内で行われる大きなイベント当日、会場となるホテルのホール控え室で、ヒカルはイベントの当日スケジュールの紙に目を落とし流れを追っていた。

今日のヒカルの仕事は午前に女流棋士と一局打って、午後は3面打ちでの指導碁となっている。

通常なら名人を初めとしたタイトルを保持するトップ棋士が、一般客に指導碁をすることは滅多にないが、下手にヒカルに解説をさせてまた死活をポロリされても困るのだ。

 

イベントにヒカルが対局解説者として参加すれば、客寄せとしてネームバリューは大きく、実際若く才能溢れる棋士に客は喜ぶ。

しかし、以前ヒカルはイベントに解説者として大盤の前に立ち、突然黙り込んだかと思うと、解説アシスタントが止めるまもなく、いきなり対局中の黒石の一角を殺してしまった前例があった。

解説もプロ棋士の仕事の一環とはいえ、ハプニングはたまにある。

大盤解説がリアルタイムでテレビ中継されていなかったのが救いだった。

白石を持っていたプロ棋士は、ヒカルが見つけた筋に気づけず、結果負けてしまった。

対局の勝敗を分けた原因は、決してヒカルの見つけた死活だけではないだろうが、白石を持っていた者がせっかくの勝ち筋に気づかず見逃してしまったのは否めない。

客はハプニングを他人事と面白がったが、あの後の対局者たちとの気まずさといったら無かったという。

あれ以来、イベントにヒカルを引っ張り出すときは、棋院の事務方が最新の注意を払い、 出来るだけ対局者としてのみの仕事を振るようになった。

故に今日のイベントも解説なしの対局と指導碁のみ。

何しろ、今日のイベントは対局している隣で大盤解説をするため、解説の一言一句が対局者に聞こえているし、解説を聞いている一般客の反応も全て丸分かりなのだから。

指導碁を打つにしても、プロ棋士はヒカルだけでなく5人以上はいるのに、それでも運よく『名人』に指導碁を打ってもらえれば儲けものと、指導碁の希望者が殺到したのを抽選で行った。

 

「相変わらず、森下先生の研究会以外には、どこにも顔出していないのか?」

今回ヒカルと女流棋士の対局の解説することになった緒方が、同じくスケジュールに慣れた様子でさっと目を通し、椅子に座って丹念にチェックしているヒカルへ話しを振る。

 

「うん。とくにに誘われないし、伝(つて)のある親しいプロ棋士も他にいないから。な~んかみんな、俺のこと遠巻きな感じで見てるんだよね~」

 

 

スケジュールから顔を上げることなく迷いなくスッパリ言い捨てたヒカルに、緒方は内心肩を落とした。

 

――だから今日の解説にお前とセットで俺が振られたんだろうが

 

努力に努力を積み重ね、ようやくプロ棋士になったものの低段者の中でもまれている者、そのまま段位を上げてもタイトルまで手が届かない者たちが、囲碁界に颯爽と現れタイトルをかっさらっていく若年の天才にそう気安く声をかけられるとでもヒカルは考えているのだろうか。

院生時代、実力を隠していたことへの嫉妬や僻み、しこりは多少なりあるだろうが、タイトルを取るだけの実力はヒカルの打った棋譜が証明している。

 

弱い者が何言ったところで、所詮は負け犬の遠吠えでしかないということは誰でも分かっている。

それでも努力を重ねてプロ棋士になり、棋士として生きている上で、いかに自分より才能がある相手であろうと年下の棋士に易々と頭を下げることが出来ない自尊心があるのだ。

 

そんなヒカルと気兼ねなく話(意思疎通)ができ、かつイベント事に慣れていないヒカルをフォロー出来る人数は限られてくる。

同じ森下の研究会に出ているメンバーか、緒方またはアキラなどだ。

そして今日のイベントで、ヒカルのフォローとして緒方が当てられた。

 

「別に研究会に誘われるのを待つんじゃなくて、お前が自ら研究会を開いてもいいんだぞ?」

 

「俺が研究会……」

 

緒方に言われてヒカルが思い浮かべたのは、自室の6畳間に男6人でいっぱいいっぱいな部屋だった。

それに加え、ヒカルの部屋に碁盤と碁石は1セットしかない。

その一つを6人で囲むとなると、窮屈過ぎるだろう。

 

「そんな性格でもないし、第一、俺の部屋、人が大勢入るには狭いよ。あ、でも森下先生のように棋院の部屋を借りるって方法も」

 

「それだけはやめろ。お前が棋院で決まった時間に研究会を開けば、お前見たさの一般客が殺到して棋院が迷惑する」

 

「それもそっか」

 

疎いヒカルでも、タイトルを取ってからの周囲の変わり様はよく分かっている。

どんなに強くても、それがタイトルを持つ者と持たない者の差だとヒカルに教えたのは誰だったか。

特にタイトルの中でも『本因坊』と並び立つ『名人』を持つヒカルは、どの対局でも上座に座るようになった。

現状、ヒカルの対局者として上座に座ることが出来るのは、『本因坊』のタイトルを持つ桑原だけだ。

 

「進藤」

 

「ん?」

 

「何故、敦盛の舞を知ってたんだ?」

 

問うと、一瞬だけヒカルは目を見開き、すぐに誤魔化すのを諦めたように小さく溜息を零した。

 

「……誰かから聞いたんだね」

 

「それも言いたくないか」

 

ヒカルは囲碁そのものの強さ以外にも、内側に隠した秘密がふとした時に垣間見えた。

その中でも、行洋と共有した秘密こそが最大の秘密であることは緒方も確信している。

だが、決してヒカルは行洋以外に秘密を話そうとはしなかった。

 

「教えてもらったんだよ」

 

緒方の眉間に皺がよった。

文献の中だけの舞を、能の家元である梨川さえ知らなかったのに、他に誰が知っているというのか。

しかし、緒方の脳裏に上野が言っていた言葉が過ぎる。

神事に長く携わった者でしか視ることが出来なかっただろう何か。

視界を掠める人に在らざる存在。

緒方自身が幽霊や神仏の類を信じていないため、上野の話を全面的に信じるということは出来なかったが、ヒカルが敦盛を舞ったという現実は否定できない。

 

「教えてもらった?誰に?幽霊にでも教えてもらったか?」

 

カマをかけた。

次に、ヒカルの瞳に怯えが瞬間映り、後悔した 。

 

「……幽霊が見えるなら、塔矢先生にも会えればいいのに」

 

 

ポツリとヒカルが呟く。

 

――焦った……そういう意味か……

 

表情には出さないよう意識しながら、緒方はほっと安堵する。

最初にカマをかけたのは緒方自身だったが、まさかヒカルが『幽霊』の単語一つで怯えるとは思わなかったのだ。

一瞬、本気でヒカルが幽霊が見えるのかと考え、冷や汗が出てしまった。

幽霊の類が見えるのなら、ヒカルが真っ先に行洋に会いたいと願っても不思議ではない。

 

そこに二人の会話をさえぎるように、

 

「おはようございます。本日はよろしくお願いします」

 

ホテルに着いて早々、係員から説明を聞かされていたヒカルの対局相手が、遅れてしまった挨拶を述べれば、ヒカルは椅子から立ち上がり頭を下げる。

相手の女流棋士に『進藤名人』と言われると、苦笑とはどこか違う曖昧な笑みで受け答えた。

 

 

 

緒方から急にどこかで話がしたいと電話が来て、アキラは家からそれほど遠くない喫茶店で緒方と待ち合わせた。

頼んだのはお互いホットコーヒーのみだ。

外で改まって話がしたいと言うからには、ゆっくりケーキを食べるほど悠長な話ではないだろう。

 

「ネット碁に強いプレイヤーがいる?saiではなく?」

「そうだ」と緒方。

「また進藤じゃないんですか?saiとは違うアカウントで登録してこっそり打っているとか。懲りないヤツだ」

くだらない話だとアキラは興味なさげに頭を振る。

だが、同時にアキラと同様のことを緒方も考えたハズだ。

その上でアキラに話すだけの何を気にかけているのかという疑問を抱く。

「進藤の……saiの強さじゃない。そのプレーヤーは確かに強いがsaiにはまだまだ及ばないがアマじゃない。プロだ」

「saiではないなら、何が気になるのです?」

「棋譜を見れば分かる。だが、実際俺も判断しかねている。進藤がまた打っているのか、誰か別人なのか」

持っていた封筒をアキラの方へ差し出した。

差し出された封筒には棋譜が数枚入っていた。

公式の手合いを記録した手書きの棋譜ではなく、ネット碁で打った対局のログをパソコンが自動的に印刷した棋譜。

アキラが目を通す間、緒方はじっと静かに待った。

そしてアキラの目がしだいに見開かれ、棋譜に釘付けとなっていった。

「……これは……え?しかし……まさか、進藤?」

「アキラくんもそう思うか?」

苦々しく思いながら、緒方は注文した自分のコーヒーに口をつけた。

世界中で騒がれたネットのsaiの正体が明かされて、もう二度とこういう騒ぎは起こるまいと思っていたのに、再び現れたネットの棋士。

ヒカルではない。

公式手合いはもちろん、非公式でも緒方はヒカルと何度も対局している。

ヒカルの強さはまさしく百戦錬磨された老練な打ち筋だ。

研ぎ澄まされた鋭さと、底冷えするプレッシャーは、甘さなど微塵もない。

対してこの棋譜から受ける印象は、プロ以上の実力は伺えるがそこまでた。

けっしてそれ以上ではない。

緒方から見ても、所々に小さな甘さがまだ残っている。

しかし、初めて緒方がヒカルと碁会所で対局した一局。

あの頃、ヒカルはまだ実力を隠していた。

ヒカルが力を抑えながら緒方と打った一局が、ネット碁で打たれた棋譜と不思議に重なる。

 

アキラも緒方と同じ印象を受けたのだろう。

実力を抑えていた頃のヒカルと対局した回数は、アキラの方が圧倒的に多い。

 

「緒方さんは、このプレイヤーと対局したことは?」

「ない。俺も第二のsaiだとネットで騒がれていたのに興味を持って、なんとなくソイツが打ったという棋譜を覗いたらそれだったんだ」

ネットのプレーヤー達が、第二のsaiと騒ぐのも、緒方には理解できるような気がした。

 

saiであったヒカルと似た棋風。

プロ以上に強い棋力。

正体不明の棋士。

saiとしてネットで打ってきたヒカルを真似たようなスタイル。

プレーヤーのハンドルネームは『light』

もしヒカルでなかったとしても、この名前をつけた誰かが、わざとsaiであったヒカルの名前をひっかけて登録したとしか思えないようなHNだと思った。

 


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