十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第八話

 けたたましいアラームの音が室内に響き渡る。

 キングサイズのベッドに肢体を投げ出したまま眠る少女の意識は、覚醒へと向かう。

 

 ──やっぱりまだ眠いから、あと五分だけ。

 

 けたたましいアラームの音が室内に響き渡る。

 所有者の意思を尊重しない無機物に、制裁のチョップ。

 寝起きのため平常時より威力の数段落ちた手刀は、脳髄を揺さぶる電子音を止めるだけの力は保っていたようだ。

 窓の外から柔らかな光が差し込み、ウェーブのかかった栗色の髪が輝いた。

 きめ細やかな乳白色の肌。生地の薄い黒のキャミワンピを押し上げる豊満な双丘。フリルのついたスカートから伸びる健康的な生脚。

 組み合わされた両手を天井に向けて、ぐーっと伸びをする。

 現時点をもって遠月十傑第二席、小林 竜胆の意識は覚醒へと至った。

 フラフラとおぼつかない足取りで、洗面所へと向かう。歯ブラシが口内を前後に動いていく様子を、ボンヤリと眺めていた。

 鏡の中に映るのは、左右が反転し琥珀色の目をした自分自身。

 

 ──寝起きは、あんまり可愛くない。

 

 そんな事を考えながら、竜胆は制服に袖を通す。

 黄色と黒のチェックのスカート、純白のカッターシャツの順番で装着した所で違和感。

 ピッタリサイズがあっていた筈のカッターシャツ。その胸の部分が少し苦しく圧迫感を感じる。

 

 ──また、大きくなったかー。

 

 しかし今更、服を交換することは億劫だ。窮屈さを華麗にスルーして、竜胆はベージュのセーターに手を伸ばした。

 

 ☆☆☆

 

 遠月茶寮料理學園の門をくぐる。

 数時間後にはたくさんの生徒で賑わう筈の道に竜胆以外の人影は無く、朝の静謐な空気を感じることが出来た。

 木々の豊かな香りと小鳥の囀りを耳にしながら、竜胆の足取りは心なしか軽い。

 たどり着いた先、遠月リゾート第五宿直施設。

 備え付けられた階段をのぼって、ドアを叩く。

 

「おーい、葵ー。お腹すいたぁー」

 

 返事が無い。ただのしかばねのようだ。

 ドンドンと扉を叩いても、何の反応もかえってこない。

 

 ──葵のヤツめ、さてはまだ寝ているな?

 

 先輩の訪問を無視するとは、何たる無礼か。

 そんな時に役立つのが、スペアキー。鍵穴に挿入して一回転させると、金属が擦れ合う音が聞こえてきた。

 忍び足でワンルームの奥、寝台へと向かう。

 そこには線の細い身体を丸めて眠りにつく、可愛げのない後輩の姿が……。

 

 無かった。

 

 通い慣れた室内は片付けられていて、誰もいない。

 

 

 ──世界が止まってしまったかのような錯覚に襲われて、しばらく立ち尽くす。

 

 

 

「……いないんだ」

 

 寂寥を含んだ言葉が、一人ぼっちの部屋の中で空虚に響いた。

 

 ☆☆☆

 

 朝食を食べる気にはなれなかった。そして虚ろな気分のまま、竜胆は講義を受けていた。

 

「皆さん、良いですか? 【私淑】とは、ひそかに尊敬し、模範として学ぶ、という意味です。なので問一の正解は四番ですね」

 

 竜胆の机の上に広げられたルーズリーフ。もういっそ、清々しいほどの純白は、彼女の心がここにないことを語っている。

 窓の外の景色を眺めながら、思うのは後輩のこと。

 現在宿泊研修真っ只中であろう、斬島 葵のことだ。

 

 ──元気かなぁ。

 

 ただそれだけが、気懸(きがか)りだ。

 出会った頃から比較すると、あの子は変わった。

 料理を教えると、葵は物凄く飲み込みが早いことが分かった。竜胆が伝えることをそばから、どんどん吸収していく。

 

 料理人には大きく分けて、二つのタイプが存在する。

 天才型と計算型。

 天才型の武器は、自らの感性。

 計算型の武器は、膨大なデータ。

 もちろん完全に二分することは出来なくて、やや天才型とかどちらかと言われると計算型など両方の素養を持つ者が殆どだ。

 

 葵も竜胆も典型的な天才型であり、だからこそ上手くやってこられたのかも知れない。

 そして十傑に選ばれる者は、その殆んどが前者だ。

 

 外見だって変わった。

 中等部三年まではあどけなさと子供っぽさがあったのに、高等部に入ってから急に大人っぽくなった。

 線の細い身体はそのままに、身長が伸びた。

 綺麗な顔立ちは綺麗なまま、幼さが抜けて少し引き締まった。

 

 でも変わらないものも、沢山あるのだ。

 頭を撫でた時の、サラサラとした癖のない黒髪とか。

 揶揄(からか)った時の、生意気な態度とか。

 

 ──不意に見せるあの、ドキドキするほど綺麗で吸い込まれるような微笑みとか。

 

 宿泊研修から帰ってきたあの子に、何をしてあげようか?

 まずは笑って、おかえりって言う。

 ちょっと恥ずかしいから冗談めかして、頭を撫でてあげよう。

 きっと刺激的な事がたくさんある筈だから、ちゃんと話も聞いてあげたい。

 

 ──早く会いたいなぁ。

 

 胸が締め付けられるほどの、感情の揺らぎ。

 その名称を、彼女は知らない。

 

 ☆☆☆

 

 遠月学園十傑評議会。

 たった十席しかないそのイスの価値は、絶大である。

 類稀(たぐいまれ)な才能を持つ一握りの者だけが座ることを許されるイス。

 料理の為ならば、遠月の莫大な予算を好きなだけ使える。

 たった100部しか出版されなかった数世紀も前の希少なレシピや、オークションに出れば200万越え確実の古典料理書などにも簡単にアクセスが可能。

 日本中の職人が渇望するほどの食材も調理器具も設備も、最新だろうが高級だろうが望むだけ手に入る。

 

 ──研鑽の為なら、全てが許される。

 

 だがそれら全ては、十傑としての責務を果たした上で支払われる対価だ。

 

 放課後。

 竜胆はその責務を果たすために、その扉を開いた。

 豪奢(ごうしゃ)という形容が相応しいシャンデリア。

 輝かしい光に照らされるのは、円卓とそれを囲う十の椅子。

 今ここにいない第十席と竜胆を除く八人は、既に集まっていた。

 二つある空席のうち、扉から遠い席につく。

 円卓での席次は、最も序列が上の者が扉から一番遠い席につく。扉から遠い者ほど、席次が上なのだ。

 

「竜胆テメェ! 遅刻だぞ、何してやがったっ!」

「りんどー先輩(・・)だろーがー! 礼儀正しくしろー!」

「うるせぇ!」

「反抗期かー! このインテリヤクザめっ!」

「誰が、インテリヤクザだっ?!」

「ふふーん。そう呼ばれたくなかったら、メガネクイッてすんなよなー」

「か、関係ねーだろっ?!」

「もぐもぐ」

「聞いてねぇ……」

 

 苛立った声を発したのは、十傑第九席。

 叡山 枝津也。

 色の抜けた金髪をオールバックにして、メガネに手を添えるその姿を、インテリヤクザと呼ばずに何と呼ぶのだろうか。

 竜胆は言いたいことだけ言うと、お気に入りのお菓子を食べる。

 するとまた、竜胆に話しかけてくる人物が一人。

 竜胆と枝津也のやりとりがひと段落ついたのを見計らったのだろう、澄んだ声が室内に響いた。

 

「……ちょっと、いいかな?」

「んー?」

 

 竜胆の視線の先。

 白い髪と繊細な顔立ち。

 十傑第一席、司 瑛士が伺うように声をかけてきた。

 

「この前割り振った書類作成と公務、ちゃんと出来てるよね?」

「もちろん……」

「良かったぁ。ついにちゃんと仕事してくれるようになってくれたんだねっ?!」

 

「できてない!」

 

 静寂。

 瑛士の顔の表情が固まった。

 

 ──おお、まるで時間が止まったようだ。

 

 竜胆は呑気にそう思う。

 そして暫くして、瑛士は言葉を漏らした。

 

「この前割り振った書類作成と公務は?」

 

「できてない!」

 

「……え?」

「……え?」

 

 ──何かおかしい所が、あっただろうか?

 

 瑛士は取り繕うように、咳ばらいをした。

 胸に手を当てて、深く深呼吸する。

 

「……いや、いいんだ。この後で、ちゃんと仕上げてくれればいいんだ」

 

 

「やっといて」

 

 

「……え?」

「……え?」

 

 ──何かおかしい所が、あっただろうか?

 

「え……あの、でもそれは君の仕事……」

 

「おねがい」

 

「だ、だから、その……」

 

「やだ」

 

 深い、深いため息が、室内に反響する。

 瑛士の顔には何かを悟ったような、あるいは何かを諦めたような達観が見えた。

 

「……それじゃあ、会議を始めます」

 

 ──あれ? どうして涙目なんだろう?

 


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