十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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宿泊研修編
第五話


 某県某郡。

 富士山と芦ノ湖を望み、高級別荘地・避暑地として名高いその地に葵を含む遠月学園高等部一年の全生徒が足を踏み入れた。

 霊峰と名高いその山頂には霧のような薄雲が流れ、さざなみを寄せる湖の水面は空の青を鏡のように映し出していた。

 避暑地というだけあって、肌を撫でる空気は青い氷のように冷たく心地良い。

 豊かな木々の香りと小鳥のさえずりの中をしばらく進むと、絢爛豪華な建造物が姿を現した。

 

「うわ、めっちゃ大きいな」

「大きいのは当たり前よ。このホテルの母体は遠月リゾートで、行楽のシーズンになると各地からお客様が集まるわ」

「あ、えりなさん。元気そうだね」

「ご機嫌よう、葵くん。あなたも健康なようで良かったわ」

 

 葵に話しかけてきたのは、薙切 えりな。

 遠月学園中等部からの内部進学組の主席合格者。

 遠月十傑評議会に最年少で名を連ねた天才。

 そして中等部で唯一、葵に敗北の味を与えた相手でもある。

 まぁだからと言って両者に確執があるわけではなく、むしろ同じ道を征く者同士、アドバイスを求めたり求められたりと関係は良好なのだ。

 高価な西洋人形のように端正な顔立ち。腰のくびれが目立つ均整のとれた肢体。

 その絶対的な美貌の前では並大抵の器量の女性は霞み、彼女の美しさを引き立てる要因の一つに成り下がることだろう。

 

「はぁ、遠月リゾートかぁ。気が重い」

「何で葵くんが……って、ああ、そういうこと。葵くんが今住んでるところって……」

「うん、宿直施設。それも竜胆先輩が遠月リゾートから食戟でかっさらってきた」

「……相変わらず、自由ね」

「身勝手なだけだよ」

 

 そんなことを話しながら、葵とえりなはホテルの入り口をくぐった。

 集合場所となっているのは、遠月リゾートホテル「遠月離宮」大宴会場。

 遠月学園高等部一年総勢千人を迎え入れてなお、スペースを残すほどの広さがあった。

 遠月が母体となっているだけあり、会場の隅々にお客様への配慮が伺える。

 特筆すべきは、その天井の高さだろう。

 天井が低いと人間は心理的に圧迫感を感じてしまう。その圧迫感がストレスへと変わると、人と距離を置きたくなるのだ。

 多くの人間とコミュニケーションをとることを目的とした大宴会場で、それは絶対に避けなければいけない。

 その点、遠月離宮の天井は、会場内にいるものにストレスを感じさせない絶妙な高さとなっていた。

 照明にシャンデリアを用いて、視覚的な効果を取り入れていることを鑑みれば、ほぼ完璧と言えるだろう。

 経営者の微に入り細を穿つような気配りを、葵は感じ取った。

 会場全体は、妙な静けさに包まれている。

 もちろん音が一切無いわけではないが、それでもそこには糸を張り詰めたような緊張があった。

 多くの生徒がこれから行われる試練を前に身を硬くしてる中、葵とえりなの二人は落ち着いた面持ちで会話を続けていた。

 漆黒の髪を持つ中性的な彼には、尊敬し敬愛する人物からの信頼と言葉が。

 金色の髪と絶対的な美貌の彼女は、日々の研鑽と神に愛されたその味覚が。

 それぞれの心を支えているのだ。

 そんな両名に声をかけてくる人物が一人。

 

「えりな様〜! 遅くなりました! 少し手間取ってしまって……」

「あら、緋沙子。遅かったのね」

 

 新戸 緋沙子。

 日本中の有名店から味見役を依頼されてきたえりなの秘書を、緋沙子は任されている。

 代々医療に関係する家系の出身であり、日常的に激務をこなすえりなの体調管理は緋沙子の大切な仕事の一つだ。

 凛とした美しさの容姿。

 肩にかかる程度の長さで切り揃えた、絹糸のような薄紅色の髪。

 当人の性格があらわれるように隙のなく着こなした制服に、魅惑的な肢体をつつんでいる。

 緋沙子の言動の端々から、えりなへの尊敬が目に見えた。

 葵がなんとなく緋沙子を見つめていると、視線が交差した。

 緋沙子の整った容姿が少し穏やかになる。それは葵に対する親愛の感情だ。

 葵は緋沙子の感情の揺らぎに気づくことなく、柔らかく笑いかけた。

 

「こんにちは、秘書子ちゃん」

「誰が、秘書子だ! 私は緋沙子!」

「ごめん間違えた、秘書子ちゃん」

「ひさこ!」

「分かってるってば、秘書子ちゃん」

「治ってないし!」

「葵くん、治ってないわ」

 

 緋沙子とえりな。二人の女性から指摘され、葵は自身の形の整った眉をさげた。

 葵とえりなと緋沙子。三人の会話には、周囲の緊迫した雰囲気とは対極の緩やかなものが感じられる。

 

 中等部二年の冬にえりなと葵の距離が近づいて、そこに緋沙子が加わった。葵が緋沙子をからかって、緋沙子がそれにむくれて、えりながそんな二人を笑顔で見つめている。葵も緋沙子も……えりなでさえも、三人の関係をどこか心地良く感じていた。

 中等部三年になると、集まって料理をすることが増えた。それぞれに事情があって毎日というわけでは無かったけれど、葵にとってその思い出はきっといつまでも色褪せることはないだろう。

 三人それぞれが料理を作って、話し合いで誰が一番美味しかったのかを決定する。

 最下位の者が次のお題を決めることが出来るルールだった。それぞれが自らの料理に工夫を凝らし、決して無難な一手を選ばない。

 食材に触れるその手が新しい道を切り開いていくように、お互いを高め合っていた。

 

 葵がすっかりむくれてしまった秘書子……もとい緋沙子の機嫌を直そうと言葉を尽くしていると、大宴会場に静かな低音の品位のある声が響いた。

 

「おはよう、諸君。ステージに注目だ。これより合宿の概要を説明する」

 

 壇上。

 マイクを右手に持ち、葵たち生徒を睥睨しているのは一人の壮年の男性。

 遠月学園講師。フランス料理部門主任、ローラン・シャペル。

 遠月でも特に評価が厳しい講師で、ついたあだ名が「笑わない料理人」。

 

 ──本人はそう呼ばれていることを、知っているのだろうか?

 

 えりなと緋沙子に挟まれながら、葵はそんなことを考えていた。

 そうしている間にも、シャペルの話は続く。

 

 友情とふれあい(無情の篩い落し)の宿泊研修。

 五泊六日の日程で行われ、連日料理に関する課題が出される。課題の内容は毎年異なるようだ。

 初日は980名を20グループに分割し、説明終了後各自指定された場所へ移動する。

 講師による評価の一定ラインを下回った生徒は失格と見なされ、待機している学園行きのバスに乗せられ強制送還。

 その後、退学となる。

 

「審査に関してだが、ゲスト講師を招いている。多忙の中、今日のため集まってくれた……遠月学園の卒業生だ」

 

 シャペルが葵たちの視線を、舞台袖に誘導させる。

 壇上に姿を現したのは、十一名の男女。

 彼等彼女等が現れた瞬間、静寂の水面に一滴の雨粒が落とされたかのように、ざわめきが広がる。

 驚嘆、尊敬、感動、そして恐怖。

 様々な感情の波が伝播していき、会場内は大きなうねりに包まれる。

 彼方此方で交わされる話し声は収まる気配が無く、むしろどんどん肥大化していく。

 講師陣の中に、それを咎める者はいなかった。

 日本を牽引するスターシェフが、目の前に揃い踏みしているのだから。

 

「ようこそ、我が遠月リゾートへ」

 

 力強い洗練された低音を、葵は耳にした。

 輝く星々の中で一際強い光を、異彩を放つ男。

 

 堂島 銀。

 

 遠月リゾート総料理長 兼 取締役会役員。

 遠月リゾートの料理全てを取り仕切る、遠月が掲げる看板の一つを任された料理人。

 精悍な顔立ちに、強い意志を秘めた眼光。

 フォーマルなスーツの下には、恐らく鍛え上げられた肉体があるのだろう。

 その圧倒的なオーラに、会場が鎮まりかえる。

 銀は全てを見透かすような鋭い眼光で、葵たちを睥睨し言葉を紡いだ。

 

「今日集まった卒業生たちは、全員が自分の(みせ)を持つオーナーシェフだ。合宿の六日間、君らのことを自分の店の従業員と同様に扱わせてもらう。この意味が分かるか? 俺たちが満足できる仕事が出来ないヤツは……」

 

 銀はそこで言葉を切った。

 左手の親指を立てて、右肩の上。首元へと持っていく。

 そして笑った。

 しかし、それは愛する者に見せるような微笑みでは無い。

 まるで獲物を狙う怪物のような、残忍で残虐な笑み。

 左手を斜めに引き下げて、言葉を穿つ。

 

退学(クビ)ってことだ」

 


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