十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第四話

 光陰矢の如しとはよく言ったもので、斬島 葵が高等部に進級してからの時間はあっという間に過ぎて行く。

 遠月学園を淡い桃色に染め上げていた桜の花弁は散りゆき、窓の外から見える景色は夏の到来を感じさせる新緑の若葉だ。

 休日の昼下がり。

 葵はその移ろいゆく季節の過程を、現在の寝床としている遠月リゾート第五宿直施設の窓から眺めていた。

 窓際にはアザレアの花が飾られていて、硝子の花瓶は太陽の光を受けて輝いて見える。

 葵の中性的な容姿には何処か眠たげな雰囲気があり、その頬を撫でるようにそよ風が吹く。

 それを契機に伸びを一つして、窓辺から離れる。葵の部屋は生活に必要なものを最低限揃えた程度の筈だったが、荷ほどきを終えた四月に比べ明らかに荷物が増えていった。

 その荷物の持ち主は、二人がけのソファにその肢体を投げ出してダレている。

 言わずもがな、遠月十傑第二席。小林 竜胆である。

 

「そういえば葵はさー、研究会とか入った?」

「研究会ですか?」

「うんうん」

 

 遠月学園における研究会では、テーマごとに料理を研究する。その活動内容は放課後に新メニューを考えたり、学外の料理コンテストに参加したりなど。

 普通科高校における部活動のイメージに近い。

 中等部から色々なジャンルの料理を満遍なく作ってきた葵にとっては、それほど心惹かれるものでは無かったため研究会に所属していない。

 

「色々な研究会があるんだぜー。和食系や洋食系の研究会もあるし、他にもギャル系やチャラ男系、アキバ系とか、犬系や猫系の研究会とか、あとは……」

「何個か変なものが混じってません?」

「とにかく、色々あるってこと」

「あー、特に入りたいとは思いませんね」

「ふふふ、そっかー」

「あれ? 何で嬉しそうなんですか?」

「何でもねー」

 

 葵が研究会に入ることは無いと伝えると、何故か竜胆は嬉しそうに足をバタバタと動かした。

 

 ──だから、ガード緩いです!

 

 葵が四月にこの部屋に住み始めてから、竜胆もまるで自らがここに住まう勢いで竜胆自身の荷物を次々に持ってきた。

 ゲーム機などの遊び道具を始め、歯ブラシや部屋着、ドライヤーなどの生活道具でさえも。

 今は休日で、竜胆は部屋着姿。

 胸元が大きく開いたルーズネックのロングTシャツに、黒いキュロットにも似たミニスカート。

 動きやすさと可愛さに極振りし、耐久面が紙のその姿はとても無防備だった。

 だいたいミニスカートから伸びる生足をこちらに向けて、足をバタバタさせるなんて、下着が見えることは考えないんだろうか?

 

 ──考えないんだろうな。

 

 そんな事を思っているうちに、葵の中の天使と悪魔の抗争に決着がついた。

 今回も天使が辛くも勝ったようだ。あとちょっとで勝てそうなんて言う、悪魔の囁きは無視する。

 

「何でもないならいいんですけど。なら、竜胆先輩、これ今朝届いてたんですけど、何ですか?」

「んー、あぁ、懐かしいなー。これはあれだ、宿泊研修」

「そんなのがあるんですね」

「葵とあったのは、文化祭の時期だったからなー。その頃には研修は終わってたんだよ」

 

 こほん、と咳払いを入れて、竜胆は葵に説明する。

 友情とふれあいの宿泊研修。

 高等部一年の全生徒は、山奥の合宿所に集められる。

 そこで毎日過酷な試練を課され、合格点に届かなければ即退学を言い渡される。

 

「……聞いてる限りだと、友情とふれあいが皆無なんですけど」

「正しくは、無情の篩い落し宿泊研修だなー」

 

 何それ、怖い。

 竜胆が語る宿泊研修の話は続く。そこに友情とふれあいはなく、あるのは残酷な現実だった。

 

「高等部に入った生徒に訪れる、最初の地獄っていわれてるなー」

「恐ろしいですね」

 

 何が恐ろしいかといえば、最初の地獄という部分だ。最初ということは、これから何度も地獄が待ち受けているということ。

 葵の脳裏をよぎったのは、高等部の始業式。薙切仙左衛門の一言。

 

 ──諸君らの99%は、1%の玉を磨くための捨て石である。

 

 つまりは本格的に、玉の選抜が始まるということだ。

 路傍の石を篩い落し、光り輝く一欠片を見つけ出す競争教育。

 今葵が立っている場所。

 それは果てし無く続く長い道の、最初の分岐点だ。

 頭角を現すもの。落伍するもの。

 葵の手は無意識に強張っていく。その原因は未知に対する恐怖と、未来に対する不安だ。

 

 ──不意に手をとられて、引き寄せられる。

 

 咄嗟のことに踏ん張りが効かず、葵と竜胆の距離が縮まる。互いの息遣いを感じられるほど、近い距離。

 唐突な行動に出た理由を聞きたかったが、声音から動揺を悟られたくなくて黙ってしまう。

 頭の中が混乱して、思考が安定しない。

 肌がきめ細かいとか、意外に睫毛長いんだとか、やっぱり美人だとか、脳内が目の前の女の子のことでパンク寸前になる。

 竜胆は水晶のような琥珀色の双眸で葵を優しく見つめて、驚くほど繊細な手つきで葵の頬に手を当てる。

 やわらかくてしなやかなその手が冷たく感じられたのは、きっと葵の頬が上気しているから。

 竜胆は慈愛に満ちた表情のまま、優しい声音で囁く。

 

「不安、だったりする?」

「……そう、ですね。ちょっとだけ、不安です。ちょっとだけですけど」

「ふーん、そっか」

 

 竜胆は葵の頬をスリスリと撫でながらそう呟くと、空いているもう一方の手を葵の腰に回した。

 そして彼我の距離は、完全に無くなる。

 葵が全身に女の子のやわらかさを感じて身じろぎすると、竜胆は頬を撫でていた手を葵の後頭部へと動かしてそのまま葵の顔を自らの胸に押し当てた。

 そして今度は頭を撫でられる。

 白いロングTシャツを押し上げる豊かな胸の感触と、びっくりするほど甘い香りに包まれて、もう葵の身体は完全に麻痺してしまっていた。

 そして葵は竜胆の声を聞く。

 四肢の動きと視界を奪われても、音は聞こえるから。

 

 

「大丈夫だよ、心配いらない。……だってあなたは、あたしのーー」

 

 

 何かが割れるような破砕音が部屋に響く。

 その甲高い音が竜胆の言葉を打ち消して、葵の耳に届くことはなかった。

 

「な、なにっ?!」

「……窓際に置いてたアザレアの花瓶が倒れたみたいですね」

「そ、そっか。びっくりしたなー」

「しましたねー」

「あは、は、はは」

 

 竜胆の乾いた笑い声が部屋に響く。

 どちらともなく密着していた体制から離れ、ソファの両端に腰掛けた。

 

「……じゃあ、あたしはそろそろ帰るから」

「あの、竜胆先輩。ありがとうございました」

「……うん、またね」

 

 その後、なんとなく会話のない時間が流れた。しばらくすると竜胆は洗面所へいって部屋着から制服へと着替えを済ませた。そしておずおずと帰宅することをきりだした。

 葵がそうお礼を告げると、竜胆は笑って帰っていった。

 

「竜胆先輩は、あの時なんて言ったんだろう」

 

 ☆☆☆

 

 ガチャリとした金属音が聞こえて、竜胆は外へと出た。

 その耳が真っ赤に染まっていることに、葵は気がつかなかった。

 


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