十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第三十三話

 大音量のアナウンスと共に両選手が入場する。

 紅色にくすんだざんばら髪。腕に巻きつけた白妙の手ぬぐい。自らの姓が綴られた特徴的な調理服を身に纏った幸平創真。

 艶のある長い銀の髪。異国の血を感じさせる褐色の肌。強い自我を秘めた切れ長の瞳。鍛え抜かれたその身体を黒の調理服に隠した美丈夫、葉山アキラ。

 互いが調理台を挟み相見える。

 熱く燃えたぎる烈火。碧く冴えた水晶。

 瞳の奥に勝利への渇望を秘めた、彼我の視線が交錯する。

 一方が白妙の手ぬぐいを額に巻くと、他方は艶のある長い銀の御髪を後手で一つに縛る。

 他者の目からすれば髪を纏めただけのように思える両者の行為。しかし当人からすればまた異なる意味を持つ。

 きっとそれは自らが最大限の力を発揮する為の儀式。

 それを契機に両者の意識は急激に研ぎ澄まされて行く。

 取り囲む歓声。

 羨望や期待の色をした周囲の目。

 皆尽く削ぎ落とされ感覚の一つ一つが、勝利を掴む為だけに最適化されていく。

 

 ──第ニ試合。幸平創真VS葉山アキラ、調理開始ッ! 

 

 落された開戦の火蓋が、電気音響変換機を通して会場に響き渡る。

 

 ☆☆☆ 

 

 扉に近づくと、微かに檜が香る。手触りの良いアンティーク調の取手を引いて室内に足を踏み入れると、暖かな風が頬を撫でる。部屋は扉側と対をなす一面の硝子張り壁が、吹き抜けとなった一階の調理場を見渡せるようになっていた。

 視線の先。硝子の壁に片手をついて佇む彼女は、遠月の制服を身に纏っている。開かれた扉の軋んだ音に、彼女のなだらかな肩がふわりと漣をうつ。朱の点す巻き髪が振り返る所作で揺れて、踊るように孤を描く。

 

「お待たせしました」

「おそーいっ! 軽く一年は待ったぞ!」

「そんなわけあるかい」

「久々に会った気がするもん!」

「昨日会いましたよね」

 

 え? この部屋だけ時間の流れが異様に遅いの? 

 

 ──精神と時の部屋かな? 

 

 いやいや、そんな訳ないと瞬時に否定する。

 通常に比べ四分の一の空気濃度でもなければ、常に10Gにも及ぶ高重力が掛かっているわけでもない。

 神の神殿の最下層にある修行部屋ではなく、遠月の会場の二階にあるプライムルームだった。

 驚きのあまり斬島葵のツッコミは、敬語が崩れてしまった。

 そんな会話が五分前。

 薙切えりな、茜ヶ久保もも。その両名と偶然の遭遇を果たした後に、頼まれていた飲料を調達。それを手にプライムルームに入室してすぐの出来事であった。

 

「葵、お疲れさまぁ! さっすがは()()()()後輩だな!」

「えっと、ありがとうございます」

「なんだよ、照れてんのかー? ()()()()後輩はかわいいなぁ、うりうりっ!」

「ちょ、痛いっ痛いです竜胆先輩っ」

 

 葵は竜胆のそばにあるテーブルに、頼まれた飲料や荷物を置いた。彼我の距離が詰まったその時である。大人びた妖艶な容姿とは裏腹に、童女じみた笑みを浮かべた竜胆が葵をヘッドロック。普段から過剰なほどのボディタッチをする竜胆であったが、今日はなぜかいつもよりも力が強かった。

 

「なんで逃げるかなー」

「いきなりヘッドロックされたら、そりゃ逃げますってば」

「ヘッドロックなんて言い方悪いなー……あっ、ほらっ、相撲でいうところのかわいがり!」

「なお悪いです」

 

 もぞもぞとした抵抗の後、するりと拘束から抜け出すと非難の声を浴びせられる。

 いやいや、相撲でいうところのかわいがりってアレでしょ? 荒稽古の事でしょ。下手したら死んじゃうやつじゃん。

 どうせならネコチャンをナデナデする感じのやつでお願いしたいところである。

 

 KP……もとい乾杯のコールの後、とりとめのない会話のラリーが続く。会話の内容は主に竜胆の仕事の愚痴であった。然しもの竜胆も十傑が主体となり行われる秋の選抜では、第二席としての責務を怒られない程度にこなしているらしい。

 ……えりなとももは今も仕事をしてるはずなのだが、まぁ本人がやっているというならわざわざ小言を言う必要もないだろう。

 

「そろそろ始まるな……秋の本場所が」

「先輩? ここで番付は決まりませんよ」

 

 視線の先。月天の間では会場の準備が終了し、審査員が登場する。いよいよ準決勝第二回戦が始まろうとしていた。今から力士たちの番付の昇降が決まる訳でもないし、取組が行われる訳ではない。

 

「まぁ準決に残ってる時点でそこそこやる奴なのは間違いないなー。相撲で例えるなら、大関までは行かなくても関脇くらいの実力はあるに違いない!」

「なんで全部相撲で例えてくるんですか」 

「ここで優勝した奴が一年最強……相撲界の白鵬だな!」

 

 相撲界の白鵬は、もうただの白鵬だろ。

 その例え方は別ジャンルのモノ同士を組み合わせるから分かりやすいのであって、相撲界の白鵬は紛う事なき六十九代横綱である。

 ある業界の最高峰を、高級車の中でも別格の存在であるロールスロイスに例えるのがよくある表現だ。

 ちなみにオムツ界のロールスロイスは、パンパース。赤ちゃんのお肌を優しく包み込んでくれるからね。

 

「なんにせよ、この試合が今日の最後。相撲で言うところの結びの一番だからな」

「もう力士ネタはいいですってば」

「ちぇ分かったよー、葵青龍( あおしょうりゅう)

「人の名前を四股名みたいにするのはやめてください」

 

 葵青龍( あおしょうりゅう)。不覚にも名前だけはカッコイイと思ってしまった。しかし如何にも名前負けしそうである。きっと葵青龍( あおしょうりゅう)は関脇にすらなれずに、幕下の三段目と序二段の間で一生燻りながら、その相撲人生を終えるに違いない。

 いつもと同じ、竜胆とのたわいもない話。それに区切りをつけるように、大音量のアナウンスと共に両選手が入場した。

 

 ☆☆☆

 

 差し込む西陽が甘い蜂蜜を流し込んだように半透明に澄んでいたとしても、その背後には必ず影が忍び寄る。両者は決して交わることない対極に在り、光が強くなればそれだけ影も濃くなる。

 光と影。

 生と死。

 対極に位置するものは決して交じり合うことがなく、しかし結ばれた関係性の糸を切り離すこともかなわない。

 まさしく表裏一体。

 どんな硬貨も裏がなければ表はない。存在とは相依相対であるように、勝者の裏には敗者の姿がある。

 

 ──葉山アキラ、決勝進出ッ! 

 

 興奮冷めやらぬ声が音響変換機を通して会場中に伝播する。

 またここに勝者と敗者が誕生した。

 歓声や羨望の目をその一身に受けながら、浅く息を吐く葉山アキラ。張りつめられた緊張の糸が解け、艶やかな美丈夫の容姿には安堵の色が浮かぶ。

 葉山に照らせれた脚光の陰にあるのは、幸平創真。悔いるように片手に持つ質の良い白妙の手ぬぐいが握りつぶすさまはひどく痛々しい。

 鋭い双眸で、対照的な両者を観察する男。

 遠月リゾート総料理長。代表取締会役員。元十傑第一席。様々な顔を持ち合わせる堂島銀は、審査員という役割で古巣である遠月学園に姿を見せていた。

 

 ──以上を持ちまして準決勝は終了となります。続きまして運営から委員会から、決勝の対決テーマの発表です! 

 

 スポットライトが入場口にあたり、巨大な荷台を押した十傑第七席の一色慧が現れた。荷台の上にあるのは巨大な氷塊。準決勝の興奮冷めやらぬなか、さらに会場のボルテージが跳ね上がる。

 秋の選抜。最後を飾る決勝戦では、例年通り秋が旬の食材がテーマとして選ばれるようだ。

 一色が金槌を振り下ろすと、氷塊の中から姿を現したのはサンマ。古くは民衆だけが口にするいわゆる下魚と見なされた。近年は高級店でも取り扱うようになった、言わずと知れた秋を代表する魚である。

 マイクを通して一色が締めくくる。

 

 ──決戦は十日後、最高の闘いをお約束します! 

 

 

 準決勝が恙なく終了し半刻ほどの時が経った。銀は遠月における看板の一つを任される者として、秋の選抜を観戦に訪れたゲストへの挨拶回りを終えて帰路につくところであった。

 廊下を歩く銀の視線の先。簡素なベンチと自動販売機のある休憩室のような場所に、見知った姿があった。

 

「やぁ斬島、会うのは美作昴との試合ぶりだな」

「……堂島先輩?」

 

 線の細い身体をベンチの背に預け、ぼんやりと片手に持つスマートフォンを操作していた斬島葵。

 見る者に儚げな印象を与える白磁の肌。感嘆の息が出るほど端正な、性別を感じさせない容姿。長い睫毛が影をつくる黒曜石の瞳が見開かれ、突如として現れた銀の存在に対して驚いている様子だった。

 

「帰らないのか?」

「仕事終わるまで待ってろとといわれたら、帰れないのが後輩の辛いところです」

「ふむ、つまりは時間を潰しているということだな」

「そんなとこですね」

 

 手持ち無沙汰といった様子で、此方の問いに答える斬島。

 脳内で確認した銀のスケジュールには幾分の余裕がある。ベンチから数歩の距離にある自販機の前に立つと、斬島に視線を合わせる事なく声をかけた。

 

「奢ってやろう。お汁粉とコーヒー、どちらか選ぶといい」

「実質一択じゃないですか」

「前者か」

「後者です!」

 

 自分より若い者を揶揄ってしまうのは、銀の数少ない悪癖の一つだ。打てば響くように言葉を返した斬島の要望を叶えるべく、赤く光るボタンを押した。

 銀は自らの分も調達して、斬島が座るベンチに向かう。

 

「まずは勝利おめでとう。十日後の決勝でも素晴らしい料理を期待しているよ」

「えっと期待に添えるよう頑張ります」

「良い返事だ、励みなさい」

 

 励めよ、若人。

 かつて自らも通った決勝の舞台へと挑むものを見る回顧の情念。自然と目が細くなる。

 缶コーヒーのプルタブを押し込む。口につけて傾けると、独特の風味が口の中に広がった。

 

「俺もかつては仲間と共に、互いを高めあったものだ……まさか遠月で総料理長をする事になるとは思わなかったな」

「先輩がどうして今の地位を選んだのか、宿泊研修で話題になっていました……望めばもっと上の世界を代表する料理人にだってなれた筈だと」

「俺は数ある選択肢から、俺自身が成るべきモノを選んだ。君たちのような若い料理人を導く立場も、そう悪いものではないよ」

 

 自らの辿った道を振り返ると、本当に色々な事があった。

 仲間との出会い。激動の日々。若い日の栄光。

 そして親友との別離。

 かつて周囲からの狂信的なまでの期待と自らの理想との間で苦悩に溺れ、遠月を去っていった生涯の友。

 もっと自分に出来る事はあったのではないか。臍を噛むような思いが溢れてくる。

 腐っていた自分を導いてくれた薙切仙左衛門には感謝してもしきれない。今の銀が成すべきことは、若い日の自分に出来なかった料理人を導くということだ。

 覆水は盆に返らず、過去をやり直すことは出来ない。しかし親友と再会し、かつてのことを肴に酒を酌み交わすようになると今の自分はそう悪いものではないように思えた。

 

「とにかく今は我武者羅になって頑張るといい。若い頃に選択肢を広げて置くことは、遠月を巣立ったその先の未来の自分を必ず助けてくれる……歳を取ると説教くさくなっていけないな」

「まだ若いじゃないですか……確かに()()()()()()()()()、此処での経験を活かしてそれぞれの将来に向かっていくのだと思います」

 

 そういって、斬島は微笑んだ。精緻に整った容姿は、笑っている筈なのに何処か痛々しい。

 同調したように聞こえた斬島の言葉には、しかし彼の感情が排除されていた。

 空虚。

 空っぽ。

 がらんどう。

 僕の周りの人達は皆。

 斬島自身を切り取ったソレは、まるで彼には目指すべき将来がないみたいではないか。

 

「君は何の為に包丁を握る、君が目指す未来は何だ?」

「僕は……」

 

 彼の言葉を紡ぐための呼吸が震えていた。

 しかしその後の言葉を銀が耳にする事は無かった。

 

「あーおーい──、おーまーたーせーっ!」

 

 響く弾んだ声。それからぱたぱたとした足跡と共に、待ち人が来たる。現在の遠月における十傑第二席、小林竜胆。彼女が現れた途端、斬島の雰囲気が変化した。

 表情を殺した能面が、道化師の仮面を被るように。緩怠な姉を叱る弟のように、少し呆れたそれでいて親しみを込めた顔で竜胆を迎える。

 

「先輩、おそくないですかー? 結構待ちましたけど」

「よく聞け、葵」

「なんでしょう」

「かの有名な宮本武蔵は、佐々木小次郎との巌流島での決闘に二時間遅れてやって来たんだ。その事に怒った小次郎は平静さを欠いて、いつもより実力が出せず、武蔵に負けてしまったんだ」

「……え、関係なくない?」

 

 竜胆と他愛ない話を繰り広げる斬島は、先程までと人が変わった様だった。文句を言いつつもどこか楽しそうで、一瞬見せた底冷えする空虚を覆い隠す。

 葵の変化について銀は言及する気になれなかった。

 誰しもが秘密を抱えていて生きている。殆どの秘密は時間の経過と共に明らかになっていく。それは自分から話したり、他の誰かが立ち入って共有されていくものだ。

 しかし隠すにはそれだけの理由があって、秘密を暴こうとしたその先にあるのは後悔である。

 そうであるならば、さきほど竜胆に阻まれた斬島の言葉は聞かない方が良かったのだろう。

 自らが薙切仙右衛門に救われたように、いずれ彼にも救いの手が差し伸べられることを願った。

 

「わっ、堂島先輩じゃん……あっ宿直施設なら返さねーからな」

「別に返さなくても構わない、必要としている者が使う方が合理的というものだ」

「ふーん、あと葵は借りてくぜ」

「ちょっ、引っ張らないで下さい……ちょっと話してただけですから」

 

 我が遠月リゾートの所有する施設の一部が、食戟によって奪い取られたのは一年ほど前のことだ。竜胆が食戟を行った相手は銀ではないが、第一線で働く料理人と対等に勝負して勝利をつかみ取ることが出来るのは感嘆に値する。

 

「またなー堂島先輩、ほかの先輩にもよろしくなー!」

 

 斬島は竜胆に手を引かれて歩いていった。

 見送る二人の背中。彼女の朱の点す髪は踊るように揺れて輝いてみえる。対して手を引かれる彼の闇を落としたような黒髪が、忍び寄る影のようだった。

 

 ★★★

 

 見送る背中が見えなくなって、銀は独り呟いた。

 

「励めよ……若人」

 

 決勝の舞台は華やかであるが、そこは地獄だ。

 あと少しほんの僅かというところまできている栄光。

 周りからの期待や好奇の目はそれまでの比ではない。

 普段は当たり前のように出来ていることを、当たり前に行う事のどれほど難しいことか。

 それに今回の決勝は、少し葉山に有利だ。脂が乗り極めて香り高いサンマは、香りを扱う事を得意とする葉山にはまさにふさわしい素材である。

 では斬島葵はどうなのか? 

 十五歳少年とは思えないほどの卓越した調理技術。

 本来食材として用いないモノを自らの品に組み込んでしまえる独自の発想。

 準決勝当日になって、レシピを変更してもなお勝利することが出来る地力の高さ。

 審美眼。己の目で、この遠月という舞台で誰よりも最前線を最前線を見続けた銀だからこそわかることがある。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 あらゆる試練あらゆる課題に対応できるように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだとわかる。

 選抜の本戦に入ってから二度、斬島の性質が如実に現れた。

 初戦。黒木場リョウとの対決では、計ったかのように黒木場の得意とする海鮮を用いた品を出した。

 準決勝。美作昴との対決では、美作が得意とするアレンジをより高いレベルで行い勝利を収めた。

 技術の高さ故に目立たないが、自分自身の地力の高さだけで勝利を掴み取る斬島の戦い方はいつ負けてもおかしくないものだ。鋭くとがった得物を持つ相手に、徒手空拳で挑んでいるようで無謀極まりない。

 斬島葵は完成された料理人のように見えて未完成だ。

 そして相手は葉山アキラ。

 あの薙切えりなと同等の才気を持ちながら、技術発想地力そのどれもが研鑽され香りという武器さえ持ち合わせている男。

 直接対決となれば、実力はおそらく葉山に軍配が上がるだろう。

 

 

 ──斬島葵が葉山アキラに勝つには、もはやたった一つの道しか残されていない。

 

 

 辿り着けるだろうか。

 彼にしか作ることのできないモノ。

 真に独創性のある────至高の一皿。

 

 徹底した実力主義を掲げる少数精鋭教育の極致。

 在籍したという履歴があるだけでも料理人として箔が付き、卒業に至れば料理界での絶対的地位が生涯約束される。

 此処は遠月。

 己の料理とは何か。

 我らが目指す究極の至上命題に対し、真に向き合った者へ送られる最大限の敬意。

 その名前は。

 

 

 

必殺料理( スペシャリテ)

 

 

 

 

 


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