十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第二十七話

 デンマーク王国、通称デンマーク。

 北欧の最南端に位置し、ドイツと地続きであるユトランド半島とシェラン島フュン島を中心に、大小五百の島々から成り立つ。赤地に白十字のダーネブロウを国旗とする国。

 主人である薙切アリスと共に日本にある遠月学園を訪れるまで、リョウはデンマークのパブで働いていた。

 漁師達や店の料理人をリョウは力ずくで従わせた。リョウ自身の高圧的な態度に反発していた者たちは、料理を口にしてからは従属していった。リョウが構築したのは、徹底した上下関係。食事に来た漁師たちを店の前に並ばせ、開店と同時に店に入れる。リョウが相手を客として認める条件は二つ。料理の代金を支払う事、リョウの命令に従う事だ。

 作る側も食べる側も敵であるという意識をリョウは常に持っていて、日本に遠月に来てからもそれは変わらなかった。

 豊富な食材。数多の器具。遠月という何一つ不自由のない恵まれた環境にいる生徒たち。彼等は温室栽培の植物に似ている。外敵の脅威に晒される事も厳しい冬の寒さに襲われる事もない空間の中、豊富な肥料と水を成長に合わせて与えられる。

 技術の未熟な彼等は、味の薄い栄養もない温室育ちだと思ったのだ。

 

 ──ヌルい。

 

 狩猟を行う猛獣の如き赤黒い瞳に、遠月という環境はひどく脆弱に映った。

 厨房は戦場。料理は力。信じられる者は己のみ。逆らう者や反発する者は、皆悉くねじ伏せてきた。

 どす黒い赤色の瞳に、ぬるま湯の中で馴れ合う奴らが映る。

 

 ──反吐が出る。

 

 黒木場リョウは、吐き捨てた。

 

 ☆☆☆

 

 本戦一回戦の第一試合。幸平創真と薙切アリスの試合は幸平の勝利で幕を閉じた。薙切の譜系だけでなく過去の実績を考慮しても、アリスの勝利は揺るがないと大多数の観客が思った事だろう。

 下馬評が覆り静寂とはかけ離れた会場。その扉が開かれ舞台の表側から一人の少女が姿を現す。均整の取れた身体、北欧の血を引いた端正な顔立ち。薙切アリスお嬢様。

 降ったばかりの雪のようなアリスの白い肌だからこそ、頬と目の縁にある涙の痕跡が赤く腫れている事がよくわかった。きっと、悔しかったのだろう。精緻な人形の様な容姿には、悔恨の色が見える。

 リョウは自らの主人に言葉をかける為に口を開く。馴れ合いは嫌いだから、慰めとは真逆の言葉を。

 

「相変わらず……料理が綺麗すぎる。お行儀よく眺めるにはいいけど、相手を屈服させる力が全くない」

「私に説教をしているの? わきまえなさいっ……」

 

 眦を吊り上げたアリスが発したリョウの言葉に対しての解答は反駁だった。怒気を孕んだ声音にリョウは安堵する。怒るという事は諦めていないという事だからだ。

 

「──勿論わきまえた上で話してますが。それにお嬢……そういうセリフは、料理で俺に勝ち越してから言ってくださいよ」

 

 そう言ってリョウは扉へと手をかけた。影に満ちた舞台裏から、表舞台へと足を踏み出す。

 

 ──続いて……一回戦第二試合。両選手の入場です。黒木場リョウ選手! 対するは斬島葵選手! ──

 

 リョウと葵。二人の選手の入場により、会場のボルテージは更に一段階上に達したように思えた。

 騒めきや熱気といった様々なものがうねりのような波となって、会場を支配する。

 周囲の歓声を振り切るように、リョウは長年使っているバンダナを身につける。此処からは一切の油断も許されない。厨房は戦場だ。戦場では一瞬のミスが命取りになるのだから。

 

 なにしろ、対戦相手は……斬島葵。予選でリョウは、葵に煮え湯を飲まされた。一度負けたら終わりのトーナメントで、二度目の敗北は許されない。

 楊柳の風に吹かるるが如く、葵は周囲の状況など何も気にしていないようだった。歓声に威圧されることも委縮することもなく、ただ静かにその時を待っている。

 間もなくして、その時はやってきた。

 

 ──対決テーマは、オードブルです! それでは調理開始!

 

 ねじ伏せてやる。

 

 黒い猛獣は、藍色の衣を睨みつけた。

 

 ☆☆☆

 

 オードブルの始まりは、フランスのコース料理における前菜である。胃や視覚や嗅覚を刺激し、食欲を増進される為の料理として広まった。今現在では、世界中で様々な料理がオードブルとしてサーブされている。

 つまりオードブルというテーマで、作る事の出来る料理の選択肢は多岐にわたる。各個人の個性がみれるテーマとも言えるだろう。

 事前に仕込みを行った食材が運び込まれて行く中、リョウは自らの品に集中していく。大きな鍋に水を入れ火にかけ沸騰させる。鍋の中に柚子、香味野菜を加え、リョウは伊勢海老を手に取った。生きたままの伊勢海老を鍋の中で茹で上げる。

 今回の料理の主役は伊勢海老だ。上品な柚子の香りが会場に漂う。次の行程に移ろうとするリョウの耳が、会場のどよめきを捉えた。得体の知れない何かを見るような会場の視線は、リョウではなくもう一人に向けられたものであることをすぐに理解した。

 

 ──ゆらり。

 

 丁寧にいたわるように、葵はクーラーボックスからあるものを取り出した。それを調理するために包丁を取り出した葵と、彼の行動を見ていたリョウの視線が交錯する。

 白磁の肌。癖の無い絹糸のような黒髪。性別を感じさせない中性的な容姿は小さな微笑みを浮かべていて、その表情をリョウは自らに向けた挑発行為と受け取った。

 なぜなら今、葵がその手に持ち刃を加えようとしているものは鱈。北欧の港町で育ち海の幸に触れ調理してきたリョウにとって、鱈を含めた魚介系の食材に対する経験値は膨大である。

 一度負ければ即敗退のトーナメントであえて対戦相手の得意とする食材を自らも使うという事は、自分の腕に相当の自信がなければできる事では無い。

 葵が選んだであろう鱈は素早く的確に捌かれ、その切り身はうっすらと透明な色をしていた。鱈の透明感は鮮度の高い証左である。

 猛火で炙り立てるような激情が、高鳴る心拍となってリョウに伝えてくる。

 

「はッ、おもしれぇじゃねぇか」

 

 凄絶な笑みを浮かべたリョウは、そう呟いた。黒き猛獣が眼前の彼を、獲物ではなく敵として認識した瞬間である。

 リョウと葵。予選の結果からみても、お互いの実力は紙一重だ。才能も同じ。技量も同じ。それでもなお勝者と敗者が選ばれる冷酷な世界では、勝者にのみ光が当たり敗者は影に呑まれる。

 敗北という影から逃れるための唯一の方法は勝利。

 勝つための武器は千差万別。今の技術を更に磨く事。新たな力を手に入れる事。何を選んでもいいのだ。

 勝者は一人。

 

「勝つのは俺だ」

 

 迅速、且つ正確に。

 二人の若き料理人は、自らの皿に向き合う。

 

 ☆☆☆

 

 伊勢海老と氷魚の黒胡麻バゲットピザ。

 調理開始から数時間後。機先を制しサーブしたリョウの渾身の一品に対する審査員の評価は上々であった。黒胡麻とごま油を加え香り高く仕上がったバゲットは、手に取りやすい小さなサイズに切り分けられ、そのバゲットの上にはルッコラ、伊勢海老、氷魚が載せられていた。

 オードブル料理に無くてはならない風味の爽やかさを、伊勢海老から仄かに香る柚子や氷魚ルッコラで演出しつつ、バゲットに加えられた黒胡麻が食欲をそそる。

 リョウの得手とする魚介を扱いながら、オードブルの基礎を完璧に抑えた一品であった。

 

 リョウの審査から少し経って、葵が審査員席へと歩みを進めてくる。冷たく光る銀のクロッシュに重ねられた皿を手にしたその姿は、どこか静謐な雰囲気を秘めていた。

 葵の細く白い指がクロッシュを掴み、隠された正体を明かす。

 

「ブロシェット……どうぞ召し上がれ」

 

 ブロシェットとは、西洋出自の串焼き料理の事だ。

 肉や野菜を串に刺して焼き上げるのが殆どで、主にバーベキューで口にする事が多い料理。

 しかし、葵のソレはブロシェットと呼ぶには明らかに異質な点があったからだ。

 メインである鱈やミニトマト、パプリカなどの彩り豊かな野菜が竹串でも金串でもなく植物の枝に刺さっていたのだ。

 

「この料理……食材を刺しているものが串ではない」

「これは何かの植物。この香り……これはまさか」

「ええ、その通りです。このブロシェットに使用しているのは、金串でも竹串でもなくホワイトセージの枝……」

「ホワイトセージだと!?」

 

 葵のブロシェットを見た審査員達の疑問に対し、悠然とした様子で葵が応える。動揺を隠しきれない様子の審査員達。少し遅れてざわつく会場。無理もない。なぜなら本来ホワイトセージは、その独特な香りと癖の強すぎる苦みから調理されることがほとんどないからだ。

 騒然とした状況の中で、葵は表情を崩さない。小さく微笑みを浮かべたまま、どこか楽しんでいるようにさえ見える。

 未知のものをみる目の審査員は、口にした瞬間衝撃の表情を浮かべる。

 

「美味い……しかも何だ、この味の深みは」

「爽やかな口当たりであるにも関わらず、味わい深さは損なわれていない」

「斬島葵……きみは素材の風味と旨味の深さを両立させたというのか!」

 

 旨味。つまり料理における味の深さを出す方法の一つが、味を重ねる事だ。

 味を重ねれば重ねるほど料理はコクがあり奥深い味になっていく。

 しかし料理の味が深まっていくと同時に、損なわれていくものがある。

 それが、食材の風味。料理に味を重ねていくと、同時に複数の食材の香りが入り込む事になる。それが互いの食材の香りをボカしあって、食材の風味が損なわれる事になるのだ。

 

 本来ならば対極。両立する事のない二つの味。それを実現させた葵の料理の秘密。

 それを解き明かしたのは、未だ沈黙を保っていた薙切仙左衛門であった。

 

「料理における素材感と、コクつまり奥深さは相反する。素材感を出したいのであれば、コクを捨てなければいけないという事だ」

「し、しかし……斬島くんの料理には、深いコクがある」

「その通りじゃ。その秘密が串の代わりに使用されたホワイトセージの枝……それによる閾値の調整。言い換えるとすれば、味を調えるという作業を、超高レベルな次元で行ったという事だ」

 

 この時点で仙左衛門のその言葉の意味を理解出来た者は、おそらく一割にも満たないであろう。戸惑いの色。ざわつく声。

 会場中に浮かぶ無数の疑問符を楽しそうに見つめる葵が、静かな声で朗々とタネを明かす。

 

「まず一つ、この品には普通と違う点が一つあります。それは食材を刺すモノとして、ホワイトセージの枝を使っている事です。その強すぎる苦みから、ホワイトセージは調理に使用されることはありません。だから僕も食材そのものにホワイトセージを使用することはしませんでした。苦みで味が台無しになってしまいますから。ホワイトセージを金串の代用とする事で、食材すべてに極めて微量の苦みが行きわたるようにしました」

「……ある反応を起こす最低限の量、これを閾値という。この閾値は二種類存在する。斬島が使用したホワイトセージであれば『何かは分からないが味はする』この現象を認知閾値といい、次に『苦い』と入っているものが分かるという現象を検知閾値という。苦みの総量が両者の間であれば、苦いと感じることはなく、味わいが増した深みが出たと感じる事が出来るのだ」

「鱈や野菜をフルーツソースで爽やかに仕上げ、その風味を殺すことなく味に奥深さを出すにはホワイトセージを使う事がベストだと判断しました」

 

 胸を鋭いもので突き刺されたかのような衝撃がリョウを襲った。

 この一戦で葵が行ったことは、恐ろしくリスクを孕んでいたからだ。言い換えるなら命綱無しの綱渡りのようなもの。

 料理人が自らの品に味のキレを求める場合、辛みや酸味苦みを使いバランスをとることがある。中でも苦味という味は力があるため、味の繊細なものは負けてしまう事が多い。それほどまでに扱いが難しいのだ。

 一歩間違えれば、料理全体を台無しにしてしまう可能性のある苦み、それを葵は恐れることなく使用し逆に料理全体のレベルをさらに一段階上に引き上げた。

 オードブル。今回のテーマを知らされた時、リョウは一番に素材の風味を生かすことを考えた。リョウ自身が得意とする魚介の風味を最大限に生かした品を提供したつもりだった。

 

 しかしそれだけでは甘かったのだと、頂に上るための覚悟が至らなかったのだと、舞台の中心で光を当てられている彼を見て思う。

 初めて対峙した時の柔らかな雰囲気を纏った人物と、神業じみた調理技術を魅せた人物が同じとは思えなかった。

 

 ──強い。

 

 そう心から思う。

 

『満場一致! 勝者は、斬島葵選手!』

 

 


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