十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第二十五話

 秋の選抜予選。A会場は騒然の様相を呈していた。大観衆の歓声が合わさり、地鳴りとなって会場を揺るがす。様々な感情の波が伝播し、それは巨大なうねりとなって場内を飲み込む。予選が終盤になるにつれ上位四名は塗り替えられ、選手たちの趣向を凝らした品に観衆のボルテージが高まっていく。

 張り詰めた緊張の糸を緩め、幸平創真は小さく息を吐いた。額に巻いた白妙の手ぬぐい。その結び目をほどくと、紅色にくすんだざんばら髪が風に乱れる。乱れた髪に気を払うことなく、琥珀色の双眸が上空を見据えた。

 会場の中央。その天井に設置された巨大な液晶掲示板には、現段階で本戦へと駒を進める可能性のある者が映し出されていた。

 

 1位 葉山 アキラ  94

 2位 幸平 創真   93   

 2位 黒木場 リョウ 93

 4位 丸井 善二   88

 4位 伊武崎 峻   88

 4位 田所 恵    88

 

 この遠月学園で過ごし、創真が得た経験を全て出した渾身の一品の順位は二位。充足と悔恨が交錯した煩瑣的な感情が、創真の心を騒ぎ立て感情の波を揺らす。

 

「──て事はこのままだと、四位タイの三人で決選投票になるな」

 

 艶気を含んだ低い声のほうに、目を向ける。葉山アキラ。颯爽たる長身に黒い調理服を身に纏った褐色の美丈夫。言葉を発するアキラの表情からは、安堵の色が窺える。そんなアキラに対し少し含みを持たせ、創真は言葉を返す。

 

「……どうだろうな?」

 

 その声と重なるように、会場内にアナウンスが響き渡る。

 

『で、では……斬島葵選手お願いします』

 

 ☆☆☆

 

 ──ゆらり。

 

 響き渡る歓声の中で、斬島葵は静かに動き出した。銀のクロッシュに重ねられた皿を手に、審査員席までの行程を辿る。創真の視線の先で癖の無い絹糸のような髪が僅かに揺れ、黒曜石を思わせる瞳が垣間見えた。

 掴みどころのない奴、というのが葵に対する創真の印象だ。普段の葵は気さくで明るくて、冗談を言ったりしてふざけている。しかし宿泊研修の夜に葵が一度だけ見せた悲しげで儚げな表情が、創真の脳裏には焼き付いている。二つの心象の溝はあまりにも激しく、日頃見せている優しげで親しみやすい言動がもしかして演技なのではないか? などという穿った憶測をしてしまう。

 だとしてもその考えは当て推量でしかない。そもそも人間には様々な顔があって、それを知るためには途方もない時間が必要だ。これから知っていけばいいことなのだろう。

 まずは、料理人としての顔から。

 

「それでは、お召し上がりください」

 

 葵の静かな言葉と共にクロッシュが開かれた。会場中央の液晶モニターには彼の料理が映し出され、それを見た生徒たちがざわめきだす。なぜなら葵の料理の外見は……。

 

「……スープカレー?」

「そうですけど?」

 

 五人いる審査員のうちの一人、千俵なつめが小首を傾げつぶやいた。葵はさも当然のように肯定しているが、彼女が問いたいのは目の前に出された品の料理名ではないのだろう。

 葵が出した品スープカレーはカレー料理という縛りの中で、多くの人が一番最初に思い浮かべてもおかしくないものだ。名が知られているという事は、それだけ多くの人が食べているという事。舌が肥えているという事。

 料理だけではなくこういった審査の場において、名の知られているものにはデメリットが多い。人の目に多く触れるものには審美眼が備わる。有名でよく知っているからこそ、ハードルが上がるのだ。

 遠月学園秋の選抜。多くのVIP……料理界の重鎮がゲストとして訪れ、無様な品をさらせばその時点で料理人として成り上がる未来が消滅するかもしれない大舞台。

 そのような状況の中、なぜ誰もが知っている料理を選択したのか?

 

「上手いことまとめとるけど、スパイスにも特別なものを使っとるようには見えない……」

「彩もきれいですし完成度は高いようですが、これといって特別な点があるようには」

「ただのスープカレーでは話にならないわよ」

 

 第一印象では葵の品に対する、なつめを含め審査員らの評価は辛い。言葉の端々に鋭い棘の様なものが感じられた。だが鋭い言葉を浴びせられているにもかかわらず、葵は静かに微笑を浮かべている。

 明らかに不利な状況の中、葵は笑みを崩さない。どころか楽しんでいるようにすら見える。

 それはきっと葵の料理には、なにがしかの秘密があるからだろう。気づかれていないことを、楽しんでいるのかもしれない。創真には葵の料理に何が隠されているのかが分からなかった。

 

「前言撤回だ、幸平。四位タイで決選投票にはならない」

「……葉山?」

「あいつが上がってくる」

「どうして言い切れるんだよ?」

「わかんないのか? あいつの……斬島の、料理すげえよ」

 

 束の間、言葉に詰まった。アキラは分かっているのだ。創真自身が分からなかった、葵の料理の秘密を。創真とアキラでは料理人としてのセンスに差があることを、否が応にも実感してしまう。

 だがそれが力の差につながるわけではない。胸の奥に溜まった閉塞感と共に深く息を吐いて、創真は審査に目を凝らす。

 

  ☆☆☆

 

 五人の審査員の前に葵の料理が並び、それぞれが彼の品を口にした瞬間、五人の表情が変わった。

 数分前、料理を提供された時のどこか(あなど )ったような表情は消え去っている。

 彼等にあるのは、二つ。自らの予測を裏切られた衝撃の表情。そして目前の品の真価を見極めんとする姿だ。

 

「……斬島くんだったかしら? ただのスープカレーと言ったこと撤回するわ」

「特別なスパイスを使わなかったのには、理由があったのか!」

 

 全審査を通して最も高圧的だったなつめが真摯に謝り、そのほか四人の審査員も驚きを隠し切れない様子で葵の評価を改める。

 なつめ等審査員に微笑んでから、葵は自らの料理のタネを明かす。創真にはその光景が彼の背中が、少し眩しかった。

 

「スープには鶏ガラをベースに味噌と豆乳を加え、最後に四種類のスパイスで味を調えました。コリアンダー、ターメリック、クミン、レッドペッパーとご明察の通り基本的なものばかりです。そしてライスにはインディカ米を使用しココナッツ風味に仕上げました」

「スープカレーは、その性質上水分がとても多い。日本米を使わなかったのは、ライスが水分を吸ってしまわないようにするためね。インディカ米の欠点である独特な匂いは、シンプルでありながら風味の良いココナッツを合わせることでカバーしている。クセの無いスープとそれによく合うライス……言い換えればそのどちらにも ()()()()()

 

 創真の目に葵の品は、味噌と豆乳を加えられ和風テイストにされていること以外は普通のスープカレーに見えた。何かが隠されていることを本能的に感じ取っていたとしても、特別な才能を持ち合わせていない創真にはその本質までは分からない。

 

 ──だからこそ考える。

 

 和風テイストのスープカレー。ライスにもスープにも特別な仕掛けが施されていないのだとしたら、果たして隠されたタネとは何なのか?

 

「スープカレーには、二つの特徴があります。一つはコクとキレのあるベーススープと、味と香りをストレートに伝えるスパイスをかけ合わせる事。そしてもう一つが具材をスープと別調理することで引き出される、素材の風味そのものの美味しさです」

「具材に使われているこの肉。外側はカリカリになるまで焼かれているにもかかわらず、内側は驚くほど柔らかい……この調理方法はコンフィね!」

「その通りです。そしてコンフィ特有の柔らかさをさらに生かすために、今回は白レバーを使用しました」

「濃厚な脂の美味さと甘さ、トロッとした食感を楽しめる白レバー。それをコンフィにすることで柔らかさが増し、口にした瞬間にスープと混ざり合う……スープやライスに特別な手を加えなかったのはこれが理由ね。スパイスやスープによる味の主張を抑える事で、その分ストレートに白レバーの美味しさが伝わってくる」

 

 創真の背中に冷たい汗が、虫が這う様に流れる。

 葵の料理。その仕掛けを理解した瞬間に襲ってきたものは、胸を鋭いもので衝撃だった。葵が行ったカレーに対するアプローチの方法が、創真には全く思いつかなかったからである。

 カレー料理という縛りの中でメニューを考えたとき、創真はこう考えた。

 

 ──スパイスを活かすには、どうすればよいのか?

 

 カレーと言えばスパイス。スパイスと言えばカレー。もはや対偶の関係といってもいいほどに、両者は深く結びついている。スパイスの種類。ブレンドを行う際の取捨選択。油や調理法の選択肢。

 創真はスパイスの効果を使うことで、旨味やコクを引き出した。アキラを含む他の選手たちもそうだろう。

 だが、葵は違った。

 葵の品はスパイスの働きを敢えて抑え主張をなくすことで、その分ストレートに食材の美味しさを引き出したのだ。

 未だ審査員から賞賛を受ける葵の後姿を瞳に映す。

 線の細い背中が、創真には眩しく見えた。

 

『と、得点は……』

 

 ──94。

 

 ☆☆☆

 

 まるで星が降ってくるような夜空の下。頬を撫でる夜風が思いがけないほど冷たい。

 秋の選抜予選から数時間後。予選の終結を記念して開催されたパーティから抜け出した創真は極星寮二階のバルコニーから、空を眺めていた。

 

「創真くん……ここにいたんだ」

「……あれ、どーした田所?」

「えっと、なんだか創真くん……ちょっと様子が変だったから」

 

 こちらを気遣うような穏やかな声。視線の先には、田所恵がこちらを窺うようにして立っていた。

 再び冷たい夜風が吹いて、今度は彼女の黒いおさげ髪や生地の薄いゆったりとしたワンピースを揺らす。

 恵もまた創真と同じようにバルコニーの淵に手をつき、小さな息を少し吐く。

 

「予選突破おめでとう、創真くん。本戦も頑張ってね……応援してるよ」

「……結果は1位タイの二人と一点差の二位タイ。マジで勝ちに行ったんだけどな」

「ほんとに、接戦だったね」

「気持ち的には五人全員から満点貰う気でさ……」

「うん」

 

 創真の言葉を恵は微笑みながら、聞いてくれていた。本当は自分が一番悔しいはずなのに。

 初めて出会った頃の、自分にも自分の料理にも自信が持てなかった彼女の影はもうない。創真と恵は出会ってからまだ半年しかたっていないけれど、彼女が努力を研鑽を重ねてきたことは創真が一番よく知っているつもりだ。

 そんな彼女が自分のことを応援してくれている。がんばれと声援をくれている。

 夜の空気に充てられたのか、創真はこんな言葉を口にしていた。

 

「葉山は俺が知りもしなかったスパイスを駆使して、飛んでもねぇ品を作りやがった」

 

 そして。

 

「斬島は俺とは全く違うカレーへのアプローチで、予想もできないような品を作った」

 

 ただただ、悔しいのだ。

 

「俺はもっと色んな世界を知りたい。色んな食材とか調理法……現場に触れて武器を増やしてその全部を()()()()の皿に注ぎ込む」

 

 もっと。

 

 

「強くなりたい」

 

 

 


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