十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第二十四話

 冷たく澄んだ秋の光が樹木の間に差し込んで、静謐を保つ並木道に淡く溢れる。まだ人の息の混じっていない清澄な朝の空気が、曙色の滲む朝焼けの空が一日の始まりを告げている。

 並木道の先にある大会場を目で見据え、少女は小さく息を吐く。

 

 ──大丈夫、だよね。

 

 柔らかな風が吹いて、三つ編みのおさげ髪が揺れる。少し乱れた黒髪を手櫛で整えながら、田所恵は自分に言い聞かせるように心の中で呟く。

 恵は数ヵ月前まで──遠月学園で行われた宿泊研修から帰るまで、自分の料理にそして自分自身に自信を持つことができずにいた。

 学園での成績は最下位。

 良くも悪くも点数で自らの料理が測られる環境の中、恵の心は逐日擦り減っていく。料理の世界は厳しく、生半可な気持ちではやっていけないことくらい恵だってわかっている。だからこそ自分の能力が否定された時、何を支えに何をよりどころにやっていけばいいのか時折見失ってしまう。

 ……幸平創真の言葉が、心の在り方を変えた。

 

『料理ってのは、皿の上に自分の全部を載っけることだ』

『余計なことは考えんな。田所(おまえ )らしい料理を作りゃいい!』

 

 学園のOB四宮小次郎と自身の退学(クビ )をかけて対決した時に、創真が恵に贈ってくれた言葉だ。

 

 ──自分らしく、自分にできることを。

 

 そう思いあれほど不安に押しつぶされそうだった宿泊研修も乗り切ることができた。なんとか小次郎と引き分け、学園に残ることができたのだ。

 ……だけどもし創真がいなければ創真の力がなければ、自分なんて──。

 

「めっぐみぃっ! 久しぶり!!」

「わっ、悠姫ちゃんっ?!」

 

 いきなり背後から抱きしめられ、過去へと埋没する恵の意識はすぐさま現実へと立ち戻った。瞠目しながら恵が振り向くと、そこにあるのは天真爛漫な笑みを浮かべる吉野悠姫の姿だ。

 悠姫とは同じ屋根の下……極星寮に住む仲間であり、遠月学園中等部に入学した時からずっと恵が仲良くしてきた親友だ。明るい色の髪をツインテールのお団子に纏めた彼女は、華奢な体躯を恵と同じく遠月の制服に包んでいる。

 恵と悠姫は足並みを揃え会場へと歩き出した。

 

「……いよいよ、始まるね。秋の選抜」

「はぁ、緊張するなぁ。そういえば、恵も地元に帰省してたんだよね? 調子どお?」

「うん、私なりに……準備したつもりだよ」

 

 夏休みも後半になると恵や悠姫を含めた極星寮の一年は、創真を除き全員実家に帰省していた。恵はもともとお盆には帰るつもりだったが、帰省する理由のもう一つあった。選抜で出題された料理のお題……カレー料理の糸口を見つけるためだ。カレーと向き合う事。即ちスパイス……香りと向き合う事。その解答として恵は帰省中、地元の食材と様々なスパイスとの相性を試していた。

 そしてその答えは見つかったと思う……だからきっと。

 

 ──大丈夫、だよね。

 

 ☆☆☆

 

 ……いったいこの大空間には、どれほどの人数が収容できるのだろう? 

 そんな事を思ってしまうほどに、その会場は大きかった。遥か高い天井。数えるのも億劫になる客席の数。それだけでも威圧感を覚えるというのに、会場中に漂っている空気が張り詰めている。会場に入ってすぐに創真を含めた極星寮の仲間と出会う事が出来たのは、もっと言えば会場に入る前に悠姫に出会う事が出来たのは幸運だった。もしもこの会場に一人きりだったら、恵の身体は緊張で強張っていたことだろう。

 一瞬会場が暗転し、そしてまたすぐに煌びやかな光に包まれる。

 

『ご来場の皆さま、長らくお待たせ致しました。会場前方のステージにご注目下さい。開会の挨拶を、当学園総帥より申し上げます』

 

 スポットライトで照らされたステージを目を細めながら見ていると、壇上に壮年の男性が現れる。纏っている着物の上からでも分かるほどに鍛えられた肉体、切れ長の鋭い眼光の奥からは強者の風格が滲み出るようだ。遠月学園総帥……薙切仙左衛門は泰然とした動作でステージの中央に立ち、瞑目し深く息を吸い込む。

 

「ぐむっ……グホッ」

 

 盛大に咳込んだ。

 

「ゲホゲホ……ゴホゥ」

「そ、総帥っ!?」

「……心配無用。むせただけじゃ……この場所の空気を吸うと、気力が心身に廻ってゆくのが感じられる……」

 

 ……大丈夫らしい。咳ばらいを一つする間に、仙左衛門は真剣な表情を作り言葉を紡ぐ。

 今現在、恵たちが集まっている会場は通称……「月天(がってん )の間」。本来は“十傑同士”の食戟でのみ使用を許可される場所。そのため会場の壁面には、歴代第一席獲得者への敬意を込め肖像が掲げられている。数々の名勝負と数々の必殺料理(スペシャリテ )が此処で生まれた。だからこそ、此処には漂っているのだという。

 

 ──(おり )のように連綿と続く、(たたか )いの記憶が。

 

「……秋の選抜本戦は、この場所で行われる。諸君が此処に、また一つ新たな歴史を刻むのだ。再びこの場所で会おうぞ──遠月学園第九十二期の料理人達よ!」

 

 仙左衛門が言葉を締めくくると、一拍おいて生徒たちは怒号にも似た歓声を上げる。続いてい開会宣言でボルテージの高まった生徒たちに、予選のルール説明が行われた。レギュレーションは事前に伝えられた通り、テーマはカレー料理。食材は会場内に用意されたもの、もしくは持参したものも使用可。制限時間は三時間。そして予選出場者の中から本線トーナメントに進めるのは、合計八名。

 つまり恵や創真のいるAブロックから四名、悠姫のいるBブロックから四名が本戦に出場できるという事だ。その四人の枠に入ることは、容易な事では無い。だけどビビッていたって仕方ない。恵に出来る事は、自分の料理を精一杯作るだけ。

 

 ──息を深く吸った。

 

 波立ち騒いで落ち着かなくなる感情の起伏を、鎮めるために。

 

『出場者は速やかにABそれぞれの会場へ移動してください。今から約一時間後十一時より……予選を開始致します』

 

 ☆☆☆

 

 調理開始からすでに二時間半が経過したAブロック会場。極限まで張り詰めた弦のような緊迫感に包まれる会場の空気の中で、未だ幼い料理人達がそれぞれ畳み掛ける様にして調理の技を繰り出している。負けられないのは皆同じ。今日に至るまでに積み上げてきた研鑽を、今この場所で証明するために。それは、恵だって同じだ。負けられない。今までに自分を支えてくれたかけがえのない沢山の大切な人達の為にも。

 

 ──やった、出来た。

 

 鳴り止まぬ歓声。驚嘆の声。

 恵はその小さな背中に、会場中の視線を感じた。注目を集めた理由は、たった今恵が行ったアンコウを解体した方法の所為だろう。

 吊るし切り。アンコウの下顎に鉤を引っ掛け吊るした状態で捌いていく、伝統的な解体法。宙吊りの安定しない状態で包丁を入れなければならない為、吊るし切りは酷く難しい。幼少期の経験がなければ、恵にこの魚は扱いきれなかっただろう。ボールとザルを重ね、その中に捌いたアンコウの切り身を入れる。切り身に沸騰直前のお湯をかけ、表面が白くなるまで数十秒ほど霜降りしていく。霜降りとは、魚や肉を煮込んでいく時に素材の臭みを料理に移さないための下処理のことだ。湯をかけることで臭みの元となる血合い、ぬめりなどを落としていく。白く濁った湯を捨て、切り身を冷水にさらす。最後にザルをあげれば下処理の完成だ。

 下処理を終えた恵は、次の調理工程へと移る。会場の中央にある食材の山から、オールスパイスなど数種類の香辛料を探し出し急いで調理台へと戻る。

 

「……わ、わっ」

「おっと」

「ご、ごめんなさいっ」

 

 いつもと違う環境。集中力のリソースを全て料理に割いていた所為だろう。周りを見るという事を忘れ急ぎ足になった恵は、人にぶつかってしまった。相手に対し頭を下げ、もたつきながらも謝罪の言葉を口にする。恵が顔を上げると、目の前には見知った顔があった。いやこちらが一方的に知っているだけで、向こうは恵の顔なんて見覚えがないだろうけど。

 性別を感じさせない中性的な容姿。癖の無いサラサラとした黒髪。華奢で線の細い体に、襷掛けされた藍色の着流しを身に着けている。斬島葵。中等部の頃から、何かと周囲の注目を集めている人物だ。恵と同じくスパイスを探しに来たのだろう。葵の白く細い手には透明のガラス瓶が握られていて、粒状の香辛料が透けて見えている。

 

「気にしなくていいよ……お互い頑張ろうね」

「う、うん。ありがとう」

 

 柔らかく微笑むと、葵は調理台に戻っていった。遠ざかる葵の細い背中を見つめながら、恵の心の中には拭いきれない違和感が残っていた。

 

 ──どんな料理を作るんだろう?

 

 葵が手に持っていたスパイスは、四種類。甘く爽やかな香りのスパイス、コリアンダー。鮮やかな黄色が特徴のスパイス、ターメリック。エスニックな香りのスパイス、クミン。辛みが特徴のスパイス、レッドペッパー。カレーを作る上で最も基本となるスパイスしか、手に取っていなかった。もちろん何十種類のスパイスを使えばいいというわけではない。スパイスの数がカレーの美味しさに、直結するわけではないからだ。

 だけど基本に忠実にカレーを作ったとして、それで勝ち残れるほど秋の選抜は甘くないだろう。さらには彼がただ普通のカレーを作ってくるとも、恵には思えないのだ。

 

『まもなく審査開始となります。各自盛り付けに入ってください』

 

 いけない、急がないと。

 恵は思考を打ち切って、自らの調理台へと急いだ。

 

 


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