十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第二十二話

 ──めっちゃ足痛い。

 

 斬島葵は心の中で、そう呟く。

 さもありなん。葵は正座で三十分もの間、薙切えりなにお説教を受けていたからだ。体感としては、三時間くらいの気分だった。

 ちなみにお説教されている時、新戸緋紗子にアイコンタクトで助けを求めた葵だったが、緋紗子はふいっとそっぽを向いて助けてはくれなかった。

 それどころか、先に外にある掲示板まで行っています、とえりなに言い残して緋紗子はその場を去っていった。なんとも薄情な奴である。

 おのれ新戸緋紗子、許すまじ。

 

 そして今現在。

 お説教から解放された葵は、校舎の中庭にある秋の選抜出場者が貼り出された掲示板を見るために、柔らかな陽射しの差し込む廊下を歩いていた。

 薙切えりなお嬢様と共に。

 

「……あの、えりなさん?」

「なによ」

「機嫌悪い?」

「悪くないわよ!」

 

 言動と感情が一致していない。お嬢様は、とっても不機嫌だ。えりなは此方に振り向くこと無く、怒気を孕んだ口調で告げた。

 張り詰めた空気が痛い。ついでに長時間の正座のせいで、足も痛い。

 

「だいたい、葵くんは料理以外の事に構っている時間なんて無いでしょう。遊びにかまけて秋の選抜で予選落ちなんて、許さないんだからっ!」

「……もしかして僕が予選落ちしないか、心配してくれてる?」

「な、ななっ、なに言ってるのよ。なんでそうなるのよ。そんなわけないでしょっ」

 

 えりなが足を止めて、凄い勢いで此方に振り向いた。暖かな陽射しを浴びて溢れんばかりの光を放つ金色の髪が、踊るように揺れる。

 薄っすらと紅潮した頬。透き通るような菫色(すみれいろ)の瞳は、動揺のせいか散大しほんの少し潤んでいる。

 常に余裕と自信に満ち溢れたえりなのイメージとは程遠いその姿は、なんというか子供っぽく幼い印象を受ける。

 

「あ、葵くんの事なんて、これっぽっちも心配してないわよ。いい、よく聞きない? 私は飽くまで選抜を運営する立場として、良き品を披露してもらいたいだけなの。ただそれだけなの。勘違いしないでよねっ!」

「……そんなにムキにならなくても」

「なってないわよ! 全くもう、変な事言わないでくれるかしら」

 

 もうこの話は終わりだ、とばかりにえりなは強引に話を打ち切った。こほんと咳払いをした後、スカートをふわりと翻して、再び廊下を歩き出す。

 葵も彼女の後を追いかけて……。

 

 

 

「ねぇ、えりなさん。心配してくれて嬉しかったよ?」

「だから、心配なんてしてないわよっ!」

 

 

 

 ☆☆☆

 

 遠月学園校舎の中庭。

 滑らかな緑の毛氈(もうせん)を敷きつめたように隙間なく生え揃った芝生と、丁寧に掃き清めらたことがよく分かる綺麗な石畳み。

 豊かな緑と人工物が調和した空間には遠月学園の生徒達が集まり、何処か雑然とした雰囲気に包まれていた。

 

 中庭まで辿り着いた、葵とえりな。

 強気で勝気なお嬢様の歩くたびにサラサラと揺れる金色の髪をぼんやりと眺めていた葵は、その黒曜石のような瞳を中庭の生徒達へと向ける。生徒達は秋の選抜出場者が貼り出された掲示板を見て、三者三様の反応を見せていた。

 中庭へと一歩踏み出す。

 夏の到来を感じさせる、暖かいというよりは暑いとさえ思える陽射し。その陽射しを反射した芝生から、濃い緑の照り返しを受けて少し目を細める。

 

「……暑っ。アイスとか食べたい」

「何言ってるのよ。葵くんが言い出したことでしょ。ほら、行くわよ」

 

 透き通った菫色の瞳が、胡乱げに此方を見つめてくる。

 ともすれば怒っているような口調。しかしえりなの精緻な西洋人形のように整った顔立ちは、怒っているようには見えない。

 どちらかと言うと、聞き分けのない子供に言い聞かせるような、そう言った響きを含んでいる。

 葵が首肯すると、えりなが掲示板に向かって歩き出す。するとその姿に気が付いた生徒達が、慌てた様子で道を譲る。人並みを切り開くその姿は、旧約聖書に出てくるモーゼが紅海を割るようだった。

 ……いや、モーゼ見たこと無いけど。というか聖書なんて読んだこと無いので、曖昧模糊たるにわか知識だけど。

 

「葵くんはAブロックで、緋紗子はBブロックよ」

「あ……幸平くんとは、同じブロックか。どんな料理を作るんだろう、楽しみだね。えりなさん」

「…………私は全く楽しみじゃないわ」

「あ、はは」

「そんなことよりも、緋紗子は何処かしら?」

 

 掲示板に貼り出された選抜者を確認する。見知った名前があったので話を振ってみた葵だが、えりなにはお気に召さなかったようだ。

 そんなこと扱いの幸平創真。えりなは自分の興味がそそられない事に関しては、驚くほど冷淡である。

 辺りを見回して従者を探すえりな。葵もそれに(なら)うと、まるで図ったようなタイミングでその従者の声が聞こえてきた。

 

「あの、アリスお嬢。何度も申し上げますけど、私は秘書子ではありません。緋紗子です」

「分かってるわよ、秘書子ったら元気ね?」

「うぅ、緋紗子なのに……」

 

 掲示板から少し離れた、壁際のベンチ周辺。

 そこで緋紗子は、銀色の髪が印象に残るスラリとした雰囲気の少女に絡まれていた。

 二人の後ろには、緩くウェーブした黒髪でダウナーな感じの男がやる気なさげに立っている。

 

 ──名前くらい、きちんと呼んであげればいいのに。

 

 葵は自分の事をかなーり高い棚に上げて、心の中で呟いた。もしも口に出していたら、『お前が言うな』と言われること間違い無しである。

 なんとなくその光景を見る葵の隣で、えりなが少しため息をついた。

 

「はぁ、あの子はまた緋紗子に絡んで……」

「あ、えりなさんの知り合いなの?」

「薙切アリス。私の従姉妹で、五歳まで一緒のお屋敷で過ごしていたわ」

「えりなさんの従姉妹か。()()()()()()

「へぇ……ふーん、そう」

 

 突然えりなの声のトーンが低くなり、無機質で冷たい雰囲気を纏う。冷ややかな菫色の瞳が葵を捉える。

 ドリフトを決めて急降下するえりなのご機嫌。それには一切合切気付くことなく、葵はアリスと呼ばれる少女を見ていた。

 片方を肩口まで垂らした、美しい銀の髪。半袖のカッターシャツや制服のスカートからは、雪のような肌がスラリと伸びている。

 少し子供っぽい雰囲気のある、白皙(はくせき)の美少女だ。

 暫くして葵の視線と意識が、アリスから逸れる。それはご機嫌斜めのえりなの、とある行動からだった。

 

「……あの、えりなさん?」

「なによ」

「僕の足をグリグリと踏み続けるのを、やめてもらえないかな?」

「……葵くんが悪いんだから」

「と、とりあえず、靴を退けるところから始めてみようかっ」

 

 鈴の鳴る綺麗な声音で小さく呟いた後、まるで拗ねたように頬を膨らませそっぽを向くえりな。

 自らの行き場の無い感情をぶつけるかの如く、彼女はチェックのスカートから伸びる細く白い足で力いっぱい葵の足を踏み続ける。とても痛い。

 なぜそんなことをするのか。えりなの意図が分からなくて、葵は混乱してしまう。

 

 ──解せぬ。自分の何が悪いんだろうか? ……もしかして頭?

 

 頭に疑問符を浮かべる葵に、えりなが呆れたような諦めたような深いため息を吐いた。此方を見つめてくるじっとりとした目線は、こいつには何を言っても無駄だと言うようである。

 此方を見てもう一度ため息を吐き、緋紗子とアリスの方へと向かうえりな。葵もそれに倣う。

 

「……アリス。私の従者を、からかわないでくれるかしら?」

「あら、えりな。だって仕方ないでしょう? 秘書子をからかうのって、面白いんだもの」

「貴女って相変わらず自分勝手。小さい時から全く、成長してないのね」

「まぁ、自分勝手はえりなの方でしょう? 三歳の時、私のおもちゃを取り上げたし……四歳の誕生日に焼いてあげたケーキは、不味いって言ったし……忘れもしない五歳の時には……」

「う、うるさいわね」

「まぁ、いいわ。今日はこのくらいにしておいてあげる」

 

 えりながアリスと言い争っている光景を、葵は物珍しい様子で見ていた。それは言葉の端々から、互いの事をよく知っているということが伝わってきたからだ。

 喧嘩するほど仲が良いとは、よく言ったものである。

 そしてやっとアリスから解放された緋紗子が、えりなと葵の方へ重苦しい足取りでやってくる。気のせいか、その姿には哀愁が漂っていた。いとあわれなり、新戸緋紗子。

 

「ねぇ、貴方が斬島葵クンでしょ?」

「そうだけど……」

「やっぱり! 宿泊研修の時から、顔と名前は知ってたんだけど話す機会はなかったの! 選抜には出るわよね、Aブロック? それともBブロック?」

「Aブロックだよ」

「……なら、リョウくんと同じか。あっ、まだ名乗って無かったわね、初めまして。私は薙切アリス。えりなと被るとややこしいから、アリスでいいわよ?」

 

 えりなとの会話に一区切りを付けたアリス。後ろで手を組みながら三歩ほど此方へ距離を詰めて、葵に上目遣いで話しかけてくる。

 普段は落ち着いた様子のえりなと比べると、アリスは快活といった印象を葵は受けた。

 

「なら僕も葵でいいよ、よろしくね。アリスさん。後ろの人は?」

「この子が、黒木場リョウくん! 私のお付きなの 」

「……うす」

「ほら、葵クンに私の生い立ちを説明しなさい」

「はぁ……えぇっと」

「もっとハキハキ喋りなさいよ。もういいわ! 私から説明します!」

「……」

 

 唖然とした様子のリョウ。しかしそれには一切目を向けることなく、アリスはベンチに腰掛けて両腕を組み話し始めた。

 

「私のお父様はお母様の故郷でもある北欧……デンマークを本拠地として【薙切インターナショナル】を設立しました。そこは分子ガストロミーに基づいた最新の調理技術の研究をはじめとして、味覚や嗅覚のメカニズムを探求する大脳生理学までも包括している……美食の総合研究機関なのです!」

「な、なるほどなるほど。ぶんしがすとろみー。わかるわかる」

 

 あれ? やっばい。

 えりなと緋紗子が白い目でこっちを見ている。知ったかぶりは良くなかったかもしれない。

 

「葵、分子ガストロミーがどんなものか分かってるのか?」

「……ぐぬぬ」

「……はぁ、葵くん? 分子ガストロミーは、分子美食学とも呼ばれ、料理を化学的に解析・応用する分野のことよ」

 

 緋紗子に質問され返答に窮した葵に、えりなが助け舟を出してくれた。そんな残念なものを見るような目で、見なくたっていいのに……。

 

「むぅ、まだ私が話してる途中でしょ! 私は十四歳までそこで過ごし、遠月へやってきたの。えりなを打ち負かし、遠月の頂点に立つためにね……!」

「最新技術をありがたがる料理人如きに、私の料理が負けることはあり得ません」

「いつまでもそんな風に、女王様気分でいられると思わないことね」

「忠告ありがとう……一応頭に入れておきます。下々の戯言としてね」

「むぅ、兎に角! えりなにも葵クンにも()()()にも、負けませんからねっ。ほら行くわよ、リョウくん!」

 

 アリスが銀色の髪を撫で、ベンチからすっと立ち上がる。そしてリョウを連れ立ち去って行く。

 

 

「……だから、私は緋紗子なのに……」

 

 

 最後まで残念な、秘書……緋紗子だった。


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