十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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選抜編
第二十一話


 微睡みの中で、夢を見た。

 酷く生々しい、現実味を帯びた夢だった。

 照明の付けられていない仄暗(ほのぐら)い部屋。

 自分と思われる金色の髪をした女の子がとても悲しげに目を伏せ、部屋の中心で佇んでいる。

 視線の先で、肩を震わせてうずくまっているのは、自分のよく知っているサラサラとした黒い髪を持つ男の子だ。

 その部屋はまるで世界から切り離されたように、静寂を保っていた。怖いくらいに静かだ。

 扉の向こうからは(かす)かな喧騒や、その残滓のようなざわめきが聞こえてくるくらいで……。

 

 

 だから目の前の男の子が泣いていることが、今にも消えてしまいそうな泣き声が、痛いほど伝わってきた。

 

 

 辛そうで、ひどく痛々しくて、見ていられない。

 どうにかして笑顔になって欲しい。慰めてあげたい。ちからになりたい。

 そういった感情は間違いなく心の中にあるのに、どうすればいいのか分からない。

 

 ──嗚呼、自分はなんて無力なんだろう。

 

 かける言葉が、どうしても見つからない。

 だって男の子はなにかひとつ衝撃を与えるだけで、全てが崩れてしまいそうなくらい儚げだったから。

 

 

 目覚まし時計の電子音がうるさくて、夢から覚めた。

 微睡みから現実に引き戻されて時間の経過と共に、ひどく曖昧な夢の記憶が……その記憶の残滓がまるで泡沫(うたかた)のように儚く、弾けて消えていく。

 

 だけどきっと忘れてしまった記憶も、いつかは必ず思い出すのだろう。

 記憶には、不可逆性がある。

 誰しも知ってしまった後では、知らなかった前には戻れないのだから。

 

 それがいつになるかは、まだ分からないけれど。

 

 ☆☆☆

 

 遠月十傑評議会。

 遠月茶寮料理學園における学内評価上位十名の生徒達によって構成される、学園の最高意思決定機関である。

 学園の持つ一部の権力と財力を手中に収める彼等彼女等は、其れ相応の対価として十傑の責務を果たす必要がある。

 十傑の末席に名を連ねる薙切えりなも、その責務を果たすべく本日の審議に出席した。その審議は秋の選抜の出場者の選定ということもあり、多少の滞りはあったが最終決定を迎えた。

 えりなが審議の資料をファイルに収める間に、他の十傑達はぞろぞろと席を立つ。皆、やるべき事が山ほどあるのだろう。もちろんえりなにも、やるべき事が沢山ある。この後にも、味見役の仕事が入っていた筈だ。

 鞄を掴み席を立つえりなの視界には、まだ残っている二人の先輩の姿があった。

 

「なー、司。これ抹茶クッキー、京都に行った時のお土産」

「り、竜胆が俺に何かをくれるなんて、裏がありそうで怖いんだけど……」

「あ?」

「い、いや、なんでもない。頂くよ、ありがとう」

 

 遠月十傑第二席である小林竜胆が、同じく十傑第一席である司瑛士に話し掛け……否、絡んでいた。

 しかしそれを見るえりなの顔に、動揺の色は無い。さもありなん。何故ならば、竜胆が瑛士にまるでチンピラのように絡んだり、傍若無人な態度で仕事を押し付けたりすることは遠月十傑評議会の中では()()()()()()だからだ。

 ……ちなみにえりなが絡まれている第一席に、助け舟を出したことは一度も無い。触らぬ神に祟りなし。えりなは実にしたたかだった。

 

「よし、食べたよな。これで六月の連休中、司に押し付けた仕事はチャラだからっ!」

「……え?」

「あっ、薙切ちゃんも食うー?」

 

 まるで狐につままれたかの様に、呆然として虚脱の状態になる瑛士。呆気に取られて二の句が継げない第一席から、竜胆の興味はえりなに移ったようだ。

 竜胆が小首をかしげながら、えりなを見つめてくる。朱の点す巻き髪がふわりと揺れて、その何気ない所作が同性であるえりなから見ても絵になっていた。

 

「京都にある温泉旅館の売店で買ったんだけどなー。値段は高かったけどその分美味しいから、薙切ちゃんもどうかなーって」

「折角ですけど、すみません。あまり体調が優れなくて……」

 

 もちろん嘘である。えりなの体調はすこぶる良好だ。受け取らない理由は、ただ単純に仕事を押し付けられたくないからである。触らぬ神に祟りなし。えりなは実にしたたかだった。

 

「なら、仕方ないなー。お大事に」

「はい、ありがとうございます」

「さて、あたしも帰るかなー」

 

 竜胆が軽い足取りで部屋から出て、えりなもその後に続く。扉を閉める際、瑛士が深い溜息を吐いたような気がしないでもなかったが、えりなは気付かないふりをした。

 

 ☆☆☆

 

 それから数日後。天気晴朗な昼下がり。

 小暑から大暑へと移ろい行く季節。

 えりなは校舎の二階にある廊下から、窓の外を眺めていた。

 彼女の三歩後ろに控えるは、新戸緋紗子。肩口で切り揃えた薄桃色の髪が印象的な、凛とした美貌の少女だ。

 菫色の瞳にぼんやりと風景を映すえりなの頬を絹糸のような黄金の髪を、緩やかな涼風が撫でる。

 その風が心地よくて、えりなは浅く息を吐いた。

 

 硝子の向こう、校舎の中庭に集まる生徒達の様子は何処か浮ついている。そわそわとして落ち着きがないように見えた。

 考えられる可能性は二つ。

 今日が一学期の通知表が手渡され、夏期休暇への期待に胸躍る終業式の日だからか。

 「秋の選抜」の出場者が正式に発表されるからだからか。

 恐らくは後者だろう。もしくはその両方かもしれない。

 窓の淵に両手を置いて、えりなは緋紗子へ賛辞の言葉を贈った。

 

「選抜入りおめでとう。貴方の腕なら必然だわ」

「はい! えりな様の側近として、恥ずかしくない結果を出します。それと……ご安心下さい。幸平創真は私が成敗して参りますので!」

「……それ以上、あの男の話はしないで」

「も、申し訳ありません! 余計な事を……」

 

 何度でも言おう。えりなは、幸平創真の事が気に食わない。それは創真の作る安っぽく品性の欠片もない料理だったり、えりなの神経を逆撫でするような態度だったりと枚挙に(いとま)がない。

 だけど幸平創真の事を気に食わない一番の理由は、斬島葵と仲が良い事だ。

 宿泊研修の際に二人が知り合いだと分かってから、何度か話している所を見かけたことがある。その度に、えりなは思ってしまう。

 

 ──そんな奴のことなんか、構うことないでしょうっ?!

 

 えりなの方が葵と先に知り合ったのに。

 えりなの方が葵をよく知っているのに。

 とっても気に入っている綺麗な人形を、誰にも取られたくない子供のような。そんな小さな我執が薄靄のように、えりなの心に覆い被さるのだ。

 むくれてしまった様子のえりなと彼女に付き従う緋紗子に、声をかけてくる人物が一人。

 

「あっ、やっほー。えりなさん、緋紗子ちゃん」

 

 斬島葵だった。

 聞き慣れた柔らかい声を耳にして、えりなのなだらかな肩がふわりと(さざなみ)をうつ。

 性別を感じさせない中性的な容姿と、サラサラとした黒い髪。えりなや緋紗子と同じように身に纏うのは夏服で、腰には黒いサマーカーディガンが巻き付けられていた。

 振りかえって葵の姿を見つけた途端、えりなの表情は雪解けの後に咲いた春花のように華やぐ。窓の淵を掴んでいた両手も無意識に離れた。

 しかしその次の瞬間には、反射的に行ってしまった自身の行動が急に恥ずかしくなって、両手を腰に当ててふいっとそっぽを向く。

 結果として、えりなの表情の変化に緋紗子も葵も気が付くことはなかった。

 緋紗子はえりなの背後に控えるため、主人の表情を見ることは出来ない。

 それなら葵はという話になるが、彼はそのような変化に気付くほど目敏くない。

 えりなは感情の起伏を悟られないように浅く息を吐き、廊下の壁に身体を預けた。

 

「これから選抜出場者の発表見に行くんだけどさ、えりなさんと緋紗子ちゃんも一緒に行こうよ」

「そんなことしなくても、葵くんは選ばれてるわ。それに緋紗子も選抜入りを決めているし、今更見に行く必要なんて……」

「でも他に誰が出場するのか気になるし、緋紗子ちゃんも気になるでしょ?」

「それは……まぁそうだが」

「なら、決まりだね。三人で行こうか」

 

 薄く微笑んで葵は歩き出す。その後をえりなと緋紗子は追う。

 葵や緋紗子の出場する、秋の選抜。

 文字通り遠月学園の高等部一年生の中から選抜された六十名が、まずAグループとBグループの二つのブロックに分けられる。

 選抜ではそれぞれのブロックで予選を行い、各ブロックの上位の生徒が本戦トーナメントの出場権を得るのだ。

 

「それにしても、暑いなぁ。だから夏は嫌いなんだよ、早く冬になればいいのに」

「あら葵くん、去年の冬とは全く逆のことを言うのね」

「そうでしたね、えりな様。冬なんて大嫌いだ! 早く夏になればいいのに。と、葵は悪態をついてました」

「……物覚えがいいね。流石は秘書子」

「秘書子じゃない、緋紗子っ!」

 

 拗ねてしまった緋紗子を、葵が宥めるまでが一セット。

 

「お、怒らないでよ、緋紗子ちゃん。あ、そうだ! 今度いいものをあげるよ。抹茶クッキー」

「いらない!」

「そんなこと言わないでよ。六月の連休に京都の温泉旅館で買ったんだけど美味しいんだよ……値段は高かったけど」

 

 その瞬間に例えようのない違和感を、えりなは感じた。

 葵と緋紗子の会話の中で、えりなには聞き覚えのある単語が出てきたからだ。

 京都の温泉旅館にある抹茶クッキー。数日前の十傑会議で竜胆がえりなに勧めてきた品。

 葵も竜胆も、六月の連休に京都にいた。そして二人とも温泉旅館で抹茶クッキーを買った。

 これを偶然だと思うのは、ちょっと無理だ。

 緋紗子へと必死に抹茶クッキーの美味しさを語る葵に、えりなは冷たい声音で問いかける。

 

 

「ねぇ、葵くん。もしかして、連休中に京都に行ったの?」

「え? うん、そうだよ」

「六月の連休中、京都の温泉旅館に泊まったのね?」

「う、うん」

「誰と?」

「…………あ」

「私の予想が正しいなら、高等部三年生の小林竜胆先輩と京都に行ったんじゃないかしら?」

「…………」

 

 さっきまで暑いと言っていた葵の表情が青ざめている。

 状況を理解したのか緋紗子も、冷たい目で葵を見ていた。

 金色の髪を撫でるえりなの姿は、さながら夫の浮気を問い詰める妻のよう。

 しかし、これは決して怒っているわけではない。飽くまでお説教であって、えりなは怒っているわけじゃない。

 男女が二人っきりで旅行に行くなんて、風紀が乱れている。破廉恥だ。

 葵が二度とそんな破廉恥な事をしないよう、きっちり言い含める必要がある。

 ()()()()()()()()()

 

「葵くん」

「いや、えっと、その、あの。無理やりっていうか、拒否権が無かったというか……」

「そこに座りなさい」

「で、でも此処は廊下……」

「いいから早くなさい」

 

 この後、めちゃくちゃ説教した。


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