時は少し、遡る。
竜胆が遠月学園高等部の一年生になってしばらくの時が経った。才能の無い者は次々と振るいにかけられ、淘汰されていく。この頃になると、同級生の数は半分よりも少なくなっていた。一人また一人と涙を流しながら去っていく同級生を、何処か冷めた目で見つめていた事を覚えている。
そして竜胆は、遠月で料理の研鑽を重ねていく。自分が努力すればその分だけ、知識が増して技量が上がっていくのを実感できた。
しかし竜胆は秋の選抜本戦で、一つの壁にぶち当たったのだ。
司 瑛士という、壁に。
そんな中遠月学園に、学園祭の時期がやって来る。
☆☆☆
幾ら日本屈指の料理学校といえども、一般科目の講義だってあることにはある。
その日の最後の講義は英語で、担当の先生は何時もより少しだけ授業を早く切り上げた。
「えーと、皆さん知っているとは思いますが、今年も学園祭の時期が迫って来ました。我が校の学園祭では許可を受ければ自由に模擬店を出すことが出来ます。団体参加、個人参加共に締め切りは間も無くです。エントリーする方は早めにーー」
要するに学園祭があるらしい。もうそんな時期なのか、時の流れは早いものだ。
自分はどうしようか? 最近は自分の思い描くような、料理が作れない。そんな中でエントリーするよりかは、皆の料理を食べ歩いた方が面白い気がする。
そうだ、100種類以上ある模擬店を全て回り切れたら面白いかもしれない。
あっ、ダメだ。山の手エリアのコースディナーは高すぎてお金が足りない。
「それでは、ここで本日の講義は終了とします。皆さん、また明日」
「「ありがとうございました」」
食材の名前はすぐに覚えられるのに、英語のスペルは何故覚えられないんだろう?
そんな疑問を頭に抱えながら、竜胆はフラフラと廊下を歩く。すると珍しい人物に遭遇した。
「あ、こんにちは。竜胆」
「おー、司じゃん」
司 瑛士。竜胆達高等部一年生の中で、恐らく美食の頂きに最も近い男だ。
事実竜胆は、秋の選抜本戦で司に敗北した。
司の素材の良さだけをひたすらに突き詰めて研ぎ澄ました料理に、完膚無きまでに叩き潰されたのだ。
竜胆にとって、初めて敵わないと思った相手だ。
「そーいえば司は、学園祭にエントリーすんのかよー? お前色んな団体に誘われてんだろ?」
「しししし、しないよ! もし俺の料理の盛り付けを、崩されたりしたらと思うと……恐ろしいっ」
……もう少し堂々とすればいいと思う。しかしこの男は、気弱そうなフリをして、自分の料理には絶対の自信を持っているのだ。
いつか絶対にこの男に食戟を申し込もう。負けたままでは気が済まないのだ。
☆☆☆
遠月学園祭正式名称、月饗祭。
開催期間は5日間。来場者数はのべ50万人以上となる巨大フードイベントだ。
連日各地からツアー客が訪れ、学園内の遠月リゾートはフル稼働となる。
連日お祭り状態の遠月学園で、竜胆は当初の予定通り出来るだけ多くの店の商品を食べ歩いていた。
竜胆は色んな物を食べ歩いて、いよいよ中等部の模擬店に辿り着いた。
各クラスがそれなりにお客を集めているようだが、竜胆の目に止まったのはその中の一つ。中等部の模擬店の中で一番人を集めているクラスだ。
仮設された店を囲うように群がっている人々の歓声の声が、近づいてみると聞こえて来る。
──ねぇ見て、お母さんっ! 今度はお花の形だよ!
──ほらこっち見てみろよっ! いやマジ凄いって!
人の隙間から見えたのは、様々な造形をした魚や野菜たち。どうやらこの店は、寿司を題材にしているようだ。
紙皿をまるでキャンパスにでも見立てるかのように、様々な形をした寿司や付け合わされる野菜が彩りを加えていく。
その全てを作っているのは、一人の少年だった。
目や耳にかかる程度の長さのサラサラとした黒髪。あどけなさの残る中性的な顔立ち。漆黒の着流しに包まれた線の細い身体。
一般的な包丁よりも刀身の長い柳刃包丁を巧みに操って、食材に新たな命を吹き込んでいく。
着流しの彼が行っているのは、飾り切りを用いたライブクッキングだ。
既に完成した料理をお客に提供するのでは無く、お客の目の前で調理を行う演出のこと。
その効果は絶大である。
素材が料理へと姿を変えていくその様は見るものに高揚感を与え、それはそのまま味への期待感に直結する。
華やかなショーを見せつけられるように、竜胆は少年に心を奪われていく。
──面白いヤツ。
そう思った。
☆☆☆
それからしばらくと経たない内にして、人気を博していた寿司の模擬店は品切れとなり、店仕舞いとなった。
架設店舗の中の中学生達は模擬店が無事成功したことからくる安堵からか、弛緩した様子で後片付けを始める。
営業が終わったのなら、話しかけてもいいだろう、竜胆はそう思い着流しを着た彼に話しかける。
「飾り切り、上手いじゃん。名前なんて言うの?」
「えーと、斬島 葵です。……そんな貴方は?」
葵の表情に警戒の色があるのを、竜胆は感じとった。
まぁ、無理もないことかも知れない。上級生しかも高校生に話しかけられたら、よほどの大物で無い限り萎縮してしまうだろう。
竜胆は微笑みを浮かべて、自分の名前を告げる。
「あたしは小林 竜胆。竜胆先輩って呼んでいいぜー」
「初めまして。小林先輩」
「……竜胆先輩って呼んでいいぜー」
「分かりました。小林先輩」
──こいつ、可愛くねー!
しかし中坊相手にムキになるのも大人気が無い。
竜胆が心の中でイライラを鎮めていると、葵は何かを思い出したように此方に問いかけてくる。
「あ、そう言えば小林先輩って、秋の選抜の本戦で決勝まで出てましたよね?」
「…………竜胆先輩って呼べ」
「……あー、竜胆先輩は、本戦の決勝まで出てましたよね?」
「なんだ、あたしのこと、知ってたんだー」
「さっき思い出しました。竜胆先輩って料理上手だったんですね」
「そんな風には、見えない?」
「はい」
──こいつ、可愛くねー!
でも葵が竜胆のことを知っていても、何ら可笑しくはないのだ。
何故なら、選抜本戦メンバーは話題になるから。
現在の遠月十傑のその殆どは、選抜本戦への出場経験を持っているのだ。
それはつまり、次代の十傑は本戦に出場した者の中から選出されるということ。
言うなれば竜胆は、十傑候補といった所だ。
「葵はどうも、あたしの事を舐めてるなー」
「いきなり、名前呼びですか……」
「いや?」
「別に嫌では無いですよ、少し意外だっただけです。それと別に舐めてないです。本戦の決勝まで残ったことは素直に凄いと思います」
──最初から素直に言えばいいと思うのだ。
徐々に硬さが取れ弾んでいく葵との会話を、竜胆は心地よく感じていた。
少ししか敬われてないように思うが、先輩という響きは悪くない。
素晴らしい飾り切りを見せてくれた後輩にここは一つ、ご褒美をあげようかと思う。
何がいいだろう。やはり料理だろうか。
さきほど司にあってから感じていた閉塞感のようなものを、竜胆は感じなくなっていた。
今なら、素晴らしい料理が作れると思う。
「ふふーん。ではでは本戦決勝まで残った凄くて可愛くて美人な竜胆先輩が、特別に料理を振舞ってやろう」
「可愛くて美人とは言ってないです」
「え? いらない?」
「……いらないとは言ってないです」
──ほんと、こいつは素直じゃない。