十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第十七話

「……一緒の部屋?」

「ええそうよ。だってそっちの方が面白……こほんっ、何でもないわ」

「……美月さん、面白そうって言いませんでした?」

「…………いってないわ」

 

 葵がじっとりとした半眼で見つめると、廊下の壁に飾られた水墨画に美月はふいっと視線を逸らした。

 そして美月はジト目から逃れるように、廊下の豪華さに気を取られている竜胆に声を掛ける。

 

「ほら竜胆さん、部屋の鍵。無くさないでね?」

「わ、ありがと、美月」

「荷物を置いてしばらくしたら、私の部屋に来てね。昼から料亭で味見役をしてもらうわ」

「……ぶー」

「美味しい料理が食べられるわよ」

「よし、あたしに任せろ」

 

 むくれていたのも(つか)の間、竜胆はなんとも鮮やかな手のひら返しを見せる。

 (あけ)()す巻き髪が揺らめくのと共に、薄桃色のワンピースがふわりと広がった。そしてそのまま軽い足取りで扉の中へと消えていく。

 

 ──あの人は同じ部屋とか、気にしないんだろうか?

 

 ……気にしないんだろうなぁ。

 こういう時は、天真爛漫な竜胆が羨ましくなる。

 扉の閉まる音が響いて、それを契機に美月は微笑みかけてきた。

 艶然としたとても綺麗な微笑。

 

「さあ、葵くん……選びなさい。竜胆さんと一緒の部屋か……寒空の下、野宿をするのか」

 

 大人ってずるい。

 

 ☆☆☆

 

 見る者の心を落ち着かせる色合いで統一された二人部屋。

 明かり障子には松の水墨画があしらわれ、その障子を開くと目を奪われるような日本庭園を一望できる。

 淡い木漏れ日にも似た琥珀色の光が、束となって室内に差し込む。

 柔らかな光の束を漆塗りの長机や(ひのき)の和座椅子が遮って、優しい色をした畳に薄っすらと陰翳(いんえい)が生じる。

 

 葵と竜胆は漆塗りの長机を挟んで、向かい合うように和座椅子に身体を預けていた。

 両者の手元にあるのは深みのある色合いの湯呑(ゆのみ)。白い湯気が揺ら揺らと立ち昇っては消えていく。

 

 だが斬島葵の心を()めるのは、荘厳美麗な眺望でもまたぞろ絢爛華麗な内装でもはたまた甘美な玉露の味わいでも無い。

 

 ──本当に一緒の部屋とか……嫌な予感しかしない。

 

 この一言に尽きる。

 そんな不安が微風(そよかぜ)と共に、葵の頬を撫でる。

 何処か浮かない様子の葵を気遣ったのか、竜胆が湯呑を置いて口を開く。

 

「葵、気分でも悪い?」

「いえ、そんな事はないんですけど」

「けど?」

「僕と竜胆先輩、一緒の部屋じゃないですか……」

「んー、いつもと殆ど変わらなくない?」

「どういうことですか?」

 

 湯呑を弄びながら、ごく自然に竜胆は葵の疑問を解消する。

 

「だって寝る場所が違うだけじゃん」

「……そう言われると、そうですね」

 

 平日でも休日でも竜胆は殆ど毎日、宿直施設を訪れては葵と一緒に朝食をとる。

 平日ならそこから一緒に学園へと向かい、授業終了後にまた宿直施設でダラダラと過ごし日が沈むまでに、竜胆を見送る。

 土日も似たようなものだ。

 従って旅行先で同室な事と平常時との差異は、本当に寝る場所が違うだけということになる。

 そんな理由で納得してしまう程度には、葵は竜胆に毒されていた。

 竜胆が両手を組み合わせて、天井へ向けぐぅっと伸びをする。葵はそんな彼女を何と無く眺めながら、ふくよかな香りを放つ湯呑を傾けた。

 口の中にとろりとした甘みが広がる。

 

「うーん。でもいつもと変わんないんじゃ、なんかつまんないなー」

 

 そして何か閃いたように一言。

 

 

「あ、折角だから夜、一緒に寝てみる?」

 

 

 葵はむせた。

 気管の中に入り込んだ液体に身体が反応し、ゴホゴホと咳き込む。

 唐突に咳き込んだ葵を見て、竜胆は驚いたようだ。黄玉(おうぎょく)の水晶を思わせる双眸が散大している。

 

「わわ、葵なにやってんだよー」

「……先輩こそ何言ってるんですか!」

「一緒に寝るとかやったことないじゃん?」

「あるほうが問題です……ていうか先輩、僕のことからかってるだけですよね」

「そこは否定しないかなー」

 

 否定しろよ。

 とにかくこれ以上この話題を続けるのは、葵の精神衛生上たいへんよろしくない。

 

「ほ、ほら竜胆先輩、お昼から料亭で味見役の仕事があるじゃないですか。もうそろそろ美月さんの部屋に行かないと」

「あ、話そらした」

「……そこは否定しません」

 

 ☆☆☆

 

 知っているようで知られていないが、割烹店と料亭には明確な差異がある。

 まず料理の提供の仕方。

 割烹店では献立表から好みの料理を一品選ぶアラカルトが中心なのに対して、料亭ではあらかじめ設定されたコース料理が中心だ。

 次に座席の様式。

 割烹店では、カウンター席やテーブル席が一般的だ。

 特にカウンター席では、板前の料理過程を見ることが出来る。

 対して料亭では、座敷中心である。

 料亭を訪れた御客が緩やかな空間の中で味わうのは、料理だけではない。

 荘厳な庭園や格式を感じさせる座敷の空気、それらを楽しむのも料亭の醍醐味の一つだ。

 最後が接客。

 割烹店には通常、接客係はいない。板前がカウンター席にそのまま料理を手渡すからだ。

 対して料亭には仲居や芸者といった、専門の接客係が存在する。

 また料理に使用する食器なども非常に高価であり、さらには最高のおもてなしをするために一見さんお断りの料亭も少なくない。

 

 旅館から車で数十分。

 そんな格式を重んじる料亭に、葵と竜胆と美月の三人は訪れていた。言わずもがな味見役の仕事を果たすべく。

 静謐な空気の漂う個室。

 一通りのコース料理を実食した後、室内に壮年の料理長が現れた。

 料理長は出入り口に近い下座に座し、竜胆の表情を恐る恐るといった様子で伺っている。

 ……JK(女子高生)の顔色を伺うプロの料理人。

 

 ──うん、ものすごい違和感。

 

 緊張した面持ちで、料理長が竜胆に問いかける。

 

「如何でしたか?」

「うーん、大体は美味しかったんだけどなー」

「……つまり何品かは、改善の余地があると」

「まず九条葱の錦巻きは、もう少し味付けを薄くした方がいいなー。九条葱の甘みが生かされてない。あと牛しゃぶ肉の野菜巻きは、もう少し肉を柔らかくした方が美味しいと思う。そうだなー、蜂蜜につけたりとか……」

 

 年長者に対する口調はさておき、竜胆は一つ一つの品に的確な指摘をしていく。

 料理長は竜胆のアドバイスに時折り相槌を挟みながら、その要点を手帳に走り書きしていた。

 プロの料理人がJKに教えを乞うなんとも奇妙な光景。

 葵はそれを唖然とした様子で、見ていた。

 ()()竜胆が、真面目に仕事をしているなんて。

 

 ──うん、ものすごい違和感。

 

 ものすごい失礼な事を考えていた。

 もし口に出せば彼女が憤慨すること間違いなしの思考を巡らせていると、竜胆は一通りの指摘を終えたようだ。

 するとそれまで葵と同様に口を閉ざしていた美月が、一拍柏手を打って全員の視線を集める。

 

「さぁ、料理長。こんなところで大丈夫かしら?」

「とても有意義な時間でした。ありがとうございます」

「いえ。また何かあれば、連絡をお願いします。竜胆さんもお疲れ様」

 

 そして仲居や料理長達に見送られ、三人は料亭を後にした。

 既に太陽が天頂を通過していて、ゆったりとした陽射しに葵は目を細めた。駐車場まで少し歩いて、美月が所有する白塗りの車に乗り込む。美月と竜胆がこれから葵を、面白い所に連れて行ってくれるらしい。

 車窓から見える京都の街並は、葵にとってかなり新鮮で驚きのあるものだった。

 

 ──LAWS○Nの看板が白黒ってマジかよ。

 

 美月の話によれば京都市は全国で最も景観条例が厳しいらしい。

 悠久の古都に相応しい景観を維持するべく、建築の高さや照明看板に至るまで規制がなされているそうだ。

 街全体が和で統一された印象を受けるのは、そのせいだろう。

 そんな事を話しながら数十分して、次の目的地に降り立った。

 

 ☆☆☆

 

 白と黒を基調としたシンプルな建物。周囲には緑で囲まれており、その景観はどこか落ち着いた雰囲気が漂う。

 ついて来なさい、と美月に言われるまま竜胆と共に葵は、重厚な木材で構成された門をくぐった。

 

「……あの、美月さん。ここは?」

「温泉だけど?」

「男湯とか女湯とか、そういうのがないんですけど」

 

 室内にあるのは売店や自動販売機、談話が出来るようにソファやテーブルなどが置かれている。

 そしてその奥には男湯とか女湯とかの区別がなく、ただ『ゆ』とかかれた純白の暖簾(のれん)が垂れ下がっている。

 葵がそう呟くと、美月は破顔一笑する。

 

「あるわけないでしょ」

「え?」

 

 マジ?

 それはつまり、混浴ってことなのだろうか。

 いやいや、流石にまずくない? 駄目でしょ。

 多分だけど入浴を楽しむどころではなくなる気がする。

 一瞬のうちに脳内に様々な思考が乱立する。乱立するのはいいのだが、思考の殆どがほぼ同じ意味の内容なので状況を打開する案が浮かぶ気配は一向にない。

 思考の海に沈み込んでいた葵の意識を浮上させたのは、両手を引っ張る力だった。

 竜胆と美月が片手ずつ引っ張り、葵は()()る勢いで暖簾の中へと。

 

「さぁ、行きましょうか!」

「あはっ、楽しみだなー」

 

 ちょ、まって。ふりほどけない。

 

 ☆☆☆

 

 天然岩があしらわれた自然の温泉。

 三方が竹垣で囲われ、残る一方が開かれ緑豊かな自然の景色を一望できる。

 葵が湯に浸かると、じんわりと身体が熱を持つ。彼の両隣には竜胆と美月が同じく湯を楽しんでいた。

 白い薄っすらとした湯煙が、天に昇っては揺ら揺らと姿を消していく。

 少し足を動かすと、水面に緩やかな波紋が生じる。

 両隣。

 竜胆と美月は(ほの)かに熱を持った顔を葵の耳元に近づけて、息を合わせて一言。

 

 

「混浴かと思った? 残念! 足湯でした!」

 

 

 ちょっとだけ残念に思った葵は、多分わるくない。


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