十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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連休編
第十五話


 遠月学園高等部一年生の約半数が姿を消した、友情とふれあいの宿泊研修から数週間が経った。

 暦は水無月。

 日本で唯一祝日の存在しない月であり、つまり連休が無いということ。

 しかしそれが遠月学園になると、少し事情が変わってくる。

 この時期の遠月学園は、運営上の関係で(いく)つかの講義が休講になる。それに土日を合わせると、ちょっとした連休ができる。

 学園生徒の中にはこの連休を利用して、旅行や帰省をする者も少なくない。

 

 その連休を目前に控えた金曜日の放課後。

 斬島葵にとっては棲家(すみか)であり、小林竜胆にとっては格好の溜まり場である二階建ての宿直施設。

 葵と竜胆はソファに身を預け、ダラけていた。

 無為を求め無駄を愛する者にとって、怠惰に時を過ごすことはとても幸せなのだ。

 ガラス張りのテーブルの上には、コーヒーサイフォンが置かれている。漏斗からフラスコへと澄み切った褐色の液体が移ろっていき、室内がコーヒー特有の香りで満たされる。

 サイフォンでコーヒーを入れるメリットは、味が安定し易い事と抽出時に香りが強くでることだ。

 それでも一般的なドリップ式と比べて使用者が少ないのは、淹れる時に手間がかかるせいだろう。

 最後の一滴が雫となり、褐色の海に波紋が広がる。

 それを契機にして、葵はフラスコをサイフォンから分離させる。黒色のマグカップに出来上がったコーヒーを注ぐと、白い湯気が渦を巻いて立ち昇り天井へと消えていく。

 マグカップを竜胆に手渡すと、彼女は『あれ?』と呟いた。

 

「……砂糖がないじゃん」

「あ、すみません。今ちょっと切らしてますね」

 

 マグカップをテーブルに置いて、竜胆は白い陶器で出来たシュガーポットを弄ぶ。

 純白の陶器の中にはあるはずの角砂糖が無く、あるのは銀製のスプーンだけだった。

 もちろん一階にある厨房には砂糖くらいある。でもそれをわざわざとりにいくのは億劫だ。

 不満げに唇をとがらせる彼女が、『砂糖、とってきて』とか言い出す前に葵は言葉を繋ぐ。

 

「偶にはブラックで飲んでみるのもいいと思いますよ? これは結構いいコーヒーですから」

「うーん、葵がそこまで言うなら…………にがぁ」

 

 竜胆はまるで苦虫を噛み潰したように表情を歪め、口をつけたマグカップをテーブルに置き、片手で葵の方に押し戻した。

 自分の分のコーヒーを白いマグカップに注ごうとしていた葵が『いらないんですか?』と問いかけると、コクコクと首肯してくる。

 

「じゃあ捨てるの勿体無いので、僕が飲みますよ?」

 

 葵は再びコーヒーを注ぐことを止めて、押し戻された黒いマグカップを片手で持って口をつける。

 苦味と酸味のバランスが取れた、澄み切った味わいが口の中に広がる。

 独特の芳香を放つマグカップをテーブルに置くと、竜胆の視線が黒い陶器に向いていることに気がついた。

 黄玉(おうぎょく)を思わせる瞳が散大している。

 

「……あ」

「こんなに美味しいのに……あれ、先輩どうかしましたか?」

「な、何でもねーし……それより明日から、連休だなー」

「あー、確か今週末からですね」

 

 六月にある連休の間、多くの生徒が帰省や旅行のため遠月学園を離れる。

 なにがしかの研究会に所属している生徒なら、合宿の予定が有る筈だ。

 しかし何の研究会にも属さず、まして実家に帰省する予定もない葵は、惰眠を貪りただ(いたずら)に時間を浪費する心算(しんさん)だった。

 葵は何気無く、言葉を繋いだ。

 

「竜胆先輩は何処か旅行の予定があるんですか?」

「あたし? あたしは京都に行くかなー」

「京都ですか。お土産は生八つ橋でお願いします」

 

 京都。

 彼の地に訪れたことは無いので書籍などでの知識しかないが、一番に思い浮かぶのは美しい景観だろう。

 春に咲き誇る桜の花弁、夏に煌めく新緑の若葉。

 秋の紅葉は(あけ)に染まり、冬には凄絶なまでの雪景色。

 悠久の古都に思いを馳せる葵を、竜胆は不思議そうに見つめて告げる。

 

「え? お前も行くんだぞ、京都?」

「え? 初耳ですけど」

「言ってなかったっけ?」

「聞いてません」

「でも、行くでしょ? 返事は『はい』か『Yes(イエス)』か『Ja(ヤー)』でお願い」

 

 さも当然のように、竜胆は問いかけてくる。

 どうやら竜胆の脳内では、葵が行かないという選択肢はないらしい。

 こうして(はか)らずも、葵の連休の予定は確定した。

 

 ☆☆☆

 

 翌日。

 白のVネックシャツに黒い七部丈のテーラードジャケット、藍色のジーンズを身に纏った葵は東京駅を訪れていた。

 数日分の衣服など必要最低限の荷物が入った黒塗りのキャリーケースと共に、竜胆との集合場所である新幹線口へと歩みを進める。

 葵が竜胆を見つけることは容易かった。人が忙しげに行き交っている中で、ただ一人彼女だけが白壁に背を預け佇んでいるからだ。

 改札口から濁流のように溢れ出す人波を避けながら、竜胆のもとへと向かった。

 

「おはようございます、竜胆先輩」

「おはよ、葵」

「……なんか先輩、いつもと雰囲気違いますね」

「あー、いつもと違う服だからかもなー」

「なるほど」

 

 葵が見慣れている竜胆の服装は、大きく分けて二種類しかない。

 制服か部屋着。

 制服の時はそうでもないが、部屋着を着ている時の彼女は非常に目の毒だ。

 『どうしてそうなった』と言いたくなるくらいに大きく開いた胸元。それをこれでもかと押し上げる双丘。

 『生地、足りてます?』と問いかけたくなるほど丈の詰められたミニスカート。そこから伸びる艶かしい生脚。

 無防備で無警戒な普段に比べると、今日の彼女は何というか隙が無い。

 膝丈まである薄桃色のフレアワンピース。その下にレギンスを穿いている。肩からは黒いカーディガンを羽織っていた。

 鉄壁とまではいかないものの、中々の防御力だと思う。

 『ていうか』と竜胆が切り出した。

 

「人の目があるところであんな格好するわけないじゃん」

「……一応、宿直施設も僕の目があるんですけど」

「あ、それは別にいいや」

「良くないですよ」

「あ、そろそろ新幹線乗らないと」

「うわあ……自由だなぁ」

 

 竜胆は切符を渡すと、自らのキャリーケースと共に改札へと向かった。葵も溜め息を吐いて、それに続いた。

 東京駅のホームに着くと、薄く陽の光が差し込んでいた。

 列車を待つ人の大半はビジネススーツを身に纏ったサラリーマンだ。しかしその中に少数ではあるが学生のグループが旅行カバンを片手に集まっている。

 そのグループには学園で何度かすれ違ったことのある顔もあり、恐らくはなにがしかの研究会の合宿なのだろう。

 彼等彼女等を一瞥して、プラットホームを歩く。葵と竜胆は自らが乗車する付近で立ち止まった。

 

「すっかり忘れてましたけど……何で京都に行くんですか?」

「京都にある料亭から味見役を依頼されてなー、ホテル代とか全部賄ってくれるって言うじゃん?」

「至れり尽くせりですね」

「ちょうどいいから、葵も連れて行こうかなって思ってなー」

 

 竜胆はいつも、傍若無人なまでに葵を振り回す。

 しかしその振る舞いが後になってみると、葵の見聞を広げる要因になっていたりするのだ。

 プラットホームに響き渡るアナウンス。

 事故を防止するための警告がなされ、しばらくしないうちに新幹線の姿が見えた。

 盛大に耳を(つんざ)くような、レールの軋む音。

 徐々に速度を落として、列車はプラットホームに寸分狂わずに停車した。

 竜胆は風で乱れた髪を手櫛で整えながら乗車し、葵もそれに続いた。

 

「じゃあ行こっか、葵」

「はい……あ、そういえば先輩、十傑の仕事は大丈夫なんですか?」

 

 そう問いかけると、竜胆は車内でくるっと振り返る。

 緩やかにウェーブし(あけ)の混じった茶髪が、ふわりと広がった。

 まるで花が咲いたような満面の笑みで、彼女は言い切る。

 

 

 

 

「大丈夫……全部、押し付けて来たからっ」

 

 

 

 

 




今年もよろしくどうぞ。


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