十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第十三話

 五泊六日の日程で実施された宿泊研修は、いざ帰る頃になると長いようで短かった。

 何処か弛緩した雰囲気の漂う大型バスの中、薙切えりなはぼんやりと車窓から景色を眺めていた。

 菫色の双眸に映るのは、ゆらゆらと揺れる緑の樹々。

 新緑に包まれ溢れる陽光を浴びて、キラキラと輝いている。

 そこから少し視線を移すと遠月離宮が目に入る。バスの発車までの時間はなんとなく手持ち無沙汰で、えりなは自分がどの辺りに泊まっていたのかと考え始めた。

 その思考を妨害するかように、えりなの脳内に違和感が流れ込む。

 

 ──そういえば、あの写真。ちゃんともってるかしら?

 

 えりなの記憶が正しければ、あれはまだベッドライトの脇にある収納スペースの中だ。

 もし置き忘れたのが他のものならば諦めもついただろうが、あの写真はえりなにとってとても大切な物だ。

 

 ──取りに戻らないわけには、いかないわ。

 

 その旨をえりなの隣に座る新戸緋紗子に伝えると、やはり制止の声がかかる。

 

「え? 忘れ物……ですか? 間もなく発車です! 私が取りに……」

「い、いいの……自分で行きます! 私は別の車で学園に戻りますからーー」

 

 言い終わらないうちに、えりなは座席を離れる。緋紗子の浮かべる驚嘆の表情に少し胸が痛んだけど、今はそれどころでは無いのだ。

 胸に焦燥を秘めたえりなはバスを降りて、遠月離宮へと駆けていく。

 

 ☆☆☆

 

 一階のロビーへ向かうエレベーターの中、えりなは胸を撫で下ろす。

 あの写真が、手元にあるからだ。

 幼い頃に撮った、えりなの尊敬する料理人とのツーショット。

 神の舌を持つえりなを以ってして、究極の美食と言わしめるほど完璧な料理を創り出す彼。

 それを口にした瞬間にえりなの心は歓喜に打ち震え、時が経った今でもその時の衝撃は脳裏に刻み込まれている。

 過去へと埋没するえりなの意識は、エレベーターの扉が開く音で現実へと立ち戻った。

 ロビーへ踏み出したえりなの目に留まったのは、見覚えのあるシルエット。

 藍色のスラックスと純白のカッターシャツ、黒色のカーディガンに包まれた華奢な体躯。

 癖のないサラサラとした黒髪、性別を感じさせることのない端正な顔立ち。

 えりなのとても数少ない交友関係の中で、最も親しい異性。

 斬島葵だ。

 葵はロビーの奥、一目見ただけで高価だと分かるようなソファに腰掛けていた。ソファのすぐそばにはテーブルがあって、談話が出来る様になっている。

 彼のすぐ隣には、同じように一人の少女がソファに身体を預けている。いや少女というには、かなり幼い女の子だ。

 

 ──迷い子かしら?

 

 そう思いつつ、二人の側へと近付く。葵とは知らない仲では無いし、というよりもかなり親しい仲だ。

 だけど声をかけようとえりなが思ったのは、ただ親しい仲だからでは無い。

 

『間もなく発車です!』

 

 つい数十分前に車内で緋紗子がえりなを引き留めたように、バスの発車時刻はもうとっくに過ぎている筈だから。

 これはえりなにも言えることではあるが、この瞬間にロビーに留まっている事は、確実にバスには乗り遅れた事の証左に他ならない。

 えりなが歩みを進めソファとの距離を縮めると、葵と女の子もえりなを認識したようだ。

 葵は柔らかく微笑み、女の子は警戒し身を強張らせる。

 すぐそばまで近づいて、えりなは歩みを止めた。

 そして口を開く。

 何故か先ほどまで思っていた事と、全く別の言葉が出た。

 

 

 

「葵くん……誰よ(・・)その女(・・・)

 

 

 

 えりなが穿った言葉に答えたのは、葵では無く女の子の方だった。

 

「あ、あなたこそ、葵おにいちゃんの何なのよっ!」

「…………」

 

 ……何かしら? 改めてそう言われると、えりなは言葉に詰まってしまう。

 

 ──友達以上には親しくしているつもりだ。だが恋人というわけでは無い。

 

 つまりは、友達以上、恋人未……。

 そこまで考えて、えりなは思考を打ち切った。

 これ以上はいけない気がする。この先を考えるのは……なんというか恥ずかしいし、くすぐったい。

 思考を逸らすためでは無いが、少し目の前の女の子を見つめてみる。

 未成熟な起伏のない肢体。身に纏っているのは、純白のワンピース。

 肌は透けるように白く、色素の薄い亜麻色の髪は下ろされていて鎖骨の辺りまである。

 快活というよりも気の強そうな容姿は整っていて、瞳が少し潤んでいる。

 小さな手がワンピースの裾をきゅっと握ったところで、えりなは気が付いた。

 

 ──何だか、悪者みたいね。

 

 先ほどから一言も発さずに女の子を見つめている姿は、第三者から見れば睨んでいるようにも見えるかもしれない。

 そしてえりなは高校生で、相手は小学生……もしくはそれ以下の年齢だ。

 えりなは逡巡して、言葉を取り繕う。

 ちなみに気が付いてから、ここまで一秒もかかっていない。

 

「……ごめんなさい。私は、薙切えりな。葵くんとは……その、親しくさせてもらっているわ」

「……結衣よ」

「結衣……可愛い名前ね。私も座っていいかしら?」

「むぅ……好きにすればいいわ」

 

 えりなの誠意は伝わったのだろう、結衣はまだ少し不機嫌ながらも了承した。

 

 それから結衣の母親が来るまで、えりなと結衣と葵の三人でとりとめのない話をした。

 結衣も女の子だからだろうか、料理のことに興味をもち合宿でのことを色々と質問してきたのだ。

 第一印象が悪かっただけで、えりなと結衣の相性は悪くなく、むしろどこか似ているところがあるせいか気が合った。

 そして、結衣の迎えが来る頃には……。

 

「ばいばいっ……葵おにいちゃん! えりなおねえちゃん!」

「うん、またね。結衣ちゃん」

「結衣、もう迷い子にはならないことだわ。気を付けて帰りなさいよ」

 

 結衣は母親と手を握り、繋いでいない方の手を力いっぱいふって別れを告げている。

 結衣の母親はそんな娘を(たしな)めつつ、此方へ頭を下げる。

 そして結衣の小さな背中が見えなくなる頃に。

 

「薙切お嬢様! 車の手配が整いました。ちょうど一台(・・)だけ出せる車が……そちらも乗り遅れた学生さんですか?」

 

 どうやら、えりなにも迎えが来たようだ。

 

 ☆☆☆

 

 黒塗りの車。

 後ろのトランクにえりなと葵は荷物を積み、後部座席へ乗り込んだ。

 シートに背中を預けると、控えめに押し返してくる。

 エンジンがかかり車が動き出すのを契機に、えりなは葵に話しかけた。

 

「結衣と一緒に待っていたら、バスに乗り遅れることくらい分かっていたでしょう?」

「頭では分かってたんだけどさ……やっぱり放っては置けないじゃん」

「はぁ……葵くんって、結構そういう所あるわよね」

「……そういう所?」

「分かってないなら、別にいいわ……気にしないで」

 

 そう言って首を傾げる葵に、しかしえりなはそれ以上言葉を重ねることはない。

 

 ──自分のことなんて二の次三の次にして、誰かの為に行動する所だ。

 

 結局それで自分は損をしているにもかかわらず、そんなこと気にも留めずに他人の幸せを喜んで、葵は微笑んでいる。

 そんな彼の性質を好ましく思ってしまうのは、きっとえりなには無いものだから。

 もちろん自分が冷淡だとは思わないけど、優しいとも思わない。

 えりなが優しくなれるのは、自分が気を許したほんの僅かな人だけだ。

 

 隣の花は赤く見える、そう思った。

 

 そう言えば、とえりなは話題を変更する。

 

「そろそろ秋の選抜が、始まるわね」

「あー、もうそんな時期なんだね」

 

 遠月学園伝統、秋の選抜。

 高等部一年生からの選抜メンバーが、腕を振るい競い合う美食の祭典である。

 学園理事や出資者……一堂に会した食の重鎮達の前で、生徒にとっては自らの力を学外に示す最初の舞台だ。

 もう既に、その選考は始まっている。

 その事にをえりなが気づいたのは合宿の三日目から、選出委員が会場に出入りしていたからだ。

 

 えりなは窓の外、移り変わる景色をみつめながら、浅く息を吸い込んだ。

 そして優しげな声音で、告げる。

 

 

「葵くん……その、頑張りなさいよ。お、応援していてあげるんだから」

 

 

 ──えりながその優しさを見せるのは、彼女に選ばれた者だけだ。


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