十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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日常編
第一話


 遠月茶寮料理學園。通称、遠月学園。

 日本屈指の名門料理学校であり、その教育理念は酷く残酷である。

 

「諸君らの99%は、1%の玉を磨くための捨て石である」

 

 高等部一年の始業式。

 遠月学園総帥、薙切仙左衛門は荘厳な声音でそう言い放った。

 競争による徹底した少数精鋭教育。

 約千人程いる新入生の中で、進級できる者は百人程度。そこから卒業まで辿り着けるのは選ばれたほんの一握りだけだ。

 無能や凡夫といった路傍の石を振るいにかけ、才能のある原石を磨き上げる。

 

 ──この中の一体何人が、玉となり得るだろうか?

 

 仙左衛門は鋭い眼光で、新入生達を睥睨する。

 騒然とした雰囲気に包まれる式場の中、殆んどの生徒達の顔には不安や焦燥の色が窺える。

 だがその中で、此方を真っ直ぐに見つめる視線を幾つか感じた。先程の挑発とも呼べる仙左衛門の言葉に、怯むことの無い強い意思を持った視線。

 願わくば彼ら彼女らが、更なる高みに辿り着けるように。

 そんな思いを込めて仙左衛門は、言葉を贈る。

 

「研鑽せよ」

 

 ☆☆☆

 

 四月。

 僅かに残った雪が溶け、暖かな春の息吹が遠月学園にも訪れ始める。徐々に開花し始めた桜が、景色に彩りを加えていく。

 遠月学園はその広大な敷地面積を有しており、学内には様々な施設が併設されている。学園の校舎は勿論のことそれぞれの教授によるゼミ、極星寮などの学生寮。

 更には遠月リゾートと呼ばれる高級ホテルや旅館などもあり、数少ない卒業生の中には遠月リゾートで働く者も少なくない数存在する。

 その遠月の敷地内に、二階建ての住宅があった。表札には遠月リゾート第五宿直施設と明記されている。

 一階は全て調理場として作られていた。手入れの行き届いており、使用者が丁寧に扱っていることがよく分かる。そして二階にはベットや本棚といった生活感が漂う。

 ベットからはすぅすぅと静かな寝息が聞こえてくる。

 目や耳にかかる程度の長さで切り揃えられた黒髪から覗くのは、端正ながらもあどけなさの残る顔立ち。

 タオルケット一枚が被せられた身体も線が細く、まだまだ成長途中といった様子だ。

 実に気持ち良さそうに眠りにつく彼は、きっと良い夢を見ているのだろう。

 だがそんな彼の夢は長くは続かない。

 

「おーい、葵ー。お腹すいたぁー」

「うーん、あと五分寝かせて下さいー」

 

 微睡みの中ベットの中の彼、斬島 葵は何ともテンプレートな台詞を口にする。

 大体こんな朝っぱらから、訪ねてくるなんてのは非常識極まりない。狸寝入りを決め込んで早々にお引き取り願おう。

 

「お腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいた(ry」

「っ?!」

 

 飛び起きた。

 

 ☆☆☆

 

 寝間着の代用として着用している黒のジャージ姿のまま、葵は恐る恐るドアを開ける。扉の隙間から流れ込む冷たい空気が肌に触れ、少し身震いをした。

 

「おはよ、葵」

「……はやすぎますよ、竜胆先輩。あと少しは常識というものを身につけてください」

「なー、そんなことよりあたしお腹すいた。ご飯作ってー」

 

 ちょっと理不尽過ぎないだろうか?

 葵はジト目で竜胆を睨む。

 小林 竜胆。

 遠月学園高等部、三年生。

 赤みがかった緩くウェーブする茶髪。黄金色をした猫目の双眸。抜けるような白い肌。

 小悪魔のようないたずらっぽい顔立ち。扇情的な唇からは八重歯が覗いている。

 竜胆は既に制服に身を包んでいた。カッターシャツの胸元から見える胸の谷間や、丈の詰められたチェックのスカートから伸びるスラリとした脚が非常に目に毒である。

 

 はぁ、いつもいつも何で自分が……。

 そう思う葵だったが、竜胆には中学時代からの恩があるので断りきれないのだ。

 

「はぁ、分かりましたよ。じゃあ着替えてから一階に降りるので待っていて下さい」

「うしっ♩ 40秒で支度しなっ!」

「ドーラかよ。あ、そういえば昨日の金曜○ードショーはラピ○タでしたね」

「空から女の子降って来ないかなーっ」

「無理じゃないですか?」

「あ、あと20秒しか残ってないけど、大丈夫?」

「っ?!」

 

 ☆☆☆

 

 藍色のスラックスと純白のカッターシャツ、黒色のカーディガンを身につけて、葵は一階の厨房に立つ。

 本来ならば調理服を着るのが料理人というものなのだが、これから授業があり更に時間も無い為それは勘弁願いたい。

 

「あの、竜胆先輩。何かリクエストとかありますか?」

「おでん!」

「……それもう、昼ごはんになりますよ」

 

 テーブルに頬杖をつきながら、竜胆先輩はニコニコしながら言った。

 この人は朝からなんて時間のかかるものを作らせるつもりだろうか。おでんなんてしっかり作ろうと思ったら、5、6時間は余裕でかかる。

 

「じゃあ、時間がかからなくて美味しいものでいいよ」

「僕が竜胆先輩に自信を持って出せるものとか、そんなに無いんですけど」

 

 普段は昼行灯の竜胆だが、遠月十傑の第二席なのだ。

 遠月十傑評議会。

 それは遠月学園の学内評価上位10名の生徒により構成される委員会だ。

 遠月学園は多くの事柄が生徒の自治によって委ねられており、ありとあらゆる議題が十傑メンバーの合議によって決定される。

 学園の最高意思決定機関といって相違ないだろう。

 学園の組織図では総帥の直下にあり、十傑の総意には講師ですら従わざるを得ないのだ。

 ちょっと馬鹿っぽく見えても、十傑第二席なのだ。

 ちょっと馬鹿っぽく見えても。

 

「葵? 何か失礼なコト、考えてない?」

「……イエナニモ」

 

 さて、何を作ろうか。葵は思考を巡らせる。

 葵自身の持ち味が生かせて、竜胆を満足されるものでなくてはいけない。

 よし。

 葵は業務用の冷蔵庫から幾つかの食材を取り出した。

 

「じゃあ、竜胆先輩。ちょっと待ってて下さいね」

「うしっ♩ 40秒で支度しなっ!」

「出来ません」

 

 ☆☆☆

 

 葵の手によって、俎板の上には一匹の鯖が置かれる。

 鯖は周年出回っているのだが、この時期に収穫された鯖は産卵期にあたる。春鯖は脂がよく乗っていてとても美味しいのだ。

 葵は真剣な表情で鯖を見つめた。大抵の魚は鮮度が命だからだ。魚の鮮度を判断する際、重要になるのは目だ。

 魚の瞳が澄んでいるほど、鮮度が良いとされる。

 この鯖の鮮度は、とても高い。

 そう判断した葵は、利き腕で包丁を持った。

 包丁の刃先で薄い鱗を取り、ヒレの下部から斜めに包丁を入れる。

 両側の胸ビレから斜めに切れ込みを入れ、頭を落とすと赤黒い血が俎板に広がる。

 葵は淡々としかし繊細に腹に刃を当て、一気に肛門までを切り裂いた。そして血合いと内臓を切り落とし、水で綺麗に洗浄する。

 そして手早く三枚におろし、腹骨を抜き取った。

 等間隔に鯖を切り分けて、皿に盛り付ける。

 簡単な料理ほど料理人の力量が出るものだが、葵が作った鯖の刺身は花のように円状に盛り付けられ見た目でも楽しめるものとなっていた。

 

 ☆☆☆

 

「あの、竜胆先輩、どうでした?」

「うん、すっごく美味しかった。サンキュー」

「……それは、よかったです」

 

 美味しかった。竜胆が無垢な微笑みを浮かべて言った一言が、葵にはたまらなく嬉しかった。

 きっと他の誰に言われても、葵の心には響かない。

 何を言われるかではなく、誰に言われるかなのだ。

 自分が全く知らない赤の他人に同じ事を言われても、微笑みを向けられても、葵の心は動かされないだろう。

 言葉の重みとは、その人と積み重ねてきた日々に比例するから。

 

 和やかな雰囲気に包まれる厨房。

 その穏やかな雰囲気破ったのは、キーンコーンとなる鐘の音だった。

 

「あっ、授業開始のチャイム」

「え″」

 

 


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