玄関へ向かっていった由比ヶ浜と一色を追って下駄箱に到着するが、二人ともいない。まさかとは思うが、待ち合わせ場所を伝えもせずに先に行ってしまったのか。
むろん、そんなことはなくバス停付近にいる二人を見つける。バスはまだ到着していない様子。
そういや我が愛車を置いて帰宅すること二日連続。しかも週末を跨いでしまう。寂しがってないだろうか。ないな、うん。
「比企谷」
バス停に向かう俺を呼び止める声がして振り向くと、平塚先生が笑って手を振っていた。
「平塚先生。今日はちょいと野暮用で早引けさせてもらいます」
「雪ノ下から話は聞いているよ。鶴見くんとのデートの準備だそうじゃないか。まったく、最近の若い者は。いや、私も若いけどな? 若手だけどな」
「先生がお膳立てしたようなものじゃないですか。こっちに当たらないで下さいよ」
冗談だよ、と笑う先生だが、若干殺気を感じたような気がする。先生に最近デートをしたのいつですか、と聞いたら血の雨が降りそうだ。
「そもそもデートじゃないでしょ。留美を東京まで連れていくだけです」
「男女で遊びに行って楽しんだら、それはデートで構わないだろう」
その理屈で行くと、これから由比ヶ浜と一色と買い物に行って、楽しかったらデートということに。いやいや、ダブルデートですらない人数比だしな、うん。ただの買い物だ。
バス停で待つ二人を見、まだ時間があるのを確認する。先生にも聞きたいことはあったのだ。
「先生は、留美の現状について何か知っているんですか?」
俺の質問に、平塚先生はにっと口端を上げた。
「いや、私は鶴見くんから何も聞いていないよ」
「そうですか。なんでか、平塚先生がやたらと留美に俺を推すものだから、何か知っているのかと思いましたよ」
昨日から平塚先生は、留美に「俺に相談したのは正しい」、「納得いくまで使い倒せ」だの、俺に「しっかりとやりたまえ」だのと言ってくる上、あげくには公演チケットを用意するまでしてくれる。
先生の行動がいまいちわからない。
「私は、鶴見くんが会いに来た比企谷と話せる場所をセッティングしただけさ。ただ、そうだな。彼女が言葉で発した以外の悩みを抱えているのは、なんとなく想像がつくよ」
そうだろうなとは思っていた。先生は人間関係の機微に敏感だ。それは、教師として生徒をよく見ているというだけではなく、今まで経てきた俺とは比べ物にならない対人経験がそうさせるのだろう。
「そこまでわかっていて、先生は動かないんですか?」
「相談を受けたのは君で、私は何も聞かされていないし頼られていない。ならば、私が動くのはお節介というものだ」
「クリスマスの時は、結構世話焼いてくれたように思いますけど」
「君たちは手がかかるからな。手を貸し助言できる人が他にいればそうしたさ」
肩をすくめる平塚先生を見て、それは嘘だと思える。他に誰かがいたとして、先生は俺や奉仕部のために骨を折ることを苦に思わないだろう。
平塚先生はそれをお節介というが、助けられた側とすればそうは思うまい。
「先生は、留美に手を貸し助言できるのが、俺だと?」
「ああ。実際鶴見くんは他の誰でもなく、比企谷に相談に来た。そして比企谷なら鶴見くんの悩みを解決できると、私はそう思っている。勝手ながらな」
本当に勝手だ。何の根拠があってそう言えるのか。俺自身には全く自信はないのだが。-
「俺に丸投げってことですか」
「適材適所というだろう?」
先生は、留美の悩みの解決には俺が適任と言いたいのか。いったい、俺に何ができるというんだ。先生は俺に何を期待しているんだ?
「人と人の間にある答えは、数学のように答えが一つではない。君が得意な国語も試験での解答は一つだろうが、登場人物が何を考えているのか、その行動から類推される思考など、人それぞれ受け取り方は違うだろう」
「同感ですけど、現国教師がそれ言っていいんですか?」
「教師だからこそ、さ」
平塚先生はフッと笑い、懐から煙草を取り出そうとしたが、玄関であることに気づき諦めていた。喫煙者は大変だ。
「君が鶴見くんから受けた印象、周囲の状況諸々を考慮し、計算し、登場人物の心理をつかむ。その上で、比企谷の答えを出せばいい。いっそのこと、何もしないというののも正解かもしれない。好きにするがいいさ」
「相変わらず無茶苦茶なことを言いますね。それで失敗したらどうするんです?」
「では聞くが、何がどうなったら失敗なのかね?
「それは……」
わからない。だいたい、留美の悩みが何であるのかわからないのだから、成功も失敗もないだろう。
「思慮深いのは君の長所であるが、考えすぎて動けなくなるのは短所だな。私の好きなアニメの主人公は、お前のことが気に入らねえ、だけで動いたものだ」
「それって、真正面から自慢の拳で打ち砕くあれですか」
「そうだ。時には細かいことを考えず、単純に動くことが良い結果をもたらすこともある」
そりゃあ、そういうこともあるかもしれないが。今回の場合で単純に動くとは、留美に何を悩んでいるのかを聞くってことか?
「留美が答えてくれますかね」
「そこは、君次第だな」
「口の上手さに自信はありませんよ」
ぼっちにそこらへんを期待しないでもらいたい。無茶ぶりもいいところだ。
「心の壁を開くのは、口の上手さだけではないよ。利益や打算を求めない真摯な態度、つまり彼女を真に心配しているのが伝われば、あるいは」
「……はあ」
ATフィールドは力づくで開けるか中和するしかなかったが、それはそれで難易度が高い気はする。留美のことは心配だし、気にかけてはいるけれども。
「年下の可愛い女の子が、君を慕って高校まで訪れたんだ。それに発奮しない比企谷ではないだろう?」
「言い方。その言い方だと俺が変態に聞こえます」
言うと、平塚先生は優し気な顔で、ふふっと笑う。
「以前、君に言ったな。いつか、君でなくとも雪ノ下や由比ヶ浜を理解し、踏み込んでいく人がいるかもしれないと。それが君だったらいいとも」
「……ええ」
「もし、雪ノ下や由比ヶ浜が何か困っていたとしよう。比企谷に彼女らを助けられる方法がなく、他の誰かが助けられるとして、君はその誰かに彼女らを助けられることを黙ってみているだけかね?」
「……それで、あいつらが助かるのなら、いいんじゃないですか?」
「本当に?」
平塚先生の例え話は、胸にもやもやとしたものを感じてしまう。
結果として良い方向に進めるならば、その誰かとやらにやってもらうのがいいことだろう。終わり良ければすべて良しという言葉もあるほどだ。
だが、俺の勝手で、ひどく傲慢な考えでは--
「君はあまり人に頼らないから、助けられる側の気持ちはわかりづらいだろうがね。誰に助けられるか、というのも重要なのだよ。最終結果としてね」
「はあ。そういうもんすか」
「魔女のお城に連れていかれたお姫様が、イケメン王子様に助けられればハッピーエンドだろうが、借金の形に悪徳金融に連れていかれればバッドエンドだろう?」
「その結果は極端すぎやしませんかね」
結果的に魔女の城から抜け出せたって? いや、言いたいことはわかるけど。十八禁エンドしか見えないな、その終わり方。
「先生は俺に白馬の王子様にでもなれっていうんですか?」
「ふふっ、乙女としてはその方がいいのだろうが、鶴見くんが求めているのは目の腐った捻くれ者の魔法使いかもしれないな」
平塚先生の場合は乙女というか、乙女(おつおんな)という感じだったりするが。
と、ここで先生との話は終わりにしなくてはならなくなった。停留所にバスが到着したのだった。
ここからでも由比ヶ浜と一色が俺を呼んでいるのが見える。恥ずかしいからやめてください。
「それじゃ、先生。やれるだけはやってみますよ」
「ああ。しっかりとな」
先生は、俺の背をバンと叩き校舎へと戻っていく。
俺に何ができるのかは今もってわからないが、しっかりやれと言われればやるしかあるまい。
平塚先生はええ女やでぇ。