踏み出す一歩   作:カシム0

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 あけましておめでとうございます。
 本年もカシムの作品にお付き合いください。

 この話、実は迷走しまして書き直しが何回か。特にラストに悩みました。
 ちなみに、何度もとある動画サイトで中学生の器械体操を見ていたら、オススメが老若男女問わず体操で埋まりました。
 経験者からしたらおかしなことだらけかもですが、門外漢が必死に調べて書きましたのでご容赦を。
 じゃあどうぞ。


決戦の日

 

 よく晴れた秋空。微風で過ごしやすい気温。運動の秋とはよく言ったもので、体を動かすには適した季節であるのは間違いない。

 ま、俺ほどにもなると、部屋に引きこもるのにちょうどいい季節になるわけだが。

 高校三年生の秋、そろそろ受験勉強が追い込みにかかる時期。

 何も予定がなければ、専業主夫になるため、結婚する相手を見つけるため、大学受験の勉強に励んでいたのだろう。

 だが、俺は小町と市営体育館に来ている。そして今、小町は俺の側にいない。

 何でこうなったのかと、空を見上げる。

 

「どこ見てるんです?」

「いや、空を」

「人と話してるときにその態度はいただけませんね」

 

 うぜえ。

 おっと。俺の考えが読まれたのか、睨んでくる役員の男性。

 はあ、なんでこうなったのか。

 

 

 

 

 

 事の発端は、特に誰が悪いということもなく、ただ運が悪かったのだろう。

 俺と小町は市営体育館に来ているのだが、小町が所用で離れたそのちょっとした時間に、目をつけられてしまったのだ。受付をしている役員に。

 

「それで、もう一回聞きますけど、どういったご用件で?」

「いや、だから応援に」

「開かれた大会なんで、誰が来てもいいんですけどね。よくいるんですよ。中学生のレオタードが見たくて来る人」

「はあ」

「それで、あなたは誰の応援に?」

 

 もうこれ、完璧に疑われてるよね。いや、むしろ追い出そうとしてるよね。

 

「えーと、近所の子ってほど家近くないか。まあ、友人といいますか」

「中学生の大会なんですけど。あなた高校生くらいかな?」

「ええ、年はちょっと離れてますが」

「本当にその友人というのはいるんですか? まさかとは思いますが」

「いや、想像上のエア友達とかじゃないですから」

「学校名とその子の名前を教えてくれますか、確認しますので。もしいるのならですが」

 

 とうとう言葉を濁さなくなってきたな。

 いやまあ、不審者を通さないようにしてるのはわかるし、俺みたいのが女子中学生の応援に来てるのが妙なのはわかるんだが。

 なんか、面倒くさくなってきた。帰ろうかな。

 こちらに向かってくる警備員らしき姿を確認し、いよいよ帰る決心を固めたとき、

 

「八幡? 何してるの」

 

 救いの女神が現れた。

 

「おう留美。ちょうどいいところに」

「もしかして変な人と思われてる?」

「多分な、というか多分に」

 

 留美の学校の体操部なのだろうか、女子中学生の団体から、ジャージに身を包んだ留美が小走りにきてくれた。

 なんだか、ヒーローに助けられるヒロインの気持ちがわかったかもしれん。

 

「この子は? あなたの友人ですか」

「はい。あとあっちの子も」

 

 先ほどの集団から真希までもが走ってくる。やだ、いい子。

 

「君は、この男性のことを知っているのかな? この人は君のことを友人と言っているようだけど、もし違うならそう言っていいからね」

 

 疑うのはわかるんだが、さすがに苛ついてくるな。

 うろんげに俺を見てくる役員に、どうにか言ってくれと留美を見ると、なにやら不満げな様子で、

 

「違います。友人ではないです」

「へえ」

 

 おいおいおい。終わったわ俺。

 何言ってくれてんだよ、役員の人腕捲りして今にも掴みかかってきそうなんだけど。

 焦る俺だが、当の留美は俺の横に寄り添うように腕を組んできて、

 

「彼氏です」

「……は?」

 

 は?

 っと、そうか。例の作戦か。同級生が近くにいるのか。

 落として上げるとか、精神衛生上よろしくない。

 仲睦まじさを見せなくては……っていうか、あの作戦終わったんじゃなかったか。

 とはいえ、この流れに乗らないと不審者としてつまみ出されてしまう。

 ちょっと肩を寄せてみたりなんかして。

 

「えーと、まあ、そういう感じです」

「は? え? 彼氏? あんたが、この子の?」

 

 おうおう、混乱しておるわ。辛うじて丁寧語を使っていたのに、余裕が無くなっている。

 そりゃ、不審者扱いしてた奴が留美みたいな子の彼氏だったら驚くわな。

 さっきまでの勢いが無くなった役員さんを見ると、ちょっとざまぁ感を覚えるが、下手につっこまない方がいいだろう。

 

「おはようございます、八幡さん」

「おう、おはよう真希」

 

 留美の行動をばっちり見てたんだろう、吹き出しそうになっている真希が近づいてきた。

 そういえば、真希と会うのは()回目になるのか。なんだかんだと話す機会があったので、もっと前から知り合っていた気になっていたが。

 

「え、まさかあんた、この子にまで?」

「いや、落ち着けよあんた」

「あはは、腕組んじゃいます?」

「やめたげて。役員さんガチでテンパってるから」

 

 留美と反対側に位置どる真希であった。振りきれた留美に振り回されがちだけど、この子も中々エスっ気があるのかもしれない。

 

「え、え?」

「彼の見た目が不審なのはわかりますけど、私の応援に来てくれたんです。もう行ってもいいですか?」

「え、と、いや、うーん」

 

 わかっちゃうのかよ。自分でもわかっちゃいるけども、ちょっと切ない。

 しかしながら、この役員はしつこいまでに警戒を解かない。オープンな大会だから変なのが来るかもと警戒するのはあっぱれなのではあるが。

 と、そこへ、

 

「比企谷くん、何しているのかしら?」

「ヒッキー見っけ!」

「あー、先輩、留美ちゃんと腕なんか組んじゃって!」

「もー、お兄ちゃんってばフラフラどっか行っちゃうのやめてよね!」

「はああっ!?」

 

 色々と物事は重なるもので、ぞろぞろと現れたのは我が妹と雪ノ下らの面々。

 役員さんはなんだか、本当の本気でテンパっている様子。まあ、綺麗所がぞろぞろと出てくればな。ちょっと可哀想になってきた。

 そして、雪ノ下は冷たい視線を流し、ふうんと漏らす。すげえな、もう状況把握してやがる。

 

「役員の方かしら? 確か観覧するのに親族でなければならないなどの規定があるとは、パンフレットには書かれていなかったように思うのだけれど」

「は、え、はい。そうです。誰でも見学は可能です」

「そこの男は目も性根も腐っている上に自主的に動こうとしない怠惰な人間だけれども」

「おいこら」

「犯罪に手を染めるほどの情動も持ち合わせていないわ」

 

 自覚はあるがそこまで言われる筋合いもないぞ。さらっと涼しい声で言いやがって。

 俺の文句も意に介さず、雪ノ下に呑まれている役員に語りかける、というより追い詰めているかのよう。

 

「ただ応援に来た者をいつまで拘束するつもりなのかしら」

「いや、拘束だなんて、そんな」

「それならば、もう行ってもいいのかしら」

「は、い。長時間すいませんでした」

「あ、いえ、こちらこそ」

 

 見た目が不審でごめんなさいと謝ることがあるとは思わなかった。

 

 

 

 

 

 そうして、俺たちは連れだってベンチまで移動する。

 

「お兄ちゃん、ちょっと目を離しただけでトラブル起こすのやめてよね」

「いや、俺のせいじゃないだろ」

「そうね。比企谷くんの目と溢れる性根が悪いのよね」

「俺の存在が悪いように言うのやめてくれる?」

 

 もはや、外出することさえ悪いことになりそうだ。

 

「ところで二人とも。こっち来て大丈夫なの? 準備運動とかミーティング的なことやったりとか」

「大丈夫ですよ。一言断りいれてきましたし、自由時間ですし」

「それに、わざわざ見に来てくれたみんなに挨拶したかったから」

「留美ちゃん、相変わらず胸キュンなことをさらっと言っちゃうなぁ」

「今日はがんばってね!」

「はい、がんばります」

「ケガには気をつけて」

「ありがとうございます」

 

 

 などなどと話しはしたものの、大会前で長居できるわけもなく、早々に二人は集団に戻ることになった。

 

「助けに来てくれてありがとな。二人とも、頑張れよ」

「あはは、ありがとうございます」

「八幡。二人、なんて一括りにしないでよ」

 

 にこやかな真希に、ちょっとむくれている留美。他意はないのだが、お礼を言うのに失礼だったか。

 俺は胸元のペンの位置を二人にだけ見えるように直しながら、

 

「ん、そうだな。留美、真希、頑張れよ。応援してるからな」

「うん、がんばる」

「は、はい! がんばります!」

 

 その仕草の意味するところに気づいてくれたか、留美と真希はにこやかに笑い、俺たちにペコリと頭を下げていった。

 俺は運動に力を入れたことはなかったから、この大会がどれだけ大事なのか、負けたくない気持ちはどんなものなのか、わからない。国体やらインターハイやらを目指す連中の気は知れない。

 とはいえ、頑張っている妹分を応援するくらいの心はあるつもりだ。

 見送る俺の後ろでは、

 

「やっぱヒッキーは年下に優しすぎない?」

「小町ちゃん、今の留美ちゃんってさ」

「ちゃんと私を見て、って感じですかね。ねえ雪乃さん」

「なんのことかしら?」

「雪乃さん、ダメですよそんなんじゃ! 留美ちゃんの乙女回路がギュンギュン回ってるのわかりませんでした!?」

 

「え、え? 乙女、回路? なんのことかしら」

 

 こいつらは何を騒いでいるんだか。ちゃんと応援してやれよ。

 やれやれと呟きながら俺は、二人が先月誕生日にと送ってくれた胸元のペンを一さすり撫でるのだった。

 

 

 

 

 何がどうなって今この場にいるのかというと、夏休みに入る前から留美にお願いされていた約束を果たしているところである。

 留美と真希が体操部で頑張っているのは俺も小町も、雪ノ下や由比ヶ浜、一色すら知っていることだ。

 女性陣はグループトークとやらで話しているらしく、また俺の知らないところで結構会っているらしいのだが、まあ、それは別にいい。ちょっと疎外感を感じたりもするが、いつものことだしな。

 留美のお願いとは、夏休み明けの九月に体操の新人戦があり、見に来て欲しいとのこと。

 出来れば外出したくはない俺ではあるが、留美から頼まれれば否やはない。それは雪ノ下らも同じようで、というか溺愛レベルで可愛がっているのだから言わずもがなというもの。

 特に模試などの予定もないので応援に来たわけだが、場違い感がすごい。俺たちの年代がほぼいない。中学生の大会だからか、応援は親世代がほとんどだ。

 男女混合の大会で試合会場は一緒なのが救いか。選手ではあるが、男女比がもっと傾いていたらまともに留美や真希の応援はできなかったかもしれない。

 観客席につき、体操場を見下ろしていると、開会式が始まるまでの退屈を補うように雑談が始まる。

 

「ところで、器械体操ってどんなの? リボンとかボール投げるやつとは違うんだよね」

「結衣さん、それ新体操です。小町もわかってなかったですけど、床と平均台と、あと跳馬と勘違い平行棒、だっけ、お兄ちゃん?」

「段違いな。勘違ってどうする」

「先輩。跳馬って、跳び箱のすごいやつですっけ?」

「その言い方だとモンスターボックスみたいだな」

「跳び箱のように跳ぶのは間違いないけれど、高さではなく、回転や着地などが得点になる競技よ」

 

 正直なところ、オリンピックのような機会でもないとテレビでは見ないし、直に見るのは体育の授業以来だ。

 留美や真希がやっていなければ、今でも興味を持たずにいたのは間違いない。

 俺や雪ノ下は家で動画やらを見て調べたりしたわけだが、

 

「ネットに蔓延する女子体操への不埒な目線での注目度を考えるに、比企谷くんを排除しようとした先ほどの役員の行動が間違いとは言い切れないのよね」

「ちゃんと仕事しようとしてたわけだしな」

 

 非常に業腹だが、納得のいく意見なんだよな。

 

「……」

「何だよ」

「いえ、別に。何でもないわ」

 

 同意したのが意外に思ったのか、雪ノ下が軽く目を開き見てくる。何事か言うのかと思えば、そのまま目をそらす。

 何だろうな、最近こういうパターンが多い。言いたいことがあるのなら言えよと、普通なら思うのかもしれないが、あいにく俺は普通ではないのでスルーである。

 

「ゆきのんが言ってたふ、らち? ってさ、ヒッキーもそうなの?」

「あん? そう、ってなんだよ」

「ヒッキーも、エッチな目で留美ちゃんとか真希ちゃんとか見てるの?」

 

 何たることか、由比ヶ浜がとんでもないことを言ってくる。

 反論しようと口を開こうとするも、ふと、先日家に来た留美の姿を思い起こしてしまう。

 華奢な体躯をレオタードに包み、なだらかながら大人に成りかかっていると思わせる線をしていた。よく似合っていたし、目を惹き付けられる魔力すら感じた。それを由比ヶ浜の言うエッチな目、というのかわからないが、魅力を感じたという意味では間違いはないだろう。

 そういえば真希もあれを着るのか。体形がわかる服装を見ていないので何とも言えないが、小柄な留美よりも色々とボリュームはあるだろうから、留美とはまた別の意味で目を惹き付けられそうではある。留美とは違った方向に可愛らしいし。

 うむ。ひょっとしたらひょっとして、俺は由比ヶ浜の言葉を否定できないのではなかろうか。

 

「ちょっと、先輩? 何で黙ってるんですか。まさか、本当に!?」

「バッカお前。呆れてものが言えないだけだ」

「本当に? 実はヒッキー、ちっちゃい子が好きとかない?」

「あいつらをちっちゃい子呼ばわりはさておいて、なあ、そこまで言われるほど俺ってあいつらに甘いか?」

「普段のお兄ちゃんを知ってる人からすると、そうだね」

「あなたが年少者に対して穏やかに接するのはわかるけれど、奇妙にというか異様に感じるわね」

「そこまでか」

「そうですよ! 先輩、わたしも年下なんで、扱いの改善を求めます」

「え、やだよ」

「なんでですかー? 年下ですよ? 可愛いですよ? もっといろはちゃんを可愛がるべきだと思います!」

「お前、甘やかすとつけあがりそうだもんよ」

 

 横暴だのストライキするぞだのと、何故だかうちの妹までもが一緒に騒ぎだしたのを尻目に、開会式を見下ろす。

 スポーツとしては珍しいのではないかと思うが、男女比は半々といったところだろう。

 ジャージで整列するたくさんの中学生の中から見つけるのは困難かと思われたが、思いの外早く見つかる。

 

「ジャージの留美ちゃんって、新鮮ですね」

「そうね。こう言ってはなんだけど、留美さんに活発なイメージを持っていなかったのよね」

「だよね。体操部入ったって聞いて、意外って思ったもん」

 

 それは同感。

 去年の留美との接点といえば、千葉村でのキャンプやクリスマスイベントでの演劇などで、スポーツ少女な印象はなかった。

 性格的にも物静かで穏やかで芯が強くはあったが、実は結構気が強くて負けず嫌いな面があると知ったのは今年に入ってからである。

 

「おっ、始まるみたいだな」

 

 千葉市体操協会の会長の挨拶が終わり(そんなのあったんだと思った)、選手が各々の学校ごとに散っていく。

 そんな中、俺たちを見つけた留美と真希が笑いながら手を振ってきたので返す。

 

「やっぱ、いつものヒッキーじゃないみたい」

「やかましい」

 

 いい加減、その話は終わらせてくれ。

 

 

 

 

 

 役員が一斉に器具の準備を始め、しばらくして体操場の準備が整った。入り口で俺に話しかけてきた役員もいて、途中で目が合い、女性陣に囲まれている形の俺を見て困惑していた。なんか、すまん。

 男女で同じ体操場を使うのか、ズラリと設備が立ち並ぶ。

 目を惹くのはやはり大きな鉄棒。小学校の時校庭にあった高鉄棒よりも高い位置にあり、よくしなりそうな棒があるが、あれ鉄で出来てるのだろうか。鉄棒と称していいのだろうか。男としては男子の演技に興味はあるので、余裕があったら見てみよう。

 さて、観客の俺たちには選手がどこでどういう順番で演技をするのか、正確にはわからない。学校順というわけではないようだ。なので、留美と真希を探すため体操場に目を凝らしていたのだが、ちょうどわらわらと選手が出てきたものだからよくわからんことになっている。

 

「人が多くてわかんないなー」

「二人とも手を振ってくれたらわかるんですけどね」

「どんなレオタード来てるのかも知りませんしね」

「あーっと、そうだな……」

 

 危ない危ない。ここで留美のレオタードはこんなのだ、なんて言った日には、なんで知っているのかから、あの日に何があったかとか、痛くもない腹を探られかねない。まあ、何もなかったので普通にしていればいいのではあるが。

 いかん。変な反応したせいか、雪ノ下がこちらを見ている。

 と、改めて見下ろしたところ、発見できた。

 

「ああ、いたいた。留美がいるぞ」

「え、どこどこ!?」

「あ、可愛いー留美ちゃん」

 

 見れば、平均台のところに留美がいた。

 以前に見た、地味ながらも強烈な印象を与えるレオタードに身を包み、髪をゴムで結んでいる。距離があるので定かではないが、なんとなく、俺があげたゴムのような気がした。

 ちらりとこちらを見て、微笑んだのは見間違いではないだろう。

 

「真希さんは一緒ではないのね」

「バラけちゃったのかな」

「みたいだな。跳馬のとこにいるの真希じゃないか」

「あ、ホントだ!」

「なんか下向いちゃって、緊張してるのかな」

「がんばれー留美ちゃん! 真希ちゃん!」

 

 何故だか由比ヶ浜の声で応援しているのを聞くと、ニチアサを思い出す。

 プイキュアー、がんばえー!

 そんなことはさておいて、真希は傍目にも緊張しているのがわかるほどだ。ソワソワしてるし。

 なんだっけ、昔マンガで見たな。跳馬の失敗、そうだレントゲンだ。助走して跳べずに胸から体当たりしてしまうやつ。あれをやってもおかしくなさそうな雰囲気がある。

 留美が言っていたか、真希はメンタルに演技が左右されやすいって。ノっているときは素晴らしい演技をするが、ダメなときは目も当てられないとか。

 ふと、留美に目を戻すと真希の方を見ていて、そして俺を見て頷く。

 うーむ。声にしなければ伝わらない、言わないのなら伝える気がないと、普段は思うところなのだが、留美の言いたいことがわかってしまった。距離があっても目と目で通じあうとかあるんだな。

 ……柄じゃないんだが、まあ、たまにはいいか。

 

「真希さんのところ?」

「ああ、不審者と思われないことを祈っていてくれ」

「すでに手遅れではないかしら」

「そういえばそうか」

 

 俺が動き出したのを目ざとく見ていた雪ノ下が言ってくるが、すでに不審者扱いされていたんだから今さらだった。

 さて、なんと言ったものかと考えながら跳馬の方へ。観客席の人が変な目で見てくるが、八幡気にしない。

 

「おーい、真希ー」

「ふぇっ、えっ!?」

「こっちだこっち」

「は、八幡さん!?」

 

 周りが見えていなそうな真希は、案の定狼狽えていた。

 慌てて走り寄ってきた真希の姿は、当たり前だがレオタード姿だ。予想通り、留美よりもボリュームのある体つきをしており、これまた至近距離だったら目を反らしたくなりそうではあったが、高低差があるので問題なかった。

 

「ど、どうしたんです?」

「真希が目に見えて緊張してたから、様子見に来た」

「そ、そんなにですか」

「ああ、そんなにだ」

「あ、あはは」

 

 周りは騒がしく、声を張らなければお互い声は届けられない。俺がこんなことするのはかなり珍しい自覚はある。

 とはいえ、妹分ががんばるなら兄貴分としては応援するのが当たり前なわけで。もっと言うなら、誤差かもしれないが俺たちの中で真希と一番付き合いが長いんだか深いんだかは俺なわけで。

 自分への言い訳終了。

 

「私より留美ちゃんに声を掛けてあげてくださいよ」

「留美は今は大丈夫だ。真希」

「は、はい」

「良い演技をしたらすごいって誉めてやる。駄目だったら慰めてやる」

「は、はい?」

「でも、怪我したら怒るからな」

 

 端から聞けば、こいつ何言ってんのって思われるだろうが、二人が良い演技をすることよりも怪我をしないでくれた方がいい。

 その旨正直に伝えると、真希はポカンとしていたが、すぐに破顔した。

 

「八幡さん、応援としては失格なセリフですよ」

「だろうな」

「ふふ、でもわかりました。怪我しないでスゲーって言わせてみます!」

「そか。気をつけてな」

「はい!」

 

 いい返事をして、真希は元気よく手を振って、跳馬へ戻っていく。緊張が解けたかはわからんが、まあ、大丈夫なんではなかろうか。

 なんだか付近の人に生暖かい目で見られている気がするが放置して、席に戻る。

 わかってはいたが、微妙な視線を向けられる。

 

「やっぱ先輩って……」

「お兄ちゃんらしいと言えばらしいかと……」

「あたしだけヒッキーより誕生日前だし……」

「私は後だけれど、そういった素振りは……」

 

 何か色々話しているようだが、知らん。

 

 

 

 

 

 さて、とうとう演技が始まったのだが、誰も詳しいことがわからんということがわかっている。

 

「得点ってどう決まるの?」

「技の難度と正確さというか、綺麗さかしら。膝が伸びているだとか、着地でぶれないだとかそういったことで加減があるようね」

「素人目には細かいところまでわからないんでしょうね」

「あ、真希ちゃんが跳馬やりますよ!」

 

 小町の声に視線を向ければ、真希が跳馬の前に立っていたところだった。

 元気よく手を挙げ、助走、ロイター板を踏み切り、何回転したかはわからないがひねりを加えて綺麗に着地。

 もちろん、テレビで見たオリンピック選手には及ぶわけもないが、一色の言うとおりで素人目には細かいところまでわからなくとも、真希の前に演技をした選手よりダイナミックに見えた。

 

「おー、真希ちゃんかっこいー!」

「ピターって着地したから、点数高いんじゃないの?」

「きれいに回転も着地もしていたわね」

「あ、今度は留美ちゃんが平均台!」

 

 忙しないな。あっち向いてこっち向いて。とはいえ見過ごすわけにもいかない。

 留美が手を挙げ、ジャンプして百八十度開脚して平均台に登り、演技が始まった。

 

「わ、わ! 留美ちゃんすごい!」

「おー、あの狭い棒の上でクルクルと」

「平衡感覚がいいのね。ふらつきがないわ」

「お、お、おー! 見たヒッキー! 留美ちゃんすごいよ!」

「見てるようるさいな」

 

 気持ちはわからんでもないが、雪ノ下以外の三人がうるさい。

 身内の贔屓目を抜きにしても、留美は丁寧で綺麗な演技をしていたように見える。審査員がどこを見るのかわかれば点数予想とかできるのだろうか。

 さて。以下、ダイジェスト。

 

真希の床

 

「真希ちゃんってバランスのいいスタイルしてるよね」

「そですね。それに動きもキレがいいからかっこよく見えるんですかね」

「そういうもんか」

 

留美の跳馬

 

「留美ちゃんちっちゃいのにおっきく見えるね」

「伸身だからかしらね。やはり綺麗な演技よね」

「着地もピッタリ!」

「留美は着地が静かだな」

 

真希の段違い平行棒

 

「確か真希は平行棒が得意って言ってた気がする」

「真希ちゃんは演技が派手目ですね」

「体格がいいのもあるでしょうけど、本人の性格かしら」

 

留美の床

 

「留美ちゃんちっちゃいのにおっきく見えるね」

「伸身の演技が多いからかしら。その分回転数が少ないように見えるけれど」

「他の連中もそんなに回ってないから、まだ気にするほどじゃないんだろ」

「体柔らかいなー」

 

 

真希の平均台

 

「真希ちゃんも百八十度開脚できるようになったんだね」

「苦労したらしいですよ」

「おー、あの狭いところで走るとか」

「真希ちゃんの演技これで終わりだっけ?」

 

 

 

 

 

 一通り見て、とうとう留美の段違い平行棒の演技を残すのみとなった。

 もう終わってしまうのかと、ちょっと残念さがある。生で見ると面白さが段違いで大変興味深かったのだが。

 見ていると余裕なんてのがあるはずもなく、男子の演技にはまったく気が向かなかった。男子諸君すまぬ。

 そういや、点数とかどうなってるんだろうな。観客席からではわからないし、見えたところで素人には理解しできなかろうが。

 そうこうしてると、演技をすべて終えた真希が観客席の俺たちの方へ駆け寄ってきていた。

 

「真希ちゃーん。すごいね、かっこよかったよ!」

「ありごとうございます! でもそれはおいといて、留美ちゃんなんですけど」

「留美さんがどうかしたの?」

「いい位置にいるんですよ。次の得点次第では表彰台に上がれるかも」

「えーっ! すごい留美ちゃん!」

「だけど、次の段違い平行棒って、留美ちゃんが苦手な演技なんです」

「留美ちゃん緊張してるの?」

「いえ、いつも通りなんですけど、八幡さん」

「おう」

「留美ちゃんに声かけてくれません?」

「む……」

 

 そうきたか。開始前は真希に声をかけたのだし、留美にもそうすべきなんだろう、普通なら。

 見やれば由比ヶ浜も一色も小町も、ぜひ行くべきだと、目が訴えていた。そして雪ノ下はといえば、あえて言うならば任せる、だろうか。

 うむ。なんだか、今日は目での意思疏通が可能な日のようだ。

 

「真希」

「はい、留美ちゃん呼んできますか!?」

「すごかったぞ。いっぱい練習したんだな」

「うぇっ!? あ、ありがとうございます、じゃなくて!」

「留美には伝言だけ頼むよ」

「声かけてあげないんですか?」

「留美なら大丈夫。一人でできる。だからな──」

 

 走り去っていく真希を見送ると、視線が突き刺さってくるのがわかる。

 

「先輩と留美ちゃんだけにわかる話とか、ズルいですよ!」

「なんでだよ」

「本当に留美ちゃんに声かけなくていいの?」

「心配してもいいけど、しすぎはよくないんだよ」

「冷たいのね」

「本気でそう思ってないだろ、お前」

「あら、わかったようなことを言うのね」

 

 なんだかんだと濃い付き合いをしてきたからなのか、見透かしているんだかされているんだか。まあ別に、悪いことではないのだが。

 と思いつつ、何も言ってこない小町を見てみると、何やらぶつぶつ言っており、頭を抱えて悶えていた。

 

「お兄ちゃんが留美ちゃんを応援しないはずがない……ということは、これは信頼のあらわれ? はっ! 留美ちゃんは小町より妹ムーヴをしている!? やっぱり留美ちゃんは小町の妹ポジションを脅かす脅威!?」

 

 あれれー、おかしいぞ? この中で誰よりも付き合いの長い妹のことが、誰よりもわからなくなってきた。

 

 

 

 

 

 段違い平行棒へ走る。そろそろ留美ちゃんの番だったはず。その前に伝言を伝えなくちゃ、って思ってたんだけど、どうやらちょっと展開が早くなっていたらしい。

 

「さっきの子途中でやめちゃってどうしたんだろうね」

「手を痛めて救護室に行ったみたい」

 

 なんてこったい。その子に非はないけど、タイミングが悪すぎる。

 私が到着した時すでに留美ちゃんが演技の準備に入っているところだった。今から話しかけるなんてできない。でも、伝えないと。

 

「留美ちゃん! 八幡さんが──!」

 

 私何言ってんだろうね。周りの子が不思議そうな目で見てくる。うん、私もよくわかってないから安心してください。

 こう言えば留美ちゃんには伝わるってことらしいけど、どうだろう。

 留美ちゃんは不思議そうな顔をして、滑り止めのタンマに手を付けようとした指をあごにやって、はっとして私の方に振り向き、

 

「っ」

 

 ぞくっとした。

 留美ちゃんは今、確かに笑った。だけど、その笑い方は、なんというか……蠱惑的、だった。ぶっちゃけ色っぽかった。正直見惚れた。

 距離がある私でさえそうなのに、留美ちゃんの補助をしている役員の人は直近で見てしまったわけで。入場前に八幡さんに絡んでいた(撃退しようとした?)役員の男性は、ここからでもわかるほどに顔を赤くしてボーっとしていた。留美ちゃんを見ていなかった別の役員さんに小突かれて正気に戻っていたけど、ちゃんと補助してくれるのか、ちょっと心配。

 そんなこんなありつつ、留美ちゃんの演技が開始となった。

 演技は一分あるかないかくらいの時間だけど、あっという間に終わってしまった。それほどに留美ちゃんの演技は、今まで練習してきた中で一番できがよく、見入られた。

 私も留美ちゃんも中学入ってから体操を始めたので、難易度や演技を見る目はまだまだだけど、綺麗で丁寧で、かつ見る目を奪う表現力抜群の演技だった。

 なんら心配する必要はなかった。となると、気になるのは一つ。

 留美ちゃんを発奮させた八幡さんの言葉って何なんだろう。

 

 

 

 

 

 今日の出来事。

 留美と真希の応援に来たら不審者扱いされた。

 留美と真希はとても良い演技をした。

 そして、真希は惜しくも入賞を果たせなかったものの、留美は見事に三位入賞を果たした。

もっとも、中学から体操を始めた新人のみの大会だということなので、まだまだ上がいるようだ。

 留美が段違い平行棒の演技を行ったときの俺の激励の言葉が関係しているかはわからないが、もしも素晴らしい演技の一因となったのならば喜ばしい限りだ。

 閉会式にて表彰を受けた留美は、大騒ぎする同行者の歓声に恥ずかしげにしつつもヒラヒラと手を振って応じたのだった。

 ちなみにであるが、俺たちとは別の方向を向いて手を振っていたのでそちらを見てみると、留美のご両親が応援に来ていたことが判明した。いつから来ていたの知らないが、家庭環境が順調であるのならば、それもまた喜ばしい。気づかれたようなので会釈だけ返しておく。

 さて、俺の言葉の意味を知りたがったり、何となく察したのか責めるような目線を向けてきたりする同行者達と離れ、俺は呼び出された場所へと向かっていた。

 そこは大会が行われていたとは思えないほど閑散としている建物の裏側であり、そこに俺を呼び出した当人は立っていた。

 

「待たせたか?」

「ううん。大丈夫」

 

 勿体ぶる必要もなく留美なのだが。

 留美は当然ながらレオタードから着替えておりジャージ姿だった。

 応援していた俺たちとは違い、選手は一度学校に戻りミーティングなりをやってから帰宅するのだろうから、集団行動で動くのだろうからそれほど時間があるわけではない。

 

「すごかったな、留美。贔屓目抜きにしても一番目立ってた」

「ありがとう。正直順位とか気にせず力を出しきれたらいいって思ってたけど、いざ入賞すると嬉しいね」

「俺には経験ないからわからんが、そうなんだろうと予想はつくよ」

「ねえ八幡。すごかった以外の感想ってある?」

「そうだな。留美の演技を見て、興奮したし見惚れた」

 

 言うと、留美は実に嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

「八幡が、私に興奮して見惚れたんだ」

「こら。演技に、だ」

 

 実にわざとらしく曲解する留美の額をつつくと、ペロリと舌をだしてまた笑う。

 

「でも、少しはそう思ってほしいな」

「ん、まあ、少しは、な」

「やっぱりまた、八幡の部屋に着て行こうか?」

「やめなさい」

 

 留美は物静かで大人しいのが基本の性格だが、時折こういうドキリとするようにからかってくる。まったく末恐ろしや。

 さて、時間があればゆっくりと話すところだが、留美は真希とか顧問の先生とか同級生とか、俺はあいつらを待たせているのであった。

 だから、ここに来た目的をさっさと果たすべきだろう。

 

「じゃあ、はい」

 

 留美もそう思ったのだろう。意思疏通の必要すらなく留美は体勢を整え、俺はその思いきりの良さに少し笑ってしまう。

 目を閉じアゴを上げ、後ろ手に組む姿勢のキス待ち顔。

 頬に手を添えるとビクリと反応する。微笑ましく思いつつも顔を近づけると、留美の顔の綺麗さに改めて気づく。

 留美の顔は年に似合わず綺麗な造りをしており、しかしながら年相応に可愛らしいところもあり、からかってくるノリのいい部分もある。まさにクールキュートパッション揃っている最強具合。

 そんな子と唇にではないにせよキスをするのだと、先日のレオタード姿の留美と超接近した時を思い出してしまう。

 正直に気持ちを吐露すれば、かなり留美は俺に懐いていると思っている。それこそ、このまま唇にキスをしたのだとしても、驚かれこそすれ嫌われたりはしないのではないか、とか。

 この打算的考えが、留美の俺への信頼を裏切っているのは承知の上で、逆らいがたい誘惑を感じている。

 目標を当初より少し上に修正しようか、少しぐらい触れても大丈夫じゃないかと愚考し、視線を向け、留美の耳が朱に染まり、体が微かに震えているのに気づけたのは僥倖だった。

 どうしようもない自分であるのはわかりきっていたが、人の信頼に突け込むような下衆な真似はしていいはずもなく。後で自分を思いっきりぶん殴ろうと決心しつつ、目標地点にずれることなく着地した。

 

 

 

 

 

 触れるのは秒に満たない一瞬。だとしても、留美が望み、俺が提案した普通ではないキス。

 離れ、目を合わせると、どちらともなく笑う。

 

「“今度はアゴでいいか”って、どう考えても応援の言葉じゃないよね」

「留美には効果覿面だったみたいだけどな」

「私、ご褒美もらえるの好きなのかも。八幡からしてくれるの初めてだし」

「現金なもんだ」

 

 俺なんかのキスがご褒美にならば唇でも云々はもう考えない。

 今は留美が喜んでくれるならそれでいい。

 

「じゃあね、八幡。んっ、と」

 

 とかなんとか考えていたら、柔らかい感触、鼻をくすぐる留美の匂いが一瞬。チュッと音が聞こえて。

 またもや不意打ちで留美に頬っぺたにキスをされたのだとわかったのは、留美が遠くに離れてからだった。

 

「応援に来てくれてありがとね!」

 

 バイバイと手を振る留美に振り返せたのは反射的な行動だろうか。

 以前にもされたのにまたされるとは油断しすぎだ。いや、避けたりしたら留美が悲しむか。そもそも避けるつもりがあったのか。

 留美と手をつなぐのは普通のことで、時にはハグすらして。まだと言うかもうと言うか、三回目のキス。され返すのは二回目で。

 なんで欧米かと突っ込まれそうなことしているのかと、今になって初めて思う。これも慣れというのか。

 俺に懐いてくれていて、小生意気でおしゃまで、優しく賢く芯が強くて、妹のように思っている年下の可愛い子。

 俺は留美をそう思っていた。思い込もうとしていた。

 いつだったか、一色に妹扱いされて喜ぶ女の子はいないと言われた。言われていてなお、留美を妹扱いしていた。

 留美を一人の女の子として見れていなかった。見ないようにしていた。

 今まで余裕を持って対応できていたのはそのためだ。

 意味なく頭をかいてみる。

 もう、今までのように留美と相対することは、難しいのではないかと自覚する。

 

「俺みたいな青春ラブコメのキャラがいたら、炎上待ったなしだな」

 

 人の好意に気づいていながらとぼけてごまかす。懐かれているのをいいことにその状況に甘んじる。

 有り体に言って最低である。

 俺は鈍感系でも難聴系でもない。勘違いかも誤解かも、なんてのはずいぶん前に通りすぎた。

 留美はストレートを投げ続け、俺はカットし続けていた。アプローチが直球すぎてまともにバットを振れなかった。俺が臆病なだけだった。

 数々の誤解や勘違いをしてきた俺であるが、さすがにそろそろ韜晦しきれない。

 留美は本当に、作戦などではなく、俺のことが好きなんだろう。

 誰かに聞かれたら何言ってんだと、自惚れてんなよと思われるかもしれないが、ほぼ確信していた。

 いつからだか知らないし、なんでだかもわからないけども、嬉しいことは確かだ。

 だから、困る。

 俺は、留美の想いに返せる言葉を持っていないのだ。

 

 

 

 

 




 ある日、ふと気付くことってありますよね。
 それまで常識と思っていたことが間違っていたとか、嫌っていたことが重要なことだったりとか。
 軌道修正って大変なんです。

 さて、踏み出す一歩はまたしばらくお休みいただいて、別の作品の更新をしていきます。
 よろしければそちらもどうぞ。
 じゃあまた。

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