留美が奉仕部を訪れた翌日。留美を演劇につれていく前日。
俺は奉仕部を訪れることなく、学校を出る羽目になった。なぜかって? それは留美を演劇に連れて行く準備をさせられるからだ。
「準備って、何の準備だよ。オペラグラスでも買いに行けってか?」
「留美さんと一緒に行動するのに、比企谷くんは目を潰さなくてはならないわ」
「いきなり怖い事言うな。なに、俺にどうしろって?」
部活に行くために教室を出ようとしたところ、教室の前に雪ノ下がおり、いきなりおっそろしい事を口走ったのだ。
「あ、ゆきのん来てくれたんだ」
「ええ。由比ヶ浜さんだけでは、比企谷くんの説得は難しいと思ったので」
「説得? 何の話をしてんだよ」
「だから、週末の話だよ」
教室の前では他の連中の邪魔になるため壁際に移動したところ由比ヶ浜までもが合流してきた。
その由比ヶ浜が言うには、留美と二人きりで行動するときに、俺の目は誤解を招くということだった。そりゃ、目つきが悪いというか、よく腐ってるとか死んだ魚の目をしてるとか言われるが、そこまでかなぁ。
「由比ヶ浜さんが言うには、あなたの目は眼鏡をすることで緩和されるそうよ。私は部室に詰めているので、似合う眼鏡を買ってきなさい。あるかどうかはわからないけれど」
「決定事項の通達じゃねえかよ。俺の意思は?」
「ないわ」
だろうと思ったよ。
俺以外の二人がそう決めているのなら、最早俺がどうこう言っても覆らないだろう。だが、実際問題として無理だ。
「金が無い」
「知っているわ。だから、変則的ではあるのだけれど、私と由比ヶ浜さんと一色さんがお金を出し合ったわ」
「おいおい。俺にそんなことされる謂れは無いぞ。養ってもらうつもりはあっても施しは受けん」
なんでそんなにまでするんだ、こいつらは。それに一色まで? どういうつもりなんだ。
「あのね、ヒッキー。昨日三人で話したんだけど、私もゆきのんも、ヒッキーに誕生日プレゼントもらってるのに、お返しをしていないんだ。だから、ちょっと遅いけど、誕生日プレゼント代わりに受け取ってくれない、かな?」
「はあ? 別にそんなの気にしなくていいってのに。それに、一色には俺何もやってねえし」
「だったら、私の誕生日の時に、色つけて返してくれればいいですよ」
そうこうしているうちに一色までもが現れた。え、何なのこの状況。
「今日、生徒会はお休みなんです。だから結衣先輩と一緒に、先輩の眼鏡姿を一足先に拝んじゃおうかなーって」
「えー、つまり、俺と由比ヶ浜と一色で買い物に行け、と?」
「そういうことよ」
この包囲網では、もはや抵抗しても無駄なのだろう。ため息をつきたくなった。
「それじゃ、ヒッキー。校門で待ってるからね」
「バックレようとか、無駄ですからね」
行くか、と声を出そうとした途端、由比ヶ浜と一色は玄関に駆けていってしまった。 え、この状況で置いていくの? っていうか廊下で走るなよ。
「比企谷くん」
駆けていく二人の姿を見送り、後を追おうとした俺を、雪ノ下が呼ぶ。振り向いて見たその顔は、ひどく真剣そうに見えた。
「留美さんの相談、その裏に何があるかわかっている?」
「……いや、正確にはわかっちゃいない。何かがあるのは予想がつくが」
「そう……」
言って、雪ノ下は唇に手を当てて、少し考え込む。
「相談を受けたのは比企谷くん、あなた」
「ああ」
「あなたなんかに相談せずとも、誰がしか他に相談できる人がいるはずなのよ、彼女には」
「なんかって……まあ、そうだな」
雪ノ下の毒舌はともかくとして、それは俺も昨日からずっと考えていることだった。
今の留美に友人は難しかろうが、進路相談のような内容の悩みであれば、親や教師に相談するのが普通だ。
そうしないのは、そうできないのには、留美が抱えていて俺たちに話していない理由があるはずだ。
「比企谷君は、ご家族は仲がいいのかしら?」
「あ? まあ、両親とは普通だと思うが、小町とは仲がいいと思うぞ」
何せ親父と来たら小町大好きで俺のことはぞんざいだし、かーちゃんときたら俺のバースデーケーキの名前を間違えるほどぞんざいだし。うわっ……俺の扱い、雑すぎ……?
とは言うものの、いかに俺の扱いが雑であっても愛されていないわけではない、はずだ。呆れられてはいるだろうが、諦められてはいないだろう。
「そうね。小町さんのような妹を嫌いになる方が難しいでしょうし」
クスリと笑った雪ノ下の笑みに、含むものを感じる。
雪ノ下は自分の上位互換であり、敵わないと感じている姉陽乃さんのことを苦手に思っている。そして、母親に対しては恐怖に近い感情を抱いているように見えた。当の陽乃さんは、妹の家族に対する感情を『嫌いだけど嫌われたくない』と評していた。
だが俺も由比ヶ浜も、雪ノ下が家族へ鬱屈した感情を持っているが、嫌ってはいないのだろうと思っている。言うなれば『好きで嫌われたくないが苦手』だろうか。陽乃さんみたいな人にいじられまくっていたら苦手意識持っていてもおかしくはない。実際俺も苦手だし、嫌いじゃないが。
「様々な家族があるのよね。あなたのところのように仲がいいところや、私のところのように複雑なところ」
人様の家族についてとやかく言うつもりはないが、複雑というよりはめんどくさいというのが正しい気はする。陽乃さんは魔王で、母親は魔王が私より怖いと評する人だ。攻略するならば準備万端整えねばなるまい。何より雪ノ下自身がめんどくさいところあるしな。
「留美さんのお宅がどうなのかは、わからないのだけれど」
俺に友人関係のアドバイスができないのと同様に、雪ノ下には家族関係のアドバイスができない。雪ノ下は、留美の抱える真の悩みが家族関係にあるとあたりを付けているようだ。
見れば、雪ノ下の表情は非常に悔しそうだ。まるで、留美の力になれないのが悔しいかのように見える。実際そうなのだろう。
昨日の二人が、性情が似通っていて相性がいいように見えた。あの短時間で、雪ノ下は留美に情を抱いたのだろう。もしくは庇護欲か。
これが普通の人間であったり、正義感の強い人間ならば、留美の悩みの解消を試みるのだろう。仲良くなった子が困っているのを黙ってみていられないとか何とか、一見して正当な理由によって。
だが、彼女は雪ノ下雪乃だ。困っている人に救いの手を差し伸べる奉仕部の部長。持つ者が持たざる者に慈悲の心をもってこれを与える、それがボランティア。
今回留美が頼ってきたのは俺こと比企谷八幡であり、また雪ノ下には留美を救う方法が分からない。自らが持っていない物を、それを求める者に分け与えることなどできないし、見つける方法など自分が知りたいだろう。
俺が動くしかないし、動くべきなのだ。それが、俺の義務であり責任、なのだろう。
だが、それでいいのかという気もしている。
「雪ノ下」
「何かしら」
「最大限、努力はする。必要があれば頼る。それでいいか」
俺が断言できる言葉を選んで発し、雪ノ下は一瞬目を見開き、今度は含むもののない笑みを浮かべる。
「そこで、必ず助けると言わないのがあなたよね」
「できるかどうかもわからないことは断言できねえよ。助けようとはするが、結果はわからん」
「そうね。もし、あなたが適当なことを言っていたら軽蔑していたもの」
言って、雪ノ下は荷物を抱えなおす。壁に寄りかかって話していた俺たちだが、二、三歩壁から離れた雪ノ下が振り向く。
「留美さんをよろしくね」
「ああ」
「あなたが眼鏡をかけた姿、一見の価値はあると思うの。忘れないようにね」
「ああ。忘れなければ、な」
また週明けに、とお互いに軽く手を振りあって別れる。その前に、
「ああ、雪ノ下。一つ聞き忘れた」
「? 何かしら」
「思い出してほしいんだが――」
この後、数話ほど留美は出ません。