幸福とは果たしてどんなものか。
筆頭としてあげられるのはお金だろうか。一定以上の収入があり、毎日贅沢とは言わずとも衣食住に困らない生活を送ることだろうか。
それとも毎日自分の好きなことをやって、好きなようにいきることだろうか。
他にも理想の伴侶に出会い毎日を過ごすなり、夢であった職業に就き毎日汗水たらしながら仕事をすることかもしれない。
と、まあ色々あげたけれど何が言いたいかというと、幸せなんて人の数だけ存在するというわけだ。自分がその出来事や事柄について幸せを感じ るからといって、他人が同意してくれるわけではないということでもある。逆に他人から見たら幸せそうな人でも、本人は全く幸せではなく、むしろ不幸とさえ思っているかもしれない。
幸せは歩いては来ない。かの歌でもあるように幸せとは自分からつかむものである。降ってわいた幸運なぞ下手したら厄介事の種になるかもしれないのだ。
さて、長々と前置きをしたが本題はこれだ。
他人に羨ましがられる。それは他の人から見たその人が極論、幸せそうだからだろう。
羨ましい。そう思うのは、自分もそうなりたいと思うことの裏返しだ。そしてそれはいきすぎれば妬みや嫉妬になる。
千早は過去の自分の体験や、最近では蒔田聖と
しかしやはり千早も人の子である。完璧ではないのだ。自分の身にそう言うことが起こるのはすぐに気づいただろうが、しかし今回の事に限って言えば千早は気付けなかった。それは千早が嫉妬の対象になることはあるけれど、その逆はなかったからだろうか。
千早お姉さまと一緒にいるなんて羨ましい、と。
嫉妬ではなく羨望の対象にされていたわけだ。
この学院にきて、エルダーシスターに選ばれたのだからそう言う対象になってもおかしくないのだが、千早は自分の事にはあまりに無自覚だった。
「最近千早ちゃん、陽向ちゃんと仲良しですね」
修身室で昼食をとるなか、そう口を開いたのは初音だった。
今日は昼休みになるや否や千早の教室に雅楽乃が訪れた。雅楽乃の後ろには納得しないような顔をした淡雪も一緒に。それとほぼ同じくして初音も千早を訪ねて来たのだった。
どちらも特に予定していたわけではないが、千早と一緒に昼食をとろうと思い立ったらしい。
しかし千早は寮母さん特製のお弁当であるサンドウィッチを持ってきていた。
そんな千早の言葉にならば修身室を使いましょうと雅楽乃が提案していまに至るわけだ。
「そう、ですね。ここ二週間ほどよくお昼と放課後をご一緒してますね」
「何かあったんですか?」
初音は少しワクワクしたような顔でそんなことを聞いてきた。
そして雅楽乃と淡雪も先ほどの言葉に興味を持ったらしく、千早を凝視している。
「三人とも、そんなに見られても特に面白いことはありませんよ」
「えー、せっかく千早お姉さまの弱味を握るチャンスだと思ったのに」
「…雪ちゃん。本人の口から聞いたことが弱味にはならないでしょう」
「そんなことないですよ?例えば秘密にしてほしいことがあるとか」
「仮にそのようなことがあったとしても、それは陽向ちゃんも巻き込むわよ?」
「あ、そうか。ぐむぅ、使えないかぁ」
淡雪は本当に残念そうに落ち込む。そこまでして僕の弱味を握りたいのか、と千早は苦笑する。潔いのはいいがもう少し後先を考えて欲しいと思う。
しかし初音の言うとおり陽向との仲が急速に近づいているのも気のせいではないだろう。なにかあったわけではない。強いていうなら陽向が千早と仲良くなりたいと言ったことがきっかけだろう。しかし果たしてそれだけなのだろうか。
(いけない。つい人の感情の裏をとろうとしてしまうのは悪い癖ですね)
そこまで思い、自ら否定する。
陽向は自分と仲良くなりたい。それで完結してればいい。でもそれは、思考放棄ではないのか?
そんな風にぐるぐると考えがまとまらない。
はた目には笑みを絶やしていない千早だが内心ではそんな感じになっていた。
そして雅楽乃は目ざとくそれに気づいていた。
「千早お姉さまは陽向さんの事をどう思っているんですか?」
「…え?」
千早はその質問に、どういう意味を込められているのか雅楽乃を見る。
雅楽乃の顔は優しく微笑んでいて、しかし目にはしっかりとした意思を感じられた。
「私にとっての陽向ちゃん、ですか」
考える。
その行為によって、千早は雅楽乃の質問の意味を知った。
千早はさっきから陽向はなぜ自分と仲良くなりたいと思っているのか、陽向はなにを思っているのかと考えていたが、仲良くしているのは紛れもない自分の意思であるということ。千早は、千早本人が陽向と仲良くなりたいと思っているからこそ、陽向と一緒にいるのではないかと。
「ありがとう雅楽乃。なにか迷いが吹っ切れた感じです」
「お姉さまのお役に立てたのなら光栄です」
「頼りない姉でごめんなさいね」
「そんな…!とんでもないです。いつも助けてもらっているのですから、このくらい当然の行いです」
「私は雅楽乃を助けた事があったかしら?」
「お姉さまにとっては無意識の行動や言葉でも、それに救われたり助けられている人はたくさんいるのです」
「そういうもの、かしらね」
「そういうもの、ですね」
千早と雅楽乃は笑い合う。
そのやり取りを見ていた初音は、雅楽乃の言葉に共感したのかニコニコと笑っており、淡雪はなにをいっているのかわからないが千早と雅楽乃がイチャイチャしているのが気にくわないらしく千早を睨んでいる。
「もぉー!二人で意味深な会話してないで私にもわかるように話してください!」
睨むだけでは満足できず、淡雪は千早に食って掛かる。しかし千早は困った笑みを浮かべてこう返す。
「雪ちゃん…。これは私が納得すればいい問題ですから」
「うぅ…、そんなやり取りを目の前でされたら気になるじゃないですか」
そんなこと言われてもこれは自分の問題で、しかも納得した理由が他人に話すにしても憚る内容だ。
「まあまあ雪ちゃん。お姉さまも意地悪でそんなことを仰っているわけではないのですから」
「でもうたちゃんはわかってるんでしょ?」
「初音会長もわかってらっしゃるみたいですよ?」
「うそ!?」
淡雪が初音に視線を向けると、当の初音はニコニコしていて特に何も言わない。淡雪からしたらそれは雅楽乃の言葉に肯定しているのも同然だった。
「私だけ蚊帳の外にされてるの!?」
淡雪の言葉に三人は顔を会わせて笑い合うのだった。
千早たちが修身室で昼食をとっている頃、食堂には香織理と薫子、それに千早の侍女である渡會史が昼食を共にしていた。
珍しい組み合わせではあるが、薫子と香織理はもともと一緒にいて、そこに史がたまたま一緒になったのである。
「史ちゃんが一人でいるのはなんかめずらしいね」
薫子が千早おすすめのポトフを食べながらそんなことを切り出した。
「そうでしょうか?」
対する史はそんなことを言われるとは思っていなかったのかキョトンとした顔をしている。とはいっても近しい人しかわからないくらい表情は変わってはいないが。
「たしかに史ちゃんは千早と一緒にいるイメージが強いものね」
「私は千早さまの侍女ですから」
少し誇らしい感じに史は答える。
「ですが…」
「ん?」
「千早さまがこの学院に来る以前は一人でいる時間の方が長かったような気もします」
「そっか、だから一人で行動するのになれているってわけね」
「慣れている…かはわかりませんが、一人でもとくに不自由ではないですから」
「でも誰かといても不快ではないのでしょう?」
「そうですね」
史は微笑みながらそう答えた。
「そういえばさ、史ちゃんに聞きたいことがあるのよね」
ご飯を食べ終わり食後のティータイムに入ったところで薫子はそう切り出した。
「なんでしょうか?」
「最近、千早と陽向ちゃんがちょっと仲良すぎるとは思わない?」
その質問に香織理はこめかみに手を当ててため息をはく。
「薫子?それは少し下世話じゃないかしら?」
「いやでもさ、私たちは千早が男って知ってる訳じゃない?だから少し気になっちゃって」
それは陽向が千早のことを恋愛的に好きになってしまったことを言外にいっているようなものだった。
陽向からしたら千早は完全無欠に女性である。同姓に対してそう言うこともあるとは思うが、しかし千早は知っての通り男である。もし陽向が千早のことを好きになっているとしたら、その事実を知ったときにショックを受けるのではないかと薫子は思っている。
「たしかに最近、千早さまのお話には必ずと言っていいほど陽向さんの話が出てきます」
千早さまが気づいているかはわかりませんが、と付け足しながらそう言った。
「それって千早も陽向ちゃんのこと気になってるって話?」
「気になってる、というよりも気にしてるという感じですね」
「…?それなにか違うの?」
「全然違うわよ」
香織理は少し真剣なトーンで言葉を発する。
「気になってるという話なら、千早も陽向に少なからず好意をもっているという話になるけれど、気にしてるという話なら、好意はあるけれど陽向の行動に疑問を持っている。ということになるわ」
薫子はいまだによくわかってないらしく、まだ頭の上に疑問符を浮かべていた。
「つまり千早は、陽向が自分の秘密に気がつくかもしれないと思っているのよ」
無意識にかもしれないけれど。そう思ったが香織理は口にはしなかった。
「それに、あの二人が仲良くなっているのはもう学院の皆が知っていることだわ」
「そうだよね。何て言ってもエルダーだしね」
「あなたもだけどね」
香織理は笑いながらいうが、しかし一転真剣な表情になる。
「だから悪い話も聞くのよ」
「…それってどんな?」
「千早さまと陽向さんが仲良くしていて、嫉妬している人がいるということですか?」
史はそういう可能性もある、という話をしたが香織理が言おうとしていたのはまさにその事だった。
「はじめのうちは羨ましいという感情ですむけれど、度が過ぎれば嫉妬になるの」
「でもそれっておかしくない?千早は結構八方美人だから誰とでも仲良くするじゃない」
「貴女、いま答えをいったようなものよ?」
「へ?」
「つまり、千早は誰にでも優しいし誰にでも仲良くしてはいるけど、特定の人と深く関わろうとはしないでしょ?だから昼も放課後も一緒にいる陽向に目がいくのよ」
「それって私たちも含まれない?」
「それはないわ」
「お姉さま方と私は同級生と侍女だから、というわけですか?」
「そうね。ほかにも雅楽乃さんや淡雪さんも含まないわね」
「雅楽乃さんは他の生徒たちから憧れられる存在だし、淡雪さんは雅楽乃さんの親友だから?」
「そう。そして優雨ちゃんはあの見た目や体質から千早が世話しているという見方が出来るわね。だから一年生で、とくに何も特筆して言うことのない陽向は、言ってしまえば目をつけられやすいのよ」
特筆して言うことのないとはひどいはなしだが、その香織理の言葉に、納得はしたくはないがわかってしまう薫子だった。
「同じ寮に住んでいるから、という理由で納得できない人もいるというわけですね」
「人は他人のものが良いように見えるものよ。ましてや相手が千早なのよ?羨ましがられないわけないわ」
香織理の言葉に二人は無言で頷く。
「それに千早はたぶんそういうことに鈍感だから、私たちが気を配ってあげなきゃダメよ?千早の秘密がそこから露呈する可能性だってない訳じゃないから」
可能性で言えばないに等しい。けれどゼロじゃない。普段生活をしているのだって千早のリスクはあるのだから、悪い意味で注目を浴びればそれがさらに増えてしまう。千早だってここまできて退学になることは本意ではないだろう。
「まあ身構えすぎていても仕方がないから何にもできないのだけれど、そういう心構えだけでもしておいてね?」
「わかった」
「わかりました」
三人は顔を会わせて頷き合う。
しかし香織理はしらない。すでにそういうことの兆候が現れていたことを。