艦娘哀歌   作:絶命火力

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COG.2 -「霧の壁」

 いやーあの時は本っ当に笑った! 朝潮のあの顔ときたら! 今思い出しても笑えるくらいですよ。あはは、思い出したらちょっと笑けてきました。

 ……それからがもう大変でした。どーこが『喜び艦隊』だー! なーにが『ボーナスステージ』なんだー! って感じで。もう普通に哨戒なり護衛なりしてた方が絶対楽だ、ってくらいで……考えてみればそりゃそうなんですよね。たった三ヶ月、限られた時間で人前に、それも基地総勢数百人の前に出せるくらいに『訓練』しなくちゃいけないんですから。『やるなら初めから終わりまでシッカリやる』が組織としてのモットーですからね、半端な物は出せませんし。裏返しちゃえば『たとえ無理でも道理を引っ込めて無理を通す』組織でもありますし。上官(ウエ)がシロだって言えば皆シロって言わなきゃダメなとこですから……と、いっけない、口が滑っちゃった。オフレコでお願いしますよー今のは。

 

 でも、今までの演奏者たちは皆口を揃えて「楽しかった」って言うんですよねー、前任だった最上も鬼怒もそうでした。まー私もそりゃ楽しかったんですけど……あれを楽しいと言うかは……。ちょっと、うーん……違うとは思うんですけどね。

 え? 「あたしと朝潮だけで哨戒とかの任務が出来るのか?」ですか? まあ色々あるんです、『喜び艦隊』にはね。それは追々話しますよ。

 じゃあ、まず、順番に……楽器の話からしましょう。いや、実は違うんです。最初に教わった楽器はティンホイッスル(これ)じゃないんですよ――

 

 

――――――――

 

 

「どの楽器を……ですか」

「形としては音楽隊と同様に貸与、ということになるのだが」

 

 時刻は一九三〇(ヒトキュウサンマル)、十分前には集合を終えた基地隊員四、それに舞風と朝潮の合計六名は基地司令官室に居た。とうの昔に日が暮れた窓にはカーテンが引かれ、LEDの照明が部屋を煌々と照らしていた。基地司令の隣には司令付きの男性副官、それに副官とは異なる内勤と思しき三〇歳台と見える黒縁の眼鏡を掛けた小柄な女性隊員(WAVE)が立っていた。

 六名の中の最先任として先頭に立った基地経理課の三曹は緊張で固まりつつも、困惑の表情を隠し切れていなかった。基地司令官の第一声が「君たち、どの楽器を選ぶかね」ではそれも当然と言えた。

 そんな三曹、それに残りの五名など露知らずと基地司令は言葉を続ける。

 

「本当もう少し人数がいればいいのだが……さすがに経理課(君のとこ)が悲鳴を上げるし、何しろ人員には限りがあるからね」

「あ、あの、基地司令……その……お話がよく見えないのですが……」

 

 恐る恐る、という風に三曹が尋ねた。一般の隊員からすれば基地司令はおよそ会話することなどない存在、まさに雲上人であり、この畏縮ぶりも当然だった。他の隊員も大なり小なり同様だった。舞風と朝潮も一応は畏まっていた。

 ああ、と今更気付いたかのように基地司令が側に立っていた女性隊員の方に顔を向けた。

 

「少し逸ったか……すまないね、高崎二尉、説明してやってくれ」

 

 高崎と呼ばれたその隊員は、はい、と返事をすると前に出て、全員にホチキス留めされた紙を回した。紙には演奏会についての概略と今後のスケジュール、そして楽器の名前、写真、その楽器についての説明が記載されていた。

 

「演奏会全般について担当する総務課の高崎です。少し説明させていただきますね、配布した資料をご覧ください。……先程の籤の通り、皆さんは次期演奏会の演奏者になります。おめでとうございます。演奏会の内容なのですが、例年通りです。皆さんも前回、前々回、その前と演奏会で聴いていた吹奏楽、いえアンサンブルです」

 

 高崎の説明を聞きつつ、舞風は高崎が自分よりほんの少し高い程度の身長で、隊員としてはかなり際どい身長だということに気付いた。目の前にいる三曹とは頭一つ分の差があった。そんなことを考えている間にも高崎の話は進む。

 

「楽器はその紙にあるように基本的には今回の演奏者から引き継いでいただく予定ですが……一応聞いておきますが、この中に楽器経験者はいらっしゃいます?」

 

 高崎は舞風たちを見回した。誰も声を上げなかった。

 

「ではいらっしゃらないということで。それで今回決めていただくのは誰がどの楽器を担当するか、ということなんです。全員が一緒の楽器、という訳ではありませんから。こういうのは早い者勝ちですからね。では……まずはオーボエからにしましょうか。皆さん、早い者勝ちですよ。『待った』も二言もナシですよ」

 

 そう言うと高崎は微笑んだ。意外と茶目っ気のある人かもしれない、と舞風は思った。

 

 

――――――――

 

 

 そう、オーボエなんです。ティンホイッスルなんかよりも何倍も大きくて太い楽器でした。あの時はどうかしてたんですよ、あたし。だって紙にはちゃんと「難易度、星三つ」って大きく書いてあったのに……。ああ、ちなみに朝潮は手堅くフルートを選びましたよ、オーボエの次がフルートだったんですけど、そりゃもう素早く「ハイ!」って手を挙げて他の隊員さんを尻目にゲットしてましたね。あたしが一番乗りだった、ってのもあったのかもしれないですけど。

 そこで決まったのは楽器だけでした。まー言ってしまえば単なる顔合わせの面が一番強いものでしたね。会合場所はどう考えても不釣り合いでしたけどねー。

 曲はとりあえず一通り吹けるようになってから決められる、とだけ言われたんです。というかそもそも演奏会終わるまでは楽器を手にすることも出来ないんですけどね。

 

 その時の演奏会ですか? そりゃーもう気が気がじゃなかったですよ、三ヶ月後にはあたしがあそこであんな風にしないといけないんだ、って思うともう心臓が喉から出てきそうなくらいでした。深海棲艦(てき)相手でもあそこまで心臓バクバクしませんよ。という訳で素直には楽しめませんでした。対照的に壇上の最上も鬼怒もこの上ない、って感じの満面の笑みでしたけど。まー基地を挙げての一大レクリエーションですからねー、大盛り上がりでしたよ。次期演奏者以外は。

 そんな感じで演奏会が終わって、楽器を受領して――これ、演奏会後の式典でやったんですよ、イベントの一つです――遂にあたしの番が来てしまった訳です。

 ……と、長いこと前置きで待たせちゃいましたが、あたしと朝潮、たった二艦の『喜び艦隊』はこうして始まった訳です。

 

 『喜び艦隊』なんて言ってますけど、実のところ『艦隊』らしいことは全然やってないんです。技量を落とさない為の訓練と、たまーにある他の艦隊の欠員補充での出撃、それも近海哨戒くらいで、それが『喜び艦隊』の活動の全部でした。その点ではとっても楽でした。

 楽じゃない方は……まあ、楽器ですね。これは本当に……今思い出しても厳しかったですね。

 基地を挙げての演奏会ですから、熱の入れようは本気です。なんと各地の音楽隊からわざわざ人を呼んで教えてもらうんです。しかも一対一で! なので訓練とか、欠員補充の時以外の時は朝潮と顔を合わせるのは食事の時くらいで、どこが『たった二艦の喜び艦隊』なんだって話ですよね。音楽隊の隊員さんを呼んでくるのはあんまり知られてない……というかマニアでも知らないと思いますよ。ご存知ないでしょう?

 音楽隊の隊員さんも大変だったと思いますね、何せ楽譜も読めない! ってとこから始めないといけないんですから。三ヶ月で、技量で言えばもう少し短い期間でそれを人前に出せるように叩き上げる、ってのは本っ当に骨が折れたと思います。音痴じゃなかったことだけが救いですねー。

 それでも三ヶ月毎、各地から音楽隊の人を集めてた、それが何年も行われてたっていうんですからビックリですよね? 演奏会を始めた当時の基地司令といい、歴代基地司令といい、音楽隊なり中央なりに何かコネか大きい貸しでもあったんじゃないのかな、ってよく朝潮と言ってました。実際はどうだったかは今でもよくわかりませんねー。

 

 あたしの担当の隊員さんは名古屋だか大阪だかの音大を出て呉……だったかな、そこの音楽隊で長いことやってる人でした。幸運……ですかね、まあWAVEの方でしたから、その辺りは気兼ねなくできました。レッスンはそりゃもう厳しいものでしたけど。

 楽器の練習は……いやー本っ当に大変で、ってさっきから何回言うんだ! って感じですけど、それでも足りないくらい大変でした。一体いくつリードを割ったりダメにしたりしたやら……。そもそもあんな湿っぽい気候のとこでああいうデリケートな楽器を運用するってのが無理があるんですよ、無理が。やってみてわかりました。音がロクに鳴らない時もありましたからねー。それでも前任の鬼怒は「大丈夫! 鬼怒に出来たから! いけるから! 訓練あるのみ!」って演奏会直後の上り切ったハイテンションであたしの背中バンバン叩いてたの今も覚えてます。無責任にも程がありますよー本当に。

 

 まあ大変だ大変だー、ともう耳にタコができるくらい言ってますけど、実のとこはそれは初めの三週間くらいでした。超スパルタの訓練の成果が出て、やっとそこそこ吹けるように――といっても小学生のリコーダーみたいなものでしたけど――なってからは、確かに鬼怒の言うように楽しい方向にドンドン針が振れていくのがわかりました。でもやっぱり楽じゃなかったですけど。

 

 厳しかった、でも、何よりも音楽っていうのはこんなに楽しい物なんだ、ってのがよくわかりました。

 そりゃー今まで何度か演奏会で色々聞いてきましたけど……なんていうか、『壁』があったんですよね。『壁』が。

 ……そうです、あたしたちとの『壁』って言ってもいいかもしれないんですけど、あの演奏会はつまるところ隊員さんたちの為だ、っていう意識が――自覚してたか、というと、うーんって感じですけど――あったんです。たぶんあたし以外の艦もそう思ってんじゃないかなあ、って。あーでも、演奏者やった艦はその限りじゃないと思います。

 

 どうしてか? ですか。……あたしたちは『(フネ)』ですから。命令に従い、深海棲艦(てき)をやっつける、兵器なんです。そりゃーこうして目と耳と口がついて手足が生えてますけど、根幹は変わってないんです。『(ヒト)』と同じように感情もある、同情も、共感もある、笑う、怒る、泣く、同じように寝て、起きて、食べて……と、そんな暮らしをしてますけど、あたしたちは兵器、『(ヒト)』とは違う、『(フネ)』なんです。

 音楽は楽しいですよ、確かに。それはわかります。聴けば気分が晴れたり、明日も頑張ろう、生きていこう、って思える。でもそれは()()()()()()()()()()()。音楽が豊かにするのは、『(ヒト)』の心であり、人生です。『(フネ)』であるあたしたちには、豊かにされる心も、人生も……ありません。だから、一時は楽しめる、でも、心の底からは楽しめない、絶対にどこか空虚に聞こえてしまう。それが、『壁』です。

 

 

――――――――

 

 

 そこまで言うと、舞風は一度深く目を瞑り、「あーもうヤメヤメ! こんな辛気臭い話はヤメ!」と顔を手を左右に軽く振り、顔を一度手で覆った後、男に向かって歯を見せ、笑った。

 本当によくコロコロと目まぐるしく表情が変わる艦娘だ、と男は思った。頭の隅にはスキットルを呷り、高笑いする隼鷹を思い浮かべていた。

 

「何だからしくないこと話しちゃいましたね。……よし、じゃーあ、ちょっと気分転換に一曲やりましょう!」

「あ、あの……ティンホイッスルのお話は……」

「後です! 後、後! 今はこれ!」

 

 男の質問を振り切って、舞風はティンホイッスルを手に取り、演奏し始めた。再び、酒保のテラスにティンホイッスルの音色が響き渡った。

 今度は、少しだけ緩やかなテンポの曲から始まり、途中最初の演奏よりも疾走感のある、猛々しさを感じる曲になったかと思うと、最後には最初の曲よりもっと緩やかな、歩くようなテンポの曲で終わった。男が曲に置いてけぼりを食らわされることもなかった。しかし、心のどこかではそれを期待していたのかもしれない。曲が終わった時に、男は安心感と幾許かの寂寥感を同時に感じた。身勝手なものだ、と男は心の裡で自嘲した。

 舞風は演奏中、ずっと目を閉じていた。一度も目を開けず、その双眸に映る景色は男には見えなかった。

 演奏が終わると、男は先程と同様に、手が痛くなる程の拍手をした。たった一人、それでも大観衆に負けない拍手だった。舞風はそのまま数秒目を閉じていたが、パッと見開くと、頬を掻き、笑みを作りながら男に詫びた。

 

「あはは、ごめんなない。調子狂っちゃいますよね、こんなことされちゃ」

「いえ、二度も素晴らしい演奏を聴かせてもらえるなんて、本当は私の方からお礼を申し上げないといけないくらいですよ」

 

 男は頭を振った。本心から出た言葉だった。

 

「それに、舞風さんの貴重な非番の時間を私の個人的な興味なんかに使って頂いてるんですから、口を出すなんてことは私には出来ませんよ。どうぞ、いえ、どうか舞風さんのご自由にしてください」

 

 男の言葉に舞風は目を更に大きく開けた。自由、と小さく男には聞き取れないくらいの声で呟いた。

 

「自由! いーいですねー、甘美な響きですよ、あたしたちには。……うーん、まあ、話すってもう言っちゃいましたし、話しますよ。艦にも二言はありませんから」

 

 舞風はニッと笑った。混じりっ気のない歳相応の――果たしてきちんとした『歳』があるかは別として――笑みだと、男にはそう見えた。

 

「それで、えーっと……そう、『壁』でしたね。あたしは『壁』を感じなくなったかなー、って自分ではそう思ってます」

 

 

――――――――

 

 

 それがいつだったか、なんてのはわかりません。オンとオフのスイッチみたいなのじゃあないですし。でも、そのきっかけ……みたいなのは覚えてます。

 だいたい練習を始めて、そう、三週間。やっと安定して音を出せるようになって、軽い曲もおっかなびっくりだけどきちんと吹けるようになってきた、そんな頃です。

 それまでは、まあ言ってしまえば『任務』でやってたようなもんです。基地司令(ウエ)から言われて、それに黙々と従って、期限までに目標を達成する……って感じでした。

 でも、ある日、課業が終わって、夕食も終えた後に――その日は午後から確か出撃してたんだと思います――分奏室、まあ小さい防音が効いた部屋なんですけど、そこの鍵を借りて一人で練習してた時です。ええ、ちょっとでも練習しとかないと、すぐ忘れちゃいますから。

 涙が、流れてきたんです。こう、スーっと、二筋。

 別にあたしの籤運の悪さを今更ながら嘆いたとか、練習の厳しさに折れそうになったとかじゃないですよ、ただ、涙が流れてきただけなんです。

 あたしにも全然わかりませんでした。最初は何か天井の水漏れが運悪く顔に垂れてきたかな、って思ったくらいで。でも、間違いなくあたしの涙で……自分でも混乱しました。だって、何もないのに涙が流れてきたんですよ?

 

 ……結局、よくわからないまま、その日の練習はさっさと切り上げちゃいました。でも、次の日から、何かが、具体的に何が、ってのはわかりませんけど、確実に変わったような気がします。

 音楽隊の隊員さん、あたしはずっと「先生」って呼んでましたけど、先生も「良くなった」って言ってくれました。どこが良くなったのかはわかりませんけど。

 思えば、その日から『楽しくなった』気がします、音楽が。うーん、何て言うか、自分のものになった、って感じがするんですね。他の誰のものでもない、『あたし』のものに。

 あー、なんだか口で説明するのがすっごい難しくて、モヤモヤするんですけど、そういうことなんです。多分、全然わからないと思います。ごめんなさい。

 

 えらく話が長くなっちゃいましたね、まだティンホイッスルにも入ってないのに……と、それで、『好きこそものの上手なれ』なんて諺がありますけど、結構あたしは上達したと思います。自分で言うのもなんですけど。

 かなり上手になった、今のままソロで出しても全く問題ない! って先生に褒められたくらいで、自分でも「あー楽しいなー、演奏会、楽しみだなー。朝潮たちと一緒に演奏したら、もっと、絶対に楽しいだろうなー」って。

 でも、それを見せる機会も、そもそも朝潮や他の隊員さん、演奏手の人たちと一緒に演奏する機会も、終ぞやって来ませんでした。

 

 演奏会、なくなっちゃったんです。


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