艦娘哀歌   作:絶命火力

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今日よりは かへりみなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つ我は

――『万葉集』(巻二十・四三七三、今奉部(いままつりべの)與曾布(よそふ)


海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ

――『万葉集』「賀陸奥国出金詔書歌」より抜粋(巻十八・四〇九四、大伴家持)


終篇 『カンムス: いかにして、どうして艦“娘”は海で戦うのか』日本版
日本版出版に寄せて


 日本の読者の皆さん、こんにちは。本書は今から数えて約十年前にアメリカで出版された『Kanmusu: How and Why Fleet GIRLS Fight on the Ocean』をベースとした本です。ここでご注意をお願いしたいのは、(おそらく原書を読まれた方はお気付きのとおり)本書は、原書とはその内容がかなり異なります。それは、原書はあくまでアメリカ国内、大きく言えば英語圏向けに書かれた本であり、本書は日本の皆さんに向けて書かれているからです。また、原書は私が日本語で行った取材をもとに英訳を行っており、翻訳したものを再翻訳するというのは二度手間で、意図せぬ「誤訳」のおそれすらあります。そして、軍歌や方言など、原書では取材したものを十分に反映しきれなかった点を日本版では絶対に反映したいという私の思いもあります。加えて言えば、この十年で新たに判明したことや、逆に間違いがあった部分なども多くあります。したがって、本書は厳密には原書の日本語訳ではありません。むしろ、全く新しい作品と言ってもいいかもしれません。

 もちろん、本書の出版の過程では本書の翻訳者である鈴見哲氏より出版社との折衝を含めた多大なご協力をいただいており、氏の助力無くしては本書の出版に漕ぎ着けることは不可能だったでしょう。また、発行元の朝潮出版の編集者である柏原慶氏にも軍歌の調査や各方面との連絡調整等で本書の出版にご尽力いただきました。この場を借りて、お二方には再度のお礼を申し上げます。

 

 実のところ、日本での出版の話は過去に何度かありました。最も古いものだと、原書の出版の半年後にはとある大手出版社から早くもお話をいただいていました。ですが、当時の日本国内の情勢では、私の望む形での出版はできませんでした。それは艦娘についての機密に触れる記述があったこと、そして艦娘について日本ではまだ政治的な問題が山積していたことなど、色々な理由がありました。そのため、日本での出版の話は何度も持ち上がり、そしてその度ごとに流れていきました。

 しかし時が過ぎ、この度ようやく私の希望どおりに出版ができるようになりました。それは嬉しくもあり、悲しくもありました。

 

 

 どうして悲しいのか、と不思議に思われるかもしれません。ですが、これは悲しいことなのです。あの悪夢のような深海棲艦との戦争が収束し、平和な(もちろん全くの平和とは言えませんが)世界が戻ってきてからかなりの時間が経ちます。その間に、艦娘についての様々な機密情報が解除され、今も多くの歴史研究家たちが彼女たちの業績を検証しています。そう、彼女たちは「歴史」となったのです。

 ですが、「歴史」以外のコンテクストで語られることは相対的に減ってしまったのです。「歴史」においては個々の物語は捨象されるのが常です。つまり、「歴史」のコンテクストで述べられる艦娘は、個性を奪われてしまうのです(それが必要なことであることは間違いないでしょう)。歴史になるにつれ、個々の艦娘たちの姿は朦朧と、歴史の中に薄れ消えてゆくのです。いちジャーナリストの立場として述べるのであれば、それはとても悲しいことだと思います。

 

 本書の出版が決まった時、私は彼女たちが日本において「歴史」となったということをとても強く意識しました。一方で、「歴史」となったからこそ、これまでのしがらみが解けて本書の出版の運びとなったとも言えます。ですが、ここまで本書をお読みいただいた読者の皆さんならば、本書が決して「歴史書」ではないことはご承知のことと思います。原書は、そして本書も、私が私なりに彼女たちに対して何ができるかについて考えた末に出版したものです。幸運にもノンフィクションの部門において高名な賞をいただきましたが、厳密に言えば、ノンフィクションとも異なるものです。これは、私の身勝手な罪滅ぼしでもあります。

 

 私は、私の好奇心から、彼女たちの世界に首を突っ込みました。それは序章の方でも述べたとおりです。私はかつてDawn's Early Light紙の契約記者として、UNHCRと日本政府が共同で行っていた避難民帰還事業の調査と、ミクロネシア連邦西部における日本の活動の調査のために、ヌグール環礁という小さな島に来ていました。そこには当然ながら艦娘たちの基地があり、私は調査の「ついで」に彼女たちの話を聞いていたのです。そして、そこで私はある艦娘と出会いました。きっかけは一曲の歌、『戦友』という、もう百年以上も前の軍歌です。その軍歌を歌う艦娘との出会いから、私の罪は始まったのです。私の罪がどのようなものであるかは、読者の皆さんはもうご存知かと思います。

 

 

 本書では、特に歌が大きなファクターとなっています。ここまで読まれた読者の方は(そして原書を読まれた方は特に)どうして歌を基軸にしているのか、と読みながら疑問に思われたかもしれません。

 どうしてかといえば、右に述べたように、私の罪の始まりが『戦友』を歌う艦娘との出会いにあるからです。彼女と出会った時、私は少なからぬ衝撃を受けました。それまでも、ヌグールの地の艦娘たちは私に驚きを与え続けていましたが、彼女との出会いが最も大きな衝撃でした。彼女の歌は、とても情緒に訴えかけるものでした。

 

 お恥ずかしながら、私は艦娘というのは非常に忠実な(誤謬を承知の上で言わせていただければ、ロボットのような)兵隊だと思っていました。それは読者の皆さんの大半もそうだと思います。彼女たちは、私たちとは異なる、と。

 ですが、彼女たちはそうではないのです。私は、『戦友』を聞いた時、初めて(それはあまりにも遅すぎたのかもしれませんが)気付きました。その時の衝撃を忘れないために、それ以来私は彼女たちに話を聞く時は、歌の話をまず最初に聞くようにしていました。実際のところ、彼女たちの多くは、それぞれの歌の話を持っていました。

 

 ですが、そうして私が聞いた彼女たちの歌の話は、原書に反映することが様々な事情から十分にはできませんでした。だから、私は本書の出版が決まった時、彼女たちの歌の話を余すところなく盛り込みたいと思いました。皆さんに、彼女たちの歌を聞いてほしいと、そう思ったのです。

 

 ジャーナリストというのは、酷い生業です。あれこれと手管を弄して人から聞き出したことを世に広めることで日銭を稼いでいるのです。否定のしようがなく、そこにはエゴが渦巻いています。本書も、そうしたエゴのひとつと言ってもいいでしょう。ですが、私は自分の正義を、エゴを信じています。それが罪であろうと、私は手を止めることはないでしょう。もし読者の皆さんの中に、私の同じ道を歩もうという方がいらっしゃるならば、本書が参考に(かつ反面教師として)役に立つことがあれば幸いです。

 

 

 あまり長々と読者の皆さんのお時間をいただくのは忍びないですが、最後に私から一つだけ、お願いがあります。あくまでお願いです。それも、かなり自分勝手なお願いです。著者ではなく、いち個人として、彼女たちを知る者として、お願いしたいのです。

 

 どうか、彼女たちのことを知っていてください。忘れるなとは、覚えていろとは言いません。無知でいることを、無関心でいることを糾弾しようというのではありません。

 ただ、ほんのわずかでもよいので、知っておいてほしいのです。

 

 本書に登場した彼女たちも登場していない彼女たちも、皆さんとは別の世界に生きていたのではなく、皆さんの世界の延長線上に存在していたのです。そして、彼女たちは「過去形」でも「歴史」でもありません。今もなお、彼女たちはこの世界に存在します、この世界で生きています、笑っています、泣いています、怒っています、楽しんでいます、歌っています。彼女たちは、茫洋たる海のどこかで今も深海棲艦を相手に戦っています。もしくは、過去を胸に秘め、静かに暮らしています。

 本書で皆さんが読んだことは、おとぎ話でも、伝説でも、ファンタジーでもありません。この世界で起きていた、そして今も起きていることです。私たちと彼女たちは、地続きなのです。たとえ彼女たちが海に生き、海に死のうとも、彼女たちは私たちと共にあります。

 

 知っていることは、知らないことよりも大きな意味を持つのです。だから、彼女たちのことを知っていてください。彼女たち――艦娘の、海の娘たちのことを。

 それだけが、私の願いであり、私が彼女たちのためにできる唯一の罪滅ぼしなのです。

 

 ミクロネシア連邦、ヤップ島コロニアにて 著者


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