艦娘哀歌   作:絶命火力

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COG.3 -「戦友の記憶を胸に抱いて」

 何で轟沈したか、かいな。

 簡単な話や、任務中に敵潜の雷撃を受けて轟沈した、それだけや。他には何もあらへん。

 

 ……運やな。

 村雨の居った艦隊が偶然――ホンマは(ちゃ)う艦隊が行くはずやった――護衛任務に行った。そこで偶然哨戒網を抜けた敵潜と遭うた。偶然敵潜はソナーに――一個だけやなくて(のうて)、二個共や――映らんかった。原因は知らんわ、偶然雪降っとったからかもせん。雪降っとったから視界は悪かった。せやけど、そんな中で敵潜は雷撃した。連中の本能なんかもせんな。視界が悪い中の盲撃ちや、まあ普通はかすりもせえへん。せやけど偶然……偶然それが村雨に直撃した。駆逐艦は脆いんや、魚雷が直撃なんかしたらひとたまりもあらへん。轟沈や。

 全部、運やった。

 もし本来の艦隊が行っとったら、もしほんのちょっと護衛に行くんが早かったら、もし雪が降ってへんかったら、もしソナーがちゃんと作動して敵潜を発見できとったら、もし魚雷の接近に気ぃ付いとったら……仮定の話をしてもしゃあない。結局は運の巡り合わせや。

 村雨はまあ、運が悪かった。こう()うたらアレやけども、原因はともかくようある()()艦艇の死やった。敵潜の雷撃による轟沈、何も珍しいことはあらへん。書類の上やとただの駆逐艦損失一や。司令部(うえ)に報告して補充の駆逐艦寄越してもろて終いや。まあ当時は南方に取られて中々回って来えへんかったんやけどな。

 

 ……なあ、生きる、ちゅうのは奇跡みたいなもんやなホンマ。人も(フネ)も。

 

 戦場で誰よりも真っ先に死ぬんは運が悪い奴や。ピッカピカの新兵でも古参の鬼軍曹でもインテリの小隊長でも一緒や。角を覗き込んだ瞬間に機関銃の弾で(ドタマ)吹っ飛ばされたり、砲弾が装甲ぶち抜いて弾薬庫に吸い込まれるように入ってきたり、高射砲の弾が開けたばっかしの爆弾倉に飛び込んで来たり……そういうもんや。

 勿論、今言うたんは一から百まで全部運ちゅう訳やあらへん。それまでに色々過程もある。油断とか、慢心とか、安易な思い込みとかやな。

 

 せやけど、結局は運や。

 どんなけ注意しとっても死ぬ時は死ぬし、とんでもないポカやった時でも死なんときは死なん。

 今まで生き残っとる奴は、運が強かった、ウチも含めてな。

 村雨にはそれが足りひんかった。それだけや。

 今更言うたかてどうにもならんもんや。

 

 ……ちょっと一服しよう思ったんやけど、煙草切らしてもうたわ。アンタ、何か持っとる? 口に入れる(モン)やったら何でもええわ……何やったら飴ちゃんでもええよ。大玉やったら尚良しやな。あ、ガムは堪忍な。嫌いやねん、ガムは。

 

 

――――――――

 

 

 男は懐から取り出しかけたガムを仕舞い、言った。

 

「ガムはお嫌いですか」

「口にずっと残るんが嫌いなんや……終わりがあらへんやろ、あれ。吐き出すんも飲み込むんも何か嫌やし、だいいち噛んどる内に顎が疲れてくるんや。あれで集中力が上がるやなんて嘘八百やな」

 

 男は少し思案顔をして、封の切っていない煙草――「平和」の名を冠した煙草――を鞄から取り出した。

 

「こんなものしかないですが……よければどうぞ。生憎飴は持ち合わせがありませんでして」

新品(サラ)の煙草持って来とるとは、さすがは記者や、準備のええことやな。せやけど爪が甘いなあ……平和(ピース)は内地やとまだしも幾ら何でもウチら相手には皮肉が効きすぎちゅうもんや、まあここにもそんなん好んで吸うとるヘソ曲がりは何人(なんぼ)か居るけどな」

 

 言うが早いか、黒潮は封を切り、胸ポケットから取り出したライターで火を着け、吸い始めた。

 暫し、無言の時が流れる。

 黒潮は頬杖をつきながら、味わうようにゆっくりと、ゆっくりと煙草を灰にしていた。対する男は煙草を吸うでもなく、ただ日光に溶かされるように漂い消えてゆく紫煙の流れに目をやっていた。

 黒潮は横目でそれを眺めていたが、煙草が半分まで灰になった頃、男に言った。

 

「何や、ボーっと紫煙(ケムリ)眺めて。吸わんのかいな」

「実は禁煙中でして」

「ええ心がけやな、健康第一や。ウチらとは大違いやな。まあ、既に副流煙吸うてしもとるからアカンけどな」

 

 小さくハハッ、と黒潮が笑う。笑う度に口からほんの少し白煙が吐き出され、紫煙と混ざり合い、消えた。

 

「艦娘の皆さんはよく吸われているようですね」

「お国からお給金出とっても使い途がロクにあらへんさかいな。賭け事は内規でできひんから酒にして飲み干すか煙草にして呑むくらいしかしかあらへんのや。まあ貯めとってもしゃあないちゅうのもあるわ」

 

 お国のお金でせっせせっせと経済に貢献しとるんや、なかなか経済効果は高いで、と黒潮は右の口角を釣り上げて笑いながら言った。

 黒潮は、まあそう言うてもな、と続けた。

 

「本()うてる奴も居る、本は所持が認められとるさかいな。物書いとる奴も居るな。元手はノートと鉛筆でいけるからな、簡単や。日記つけとる奴とか、珍しいのやったらちまちま小説の真似事しとる奴とかも居る。考えたらわかるやろうけど、物書きが居るなら絵描きも居るで。後は……音楽やな、ハーモニカとか笛――何やったけ、リコーダーとは違う、ブリキのや――そいういう小さい楽器持っとったり、CDやら何やらを持っとる奴も居るな。せやけど、だいたいは酒呑み煙草呑みと兼業やし、酒呑み煙草呑み専業も仰山居るわ」

 

 黒潮は笑う。再び右の口角が釣り上がった。

 「生活の全ては飯・酒・煙草・女、女は抜きで」と言っていた割には意外に多趣味だ、と男は感じた。

 

「どれも持ってないんですか」

「持っとらん。要る物以外は(モノ)は持たんようにしとるんや。持っとったかてしゃあない。兵隊に私有財産は無用や。いつ逝ってまうかもわからんのや、立つ鳥跡を濁さず、ちゅうやろ」

 

 黒潮は煙草を新しく一本取り出して――ついさっき一服と言ったにも関わらず結局煙草は二本目に突入した――咥えながらそう言った。言い終えると火を着けた。薄ぼんやりと紫煙が黒潮の顔の周りに再び漂った。

 黒潮は取り出したライターをポケットに戻さず、指先で所在なさ気に玩んでいる。

 男は何気なくそのライターに目を寄せ、何か疑問を感じたのか、少し右に首を傾げた。

 

「そのライター、使い捨ての安物ではないようですが……どなたからかの貰い物ですか?」

 

 男の質問に、黒潮は少し左目を見開いて、目が聡いなあ、と呟いた。恐縮です、と男はそれに返した。

 

「揚げ足取りが上手いなあアンタ。確かに今、モノは持たん、て言うた。せやけど持っとる物もあるんや……このライターとかやな」

 

 黒潮はライターを男に渡した。使い捨ての安物のガスライターを横に平べったくしたような形をした、銀色の金属製のライターだった。試しに火を着けてみるとオイルの匂いがしたところからすると、オイルライターなのだろう。長年の使用からか表面から金属光沢が消え、白く曇っていた。

 

「これはな、村雨が持っとったやつなんや。多分予備で持っとったやつなんやろうな、ウチと満潮、それに第七艦隊の連中で村雨の部屋を空にしに行った時に部屋の机の引き出しに入っとった。それを形見分けで貰たんや」

 

 男は興味深そうにライターを見ていたが、それを机に置くと、脇に置いていたタブレット端末を取り出した。

 

「ライターの写真、撮ってもよろしいですか?」

「ウチは別にええけど……それ、司令の許可はあるんやろな? 後でどやされるんは御免やで」

「勿論ですよ」

「ほなええわ」

 

 男は謝意を伝え、写真を撮り始めた。カシャ、カシャとタブレット端末からシャッター音が響く。ちょうどよい切れ目になったのか、黒潮は吸い殻を灰皿に入れていた。

 写真を撮り終えると、男はライターを黒潮に返しながら、質問を投げかけた。

 

「形見分けというのはよくあることなんですか?」

「せや、ようあるな。『形見分け』なんてお上品な名前やけど、まあやっとることはハゲタカみたいなもんや。使えそうな物を沈んだ奴のとこから各々持って行く。どうせ沈んだ奴の所持品は行く宛もあらへんさかい捨てられてまう、それやったら皆で分け合おう、ちゅうこっちゃ。まあリサイクルみたいなもんとも言えるな」

 

 黒潮はライターを再び指先で玩びつつ答えた。男は、確かにリサイクルという形容がピッタリであると思うとともに、本来の形見分けとのギャップに滑稽さを感じ、少し笑った。黒潮はそれに、ピクリ、と左の眉を一瞬釣り上げたが、何も言わずに煙草をもう一本取り出し、三服目へと突入した。

 

「リサイクルとはまた思い切った形容ですね……所持品というとどういったものが?」

「全部や、替えの制服やらジャージに下着まで――まあ沈んだ奴の服はさすがに縁起悪いちゅうて敬遠されることもあるんやけど――衣服類から、鉛筆一本消しゴム一個までな。あ、金は別や、お国に戻って行ってまうからな」

 

 ホンマお国は阿漕やで、と黒潮は愚痴をこぼす。

 

「村雨が持っとった物はそこまで多なかった。服とかの必需品以外やったら本とノートにCD、ああ、勿論煙草もあった。それくらいや。本もカッチリしたやつで、ロシア語やったか韓国語やったかの入門書やった。CDも(おんな)じや。ノートにあったんは日記……ちゅうより日誌やったな、(マメ)に書かれとった。あいつ意外とキチッとしとったんやなあ、て思ったんを覚えとる」

 

 黒潮は感慨深げに言った。確かに、黒潮の話から聞く、早くから煙草を嗜みワインを好む()()()村雨という姿とは少し異なったものだった。

 

「それも全部形見分けに?」

 

 黒潮はせや、と肯き、それから、あ、と言った。何か言い忘れていた、という顔だった。

 

「皆でヨーイドン、で一斉に部屋を探る訳やあらへんで。さっき言うたと思うけど、まず親しい奴なり同じ艦隊の奴なりが部屋を整理して、何か形見分けで欲しい物があったら先に持って行って、これは焼いたほうがええな、て物を別に除けとく。そんで残ったのを皆で分けるんや」

「確か整理に入ったのは黒潮さんと満潮さん、後は第七艦隊の方々でしたか」

「せや。確か、満潮はヘアゴムを持って行った。第七艦隊の連中は特に何も持って行ってへんかったから、後はどうなったか知らんわ」

 

 まあ間違いなくCDプレイヤーは誰か持って行ったやろうなあ、と話す内にフィルター一歩手前まで燃え尽きた煙草を灰皿に擦りつけて黒潮は言った。

 

「何故ライターだけを持って行こうと?」

「何でやろうなあ……村雨と最後に()うたんが煙草貰た時やったから、かもせえへんし、ウチが村雨の部屋で一番(いっちゃん)最初に見つけたんがこれやったからかもせえへん。そもそも、何か持って行くつもりはなかったんや。せやけども、ライター見た時思ったんや。我が戦友、村雨が忘れ去られへんように、永の別れの形見が必要や、てな」

 

 そう言うと黒潮はライターと煙草を胸ポケットに入れた。煙草は三服で終えるつもりのようだ。

 

「忘れ形見ですか」

「まあそういうことになる。忘れたらそれで終いやからな、何しろ……」

 

 黒潮はそこまで言うと腕組みをして背もたれにもたれかかった。暫し、俯き加減に口を真一文字にして沈黙する。

 何かを黒潮は考え込んでいる様子に見えたので、男は口を挟まずに黒潮を待つことにした。

 一分程経つと、黒潮は背筋を伸ばして腕をテーブルに置き、少し身を乗り出すと、ちょっとばかし難しい話になるんやけどな、と前置きしてから話し始めた。黒潮の雰囲気が変わったように――『歴戦の(つわもの)』から『少女』になったように――男は感じた。

 

「ウチらには墓があらへんし、どっかで祀られることもあらへん身や。海が墓や。(おか)で死ぬことなんか滅多にあらへん。まあ、確かに()()()の慰霊碑はある。基地とかにな。せやけど、それは()()()()()の墓標でしかあらへん。そこに()()()()()()は入ってへん。それにそもそも、その名前かて、公式には『何々型駆逐艦何番艦何とか第何号艦』としか書かれへん。確かに()()()()()()はその通りや、何せウチらは(フネ)やからな。ウチの名前かて正式には、陽炎型駆逐艦三番艦黒潮第五号艦、ちゅう名前や。せやけど、()()()()や、『何々型駆逐艦何番艦何とか第何号艦』(量産される出来合いのデュープ)やない。その名前やかて、沈んだら除籍、その内抹消されてまう。そうなったらウチらの存在は戦闘記録に残るのみや。せやけど、そこに()()は居らん、『何々型駆逐艦何番艦何とか第何号艦』が居るだけや」

 

 男は基地の工廠脇に隠れるように建っている慰霊碑の姿を思い返した。確かに、『艦娘』慰霊碑だった。そこには名前が――例えばザ・ウォール(ベトナム戦争戦没者慰霊碑)平和の礎(沖縄戦戦没者慰霊碑)のような刻銘碑にあるように――刻まれてはいなかった。てっきりそういった碑文が別の場所にあると思っていたが、黒潮の口ぶりからすると存在しないのだろう。

 

「確か、『Old soldiers never die(老兵は死なず) - they just fade away(ただ消え去るのみ)』ちゅうたんはマッカーサーやったか。老兵(マッカーサー)は退役し、消え去る、せやけどそれまで来た道はちゃんと残っとる、せやから『死なず』や。せやけど、()()()が来た道は残らん、今言うたようにな。ウチらは……いや、『何々型駆逐艦何番艦何とか第何号艦』は沈み、消え去り、そして『死ぬ』。ウチが()()()()()この世に居った、時間を過ごしとった、それを証明してくれるんは何一つ……何一つとしてあらへん。あるんは『何々型駆逐艦何番艦何とか第何号艦』が居ったという記録だけや。いくらウチらが(フネ)や言うてもな、寂しいと、(むご)いと思えへんか?」

 

 黒潮はだんだんと熱が込もった語気で男にまくし立てた。細目がちだった目もそれにつれて開き、遂には四白眼一歩手前という様相になった。

 黒潮は更にテーブルに身を乗り出して話を続ける。置き直した腕が灰皿に触れ、吸い殻が一つ、ポトリと零れ落ちた。

 

「ウチはそれにやっと気ぃ付いたんや。村雨を覚えとるんはウチと満潮、第七艦隊の連中、もしかしたら訓練所や基地の連中もそうやろう。せやけど、関わりがあらへんったら、やがては皆忘れてまう。『ああ、そんな艦も居ったなあ』て思うだけや。何も思い出すこともあらへん、五分も経ったらそれも忘れるやろうな。そら、確かにウチは村雨の同期で戦友や、忘れへん自信がある。せやけど、ふとした時に村雨のことをハッキリと思い出せるかどうか、朧気になってへんか、自信が持たれへんかった。いくら強う心でそう思っとったかて、頭は忘れるんや。人も艦もな」

 

 黒潮はそう言うと、少し俯き加減になった。視線の先にはライターがある。

 数秒、黒潮はライターを見つめていた。再び、男の方に顔を向けた。しかし視線は男を見ていない、ライターの方に向いている。

 

「……ウチは忘れるんが怖なった。せやから、何か……形のある物が欲しなったんや、絶対に、今わの際まで忘れへんためにな」

 

 先程とは打って変わって、ゆっくりと、絞り出すような口調だった。それから黒潮は目を瞑り、はあ、とため息をつき、男には聞き取れない、小さな独り言を呟くと、腕組みをしつつ椅子に深く腰掛け直した。再び、『少女』から『歴戦の兵』に戻ったように男は感じた。

 

「何故……そこまで忘れるのが怖いのですか?」

 

 黒潮の剣幕に面食らったが、そこまで黒潮を駆り立てる理由に、心の裡に、男は惹き寄せられた。

 

「よう言うやろ、一度目の死は肉体の死、二度目の死は忘却の死、てな。村雨が『何々型駆逐艦何番艦何とか第何号艦』(ただのフネ)やなかったことを忘れてしもたら、村雨は死んでまう。戦友が死ぬのは嫌やし、ウチが忘れるちゅうことはつまりウチが殺すことになるやろ。ウチはそんなん御免や」

「忘れるのが怖いのならば、忘れられるのは怖くはないのですか? 先程は『立つ鳥跡を濁さず』と仰って――」

 

 男が途中まで言ったところで、黒潮がそれはな、と遮った。

 

「単純な話や、()()()()()()()()()()だけや、別に、()()()()()()()()()()()()()()()んや。ウチは別に忘れられて、死ぬのは何も怖ない。ウチの心の問題や。誰かが覚えてくれるんやったらそれはええ、そいつの自由や。まあ、村雨も……いや、ウチら皆がそう考えとるとウチは思っとる」

 

 男は黒潮の言葉に釈然としないものを感じた。それが顔に出たのか、はたまた第六感が働いたか、黒潮は、まあわかりにくいとは思うけどな、と付け加えた。

 

「わかれへんのも仕方ない(しゃあない)、これはウチら独特の物やからな。『建造』されて最期の時までお国に身を捧げるウチらのな」

 

 黒潮は笑った。右の口角だけが釣り上がった。『歴戦の兵』の笑いだ、と男は思った。

 陽はまだ高かった。西の方角に大きな雲が見えた。




陽炎、不知火、黒潮のトリオの制服にも胸ポケットあることに気付いたのは書いている時でした。
てっきり腰のポケットしか無いものかと思ってました。

黒潮が持っていたライター、察しのいい人ならなんとなくわかるかなあと思います。

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