艦娘哀歌   作:絶命火力

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COG.3 -「艦はここに在り」

「襲撃なあ……そないなことがあったんかいな。そらあ、難儀やったなあ」

 

 黒潮が興味深そうな表情をし、身を乗り出す。

 

「ええ、大変だったわ。……あの事件の残した爪痕はあまりにも大き過ぎました。襲撃による負傷で除隊に――ええ、形式上は訓練を修了して部隊配属されたことにして――なってしまった艦も決して少なくありませんでしたし、由良のようになってしまった艦も居たと思います」

「由良さんはその後……?」

「何とか、私と一緒に修了しました。あの娘、ああ見えて芯は強い娘でしたから……笑顔で、訓練所の門を出て行きました」

「配属先はどこだったんです?」

「由良です」

 

 言い終わらないうちに、由良はクスリと笑った。

 男は首を傾げた。「由良?」

 由良はそんな男の反応が面白いのか、クスクスと笑い続けている。黒潮も笑っていた。

 

「おもろいなあ……そんな鉄板ネタみたいなこと、ホンマにあるもんなんやなあ」

「どういうことですか?」

「和歌山には由良町って町があるんですよ。そこに小さな基地があって、そこに由良は配属になったんです」

「由良に『由良』ですか、なるほど……鉄板ネタですね、確かに」

 

 合点がいったのか、男は何度も頷いた。

 

「配属先が決まった時は皆笑ってましたね、まあ、そうよくあることではないですし」

「七尾に居った加賀が『ダブリ』だの『二乗』だの方々でネタにされとった、ちゅう話も聞いたことあるわ、ホンマかどうかは知らんけども。その由良も(おんな)じように言われたんやろうなあ」

「それなら……『ゆらゆら』だったわね。誰が言い出したか知らないけど、決まってからはよくそうやってからかわれてたわ。どうにも力の入らない言葉で、由良には似合ってるなんて笑ってたかしら……」

 

 黒潮が笑う。「『ゆらゆら』なんてまた気ぃの抜けた……そんなん(わろ)てまうわ」

 男も笑みを見せた。確かに、肩の力が抜けるような言葉だった。

 

「こんな感じで笑いの種にされちゃってましたけど、多分、由良の状態を考慮した上での配属だったと思います。由良基地は内地の基地でも内海寄りでしたし、当時は内地から離れた南方、北方が戦域になりつつありましたから、かなりの後方といえます」

「前線に出ることのないように、ということでしょうか」

「いえ……そこまでではないとは思います。勿論後方での護衛任務なんてものもありますけど、それだってれっきとした前線です。意味もなく艦を遊ばせる余裕なんてありませんよ。ただ、あの時の由良は『その時期ではない』と判断されたということじゃないかと思います」

「内地で訓練を積ませるべき、と?」

「ええ」

「せやけど……ウチらの由良の基地はだいぶ前に()うなったんやなかったやろか、ちょうど年で()うたら……由良が配属された後くらいに」

 

 由良が少し驚いたように、目を丸くした。「その通りよ、よく知ってたわね」

 どこか黒潮は得意げに見えた。「どっかで昔に由良に居った奴と喋ったことがあってやな、そん時聞いたんや。()うとったか」

 

「由良の配属後、一年ちょっとで由良基地は廃止になりました、廃止といっても艦娘(わたしたち)だけで、基地自体は残っているんですけどね」

「艦娘の運用を取り止めた、ということですね」

「ええ、由良基地は元は小さな補給基地、私たちがいくら通常の艦より狭い場所で運用できるといっても、限度があります。由良基地にはあまり拡張の余力がありませんでしたし、元々内地攻撃の時の恐慌が元で設置されたような基地です。戦域が内地から遠のくにつれて、縮小されていって、由良が配属された時点では既にかなり小規模なものになっていました、由良の配属直後に廃止が決まったみたいです。……運の悪い娘です」

「お詳しいですね」

「私、由良の生まれなんです。生まれと言っても本当に生まれただけで、育ちは別のところなんですけど、やっぱり生まれ故郷ってどんなところか気になりますし――」

 

 由良が話す一方で、男は虚を突かれたようにぽかんと口を開けた。目も瞬かせている。黒潮も同じような表情をしていた。

 今度は由良が首を傾げた。何か変なこと言ったかな、という目をしていた。男はノートを片手に自分の額をペンの頭で何度か小突いた。

 

「ちょっと待って下さい……。ええと、由良さんは、元は『加古』で、生まれは由良町、今は由良で……『由良』さんは、出身が加古川で、由良基地に配属されて――」

「アカン、頭がこんがらがってきた、由良に加古に多すぎや、どないなっとるんや。『ゆらゆら』どころやあれへんわ」

 

 黒潮は鼻筋に手を当て、頭が痛いとばかりに唸った。「ややこしすぎや」

 由良は何とも申し訳なさそうに苦笑いした。誰のせいでもないが、黒潮の言う通りだった。

 

「まあ、それはそれとして……では、廃止後は由良さんはどこへ行ったんです?」

「ここです。私が配属されていたこの島に」

「あ、聞き損ねてましたね。由良さん――いえ、加古さんは最初からこの島に?」

「ええ、この島の基地が正式に発足した後、初めて訓練所から配属された艦になりました。私の方は、どうも前線の戦闘に適している、と判断されちゃったみたいです。だから、最初からここに送られました」

 

 本当はそんなことなかったんですけどね、と由良は小声で零した。

 

「激戦地だったのでは?」

「最前線は既にヤップを越えてトラック、いえチュークに向かって動いていましたし、攻勢はヤップの方でやっていたので、私たちはどちらかと言うとその前線の横っ腹を破られないようにするための哨戒と防衛が主でした。なので、“激戦”とまではいきませんでしたね。戦闘は頻繁にあったので、前線ではありましたけど」

「そこに……由良さんがやって来た」

「そうです。こっちは発足したばかりで、艦も人も不足していました。由良基地の廃止は言ってしまえば渡りに船だったんです。次の配属がここになるのも仕方のないことでした。他にも、同時に廃止された基地からの転属がありました。多分、一気にこの基地の増強を行う目的だったんだと思います。正直に言ってジリ貧でしたから、喜ばしいことでしたし、由良と再会できたことも嬉しかったです」

 

 でも、と由良は言う。表情は決して明るくはない。

 

「『由良』にとっては、この島は厳しすぎる場所でした。やっぱり、あの娘はあの娘だったんです」

 

 

――――――――

 

 

 由良が来てから暫くは平穏でした。平穏といってもここでの基準でしたけど。

 どれ位か平穏、ですか。まあ日に数度戦闘が起こって、沈みはしないけども損傷は負う、といった感じですね。そして……たまに、沈む艦も出ます。決して多くはありません、ですが、少なくもなかった。

 そうした死に由良が関わることも、しばしばありました。亡骸や艦札(タグ)を持ち帰ったことだって一度や二度ではありません。

 

 由良はその度に、歌っていました。基地に来てから間を置かずに仲間と打ち解けてましたから、無理もありません。由良は誰とだって仲良くなれる、そういう娘でしたから。……だからこそ、ここは由良には厳しかったんです。

 ええ、歌を。いえ、『戦友』じゃありませんよ、別の歌です。そうはいっても、軍歌でした。私たちとは切っても切れないものです。私も元はどんな歌かは知りませんが、由良が歌っていた歌詞も曲もまだ覚えてます。それくらい、由良はよく歌っていました。

 

 ええ、由良がそれをどこで知ったかは私も気になってましたから、聞いてみたんです。「どこでそれ覚えたの?」って。

 由良の答えはこうでした。「思い出した」と。ええ、思い出したんですよ、歌を。

 子供の頃に聞いていた? 誰かに教わった? ……いえ、違います。これは言わば(フネ)の方の『記憶』です。『記憶』はご存知でしょう?

 ええ、私たちが持つのは(フネ)の『記憶』、歌は関係ないのでは、という疑問はもっともです。でも、少し違うんです。歌も関係あるんですよ、実はね。

 

 (フネ)の『記憶』というのは、別に『記憶』じゃないんです。何しろ(フネ)は人ではありませんから。付喪神にでもなれば別でしょうけど、モノである(フネ)が『記憶』を持つことなんてありません。では、『記憶』とは何か? わかります?

 『記録』です。

 青写真に建造計画書から始まって、写真、乗員の名簿、日誌、演習記録、新聞記事、乗員の日記や回顧録、戦闘詳報、米軍との交戦記録、果ては乗員が艦から家族に送った手紙、遺書……(フネ)にまつわる、存在する限りありとあらゆる『記録』を纏め上げたもの、それが私たちの『記憶』の正体です。『記録』を元に『記憶』を構成するので、(フネ)毎に差が出るんですよ。それは『志願』でも『建造』でも変わりません。

 そして、軍歌も『記録』として『記憶』になっているんです。おそらくは、乗員の誰かが歌っていたんだと思います。由良はそれを思い出した、そういうことです。

 

 言わば、フラッシュバックのような――たとえそれが自分のものでなくても――ものです。由良はそれが歌だったんです。もしかしたら、辛い『記憶』も一緒だったのかもしれません。言わなかっただけで、抱え込んでいたのかもしれません。

 

 誰かが沈む度に、由良は心を痛めて、そして歌いました。それが由良なりの向き合い方だったんです。亡き艦を想って、歌う……由良らしいやり方です。私はそこまでやろうとは思えなかった、沈んだらそこでもうお終い、欠けた人員でどう戦うかを考える。ドライかと、冷たいかと思いますよ、確かに。でも、辛いじゃないですか、仲間が沈むのは……これくらいの方が、ちょうどいいんです。

 

 そんな平穏な――今から見れば平穏とは言えないかもしれませんが――時期は、そう長くは続きませんでした。チュークで不利になると見るや、敵はこっちに攻勢を仕掛けてきたんです。つまり……ここが、いえここも一気に最前線になりました。予想通りといえば予想通りですが……何しろ、桁違いでした。敵の数も、損害も。

 

 元由良基地所属の艦が沈んだのもその頃でした。元々、再編成までの時間がどうしても取れず、仕方なく移籍してきた艦は元の所属のままで運用されていたんですが……由良を除いて、全艦轟沈したんです。由良たちはその時、別の艦隊と共にヤップ方面から内地へ戻る補給艦の護衛をやっていました。ええ、数の少ない貴重な補給艦でしたので、護衛艦も一緒でした。そして……襲われた。

 

 制空権も制海権も随分前からこちら側の海域です、探知が難しい潜水艦はともかく、艦隊の規模で襲われることなんてそうありません。でも、世の中に絶対はありません、それに相手は私たちの常識が通用しない相手……死を恐れぬ、海の怪物たち。何重にもあった哨戒網を破ってどうやって入り込んだのかはともかく、あの輸送艦が重要なのだと本能でわかったのかもしれません、捨て身で、襲ってきた。それも大規模に。まさに、黒い津波だったと聞きました。敵はあまりに多く、こちらはあまりにも少なかった。

 

 由良はとてもよく戦いました。まだ新兵といってもいいくらいの戦歴です、しかも大規模な戦闘は訓練所のあの事件だけ、しかもあの時だって敵と真正面で向かい合った訳じゃありません。それでも、仲間と共によく戦った、精一杯戦った。そして……どの艦よりも運が良かった。

 護衛部隊は本当によく戦いました。想定外の急な襲撃、加えて数的劣勢の中、護衛対象を守り抜いて敵を撃退できたんです。輸送艦も、護衛艦も傷一つなく無事でした。でも、その代償はあまりにも大きかった。

 

 他の艦は皆沈むか、死んでしまったんです。生き残りは由良だけでした。その由良だって全くの無傷じゃありません、とんでもない大怪我です。運良く沈まなかったにせよ、そのまま死んでしまっても不思議ではないくらいの怪我でした。ええ、基地に担ぎ込まれた由良の姿を見た時は、覚悟していました。実際、同じく担ぎ込まれた由良の僚艦は全艦死んでいます。でも、由良は生き延びた……。

 

 由良はそれ以来、歌わなくなりました。そしてもう一つ――

 

 

――――――――

 

 

 ぺこり、と目の前の若い女がパイプ椅子に座ったまま挨拶代わりに頭を下げる。由良はそれにお辞儀で返した。加古は未だ状況を掴めないまま、由良につられるようにお辞儀をした。

 

 加古は目の前の状況に混乱していた。まだ医務室の病室で療養していた筈の由良が突然加古の部屋にやって来たこと、一月ぶりの休日――実質的には酷使した艤装のオーバーホールのための待機時間――を何もするでもなく過ごしていた加古を有無を言わさず連れ出してきたこと、連れ出した先が工廠付属の小さな医務室――どうやら設置されてから一度も使われていないらしい、加古は初めてその存在を知った――だったこと。任務中ならまだしも、何でもないただの休日の頭では理解が追い付いていなかった。

 よく見れば、女は工廠で艤装整備を担当している隊員だった。明るいブラウンのポニーテールに見覚えがあった。眼鏡は掛けていなかったはずだが、今は掛けている。そこまで思い出したが、自分の艤装の担当ではなかったから、名前までは思い出せなかった。

 

「来たね。よし……じゃあ始めよっか」

「お願いします」

「一応最後の確認だけど……本当にいいの?」 

「はい」

「そりゃそうだよね。まあ、蛇足だったよね。それじゃ――」

 

 そんな加古を置いて、女と由良は話を進める。女の問いに、由良はいつも以上に真面目な表情で頷いた。口を固く結び、一切の迷いがないとばかりに大きく頷いていた。

 

「ちょ、ちょっと待った」

 

 慌てて加古は口を挟んだ。「えーっとさ、どういうこと、これは? 今から何をすんの? 何でアタシがここに連れてこられた訳?」思わず早口で捲し立てた。

 女は「言ってなかったの?」と由良に言った。由良は口をぽかんと開けている。大方、言ったつもりになっていたのだろう、表情から加古は察した。しまった、と表情が物語っていた。

 

「完全に言ったつもりで……ゴメン、加古」

 

 由良は苦笑いしつつ言った。こういったことは一度や二度ではなかった。加古は溜息を吐く。「それで、さっきの質問だけどさ」

 刺青、と短く女は言った。いつの間にか両手に外科手術で使うような薄手のゴム手袋を装着していた。「今からこの娘に入れるの」

 聞き慣れない言葉に加古は更に目を白黒させた。女は笑いながら言った。「ま、見てなよ。ついでにこの娘の手を握ってやってね、その為に呼んだようなもんだし」

 

 

 まるで電動ノコギリや刈払機のような耳障りな振動音が医務室に響く。会話もままならないような状況だった。

 ベッドにうつ伏せになった由良の真っ白な背中に、黒々とした刺青が彫られてゆく。少し彫ってはガーゼで血を拭い、また彫ってゆく。ある程度彫られた時、加古はそれが絵や紋様ではなく文字であることに気付いた。

 既に記憶は色褪せつつあったが、それはかつて訓練所時代に沈んだ艦の名前に間違いなかった。

 

「由良……もしかして……」

 

 小さく呟いた加古の声は騒音の中で掻き消された。加古は由良の顔へ目を移した。今はうつ伏せになっていて、その表情は窺い知れない。痛むのか、時たま加古の手をグッと強く握る。爪痕が残りそうな程、強く握られていた。もしかしたら涙も流しているのかもしれない。加古にできることは、ただ無心に由良の手を握ることだけだった。

 

 女は真剣な表情で黙々と彫っている。たまに顔を上げ、手元の紙と由良の背中を見比べる。更には身体や椅子を動かして彫る場所を変える。由良の右側へ行ったり、左側へ行ったりと何度が位置を変えた。そうして更に彫り進める。ただただ、鼓膜を殴りつけるように響く音だけが聞こえる。女が額の汗を首に掛けたタオルで拭う。思えば医務室には空調が入っていない。加古もじんわりと汗をかいていた。元は白だったのだろう、黄土色に変色した扇風機が弱々しい風を加古たちに送っていた。

 

 ようやく音が止んだ。

 女は一仕事終えたというように、ふう、と息を漏らす。「今日はここまで。残りは明後日。服着ていいよ」顔にも腕にも汗が浮かんでいた。眼鏡を外し、ゴム手袋を脱ぐ。

 そのまま椅子から立ち上がると、女は腕を上げ、身体を目一杯伸ばした。作業服のポケットから煙草を取り出し、部屋の端にあった吸殻入れのスタンドを椅子まで引き摺り寄せた。ガタガタとリノリウムの床を不格好にスタンドが動く。他にもスタンドがあるのに加古は気付いた。どうやらこの部屋は工廠の喫煙室代わりに使われているようだった。

 

 加古は由良の手を離すと、背中を今一度眺めた。

 由良の背中は傘連判状のような、日本国旗になされた寄せ書きのような状態になっていた。腰に埋め込まれた金属部品――艤装の接続部――を中心に、環状にかつて沈んだ仲間たちの名前が黒々と由良の背中に刻まれている。接続部それ自体が背中の中心より下にあるので、環の上部の方が名前の“層”が多かった。そのせいで輪というよりは扇型を二つ組み合わせたような形になっていた。どちらにせよ、由良の背中は名前で覆われつつあった。まだ背中の中心部分しか名前が無いが、明後日には肩まで到達するのだろう。

 

 由良は服を――今日は病衣ではなくジャージを着ていた――着ると、ベッドから立ち上がり、女に礼をした。「泉士長、ありがとうございました」女の名前は泉というらしい、名前を聞いても加古の記憶には引っ掛からなかった。

 

「私なんかにそんなのいらないよ。客と店の対等な関係なんだから。それより、ここまで付き合ってくれた――いや、巻き込んだ、かな――お仲間にしてあげたほうがいいよ。あと、前も言ったけどここでは名前はナシね。私はただの“店”、あんたはただの“客”、それだけの関係」

 

 泉はそう言って手の甲を上下に振った。どさりと椅子に身体を預け、天を眺めていた。首に掛けたタオルがずり落ちそうになっている。相当集中力を使ったのだろう、口に咥えた煙草もロクに吸わず、ぐったりとしていた。そのままの格好で寝てしまうのではないかと思う程だった。

 

「加古、ありがとう」

 

 由良は笑った。顔には白い筋が二つ薄っすらと走っていた。

 加古はどんな表情をすればいいかわからなかった。

 

 

――――――――

 

 

 元々、刺青は隊員の方で入れている人がいたんです。こっそり機械を持ち込んで、彫っていたんです。ええ、どこからどう見たって明らかな規則違反です。彫った方は一発不名誉除隊、彫られた方も良くて重営倉の後に除去手術で後送……としたいところなんですが、ここは前線です、しかも島。言ってしまえば、刺青程度で後方に送るのが惜しかったんです、移送の費用もゼロじゃないですし、安全でもありませんからね。それに、前線の孤島となると兵士はともすれば精神が不安になりがちです。刺青は言わば精神安定剤みたいなものだったんです。仲間との連帯、組織への忠誠……そういったものを物理的に確認する手段でもありました。

 

 なので、“見えないところにある限りは存在しない”ことになりました。元々ばれないように、隠すように入れていたので、実質は黙認のようなものです。もっとも、当座の措置であって、内地に戻ってからは消すように言われていたようですが……。さあ、知りません。結局のところ、既に刺青を入れた人が結構な数になっていたので、基地司令もあまり問題を抱え込みたくはなかった、内々で済ましたかったんだと思います。何だかんだ言ったって皆さん、お役人ですからね。

 

 隊員は黙認でもいいですが、私たちとなると話は別です。何しろ(フネ)ですから。なのに、由良は入れたんです。あの娘らしくもないことでした。まるで反抗期のような、いえ、確かに年齢的にはそうでしょうけども……。いや、彫った方も彫った方です。よくやったと思いますよ。

 

 まあ、何をどう誤魔化したって見つからないはずがありません。こっちは提督――基地の艦隊司令の管轄でした。管轄は違えど、結局は同じです。ところが、隊員とは違って私たちに関しては、どうやっても、逆立ちしたって刺青を禁止すると読める規則がなかったんです。法の不備、規則の穴――そんな感じです。そうなると仕方ありません、内地ならまだしも、やっぱりここは前線でしたから……こちらも黙認になりました。ただし、見える範囲には入れないように、と釘を刺されましたけども。誰も、波風を立てたくはありませんからね。やっぱり、お役所ですね。

 

 由良、最初は腕に入れるつもりだったらしいです。でも、腕だと見えちゃいますから……。それで、背中に。何しろ、数が多いですから。それでも、最初はまだ()()()でした。名前と名前の間には十分スペースがあった。でも、スペースがあるってことは、そこにまだ入れる余裕があるってことです。由良は誰かが沈む度、その名前を背中に入れていました。折しも戦闘が激化した時期です、いくつもの艦が沈み、補充され、また沈む。いつしか、由良の背中は……“耳なし芳一”みたいになっていました。

 言うなれば墓、墓地でした、由良の背中は。

 

 たった一人で全部背負ってたんです、由良は。全部、何もかも。背負い切れるはずなんてない、そんな必要は一つだってなかったのに……

 

 

 


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