艦娘哀歌   作:絶命火力

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COG.2 -「艦なら」

 私が由良と出会ったのは訓練所、京都の丹後、栗田(くんだ)というところにありました。宮津と舞鶴のちょうど真ん中、天の橋立からすぐ近くにある、そこそこ広い湾です。そこが私たちの訓練所として整備された土地でした。ええ、今は拡大して舞鶴基地の一部になっているところですよ。

 あの頃はようやくまともな訓練体制が整えられたばかりで、適合別に訓練所はなくて、とりあえず掻き集めた人を放り込んでたんです。なので、戦艦や空母、潜水艦や水上機母艦みたいな数の少ない特別な艦以外、重巡や駆逐といった水上艦はごちゃまぜになっていました。対潜を除けば砲雷とやることはそう変わりはありませんから。といっても駆逐は少数で、だいたいは重巡、軽巡でしたね。

 私と由良はそんな訓練所で同部屋だったんです。二段ベッドの――ええ、昔の話ですし、狭いところにかなりの数を詰めていたので二段で――上が由良、下が私でした。何のことない、単なる振り分けの偶然でした。

 

 由良は不思議な娘でした。何でまたこんなところに来ちゃったのかなあ……と思うくらいでした。どこが不思議かというと、まあ戦闘任務、というよりは集団行動そのものが合わなさそうな……言っちゃえば『ゴーマー・パイル(微笑みデブ)』でしたね。太ってないし、食い意地の張ったボンクラでもありませんでしたけど。どちらかと言えば、不思議と皆に好かれるタイプの娘でしたね。まあ、その……何というか、ふわっとした、何だか宙に浮いてそうな感じというか、そういう娘だったんです。質実剛健とは真反対ですよ。

 ……あ、別に由良はそんな自分の単装砲に『チャーリー』なんて名付けてはいませんし、ドーナツを隠し持ってたり、教官を撃ったりしてませんよ、勿論。“石鹸リンチ”もやってませんからね?

 

 おっとりとした、優しい娘でしたよ。陳腐な言い方をすれば『虫も殺せないような』娘です。ちょっとだけ抜けてて、皆からは半歩遅れてしまうような娘で……同じベッドの縁もあって、私がよく助けてました。

 どこが抜けてたかと言うと……そうですね、訓練所で初っ端から“名前”を言っちゃったことですかね。ええ、“名前”です、艦名じゃなくてね。訓練所に入った時点、いえその前から既に私たちは『(フネ)』ですから、厳密に言えば『人』ではありません。勿論“名前”もありません。ええ、ないんです。存在しない。

 なのに、あの娘は……由良は開口一番、出身地やら年齢、名前とサラサラと流れるように一気に私に言っちゃったんですよ、転校生の自己紹介みたいにね。出身地はセーフ、年齢もまだギリギリセーフ、でも名前は完全にアウトです。私、開いた口が塞がりませんでした。由良、即座に教官に――女性ですよ、でもとんでもなく怖い教官でした――首根っこ捕まれて別室に連行されて行きましたよ。ドナドナされていく牛みたいな表情をしてたのを覚えてます。周りは指差して笑ってましたけど、これはまた大変なのと一緒になっちゃったなあ、これから大丈夫かなあ、とその様子を眺めながら思いました。その予感はだいたい当たることになりましたね。

 

 勿論、訓練所ですし、既に身分は『(フネ)』です。一度(フネ)となったからには、(フネ)として、敵を沈める、殺す術を学ばないといけない。例外はありません。『微笑みデブ』も最後は()()()兵士になったように、由良も軽巡としてミッチリ教育されました。訓練所を出る頃には皆一端の栄えある『(フネ)』ですよ、先任の艦からすればひよっ子ですけどね。

 何にせよ、私たちは『志願』した身ですから、『(フネ)』として生きる他はなかったんです。『志願』したからには退くわけにはいかないんです。

 

 そう、『志願』したんです。家族を守るためかもしれませんし、食うに困ってかもしれません、理由は色々とあるでしょう。けれど、『志願』した、その事実は変わりません。

 

 私ですか? 私は……そうですね、どうして『志願』したんでしょうかね。今となってはもう覚えてませんよ。もう、十何年も昔の話ですから……。

 

 

――――――――

 

 

「へぇー、『加古』なの。面白い偶然ね」

 

 二段ベッドの下段、加古のベッドに由良と加古は腰掛けて雑談をしていた。周囲でも同じような光景が繰り広げられている。食事、その後の掃除の後に許された唯一の自由時間、しかし娯楽の一切ない状況では仲間と話す他なかった。同じベッド、更にはその周囲の仲間と会話を始めるのは必然でもあった。

 

「どこが?」

「だって、私の出身加古川だもの、『加古』の由来は加古川でしょ?」

「ああ、そういやそんなこと言ってたっけ……」

 

 そう言いながら加古は由良の顔を見た。頬には明らかに殴りつけられたと思しき青痣がくっきりと残っていた。由良の肌の白さも相俟ってかなり目立っていて、かなり痛々しげに見える。傷でないからか、絆創膏も貼られずにいた。見せしめなのかもしれない、と加古はふと思った。

 自分の頬を指さしつつ、加古は由良に言った。

 

「見るからに痛そうだけど、大丈夫?」

「うん、触るとまだちょっと痛い。最初は触らなくても痛かったけど……もう大丈夫かな」

 

 頬に手を当て、由良は少し顔を歪めつつ言った。

 

「じゃあまだマシかな。それ、今度から気を付けなよ、アタシらは『(フネ)』なんだから。間違えても(ヒト)じゃあない。ここに来るまでから散々言われただろ?」

「勿論、わかってたんだけどね。でも、初めて来る知らないところで、周りは知らない人ばっかりで、わからないことだらけで、凄い緊張しちゃって……つい」

 

 加古から目を逸らし恥ずかしそうに由良は言った。加古は由良の言葉にフフッと笑った。

 

「ほーら、また『人』って言った。だから『(フネ)』だって……もう。気を付けないと痣が増えるよ」

 

 少しからかうように加古は言った。

 あ、と由良は手で口を抑える。そのままがっくりと肩を落とした。腕で膝を抱え、顔を埋めた。加古は再び笑った。

 

「私、友達からもよく『天然』とか言われてて……やっぱりダメなのかなあ」

「ダメなことないさ。そうだね、うーん……何か言おうとした時に、まず言いたいことを頭の中で確認して、マズい言葉を直せばいいんじゃないの? そうすれば言う前に気付くでしょ。慎重に注意すれば、ね」

「いっつも私はそうしてるつもりなの、でも……こうなっちゃう」

 

 由良は溜息を吐いた。「初日から気が重いなあ」

 

「そりゃ皆のセリフだと思うよ。『こんなのが同期で大丈夫かな』って」

「加古もそう思ってるの?」

 

 由良は顔を上げ、加古の顔を見た。心なしか涙目になっている。

 

「そりゃ、まあ。でもさ、別にアタシはいいと思ってるよ。皆が皆優秀な訳じゃないんだからさ。ちょっとくらい、ダメだって、天然だっていいじゃんか」

 

 うう、と由良が言葉にならない唸り声を上げた。再び顔を膝に埋める。

 

「何だかそうやって真正面から言われると、ヘコんじゃうなあ」

「まあ事実だしそこは受け入れないと。大丈夫大丈夫、何とかなるって。アタシも助けるからさ、同じベッドになった縁だし」

「……ありがとう。優しいね、加古」

「そんなことないよ、アタシは」

 

 加古は手を振り、気恥ずかしそうに苦笑いしつつ否定した。 

 

「まあ、色々あったけども……明日からよろしく、由良」

 

 そう言って加古は右手を由良に差し出した。一瞬だけ由良は疑問符を浮かべたようだったが、すぐに背筋を真っ直ぐに正すと、その手に応えた。しっかりと、強く加古の手を握り返す。

 

「よろしく、加古」

 

 由良は笑った。

 その瞬間、部屋の電気が落ちた。突然のことに周囲はざわめいたが、同時に教官が部屋のドアを乱暴に開けて入って来たことで、それもすぐに水を打ったように収まった。

 

「よい子は寝る時間だ! 全員ベッドに入れ! 早くしろ! 急げ急げ!」

 

 消灯時間だった。教官は大股で部屋を周回し、逃げ遅れた仲間は教官の罵声の餌食となっていた。「何をモタモタしてやがる!」「お前は自分の寝床も覚えられねえのか!」といった怒号が響く。全員、脱兎の如く一目散に自分のベッドへと向かっていった。

 

「おやすみ、加古。また明日」

「おやすみ」

 

 握手を解くと、由良は素早く上段のベッドへと戻っていった。何とか、教官の罵声を浴びずに済んだ。

 

 

――――――――

 

 

 それからはまあ、訓練、訓練、また訓練、といった感じで、忙しい日々でした。

 座学、航行、射撃、雷撃……平行して徒手格闘、小銃の射撃訓練までやりました。特に小銃! あれは大変でしたね。64式小銃は私たちには大きくて重たくて……艤装なんかよりもっと辛かったです。もっとも、それが後々役に立ってしまうんですけども……。

 

 どこで役に立ったか、ですか。私たち(フネ)(おか)で小銃を撃つ時って、どんな時だと思いますか? ええ、歩哨に立つこともありましたよ、でも、撃ちはしませんよ。

 ……その通り、黒潮、正解よ。私も撃ったんですよ、弔銃。由良もね。海の上で持つ64式は……とても、重たかった。

 

 

 あれは訓練所の修了を間近に迎えた日のことでした。その日は、外洋に出て二つのチームに分かれて模擬演習をやっていたんです。数が多かったので、区域を分けて複数の模擬演習を平行してやっていました。それでも足りなくて、演習からあぶれた一部は陸で待機しつつ、無線と偵察機から上がってくる情報を使ってその場の状況を組み立てる訓練のようなことをしていました。私と由良が所属していた分隊はそのあぶれた方でした。そこであの事件が起きたんです。

 あの当時、もう日本海、少なくとも沿岸部では完全に撃滅されたと信じられていた――実際、何年か前から殆ど姿が見られなくなっていましたから――深海棲艦による襲撃です。

 

 恐らく、最初に気付いたのは演習の監督を行っていた教官だったと思います。偵察機を上げていましたから。発見後、即座に全艦に警告を出しました。それでも間に合わなかった。それまで演習をやっていたところに、敵襲撃の報です、「これは訓練でない」と言われたって何かの訓練と思ってしまうのも当然です。状況は敵が来る前から混乱していました。

 そこに敵が突入してきたんです。数の上だけで言えば私たちの方が多かったはずです。でも、ただでさえ敵味方に分かれていたところに、本物の敵の登場です。しかも、私たちにとってはそれまで写真や映像、座学の教科書か、資料室の死体でしか見たことのない敵です。私たちは恐慌に陥りました。無線からは恐怖の声が漏れてきて、それが伝播していきました。

 

 更に都合の悪いことに、演習でしたので実弾は持っていませんでした。つまり、私たちには敵に有効な打撃を与える術は無かったんです。

 そんな中で、その場にいた教官たちは出来る限りの方策を打ちました。混乱する艦を立ち直らせて、片っ端から逃げるように言ったんです。そして自らは、遅滞行動に出ました。教官とて、実弾は持っていません、敵相手に徒手空拳と同じようなものです、いくら熟練の優秀な教官だからって、そう長くは持たない。舞鶴は目と鼻の先、すぐに増援が来ると見込んでのことだったと思います。

 

 私たちはというと、すぐさま実弾を装填して援護に向かわされました。偵察機で視認した時点で準備に取り掛かっていたので、割と早めに行動に移れたんです。私たちだって訓練生の身ですが艦です、舞鶴の増援を待つ時間が惜しまれるような状況からすれば、当然のことでした。撤退してくる仲間の援護と、可能ならば先行した教官と共に、遅滞行動を行っていた教官の援護が任務とされて、実戦に足を踏み入れることになったんです。私、そこで初めて敵を撃ったんです。撤退する仲間を追撃するイ級駆逐艦、それが私が初めて殺した敵でした。

 感慨? いえ……あの時は、ただ味方の救出ということと、初の実戦ということで頭が一杯でしたから……。あまり、感慨もなかったと思います。ただ、敵を倒した、それだけですよ。人を殺したのとは訳が違いますよ、ええ。

 

 そうして私たちは撤退を支援しつつ、時には敵を撃退し、教官の元へ向かいました。その頃には舞鶴から先に艦上機も上がっていて、どうやら爆撃を行っているようでした。そして到着した先で、遅滞攻撃を行っていた教官が……絶命していました。先行していた私たちの教官に抱きかかえられていて……。敵の巡洋艦、リ級との刺し違えでした。その時点で敵は撤退を始めていて、後から舞鶴の艦隊が追撃に行っていました。

 そこからは、もう正規の艦隊の領分です。私たちは教官の遺体を連れて戻りました。初の実戦、初の戦果、そして初の味方の死……まだ訓練生でしかない私たちには、あまりにも重すぎました。

 

 結果として、逃げ遅れた仲間が五艦沈みました。他にも、目前で仲間が沈んだことで強いショックを受けて、心的外傷を負った艦も数知れません。別の分隊のある艦は逃げる時に錯乱して、湾の反対側の敦賀まで狂ったように航行して、そこでようやく保護されました。他にも崖下の洞穴で膝を抱えて隠れていた艦なんかもいました。それほど、衝撃は大きいものでした。

 

 どうしてあんなことが起こってしまったのか……まあ、油断があったことは確かです。ちょっと敵が姿を見せなくなったからって、油断してしまった。でも、あの頃はまだ有効な電探がなかったんです。ああなってしまったのも、仕方ありませんでした。

 確かに、あの時失われたのは決して少なくない損害です、でもあれで済んだのは教官の懸命の遅滞行動のお陰です。それに、日本海側での敵の大規模な活動はあれが最後になりました。それからは、偶然抜けてきた潜水艦くらいのものでしたから、まさに最後の、死力を尽くした大攻勢だったのしれません。ただただ、運の巡り合わせが悪かったんです。

 

 

――――――――

 

 

 号令と共に、空砲が発射される。湾内に三発の銃声が短く反響した。

 

 訓練所教官の駆逐艦望月、訓練生の重巡洋艦青葉、妙高、軽巡洋艦五十鈴、那珂、駆逐艦夕立の合計六艦の追悼式が行われている。轟沈した訓練生と同じ班に所属していた艦が、そして望月の死を見届けた教官の軽巡洋艦天龍と、望月と同様に遅滞行動を取っていた教官、そして加古と由良が所属する第二分隊第三班の艦が64式小銃を天に構えていた。二〇を超える小銃の一斉射撃は圧巻の光景だった。

 後ろに控える護衛艦の甲板からは弔いのラッパが鳴らされる。周囲には訓練所の艦娘がほぼ全艦並び、道半ばにして沈んだ仲間と、文字通り自分たちを守る盾となった教官に黙祷を――一部は目に涙を浮かべながら――捧げていた。

 

 やがて、式が終わると護衛艦は元の場所へ――舞鶴の方へ――戻っていく。その最中に、一際大きな警笛を鳴らした。よく見れば、甲板の上では乗組員が事件の場所の方角に向かって揃って敬礼をしていた。優に十秒は鳴らしてだろうか、そのまま護衛艦は金ヶ岬の向こうへ姿を消していった。後にはただ、艦娘たちが残っていた。

 

 教官たちが先導し、黙々と全員それに従った。誰も彼も皆、疲れ果てていた。顔には精気がなく、暗く、沈んだ表情を隠しもしていないし、注意もされなかった。

 訓練所に戻ってからは隊長訓話かな、大方気を引き締めるようになどと言われるのだろう、と加古はとりとめのないことを考えていた。小銃の重みを肩に感じつつ、俯きがちに前の艦の――偶然、由良だった――背中をただ上の空で追っていた。

 

 ふと、主機の鈍い低音に混じって、声が聞こえた気がして、加古は顔を上げた。由良の声だった。

 押し殺した声で、由良は歌っていたのだった。声は震え、歌詞は殆ど聞き取れない。しかしそれでも、由良は確かに歌っていた。涙を流しているのだろうか、何度も小刻みに震える手で目元を拭っていた。

 

 加古は由良の背中に声を掛けようとして、思い留まった。決して大きくはないが、この声が教官の耳に届居ていないはずがない。教官が何も言わないということは、()()()()()()なのだろう、そう加古は考えた。

 耳を澄ませば、後ろの方からも幾つか歌声が聞こえて来るような気がした。もしかすると、由良と同様に誰かが歌っているのかもしれない。歌声は混ざり、やがて明確な一つの歌になった。それでも歌詞は聞き取れなかった。

 

 明るい歌に聞こえるのに、悲しく感じるのは今の自分たちの心のせいなのか、それともそういう歌なのだろうか。そもそも、由良も他の艦も、どこでそんな歌を覚えたのだろうか。加古は訓練所に戻るまで、ずっとそんなことを考え続けていた。そうしている内に、訓練所に辿り着いた。いつの間にか、歌声は止んでいた。

 

 結局、訓練所に戻ってからも教官は何も言わなかった。歌について咎めることもなかった。まるでそんなことはなかったと言わんばかりの態度で、思わず加古は疲れから白昼夢でも見たのかと疑った。小銃を武器庫に戻しに行く道すがら由良に聞こうかと思って、やはり止めた。由良の顔に残る涙の跡を見て、何となく、聞くべきではないと思ったからだった。

 

 結局、加古にとっては何が何だかよくわからないまま、全ては終わった。一晩寝て起きれば、結局は同じ訓練の一日が始まった。変わらない日常、そこに少しだけイレギュラーが起こっただけだ、日を経る毎にそう思えてきた。あれ程錯乱していた仲間も、沈痛の心で顔を歪ませていた仲間も、段々と元に戻っていた。全ては順調だった。

 

 ただし、由良を除けば、の話だった。

 

 

――――――――

 

 

 ガコン、と自販機が音を立てる。加古は自販機からココアの缶を取り出すと、由良に手渡した。ありがとう、と由良は小声で言った。

 宿舎の玄関の小さなスペース、そこに自販機とベンチが設置されている。就寝前の自由時間、加古は由良をこの場所へ連れ出していた。

 加古はそのまま無糖珈琲を選び、釣り銭を回収すると、由良と共にベンチに座った。宿舎の廊下は既に消灯されている、各部屋からは明かりが漏れ、声が遠く聞こえていた。

 ほぼ同時に缶を開け、飲む。無糖だけあって苦かった。由良と一緒でココアにすべきだったか、と加古は少しだけ後悔した。横目で由良を見る。由良は黙々と両手で缶を持ち、ちびちびとココアを飲んでいた。

 

「由良さ、大丈夫?」

 

 脈絡ない、唐突な質問だった。そんな質問に、元々沈みがちだった由良の表情は更に曇った。

 

「多分……大丈夫、じゃない」

「……だろうなあ。そんなにショックだった?」

「うん」

 

 こくり、と由良は肯いた。ぽつりぽつりと言葉を続ける。

 

「皆、平気、なのかな」

「平気じゃないさ、アタシだってショックさ。沈んだ連中も知らない顔じゃない、でも――」

「でも?」

「でも、アタシらは(フネ)なんだ、そこらの一般人とは違う。一々沈んだ連中のことを考えてちゃ、何も出来ない。アタシらは自分のやれることをやらなきゃいけない。皆、心の中じゃ何を思ってるか知らないけど、それぞれ折り合いをつけてると思う」

「私は……できない、やりたくない」

 

 缶を握る由良の手に力が入っていた。缶が耳障りな音を立ててひしゃげる。

 

「優しいよね、由良。本当に。皆、同じ班でもなかったのに……」

「私、怖いの。敵も、『由良』としての私も。今まで、何とかなるかな、って思ってた。でも、あれ以来、私に『由良』が務まるのかな、って。自信、失くしちゃった」

「何がそんなに怖いのさ?」

「敵を、あのイ級を見た時……あの目が、砲が凄く怖くなった。見るからに殺意を私たちに向けてきてた」

「当たり前だよ、敵なんだから。アタシらを殺しにかかってくる、当然だよ」

 

 由良は頭を振る。「それはわかってる、でもね――」

 

「それが怖かった。あんな純粋な悪意と殺意をぶつけられることが、凄く怖かった。あの時……私ね『陸に居て本当によかった』って思っちゃった。それに気付いた時、そんな私が、他人の不幸を喜んでる私が心底嫌になったの。私、五十鈴とは何度か分隊対抗の対潜訓練で一緒になったの。いつも凄いスコアを出してて、私なんかよりずっと優秀で、ちょっと教えてもらったら私もスコアが上がって、教官、そう、望月教官にも褒められて――」

 

 そこまで言って、由良は言葉を詰まらせた。「そんな五十鈴が、沈んじゃった。あのツインテールの、ちょっと生意気で勝ち気で、でも私なんかにも優しく教えてくれた娘が……」

 

「座学でやったのと同じだよ、それ。防衛心理学。戦闘の後、誰しも一時はそういう自責の感情を抱く、ってね、やったよね? 由良は今、その状態にあるんだ。それに、あの化け物連中はアタシらの敵、人類の敵。しかも人じゃない、獣だよ、獣。連中はそういう本能に従ってるだけの(けだもの)、恐れることなんてないさ」

「わかってる、わかってるけど、どうしても……」

 

 そのまま由良は俯き、押し黙ってしまった。加古はそんな由良の様子を暫く眺めていた。どうするべきか、何ができるか、とうの昔に飲み終えた缶珈琲を手に持ったまま、思案していた。

 

「じゃあ、ここは座学の通りやろう」

「……何を?」

「吐き出すんだよ、全部ね。そうすれば、スッキリするさ。アタシだって、色々思ってることはあるんだ、いい機会だし……アタシもぶちまけるよ。ずっと抱えるのも、辛いからね」

 

 加古はそう言って笑うと、由良にウィンクした。


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