艦娘哀歌   作:絶命火力

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COG.3 -「エゴ」

 黒潮の笑いに、男もつられて笑った。静かな慰霊碑の周辺に哄笑が流れ、やがて再び静けさを取り戻した。

 

「ウチのエゴと、アンタのエゴ」

 

 黒潮は握り拳に親指を立て、自分に、そして男に向ける。どっちもどっちやな、と未だ笑みを口元に残しつつ言った。

 男も黒潮と同様に微笑みが残っている。「そうですね」

 

「こんな(わろ)たんは久々や、おおきにな」

「こちらこそ、お礼を言うべきですから」

 

 再び黒潮はフッと笑う。「なあ――」

 何か言いかけたところで、何かに気付いたように黒潮は口を閉じた。目線が男の顔から外れる。

 

「こんなところに居たんですか」

 

 黒潮の目線を追って振り向きかけたところに、後ろから声が飛んできた。その方向に顔を向けると、いつの間にやって来ていたのか、医官が立っていた。

 白衣のポケットに手を突っ込み、眉を寄せて多少の不機嫌さを表情に出していた。

 

「お、何や、誰かと思うたら先生やん。どないしたん、こんな辺鄙な(とこ)まで」

「『どないしたん』じゃないですよ。その様子じゃ、すっかり忘れてましたね」

 

 近付きつつ、呆れた様子で医官は溜息を吐く。あ、と黒潮は声を出した。何かに思い至ったように、少し焦った様子を見せる。

 

「あー……いやあ、こらやってしもたなあ。ホンマ申し訳ない。完全にウチの落ち度や。スポーンとまるっきし頭から抜けとったわ。昼前に検査するんやったっけ」

 

 首筋を軽く掻きつつ、取り繕うような苦笑で医官に頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。

 医官は憮然とした表情のままで、眉一つ動かさなかった。再び溜息を吐く。

 

「次やったら病室での喫煙許可を取り消しますよ……。まあ、いいです。医務室に戻ってください。先に甲液の交換をします。準備はもう出来ますから、行っていてください」

 

 いつの間にか点滴バッグの中の液体も底を尽きかけていた。

 

「了解、おおきに。すまんかったなあ、手間かけさせて……」

 

 黒潮は車椅子のロックを解除すると、車輪に手を掛ける。それから男に顔を向けた。

 

「ほな、またな。暇な時に、気ぃ向いたらまた()ぃや、あるか知らんけど。もう喋るようなこと何もあらへんけど、ウチは暇やからな。お喋りくらいはできるさかいに」

「ええ、また、よろしくお願いします」

 

 男はベンチから立ち上がり、黒潮に礼をした。黒潮は既に漕ぎ出していた。男の礼には背を向けたまま、右手を挙げて応える。

 黒潮の車椅子が離れてゆく。来る時よりもゆっくりとした速度だった。黒潮は振り返ることもなく、やがて角を曲がり、視界から消えた。

 残ったのは男と、そして医官だけだった。医官は黒潮を追うこともなく立っていた。男との間には微妙な距離が開いている。男はベンチに座るでもなく、立ち上がったままだった。

 

「……聞いていましたか」

 

 男は黒潮が行った方向に顔を向けたまま言った。

 横目で見るが、セミロングの髪の向こう、医官は全く表情を変えない。「ええ、まあ……だいたいは」

 先程とは異なる、座りの悪い沈黙が周囲を包む。今度はヘリコプターらしきローターブレードの回転音が遠くで聞こえた。

 

「何も……おっしゃらないんですか」

 

 医官は沈黙していた。その表情からは感情が読み取れなかった。

 

「ここから先はあくまで私の独り言ですが――」

 

 医官が口を開く。男の方には顔を向けず、虚空を眺めていた。

 

「私の見立てでは、恐らくは今の黒潮には重大な不具合があります。設備の整っていないここで対処するのは難しい……ヤップか、パラオの方へ送って精密な検査をする必要があります。もしくは直接内地のドックに送るのも考えられなくはない。とにかく、ソフト面での再整備の必要が限りなく高い。加えて言えば、どうにも脚部の治りが遅いきらいがあります、修復液があまり効いていない。これも問題です、ハード面の。医官として、いえ、()()()()としての立場で言わせていただくのであれば――」

 

 仏頂面で淡々と医官は話す。「黒潮を送ります、一切の迷いなく。それが私の義務でもあります」

 男の顔が凍る。内地のドック、それはかつて黒潮や川内が話していた『造修整備所』なのではないか。

 医官は男の顔をちらりと横目で見た。さすがにご存知でしたか、と呟いた。

 

「ですが、あくまでこれは組織としての論理。ここでは、必ずしもそうでない。勿論、医師の誓いも、服務の宣誓もやった身です。その点で言えば私はそれに悖るようなことはできない、すべきことはしなければならない。ですが……この判断はそれに違わない、私はそう信じています」

 

 どちらかと言うと、自分に言い聞かせるような、まさに独り言のような言葉だった。

 

「私だって組織の末端といえど艦に直接触れて、艦の運用に関わる者です。ですから、知らないことはありません、あの施設がどのような施設であるかはね。勿論、どこまで知っているかは機密ですので」

 

 男の視線を気にしてか、再度医官は男を横目で見た。「私から言えることは一つだけです」

 

「黒潮とはこれ以上接触をすることはお勧めしません。不具合を深刻化させる可能性がとても高い。貴方だってわかっているでしょう、黒潮の状態を」

「……あくまで、不具合、ですか」

「現状、そう言うしかありません。馬鹿馬鹿しいとお思いになるかもしれませんがね」

「そうしなければ立ち行かないと」

「ご理解いただけたのならよいのですが」

 

 そう言うと医官は溜息を吐いた。「私だってわかってますよ、こんなものはただの言葉遊びとね」

 再び溜息を吐く。既に幾度と無く溜息を吐いている。色々と思うところはあるのだろうか、と男は医官の表情を伺う。

 表情はどう好意的に見ても芳しくない。何かを取り出そうと、ゴソゴソと白衣のポケットを探っていた。

 出てきたのは煙草と携帯灰皿だった。パッケージから一本、それにライターを取り出す。どうやらパッケージの中に入れていたようだ。

 煙草を咥えて、ライターを着火位置まで持って来てから男に尋ねる。「一本よろしいですか? 黒潮も吸ってたでしょう?」

 それを見て、心なしか、男の表情が緩んだようにも見えた。

 

「そこまで出されると、こちらとしてもノーとは言えませんよ……。しかしまあ、医官の不養生ですね」

「何度も言われて聞き飽きました、それ。止められないんですよ。若いころに覚えるとどうもいけませんね、三つ子の魂何とやら、というやつです。仕方ないので批判は甘んじて受けます」

 

 言いながら医官は火をつける。ゆっくりと深く吸う。目を瞑り、肺で煙を味わうことに全身の神経を傾けているようだった。眉間に寄った皺も少しだけ緩む。

 肺に入れた煙を惜しむように吐きながら言った。「……話が逸れましたが、とにかく、そういうことです」

 男は暫く何も言わずに黙っていた。医官も黙々と煙草を吸う。

 ポツリ、と男が呟く。

 

「黒潮さんが不安定な心の状態だというのは話していればよくわかります。……もし、私がそれでも黒潮さんと会う、と言ったらどうしますか」

「それを止めようと思えば止めることはできます。私にはその権限がある。理由だって星の数ほどあります。ですが、それは私たちの本意ではない。勿論、貴方だってそうでしょう。今の黒潮にはただ、休息が必要なんです。それ以外は何も必要でないし、すべきでない」

「ですが、それは黒潮さんの意思ではないでしょう」

 

 携帯灰皿に灰を落とす医官の手が一瞬、動きを止めた。医官の眉間に皺が寄る。ただでさえ憮然としていた表情が更に少しだけ険しくなった。

 

「その通り。これはあくまで私たちの意思です。ただ、このことは念頭に置いてください。兵器に、意思は存在しないんです」

 

 存在しない、と強調するように二度言った。

 

「存在してはいけない、ですかね?」

 

 男の言葉に医官の表情が一瞬歪む。唇が固く結ばれる。

 

「ご想像にお任せします。一つだけ弁解させていただくとすれば、私たちだって黒潮のことを考えているんです。貴方が考えているように、ね」

「それも結局は一尉、貴女の……いえ、基地としてのエゴなのではないですか? 司令以下、皆さんの」

「ええ、これは司令の方針です。私たち衛生造修隊もそれに賛同しています。確かに、それはエゴでしょう。現状に納得いかないから、こうしてゴネていると言われても仕方ない。その点で言えば、私たちも貴方も変わりはないんです」

「私次第だと?」

「結局はそうなります、貴方次第です。これは単なるお願いに過ぎません。私たちはそこには立ち入らない……勿論、機密については別ですがね」

「屋城一尉。一体――」

 

 男が呼びかけたその瞬間、医官は屈んで煙草を地面に押し付けて火を消すと、吸い殻を携帯灰皿に放り込んだ。パシン、と勢いよく蓋を閉める音が響く。そのまま携帯灰皿もポケットに仕舞う。

 パンパン、と白衣を叩くと、初めて男に向き直った。真正面から男の顔をじっと見つめる。

 

「それでは、私は黒潮の検査があるのでこれで失礼します。甲液の交換も終わったでしょうし、あまり待たせるのもよくないですから。……どうか先程のことはお忘れなきよう、お願いしますね」

 

 何かあればご連絡を、と去り際に言うと、医官はそのまま医務室の方向へと去って行った。

 ただ一人、男だけがその場所に残った。鞄から煙草を取り出す。ライターもマッチも持っていないことに気付いて、苦笑いしつつ戻した。思えば携帯灰皿も持って来ていなかった。

 課業終了一旦休憩のラッパ音も聞こえてきた。いつの間にか昼を迎えていた。風か止み、気温が上がってきたのか男の額から汗が流れた。

 

 

――――――――

 

 

 沈みかけの太陽が発する強い西日の入る廊下から病室の扉を開けた先には、ベッドで眠っている黒潮と椅子に座っている医官、それに男性の看護官が――こちらは通常の白衣を着ている――居た。

 無言で男はお辞儀をする。どうやら病室を出る直前だったらしい看護官は怪訝な表情をしながらそれに返し、そのまま出て行った。医官は黒潮の方を向いたまま、やはり無表情だった。

 

「少しタイミングが悪いですね」

「眠られているんですか」

「かなり脚が痛むということなので、睡眠剤の方を。あまり鎮痛薬を使用するもの害ですから。少し……急ですね、どうにも安定しません」

 

 そう言うと医官は肩を竦めた。顔に疲れが見える。

 男は黒潮を見る。安らかな顔で眠っていた。脚に目を向けると、布団に浮き出るシルエットが変化したように――具体的に言えば右脚が少し“生えた”ように――見える。

 僅か数時間でこの状態では確かに痛むだろう、男はそう思った。

 

「なるほど」

「それで――」

 

 医官が男の顔を見る。射抜くような鋭い目付きで、半ば睨んでいると言ってもよかった。

 思わず男は猛禽類のそれを想起した。

 

「どのような御用でしょうか?」

 

 どこか声も刺々しいように聞こえる。それは男の過剰な思い込みかも知れないし、本当に医官が棘のある声で言っているのかもしれなかった。

 

「お見舞いの差し入れですよ、他意はないです。それだけですよ、時間も近いですから話し込むこともありませんし」

 

 男は左手に持ったビニール袋を突き出す。ふと見ると、サイドボードの上に物が増えていた。誰かが持ってきたのか、灰皿の横にはいくつかの煙草のパッケージが――銘柄は見事にバラバラだった――積まれていた。横に置いてある南洋の植物らしき一輪挿しとはアンバランスな雰囲気を出していた。

 突き出したビニール袋を受け取った医官は中身を取り出した。ゴソゴソと固い包装フィルムの音がする。

 

「差し入れ……ほう、飴ですか。煙草ならいい加減没収しようかと思っていたのですが、これならまあよいでしょう。しかしまた大量ですね。ヘヴィスモーカーでもここまで消費しないでしょうに」

 

 目を丸くしながら袋の中を覗き、医官は言った。鋭かった目も、棘のあった声も多少和らいだような気がした。

 ビニール袋には七、八袋ほど飴のパッケージが入っていた。黒潮がどんな飴が好きなのか聞きそびれていた男はとりあえず目についた飴を種類が重複しないよう気を付けつつ基地購買部(BX)で買い込んでいた。煙草の値段を考えるとそこまで痛い出費でもなかった。

 

「煙草は前回持って来ましたから……。同じものではいかんせん芸がありませんし、何度か煙草は差し上げていますので」

「あの煙草は貴方のでしたか。一体どこの誰が平和(ピース)なんて持ってきたのかと思ってましたが、なるほど、そういうことでしたか」

 

 男は苦笑いする。「あれはまあ……こちらに持ってくる煙草の選択を間違えてしまいましたね」

 割と大きなミスですね、それ、と言うと医官は微笑した。久方ぶりに医官の表情というものを見た気がした。

 

「まあ、それはそこに置いておいてください。お休みになっているのなら無理に起こすこともありませんし」

「何か、メモとか言伝はいいんですか?」

「やめときます。状態がよくなるまでの別れの挨拶のつもりでしたから」

 

 細目がちだった医官の目が、右目だけ一瞬大きく開いた。眉も一緒に釣り上がる。

 

「……わかりました」

 

 医官は一袋だけパッケージをサイドボードに置くと、残りはそのままビニール袋ごとサイドボードの抽斗に入れた。

 本当に病室を出る直前だったのか、「では、いい夜を」と――男に向けたのか、黒潮に向けたのかはわからない――言うとそのまま医官は病室を出た。黒潮に向かってお辞儀をしてから男もそれに続いた。

 

「屋城一尉」

 

 病室を出た直後に男が声をかけた。

 

「はい? 何でしょうか」

 

 呼び止められたのが意外だったのか、少しトーンの高い声だった。

 

「この後、何がご予定がありますか?」

「それは何かのお誘いでしょうか……残念ながら、片付ける書類が山のようにありまして。加えて言えば今日は当直なんですよ。当直だからこそ書類を片付けるとも言えますが」

「それはまた……残念ですね。色々とお話を伺いたかったのですが。まあ昨日の今日で急なお願いですから、仕方ありませんね」

 

 明らかに落胆したような顔で男は言った。

 ふむ、と医官は腕組みをして考え込む。白衣から手帳を出して何かを確認した。

 

「そうですね……六日後であれば、大丈夫でしょうか。久々にお酒を飲むのも悪くはないでしょう。私も色々と貴方には伺いたいことがありますので」

 

 医官は再度微笑んだ。いい夜を、と言うと医務室へ戻って行った。

 いい夜を。男は扉の向こうへ行った医官に向かってそう言いかけたが、当直じゃいいも何もないか、と独りごちた。そろそろ時間が迫っている。男は庁舎を出て早足気味に基地の門へと向かった。


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