艦娘哀歌   作:絶命火力

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COG.2 -「『フネ』」

「ウチらはな」

 

 男がベンチに座ってから、たっぷり三分ほど、黒潮は無言で煙草をプカプカとふかしていた。

 ようやく煙草が終わりを迎えると、黒潮は慰霊碑をちらり、と見てから話し始めた。

 

「まあ、大量生産(マスプロ)の産物や。駆逐艦ちゅう艦種の命運やな。どこぞの国やあらへんけど、『日刊駆逐艦』や。日々、どっかで『建造』されて、訓練されて、配属されとる」

 

 大量生産、ほなこの次は何やろか、と黒潮は男に問う。姿勢を崩し、肘掛けに腕を乗せ、頬杖をついた。

 

「……大量消費でしょうね、もし後に言葉を続けるのであれば」

「せや。大量生産、大量消費。戦争は何と()うてもモノや。物量(モノ)が揃って初めて勝負ができる。かの大戦でお国はどエライ痛い目見たからなあ。そらあもう身ぃに沁みて()()わかっとったはずや」

 

 黒潮は少しだけ顔を動かし、慰霊碑の方へ顎を突き出した。「その結果が、アレや」

 

「護国神社にも、靖国にも、そんでもって千鳥ヶ淵にも行かれん、ただ漠然とした『艦娘(フネ)』ちゅう概念でしか語られへん()()。結果として、ウチらはそういうことになった。一番そういう形で影響を受けたんが、駆逐艦娘(ウチら)やった」

「モノ……?」

「ごく初期、『志願』の時はもっと(ちゃ)うかったらしい。何せ(フネ)()うても元はアンタと一緒やからな。せやけど、『建造』になってからは……まあこういうこっちゃ」

 

 黒潮は胸元から艦札を引き出した。首から外し、指でクルクルと振り回す。回しすぎて、危うく指先から飛んで行きそうになった。

 

「名無しの、“型”と“艦名”でしか語られへん(フネ)。最初からそんな(フネ)として生み出されたのがウチらや。『建造』最初期の特型、実験型の初春型、白露型、完成形の朝潮型、そんで陽炎型(ウチら)と連綿と続くモノの系譜や」

「モノ扱いだ、ということですか。ですが――」

「アンタが何を言いたいんかはわかる。『人間と一緒の生活を送ってるじゃあないか』って言いたいんやろ。その通りや、ウチらは飯は食べるし酒は飲むわ煙草も呑む、一丁前に課業サボったり、油断したり慢心したりする。まさに人間や」

 

 せやけど、と言うと黒潮は車椅子から伸びたポールにぶら下がっている点滴バッグを親指で差した。

 

「人間は修復剤(コレ)が効かんし、あまつさえ飛んでいった手やら足がニョキニョキ生えてくることもあらへん。大昔の軍船(いくさぶね)の『記憶』を持っとることもあらへんし、艤装を扱うこともできへんし、どこぞの神様みたいに海に浮くこともできへん」

 

 黒潮は自らの脚を眺める。「ウチらは全部できる」

 つい数日前まで付け根から吹き飛んでいた脚は、確実に“生えて”きていた。

 

「つまりや、見ての通りウチとアンタとは別の生き(もん)なんや。そして、ウチらは(フネ)、即ちモノや、生き(もん)ですらあらへん。忘れたらアカン。これはもう常識や。自分(ワレ)の子供が年若くして戦地に行く代わりに、何千海里と離れた戦地で戦い、お国を守る(モノ)、それがウチらや。()()()()()()として、世の中動いてる。そんなん、とっくの昔にわかっとるやろ?」

 

 知らないとは言わせない、とばかりに黒潮は男の目を覗き込むように見つめる。

 思わず男は少しだけ、顔を仰け反らせた。それでも目を黒潮から逸らしはしなかった。

 

「……それは重々承知です、社会がそういう風に合意しているということは」

 

 そうけ、と黒潮は再び慰霊碑に目を戻す。手は艦札を握り、時たま指で玩んでいた。

 

「ホンマ、人間ちゅうのは難儀なもんやな。不気味の谷だの何だのと、理由をつけては自分(ワレ)と似とるもんを殺したがる。作ったんは自分(ワレ)やっちゅうのにな……」

 

 ぽつり、と黒潮は男に語るでもなく、ただ自分の気持ちを零したような言葉を呟く。

 男はただ、その言葉をじっと聞くことしかできなかった。『ワレ』という言葉は初めて聞いた、というとりとめもない感想が頭を過った。

 黒潮は艦札を首に下げ、病衣の中へ仕舞った。「ウチらは自分(ワレ)が何かは()()わかっとる。せやからこそ――」

 

「ウチらは『個』を欲すんや。『何々型駆逐艦何番艦何とか第何号艦(マスプロで出来上がったデュープのいっこ)』でない、『自分』をな」

「『個』……なにかその、個人たるようなもの、ですか」

「せや。まあ(フネ)やから、個“人”ではあらへんけどな……なあアンタ、それは何やと思う?」

 

 再び、黒潮は男に顔を向けた。男は顎に手を当て、少し顔を俯けて考え込む。

 三十秒近くそうしてたが、やがて一応の答えは見つけたのか、黒潮に向き直る。

 

「その人をその人たらしめる……というと、やはり経験と、その記憶でしょうか。後は……その人の外部との関わり合い、あーつまりは、その、外部的評価という感じのもの……ですかね」

 

 断定的でなく、煮え切らない、迷いの多い口調だった。黒潮はこれといって反応を見せない。無感動だった。ふと、以前の黒潮の言葉を思い出す。

 『記憶あっての自分や』と、以前そう黒潮は言った。

 男は不安な目で黒潮を見つめる。漸く、黒潮が口を開いた。

 

「ほう……まあええやろ、ほな、その前提で進めよか」

「いいんですか?」

「アンタのわかりやすい方がええやろ」

 

 黒潮は脚の上に置いていた煙草を取り出した。「まず――」

 言いながら煙草を咥え、火をつける。

 

「ウチらには、アンタの()う外部的評価ちゅうのは殆どあらへん。ご覧の通り、マスプロの落とし子たる(フネ)や。『どこどこ基地所属第何艦隊何番艦の何々型駆逐艦何番艦何とか第何号艦』以上のモンはあらへん。後は、工業製品らしく品質やらスペックやら戦歴が管理されとるだけや。『建造』から何年経ったか、とか、今の艤装はいつ製造された(モン)か、とか、出撃何回、とかやな」

 

 煙草と咥えたまま滔々と黒潮は語る。一旦言葉を止めると、ゆっくりと煙草の煙を味わうように、深く吸った。

 ジジジ、と煙草の先端が赤く灯り、灰を生み出してゆく。

 

「……そこにあるんは『何々型駆逐艦何番艦何とか第何号艦』ちゅうデータや。ウチが評価されとるんやあらへん」

 

 男は首を傾げる。

 

「それは……一般社会でもそうでしょう。外部的評価はつまりはその人の成績や評定、言うなればただの数字ですよ、そこにその人そのものの評価は入らない」

「いや、(ちゃ)う。(ちゃ)うんや」

 

 わかってない、という風に黒潮は首を横に振り、溜息を吐く。男は少しだけムッとなった。

 

「社会の評価ちゅうのは()うたかて、『ある人から見たモン』やろ? 試験の採点やかて人がやるし、評定をつけるんも人や、絶対に、そこに主観が入る。せやけどな、ウチらは一切主観が入らへん『データ』なんや。さっき()うたんも全部、主観がいっこも入らへんモンや、それが『外部的評価ちゅうのは殆どあらへん』ちゅうこっちゃ」

 

 本当にそうだろうか。男の脳裏には様々な例外が思い浮かんだが、黒潮の言葉に一応は納得には至った。

 男は頷く。「なるほど」

 

「つまりは、皆さんを形作るのは記憶だけ、ということですか」

「その通りや、こんなあやふやな代物(しろもん)しか、ウチらにはあらへん。しかも最初は皆ほぼ一緒の『記憶』(モン)しか持っとらん」

「だからこそ――」

「忘れたないんや」

 

 男の言葉を黒潮は引き取った。

 忘れたない、黒潮は再度呟くように言った。

 

「忘れたら、ウチはウチでのうなって(なくなって)まう。ウチがウチであるには、覚えとかなあかんのや。何もかも、見るモンも聞くモンも……全部や。そんで、そん中でも仲間、戦友ちゅうのは一番(いっちゃん)大事なんや」

「戦友が……唯一の、外部的評価ですか」

「ご名答。せや、戦友はウチを『データ』でも『何々型駆逐艦何番艦何とか第何号艦(マスプロの産物のデュープのいっこ)』でもない、『ウチ』を見てくれる、存在を認めてくれる貴重な、この世で唯一の存在や。お互い自分が何かをわかっとるからな。支え合っとんのや、お互いの存在を」

 

 麗しい隣人愛やろ、と黒潮は笑う。久々に笑顔を見た気がした。

 男には果たしてそれが麗しいのか、隣人愛なのかは判断がつけられなかった。

 

「これが巡洋艦だの空母だのやったら、もうちょい(ちゃ)うと思う。(おんな)じようなことは――『自分』が欲しい、ちゅう思いを――思っとるとは思うけども」

「どうして、そうだと?」

「ウチらは潰しが効くんや。なんぼ沈んだかていくらでも補充が効く。するとまあ危なっかしいとこにドンドン行かされる。しかもウチらは概して弱い。たまーに物凄い強い奴も居る、けどそんなん例外や。いつでも敵の砲弾で、魚雷で、航空爆弾で、もしかしたらイ級に体当たりされたり、リ級だのチ級だのにぶん殴られたりしただけでも、沈んでまうかもせえへん」

 

 黒潮は未だ治りの遅い右脚を撫でた。痛むのか、少し黒潮の表情が歪む。

 

「しかも、沈んだかて誰からも顧みられることもあらへん……駆逐艦娘(ウチら)はそんな不安を、ずっと共有しとるんや。そこに、『個』としての存在の不安まで入る。誰もが思っとるんや、『このまま死にたない』てな。不安のオンパレードや」

「だからこそ、不安を抱える者同士、助け合っている、『個』を作っている、と?」

 

 男は、依存、という言葉が口から出かけたが、思い留まって引っ込めた。

 

「せや。ウチらは弱い。弱いから、集まらんと強くなられへん。お互いにとっての『誰か』たることが『個』になるんや。『個』になれば、ウチらは強うなれる。死ぬんも怖くのうなる」

 

 依存ちゅうてもええ、実際その通りや、と黒潮は皮肉めいた笑いを作る。男は心の裡を読まれたような気がして、顔が引き攣った。知らず知らず、表情に出たのかもしれなかった。

 

「これでもうわかったやろう、ウチらが『忘れたない』理由(わけ)は」

「『個』として在るために、忘れたくはなかったんですね」

「ウチは満潮の()()を見てから余計にそう思うようになった……村雨が逝った時に初めて意識したんよりも、もっと強くな。多分、他の連中よりよっぽど強い、病気に近い強迫観念や。他の連中は多分、もっとふわっとした、漠然とした観念でしか思っとらんと思う。せやけど、皆わかっとる筈や、『戦友は絶対』やとな」

 

 ちょうど、煙草が終わりを迎えた。黒潮は殆ど手に持つか、咥えていただけで、ほぼ全く吸っていなかった。

 男は黒潮の言葉を思い返していた。ふと、ある言葉に突き当たる。

 

「私の想像ですが……『忘れられてもいい』というのはその裏返しですか」

「よお覚えとったな、確かにそんなこと()うたなあ。……その通りや。死んだ後は支え合うことができへんくなる、当然やな、死んどるんやから」

「支え合うことが、お互いの存在を保証することができなくなるから、忘れられても仕方ない、と?」

「だいたいそんなとこや。ウチが誰かの『自分』になっとるんやったらまだしも、せやあらへんのやったら覚える義理なんぞいっこもあらへん。ウチやかてそうや。もう、思い出されへん奴は仰山居る……。確かにその時は覚えとった、存在を支え合っとった奴が……」

 

 黒潮は車椅子の背にもたれかかって、空を仰いだ。遥か遠くを見つめるように、目を細める。工廠の屋根が頭上にせり出してきていて、空は狭かった。

 男は更に質問を続ける。

 

「どうして、死ぬことが怖くなくなるんです? 死ぬことは……怖くないんですか」

「それがウチらの運命やからや、御楯(みたて)としてのな。そこに怖いとか、そんなんあらへん」

「運命ですか。……それは私とて、いえ誰でも同じでしょう。いつかは死ぬ、それがいつかはわかりませんが……」

「そら死ぬんは同じやろう。死ぬんわ、な」

「私の死と、貴女方の死は違う、と?」

 

 黒潮は再び慰霊碑に視線を向ける。「大量生産、大量消費の(フネ)や。人間と(ちゃ)う。死は鴻毛より、を地で行っとるんや」

 

「『建造』された時点でそれはもうウチらの『合意』や。ウチらが『建造』(つく)られたんは、存在するんは敵からお国を、もっと大雑把に広う()うたら人類を守るためや。せやから既にな、受け入れとるんや、死ぬこと自体は。そらそうやろう? 自分の存在する理由を否定する奴は居らへん」

 

 そら自殺やからな、と黒潮は笑う。弱く、力のない笑顔だった。男はその笑顔に寂寥感を覚えた。

 

「せやけどな、いくら『合意』しとったかて『デュープのいっこ』としては死にたない。『個』になったら死ぬんは怖ない、ちゅうのは()うたらその裏返しなんや。変な話やろ? 名無しの大量生産品(デュープ)が死ぬ覚悟をすんのに、『自分』にならなアカンなんてなあ」

 

 自嘲気味に黒潮は再び笑った。男は押し黙っていた。

 

「……どうして、ここまで私に、こんな――」

「これはウチの勝手や」

 

 黒潮は言い切る。「アレ以来、ウチはどっかおかしくなってしもたみたいなんや」

 

「いや、もっと前――満潮があんなことになってしもた時からかもせえへん。どっちゃにせえ(どちらにしろ)、ウチはほとほと参ってしもた。『ウチ』はホンマに『ウチ』やろか? ずうっと、それがグルグル渦巻いて、頭から離れへん。満潮はちゃんと『満潮』として死んだんやろか、てな。つまりや、怖いんや。いつ何時、『ウチ』が『ウチ』でなくなるかもわかれへん、もしかしたら、既に『ウチ』やあらへんのかもせえへん。明日朝起きた時に、もしかしたら満潮のことも、村雨のことも、なあんもかも全部、忘れてしもてるかもせえへん」

 

 黒潮は髪を解いた。解けた髪が肩を撫でる。黒潮はヘアゴムをじっと見つめた。

 

「コレがただの使い古しのヘアゴムにしか見えへんくなるかもせえへん。そんなん……死んでも嫌や」

 

 鬼気迫るような、凄みを男は感じた。圧倒され、言葉を挟むことすら忘れてしまった。挟むべき言葉もなかった。

 

「せやから、アンタに覚えてもらおうと思ったんや。ウチの全部……は()()()無理やけど、一部でも、欠片でもええ、『ウチ』を残したかった。せやから、これはウチの勝手なんや。アンタを利用しとるに過ぎひん。感謝されることやあらへん、ウチの……エゴ、我が儘や。ただのデュープのいっこにはだいぶ過ぎた、えらい尊大な願いや」

 

 すまんな、と黒潮はペコリ、と頭を下げた。一瞬、男は虚を衝かれたように、呆然とする。

 

「いえ……それでも、私にとって過ぎた、貴重なお言葉です。黒潮さん、貴女がいなければ私は知ることもできなかった。大事なことです、貴女方の生の声は」

 

 今度は黒潮は豆鉄砲を食らったような表情をした。「やっぱし、よおわかれへんわ、アンタ」

 

 フッと、黒潮は薄く笑う。再びヘアゴムで髪を元に戻した。

 

「なあ、いっこ、質問ええか」

 

 黒潮が男に顔を向け、尋ねる。

 丸っきり男と黒潮の立場が逆になることに、男は少し笑った。「ええ、勿論」

 

「なんで、今更ウチらのことなんか調べに来たんや。内地やかて()()ウチらのこと、忘れとるやろ。回顧録ブームは十何年も前に終わった、って聞いたで」

「実のところ……最初は、そんなつもりはなかったんです。元は、基地でただ取材をするつもりだったんですよ。戦争が『安定』してからかなり経ちましたから、この辺りでミクロネシア情勢を絡めた戦地レポをやってほしい……という訳です。伝手を頼って、こちらでの取材に漕ぎ着けました」

(ハナ)からウチらは眼中になし、かい」

 

 鼻で笑ってから、黒潮は少しだけ口を尖らせる。

 

「……確かに、最初はそうでした。内地で艦娘の方々は取材したことがありましたし、『(フネ)』にそう変わりはないだろう、と」

 

 でも、度肝を抜かれました、と男は笑った。

 

「何にや?」

「全部です。煙草だ酒だ軍歌だ……と何だかタイムスリップしてきたような思いでした」

 

 男の言葉が意外だったのか、黒潮は目を僅かに見開く。

 

「そんなん、知られとるんやないんかい」

 

 男は首を横に振る。「全くです」

 

「内地で合意されてることは、つまりは貴女方が私たちとは異なる『(フネ)』であること、それだけです。後は機密と……無関心のベールの向こうにしかない。そもそも、大変申し訳ない話ですが……南洋で戦う貴女方を注視する人は、誰もいないんです。特に『建造』された方については……」

「精々が内地の優秀な『志願』の連中、ちゅうことかいな」

「ええ、その通りです。彼女たちは特別……名前も、階級もある『人間』ですから」

 

 箱入り娘か、と黒潮は笑う。「そらウチら見たらビックリやろうなあ」

 男は首を傾げる。「どういう意味なんです? それは」

 

「そのまんまの意味や。最近の『志願』は特に適正のある、そんでいて品行方正で優秀な連中を集めとるちゅう話や、横須賀なんか全部()()やとか。広報やらテレビによう載るし、観艦式なんてあったら出張るんはアイツらや」

「私の取材もそうです、横須賀でした。とても……そうですね、とても優れた方々でした」

「せやけど、アレは絶対に近海から出て()えへん。そんで、誰が()うたか『箱入り娘』や」

「皮肉、ですか」

「いや、馬鹿にする気ぃはあらへん。練度も優秀、士気も高い立派な連中や。首都防衛の砦、虎の子やさかいな……。ただ、ウチらとは別の世界を生きとるだけや。ウチらは内地を知らん、連中はウチらを知らん。ただ、そういうこっちゃ」

 

 嘲るでもなく、ただ黒潮は寂しそうに言った。静かな沈黙が降りる。遠くでレシプロエンジンの音が聞こえた。

 男は黒潮から慰霊碑へと目を向けた。

 

「『見えないことは、存在しないこと』だとよく言います」

「……ウチらが()()やと?」

 

 男は頷く。だから、と男は慰霊碑を見つめたまま続ける。

 

「貴女方を、このまま見えなくすることは……とても、よくないことだ。私は貴女方を見た時にそう思ったんです。見えるようにできるかはわかりません。世界は目を背けるかもしれない。でも、記録することならばできる。貴女方が存在した、そのことを」

「ウチらの……記録か」

「そうです、記録。(フネ)でない、貴女方の姿の記録です」

「ウチらは別に『見える』ようになんかなりたない、そんなんわかっとるやろ」

 

 憮然とした表情で黒潮は言う。

 

「ええ、ですから……私のエゴです、これは」

 

 黒潮は大声を上げて笑った。「エゴか! そらあ最高やな!」

 腹の底から笑っているような、底抜けの明るい声だった。


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