『
私たちもそういう……安直だけども、絆、かな、そういう“何か”で結ばれてる。何しろ、広い海、頼れるのは僅かな味方しかいない。
艦同士は違う。『志願』したか『建造』されたかどうかは別として、誰も彼もみんな、お国のためだ人類のためだと大義を吹き込まれて海に放り出された仲間。特に駆逐艦や巡洋艦の中でも軽巡は出撃が桁違いに多いからね。煤まみれになって、身体吹っ飛ばして、修復剤なんて怪しい薬剤盛られて、それでまた海へ逆戻り。今まで、ずっとそれの繰り返し。運が悪いと途中で天国か地獄に行くことになる、まあ地獄かな?
……ちょっと横道に逸れたね。ま、つまり私たちにも『Leave No Man Behind』の精神があるってこと。そりゃあ例外もあるよ? でも、極僅かでも可能性があるならば、絶対に仲間は取り戻す。
――――――――
「ところでさ」
川内が歌の途中で口を挟む。『我が戦友の飛行機ぞ 』と歌詞の区切りまで歌って加古が答えた。「何さ」
「この曲、どこで覚えたの?」
「言ってなかったっけ?」
「いや、聞いたことないよ」
加古は額に手を当てて考え込む仕草を取った。乾いた額に海水の筋が走り、再び薄っすらと白い跡を残して乾いた。
「あれー……うーん、あー、確かに、言ってなかったかも」
「今、初めて聞いたしね」
「どうしてまた?」
「いい加減同じ歌の繰り返しに飽きちゃった、もう数えるのもやめたけど、かなり歌ってるよ」
川内は両腕を上に持ち上げ、伸びをした。腕から垂れた海水がポタリポタリと川内の顔に落ちる。思わず川内は目を瞑った。
隣で加古は呆れた顔で川内を見つめる。
「ゲン担ぎって言ったのどこの誰だったっけ」
「言ってないよ」
「言ったようなもんでしょ。『歌おう』って言った時点で」
「それはまあ……言葉のなんとやら、ってやつでしょ」
川内は笑みを作りながらながら首を振る。
わずかに溜息を吐き、加古が両手を上げた。「まあ、不毛だからやめよう……んと、どこで覚えたか、だっけ?」
「気になる」
「ま……暇だし、いいか」
あれはね、と目を瞑りながら加古は語り始めた。
「あたしが一番艦になる前、
「何があったの?」
「ダバオには酒保は無いから、食堂で待機してたんだけど、そこで働いてた現地の掃除夫――爺さんかな、年齢的には――それが、あたしら暇そうにしてるの見てたんだろうね、話しかけて来たわけ」
「それ、まずくないの? 色々と」
「まああそこは色々と緩いとこだったからね、今は知らないけども」
「へえ……まあ、そういうことも無いわけではないしね」
「それでこう言ったわけ。『お嬢さん方、暇なら一曲聴いてかないかい、お代はいらないよ』ってね。どこから取り出したのかハーモニカ持ってさ。いやに流暢な日本語だったね」
「怪しそう」
率直に感想を言った川内に、加古が苦笑いで答える。
「そりゃどこからどう見たって怪しいけど、仮にも
「それで?」
ニヤリと川内は笑う。オチは読めたぞ、と細めた眼が言っていた。加古はそれに気付き、肩を竦める。
「後はまあ、お察しの通りさ……気付いたら爺さんの帽子の中には小銭がジャラジャラ。どこが一曲か、あれよあれよと爺さんの独演会の始まり始まり」
耐え切れず、川内は破顔した。「見事にカモにされてるじゃん」
「しょうがないさ、対価は払わなくちゃいけない……実際、演奏は上手かった。そして、あたしらは猛烈に暇だった」
「そこで
「そ、あれは確か……最後から二曲目だったか三曲目だったかな、それまで『軍艦行進曲』だの雄々しい曲ばっか演奏してたのを、突然爺さんがしんみりした顔で歌い出したもんだから、印象が強かった。それまで
「どうしてまた突然歌ったんだろうね」
「さあ、結構な御歳の爺さんだったからねえ……もしかしたら、かの時代に何かの思い入れがあったのかもよ」
「なるほどね……そうしてダバオから南洋くんだりここまで伝わってきたわけ」
「そういうこと」
加古の語りが終わると、暫く無言の時が流れた。ぷかぷかと、何をするでもなく川内と加古は海の流れるままに浮く。
気付けば真上に移動していた太陽が川内と加古に強烈な陽射しを浴びせる。艤装もないし、日焼けが酷いぞと川内は少々場違いな感想を抱いた。
「来ないねえ」
今度も川内が最初に口を開いた。わざと大袈裟に、茶化したように言った。
「来るのかな」
対する加古は少々落ち着いた――どことなく諦観が滲み出始めた――口調で応じる。
「来ると信じてる……信じなきゃ、やってられない」
「既にそれ言ってる時点でかなり参ってるでしょ」
「……まあね」
あーあ、とこれまた一際大きく川内が嘆いた。「煙草が欲しいや」
「『既に煙草はなくなりぬ』ってさ」
加古が替え歌の歌詞を歌い、言う。
「『頼りのライター
「このまま全部歌えばいいのさ、黙ってちゃ気分も塞ぐ」
そう言うと、加古は続きの歌詞を歌い始めた。『轟沈見ゆ夜の寒さかな』
川内もそれに続く。
『さもあらばあれ我が国の――』
再び、歌が始まった。
――――――――
轟々とエンジンの爆音が聞こえる。川内は浅い眠りから覚醒した。
夢か真か幻か。ついに幻覚まで見えるようになったのかと思いつつも、一縷の望みにかけて川内はすぐに重たくなる瞼を押し上げ、空を見上げた。
まだ夜明け前の藍色の空をゆっくりと飛ぶ飛行機が見える。葉巻のような細長い胴体、ゆるやかに反り上がった大きな翼。敵でない、味方の飛行機だ。
見紛うことなく、見慣れた
川内は忽ち目を見開いた。眠気も気怠さも一瞬で吹き飛んでいた。
「加古」
川内が呼びかけるが返事がない。再び、今度は強く呼びかける。「加古!」
「何さ、もう。眠い……寝かせて……」
「来たよ、来た!」
「来たって……何、あの世のお迎え……?」
川内に叩き起こされた加古はげっそりとした顔で川内を見た。
「見て! 加賀の艦攻が来た、もうすぐ助けが来る! 寝るな! 起きて! 起きろ! 目を開けろ!」
川内が指差す方向に加古がゆっくりと、這うような速度で顔を向ける。指差す先では九七艦攻が発光信号を――『モウスグタスケニユク、シンボウサレタシ、カガ』という信号を――点滅させながら、川内たちの上空を旋回するように飛び始めていた。
「お、おお……! おお!」
気付いた加古も漸く目を――ついでに口も――開き、正気に戻る。顔にも血の気が差してきた。
「来た! ハハハ! 来たよ、本当だ! 来た!」
加古が笑い声を上げる。釣られて川内も笑い始めた。そして揃って九七艦攻に手を降り始めた。手旗信号でも何でもない、ただ喜びを表現した行為だった。
暫くすると朝日が昇りはじめた。朝日に照らされて、黄金色に輝いて、味方がやって来るのが見えた気がした。
――――――――
「三日二夜」
川内はフィルター近くまで灰になった煙草を灰皿に押し付け、新しくもう一本吸い始める。
「助けが来るまで、それだけかかった。まさか歌詞の通りになるとはね……」
「お二方とも、助かったんですか」
「実は加古は既に沈んでいて、私が会話してたのは私の心が生み出した、ただの幻だった――」
深刻な顔と口調でそこまで言って、川内は笑う。「なんてね。勿論、一緒に助け出されたよ」
男は笑わなかった。
「……よく、そこまで待ってられましたね」
「信じてたから」
「助けが来ると?」
「勿論」
川内は大きく肯く。
男はペンの頭で頭を掻いた。腑に落ちないというのが表情に現れていた。「どうしてそこまで信頼できるんです?」
「さっき言ったでしょ?」
「
「その通り。信じられないとは思うけど、たとえ
再び男は眉を寄せる。無意識なのか癖なのか、ペンの頭で額を軽く叩いていた。唸り声を上げ、一度だけ首を左右に振った。
「わかりませんね……黒潮さんからも聞いた話といい、どうも私には……わかりかねます」
川内は一瞬驚いたような顔をした。咥えた煙草の先が跳ね上がり、灰がこぼれ落ちた。
「へえ……黒潮からも。黒潮、何を言ってたの?」
「ええと、『忘れること』の話です。あー、これ以上は黒潮さんのプライバシーに関わりますから……」
「プライバシー、ねえ……久々にそんな言葉聞いたよ。ま、なんとなく中身は察しがつくよ。『建造』組はまた色々と違うからね、わからないでもない」
男は川内の言葉に何か気付いたのか、川内の目をじっと見つめる。
「もしかして、その、川内さんは……」
「そうだよ、戦争初期の『志願』兵。今じゃ珍しいもんね、特に前線だと。あんまり大っぴらに言うもんじゃないけどね」
「……驚きました。お話から、古株の方とは思っていはいましたが、『志願』の方だとは」
「私の頃は比率が『建造』に傾き始めて、最初期の『志願』兵の退役も本格化した辺りだったからね、珍しいかな? 最近は何もかも全部『建造』だから『志願』なんて滅多に見掛けない、まあここにも――」
おっと、と川内は口を手で覆った。「調子乗って喋りすぎたかな。さあて本題に戻るよ」
取り繕うようにパンパン、と手を叩いた。男が質問を挟む余地をなくすためのようにも見えた。
「――と言っても、これで話はほぼ終わりなんだよね。そうだね、何か質問でもある?」
川内は苦笑いを作る。
「最初に、『激レア』と言った訳は何ですか」
「ああ……単純だよ、私と加古だけの歌にしちゃったから」
「と言うと……?」
「この曲を少なくとも知ってるであろう、かつての第九艦隊の連中は加古以外は沈んだか、転属したかで基地からはいなくなっててね。それをいいことに他の艦の前では歌ってないんだ、幸運なゲン担ぎの歌であり……どうも七転八倒な感じのする歌だしね」
「七転八倒、ですか」
「そりゃそうだよ。この歌のおかげで帰って来れたかもしれない、けれどどう考えたって酷い状況だもの。封印するに限るよ」
「それで、歌わなくなった、と」
川内は男から目を逸らし、小声で呟くように言った。
「まあ……実のところは、歌の、この記憶を独り占めしたかっただけかもしれない。さっきのは言ってみれば辻褄合わせかもしれない。私にも、わからない」
男はそれについては何も言わず、ノートにペンを走らせる。
「それでは次に。加古さんは、今どうしているんです?」
「今は前線から退いて内地で元気にやってるよ、確か……大分の、佐伯の基地で重巡の教導艦をやってるはず」
「教導艦……教官ですか」
「訓練所とはまた違うんだけど、まあそうなるね」
「今も会ったりはするんですか?」
川内は一瞬、寂しそうな顔をする。
「加古が内地に行ってからは――もう三年になるかな――会ってないね。私も内地にいれば会えないことは無いだろうけど、こんな何百海里と離れたところじゃ、ね。私にも誘いがあったんだけどね……。辛うじて葉書は気が向いたら書いたりしてるけど。ま、旧友なんてそんなもんでしょ?」
「まあ、そういうものではありますね。私にも思い当たる節は多々ありますよ」
そこまで言って、ところで、と男は話題を変えた。
「先程『誘いはあった』と仰ってましけども、どうして内地には行かなかったんですか? 教官であれば、待遇だってここよりはいいと思いますが」
「私には教えるってのてーんで向かないんだ、それに内地は……何となく、息苦しい。
「息苦しい?」
「実感するんだ、ウチとソトとを……『志願』兵は特にね」
ウチとソト、という単語を川内は強調して言った。
「銃後と、前線ですか」
「そう。内地はほぼ平和。敵もそこまで来ないし、強力な連中は来ない。それなのにここではまだ戦いは続いてる。何年も、何年も、何年も……」
物憂げに、最後は消え入るような声で川内は言う。
段々と、話していく内に川内の表情が重くなっていくように男には見えた。
「そのギャップについて行けない、と」
「私みたいな『志願』兵は、昔の、
「昔の生活を知っているからこそ、銃後とはもう相容れない……ということですか」
「『ランボー』と同じだよ。今更、もう戻れないんだ。戦争に、頭まで浸かりきっちゃったから。『建造』組とはまた違う、『志願』兵特有の問題。今、私みたいに前線か、その近くにいるような連中は皆そうじゃないのかな、まあ戦争狂や戦闘狂みたいな
最後に川内は微笑して言葉を終えた。
ふむ、と男は息を漏らす。ノートをコツコツとペンで叩いた。
「興味深いお話です、本当に……。では最後なんですが――というよりは、これが一番なんですけども、どうして、私に話をしようと?」
少し、川内は押し黙る。やがて、ゆっくりと、一言一言を紡ぎ出すように話し始めた。
「なんとなく、この話をしたくなったからかな」
「どうしてまた。秘密にしてたかったのでは?」
「同じ艦や
「私だって、司令から許可を貰っている身ですよ」
胸ポケットから『取材許可証』と書かれた首掛け式のケースに入ったIDカードを取り出し、男は笑う。
「それでも、少なくとも中身は違う。海の匂いがしないからね……」
「誰かに、聞いて、覚えてもらいたかった……ということですか」
「未練がましいよね。忘れられたくない、誰かに知って欲しいって心のどこかで思ってるんだ、未だにね。覚悟は出来てるはずなのに」
川内は窓の外を見ながらゆっくりと、煙草の煙を吐きつつ言った。
「覚悟……とは?」
「このまま、名無しの軽巡“川内”として故郷から遠く、暗い水底で一生を終える、その覚悟」
「そして、忘れられること、ですか」
「それ、黒潮から聞いたね……? そう、その通りだよ。人でなく、
川内の質問とも独り言とも取れる言葉に、男は曖昧に肯いた。
「ご親族は?」
「私たちに親だ兄弟だの名前だの、そういった『人』の話は御法度中の御法度だよ、拳骨食らうよ? ついでに怪しいペンライトの光もね。……いないよ、戦災孤児でね。三等親まで遡れば誰かしらいたのかもしれないけども」
「これは失礼しました……申し訳ありません、気をつけます」
「いいよ、もう洗いざらい喋ってるんだからさ、今更どうってことないよ」
川内は笑う。どこかすっきりとした笑顔だった。
「ま、そういう訳で、天涯孤独。そう考えれば、人だろうが
笑顔のまま川内はそう言った。直後、急に目の前が明るくなった。
白い蛍光灯が順番に、その輝きを取り戻してゆく。男は目が眩んだ。
「お、完全復旧かな……そろそろ潮時だね」
川内が酒保の扉の方へ顔を向けた。
ドタドタ、と足音が聞こる。酒保の職員が帰ってきたようだった。
「ありがとう、ただの身勝手な自分語りに付き合ってもらって」
「いえ、こちらこそ感謝します。貴重な、お話でした」
男が深く、長く頭を下げる。
「貴重、か。いい言葉だね。じゃあ、私はこれで。ちょっと寄るところがあるんだ」
そう言うと川内は席を立った。
あ、と男は声を漏らし、酒保を出ようとする川内の後ろ姿に声をかけた。
「すいません、最後に一つだけ! 歌の名前ってあるんですか?」
呼ばれた川内は振り向き、言った。
「そんなの、考えたことも無いよ! 強いて言うなら……そうだね、海と、
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ああ南洋の空遠く 雨雲揺りて轟くは 我が戦友の飛行機ぞ 我が戦友の飛行機ぞ
通信筒よ糧食よ 声も詰まりて仰ぐ眼に 溢るるものは涙のみ 溢るるものは涙のみ
水平線の朝ぼらけ 旭光照らすその姿
敵地なれども海原に 安らかなれと祈り上ぐ 太平洋よいざさらば 太平洋よいざさらば
――南洋のとある基地でとある艦娘が歌った『討匪行』(昭和十七年、八木沼丈夫作詞 、藤原義江作曲)の替え歌、『討棲航』から一部抜粋
Leave No Man Behindといえばまさにブラックホーク・ダウンですね。