艦娘哀歌   作:絶命火力

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COG.4 -「涯なき戦い」

 不意に、目の前が暗くなる。再び停電が起きた。

 川内は特に気にする素振りを見せず煙草を灰皿で揉み消し、周囲から光がなくなった。暗い中、外の光を反射したのか川内の目が光ったように男には見えた。

 

「それを知ったのは……かなり後になってからだった」

 

 窓から入る外の光に照らされ――鈍色の雲一色とはいえ、一応は昼間なので真っ暗というわけではなかった――川内の横顔がぼんやりと浮かび上がる。

 

「司令室に呼び出されて、開口一番から『すまなかった』ってね、頭まで下げちゃってさ」

「また一体、どうしてですか」

「それは今から話すよ、そんなせっつかなくたってちゃんと話すから」

 

 そう言いつつ川内は机に置いた煙草の箱を手に取った。「あ、カラじゃん」

 振ったり、中を覗いたりしてたが、やはりカラのようで、そのまま川内は箱を机に置いた。

 それを見て男は鞄から煙草を取り出し、川内に渡す。「よかったらこれ、いります?」

 

「おー、気が利くじゃん、ありがとね……へぇ、なに、おじさんこんなの吸うの?」

 

 川内が煙草の箱を窓の明かりに当て、その銘柄を見てニヤニヤと笑いつつ言った。

 

平和(ピース)はやはりよろしくはないですかね……あ、これはまあ贈答用ってやつですよ、私は禁煙中でして」

「ダメ、ってわけじゃないけどねぇ……ちょっとセンスは疑うかなあ。ま、有り難く頂いとくよ」

 

 そのまま川内は箱を開け、取り出した煙草に火を点ける。キン、と短く甲高い金属音が聞こえ、川内の顔が赤く照らされた。

 

「うおー重たいね、これ。久々にこんなの吸ったよ……重い重い。……と、それじゃ、何があったかだけども」

「ええ」

 

 男は頷き、川内の言葉を待つ。

 

「端的に言えば、私たちも囮だった、ってこと。大きな意味で言えばね」

「大規模な作戦が、丸ごと囮ということですか? しかし、何の為に」

「鹵獲だよ」

 

 川内は右手の拳で頬杖をつき、窓の外に顔を向けつつ言う。こころなしか、男には川内の言葉が冷たく聞こえた。

 

「鹵獲……?」

「そ、鹵獲。通常の敵とは全然違う、言っちゃえば珍しい“バケモノ”を捕まえてアレやらコレやらしよう、って考えた連中が軍令部(ウエ)にいたんじゃないかな」

 

 頬杖をついている拳から、人差し指を上へ突き出し、左右に振った。

 

「鹵獲……ですが、どうやって」

「できないことはないよ。現に今まで鹵獲の事例はあるしね、ほら、ニュースとかで見たことないかな? イ級とかホ級くらいなら公開できるんだけど……ちょっと古すぎるかな。まあ、最近は鹵獲してもニュースになんてならないとは思うけどね」

「え、ええ、それは知ってます。不審船みたいに展示されているのを見に行ったこともありますよ。ですが、そんな、規格外に強い敵を鹵獲なんて……できるんですか?」

「できると思う? 『倒せるならば鹵獲だって難しくはないはずだ』なんて言ったら普通は頭がどっか壊れたかな、ちょっと営倉か工廠に送った方がいいかな、って思うよね」

 

 川内は口角を釣り上げ皮肉ったように笑った。表情が既に物語っていた。

 

「つまり……」

「ま、無理だよね。できっこない。そりゃ上手くやればリ級やル級、まあヲ級とかまでならできるとは思うよ、わざわざやろうとは思わないけどね。でも、できるのは()()()()。いくら何でも相手が悪い。倒すのでもできるかどうかわかったもんじゃないのに、鹵獲なんて無茶もいいとこ、狂気の沙汰だよ」

「では、なぜそんな計画が」

「それでさっきの話に戻るんだよ。政治のね。えーっと、つまり、撃破だけじゃ足りなかったんだよね、艦隊のお偉いさんの首には」

 

 首、と男はぼそりと呟いた。頬杖を崩し、首筋を人差し指と中指の二本で、ナイフで切るようなスナップで軽く叩き、川内は笑う。「そ、首」

 

「首を繋ぐのに差し出す首がいるだなんてとんだ皮肉だよね? 世の寓話ならどんな首を差し出そうとも、まあ間違いなく自分の首は切られるだろうけど、政治の世界はよくわからないね、本当に」

 

 再び川内が自嘲めいた笑いをする。男は川内の言った皮肉がよくわからないのか、釈然としない表情をしていた。

 それを見て川内の表情が苦笑いに変わる。「ああ、ゴメンゴメン」

 

「ちょっと鹵獲って言い方がマズかったかな、別に『生きたまま』じゃなくてもいいんだ」

「死んでいてもいいんですか?」

「えーっと、それもちょっと違うんだけど……うーん」

 

 そのまま川内は煙草を咥えながモゴモゴと独り言を呟いた。男に聞き取れたのは「言ってよかったっけなあ」という言葉だけだった。

 

「んまあ……煙草(コレ)のお礼に、ちょっとした私の、ただの独り言」

 

 男から目を逸らし、口先で煙草を上下に揺らしつつ言った。

 

 

――――――――

 

 

 『轟沈』って、よく言うでしょ? 敵でも、味方でも。

 撃沈と何が違うかって言うと、轟沈だと本当にすぐに沈んでいく。でも、それは鉄の(フネ)でのお話。私たちにとってはぶっちゃけ轟沈も撃沈も変わりない。死んだら、沈む。すぐにね。

 でもさ、どうして『沈む』んだろうね。 考えたことある? 肺に水が溜まってたら別だけど、普通は浮くよね。そうじゃないとこの世の土左衛門みんながみんなシャコかカニの餌になっちゃうもんね。

 

 重たい艤装をつけてるから沈む、なんてよく言われる。確かにもっともらしい理由に見える……だけど、本当は、違う。艤装は概念、重量じゃない。

 敵も、深海棲艦も倒せば沈んでいくのは同じ。そりゃ、同じ土俵で戦ってるからね。

 同じ土俵、そう……海と、艤装。まあ艦娘(私たち)と違って深海棲艦(あっち)は全身丸ごと艤装みたいなものだけど。

 

 艤装が戻るんだよ、海にね。自然の摂理、世の(ことわり)みたいなもの。

 それに反しようとしたら、どうなるかな? そして、それが、強大な力だったら……どうなるか、わかる?

 

 

――――――――

 

 

 目の前のリ級の右腕が爆ぜ、後ろに仰け反った。川内はすかさず一四センチ単装砲を斉射し、至近距離からリ級に砲弾を叩き込む。おまけとばかりに腹部に蹴りを入れた。

 胸部が穴あきチーズのようになったリ級は、蹴られた反動でその穴から毒々しい青い液体を流しつつ背中から崩れ落ち、そのまま沈んだ。

 

『助かった! ありがと!』

『感謝してる暇もないよ、五時方向からまた敵艦! ハ級二、今一体倒した!』

 

 振り向くと敵艦が一体、突撃するかの勢いで迫ってくるのが見えた。慌てて出力を上げ、回避行動を取る。戦車よりも大きな図体が横を全速力で通り過ぎ、突風が遅れて川内の背中を突き上げる。衝突コースから外れたところで背中に一四センチ単装砲を浴びせると、ハ級は派手に爆発し、海中に没した。

 

『全く、本当にキリがないわね。一体どうなってるのかしら?』

『加賀より各員。偵察機から報告よ、八時方向から敵艦がどんどん来てるわ……ダメ、艦載機じゃ防げない、抜けたわ。ル級(フタ)を中心にリ級六が向かう。幾らか倒したけども、外縁にDDやCLもかなりの数いるわ、CVは……いないわね』

『了解、上空はどう?』

『前線近くにCVが来始めたのかしら、敵の艦載機が何度か来てる。まだ制空権はこっちだけども、いつ落ちるかわからない。それに――』

『じきに夜になるわね。いつまで出せるの? 今のところこっちは水偵(水上偵察機)飛ばせそうにないのだけども』

『雲が出てるし、今日はそんなに月明かりもない、そろそろ厳しくなってくる、多分夜間飛行はできないわ……勿論、敵も同じだろうけども。可能な限りは飛ばすわ。ギリギリまでは、空は私に任せて』

『感謝するわ……そっちも気をつけて』

『了解』

 

 無線からは他の艦隊の味方からも悲鳴にも似た声が流れてくる。どの艦隊も自分たちに向かって来る敵艦への対処で手一杯といった有様だった。

 

『シシガミ様を返したらどうなの?』

 

 川内は遥か前方で運ばれているであろう“荷物”を思い浮かべつつ言う。我ながらバッチリな比喩だ、と皮肉めいた笑いがこみ上げてきた。

 

『返せるならもう返してるでしょうね、意地でも返せないからこうするしかないってこと』

 

 チクショウ、と無線越しに加古が恨み言を叫ぶ。

 

『またこんな貧乏クジだなんて! 司令官以下司令部幕僚全員、戻ったら演習の的に括りつけてあたしの主砲を夾叉させてやるよ、絶対にだ!』

『加古、とりあえずはその怒り、敵にぶつけてちょうだい』

『言われずとも!』

 

 恨み言の一つや二つを吐いても無理もない、いくらでもお釣りが来るような状況だった。

 川内たちは撤収の道中だった。本来は悠々と帰路についている予定だったが、そんな予定はとうの昔に崩れて去っている。 

 作戦そのものは無事完了していた。ただし、前半のみだった。

 後半の作戦、“荷物”を回収し撤退するに際して、敵の大部隊に――前半の作戦で完膚なきまでに叩いたにもかかわらず――襲撃され、断続的に攻撃を受け続けていた。川内たちは急遽円環状に敷かれた防衛ラインの先頭に立ち、何度も立ち現れる敵艦を迎撃していた。

 

『だいたい戦闘中にそういうことを口走るのは、それこそ取らぬ狸の何とやらってね……さあて、来たわ!』

 

 霧島が砲撃を開始する。展開された四つの三五.六センチ連装砲が止めど無く砲弾を撃ち出し、彼方から来る敵艦に襲い掛かる。爆炎と水柱が幾つも上がるが、敵艦は数を減らしながらもその中を突っ切って向かって来る。お返しとばかりに砲撃が飛んできた。遠くで発砲炎に照らされ、一瞬敵艦の姿がハッキリと見える。ヒュウウウン、という聞いただけで身が竦むような音が頭上を越えて行った。

 加古が、続いて川内が砲火を開く。二〇.三センチ連装砲と一四センチ単装砲の砲弾が次々と敵艦目掛けて落ちてゆく。いくつかは敵艦に直撃し、爆炎が上がる。既に敵艦の数は当初の半分といったところだったが、それでも船足を止めず、狙いなどつけていないとばかりに無茶苦茶に主砲を乱射しながら川内たちに向かって突っ込んできた。

 

『チッ、ダメね……距離一〇〇〇を切ったら散開。ル級は私が相手する、後は任せたわよ! 片付けたら援護するわ!』

 

 盛大に舌打ちしつつ霧島は指示を飛ばす。了解、と川内と加古は短い応答を返した。

 前方の敵艦隊を見据え、ここからが本当の地獄の一丁目かな、と川内は呟いた。

 

 

――――――――

 

 

「見えた」

 

 シュウウウと照明弾が激しく燃え、光る音が微かに聞こえる。夕焼けよりも少し薄い橙色の光がゆっくりと落ちてゆく。

 照明弾の発射に気付いた敵艦がこちらに向かって砲撃してくる姿が照らされ、その影がクッキリと海に浮かび上がる。発射には気付いたものの場所自体は見えていないのか、闇雲に撃っていて、砲弾は遥か遠くに着弾していた。

 そこに突如轟々と風切り音が、そして砲弾の雨が降ってくる。回避する間もなく敵艦は爆炎に包まれ、海面に赤い花が幾つも咲いた。

 

『テレよりアーティ各員。修正の必要なし、バッチリだよ。そのままドンドン撃っていって。敵は幾らでもいるから』

『アーティ了解。任せて下さい、DNAの一片たりとも残しやしません』

 

 続々と多様な砲弾が――四一センチから一五.五センチに至るまで恐ろしく雑多な砲弾が――敵艦に殺到してゆく。辺り一面隙間なく、絨毯爆撃かと思う程に砲弾が着弾し、水柱を高く上げている。時たま照明弾が追加され、途切れること無くその様子を詳らかにしていた。

 川内は双眼鏡越しにその景色を眺めていた。

 

「どう?」

 

 加古が川内に尋ねる。川内は双眼鏡から目を離さずに答える。

 

「何とか、いけるかなあ……だいぶ穴は空いた筈だけども」

 

 それでも何とかかあ、と加古が溜息をこぼす。

 

「あっちはかなりヤバいよ。まだ誰も轟沈してないってのが奇跡に思える。でももう厳しい……戦力比が尋常じゃない。早いこと何とかしないと――」

「それ以上は言わないほうがいいよ。大丈夫、これで上手くいく……よし!」

 

 川内はレンズの向こうを見て、確信を持ったのか一人で頷いた。砲撃が止み、辺りは静けさを取り戻そうとしていた。

 

『アーティよりテレ。砲撃停止』

『停止了解。観測を実施中……敵艦隊は壊滅。残存敵艦僅少。ここからなら抜けれる! 照明弾を』

『アーティ了解』

 

 ポン、ポンという音がして照明弾が――橙ではなく、青白い光の照明弾だった――三つ、先程よりもかなり高い位置から一際明るく輝きながらゆっくりと落ちてゆく。

 

『チャーチルよりキスカ、応答を。霧が出た(穴が空いた)! 地点〇三五六(マルサンゴーロク)一四二七(ヒトヨンフタナナ)、白の照明弾の直下。可能な限り全速力で来て……機関は壊さないでね』

『こちらキスカ! 現在も敵艦隊と交戦中……照明弾確認、感謝します! これより海域か――』

 

 何とか上手く行ったと安心したその瞬間、無線から酷い音割れとともに雷鳴のような音が聞こえた。

 

『キスカ? どうしたの、応答して。キスカ? 応答を』

 

 呻き声と聞き取れない言葉らしきものを呟く声がが無線を通じて聞こえてくる。何かが水の中に落ちるような音がして、そのまま無線が途切れる。

 川内は加古の方を振り向く。加古は首を左右に振った。「轟沈した。……敵艦隊がどうも本気で潰しにかかってきたみたいだ、猛攻撃を受けてる」

 

『――らキスカ! そちらと交信していた〇六(マルロク)二番艦阿武隈が今し方轟沈! 以後はこちらが受けます!』

一八(ヒトハチ)の榛名だ、確か二番艦。今の臨時の席次は三番艦」

『チャーチル了解。脱出できる?』

『かなり……厳しいです。今も――』

 

 主砲を発射したのか、バリバリという割れた音が無線から漏れる。

 

『さっきから敵が突撃を敢行してきて、息をつく暇もありません! あ、また――』

 

 再び轟音が伝わる。逼迫した状況なのは明らかだった。

 

『了解……こちらから脱出支援に向かう』

『了解しました。……支援、感謝致します!』

 

 横を見ると、既に加古が準備を整えていた。「あたしらの出番だね」

 照明弾に照らされると、満身創痍のその姿がよく見えた。艤装は所々ヒビが入り、規定を超えた連続発砲の代償に砲身が変色し、魚雷発射管は片方が丸ごとなくなっている。身体も服も火薬で煤け、一部は焼け焦げている。髪も真横を突き抜けた敵弾に持って行かれたりしたせいで随分と乱れている。どこから見ても、今から前線に突撃する態勢ではなかった。

 それでも加古は唯一無事な歯を見せ、笑っていた。白の照明弾を反射してか、唯でさえ真っ白な歯が妙に白く見える。

 

『テレよりアーティ。これより敵包囲下の残存艦救出に向かう。交代のテレ及び増援を要請する』

『アーティよりテレ。了解、水雷戦隊を分派し増援として派遣する。以後はコールサインを“テレ”から……“エルベ”に変更されたし。増援のコールサインは“ダンケルク”。……どうぞ、ご無事で』

『……エルベ了解。無事に、絶対に連れて帰るよ』

 

 無線を終え、川内も準備を――既に大半は終了していたが――整える。こちらも加古と同じように戦闘により少なからぬ損傷があちこちに見られた。よく見ると、艤装の一四センチ単装砲に加えて駆逐艦用の一二.七センチ連装砲を手にしている。照明弾に照らされずともブラウンの双眸は光を湛え、黄金色に近い色を見せる。戦意は消えることなく厳然として存在していた。

 忠誠心、責任感、連帯意識、と川内は途切れ途切れに呟く。加古が振り向き「何か言った?」と聞き返した。

 

「何でもないよ。さあ、行こう。時間がない、仲間が待ってる」

「勿論」

 

 

――――――――

 

 

「ねえ、川内」

「何?」

 

 加古の方に顔を向けることなく川内は答える。その目はただ、空を見つめていた。

 

「無事に、行けたかな」

「……さあね、行けたんじゃない?」

「いつまで、こうして浮いてられるかな」

「さあね、まあ敵ももういないみたいだし、運が良ければこのままどっかに流れ着くんじゃないかな」

「投げやりだなあ」

「まあ、今更じたばたしてもしょうがないでしょ? 無線も発煙筒も、信号弾もないんだから」

 

 川内と加古は揃って周囲を見回した、正確に言うと首を起こして見上げていた。艤装も一切なく、ただ生身で仰向けになって、加古と川内は海を漂っていた。いつの間にか雲は晴れ、夜明けが近いのか、おそらく東と思しき空が淡く明るくなってきていた。

 

「ところで……この状況、既視感しかないんだけど」

「奇遇だね、あたしも今それを言おうと思ってた」

 

 川内と加古は顔を見合わせると、笑った。心の底から湧いた、乾いた笑いだった。

 

「結局ダメだったね」

 

 長々と笑っていたが、伏し目がちにぽつりと、川内が言った。

 

「何が?」

「ヴェンクにはなれなかった」

「誰? その人」

「ベルリン包囲突破の英雄。……にあやかろうとしたんだけど、こうなっちゃった」

「ま、あたしら以外は何とか出れたんだし、八〇点くらいはあるでしょ?」

「そりゃあ……そうだけどね、満点じゃないからこうして私たち浮いてるわけだしね」

 

 川内は憮然とした表情をした。それを横目で見つつ、加古は大袈裟に呆れたように溜息を吐いた。

 

「らしくないね、まるでこのまま沈んじゃうみたいな顔してる」

「らしくない?」

「そうさ。やれ『縁起悪いことは言うな』やら『それ以上は言わない方がいい』やら言霊信仰めいたことを言ってるってのに、自分がその中にはまり込んじゃってる」

 

 川内はぽかんとした表情で加古を見た。

 

「どうしたの、そんな目を真ん丸にしちゃって」

「気付かなかった……確かに、その通りだね。うん、その通り。沈んじゃいられないよね、私も加古も」

「あたし? 何でさ、そりゃ沈むのはゴメンだけども」

 

 川内はさっきとは打って変わって、加古にニヤリと笑いかけた。

 

「幕僚連中を磔にしてウィリアム・テルごっこやるんでしょ? 私もやろうかな、艤装の調整がてらに」

「……そんなこと言ってないけど? 標的に括りつけて夾叉させるとは言ったけど」

「一緒じゃん」

「別物だって。ウィリアム・テルごっこなんてやったらあの連中揃って心臓発作で死ぬよ?」

「二〇.三センチを夾叉させる方が遥かに心臓に悪いと思うけどね」

「それは……そうかも、確かに」

「いいや、いっそ両方やろう。今なら多少のことはKIA(戦死)で処理できる」

「そりゃいいや」

 

 川内と加古は再び笑った。腹の底から、思い切り笑った。

 

「ねえ、加古」

「何?」

()()、歌おう」

「おっ、いいね。歌おう歌おう」

 

 加古が鼻歌で曲の入りを歌い始める。川内もそれに合わせ、鼻歌を歌う。正式なものとは違って、かなりゆったりとした曲調の歌い出しだった。

 

『どこーまでーつづーくー――』

 

 限りなく広がる海原に歌声が響く中、水平線の向こうで朝日が顔を見せようとしていた。長い一日が終わり、そして朝がやって来た。

 




「涯」は「はて」と読みます。

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